2019/09/13 - 2019/09/13
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いよいよラグビーワールドカップ2019が始まります。4年に1度ではなく、一生に一度です。残念ながら日本戦のチケットは入手できなかったので、行田の田んぼアートを見に行きました。
ところが行田、侮れません。その他にも、さきたま古墳群、前玉神社、忍城、こはぜ屋撮影現場と見所一杯。
そして熊谷食べログかき氷ランキング全国1位の「慈げん」へ。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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横浜から熊谷まではJR上野東京ライン高崎線でちょうど2時間。熊谷駅に降りると、ラグビーワールドカップ2019の幟がお出迎え。
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ポスターも至るところに貼ってありました。4年に一度ではなく、一生に一度の大会です。日本戦のチケットを何度も申込ましたが全て落選。今でも、一日に何度もチケットHPを見ていますが、HP上ではチケットがあることになっていますが、申し込むとチケットなしの反応。
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スクマク!クマガヤ? なんだろうと思いました。熊谷のみんなで一緒にスクラムを組んで、まちを盛り上げたいという思いから「スクラム」と「クマガヤ」をかけて「スクマム!クマガヤ」というスローガンだそうです。シンボルマークは、チームを大切にするラグビーの精神から常に肩を組んで行動している「クマ」がモチーフ。出会った人とスクラムを組むことが大好きな日本一あついシロクマ「スクとマム」だそうです。
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JRの自動改札機のICカードをタッチするところまで、こんなデザインが。
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JR熊谷駅の改札を出て、秩父線熊谷駅へ向かいます。ほんの数十メートルですが、ラグビーの横断幕で一杯。
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秩父線の電車までラグビー一色。熊谷駅から行田市駅までわずか十分、310円。内装もラグビー一色で楽しめました。
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行田市駅到着。こちらはラグビーモードではなく、足袋一色。そうです、行田と言えば、TVドラマ陸王の舞台となった場所です。
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もう一つ忘れてはいけないのが、さいたま県名発祥の地です。たんぼアートのある古代蓮の里近くの前玉神社付近がそうです。レンタサイクルを借りるために、行田市バスターミナル観光案内所へ向かいます。
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町のいたるところに、この様な幟が一杯。行田は木綿の産地でもあり、近くに中山道が通っていたことで、旅行や作業用の足袋づくりが盛んになったそうです。
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幟と共にあるのが、この人形。国道125号線沿いに並ぶ櫓の上では、昔ながらの遊びに興じる銅人形でできた童たち(全39基)がありました。これらは「銅人形の童たちが遊ぶまち」と題された作品で、銅人形の製作は、赤川政由氏によるものだそうです。
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行田市バスターミナル観光案内所へ到着。行田市駅から10分くらいで、行田市役所、忍城のそばです。
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本丸児童公園にはなぜかSLが。昭和13年生まれの蒸気機関車「C5726」です。昭和46年の引退まで33年間で地球約74周半を走行したそうです。
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たんぼアートのある古代蓮の里までは約7キロ。途中雰囲気のあるたいやき屋さん発見。残念ながら休みでした。
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更に行くと、これまた雰囲気のある造り酒屋発見。行田の地酒桝川を作っている川端酒造です。これを書きながら調べてみると、江戸時代の安政7年創業で、H24に全国新酒鑑評会で金賞受賞だそうです。10/12・13には酒まつりがあるそうです。
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遠くに古代蓮の里の展望タワーが見えてきました。サイクリングロードは田んぼの中に設置されていて、とてもいい気分。後少しだ、がんばれ。
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古代蓮の里到着。館内には日本ラグビー世界への挑戦の展示がありました。エレベーターで地上50mへ。
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エレベーターを降りて最初に目に入るのは南会場の令和の文字。ガラスの窓に文字が書いてある様に浮かんで見えます。
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そして東会場のラグビー日本代表応援田んぼアート supported by リポビタンD。6/15・16の田植えには938名の参加者があったそうです。
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これは7月下旬から8月上旬上旬の写真。
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こうして写真と比べて見てもそっくりです。どうやったら田んぼに正確に表現できるのでしょうか。
