2019/05/05 - 2019/05/06
14位(同エリア679件中)
クッキーさん
体内時計では もう寝る時刻なのですが、到着後すぐに市内観光へ出かけます。
まず ミラ・フローレス地区へ向かい、海岸沿いの「恋人たちの公園」へ。
20分余りの散策の後、旧市街へ。
サン・フランシスコ教会では自由見学。その後 箱型の木造バルコニーが美しいコロニアル様式の街並みを歩き、町の中心、アルマス広場へ。
その後 サン・マルティン広場に面したレストランでランチをとって、リマ市内観光を終えました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 観光バス 飛行機
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
-
初めての南半球。初めての南米大陸。お初尽くしです。
アンデス山脈が こんなにも西の海岸寄りにあったなんて 実感していませんでした。 -
地元を出発してから 既に3回目の飛行機移動。
日本時間では 5/5 21:47。時差はー14時間なので、現地時間は 午前7:47です。
体内時計もへったくれもない状態。 -
入国審査の様子は記憶にほとんどないので、楽勝だったんだと思います。
到着したのは午前8時頃。日本との時差は14時間です。
ここで現地ガイドさんと合流して、このままバスで市内観光へ出発です。
添乗員さんに勧められて 案内所で観光リーフレットをもらいましたが、自分で歩き回れることもないので 荷物が増えただけかな。 -
ベルトコンベヤーからは 既に荷物が降ろされ、一角にまとめられていました。
自分の荷物を確認したら そのまま置いておくだけで、ホテルのポーターさんが運んでくれるようです。
これまでの個人旅行とは勝手が違って、JTBツアーの楽さ具合を実感しました。 -
22:24
空港の建物の目の前のホテルです。 -
一旦 空港の外に出て ホテル内を通過し、荷物はそのままホテルに滞在。
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23:15
ホテル駐車場に停まっているバスに乗り、30人乗りくらいの中型バスで、現地ガイドさんとともに出発です。
車窓に見える 立派な像が気になります。 -
車窓から。
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全体的に 出っ張りのない 箱のような建物ばかりです。
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比較的 きれい目の建物を狙って撮っていますが、ところどころには 寂れた風の建物も目に入ります。
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23:36
ミラフローレス地区に向かう途中。
広々とした公園の緑地に見えている絵柄は、ナスカの地上絵を模したもの。 -
ここまでに見かけた街並みとは 打って変わった光景。
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これらの地上絵を きれいに維持するのは大変だと、現地ガイドの女性がおっしゃっていました。
-
高層ビルが立ち並び、別世界のようです。
ミラ・フローレス地区は 海岸沿いにある、企業や官庁、近代的ショッピング街、高級住宅が集まる新市街といわれるエリア。
白人系の若者、外国人などが集まり、ブティックやレストラン、デパート、カフェは いつも夜遅くまで賑わっているのだそう。 -
23:48
ホテルを出てから30分余り。
バスを降りて、海岸沿いの「恋人たちの公園」へ。 -
まるでスペインのバルセロナのような空間が登場。
アントニ・ガウディのデザインしたグエル公園を「真似した」と言われています。(素直に認めているそう・・・) -
壷のような形が面白い。
海岸線の向こうに見えるのは ホセ・オラヤ地区の岩塊のよう。 -
切り立った海岸線の風景。ここは 地球の裏側。
バスからは 海食崖という崖の地形がはてしなく見えていて、雄大な景色でした。
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恋人たちの公園の名の所以の像。南米らしいというか・・・大胆ですねえ。
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高層ビル街をバックに フォークロアの楽器を演奏する人たちの姿。
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公園の中や通りをジョギングする人の姿も多く見かけました。
ホテル周辺で見た街並みとは まるで違っています。 -
