2019/09/20 - 2019/09/23
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摂津の国のマーガトロイドさん
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2019年の秋は山陰へ。
大阪から車に乗り込み篠山経由で城崎へ向かう1日目、余部橋梁と鳥取砂丘、砂の美術館、境港で海の幸と山陰海岸満喫の2日目、出雲大社と出雲そばを楽しみ三江線廃線跡を行く3日目、津山まなびの鉄道館や片上鉄道跡など廃線跡を楽しむ4日目という3泊4日。
今回は3日目の旅の様子を記載。
雨の出雲大社を参拝して出雲そばに舌鼓。旧大社駅や日御碕灯台も立ち寄って山陰道を飛ばして江津からはサイコロで進む三江線廃線跡の旅。
終点の三次からは中国道を走って津山に泊まる走行距離はこの旅一番の一日。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- レンタカー
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
3日目の旅は松江から。こう見えてもこの日の宿だw
なおこの日の旅は4年前の山陰遠征2日目の行程に近い。もしよければそちらもチェックして頂けると特にこの先での三江線の様子などがお分かり頂けていいかもしれない。
この日の宿を後にして宍道湖沿いをひた走る。雨の日曜日の朝だが飛ばす車は飛ばす。
…というか信号が少ないのでかなり流れは速い。
国道は平田の街をバイパスするように迂回して車の少ないバイパスを走る。出雲大社までは意外に遠い。 -
出雲大社にやってきた。駐車場からだと鳥居ではなく参道の途中に合流する形をとる。
結構な雨であること、空腹(朝食は食べていない…途中にローソンがあったので寄ればよかったと後悔)でコンディションはあまり良くないがいざ来てみるとなかなかなもの。 -
ここは二礼四拍一礼である。実は直前まで忘れかけていたwそして再び本殿を一周して西側でも参拝。
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最後は参道を通って出雲大社を一度後にする。
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ということで前夜からここに行くことは決めていたが出雲そば八雲へ。決して紫でもなけりゃ藍でもないしなんなら「ちぇぇぇぇぇぇぇん」でもない。
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出石の皿そばは食べられなかったが出雲の五段そばは堪能。
そばの本場は長野としても、出雲そばも負けず劣らず。おいしかったので1段おかわりした。
そば湯文化のない関西人の筆者はそばつゆをそのまま飲むが関東在住歴もある友人は最後はそば湯。
旅のパワーは飯だと改めて確信(笑)隣の土産物店でお土産とちゃっかり出雲そばを購入。
そば好きな筆者の父親の喜ぶ姿が目に浮かぶ。案の定帰宅後出雲そばを出したら喜んでいたw -
新作のひよこじゃないよ
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さざれ石である。実物を目の前にすると君が代の歌詞の意味が割とよく分かる。今回は「日教組避け」と紹介しておいたw
駐車場に戻ったがほぼ満車で驚き。早く来ておいて本当に良かった。 -
車で移動して大社駅跡へ。駅前に車を止める。ここで強風で傘が壊れたorz幸いにも小雨になっていたので傘は使わないことに。というか使っても意味ない。
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駅舎内に入る。吹き付ける風の音はすごいがさすがに駅舎だけあってそんなに簡単には壊れない。
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運賃表が残されている。しばらくこの運賃表だけで友人と話せてしまう辺りお互い業が深いw
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時刻表は全列車出雲市行きだが接続列車には様々な種類があって興味深い
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切符売場も出雲大社の玄関口ということもあり窓口が複数存在する。正直これだけでもかなりポイントは高い
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こちらにも窓口らしきものがあった。
この駅舎の広さと雰囲気は今にも「ただいまから11時1分発普通列車出雲市行きの改札を致します…」と駅員の声が聞こえてきそうだ。 -
隣の部屋には旅館の案内が残されている。いかにも観光地最寄の国鉄駅という感じだ。
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鉄道関連の展示も残されている。
「三江北線」や「倉吉線」の文字も見受けられた。 -
ヘッドマークの展示もある。おなじみの「はまかぜ」から「長門」市を通っていた「いそかぜ」もいる。
メシマズだったら嫌だな… -
改札を通り抜けてホームに出る。住吉大社でもなければ新陳代謝でもない。「たいしゃ」である。
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出雲市方面を望む。レールはそのまま残されている。
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続いて終端側を望む。ホームの長さがかつての栄華を物語る。
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D51が停車している
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線路なうwww
…廃線だからこそ許される1枚 -
運転室はこんな感じ。屋外保存ながらさほど状態は悪くない
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構内踏切を渡る。現役時代ならこんな構図からホームは撮れない
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反対側も味わい深い風景。路盤の雑草がそう見せるのかな?
