2010/02/19 - 2010/02/22
1053位(同エリア1724件中)
パンダ番長さん
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- 旅行記55冊
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- Q&A回答0件
- 10,243アクセス
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タイ旅行の1日目。アユタヤまでの旅程とアユタヤの夜景。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
PR
-
<関西空港での出発までの時間>
今回の旅行は帰国日に会社にそのまま行くという無謀な計画を組んでいる。
その為に着替えの服を持ってきているので荷物が多い。これらの荷物をまず関西空港ターミナル内に預けなければならない。中央インフォメーションで、まずロッカーの場所を教えて貰う。
そのロッカーのあるエリアに向かう。そこには2種類のロッカーがある。ひとつは短期間用、もうひとつは長期間用である。
この長期間用は最大10日間まで使用可能である。そのロッカーが開いているか確かめる。有難い事に幾つかが開いている。その開いているロッカーに着替えなどと着てきたコートを入れる。
これで大分身軽になった。着ているトレーナーを脱いで入れるかどうか悩んだが、ターミナル内もそれ程暖かくないのでそのまま着ておく事にした。その後、100円ショップで持ってくるのを忘れたボールペンなどを買い込む。
時刻は7時20分。5時前に軽く食べたが、少しお腹が空いているので2階の食堂街にあるマクドナルドで朝マックをする。
その後、少し早いがHolidayツアーのカウンターへ向かう。今回はJTBではなく、他のツアーを敢えて選んで見た。Holidayツアーは初めてではないが(一昨年の西安旅行がHolidayツアー)、他のツアーがどのようなホテル、食事なのか確認したくて選んでみた。
カウンターでパスポートとツアーガイドを提示すると、すぐにEチケットと既に取ってくれている搭乗券を渡され、これからの手続きの説明を受ける。今回の航空会社は、タイ航空である。
私にとっては始めての航空会社である。説明を受けた後、その足でタイ航空のカウンターに向かう。
タイ航空のカウンターには然程、人は並んでおらず、すぐに手続きの順番になる。荷物を預け、手続きを済ます。搭乗券を確認すると席は通路側である。いつも通路側の席をお願いするので良かった。搭乗ゲートは6番ゲートである。
その後、8時頃まで通関口付近の椅子で休憩を取っていた。8時過ぎに北口の通関口に向かう。朝のこの時間帯はいつも人が多くなく、スムースに荷物検査、通関を済ます事が出来た。
6番の搭乗ゲートは北ウイングである。すぐにゲート近くまで行くかどうか迷っていたが、関西空港を何度も利用していて、さして見たい店などもなく、また先程食事も済ませたので、そのままゲート付近へ向かうシャトル駅へ行く。
シャトル駅手前の出発案内板を見ていると、後ろから声をかけられた。英語で声をかけられたので、振り返ると日本人の様な顔立ちの男の人が立っている。
日本人かと思ったが、続けて英語で話かけられたので、アジア人である(後で質問された事柄から、フィリピン人かタイ人であろう)。どうもどちらのシャトルに乗ればいいのかを聞いている。 -
搭乗券を見せて、こちらのシャトルに乗ればいいのかと聞いている。搭乗券を見ると私と一緒の便である。こちらでOKである旨を伝えると何やらその後も盛んに英語で話しかけてくる。良く聞いていると、どうも間違って反対側のシャトルに乗って、シャトル内のアナウンスを聞いて、そのまま降りずに戻ってきたと言っている。確かに他の国の空港でこの様なシャトルがあるものは、私の知る限り、1方向のみでどのシャトルに乗っても終点は同じである。関西空港だけが特別で、反対側のホームから出るシャトルと行く場所が違う(但し、関西空港でも方向はいっしょで、そのシャトルが中間駅まで行くのか、先端駅まで行くのかの違いである)。
私もそのシャトルに乗る事を告げ、一緒にホームに入ってきたシャトルに乗り込む。乗り込んだ際にその男の人から“サンキュー”と言われ、シャトル内で別れた。
シャトルは1分も要する事なく、北ウイングの先端駅に到着する。今までに何度か北ウイングを利用しているが、先端駅まで来るのは初めてである。この先端駅付近には、中間駅付近にはないカフェエリアがある。また、先端駅付近にはゲートが集中しており、その為に大きな待合場所が造られている。搭乗開始予定時刻は9時20分であるので、まだ時間は充分にある。 -