0:05(-14)
海に面した崖の端にあるスタンド。 -
公園のタイル装飾を見ただけで終わったミラ・フローレス地区を離れて、
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リマ市街に戻ってきたようです。
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車窓から。
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車窓から。立派な宮殿風の建物です。
インカ帝国を滅ぼしたフランシス・ピサロにより1535年に築かれたリマ。ペルーの中央部、リマック川の南岸に位置しています。 -
0:55
大通りで素早くバスを降りて、リマ歴史地区へ向かいます。
添乗員さんからは、生の果物などには 決して手を出さないようにとのお達し。
道路脇で売られている・・これはパンか何か? -
豚の頭がリアル。ズームもしていましたが、見直すと…アップしたい気持ちにはならなかった。
食卓で見かけたら 食欲が減退しそう。 -
リマ旧市街。
見学したのは、中央上部にある アルマス広場周辺のみ。
昼食をとったのは 左下中央にあるサン・マルティン広場。 -
古風な色合いのバルコニーが レモンイエローの壁面に映えています。
インカ帝国を滅ぼした後、ピサロの都市計画のモデルとなったのは 彼の母国スペインのマドリード。
リマの旧市街は、いまだに植民地時代に建てられた美しい街並みが残されていることから、世界遺産に登録されています。
その旧市街の街並みの大きな特徴のひとつが、二階からせり出した箱型の木造バルコニー。16世紀以降に造られたものです。 -
スペイン統治時代の名残で、派手なものやシンプルなものなど様々。バルコニーによってその装飾は違い、それぞれにリマの歴史がつまっているかのよう。
アルマス広場から近い歩行者天国の道沿いの アバンカイストリートに、素晴らしいバルコニーの建物があるそうですが、そこへは行かなかったようです。 -
サン・フランシスコ教会。
すらりと伸びた2棟の鐘楼とバロック様式のファサードが有名なこの教会が、ユネスコの世界文化遺産に登録されたのは1988年、(リマ歴史地区全体の世界遺産登録は1991年)。南米の建築史上最高傑作と評されています。
カトリック信仰の場であると共に、今ではリマ観光に欠かすことのできない名所…なのだとか。 -
1:00
植民地時代の17世紀にスペイン人の征服者・フランシスコ ピサロによって、100年の歳月をかけて完成したという荘厳なバロック様式の建物。
スペイン人ピサロがリマを建都した1535年以降、リマには数多くの教会が建設されていきました。当時は粗末な小屋程度の物を礼拝堂として使用していたフランシスコ会ですが、1546年から教会と修道院の本格的な建築に着手。その後、長きに亘り、荘厳な教会を建設していきました。
しかし1656年2月4日の大地震によりその大部分が崩壊。翌1657年5月8日、副王ルイス・エンリケス・デ・グスマンの手により改築。
バロック様式や、イスラム教とキリスト教のスタイルが融合したムデハル様式が用いられました。 -
教会の前の広場にいる鳩の多さは、驚くというより 怖いほどでした。
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アンカシュ通りの前,教会の向かいにある建物。
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サン・フランシスコ教会の入場料は 大人10ソルとありましたが、払った記憶はないのですが・・・ここでは、ガイドレシーバーの解説を聞いた覚えもないので、各自適当に、と 入ったのかも。
ヨーロッパの教会をイメージしていましたが、独特なドーム型の天井や装飾に 目が釘付け。 -
主祭壇のほかに、両脇には たくさんのチャペルがあります。
建設当時の様々な建築様式や技術が見られ、また 内部の天井や壁には繊細な絵画が描かれているそう。 -
建物の材料、絵画の染料もわざわざ中米から取り寄せたものがあり、贅を尽くした建築により、リマで屈指の教会と言われています。
この金ぴか具合は、スペインのトレドやセビージャで見たものに よく似ています。インカ帝国じゅうから かき集めた金は、全てスペインに送られたのではでなく、キリスト教の威信を高めるために こうして使われたんでしょうね。 -
ステンドグラスのない 独特の教会のつくりなのだそうです。
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セビリアンタイルで覆われた修道院の回廊、だそうですが・・・振り返れば タイルが見られたのかなあ?
