2019/10/07 - 2019/10/07
29位(同エリア212件中)
よっちさん
西条駅や大学などからは少し離れたところを歩いてみたいと思い、東広島市河内町の竹林寺と高屋町の白市に行ってきました。
竹林寺は標高535mの篁山の山頂付近にあり、730年(天平2年)に行基によって桜山花王寺として創建されたと伝えられています(1511年に再建)。本堂は国指定の重要文化財、紙本著色竹林寺縁起絵巻・木造地蔵菩薩半跏像、護摩堂・十王堂などは広島県や東広島市指定の重要文化財です。一方、平安時代の参議にして歌人の小野篁(おののたかむら)と結びつけた逸話・伝説(竹林寺縁起)もあるようです。
行きは、山陽線の入野(にゅうの)駅から西参道を竹林寺・篁山山頂まで登り、帰りは河内(こうち)駅まで下りました。登り下りとも徒歩70分程度の行程です。竹林寺までは自動車道路もあり、少し手前の展望台には駐車場がありますが、途中にも様々見るべきものがあると思い、歩いてみることにしました。
白市は江戸時代にはこの地域の商業経済の中心地として栄えたところで、江戸初期から明治・大正まで、各時代に建てられた商家の住宅が今なお残り、「白市の町並み」として知られています。山陽線の白市駅からは徒歩で片道30分ほどでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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入野駅、無人駅。山陽線の西条から三原方面に三つ目の駅です。ここから篁山の頂上、竹林寺まで70分歩きます。
入野駅 駅
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入野駅から「グリューネン入野」という団地に向かう道路を10分ぐらい歩くと、産直センター「たかむらの里」があり、ここから篁山への登山道に入りました。
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緩やか斜面に稲刈り前の水田が広がっていました。その先に小さく藁ぶき屋根の農家、その向こうには篁山の稜線が見えました。
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竹林寺への道標(右手前)と「天平のみち」の碑(左)。ここからが竹林寺西参道です。しばらくの区間は「天平のみち」とも名付けられています。行基による開山が天平年間だったからでしょう。
道沿いには「天平」とは関係なく、小野篁、その孫とされる小野小町、さらに竹林寺縁起で篁の母親とされる八千代などに関連した石造物がやたら目立ちます。多くは古いものではなく、それら自体に歴史的意味はなさそうです。ちょっと置き過ぎのような気がして、写真もあまり撮りませんでした。 -
竹林寺西参道(篁山登山道)、天平のみち。篁山と竹林寺について解説した案内板がありました。篁山の自然や竹林寺の歴史・文化財などについて書かれており、竹林寺縁起にある小野篁をめぐる逸話・伝説には触れられていません。
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竹林寺西参道(篁山登山道)。この辺りはまだ広くて緩やかです。
竹林寺にはいくつかの参道があり、入野駅側から登る道はこの西参道のほかに、730年の開山のときに行基が登ったと伝えられる表参道があるそうです。ただし、現在そちらを通る人はほとんどなく、道も荒れているとか。 -
竹林寺西参道(篁山登山道)、ミツバツツジの自生地。そういえば、今年の4月は西条の二神山でミツバツツジの花見をしました。来年はぜひここで花を見たいものです。
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竹林寺西参道(篁山登山道)。たくさんある石造物のなかの二つ、百人一首にある小野篁の和歌の碑(左)、広島の百山「篁山」の碑。
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竹林寺西参道(篁山登山道)、梵字岩。竹林寺の参道には新旧・大小5基の梵字岩があり、これは西参道梵字岩群の「第2番梵字岩」といわれるものだそうです。自然石に梵字を刻んでありますが、時代も字の意味もわかりません。
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竹林寺西参道(篁山登山道)。道はしばらく谷沿いを真っすぐ進みますが、姫路滝を過ぎたあたりから尾根に上がりはじめ、岩だらけの狭い道になりました。これは「参道」というより「登山道」です。
なお、昨年7月の豪雨で崩れたせいか、どこが姫路滝なのかわかりませんでした。写真も無し。 -
竹林寺西参道(篁山登山道)。これも昨年7月の豪雨で崩れたと思われる崖。道はその中段を通っていました。
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竹林寺西参道(篁山登山道)。松ケ嶽城址への道標と、この城について書かれた案内板。この分岐を右に行けばすぐ松ケ嶽城址ですが、竹林寺にできるだけ時間をとりたいので、行きませんでした。左に行くと竹林寺まで緩やかで歩きやすい道です。
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竹林寺西参道(篁山登山道)。またしても梵字岩。これは西参道梵字岩群の「第3番梵字岩」です。時代は不明。刻まれている梵字は「ア」と読み、密教で胎蔵界大日如来を表す一音節の呪文のようなものだそうです。
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竹林寺西参道(篁山登山道)、町石(丁石)。第3番梵字岩の道を挟んだ反対側にありました。竹林寺西参道町石のうちの「九丁石」といわれるもの。つまり9合目を表しています。一番上に梵字がありますが、こちらは「キリーク」で、阿弥陀如来を表すそうです。おそらく江戸時代のもの。
