2018/06/13 - 2018/06/13
788位(同エリア1164件中)
三峯霧美さん
会社が有給休暇使って休めというので、中央道の渋滞も週末ほどではないだろうと、諏訪へ行ってみました。
ずっとお参りしたかった諏訪大社と諏訪湖周辺の神社と、ちょっと気になるスポットを巡ってみました。
いいお天気に恵まれて、素敵な日帰り旅行になりました。
私のひとり旅のお約束、飯抜き「腹が減ったぞぉ!」ツアーです。
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9:27 八ヶ岳下りPA 中央道は順調に流れ、快適なドライブ。
コーヒーを買って、先に進もう。
お天気上々、このまま夕方まで持ってくれるかな? -
10:00 諏訪大社 上社前宮 駐車場
予定時間ちょうどに到着、すごい。
駐車場が広いって幸せ・・・しみじみ.。
諏訪大社は上社と下社に分かれていて、それぞれに二つの宮があるので、今日は4つのお宮を廻ります。 -
諏訪大社 上社(かみしゃ) 前宮(まえみや)
信濃国 式内社 信濃国一之宮
前宮は茶店も土産物屋もありません。参拝者が少ないようですね。
諏訪大社は日本最古の神社の一つといわれ、創建年代は不明です。
社殿の四隅の御柱を取り換える豪快な御柱祭は、ニュースでも取り上げられる有名なお祭り。諏訪大社上社前宮神殿跡 寺・神社・教会
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境内に沢山の摂社があります。これは溝上社。
この前宮は以前、上社本宮の境外摂社の「前宮社」でした。
諏訪大社の上社は42の摂社があり、下社と合わせると95社、境外にもあるので、一つずつお参りしたら大変なことになります。 -
前宮は諏訪の祭祀の発祥地、上社の祭祀は前宮ですべて行われてきました。
伝説によると、大昔、もともとこの辺りには土着の神々がいて、そこに出雲の国譲りの際に建御雷に負けた建御名方神がやってきました。
建御名方神は地元の神様との戦いに勝ち、最後まで戦った洩矢神は一番偉い神様に地位を明け渡し、神様を祀る神官長となりました。 -
のんびりアチコチ眺めていたら、年配の男性ガイドさんに連れられて、ジャージ姿の中学生の集団がやってきた。一気に境内がにぎやかになりました。
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摂社やら何やらの大まかな地図。これ全部を廻ったらホント大変だ。
戦いに勝った建御名方神は、8歳の男の子に衣を着せて、その子を現人神とし、神氏の始まりとしました。
それも一つの伝説です。 -
本殿に向かう参道。本殿は山裾にあり、ふもとから緩やかな坂を登って行きます。
ちなみに石の色も新しい狛犬は15年ほど前に寄進されたものです。
現人神は大祝(おおほうり)と呼ばれ、諏訪氏になります。
諏訪の領主として政治も行いました。中世には政治を行う藩主諏訪家と信仰を司る大祝諏方家に分かれます。 -
鳥居の右側に 若御子社 わかみこしゃ
建御名方神の御子を合祀しています。
大祝は明治の神官の世襲制が廃止されるまで続きました。
大祝の家「神殿(ごうどの)」と呼ばれて、少し離れた場所にあります。
外観の見学は可能ですが、今回は時間の都合で見送りました。 -
参道に左側に大きな建物
十間廊 じっけんろう
古くはここで祭政が行われ、貢物はこの廊上で大祝が実見しました。
酉の祭では鹿の頭が供えられたそうです。 -
現在、4月に行われる御頭祭では、上社本宮からお神輿が赴き、作物の豊穣を祈ります。
鹿の頭や鳥獣魚類等が供えられますが、今は剥製の鹿頭をお供えします。
水が流れる音がしています、本殿方向から細い水眼川(すいがかわ)が流れています。 -
内御玉殿 うちみたまでん
祖霊が宿る「弥栄の鈴」「眞澄の鏡」を安置していました。
年に2回、大祝が眞澄の鏡の前で弥栄の鈴を鳴らして、天下泰平の祈願をしたそうです。
今は神宝は上社本宮の宝物殿で保管されています。 -
諏訪照雲頼重の供養塔、
鎌倉時代、諏訪氏(大祝)は信濃守護の北条氏の御内人でした。
鎌倉幕府滅亡後、北条氏再興のため中先代の乱をおこし、一時鎌倉を占領しますが、追討軍に大敗して、鎌倉の勝町寿院で自刃しました。
その供養塔などの石塔が点在したものを集めて補修整備をしたそうです。 -
ケヤキの大木、その足元に御室社の小さな石の祠
中世以前、御室神事が行われた場所なんだそうです。
現在も12月22日に御室社祭が行われます。
昔は穴を掘って、室を作り、そこに大祝と新長官らが蛇のミシャクジ神と一緒に冬ごもりをして神事を行ったそうです。 -
本殿近くからは茅野市内が見えました。
この辺りは小町屋集落と呼ばれていて、前宮の参拝路の中小路は水眼川と並び、両側に大祝の家臣の屋敷が立ち並んでいたそうです。 -
前宮の神事や祭礼に奉仕する人たちの精進潔斎の小屋もあったそうです。