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最後に線路の終端部まで行く。小雨が降っていることもありこれ以上雑草の中を進むのは自重した。
なお現役当時は奥に機回し線らしきものがあったらしい。
ここからは車で日御碕灯台を目指す。 -
風の強い日御碕に到着。よく考えたら台風が来ている。
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日御碕灯台の説明があった。
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日御碕灯台は参観灯台だが台風の影響で灯台上部への立ち入りができない為日御碕灯台には入らず。バックの空も雲行きがかなり怪しい。
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日本海を眺める。波もそれなりにある。「島根県出雲市の日御碕から中継です…」とキャスターの真似もしてみるw
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少し歩くとこのような断崖絶壁がある。ここは柵がないので白浜の三段壁と違って簡単に自殺できそうだ。
…だがこの風と足元の悪さでは本当に滑って死にかねない。これ以上の前進は無理。 -
しかし眺めはなかなかなもの。韓国は見えないが水平線なら見える。この向きだと約300km先にあるのは釜山。
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駐車場に戻る途中にカモメと灯台と海で一枚。
この後地元の超スローペース軽トラ(我々は「木曽かめ君」と呼んでいたw)に悩まされつつ大社線の廃線跡の道を走ったり道に迷ったりしてようやく山陰道に乗る。 -
少し寝ている間に大田市を通過。車窓には日本海が広がる。
思えばこの2日時々見えていた日本海とも江津でお別れだ。 -
江津市内で給油してローソンに立ち寄る。ここが今回の旅の最西端。ここから筆者にドライバー交代。
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江津駅に到着。ここからは三江線沿いを走って三次を目指す。
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ちょうどアクアライナーが停車していた
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13:39 アクアライナーからの接続を受けていよいよ三次に向かう。
三江線廃線跡巡りではサイコロで寄る駅を決めることにした。
ただし鹿賀、石見川本、浜原、潮、宇都井、口羽の各駅は指定停車駅としてサイコロの目に関わらず停車、時間の都合によっては「自動車代行」として駅付近の任意の位置で振り直しというルールに決定。
最初は「6」が出たので石見川越駅へ。 -
14:15 石見川越駅に到着。ホームが残されていたが駅前にあるのは郵便局のみ。
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三次方面を望む。この辺りはほぼそうだがレールが残されている。ただし「立入禁止」の看板があったので駅施設への立入は自重した。
隣駅が指定停車駅の鹿賀なのでサイコロは振らずに出発。 -
14:28 今回立ち寄ってみたかったコインレストランかわもとに到着。ここを鹿賀駅(自動車代行)とみなす。
というより当初より鹿賀駅に立ち寄る予定はなく便宜上コインレストランかわもとの最寄駅だった鹿賀駅が指定停車駅となっただけの話。 -
ここにはうどん&ラーメンの自販機がある。ラーメンは当たり外れが激しい(特に筆者のような豚骨原理主義者であると)ので無難にうどんに。
カウントダウンの表示が消えかかってやがるw -
こういう風に出てくるw
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かしわうどん330円。味はまあ普通。だがどちらかといえば自販機であることの物珍しさ目的なので問題なし。
約20分の停車の末に発車。サイコロは無事に1以外を出してくれたので次の指定停車駅である石見川本へ直行。 -
15:00 石見川本駅に到着。駅舎がきちんと残されている。
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駅名標風の看板が残されていた。
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廃止時まで業務委託駅だったので窓口が残されている。
ちなみにこの写真は偶然ながらウィキペディアにある現役当時の石見川本駅駅舎内の様子とほぼ同じ構図なのでそちらと見比べてみても楽しいかもしれない。 -
駅名標が残されていた。確かにJR西日本の路線であった証である。
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ホームへは立ち入れないが写真は撮れる。江津方面を望む。
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三次方面を望む。廃止時まで数少ない離合可能駅であった。
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今や誰も使わなさそうな待合室で自販機だけが唯一稼働していた(バスが来るので使わないわけではないのかも)
サイコロを振って出発。サイコロは5が出たので明塚駅へ。
ここからは道が狭くなる。時々離合にも気を遣う。 -
15:18 たまたま離合待ちの為に停車した場所が竹駅の駅前だったので降りてみる。言ってしまえば「臨時停車」だ。
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乗車口の跡が残されている
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三次方面を望む。道は結構狭い割に車はそこそこ来る。なんとなく三江線が特定地方交通線に指定されながらも廃止されなかった理由が分かる気がする。