中庭ばかり見ていたので、気が付かなかったのかも。 -
拡大してみたら、セビリアンタイルっぽい色合いの柱が ほんの少し見えていますね。
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カタコンベ(地下墓地)の見学ツアーもあるようですが、教会の中を歩いていると、その一部がガラス張りになっている床の一部から見えました。
この教会の下には、多くの人骨が埋葬されているのです。その数、70000体以上ともいわれています。 -
金ぴかの祭壇も見ごたえがありますが、心に残ったのは 天井を飾るムデハル様式の美しいドームの文様です。南半球までやってきて ムデハル様式という言葉を聞くとは思いませんでした。
杉材を細かく組み合わせてできた 星空のようなドームです。 -
最初のドームは1625年に作られましたが、その後 度重なる地震によって倒壊し、現在のものは1970年代に作られた3代目。
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信者の方々が入場。
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最後に 中庭に面した柱の文様をフォーカスして 教会を出ました。
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教会を出て アンカシュ通りを歩いています。
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1:17
見学する予定ではなかったらしいのですが、通りに面した こちらの博物館に入場。
Moche 100~750 ac 。
どれも保存状態がいいようで、本物かどうか よく分かりません。
北部海岸地帯で栄えた「モチェ文化」は、ペルー北海岸に注ぐモチェ川の周辺で紀元200年頃~750/800年頃まで繁栄した文化です。モチェ文化を代表する遺跡は、文化名にもなっているモチェ遺跡だそう。 -
Moche 100~750 ac 。
モチェ文化では、美しく彩色され、写実的に人面や動物、作物などを象った鐙型注口土器が特徴。上に丸い輪っかが付いた形の土器は「鐙型注口土器」。
二股に分かれた注口がひとつになる独特な形をしていて、注口部分が馬具の鎧に似ているためこの名が付けられたのだそう。
「鐙型注口土器」は、儀礼の際の酒器として用いられ、液体を他の器に注ぐ時、独特な音を発するのだとか。 -
Moche 100~750 ac 。
表面の文様も雰囲気たっぷりですが、何より この形が魅惑的。
モチェ文化は、高度な灌漑用水路を作り上げ、その管理運営において政治体系が確立されていたと言われており、一部の学者はモチェは「国家」であったと主張しています。 -
見学した、というには あまりにも短い時間のこと。ただ カメラに収めただけ。
帰国後に カメラから取り出してじっくり眺めた映像は、どれもこれも素敵すぎて 1枚もカットできませんでした。
Chancay 1200~1470 ac 。
インカの人々の身近にいたと思われる 犬?の姿。 -
Chancay 1200~1470 ac 。
見返すだけで ほっこりします。
こんなに虜になるんだったら、お土産用の品を買って来ればよかった。
今 見直してみたら、夫が これに似た土器の人形を買っていました。でも・・・
これらに比べたら あまり可愛くないの。 -
大きめの土器にも 可愛らしい動物の顔が。
「チャンカイ文化」は、ペルー中部海岸のチャンカイ川流域を中心に1000~1400年頃に栄えた文化。15世紀に「インカ帝国」によって征服されました。
小規模ながら独自の文化を形成しており、金属工芸は貧弱であったものの、土器や織物の技術は優れたものがあったとのこと。 -
Chancay 1200~1470 ac 。
可愛い顔もあれば、バグの顔を思わせるものも。
壷に付けるというのは、何か意味があるのか それとも遊び心からなのか? -
Chancay 1200~1470 ac 。
こちらの壷に付けられているのは カエルのような姿かたち。 -
Chancay 1200~1470 ac 。
壷の上部は 政府高官?のようなお顔。 -
地図を見ると、ペルー沿岸地域からの出土品のようです。
南米大陸、現在のペルーとボリビアを中心とした地域で、16世紀まで展開した、多種多様な文化を総称して、古代アンデス文明と呼びます。巨大な地上絵を残したナスカ文化や、壮観なマチュピチュを築き上げたインカ帝国が、とりわけ著名。
アンデス文明は、全域が文化的に統一された時代と、各地に個別の文化が成立する時代が交互に現れたと考えられています。