何を意味するのか、よく分からないのですが、こんな石が点在していました。 -
前宮本殿は大きな木々に囲まれています。
四方には御柱。 -
近寄るとすごい迫力の御柱。
アチコチ眺めていたら、中学生達に追いつかれちゃった。 -
拝所 ここからお参りします。
祭神 八坂刀売神
建御名方神の后神とされています。
本来は二十の御社宮神(ミシャグジ)なのだそうです -
本殿
大祝の精進屋があった場所にあります。
現在の本殿は伊勢神宮から譲り受けた材料で1932年に建てられました。
本殿の隣に建御名方神の神陵があります。 -
水眼川(すいががわ)が流れています。綺麗な水です。
中学生たちは流れの冷たさを手で確かめたりしています。ちょっとつられて流れの冷たさを確かめました。 -
爽やかな風と青い空、白い雲、足元を流れる清流と、それはすべて神様が揃えてくれたと思ってしまうほど。
この日、ここへ呼んでくれた神様に感謝です。 -
道路わきに石像が、ちゃんとお祭りされています。
中学生が引き上げて行って、静かになりました。
私もそろそろ御朱印を頂きに戻りましょう。 -
社務所で御朱印を頂きました。
右手奥に見える建物に参拝者用トイレ。ドアが壊れていて、ヒヤヒヤしながら使いました。おばさんだから出来る技(どんな技だ?!)
参拝者が多かったら諦めるところです。 -
御朱印は待たずに書いていただけました。
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10:56 守矢資料館
諏訪大社上社の神長官(じんちょうかん)だった守矢氏の屋敷に併設された資料館です。
上社本宮に向かう途中にあります。 -
守矢家は現在78代、始祖は建御名方神に敗れた洩矢神とも、物部守屋の後裔とも伝わります。
手入れの行き届いた前庭を進みます。 -
明治までは諏訪大社上社の神長官(じんちょうかん)を代々つとめ、上社の祭事の中心的な役割を担ってきました。
古くからこの地方で祀られてきたミシャグジ神を扱うことができる唯一の人です。 -
祈祷殿
上社の神事や祈祷、薬の製造方法などは一子相伝。
武田信玄のために戦勝祈祷を行ったという記録もあるそうです。 -
神長官守矢資料館 1991年竣工
設計は地元出身の藤森照信氏、守矢家の現在の当主さんと幼馴染なんだそうです。
入館料100円
館内にはさっきの中学生たちがいた、追いついちゃったよ。茅野市神長宮守矢史料館 美術館・博物館
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上社の御頭祭(酉の祭り)の復元展示。
祭事の捧げものが獣というのは、狩猟民族時代の名残なのでしょうか。
内壁はワラ入りのモルタルで、自然素材が多用された平成の建物です。
館長さんは中学生に説明をしています。
まあ、中学生特有の興味はあまりない風を装っていますので、説明は時間がかかりそうです。 -
御頭祭は先ほど見てきた前宮の十間廊で行われたお祭りで、75頭の鹿や猪の頭が捧げられます。諏訪大社の七不思議のひとつに、鹿の中には必ず耳が裂けた鹿がいたそうです。
このほか、武田信玄の文書などが保管されています。 -
建築家、藤森照信氏のデビュー作がこの資料館です。
鉄筋コンクリート造りでも、自然素材を使っていて、奇抜なデザインながら、なぜか周囲の景観から浮いてない。 -
御左口神社(御頭御社宮司総社)
ミシャグジ神の信仰の中枢、長野県には750社のミシャクジ社があるそうです。
このあたりの土地の神様です。
長い年月の間に、他の地方に広まったり、他の地方の神様と一緒になったりしているようです。 -
周囲には末社が点在。その小さな祠にも四方に御柱が立っています。
まあ、いわゆる社会科見学なんでしょうね。
中学生が地元の歴史ある文化に触れるいい機会です。
ええ、だから君たちが場所を譲ってくれるまで、じっと待ちますよ(笑) -
自分を振り返ると、たいして歴史の無い東京生まれ、社会科で習ったことは江戸時代からだった、古い歴史を持つこの辺りが羨ましいな。
ウッドチップが敷かれた小道を進みます。 -
一段高くなった場所に 大祝の諏方家の墓所。
明治まで大祝をつとめた社家の諏方家は2002年に最後の方が亡くなって、断絶してしまったそうです。 -
山に向かって歩いて行くと、不思議なものがありました。
ここも資料館の敷地内、柵は無く誰でも見学ができます。 -
資料館の設計をした藤森氏の「空飛ぶ泥舟」
2010年に茅野市美術館のワークショップの参加者や地元の職人さんが、地元の素材で作ったもの。
イベントの翌年、ここに移設したそうです。 -
これ、茶室なんだそうですよ。すぐそばにはしごがありました。
中に入るのにはしご?? -
こちらは「低過庵」ひくすぎあん という茶室。
斜面に建っていて、半地下構造。 -
そのそばには「高過庵」たかすぎあん ネーミングに笑っちゃいます。
こちらも茶室で、アメリカのTime誌に世界で最も危険な建物トップ10に選ばれたそうですよ。
