2019/01/25 - 2019/07/24
1330位(同エリア3977件中)
サンフランさん
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いままで寺社、桂離宮などの天皇家の庭などなどといろいろ見てきましたが、まだ届かないのが町家や茶室の露地。旅館の庭
町家もいろいろ京都中にあり、有形文化財もあれば、空き家となり朽ちそうな老朽化しているものもありで、見てみると少しずつ違う。商家の町家は祇園祭の鉾町に多い。その中を貫く新町通りを歩いた。
杉本家住宅は大きさといい、格式といい、庭もある町家としては一級品らしいが、....
京都の町をつぶさに見ながら歩いていたら庇の上に人形のようなものが置かれている!聞いてみたら鍾馗さんだとか!鍾馗さんもいろいろあるみたいだ。
応仁の乱後でも京都には2回ほど大火があり、火事の災害を受けなかった西陣には町家がまだたくさん残っていると聞き、西陣へ
7月15日
新町通りを歩いて祇園祭の宵山に
7月17日
山鉾巡行を見ながら町家を探す。
7月23日
あと祭り宵山、いつも静かな新町通りにも賑わいが
結局のところ露地も旅館の庭も名家の坪庭も京町家の内部にもまだはいれずにいる。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
-
俵屋
江戸時代からづづく高級旅館 -
柊屋
こちらのお庭は素晴らしいらしいが、..
庭だけとはいかないだろう。 -
炭屋
こちらだって由緒ある旅館 -
俵屋、柊屋、炭屋と京都の市街地に残る由緒ある旅館は見てきたが、...
旅館の庭はなかなか見れない?
トリップアドバイザーを見ていたら鴨川沿い東山の旅館! 晴鴨楼(せいこうろう) -
板塀に沿って犬矢来がつながっている。
大正レトロの建物らしい。 -
幾松
玄関の庭がすばらしいと水野克比古氏が書かれている。
「築後200年、江戸時代には長州藩の控屋敷。明治23年に料亭旅館となる」(水野克比古 京都の町家の坪庭)
入口から入ると、これから先ご宿泊の方以外はご遠慮ください」という立て札に進行を妨げられる
(2020年10月に閉店) -
板塀に囲まれた旅館「十四春」
十四春主屋
下京区諏訪町通松原下る弁財天町
明治/1909頃、木造2階建、瓦葺、建築面積107㎡
登録有形文化財(建造物)
「烏丸五条の交差点の北西,諏訪町通に東面する。通り側に間口10m
の高塀を配し,やや奥に主屋を構える。内部は随所に銘木をあしらい,
趣の異なる複数の座敷を北半に配す。高塀は,腰竪板張,上部真壁で
出格子窓を付す端正なつくり」(文化遺産オンライン) -
玄関へは大石と小石を組み合わせた延べ段で
左側に土がなく段差があるのが気になる。 -
名庭を覗かせていただいた。灯篭は大小三基。横から見るとエヤコンの室外機とガスのメータが庭にはみ出しているのが気になる。
-
昔はガス灯
今は電気だろう -
御幸町通り四条上ル、錦市場近く
旅館「近又」 -
由緒
1801年創業、建物は典型的な明治期の町屋だそうだ。
いい庭もあるらしいのだが、泊らない限り拝めないのは残念 -
富山県詰め所
東本願寺前には「詰め所」なる宿泊施設がある。
いったい何? -
となみ詰所
詰所の由来
「1778年都に大火災があり本願寺が被災しました。当時、乗如上人は諸国を巡行され、その努力もあって再建の運びとなり、近郊近住はもとより全国の信徒が故郷を離れ11年の間、本山再建にご奉仕され、その当時の宿泊所が現在の詰所のいわれであります」(伊香詰所) -
官休庵庭園
武者小路千家の茶庭があるのだが、もちろん参観拒絶
茶庭はこれまた高い障壁がある。 -
薮内家
燕庵は1787年発刊の都名所図会に掲載されている名園。中を覗くことはできないが、中根金作氏は100選に選んでいる。
「中世末期の茶の湯の式は書院茶から侘びで薬に発展した。そこに草庵と露地という建築と庭園の発生を見る。回遊式大庭園の中に茶席や露地を形成した桂離宮。近世の庭園意匠に強い影響を持った茶庭(露地)。最も完成された形式として寛永のはじめの茶人、薮内仲紹、薮内紹智の薮内(やぶのうち)家燕庵は西洞院-正面にあり、茶道薮内流宗家家元、薮内竹中(ちくちゅう)紹智の屋敷である。建物は古田織部の京屋敷とも称される」(中根金作 京の名庭100選) -
秦家 奇応丸 秦築舗
昔の薬局みたいだ! このあたりは太子山町
「秦家住宅は、元治元年(1864)におこった元治の戦いによって焼失後、明治2年(1869)上棟された「表屋造り」の京町家です。
表構えは間口が5間、南側三間半を厨子2階建。2階には額縁付きのむしこ窓を開き、北側1間半は下屋庇付きの平屋建。 二階むしこ窓の前には屋根付きの大きな看板を掲げている外観は 下京の伝統的商家のおもむきをよく残しています。表家、玄関棟、住居棟、土蔵(中庭・奥庭を含む)は、京都市有形文化財登録になっています。」(秦家 WEB PAGE) -
電話もかなり早くつけたようだ!