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竹林寺。道の前方が開け、仁王門前の石段の下に出ました。表参道や河内駅からの道を登って来てもここに出ます。
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真言宗「篁山竹林寺」とあります。「篁山」とは、この寺がある山の名前ですが、同時に竹林寺の山号でもあります。もちろん、どちらも小野篁の逸話以降についたもの。また、のちに弘法大師がここを訪れ、真言宗の寺としたそうです。
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竹林寺、仁王門。左右に仁王像があります。1991年の台風で山門、像とも倒壊する被害を受け、その後ともに修復され現在に至っています。
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竹林寺。仁王門をくぐると前方にあるのが八千代橋。「八千代」とは、竹林寺縁起で小野篁の母親とされる人物の名前。
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竹林寺、八千代橋。夏に睡蓮が美しく咲く池にかかる屋根付きの太鼓橋です。同じく東広島にありシャクナゲで知られる福成寺の橋に似ています。
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竹林寺、八千代橋。
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竹林寺、八千代橋。手前は池を覆う睡蓮。この時期は葉が茂るばかりで、花はまったくありませんでした。この橋からさらに進んで本堂に至ります。
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竹林寺本堂、国指定の重要文化財です。1511年建立。その左側は護摩堂、右側は十王堂です。
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竹林寺本堂
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竹林寺本堂
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竹林寺本堂
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竹林寺。紙本著色竹林寺縁起絵巻(竹林寺縁起)の記述の概略が書かれた案内板。
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竹林寺。竹林寺縁起にある小野篁をめぐる逸話・伝説について書かれた案内板。
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竹林寺十王堂、こちらは東広島市の重要文化財。
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竹林寺、十王堂。竹林寺縁起によれば、死んだ小野篁は100年後に僧の姿でよみがえり、故郷の花王寺(現在の竹林寺)を訪れて、ここで九体の像を刻み、さらに自らも一体の像になったとか。
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竹林寺護摩堂、これも東広島市の重要文化財。
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竹林寺。左側が護摩堂、赤い幟の向こう側が本堂。
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竹林寺篁堂。小野篁が祀られているそうです。
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竹林寺。八千代橋付近から鐘楼、三重塔跡、篁山の山頂へ向かう道。
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竹林寺鐘楼。
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竹林寺、三重塔跡。阿弥陀像がありました。1920年代この塔は管理上の問題で、当時の住職により解体・売却され、東京の目白にある椿山荘に移築されたそうです。このとき内部は大幅に改修され、もはや当時を偲ぶことはできないとのこと。
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篁山の山頂。三重塔跡のすぐ左上が篁山の山頂。
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帰りは河内駅方面への参道を下りました。篁山中腹から河内方面を見ています。
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花崗岩の節理。きれいに長四角に割れています。下山途中で見かけました。
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岩肌に地衣がきれいに丸く成長していました。この種の地衣は、東京都区内などでは今やほとんど見ることはありませんが、この地域では西条の街路樹でさえよく見かけます。それだけ空気がきれいなのでしょう。
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沼田川まで下ってきました。昨年7月の豪雨で氾濫し大きな被害を出した川です。
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河内駅、ここも無人駅。先ほど下車した入野駅から三原方面に一つ目の駅です。