アンデス地域に興隆した「チャビン」「モチェ」「ナスカ」「ティワナク」「ワリ」「シカン」「チャンカイ」「チムー」「インカ」という9つの文明・文化があるのだとか。
〈さまざまな地方文化の始まり〉が、ナスカ文化(紀元前200年頃~紀元650年頃)とモチェ文化(紀元200年頃~750/800年頃)
〈地域を超えた政治システムの始まり〉が、ティワナク文化(紀元500年頃~1100年頃)、ワリ文化(紀元650年頃~1000年頃)、シカン文化(紀元800年頃~1375年頃)
〈最後の帝国〉が、チム-王国とインカ帝国。 -
Nasca 200~650 ac 。
「ナスカ文化」は、紀元前200年頃から紀元650年頃まで、ペルー南部海岸地帯のナスカで栄えた文化。ナスカの地上絵にある動物にも共通するような文様も見て取れます。
ナスカ文化は、土器のデザインが魅力的。多彩色で彩られ、図柄も現代にも通用するようなもの。 -
Nasca 200~650 ac 。
これらの土器、ナスカ文化では伝達メディアとしての役割を担っていたのだそうです。
アンデス文明には文字がありませんでした。そのため、文字の代わりに絵や模様で伝達する手段が発達したのだと考えられているそうです。
「ナスカの地上絵」で描かれた動物や魚などの図柄の中には、土器や織物に描かれているものがあります。 -
Vicus 200~600 ac 。
カモか何か 水鳥を思わせます。水差しでしょうか? -
LAMBAYEQUE 750~1375 ac 。
水差し各種。金属製のようにも見えます。
時代表示からすると、北部海岸地帯に栄えた「シカン文化」(紀元800年頃~1375年頃)? -
LAMBAYEQUE 750~1375 ac 。
水差し各種。人の顔が描かれています。 -
CHIMU 1100~1470 ac 。
独特な形をしていますね。
「チムー王国」は、北部海岸地域で 紀元1100年頃~1470年頃まで繁栄した王国です。
プレ・インカ(インカ以前)最大の王国で、アンデスの人口の2/3を含んだと言われています。
現存する最大の遺跡はトルヒーリョ近郊のモチェ谷にある「チャンチャン」。 -
CHIMU 1100~1470 ac 。
チムー王国は、モチェ文化の遺民によって興され、後にシカンを征服。豊かな国土のもとで繁栄しますが、1493年には侵略してきたインカ帝国に滅ぼされてしまいます。
チムー文化は、月を信仰していたことで知られ、月は太陽より強力であると考えていました。
チムーの土器は漆黒であるのが特徴。シカンから受け継いだ精巧な金属加工技術も知られています。 -
CHIMU 1100~1470 ac 。
古代アンデス文明の中で、後期中間期はシカン文化が栄えており、そのシカン文化を滅ぼす形でチムー文化が栄えます。
シカン文化は冶金、すなわち金属製品の生産が盛んで、中には砒素青銅の生産が可能な工房が見つかったそうです。 -
CHIMU 1100~1470 ac 。
人の顔が彫られた 水筒型壺。
このシカン文化の冶金後術は、この後のチムー文化やインカ文化の時代にも引き継がれていきます。
そんなシカン文化は、1375年ごろに南から発展してきたチムー文化の影響によって滅びます。 -
CHIMU 1100~1470 ac 。
壷の表面に細かいツブツブがあります。土器というより、南部鉄器を思わせます。 -
1:28
歩きながら 順にカメラに収めただけですが、文化ごとに きれいにまとまっていました。
ふり返ると わずか10分余りの見学でしたが、古代アンデス文明の片鱗を見ることができ 儲けものでした。 -
リマの旧市街は、いまだに植民地時代に建てられた美しい街並みが残されていることから、世界遺産に登録されています。
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その旧市街の街並みの大きな特徴のひとつが、二階からせり出した箱型の木造バルコニー。16世紀以降に作られたものです。
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スペイン統治時代の名残で、派手なものやシンプルなもの、バルコニーの装飾も様々。
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色合いも様々ですが、それぞれにリマの歴史がつまっています。
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壁に 黒白のマークがついているのは、歴史的建造物の印だそう。
ツアー仲間と共に、中を撮らせてもらいましたが…何のお店だったのかしら? -
デサンパラードス・ステーション。
この立派な外観の建物は 駅舎ですが、この駅に列車が来るのは月に一度のみ。 -
駅としてはあまり活用されていませんが、建物内部は、ギャラリーのようになっています。