-
野口家住宅
油小路四条上がる
ここにも小堀遠州の遺産があるようだ。中を見れないのは残念 -
「野口家は呉服商を営んできた旧家で、1864年の火災後に再建されたもので、店舗棟と居住棟を玄関棟で結ぶ表屋造りの形式をとっている。座敷は元伏見の小堀屋敷にあったとされる。1871年に伏見の豪商、松屋彦江門から購入、移築したもので12畳半の主室と次の間からなる。主室には1間半の床の間と1間の違い棚を備え、数寄屋風書院の構えを持つ、長押の釘隠し金物屋天袋の引手金具の意匠に小堀遠州とのかかわりを思わせる」(京都市有形文化財、京都市立て看板)
-
大和大路7条上ル
村岡家住宅
つし2階建て、むしこ窓は伝統的な細めの窓 -
正面通りにある道楽
由緒ある料理店のようだ?
「建物は桃山時代の石田光成の軍師、島左近の邸宅後であったと伝えられる。創業は1624年」(水野克比古 京の町家の坪庭)道楽 グルメ・レストラン
-
道楽
何回も前を通っているのにはじめて気がついた入口の上に立つ人形のようなもの
これいったいなんだろう? -
鮒寿司の喜多品商店
残念ながら表戸などがモダンな町家
この入口の上にも人形のようなものがたっている。 -
こちらにもある!
ちょうどこの家の方が出てきたので聞いてみた。
5月人形にもある鍾馗(ショウキ)!瓦製の鍾馗の人形
「昔京都三条の薬屋が立派な鬼瓦を葺いたところ向かいの家の住人が突如原因不明の病に倒れ、これを薬屋の鬼瓦に跳ね返った悪いものが向かいの家に入ったのが原因と考え、鬼より強い鍾馗を作らせて魔除けに据えたところ住人の病が完治したのが謂れとされる。」(Wikipedia) -
問屋町通りを行く
洛東遺芳館(相原家住宅)
春には公開されるらしい。 -
周囲を板塀に囲まれたかなり大きな建物だ!
大塀の仕舞や建築だろうか? -
晴鴨楼の隣にある古ぼけた町家
手入れが悪いとただ古いだけでは文化遺産とはならないようだ。 -
森井邸
大和大路松原下るの1本西
2階高い! バッタリ床几(しょうぎ)も備わっている。バッタリ床几は将棋を指す縁台ではない。かつてここに商品を並べた陳列台であったようだ。住居専用ではなく商家のたたずまいでしょう?
二階の高い総2階は明治後期以降に広まった」(京町家作事組合 町家再生の技と知恵 -
麩屋町通り仏光寺上がる
井上清七薬店
300年続く老舗、江戸時代に梅肉を用いた眠薬で有名
建築年代の詳細は不明、おそらく明治前期(明治28年冬、写しの古図がある)。
表通りに面して広い間口をとり、子持ちの千本格子戸、2階には塗りこめむしこ窓を開けた伝統的な京町や」(京都市文化市民局 町家民家の庭調査) -
もう読めなくなっている看板
つし2階は一番軒数が多いらしい。表は物置としていたようだ。 -
東大路ー五条の近く、清水寺へ向かう観光客でにぎわう交差点のあたり、ホテルが建つらしいが、その向こうににょっきりと現れた煙突
清水焼きのの窯あとだろうか? -
料理店なら町家はたくさんある。でも新しいものも多い。この鳥料理店!