ジブリのアニメや絵本の中から飛び出したような建物ですね。
お~っと、また中学生に追いつかれたので、上社本宮に移動します。 -
11:47 諏訪大社 上社本宮 (ほんみや)
駐車場も広いし(嬉しい)お土産屋さんや飲食店もあります。
参拝の方が多いみたい。
正面鳥居が見えてきました。この鳥居は昭和に入って作られたもの。諏訪大社上社本宮 寺・神社・教会
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本宮の御神体は奥にある守屋山なので、本殿はありません。
ただ、神体山は明治時代以降に言われ始めたとか。
古い歴史を持つ神社なので、いろんな説があるようです。 -
左側の御柱の奥に 御沓石(おくついし)があります。
御沓石は諏訪の神様が馬で石を乗り越えた時に、蹄のあとが残ったんだそうです。
写真を撮り忘れました。 -
戦国時代、諏訪大社は武田家が崇拝していたため、織田信長の嫡男信忠の軍は上社本宮を焼き討ちにしてしまいます。
戦いの神様なのにね。
鳥居の正面に大きな石段があります、その上が拝殿。 -
境内上段の入り口の門をくぐると、鮮やかな苔に覆われた手水がありました。
本宮の社殿は 織田信長によって焼き討ちにあい、御神輿は難を逃れましたが、すべて焼失して、その後再建されたものです。 -
拝所 ここからお参りします。そよ風が流れて、清々しさに溢れる場所です。
祭神 建御名方神 -
拝所の奥、斎庭を隔てて拝殿。左右に片拝殿がある諏訪造という配置。重要文化財です。
一般的な神社はこの奥に本殿があるのですが、ここには本殿はありません。 -
勅願殿
奥の守屋山に祈願をするところで、1690年に建立。
個人私事の祈祷を行うのは、ここなんだそうです。 -
拝殿と幣殿の山裾側に布橋という長い廊下が続いています。
昔は大祝だけが通り布が敷かれていたそうです。 -
御宝殿 東と西の二つの宝殿があります。御神輿や神宝を納めるもので、一般的な神社では本殿にあたるそうです。
これ、新しい?と思ったら、寅年と甲年に一殿を新しく作り替えるのだそうです。 -
御宝殿の間に四脚門。
この奥が斎庭です。斎庭の奥の脇片拝殿の屋根に、硯石という凹みに水をたたえる石があって、神降ろしをする場所だそうです。
大祝は一般の人と、お参りする道が違うみたいですね。
四脚門は徳川家康の命で再建されました。 -
さらに布橋を進むと右手に大国主社。
祭神の建御名方神の父神、大国主命がまつられています。 -
摂末社遥拝所 飛び石を歩いて行くと、二本の杉の間からお参りする形。
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振り返る。あれ、誰もいなくなっちゃった。
気持ちの良い風が通り抜けて行きます。
建御名方神は風と水を司る神様です。穏やかなそよ風が吹き、素晴らしいお天気の日に来れて、神様に感謝です。 -
額堂 ずい分古いものもあり、どんな思いで奉納したのかと想像してみたり・・・。
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布橋の始まりは御門から。右手に御柱が立っています。
布橋は今は誰でも通れるので、参道のようになってます。 -
出早社 諏訪大明神の御子神、門番神として崇められ、イボ石神として小石を捧げてイボの全快を祈るそうですよ。
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一度鳥居をくぐって、東参道から境内を見ます。
手前は御手洗川に架かる橋。
この鳥居、ニ之鳥居です。
一之鳥居は諏訪湖側にあって、波除鳥居と呼ばれて、以前はそのあたりまで諏訪湖だったんだとか。 -
降り向くと、東参道は前宮方面からつづいています。ほんとなら、ここが一番賑やかなはずですが、今は大きな駐車場が北側なので、ここまで来る人が少ないみたい。
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もう一度境内に戻って、神馬舎。
明治時代に暴風雨で大ケヤキが倒れて神馬舎は倒壊してしまいますが、神馬は10mほど飛んで、被害を受けなかったそうです。
ちょうど日清戦争のころで、諏訪明神が馬に乗って戦場にむかわれたと、驚き恐れられたそうですよ。 -
二頭の神馬がいらっしゃいました。
白い馬と黒い馬だ、新しいようなので、飛んだ馬とは違うんでしょうね。 -
勅使殿。
古い記録では、大祝が即位した際に祭事が行われたり、勅使が参向の際に幣帛の授与が行われたりと、拝殿のように使われていたそうです。 -
勅使殿につながっている五間廊、神長官、禰宜ら五官が着座したと記録にあるそうなので、神事に使われたのでしょう。
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五間廊の側面、諏訪大社って「廊」が多い?
