2019/10/09 - 2019/10/09
27位(同エリア212件中)
よっちさん
2日前の竹林寺と「白市の町並み」に続き、今度は東広島市志和町を歩いてきました。志和堀地区には、水田が広がり茅葺屋根の民家が点在して、古き良き農村の風情が残されています。また、10年前に操業を終えた「千代乃春酒造」の歴史ある建物や、大正時代に作られたいう「時報塔」が、これとうまく調和して、美しい田園風景をつくっています。
並滝寺は志和東の山の中腹、八本松町との境界にあり、733年(天平5年)に行基によって創建されたと伝えられています。1525年に焼失、再建、1757年の暴風で倒壊、その後18~19世紀に建造物が順次再建されて現在に至っているそうです。2日前に行った竹林寺ほど不便ではありませんが、徒歩では志和側、八本松側いずれの最寄りバス停から行っても40~50分かかってしまいます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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志和堀の風景、茅葺屋根の民家。
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志和堀の風景。
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志和堀の風景
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志和堀の風景、稲刈り前の水田。向こうの山は金明山です。
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志和堀の風景(今年5月末の写真)、田植えを終えたばかりの水田。
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志和堀の風景。この辺りでは一番大きくて立派な茅葺屋根かと思います。
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志和堀の風景(今年5月末)、田植えの後。左側の民家は前の写真と同じお宅です。
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志和堀の風景。これも同じお宅を反対側から見ています。
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志和堀の風景。これは「ほたる庵」、築120年の茅葺の民家を保全活用した創作料理の店です。完全予約制で、昼2組・夜1組のみの限定です。
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志和堀の風景。右は「ほたる庵」、左奥に見えるのは先ほどの大きくt立派な民家です。水田の緑は、稲刈り後に芽吹いたもの。
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志和堀の風景(今年5月末)、田植えの後。前の写真に近い構図です。
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ほたる庵(今年5月末)。
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志和堀の風景、半川(今年5月末)。志和町のふるさと自慢の一つがホタルです。毎年5月下旬~6月中旬の日没後、川面に多くのホタルが幻想的な光りを放って飛び交います。
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志和堀の風景、半川(今年5月末)。「ほたる祭り」のぼり旗。毎年6月の第1土曜、近くの志和堀小学校の校庭と半川沿いで開催されます。今年は6月1日、この写真を撮影した日の翌々日でした。
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志和堀、半川(今年5月末)。前の写真よりも下流の草の多いところ。この辺りでもたくさんのホタルが見られるそうです。撮影日の夕刻にも見られたことでしょう。私はその前に帰ってしまいました。
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志和堀の風景、半川。前の写真とだいたい同じ場所。もちろん今はホタルの成虫はいませんが、水底をよく見るとホタルの幼虫の餌になるカワニナがたくさんいました。写真を拡大するとわかります。
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志和堀の町並み。江戸時代には街道の宿場でもあったそうです。
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志和堀の町並み。前の写真の旧街道?から路地を入ったところ。向こうに千代乃春酒造の茅葺の母屋が見えます。
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千代乃春酒造、1749年(寛延2年)創業の伝統ある蔵元。残念なことに2009年に操業を終えました。敷地内には江戸時代から大正・昭和の各時代の建物が残されています。
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千代乃春酒造、赤レンガの煙突。西条酒蔵通りにあるものと同じつくりです。
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千代乃春酒造、酒蔵の表門。操業を止めた今、門は閉じられています。
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千代乃春酒造、母屋と社屋への門。
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千代乃春酒造、茅葺屋根の母屋。1749年の建築です。志和堀の他の茅葺よりもさらに豪壮なつくりです。
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千代乃春酒造、母屋の軒下。杉玉が吊るされています。
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千代乃春酒造。一部の建物は経済産業省によって近代化産業遺産に登録され、保存されています。
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千代乃春酒造。塀越しに多くの建物が見えます。ゆっくり中を見学したいものです。
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千代乃春酒造、左は社屋、右は工場でしょうか?