「鳥彌三(とりやさ・下京区西石垣通り四条下る斉藤町、登録有形文化財)を挙げておこう。鳥彌三も鳥料理の老舗料亭である。団栗橋西詰の南寄り、高瀬川に面した西石垣通りに店を構えたのは天明8年(1788)、天明の大火直後であるとされる(家伝)。調査で主屋は18世紀後期にさかのぼると判断された。裏手は賀茂川に接し、古くから夏には床を張り出す様子が古写真にも写されている」(『京都百年パノラマ館』淡交社刊、1992年)
「一階は格子、二階はほぼ全面に手摺(てすり)を通して簾(すだれ)を下げ、伝統的な料理屋の店構えがよく残る。内部は通り土間の一角に二階への大階段と大きな台所を設ける点に、料理屋としての特徴的な構成を見せる。二階が発達している点も同様である。客間を表裏に設け、裏は鴨川を望み表では高瀬川を縁越しに見下ろすという、賀茂河畔の立地を生かし眺望を意図した客間配置が窺える。このように鳥彌三は料亭建築の典型例である。同時に、その基本構成はあくまでも一般的な京町家に倣っていることもわかる。」(大場修 京都の伝統民家と町家) -
祇園の花見小路
一力茶屋は歌舞伎忠臣蔵で大石内蔵助が討ち入り前に遊んだとされる由緒ある御茶屋
安いカメラで撮ると光線のためか格子がモアレになってしまった。 -
祭りのさなか花見小路通りで出火
2軒が丸焼け、他の2軒も類焼したらしい。
「火災は8日午後9時15分ごろに発生。木造2階建て建物に入る日本料理店「たまりや」の店主から「店内に煙が立ちこめている」と119番があり、同建物の延べ約240平方メートルが全焼した。隣接するお茶屋「吉うた」や京料理店「美登幸」など4棟の延べ計約380平方メートルも焼けた。」(京都新聞) -
焼ける前の「たう吉」いや「吉うた」左から
「吉うた」は、花街で親しまれ続ける歌舞曲「祇園小唄」の作詞者長田幹彦(1887~1964年)が通ったお茶屋。長田は昭和初期に吉うたで祇園小唄を作詞し、映画の主題歌になった。」(京都新聞) -
祇園
花見小路ともなると
あちこちに鍾馗
お茶屋さんにも -
料理店「燕楽」の庇にも
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旅館「柴」の玄関の上には腹の出たショウキ氏
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大ヌイのショウキ氏はおうちがある!
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こちらは太鼓腹はないが、剣は持っている。
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津田楼のショウキは優しそうだ。
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カラーのしょうき氏!
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来る客を覗き込むようなショウキ
いろいろのショウキがあるみたいだ。 -
桔梗やの庇にもショウキ氏が君臨
その上の堅固な忍び返しがすごい! -
祇園の名家、御茶屋の冨美代
江戸時代からの建物ではないようだ。二階の軒高の高い立派な建物!
お茶屋料理店には確かに町家は多い -
下里家住宅
祇園東部のお茶屋街の中にある元御茶屋の町家。現在は和菓子店をなさっている。 -
「正徳2年(1712)この辺の畑を開発して形成された御茶屋街、祇園内6町のひとつで、この建物も明治28年(1895)にお茶屋として建てられたものである。昭和10年ごろ火事があり屋根は新しくされたが、小屋組みは建設当初のものが残されている。
正面外観は、1階が出格子・平格子を装置して通り庇を付けて一般の町家とかわらないのに対し、2階は正面を客室とすることから建ちが高く、さらに間口いっぱいに窓を開いて手すりを張り出し、軒下には簾をつってお茶としての趣をよく残している。」(京都市) -
こちらもレストランなのですが、...
店名の看板などがない! -
祇園の新橋通界隈も町家の料理店が並ぶ
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アメリカンのHARD ROCK CAFE ですら総二階の町家
-
祇園かにかくに
料理店として最近建てられた町家のようだ
そうだ料理店なら町家はたくさんある。かにかくに グルメ・レストラン
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東大路から行き止まりの路地を入ったところにある頼山陽邸宅
『山紫水明処』は、丸太町橋の北側、鴨川の西岸に面し、頼山陽の書斎兼茶室として使われた建物です。」(京都市緑化協会) -
手前はつし2階型の町家で、板塀が続いている。
山紫水明処(頼山陽書斎)の庭 があるらしい。 -
出格子の糸屋格子は格子が2本が多い。ここは5本!
-
金瓢
東山区古門前三吉町
2007年に改築、ゲストハウスになったようだ。かつては酒屋?
「文化7年創業の由緒ある造酒屋」(祇園の町家祇園金瓢ホームページ)
「金瓢」は文化7年に祇園白川のほとりにある秋山酒造にて誕生、豊臣秀吉が愛した千成瓢箪に因む酒。平成19年度より松井が醸造を引き継ぎ、」(松井酒造ホームページ)
この屋の秋山とみこ氏は文筆家であったらしいが、検索しても出てこない。
右隣の町屋の矢来がいい。これって俵屋の矢来に似ている。 -
せっかくの町家もこうなちゃウと!
京都の空き家問題は現実だ。4~5軒に1軒は空き家!
