2019/08/17 - 2019/08/17
51位(同エリア142件中)
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あおしさん
江戸時代の日本の大動脈・旧東海道。
今回は静岡駅から出発して、丸子宿から金谷宿まで5つの宿場町をバスやレンタサイクルで回ってみました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 5.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
金曜日の夕方、仕事をおえて、新宿から「ホームライナー小田原21号」で出発します。この電車帰宅の通勤客のための電車ですが、特急電車車両に「青春18きっぷ」で乗れる旅行者にも便利な電車です。
JR東海道本線 乗り物
-
お盆休み中でもあり、新宿出発時点では2席に1人くらいの乗客でした。
藤沢、茅ヶ崎、平塚などの駅でほとんどの通勤客は降りてしまい、小田原到着時には1両2~3人ほどでした。小田原駅 駅
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小田原から普通電車を乗り継いで静岡到着。
静岡のホテルに宿泊。
このホテルは駅から多少歩きますが、値段の割には快適なホテルでした。静岡第一ホテル 宿・ホテル
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翌日静岡駅へ。
政令指定都市にふさわしい大きな駅です。静岡駅 駅
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静岡駅からしずてつジャストラインのバスに乗ります。
まずは、丸子宿の最寄の丸子バスセンターまで。
丸子までは10分に1本程度のバスがあり、便利です。路線バス (しずてつジャストライン) 乗り物
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丸子のバスセンターから歩き始めます。
国道とは離れた旧東海道。
静岡市のベッドタウンでもあり、家々は新しいですが、家の配置や道の様子などはかつての宿場町を偲ばせる街並みです。 -
街並みの中間地点、丸子宿本陣跡。
両隣には脇本陣跡の石碑もあり、明治天皇は行幸の際には本陣ではなく、脇本陣で休憩されたようで、「明治天皇休憩所」の石碑もありました。 -
丸子宿の名物と言えば、「とろろ汁」
この丁子屋は1596年(慶長元年)開業のとろろ汁の老舗。
慶長元年と言えば、豊臣秀吉が死没したのが慶長3年ですので、徳川家康や伊達政宗も大阪へ向かう途中にこのお店に立ち寄ったかもしれません。丁子屋 グルメ・レストラン
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お店の案内板より。
安藤広重の「東海道五十三次・丸子宿」の浮世絵にも描かれています。 -
丁子屋の前の細川藤孝(幽斎)の歌碑。
細川藤孝は明智光秀の親友で、光秀の推挙で織田信長に仕えて京都宮津藩の大名になりました。
しかし本能寺の変では光秀に味方せず、豊臣秀吉につき、さらに関ヶ原の合戦では徳川家康について、九州の大大名になりました。
細川熊本藩の藩祖と言うべき人です。
戦国武将としても有能な人でしたが、和歌等もこなす多芸な人でした。
彼の息子・細川忠興の奥さんが細川ガラシャ(明智光秀の娘です)、細川護煕元総理大臣のご先祖です。 -
暑い中歩いたので、駿府匠宿というところで一息。
ここは地元の名産品等を販売しているところですが、丸子宿の資料館も兼ねています。
丁子屋でとろろ汁を食べながら一息している「東海道中膝栗毛」の弥次さん、喜多さん。駿府匠宿 名所・史跡
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駿府匠宿の前のバス停から再度しずてつバスに乗り、藤枝市の岡部宿へ。
バスは岡部宿の本陣跡の前に着きます。
この内野本陣跡は現在では建物は残っていませんが、公園として整備されています。
公園の広さは当時の本陣の広さを偲ばせます。 -
本陣の隣にある大旅籠柏屋。
江戸時代から残っていた建物を整備して、岡部宿の資料館として開放しています。大旅籠柏屋歴史資料館 美術館・博物館
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岡部宿のジオラマ。
内野本陣の隣にこの柏屋はありました。
本陣の隣なので、武士が宿泊したようですが、庶民も宿泊できました。
「大旅籠」とは今でいえば、一流大ホテル、ってイメージです。 -
弥次さん喜多さんも今日は柏屋に宿泊しています。
到着して足を洗っています。 -
庶民が宿泊する間。
相部屋で、畳も縁のない安物でした。
食事のときは女中さんや飯盛女(要するに売春嬢)がお酌をしてくれます。 -
庶民の夕食。
ごはん、味噌汁に煮物、豆腐、漬物のささやかなものです。 -
武士が宿泊する部屋。
畳も縁のある高級品、庭に面した広い部屋です。
庶民との「格差」を感じます。 -
柏屋から2キロ、30分ほどは旧東海道を歩けます。
この街並みには当時の宿場町の面影があります。 -
元Jリーガーのゴン中山さんのご自宅もありました。