中のトイレを使わせていただきました。 -
このような壁画が掲げられた通路を 奥に進むと、確かにレールが敷かれていました。
この壁画は、多分 植民地時代のもの。何枚もありましたが、何となく 多くを撮る気分にはなれなかった。 -
駅の正面にある、写真右側のグレーの立派な建物は、大統領府(大統領官邸)。
かつては、フジモリ大統領もここに住んでいたそうです。 -
裁判所など官庁が立ち並んでいたこの地域も、官庁が移転した後、荒廃しかけていたそうですが、市が建物を買い取って整備したそうです。一部は店舗になっています。
リマの旧市街は、日中は観光客も安心して散策できますが、夜間などはまだまだ危険な地域といわれているそうです。
この先に見えている アルマス広場に向かいます。 -
1:48
黄色い建物が建ち並ぶ南米らしい町の中心、アルマス広場。
インカ皇帝のアタワルパを処刑したフランシスコ・ピサロが、1535年より 首都建設をこの地から始めました。アルマス広場を中心に 碁盤目状に道路が配され、1544年、ペルー副王領の首都になると いくつもの重要な建造物が建設されました。
スペインによって制圧されたペルーなど南米の国々では、「武器」を意味するアルマスという名がつけられた広場を中心に町が整備されていきました。
町の中心となる広場からは、主要な建物が360度で楽しめます。
1821年7月28日,この広場に面した市庁舎において, サン・マルティン将軍がペルーの独立宣言を行ったそうです。スペインの植民地時代には,アル マス広場で行われた闘牛を副王が政庁のバルコニーから眺めたとも言われている。アルマス広場の停留所です。
歴史地区の中心にあり、ここより各方面に道路が整然と区画整備されて通じています。
観光客がふと足を止めて記念写真を撮りたくなる雰囲気を醸し出しています。 -
アルマス広場の東側面に建っている 歴史地区の一際美しい白亜のカテドラル、リマ大聖堂です。
大聖堂は、1535年フランシスコ・ピサロにより建設されたリマ最古の教会。その礎石はリマ建都の日にピサロ自身が手を置いた石とも言われ、現存しているそう。
最初は小さな教会でしたが、1775年に現在の姿になりました。 -
リマ大聖堂に隣接して建っている 大司教宮殿博物館。
ポーランド人である建築家の手で1924年に建てられました。
この建物は 植民地時代から大司教宮殿として使われていましたが、2010年より宗教画や装飾品など、16~18世紀の植民地時代の作品を展示する博物館として公開されているそうです。入場時間などないツアー客には無縁ですが。 -
美しいバスコニーを拡大。
当時の大洋を渡るスペイン帆船のキャビンを思わせる優雅なバルコニーが 当時の風情を残しています。
木造のバルコニーには 細かい彫刻や透かし彫りが施されています。
中からは良く外の景色が見えるのに 外から中が見えにくいというアラブ様式に作られているのだそう。イスラム的な感じだと思った直感は正しかったようです。 -
マヨール広場北側にあるのが大統領府で、もともとはペルー征服者のフランシスコ・ピサロの屋敷でした。建物は何度も増改築を繰り返され、公式に大統領府と定められたのは、1939年のこと。ぺルビアン大統領宮廷でもある政府宮殿です。
-
大統領府の左隣がリマ市庁舎で、可愛らしいクリーム色のネオコロニアル風な建物と国旗が絵になりますね。
ネオとは新という意味で、コロニアルとは17~18世紀にスペイン・イギリスなどの植民地で流行した建築様式のこと。
南米らしい色彩ですが、日本と同じで幸福の色なのだそうです。 -
その左側にも 似たような建物。
-
カテドラルの中へ。
『入ってすぐ右手の礼拝堂にフランシスコ・ピサロが眠っており、ガラスと大理石の彫刻で彫られた棺の墓碑銘に「リマ創設者でペルーの征服者ドン・フランシスコ・ピサロが眠る」と記されています。1985年にリマ創設450年を迎えたのを機にここに移されました。
中央祭壇の両側には、建築家で彫刻家でもあったスペイン人バルタサールによる木製の聖歌隊席が並び、中央祭壇の地下には、歴代の大司教達が眠る地下納骨堂があります。長年に渡り増改築が繰り返されてきたので、ゴシックやルネッサンス、バロックなど様々な様式が混在。中南米の主要都市のカテドラルに比べると、華美な装飾を排したシンプルな大聖堂と言えるでしょう。』などの解説にもかかわらず、 -
おそらくは 地元の信者の方々で一杯の主祭壇。
通りすがりの観光客は、邪魔にならないよう 後ろからそっと拝見するだけです。 -
『正面の木扉をくぐり,すぐ右手の部屋には黄金郷を目指すピサロ一行を描いた モザイク壁画とピサロのものと伝えられる遺骸を納めたガラス棺があります。』 ピサロの棺も たくさんの聖人像、多くの宗教美術作品も 見られませんでした。
みのがしただけかな?