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1階に降りてみるとリポビタンDのサービス。一人一本飲んでもいいそうです。次の目的地、さいたま県名発祥の地へ向かいます。
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埼玉と書いて、さきたまと呼びます。奈良時代に編纂された『万葉集』に、「前玉(さきたま)」や「佐吉多万(さきたま)」などと地名を表記した和歌が収められています。「さきたま」を狭い地域名とし、より広い地域を「さいたま」と表記した様です。さいたま県名発祥の地、前玉(さきたま)神社はもうすぐ。
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前玉神社に到着。さいたま古墳群のすぐそばです。この大鳥居は、延宝四年(1676年)に忍城主阿部正能の家臣と氏子たちによって建立されたものです。
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二の鳥居をくぐって社務所へ向かいます。
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手水舎もとても古く、荘厳な感じがします。写真を撮った時はいませんでしたが、噂のネコちゃんがいました。
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三の鳥居をくぐって石段を登っていきます。
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石段を登って右手にあるのが浅間神社です。忍城内にあった浅間神社を勧請し、古墳上にある社を「上の宮」、中腹にある社を「下の宮」としたそうです。御祭神は
木花咲耶姫命(このはなさくやひめのみこと)で、安産・子育ての神様です。 -
長い石段へ向かう参道の右手に、小さいお社が2つ。右側が、恵比寿大黒天、商売繁盛の神様です。左側が、天神社、学問の神様です。
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拝殿に行くには急な階段を登っていきます。なんと、浅間塚古墳の上に建てられているのです。以前行った、多摩川浅間神社も古墳の上に建てられていたのを思い出しました。
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神社にお祀りされているご祭神は、前玉彦命(さきたまひこのみこと)、前玉比売神(さきたまひめのかみ)。人の身を守り、幸福をもたらす神様です。
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手水舎の向かい側には神楽殿。祭時には神楽を奉納するのでしょうか。
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立派な石碑ですが、文字は読めず。帰ってから調べても分からず仕舞いでした。
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参拝後は神社のお隣にある金沢製菓店へ。安政5年創業なので、150年以上の歴史をもつ老舗です。古墳最中・忍城最中とかが有名ですが、古墳群どら焼きにしました。
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前玉神社から数分でさきたま古墳公園へ到着。さきたま古墳公園は、大きな古墳が集中して数多くあることで全国的に知られています。今から1300年から1500年くらい前に建造された古墳が、大きなものだけでも9基もあります。
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全長90mの前方後円墳の将軍山古墳です。明治27年に横穴式石室が発掘され、多くの副葬品が出土しました。古墳群の中で、発掘されたのは将軍山古墳と稲荷山古墳だけです。なぜか分かりませんが、文化庁が許可しないそうです。
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写真では分かりずらいですが、古墳群の中で最も小さい前方後円墳の愛宕山古墳です。墳丘内部は未調査ですが、6世紀前半に作られたようです。
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さきたま古墳公園の古墳で一番目を惹くのが、丸墓山古墳です。直径105m、高さ18.9mもあり、日本で一番大きな円墳と言われています。豊臣秀吉が小田原北条氏を攻めた時、忍城を水攻めにした石田三成が、水攻めの進行具合を確認するためにこの古墳の頂上に本陣を築いたとされています。
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稲荷山古墳は全長120mの前方後円墳です。5世紀後半に造られたと考えられています。沢山の副葬品が出土し、115文字が刻まれている「金錯名(きんさくめい)鉄剣」が発見されたことで、稲荷山古墳の出土品はすべて国宝に指定されました。
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二子山古墳は、6世紀前半に築造された前方後円墳で、全長138mという武蔵国最大の前方後円墳です。さきたま古墳公園を後にして、忍城へ。
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忍城は、北を利根川、南を荒川に挟まれた扇状地に点在する広大な沼地と自然堤防を生かしており、要害堅固な城であったことから戦国時代には関東七名城の一つでした。1590年に豊臣秀吉の小田原征伐に伴い、石田三成が攻城しましたが、落とせなかったことから浮き城と称されました。
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お城の反対側にある駐車場に自転車を停めると、立派な門が。伝進修表表門で、旧芳川家表門を移築・復元したものです。
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お城の内側は散策できるようになっていて、平日にもかかわらず、結構な人がいました。それにしても見事な竹林。
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御三階櫓の手前の東門とあずま橋。
