2019/07/23 - 2019/07/25
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funasanさん
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フランス北東部・アルザス地方のストラスブールは人口27.7万人(2015年)の小都市にもかかわらず見所は多い。パリを彷彿させる立派な街並み、木骨組みの建物、ノートルダム大聖堂、そしてイル川の遊覧船、ストラスブールは1988年、世界遺産に登録された。
ストラスブールはドイツとの国境近くにあり、ドイツとフランスの戦争に翻弄されてきた歴史がある。その悲惨な過去を繰り返さないために欧州議会や欧州人権委員会の本部が置かれている。
今、まさにイギリスがEUから脱退する瀬戸際にきている。ストラスブールの街歩きはEUの歴史を考える旅ともなる。
写真:木骨組みの建物が並ぶブティット・フランス
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7月24日(水)この日は朝からストラスブール観光に出かける。ヒルトンホテルを出て5分も歩けばトラムの駅「Lycee Kleber」に着く。トラムは頻繁に走っているので時間を気にせず駅に行けばいい。
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トラムのチケットは駅の券売機(写真)で買える。クレジットカードOK。この日は何度もトラムに乗る予定なので24時間チケット(4.6ユーロ)を購入する。1回券は1.8ユーロ。乗車する前にチケットの刻印を忘れずに!
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トラムのB線に乗車し4つ目の駅「Homme de Fer(オムドフェール)」(写真)で下車する。ここはほとんどのトラム路線が交差する旧市街観光の中心である。我々もここから旧市内観光をスタートする。
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まずは街並みの立派さに驚く。ここはパリか?と思えるくらい歴史のある重厚な建物が並んでいる。とても人口27.7万人の小都市に見えない。
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5分も歩くと広々としたクレベール広場(写真)に来る。広場を取り囲むように歴史的建造物が並んでいて壮観な眺め。広場中央にフランス革命期に活躍したストラスブール出身のクレベール将軍(1753年~1800年)の銅像が建っている。
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たまたま広場で「ブックマーケット」(写真)が開かれていた。多数のテントが設置され本・絵本が売られている。文化漂ういい感じ。ここで1冊古本を購入し、近くのカフェに入って1日読書三昧、もちろんフランス語で…。と私の夢想は盛り上がる。
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もう少し幹線道路を南に歩き、途中で小道を大聖堂方向に進むと「グーテンベルク広場」(写真)に来る。広場の中央にいかめしい顔つきのグーテンベルクが旧約聖書の一節「そして、そこに光があらわれた」を広げて建っている。
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グーテンベルク(1398年頃~1468年)は従来の手書きでの「書き写し」本や木版印刷での本の生産を「活版印刷」による本の大量生産に道を開いた。彼はある時期(1434年以降)にストラスブールに住んでいたという。
写真:グーテンベルク広場のメリーゴーランド -
グーテンベルク広場から小道を2ブロックくらい進むとノートルダム大聖堂前の広場(写真)に来る。そして、目の前に現れたのは…
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圧倒的迫力のノートルダム大聖堂!!!近くではカメラに収まらない。大聖堂の外壁全面に精緻な装飾が施されていて壮観な眺め。
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尖塔の高さは142mで、何と1647年から1874年まで世界一の高層建築だったという。1874年にドイツ・ハンブルクの聖ニコライ教会に高さを追い抜かれた。天上においでになる神に近づくために教会は可能な限り高くなければならない。
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大聖堂正面ファサード(写真)はレースのような繊細な彫刻でびっしり覆われている。これを見たゲーテは「荘厳な神の木」にたとえ、ヴィクトル・ユーゴは「巨大で繊細な驚異」と評した。私は…単純に「凄い!」
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この大聖堂は近くのヴォ―ジュ産の砂岩を建材として使っており、独特のピンク色をしている。よって太陽の当たり方によって表情が変わる。この大聖堂の建設は1015年から始められ、現在の形になったのは1439年という。日本では室町時代の応仁の乱(1467年~1478年)の前で、その大聖堂がそのまま現在まで残っているということが信じられない。
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大聖堂の中に入ってみよう。内部の全長は103m、中央身廊の内側の高さは32mもある。熱波到来のフランス・ドイツ、ストラスブールの最高気温は何と38℃までになった。しかし、石で覆われた大聖堂内部は実に涼しい!天然のクーラーだ。
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しばらく椅子に座って神に祈りをささげる。実は、休憩するだけ。これで元気が回復する。その後、聖堂内のステンドグラス(バラ窓:写真)を鑑賞し、身廊内を見て回る。
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美しくも優しいマリア様をカメラに収めて大聖堂を出る。第二次世界大戦中、この大聖堂は両陣営(連合国×枢軸国)から象徴とみなされたという。1940年6月28日、アドルフ・ヒトラーはストラスブールをドイツに併合し、大聖堂を「ドイツ人民の国家的聖域」にしようとした。
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大聖堂からドーム通りを北に歩いていくとトラムの駅「Broglie:ブログリ」に着く。この周囲はブログリ広場になっており様々なマーケットが開かれている。写真の壮麗な建物の1階にカフェ「ブログリ」がある。