特に東山区に多い。22.9%!(平成25年住宅土地統計調査) -
三味供庵
京都市歴史的風致形式建造物
文久元年創業のそば店
でも何年前かはわかりずらい三味洪庵 本店 グルメ・レストラン
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こちらは民宿
よく直されて使っている。民宿 古梅川 宿・ホテル
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鴨川を渡って、町家ではないがリッツカールトンホテルで
ザ・バー ザ・リッツ・カールトン京都 グルメ・レストラン
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そこにある織部灯篭のマリア像がくっきりしているのを見つけた
-
2基流れの中に立っている。
-
ホテル建設にあわせて造られたものか
どこかから持ってきたものか?
不明 -
四条大橋の東詰
南座の建物は修復が終わって暫く経つ -
坂本竜馬が投宿したとしている酢屋
二階の出格子は上下を貫く格子は2本で、切り格子が間に3本
二階に竜馬がいたらしい。建物はかなり改修されているように見える。
竜馬の時代に総2階の町家があったのだろうか?
二階の高い総2階は明治後期以降に広まった」(京町家作事組合 町家再生の技と知恵酢屋 美術館・博物館
-
-
御幸道六角上ル
木村邸とここら屋
木村邸は総2階の表や構造
モルタルのうちっぱなしの壁面が歴史を感じさせる。ここら屋 御幸町本店 グルメ・レストラン
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宮脇買扇菴
こちらは今でもバリバリの商店 -
太極殿(芝田邸)六角店
1885年下京区で山城屋の屋号で創業
滋賀県から京都へ出て菓子屋を始めたという。
明治28年に芝田岩次郎が長崎でカステラ製造の技術を習得して、京都のカステラ製造のさきがけとなった。
建物には元治2年の棟札があり、慶応元年の畳屋の書付がある。前所有者は呉服屋で、戦後、菓子店の営業を再開、大正時代に開発した太極殿が好評で屋号を改めた」(京都市文化市民局 町家民家の庭調査)大極殿本舗 六角店 グルメ・レストラン
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村西家住宅
蛸薬師通高倉西入
文化庁登録文化財
(旧村西家住宅)は、築85年の京町家。奥に建つ蔵とともに近代京町家の代表事例として国指定・登録有形文化財/市指定・景観重要建造物に指定されています。蔵を背景とし、深山幽谷の雰囲気を感じさせる前栽や、千利休ゆかりの国宝の茶室・待庵を手本にした茶室をはじめ、暖炉や光の加減で色味が異なるステンドグラスを設置した洋風の書斎など、昔の面影を感じられる趣きのある京町家です。」(らくたび京町家WEB PAGE)
昨年(2018年)5月に特別公開があったらしい。残念 -
六角堂
-
町家ではないが六角堂の前に刃物やさんがあった。
六角通り
金高刃物 -
二軒並ぶ腰高までがモルタルの建物
この形も多い
エヤコンの室外機が同色の格子ボックスで隠されている。 -
御池通烏丸東入
嶋臺巽蔵
明治/1883建造、土蔵造2階建、瓦葺
登録有形文化財(建造物)
「御池通に面して建つ土蔵。3間四方の平面で,東と北の酒店側に扉口
を開く。外観は腰縦板張,上部は漆喰塗とし,軒まで塗込め,屋根は本
瓦葺である。内部は1階・2階とも柱を現し,いずれも一室とする。京都
の近代初頭の景観を今日に伝える建築である。」(国指定文化財等データベース 文化庁) -
嶋臺酒店
中京区御池通烏丸東入
「明治/1883の建築、木造2階建、登録有形文化財(建造物)
敷地の南東隅に建ち,東街路側を正面とする。平面は巽蔵を囲むL字
型で,総土間とする。1階正面は連子格子を設け,南寄りに入り口を開
く。庇上は土壁とし,虫籠窓を開く。御池通に面した妻面は上部白漆喰
塗とし,巽蔵と連続する景観を形成している。」(文化庁データベース)烏丸御池遺跡 ・ 平安京跡 名所・史跡
-
仲家住宅
中京区室町通御池上る
「大正/1916頃の建築、木造2階建、登録有形文化財(建造物)
室町通の東側に位置し,通りに面して建つ高塀の奥に座敷を繋げるい
わゆる高塀造の町家。高塀に接して平屋の応接間,その奥に2階建,通
り土間をもつ居室部を配す。島原角屋(重要文化財)を参考にしたとい
い,座敷飾りや窓回りの随所に凝った意匠が見られる。」
紅柄に塗られた駒寄せ(柵)とその前に置かれた大石は車の接触から守るためか?