ここは臨時停車なのでサイコロは振らずに明塚へ向かう。 -
15:29 狭い道を抜けてようやく道幅が広くなり江の川を渡って明塚駅(自動車代行)へ。
とりあえずこの地点を明塚駅代わりとしてサイコロを振れば次は浜原駅へ。粕渕はなぜか通過。 -
15:39 狭い道を抜けて浜原駅に到着。三江線の運行上の主要駅であった。
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三江線全通記念の記念碑もある。ここから先、口羽までは1975年に鉄建公団が建設して全通となった区間である。
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駅舎の入口には「浜原駅」と書かれた看板が残る
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掲示板には現役時代末期の葬式鉄用増発に伴う張り紙が残されていた。
ずっと「大勢のお客様」が乗っていれば廃止にはならなかったのだろうが、三江線は旅客流動にあまりにも合致していなかったのだろう。そして時代も悪かったのかもしれない。 -
現役時代最末期の時刻表が駅舎内に残されていた。これはなかなか貴重かもしれない。
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ホームを望む。跨線橋は取り壊されていて、石見川本より廃駅らしさを感じてしまう…
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駅前通りの様子。道幅は結構狭い。
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一方駅の広場はそれなりの広さがある。ただあくまでも地域としての中心部は粕渕なのだろう。
ここで乗務員交代。ここからは友人が運転する。
サイコロは1が出たので沢谷駅だが…ルートの関係で沢谷は通過。指定停車駅の潮へ直行する。 -
15:58 潮駅に到着。国道からは少し上がったところが駅の入口。
友人はこの潮駅から江の川が眺められるという事で期待していたがホームは立入禁止なので江の川は眺められず。
なお現役時代の潮駅辺りから眺める江の川の写真は筆者旅行記の「山陰・広島遠征レポ2日目」に掲載している。 -
駅舎…というか待合室はそのまま残されている
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潮駅の近くには温泉がある。駅前には温泉への案内板があったがもうここに鉄路で訪れる人は誰もいない…
ところで潮とか大和とか?大和ホテル?ホテルじゃない?
次のサイコロは3以上だったので指定停車駅の宇都井へ向かう。 -
16:07 沿線には鉄建公団らしい高規格な廃高架橋が続く。これから撤去とかどうするのだろうか…
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こう見ると湖西線のようにも見える
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トンネルに入る国道と別れて三江線は江の川沿いを走る。ここからの道が離合困難。しかも天気はあまり良くない。離合が無いことを祈りながら走る。
途中でハスラーと離合したがなんとか離合成功。 -
16:25 宇都井駅に到着。このコンクリ感が鉄建公団らしい。
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同じ高い橋でも余部橋梁とはまた違ったスケールの大きさである
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現役当時から人気のあったこの駅は現在トロッコ型車両が運行されている。なお営業時間を過ぎていたので誰もいなかった。
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個人的に最も興味深かったのがこの階段部分。どこかで見た事のあるスタイルだと思ったらこれは公団(鉄建公団ではなく住宅公団ね)住宅の階段ではないかw筆者の故郷でもかつてよく見られたものである。
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ヨーグルトではないw
ここでサイコロを振る。2以上が出れば口羽なのだが友人が出した結果は…1でしたw
ということで伊賀和志に向かう。 -
立派な鉄橋(撤去に相当金かかるんだろうなこれ…)を見つけるともうそこは広島県との県境。
県境を越えると多少道がマシになる。 -
16:40 伊賀和志駅に到着。駅前に住宅もあり宇都井よりは開けている。
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江津方面を望む。この住宅が駅徒歩30秒だった時代から今や駅までは車で30分以上かかる。
ちなみに筆者達はこの直後危険なものを目にして即座に駅を離れる決断を下す。 -
それがこれ。駅の待合室に巨大なハチの巣ができていた(画像はデジカメでの撮影でズーム。流石に近寄れない)
余談ながらそれなりに雨が降っていることも分かる。
次は指定停車駅の口羽なのでサイコロはなし。 -
三江線は江の川を越えて再び島根県に戻る。我々も江の川を渡って島根県に戻ることにしよう。
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16:48 口羽に到着。口羽は三江線の駅で唯一降り立ったことのある駅だ(2015年旅行記参照。離合待ちの為9分停車していた)
しかし4年前はこんなにイルミネーションされていなかった気がするが…廃止後か? -
かつて降り立ったホームはそのまま残されていた
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ただ駅名標が取り外されていることにここが廃駅になったという現実を見せつけられる。
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一方名所案内の看板はそのまま残されていた。しかしどれも結構駅から遠いな…