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ブログリ広場に面して「ストラスブール市役所」(写真)が建っている。
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市役所の先に「オペラハウス」(写真)がある。旧市内の他の建物が凄すぎるので、オペラハウスにしては見劣りする。
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オペラハウスからテアトル橋を渡ると広大な「共和国公園」に至る。この周囲がまた凄い。まずは、トラムの駅「Republique:リパブリック(注)」前にある「ストラスブール国立劇場」(写真)に圧倒される。
注:この駅は旧市街地から郊外に行く路線の駅で、逆の電車の駅は少し離れた場所にある。 -
その隣に建つ宮殿のような建物が、何と「ストラスブール大学図書館」(写真)である。内部突入を試みたが、入口に係官がいて、厳重にチェックしていたので遠慮した。
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共和国広場のもう一方を占めるのが「ライン宮殿」(写真)である。1883年~1888年に建てられ、かってはドイツの皇帝宮殿と呼ばれていたという。ストラスブールはドイツとフランスの国境近くにあり、両国の戦争の歴史に翻弄されている。
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アルフォンス・ドーデの『最後の授業』(1873年出版)より。
「私がここで、フランス語の授業をするのは、これが最後です。普仏戦争でフランスが負けたたため、アルザスはプロイセン領になり、ドイツ語しか教えてはいけないことになりました。これが、私のフランス語の、最後の授業です」
写真:共和国公園に咲くバラ -
「ある民族が奴隷となっても、その国語を保っている限り、牢獄の鍵を握っているようなものなのです」と語り、生徒も大人たちも、最後の授業に耳を傾ける。
写真:大聖堂からプティットフランスへ行く小道 -
やがて授業を告げる教会の鐘の音が鳴った。それを聞いた先生は蒼白になり、黒板に「フランス万歳!」と大きく書いて「最後の授業」を終えた。(ウイキペディアより)
写真:木骨組の家が並ぶプティット・フランス -
ストラスブールのあるアルザス地方は、17世紀にフランス王政下におかれたが、普仏戦争(1870年~1871年)でドイツ領となり、第1次世界大戦でフランスにもどり、第2次世界大戦ではナチス・ドイツに占領され、、戦後再びフランス領となった。
写真:プティット・フランスにある木骨組みの建物 -
ストラスブール観光の目玉はイン川クルーズ(写真)であろう。ライン川の支流イン川に囲まれた中州に旧市街が凝縮されているので、その周囲を船から眺めるイン川クルーズは素晴らしい。
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イン川の水量は豊富で水の流れも速い。大型の船を急流に逆らって上流に移動させるために水門(写真)が造ってある。ここで、上流と下流の水門を閉め上流の水を流し込むことによって水面の段差をなくして船を上流に進める。
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イン川のクルーズ(遊覧船)は大聖堂の隣にあるロアン宮前の船着場(写真)から出発し、旧市街、プティット・フランス、欧州議会を周遊してロアン宮まで帰ってくる約1時間10分のクルーズである。
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料金は1人13ユーロでクレジットカード支払い。船着場にチケット売り場があり事前に「出発時刻、屋根あり(エアコン付き)、屋根なし」等を選んで購入する。熱波到来で暑くてしょうがなかったので我々はエアコン付きの船に乗船した。日本語オーディオガイドがあるので、周囲を眺めながらしっかりストラスブールの歴史を勉強できる。
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ナチス・ドイツがストラスブールを併合した後に実行した残虐非道の数々(レジスタンス組織の徹底弾圧、ストラスブールの若い男性をドイツ軍に編入して東部戦線?に派兵)等をオーディオガイドで聞きながら、戦争の残虐さを思い知らされた。
写真:木骨組の家が並ぶプティット・フランス -
実は日本も同じだった。1910年、「韓国併合に関する条約」によって、大日本帝国(日本)は大韓帝国(1897年~1910年)を併合して支配下に置いた。
写真:ホテル「レジャン・プティット・フランス」の運河側レストラン -
日本もドイツも帝国主義時代とはいえ他国を侵略し様々な残虐行為をした。しかし、戦後の両国の歴史への清算の違いが大きい。
写真:イル川 -
人類史上最大の犯罪行為は「ナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅作戦」だと、私は思うが、少なくとも戦後のドイツは自ら起こした戦争犯罪に対して徹底批判してきた。(と私は思う)
写真:イル川に面してオープンしているレストラン -
そして、2度も世界大戦を起こして人類を悲劇に巻き込んだ反省から、戦後はヨーロッパの統合に向けて全力を傾ける。国内的には東西のドイツ統合であり、欧州連合(EU)から通貨統合(ユーロ)に至る。
写真:クヴェール橋の上にて -
ドイツとフランスの狭間にあり、両者の戦争に翻弄されてきたストラスブール、もう2度とヨーロッパで戦争が起きないよう、ここストラスブールに欧州議会を持ってきた。
写真:プティット・フランスにかかるクヴェール橋 -
美しいストラスブールを観光しながら、つくづく感じる。なぜ、日本はいつまでたっても韓国・中国から戦争犯罪について批判を受け続けるのか?
写真:ヴォーバン・ダムの屋上テラスからの眺め -
「曖昧な妥協をして仲良くなる、過去は適当に水に流してしまう」等、あうんの呼吸で生きてきた日本人の気質は大競争社会となった現代の世界では通用しないのであろう。
写真:ヴォーバン・ダムの屋上テラスからの眺め -
ストラスブールを2日間観光して歴史遺産を残す大事さを感じた。日本は地震国で木造建築なので、古い歴史的建造物が残りにくい。しかし、他国から一度も侵略されたことのない日本国の歴史は素晴らしいものがある。これは世界に誇れる遺産であろう。明日は、スイス・バーゼルに行く。
写真:イル川にかかるキュス橋付近
→「コートヤード・バーゼル」に続く
私のホームページに新著紹介・旅行記多数あり。
『第二の人生を豊かに』
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