町家の屋根は一直線にまっすぐ下るのではなく、中央あたりが膨らんでいる。 -
西村庄二商店
紅柄色のどはでな表屋
織物生地問屋らしい。
奥の建物は2階が高く、下には車が入るのかも? -
近代的な町家cafe
然花抄院
格子はなく、全てガラス張り!むしこ窓だけが町家の雰囲気を残す。然花抄院 京都室町本店 グルメ・レストラン
-
三井記念公園
こんな市中にあった小さな庭
でも施錠されている。 -
誉勘
間口の広い広い立派な町家! つし2階型の2階は背が低い細めのむしこ窓
創業260余年!
「創業以来、京都室町で金襴絹織物・各種金襴裂地製造卸商を営み、現在で十三代目を数える京の老舗です。
各宗別誂織袈裟地・打敷地・装束・衣装・祭用復元物・小物用裂地 ・表装用織物・人形用等を扱っております。
特に人形衣装用裂地として、絹と色目にこだわった織物を 全国の有名各店に納めております。」(WEB PAGE) -
御所の南,車屋町通夷川上る
西島家住宅
書道教室をなさっているらしい。右側のガラス窓が残念だ。
「枕草子169段の名井戸としてかかれる少将井に近く、近江の国の豪族、西嶋忠兵衛から4代目の安右植衛門が京都に出て、ここに居を定めたのは1788年の大火後の寛政期と伝えられる。元治元年(1864年)の大火で類焼し、表屋造りの主屋は明治13(1880)年に再興されたというが、敷地屋にあるお蔵は類焼を免れ江戸時代後期の建築と考えられる。」(京都市文化市民局 町家民家の庭調査)
いまは「山茶花社」の屋号がついている。 -
京都 無二膏 雨森敬太郎薬房
痛むが進んでいるようで、有形文化財ではないようだ! -
おそばの名店
本家尾張屋本店
室町時代の1463年創業の歴史を持つ老舗で、和菓子屋でしたがしだいに蕎麦も扱うように …」(ぐるなび ホームページ)本家 尾張屋 本店 グルメ・レストラン
-
堀野家住宅(キンシ正宗)
「若狭出身の堀野家の初代、松屋久兵衛はこの地で造り酒屋を始めた。堀野商店(キンシ正宗)は明治になってからは酒蔵のひとつを伏見に置き、戦後は本社も伏見に移したが、創業の地であるこの家は往時の姿をそのままに守り続けて残されてきた。」(立て看板)
江戸時代まではこのあたり一帯にたくさん造り酒屋が合ったらしい。まだ、井戸から水が沸いているそうだ。 -
小林衣装店
切妻の壁面はモルタル塗りになっている。 -
町家ではないが
有栖川邸
門だけが残っている。 -
2月17日
いのしし年の今年
護王神社は参拝者でにぎわっている。護王神社 寺・神社・教会
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いのししのでっかい絵馬!
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さざれ石
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堀川通り上立売下る
山名宗全の屋敷があったらしい。この辺の町家を探している。 -
藤田家住宅
上京区堀川通今出川上る西入(通りに名前がないとこうなる)
むしこ窓が木瓜型である。
明治/1968~1882/1935改修
木造2階一部3階建、瓦葺、建築面積280㎡
登録有形文化財(建造物)
「間口五間半で木瓜形の虫籠窓を穿つ東棟と同二間半の西棟からなり、
西棟前面の応接間は数寄屋と洋風を融和した意匠をもつ。後方の住居
部には、数寄屋または書院風の、趣を変えた座敷など多様で洗練され
た室を並べる。西陣の繁栄と町家の大型化を示す上質な住宅」(文化庁データベース)藤田家住宅 名所・史跡
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堀川今出川のバス停のそばにもいい町家があった。
中家住宅
こちらもむしこ窓が木瓜型である。 -
堀井家(大市)住宅
西陣の堀井家は元禄年間、近江屋定入が料理店を営んだことに始まると伝え、現在は 大市の名で知られている。建物は平屋の北に2階建てが続く。平屋部分は1列3室方の通り庭形式で建築年代は18世紀までさかのぼると判断される。(新谷昭夫 京町家)
国登録文化財、京都市歴史的意匠建築物、景観重要建造物大市 グルメ・レストラン
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出格子は繊細な構造だ!
西陣には町家がたくさん残っていると聞いて西陣へ -
下立売
山中油店
江戸時代の1751-1829年に建てられたものとされる。
「下立売通に南面する間口9間の平屋建町家。切妻造,桟瓦葺で表裏に
庇が付き,北に落棟が続く。正面にはバッタリ床几と蔀,出格子,飾り窓
を設け,つし2階に虫籠窓を開く。西半が通り土間,東半が2列の居室
で,北奥に10畳座敷を配す。京町家の典型として貴重。 文化庁登録有形文化財
(国指定文化財等データベース)山中油店 グルメ・レストラン
-
秀吉の時代には間口の幅で税金をかけたため京都には平べったい、間口が狭く奥行きのある建物が多い。江戸時代になってから建造されたためかここは間口が驚くほど広い!