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土俵ももちろんあります。
参集殿の入り口に、平成元年の千代の富士と平成七年の貴乃花(光司)の優勝額が奉納されていました。優勝額は国技館の天井辺りにぐるりと飾られていた写真です。
当時の大相撲ファンにとって、並んで奉納されていることに感慨深いものがある。 -
神楽殿。おおきい。
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大きな太鼓!一枚皮では日本一の大きさで、元旦の朝のみ打たれるそうです。
音を聞いてみたいな。・・・って某動画サイトにアップされてましたよ! -
大きな木があって、木漏れ日が綺麗です。
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ちょうど布橋の途中、四脚門に通じる石段があります。大祝はここを通られたのかしら?
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その石段のそばには 天流水舎
ここの水を持ち帰り、雨乞いの祭りをすると、必ず雨が降ると伝わります。
諏訪の七不思議の一つに、どんな晴天の日でも、雫が三滴は屋根の上から穴に落ちるんだそうですよ。 -
雷電の銅像 信州小県の名力士。
現在の東御市出身、そういえば、道の駅に銅像があった記憶が。
勝率が96.2%という、未曽有の最強力士・・・長野県の誇りの一つなんだろうな~。 -
明神湯 温泉の手水で、諏訪の温泉の源泉。
このまま飲める温泉です。 -
大鳥居の近くへ戻って来ました。
高島神社をお参りして、社務所に向かいます。 -
御朱印は社務所で頂きます。
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振り返ると、右手に交通安全祈祷殿。
やっぱ有名どころの神社は平日に来るのがいいな。
休日は仕事の友人に言わせると、平日は人がいなくて寂しいそうですが。 -
上社本宮の御朱印です。
諏訪大社では四つの宮を廻って、コンプリートするといいことがあるんですよ。
がんばろ~。 -
少し時間があるので、もうちょっと探索。
東参道のニ之鳥居をくぐり右手に蚕玉神社(こだまじんじゃ)
「かいこ」の神様を祀っています。
ここも社殿の四方に御柱。
うわ!!さっきの中学生たちがやってきた!本宮の方に、わらわらと歩いて行きました。よし! -
蚕玉神社の脇の坂道を登って行くと 「法華寺」
以前あった神宮寺(法花寺)は空海の創建で、4寺があり、仁王門や五重塔、普賢堂などがあったそうです。
法花寺の法灯を継ぐのが法華寺。法華寺 寺・神社・教会
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本堂 平成11年に放火で焼失し再建されたものです。
戦国時代、武田家が滅亡したのちに、信長は法華寺に入ります。
ここで、信長は明智光秀にキレて、家康などの諸将の前で、殴る蹴る、あげくに手すりに頭を落ちつけたり。
光秀は面目を失い、その三か月後に本能寺の変を起こします。 -
吉良上野介の嗣子・吉良義周のお墓はこの上・・・時間がなくお参りしていません。
吉周は忠臣蔵で有名な吉良邸討ち入りの時に手傷を追い、幕府に「仕方不届」として領地を召し上げられ、高島城に幽閉されて三年後に病死し、遺骸を引き取る人がなく、法華寺に埋葬されたそうです。
彼の祖父が上野介、爺さんが調子乗って弱い者いじめの結果がこれか。 -
大黒大尊天のお堂。御朱印頂けるので、ちゃんとお参り。
しかし、日本にはこんな有名な「いじめ話」があるってのにね。人間っていつまでたっても成長しないな。
因果応報、情けは人の為ならず、人には優しくしないとね。 -
ご住職に御朱印を頂きました。
その後、軽トラでおでかけになりました。もしかしてラッキーだったかな?
お忙しい所、お邪魔いたしました。 -
神宮寺を解説する看板がありました。
昔は参道の両側に神宮寺のお寺が並んでいたのですね。
二之鳥居の向かい側にあるカフェで、ハーブティーで休憩しようと思ったのですが、なんと水曜日はお休みでした。残念。
12:55 仕方なく、車に戻って、足長神社に向かいます。
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