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千代乃春酒造、時報塔付近から見ています。手前は稲刈りを終えた水田。
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千代乃春酒造、時報塔付近から見ています。
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千代乃春酒造、また別の方から見ています。
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千代乃春酒造、横を流れる半川。5月下旬~6月中旬には、この辺りにもホタルが舞います。
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時報塔、志和堀のシンボルともいえる建物。上部は木造、ほかは鉄筋コンクリート造りで、高さは7.8m。外壁は凹凸をつけて石造り風になっています。
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時報塔。定時励行を目的に1922年、在郷軍人会志和堀分会によって建設されたそうで、四方の壁面には「定時励行」、「時間節約」、「時ハ金」の標語と「在郷軍人会志和堀分会」の消えかかった文字が記されています。
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時報塔。上部の木造部分には、当時アメリカ在住の旧志和堀村出身者15人が寄贈したという鐘が吊るされています。その後その上にサイレンが設置され、現在ではこれが時を告げる役割を果たしているそうです。
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時報塔。登録有形文化財に登録されています。
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時報塔(今年5月末)。「ほたる祭」に関連してか、提灯が飾られていました。
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時報塔(左)と千代乃春酒造の煙突(右)
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志和町志和東、芸陽バス「兼持」バス停付近。ここから並滝寺まで徒歩40分の行程です。
なお、「志和堀」バス停から「兼持」まで志和循環西先回りバスでわずか5分(徒歩だと50分)ですが、しばらくバスが来ないため、志和循環東先回りで志和町を1周して八本松駅に戻り、ここで再び東先回りに乗って「兼持」バス停にやって来ました。 -
志和町志和東の風景。志和堀の方を見ています。
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志和町志和東の風景。これから向かう並滝寺の方を見ています。中央やや左の山の右から回り込んだ中腹に並滝寺があります。
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並滝寺へ向かう道。車も通れる道ですが、途中ほとんど廃道と化した山道が並滝寺のほうへ向かって続いていました。寺の仁王門につながる昔の参道かも知れません。
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並滝寺。志和の兼持バス停から上がってきた道が並滝寺池に出たところに、入口がありました。山門(仁王門)まで数分です。
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並滝寺。「木彫延命地蔵菩薩半跏像」と「唐絵涅槃像」が東広島市指定の重要有形文化財です。
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「木彫延命地蔵菩薩半跏像」と「唐絵涅槃像」について解説した案内板。
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並滝寺、現在の参道。このすぐ先で仁王門の下に出ます。
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並滝寺、仁王門。志和方面からの古い参道は、真っすぐここへ上がるようになっていたようです。
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並滝寺、仁王門。18世紀末から19世紀初めかけて再建されたといわれています。
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並滝寺、仁王門左側の仁王像。
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並滝寺、鐘楼。1804年再建。下部は白い漆喰塗りでアーチ型の通路があり、上部は木造で瓦葺、入母屋造の屋根があります。竜宮造というそうです。
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並滝寺、鐘楼。斜面に建てられているので、下にしっかりした石垣が積まれています。
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並滝寺、庫裏。1797年再建、数寄屋造。ここに市指定の重要文化財「木彫延命地蔵菩薩半跏像」と「唐絵涅槃像」があるそうです。
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並滝寺。庫裏の先、石段の上に楼門が見えます。
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並滝寺、楼門。18世紀中~後期に再建。白い漆喰塗の土台にアーチ型の通路、これもまた竜宮造ですが、先ほどの鐘楼と異なり屋根は茅葺きの寄棟造です。
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並滝寺、楼門の軒。
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並滝寺、楼門。本堂側から見ています。竜宮造。
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並滝寺、本堂。1757年の暴風による倒壊後、1771年に再建されたそうです。屋根は重厚な茅葺です。建築様式は唐様を主体とし、意匠的にも優れたものだそうです
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並滝寺、楼門の下から見た本堂。
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並滝寺、本堂
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並滝寺、本堂。
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並滝寺、本堂。右奥に楼門が見えます。
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並滝寺、本堂。千手観世音菩薩が安置されているそうです。
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並滝寺、本堂。
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並滝寺、建造物について解説が書かれている案内板。
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並滝寺、金毘羅社。1798年再建。小さな鎮守社ながら、しっかりした茅葺屋根です。
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並滝寺池。江戸時代の延宝年間(1671~1680年)に農業用水の供給を目的に築造された人造湖です。第二次世界大戦中に再築造され、現在の規模になったそうです。
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並滝寺池。帰りはここから八本松方面に下りました。最寄りのバス停「篠」まで徒歩で50分ほどです。
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「篠」バス停へ下る途中、虚空蔵山登山口がありました。この山は志和町と八本松町の境界に位置し、頂上手前の「見晴らし大岩」からの展望が素晴らしそうです。
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昨年7月の豪雨で崩壊した斜面。ここばかりではなく、並滝寺周辺のあちこちに見られました。改修工事はなかなか進まないようです。
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八本松町篠付近から今来た並滝寺方面を見ています。中央の鞍部が並滝寺池、右側の山は虚空蔵山、左側は南条山です。このあと「篠」バス停から芸陽バスで八本松町駅に向かい、さらに山陽線で西条へ戻りました。
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