-
飾り窓に置かれている西陣空襲の記録。京都は太平洋戦争中、空襲を受けなかったと思う人が多いので、あえて京都にも空襲があったということだろう。東山の馬町でも空襲を受けて31名がなくなっている。東京や、大阪、などで大空襲を受けた人から見れば、あてつけのようにも見える。
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山中油店の前にも見事な町家の建物がある。切妻の外壁は板張りである。
-
二条陣屋
数寄屋式の建物は建築学的に価値が高いらしい。
参観には予約がいるのが今は困った。補修工事中のようでもあり次回にしよう。 -
「豊臣秀吉に仕えて伊予今治七万石の城主となった小川土佐守すけ忠は関が原の合戦に敗れて出家して、その長男、千橘が万屋平右衛門と名乗ってこの地で米穀商、両替商などを業とした。この建物は寛文10年(1670年)ごろに創建された。
当家は二条城や京都所司代に仕候する中小大名の陣屋として、京都町奉行所の公事宿として利用されたので、隠し階段や武者隠しなど大名の身辺警護のための特殊な構造、設備が施されて、さらに類焼防止の工夫も多い。」(京都市) -
一番小さな町屋
しもた屋
確かに屋根は一つだけしかない。 -
東本願寺前、渉成園の近く
吉田家住宅
2階はガラス戸になっているけれど、階高は高くない -
こちらも二階のむしこ窓はガラス戸ですが、ちょっとユニークな柵がついている米内家住宅
これらは文化財ではない。文化財になる住宅とそうでない町家とではどこが違うのだろう? -
長谷川家住宅
370年の農家、庄屋らしい。 -
公開はされているようだが、
反対側から見ると新しく見えるのは改修されたのであろうか? -
浅田家住宅
京都駅の南にある住宅街でも九条烏丸町には大きなお宅が多い。 -
裏の通りにはあと2つ蔵がある。
-
京都駅の北口の塩小路通りから、京都郵便局から北へ、
-
七条通りを渡ると細い路地になる。昔はメインストリートだったのあろうか、この新町通り、なかなかのもの! 町家風の建物が飛びとびにはなるが並んでいる。
-
七条上ル
まずは蔵造りの建物!
大島家住宅
かつては縄やを営んでいたらしい。 -
和田・大岡家住宅
新町通り花屋町上がる
京都市重要景観建造物
「鮮魚・仲買業と金融業を営んだ。1868年明治初頭にもともとあった寺院の建物を仮住まいとして建造。西に面して建つ、表屋造り、表口を中央に開ける。左手、北側には出格子、仕舞や格子、右手南側には荒格子。二階には切手格子を組み込む。平成14年に修復工事」(京都市文化市民局 町家民家の庭調査)
郵便受けがとてもユニークで、さながらまだ江戸時代のようだ!
二階の格子戸の向こう側は障子のようだ。冬はどうされるのだろう。まだ住んでおられる京町家だ! -
町家を利用した旅館
月や
エヤコンやゴミ箱などが隠されている。さすがですねー
むしこ窓が少し傷んでいるのが気になります。御旅宿 月屋 宿・ホテル
-
これ結構いい町家
でも表札はなく、空き家のようだ。
2階が高く、木製の駒よせ
建ったのは最近だろうか? -
風呂敷製造の会社! 村英
-
道端に手漕ぎポンプが残されている。
かつて共同の井戸があったのだろうか? -
芦田邸
当主は昭和初期から呉服店、芦田宗史郎商店を経営。京町家の形式で蔵には蔵の上棟年を示す1847年と記された墨書きがある」(京都市文化市民局 町家民家の庭調査) -
妻壁は板張り、むしこ窓はなく、ちょっと変わった構造であるが、よく修復されて現在も住まわれているようだ。
普通きり切妻の屋根は外にせり出しているはずだが、町家のそれはほぼつら一になっている。 -
明治天皇行幸の地
何をご覧になったのか? ここは修徳小学校の跡地 -
松尾・谷口邸
修徳まちなみ文化財 -
SABAR
サバ料理専門店 -
長江家住宅
京都市有形文化財
長江家は代々呉服の卸業を営んできた。屋敷は通りに面して二棟の主屋が建ち、その後方に離れ屋敷と化粧部屋、その奥に土蔵二棟が並んでいる。主や北棟は慶応4年(1868年)の建築で、もう一方の主や南棟は明治40年(1907年)の建築で表の店舗部と奥の座敷部を玄関部でつないだ表屋造りの建物である。」(京都市) -
綾小路新町西入ル
杉本家住宅
祇園祭のときに公開されるらしい。 -
「杉本家は寛保3年(1743)、奈良屋の屋号を持って烏丸四条に呉服商を創業、明和4年(1767)現在地に移った。京呉服を仕入れて関東地方で販売する商人として繁栄した。現在の母屋は元治元年(1864)の大火後に再建され、棟札によれば明治3年(1870)4月23日に上棟、そのときの当主は新左衛門為賢、棟梁は菱屋利三郎と近江屋五良右衛門。母屋は表通りに面する店舗部と裏の居室部を玄関でつなぐ表屋造り形式、京格子に出格子、大戸、犬矢来、つし二階に開けた土塗りのむしこ窓、全て昔ながらの典型的な平格子のたたずまいである。町家としてはしない最大規模で、各一間半の床と棚を装置した座敷、独立棟として西に張り出した仏間、大きな台所など特色が著しい。
京都市有形文化財、建物内の庭は初めて京町家の庭として国の名勝指定を受けている。名勝指定の範囲は座敷庭、露地庭、仏間庭と併せて店庭、走り庭といった町家の特徴である通り庭を含んでいる」(京都市) -
杉本家の前にも立派な町家!