待合場所には既に多くの人達が待っている。
丁度、待合場所に設置されているテレビでは、バンクーバーオリンピックのカーリングの試合中継を行っている。日本チームと中国チームの熱戦が中継されている。それを見ながら、待っていると案の定搭乗時間が遅れる旨のアナウンスが待合場所に流れる。今回の搭乗する機体は既にゲートにはあるが、整備などに時間を要している様である。最初に9時30分に変更になり、さらに9時35分に変更になった。
9時35分過ぎになり、アナウンスで搭乗が始まる。最初はビジネスクラスの乗客からの搭乗である。少し時間がかかりそうであったので、この時間にトイレに行っておく事にした。
一番近いトイレは階下にある様だ。搭乗ゲート近くから階段で階下に下り、階段前にあるトイレで用をたし、再び搭乗ゲートに向かうと既に全体の搭乗が開始されており、長い列が出来ている。その列の最後尾に並び、順番を待つ。
程なく順番が来て、パスポートと搭乗券を提示する。 -
<タイ航空TG621便 関西空港~マニラ国際空港>
通路を通り、機内に向かう。機内へ入る手前でスポーツ新聞を貰い、機内へ入る。奥の通路を進み、席を探す。
機内は3人掛けのシートが3つ並ぶ1列9人掛けの席となっている。機体はボーイング777-200で、初めて乗る機体である。席は真ん中の3人掛けの右端の席で、丁度翼の辺りの席である。
席に着いたが、中に入る人が来るかもしれないので少しの間、そのままの状態で乗ってくる乗客を待っていた。
暫くして乗ってくる人もほぼ終わり、中の席に座る人もいない事を確認し、シートベルトをする。席の前の背にモニターは付いていない。その後、先程入口で貰ったスポーツ新聞を読む事にした。
時刻は既に出発予定時刻の10時になっている。もうそろそろ動き出すかと思い、携帯電話の電源を切る。それから5分程して、やっと機体がゆっくりとターミナルを離れ始めた。
ゆっくりゆっくりと後進してターミナルから離れていく。大分長い時間後進をしていたが、やがて停止し、今度は前進を開始する。それから10分程ゆっくりと進み、離陸待ちの位置に停止する。
程なく離陸の順番が来たのか、再び前進を開始し、滑走路に出る。機内の前方モニターに滑走路が映し出されている。エンジン音が変わり、滑走を開始、あまりスピード感がないが、すぐに機体は離陸した。結局、20分程遅れて関西空港を離陸した。
そこからいっきに上昇して行く。旋回しているのかどうかも判らない。前方モニターに映し出されているのは雲ばかりである。その内にシートベルト着用ランプが消え、イヤホンが配られた。
配られたイヤホンは、タイ航空のロゴの入った洒落た袋に入っている。ロゴの裏に英語で“TAKE ME HOME”と書いてあり、持ち帰って良い様だ。タイ航空機に乗った良い記念品になる。
背にモニターがないので、機内モニターでしか映像は見られない。これで音楽でも聴こうと、イヤホンを着け、チャンネルを選ぶもどれもタイの民族音楽みたいなものが流れているだけである。しかし、背にモニターがないので、これを聞くしかない。
すると離陸から20分程でつまみと飲物が配られた。それを食べ、音楽を聞きながら、機内モニターに映し出される経路図を見る。このタイ航空TG621便はマニラ経由バンコク行きで現在は経由地のマニラに向かい、飛んでいる。マニラまでの所要時間は4時間10分。あと3時間40分程ある。 -
つまみを食べ終わり、音楽を聞きながら、新聞を読んでいると、つまみが出されて然程時間が経たないが、おしぼりを配り始めた。熱々のおしぼりである。おしぼりを配り終えると、今度は機内食を配る準備を始めている。
まだ、離陸してから50分程しか経っていない。機体は丁度、経路図では九州の鹿児島の東辺りに差し掛かっている。
機内食は、ビーフカレーとボイルドチキンの2種類用意されている。私は、ボイルドチキンを選んだ。出された機内食の内容は以下の通りである
①ボイルドチキンの甘辛ソースがけ
②フライドポテト
③温野菜(カリフラワー/さやえんどう豆)
④サーモンのマリネ(サーモン/玉葱/コーン/レタス/レモン/トマト)
⑤チョコレートケーキ(ホイップクリーム添え)
⑥ロールパン(バター添え)
⑦飲物(烏龍茶/日本茶/コーヒー)
ボイルドチキンは大きなささみの部分で、食べ応えがあったが味は淡白である。甘辛ソースが無ければちょっと食べ辛い。
サーモンのマリネも日本で食べるものとは少し違う味付けがされているが、これはこれで美味しい。