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それでもこの写真だけ見たら今にもキハ120が走ってきそうである。ここでもトロッコ型車両の乗車体験が行われていることもあり軌道の状況も良い。
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信号機は使用停止となっていた
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駅舎の中の様子。バスの待合室として使われている。
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三江線忘れない、ね…
なぜかアリス→デレの歌詞が脳裏に蘇る。
最後に泣くのは一体誰になるのだろうか。
駅前のトイレに立ち寄ってサイコロを振る。5が出たので信木駅へ。 -
再び広島県に入る。
ここから三江線は必殺25km制限が連続していたが車は快調に走る。道路改良もかなり進んだようだ。 -
17:14 信木駅(自動車代行)に到着。江の川を渡る橋がなかったこともあり、江の川の対岸から眺めることにする。
もっとも、駅の全体像が眺められるという点ではこちらからの方が好都合だったかも。 -
デジカメなのでズームも平気。やはり駅の入口は封鎖されているようだ。
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待合室もほぼ現役当時と変わらないようだ。時刻表の跡も見える。
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江の川を挟んで国道と三江線が並行している。それにしても通行中の車から路肩から川の対岸を見ている人などシュールな光景だっただろうw
サイコロを振ると見事に6。次は文句なく終点三次駅だ。 -
しかし道幅は一気に狭くなる区間もある。これでも以前よりはマシらしいが…
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堰堤のような江の川ダム周辺が最も道が狭い。
逆に道が広がってくるともう三次の市街地も近くなってくる。 -
17:38 三次市街地に入ったが尾関山駅近くを走っていて三江線でも唯一に近い市街地の廃駅が気になったので尾関山駅に臨時停車。駅舎は立入禁止になっていた
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よく見ると「尾関山駅」と書かれた看板跡がうっすらと見える
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駅舎内にはベンチや掲示物が残されている。
駅寝禁止の掲示がきちんとされている。やった奴がいたんだろうな…ここのみ駅舎そのものが封鎖されているのも市街地ならではの側面があるのかもしれない。 -
しかし駐車禁止の看板は「浜田鉄道部長」名義。鉄道の面影が残っている。
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三次方面を望む。ホームも立入禁止の柵ができている。写真は隙間から撮影。
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江津方面を望む。周りに住宅が多い辺り決定的に他の駅とは異なる。
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尾関山駅を後にして馬洗川を渡り三江線は三次市街を高架で走る。しかし撤去とかマジでどうする気なんだ…?
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17:58 三次駅に到着。江津から約4時間20分と現役時代より時間がかかっているw
達成感はひとしおだ。 -
芸備線の復旧見込みの張り紙が貼られていた。ここはまだ国鉄広島が残っているが気動車の新車投入はいつになるのだろう。
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三江線の旅も終わり、日没も近くなってきたので三次東ICから中国道に入る。この日の宿がある津山までひた走る。中国道は工事中で片側対面通行になっていた。ということで高速逆走なうwww
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なんてことを言っている間に七塚原SAに到着。トイレも兼ねてサービスエリア視察。
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片側通行になったりするガラガラの中国道をひた走って岡山県に突入。完全に真っ暗だ。新見辺りから寝ていて記憶が無い。
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気が付いたら大佐SAに到着。「たいさ」じゃなくて「おおさ」と読む。
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その名も「大佐レストラン」で夕食。両備の運営らしいが筆者の脳内的には若き頃軍艦のキッチンに立っていた下士官が後に大佐となって予備役になり、鎮守府近くの国道沿いで開業したレストランという設定になっているw
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ということで津山名物ホルモンうどんを食べる。
値段の割になかなかなボリューム。「ひょっとしたら退役した艦娘たちが働いてるんじゃないのか」とか友人と妄想を繰り広げつつ食べる味もなかなかなもの。
隣のショップでお土産を買って筆者にドライバー交代。元々線形が悪いのに加えて、片側交互通行で道が狭い割に車が飛ばしてくるのでかなり怖い。これなら名阪国道の方がよっぽどマシだ。
それでも片側2車線が復活すると恐怖要素はマシになる。
院庄ICで高速を降りてすぐ近くのスーパー銭湯で風呂に入る。
ここから今夜の宿まで恐怖の山道を走ったりして大雨のホテル着。この日の旅は終わり。
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