出格子が市松になっている。2階が低い古い形式の町家 -
杉本家住宅の塀に沿って露地を歩くと
なぜか神田明神がある。 -
この細い路地は由緒ある道筋!
膏薬の辻子 -
この奥に旅館があるみたいだ!
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四条通りに出る角は、祇園祭の鉾の町会所のはず。戸は硬く閉められている。
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小結棚町会所
この紅柄塗りの建物は、
「慶応3年(1867年)に造営された町会所で、昭和52~54年に修復されている。
京都市有形文化財」(京都市)
放下鉾の町会所らしい。 -
The travel Kyoto
ゲストハウスなのだろうか?
かなりよくできた町家、出格子も二階の窓の格子も1本通し2本切子格子の糸屋格子。 -
三井両替商跡
ここが三井銀行の発祥の地で、四条烏丸に移る前には銀行もあったらしい。今うしろの建物は三井銀行新町寮になっている。 -
これはよめねー
わざわざ銅版に彫ることはないだろうと思う。 -
瓢樹
六角新町西入る
「画家、今尾景年が建てた町家」(水野克比古 京の町家の坪庭)懐石 瓢樹 グルメ・レストラン
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久保家住宅として掲載がある。
現在は懐石料理料亭
大正/1914頃
登録有形文化財(建造物)
「主屋玄関部の南方、六角通に沿って建つ。木造、真壁造、桟瓦葺の高
塀で、腰を竪板張、上部を白漆喰塗とする。東側を間口4.4mの門口と
し、前後に小庇を差し掛け、通りからやや退いて戸を吊り込み、西側に
は武者窓を設けるなど、意匠を凝らす。」
(?化遺産オンライン) -
新町通り京都市中京区新町通六角上ル
川崎家住宅
京都市有形文化財
祇園祭には公開される?
元々は江戸時代後期に荻野元凱がこの地で開業していた医院。大正15年、豪商・四代目井上利助氏が元凱時代をそのままに、最新のライト様式のモダンな洋間を加えて新築し、昭和40年から平成9年まで川崎家が使用。和室部分を上坂浅次郎、洋館部分は武田五一が設計参与しました。京都の伝統的な「大塀造」建築の代表例といわれています。木造2階建て」(レトロな建物を訪ねてWEB PAGE)
現在は「京のじゅばん & 町家の美術館」として一般公開されていたこともあるらしい。
京都の紫織庵
旧・川崎家住宅
1926(大正15)年
設計 : 武田五一(洋館)、上坂浅次郎(和館)
施工 : 上坂浅次郎 -
綿布商を営む井上利助が大正期に建てた大規模な都市型住宅で,その後川崎家の住宅として使用された。茶室(紫織庵)は4畳板入で,3畳の水屋が付く。洋館は外壁に大谷石と煉瓦タイルを用いてライト風の意匠に仕上げている。主屋は中廊下をもつほぼ総二階の建物で,2階にも本格的な座敷や洋間を設けている。棟札によると,大正13年(1924)に二十八畳蔵,大正15年に主屋や便所浴室棟が建てられている。大工棟梁は上坂浅次郎で,京都帝国大学教授の武田五一も設計に参与している。」(京都市情報館WEB)
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吉田家住宅
新町通り六角下ル
1909年建築中を購入、母屋は既に立っていたと思われる。表屋造りで、当初2階はむしこ窓であったが、2階を高くして格子戸窓としている」(新谷昭夫 京町家) -
そのとなりはゲストハウス太鼓屋
2階は高くなっている細めのむしこ窓になっている。 -
くろちく百足屋
商店なのだろうと思うけれど、お休み?