代わりに見つけたタイル画の壁面。これもセビージャのタイルでしょうか? -
サン・フランシスコ教会のものと比べて、落ち着いた 渋い色合いです。
-
2:04
大統領府の正面に 人が集まり始めました。
毎日正午には 衛兵の交代式が儀式的に行われるのです。 -
正面は厳重な鉄格子に囲まれており 正面入り口両サイドに衛兵が2人立っています。
鉄格子の隙間から カメラ失礼します。 -
2:10
あっという間に 20分ほどの自由時間が終わりました。
リマ市庁舎の脇の Junin 通りを歩いて、 -
噴水が爽やかな広場を横目で見て、
-
サント・ドミンゴ教会を外観だけ眺めます。
-
リマは幾度も大地震に襲われたので、改築や再建した建物が多いが、1549年に建てられたサント・ドミンゴ教会は 当時の姿をとどめている建物の一つだそう。
街歩きは ここまで。
待機していたバスに乗り、昼食会場へと向かいました。 -
5/6 2:30(現地時間 12時半)
この昼食が、ツアーの仲間との ちゃんとした顔合わせ。
早速のアルコールのオンパレードです。
左端の白い飲み物が、ピスコサワー。ピスコ(Pisco)は、ペルーの国民的なお酒で、ピスコやイカ地域を中心に製造されているブドウの蒸留酒です。平均アルコール度数は何と42度。
ほのかに甘くて飲み心地がよく、すっかり虜になりました。
右側は チチャモラーダ(紫とうもろこしのジュース)。
下は ペルーの地ビール、クスケーニャ。 -
アボカト、ニンジン、ビーツのサラダ。
メインは、炭火焼チキンとポテトの盛り合わせ。
旅行中 何度もチキンを食べましたが、ここで食べたチキンが最高でした。ペルーのポテトは 味が凝縮されていて、美味しくいただきました。
デザートは、ペルー原産の果実・ルクマを使ったアイスクリームでした。 -
炭火焼の様子。
-
3:44
Pardos Chiken というレストランでした。
サン・マルティン広場に面しています。 -
アルマス広場に次ぐ観光名所である サン・マルティン広場。
1850年代にはリマ旧市街とチョリージョス地区を結ぶ路面電車の駅があった場所でした。ぺルー独立100周年の記念事業の一つとしてこの駅を取り壊し、1921年ペルー独立記念日の前日にサン・マルティン広場がオープンしました。
周囲に立ち並ぶコロニアル調の美しい建物は、カフェやレストランが多く、リマ市民が多く訪れる人気の場所だそう。 -
ペルーの独立宣言を行ったホセ・デ・サン・マルティン将軍の名が付けられた広場の中央には、馬にまたがるサン・マルティン将軍の勇ましい像が立っています。
この銅像は1921年にスペイン人彫刻家マリアノ・ベ ンリィウレが製作したもの。サン・マルティン将軍が4,000の兵士を率いてリマに入り、ペルーの独立を宣言したのは 1821年7月28日。
辺りをぐるっと見渡しただけで またすぐにバスに乗車。 -
3:52
リマ市街の観光は、バスの車窓からの眺めで 終了しました。
昼食時間を含めて 約5時間というところ。
ホテルの駐車場は ぐるっと囲われていて、入り口のセキュリティーは厳しそうな感じ。
現地時間では まだ14時です。もう少しゆっくり観光させてもらえないのかしらね。 -
4:37
チェックインも添乗員さんにお任せ。しかも、スーツケースは 既に部屋の中に運ばれていました。
夕食の時間まで たっぷり時間はあるのですが、ホテルの敷地の外には出ないようにとのお達しがありました。
行けるところといえば、ホテル直結の空港だけです。空港内の売店をウロウロして、お土産になりそうなものを物色。 -
8:13~ 9:15
夕食時には ツアーの方々とも打ち解け、話が弾みました。
サーブされたパンの飾り方がお洒落です。ビーツ、アスパラガスのリゾット、リンゴのケーキなど。もちろん飲物は ピスコサワーです。
怒涛の飛行機移動旅の疲れがどっと出そうですが、体内時計がめちゃくちゃです。
翌朝はナスカへ向けて 4:30の出発予定。
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