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忍城には江戸時代、天守に相当する御三階櫓が築かれていましたが、明治時代に破却されました。1988年(昭和63年)、本丸跡に行田市郷土博物館が建てられ、その一部として御三階櫓が再建されています。
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忍城の数少ない遺構として、時鐘があります。この鐘は、1717年(享保2年)に伊勢桑名藩主・松平忠雅によって鋳造され、1823年(文政6年)に松平氏が桑名藩から忍藩へ移封されるのに伴って、忍城へ移されたものです。
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現存の忍城は水色の真ん中あたりです。水色の部分が湿地帯だった箇所で、お堀の役目をはたしています。
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忍城のあるあたりの地名は本丸です。全国に10ケ所くらい、本丸という地名があるみたいです。
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行田市バスターミナルまで戻ってきました。この階段は行田市プールの入口の階段ですが、TVドラマ陸王で、茂木が初めて陸王を履いたシーンの撮影場所です。
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行田は足袋の町といても有名で、モデルコースが設定されていました。このような案内があって、とても分かりやすい。
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こはぜ屋の外観として撮影されたイサミコーポレーション・スクール工場へ到着。
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確かにこんな感じでした。今にもこはぜ屋四代目社長・宮沢紘一や、専務の富島玄三が出てきそうです。
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敷地内の工場は大分古そうです。縫製課の正岡あけみや、西井冨久子の声が聞こえそうです。こはぜ屋を後にして、行田市駅へ向かいます。
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もうこれで行田観光は終わりかと思いましたが、なにやら趣のある建物が。昭和6年に建てられた笠原家住宅です。元々足袋商店だった建物ですが、現在も住宅として使われています。
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この石蔵は大谷石で作られていて、昭和2年に建てられたそうです。行田では数少ない戦前の倉庫で、現在も商品倉庫として使われているそうです。
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行田市駅まで戻ってきました。意外と言っては失礼かもしれませんが、中々見所の多い行田でした。
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熊谷駅前には熊谷直実の騎馬像がありました。平敦盛を討った後、出家した熊谷直実の出身地です。今はラグビーワールドカップ2019で暑く盛り上がっています。
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夏の間、最高気温で有名は熊谷ですが、この日は22度。涼しいを通り越して、ちょっと寒いくらいです。
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街中ではパブリックビューイングの準備の真最中。
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日本戦だけかと思ったら、こんなに沢山の試合が観戦できるようです。調べてみたら、横浜でも32試合をパブリックビューイングで観戦できるようです。
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予定では、とても暑いと思ったので、絶対かき氷だと思っていましたが、そうでもなく。といっても、折角なので、食べていくことにしました。最初慈げんに行きましたが、2時までは整理券がないと入れないので、月うさげへ。この日は夕方からイベントがあったみたいで、お休みでした、残念。
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ちょうど2時くらいになったので、慈げんへ戻ります。整理券の情報や、並び方が店前に掲示してあります。
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ちょうど2時から空席があります。
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沢山のメニューがあって悩みます。「と」と「に」に注意。「と」の前後は、シロップというかソースが上下に分割されているもの。「に」の前後は、前がベースで、後がトッピングです。キャラメルミルクナッツにしました。
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注文してから席につきます。店の中には昔のかき氷機。店に入って感じたのは、店内が暑いこと。噂通りでした。かき氷を食べるのに、ちょうど良いぐらいの暑さにしているそうです。
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そして沢山のお皿。
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10分程でかき氷到着。ナッツがこれでもかという程のっています。氷の中にもかなり入っていて、食べで十分。
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字は違いますが、目の前の植栽に次元大介がいました。
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熊谷駅で最後の一枚。
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