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旧東海道を出たところのバス停から再度バスに乗ります。
今度は藤枝宿で降ります。 -
藤枝宿は藤枝市の市街地にあったため、今では商店街になっており、宿場町の面影はありません。
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藤枝宿の近くにある蓮華寺池公園。
市民の憩いの場のようです。蓮華寺池公園 公園・植物園
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この公園には藤枝市郷土博物館があります。
藤枝市の歴史、藤枝宿、岡部宿や、かつて藤枝市から走っていた静岡鉄道・駿遠線等の資料が豊富に展示されており、見ごたえはあるのですが、写真撮影禁止は残念。藤枝市郷土博物館 美術館・博物館
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藤枝宿からバスでJR藤枝駅へ。
ここからJR東海道線で島田駅まで乗ります。藤枝駅 駅
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JR島田駅。
駅前の観光案内所でレンタサイクルを借ります。
夜8時までだそうで、これは便利。島田駅前観光案内所 名所・史跡
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島田宿は島田駅周辺にあったため、今は市街地になってしまい当時の面影はまったくありません。
本陣跡は歩行者用の道路になっていました。島田宿 名所・史跡
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島田宿は大井川の手前にあった宿場。
徳川家康は防衛上の観点から、大井川には橋を架けさせず、渡し船も許さず、大井川を渡るためには人足による輿や肩車で川を渡りました。
雨が降ると大井川は増水して何日も川を渡れず、「越すに越されぬ大井川」とうたわられました。
当時の人足の宿所である「番所」が現在も残っており、「川越遺跡」と呼ばれています。島田宿大井川川越遺跡 名所・史跡
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川会所を中心に1番から10番の番所等が置かれていました。
島田市博物館 美術館・博物館
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川会所の責任者である「川庄屋」と補佐役の「年行事」です。
彼らはその日の大井川の水量から川越の料金を決めたり、人足の管理等を行っていました。島田市博物館分館 美術館・博物館
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「大高欄蓮台」。
大名や公家等は人足に担がせたこの蓮台(輿)で大井川を渡りました。 -
「半高欄連台」
一般の武士等が利用した輿です。
庶民は人足の肩車で大井川を渡りました。 -
人足が寝泊まりしていた番所。
島田市博物館分館 美術館・博物館
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番所は1番から10番まで置かれていましたが、1つの番所に50人ほどの川越人足が寝泊まりしていました。
給料は良かったそうですが、肉体的に過酷であり、大半の人足は30代で死んでしまったそうです。 -
現在は大井川には立派な橋が架けられて自動車なら数分、自転車でも5分もあれば渡れます。
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今はダムも作られて普段は水量の少ない大井川ですが、昨日雨が降ったので、かなり水量が多かったです。
「越すに越されぬ大井川」の雰囲気を少しは偲べました。大井川 名所・史跡
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大井川を超えてしばらく行くと金谷宿。
現在では金谷の市街地になっており、あまり宿場町の面影は感じられません。
本陣だった「佐塚家」は現在は本屋さんになっていました。 -
当時の東海道金谷宿。
本陣を中心に脇本陣、旅籠、商店等が並んでいたようです。金谷駅 駅
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旧金谷宿を端、高台にあるJR金谷駅。
この駅からは大井川鉄道というローカル線が発着しています。
SL列車や「機関車トーマス」で人気のローカル鉄道です。大井川鐵道 乗り物
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金谷駅を少しいったところにある「金谷坂の石畳」。
江戸時代の東海道時代に石畳が敷かれていましたが、昭和40年代に地元の方々が石を敷き詰めて、500mほどの距離で復元したものです。
自転車でここは上れなかったので、徒歩で歩きましたが、急坂で疲労困憊。
次の日坂宿へ行くつもりでしたが、今日はここまでであきらめて島田駅に戻り、今回の旧宿場町めぐりは終了しました。
日坂宿から先はまた今度の機会に。旧東海道石畳 名所・史跡
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