河内駅 駅
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河内駅から西条方面に二駅戻ると白市駅です。小さいながらも広島空港の最寄り駅(路線バスで25分ほど)。白市駅は白市にあるわけではなく、小谷という地区にあります。本来の白市地区は駅からずいぶん離れていて、徒歩で30分ほど。
篁山に歩いて登った勢いで、また歩いて「白市の町並み」にやって来ました。 -
白市の町並み。戦国時代には白山城の城下町として、江戸時代には市場町・宿場町として栄えました。商家の瓦葺きの町屋が並び、牛馬市が開かれ、劇場の興行、行商など多く人々が集まったといわれています。商業経済の繁栄は明治のころまで続いたそうです。
現在でも往時の家屋が保存されています。写真の右側が伊原八郎家住宅、左側が伊原惣十郎家住宅。 -
伊原惣十郎家住宅。明治期の特徴を持つ豪壮なつくりで、町家の大型化をよく示した貴重な事例とのこと。伊原惣十郎は鋳物製造業を営み、京都御所や厳島神社の灯籠を手掛けるなど幅広く活躍したそうです。
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伊原惣十郎家住宅
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伊原八郎家住宅。こちらは少し新しく大正時代、1915~17年の建築といわれています。玄関の梁熨瓦、鯱、格子窓など豪華な装飾が特徴です。
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伊原八郎家住宅。伊原惣十郎家の分家とか。
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舛木家住宅。明治後期の建築だそうです。
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舛木家住宅
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旧木原家住宅、国指定の重要文化財。江戸時代初期1665年の建築で、西国で最も古い町家の一つとされています。江戸中期に見られる装飾性はなく、粗大なつくりで、当時の町屋の形態をよく残しているそうです。
旧木原家住宅 名所・史跡
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旧木原家住宅。木原家は江戸時代初期から酒造業や塩田業を営み、安芸国有数の商家として栄えたといわれています。
旧木原家住宅 名所・史跡
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旧木原家住宅。入口には大戸が付けられ、表側には格子戸が入れられています。
旧木原家住宅 名所・史跡
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旧木原家住宅。月曜日以外は入館料150円で内部を見学できるそうですが、この日訪れたときには、どういうわけか担当者がおらず、鍵もかけられていました。
旧木原家住宅 名所・史跡
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重満家住宅、江戸末期から明治初期の建物。重満家は酒造業を営んでいたそうです。
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重満家住宅
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勝田家住宅。江戸後期から末期の建築で、白市では旧木原家住宅に次いで古い建物といわれています。
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養国寺。1184年の創建、はじめは真言宗の寺院でしたが、 のちに浄土真宗となり養国寺と称したとか。これは鐘楼門、江戸時代の建物です。
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養国寺、本堂。これも江戸時代の建物。
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養国寺、本堂。当時のものとしては規模が大きく装飾的。 たとえば、これは本堂正面の梁にある欄間。これを含め、廊下の欄間には中国「二十四孝」の彫刻が施されています。もともとは彩色されていたのでしょうか?
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養国寺、本堂。廊下には色鮮やかな花の天井絵もあります。
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光政寺(こうしょうじ)。1505年に白山城主が建立したといわれています。
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光政寺、本堂と宝篋印塔。
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西福寺。もともと別の場所にあった大福寺(1100年代建立)を、1585年にこの地に移転させたそうです。
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白市の町並み。西福寺前から見ています。道路の手前右側に勝田家、その先の左に重満家、さらにその先の右にわずかに旧木原住宅が見えます。それにしても電柱と電線が邪魔です。
このあと白市駅まで歩き、山陽線で西条に戻りました。これで今日の山歩き・町歩きは終わりです。
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