建物は新しいみたいだ?
解体民家の古材を利用したらしい。 -
百足屋から二軒ほど町家が並んでいる。新柳居と小島邸
小島邸
もともと墨染めを扱う呉服店1942年に廃業。この屋敷はその前の昭和14年に購入。借家として多少に移住。現在は京都学園大学が授業に使っている。」(京都市文化市民局 町家民家の庭調査) -
川北家住宅
代々の両替商
通り庭に沿って部屋が一列に並ぶ表屋造り、表の店舗等は1886年の建造。」(新谷昭夫 京町家) -
熊谷家住宅
修徳まちなみ文化財
大塀造りは住居専用型の町家 -
7月15日
いよいよ祇園祭
宵やまともなるとこの新町通りは活況を呈する。
新町通り高辻を上がる -
岩戸山が仏光寺手前に
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つづいて船鉾
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綾小路通り
杉本家住宅の前には伯牙山 -
参観は可能であったが、......
高い!
結局あきらめて、その金額でビールといこう。 -
この町会場は郭巨山だった。
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新町通りは四条通を渡ると放下鉾
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四条通に出て、四条傘鉾
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これはすごい
紅柄塗りでモダンに改造したらしい。 -
あと祭りの町家も準備が進む
吉田家住宅の2階の戸があけ離れている。 -
百足町界隈も昔に戻ったかのような賑わい
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祭りともなるとくろちくの料理店も活気ずく
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錦小路通りに
霰天神山 -
しだれ豚まんに長い列!
いや、しみだれ豚饅 -
錦小路、占出山
なんだか毎年同じところを歩いている。 -
烏丸通へ出て
前に中を見損ねた孟宗山 -
孟宗山のご神体を拝むことに
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17日
暑い
山鉾巡行へは出遅れた。11時にようやく河原町御池に到着
ちょうど月鉾が辻回しにかかっていた。 -
30度くらい回りました。
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45度にまわった。
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ようやく回りました。御池通りをいく月鉾
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ちょっと寄り道、富小路御池下る
ミシュランの3つ星の「なかむら」
なかなかの町家建築でなかむら グルメ・レストラン
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御池通りの新町通手前で長刀鉾はとまったまま!
どうやら稚児がここでおりるようだ。 -
長刀鉾が新町通へ
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長刀鉾の側面
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長刀の見送りを鑑賞
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つづいてカマキリ
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カマキリ山
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芦刈山
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木賊山がつづく
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後祭りの鯉山の町会所は静かなまま
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新町通はもちろん室町通も交通規制で歩けない。
長刀鉾は錦小路を通過中 -
広野了頓邸跡
「広野了頓は義晴、義輝の時代にこの辺りを領有した。秀吉が入洛した際には了頓邸を訪れた。茶を点じた了頓は、その縁で280石をあてがわれた。
1594年徳川家康が了頓邸を訪れて、言経、古田織部らと同席した。」(京都市)
このような場所は京都のあちこちにある。 -
長刀鉾は新町通りから四条通りに
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四条通へ辻回し中
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だいぶまわりました。
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いよいよホームストレートの四条通りへラストスパート
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それではまた来年
巡行は今年はこれまで -
祇園祭のさなか
東寺の5重の塔はおかくれになった。 -
祭りの後の新町通り
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7月23日
あと祭りの宵山
大船鉾にまでやってきたら
一変、空は暗くなに雨模様 -
大船鉾のご祭神
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一転空が曇り
バケツひっくり返した大雨に -
雨ンおあと。
再び新町通へ -
北観音山
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北観音山の町会所内部
祭りの飾りでしょう。 -
吉田家も祭り仕様に
隣を覗いている人達がいる。京都生活工藝館 無名舎 名所・史跡
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吉田家の隣家、藤井絞りの内部を覗かせていただくと
鉾の模型が飾られている。背景には庭が見える。
藤井絞株式会社の創業は、大正4年2月! -
八幡山
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八幡山は川崎家住宅の前に
いままで祇園祭の際に川崎家の内部を開放していたらしいが、今回の祇園祭は閉ざされたまま(がっかり)
持ち主が変わって解体の危機にあるらしい! -
再び空が暗くなってきました。
黒主山 -
黒主山のご祭神
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やはり鯉山を見なくては、...
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鯉山のタペストリーは
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ベルギーからきたもので、...
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大きなタペストリーから切り出されたものらしい。
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南観音山
車がついているのになぜか鉾ではない! -
見送りが既に張られている。
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