温野菜で私の嫌いな野菜のカリフラワーが入っていたが、これもただの温野菜ではなく、独特の味付けがされており、食べる事が出来た。今まで温野菜のカリフラワーなどが好きになれなかったのは、味気なかったためである。
これらを食べ終わり、日本茶やコーヒーなどを貰い、食事を終える。
離陸から丁度1時間10分が経過している。機体の位置を前方モニターで映し出される経路図で確かめると沖縄上空を通過している。ぼんやりとそのモニターに映し出される経路図を見ていたが、急に画面がドラマか映画の場面に切り替わった。聴いているイヤホンのチャンネルを変えると、英語と日本語の音声でモニターに映し出されたドラマの音が聞ける。しかし、話が途中である事や何のドラマなのかさっぱり判らないために少し見ていても内容が全然把握出来ない。仕方なく、寝る事にした。まだ、2時間以上乗っていなければならない。
途中で何回か目が覚めたが、はっきりと目が覚めたのは、もうあと40分程でマニラに到着する時間の頃であった。結局、2時間以上寝ていた様だ。
前方モニターはすでに先程のドラマは終わっており、今は何も映っていない。
暫くすると再び前方モニターに経路図が映し出され、機体がすでにフィリピンの島々の上空を飛んでいる事を示している。
その後、小刻みな方向転換を繰り返し、徐々にマニラに近づいて行く。
30分を切り、アナウンスでこれより最終着陸態勢に入ることと、あと25分でマニラ国際空港に到着する旨が告げられる。また、マニラの気温は30℃であるという。機体はその後、徐々に高度を下げて行き、それに伴い、小さく揺れ始める。この揺れが起こるまで、フィリピン人と思われる人達が盛んに立って、写真を撮っていたが、その人達も慌てて席に着く。シートベルト着用ランプも点灯した。
急激に降下しているのか、先程からの揺れが収まらない。かなり高度が下がったのか、モニター表示ではすでに高度は6000mを切っている。更に高度はグングン下がり、5000mを切った頃に耳が痛くなってきた。いつもの事ながら、これだけが嫌である。
前方モニターが経路図から機体前方カメラに切り替わったが、見えているのは雲ばかりである。暫くして、その雲の切れ間からかすかに島影が見えてきた。再び、機体が旋回を始める。数度、旋回を繰り返し、やっと雲間を抜けたと思うといきなり地上の風景が窓から見え出した。
相変わらず、耳の痛みは続いている。機体前方カメラに島の海岸線らしきものが映し出されている。その海岸線に向かい、機体が高度を下げていく。かなり海岸線に近づいたところでやっと空港の滑走路らしきものが前方に見えてきた。その場所に向かい、機体が降下を続ける。タイヤのハッチが開く音が機内に響く。
風が強いのか、かなり揺れながら機体が滑走路めがけて降下していく。滑走路に後部タイヤが着いた時に軋む様な音がして心配したが、無事にマニラ国際空港に着陸した。機体はスピードを落としながら、滑走路脇の進入路に方向を変える。滑走路からターミナルは然程離れていないのか、すぐに機体はターミナル脇に到着し、停止する。それから降りる準備を待つ。少し時間は掛かったが、程なく乗客が機体を降り始める。 -
<マニラ国際空港での待ち時間>
ここで、トランジットなのかと思っていたが、そうではなく、ターミナルに入ったところで、トランジットを行なう乗客とバンコクへ向かう乗客とが別の通路に向かう事になった。私はバンコク行きの通路に行くも、そこは行き止まりで、その通路沿いに列が出来ている。その列は通路の横の待合場所に入る為の列である。
普通のトランジットではなく、再搭乗までの時間を前の待合場所で待つだけの様である。
その待合場所に入る前に再度、搭乗券とパスポートをチェックされ、番号の書かれた札の様なものを渡されて待合場所に入る。すでにその待合場所はマニラから乗り込む乗客でいっぱいである。
関西空港からの乗客もその待っている乗客に混じり、この待合場所で待つ事になる。時刻は現地時間で、すでに14時を過ぎている。掲示板を見ると、マニラからバンコクへの便の出発予定時間は14時20分になっている。もう搭乗予定時間も大きく遅れている様である。
この待合場所で席を探すが、空いている場所が少ない。また、良く見るとこの待合場所にはトイレもない。
柵が設けられ、その外には出られない。待合場所に1ヶ所だけ出口が設けられている所に行くと、先程渡された札を見せている。これを見せて、柵の外には出られる様だ。
その札を見せ、近くにあるトイレを探す。然程遠くない所にトイレはあった。
トイレ内には数人の空港係員がいる。何をしているのかと思っていたが、用をたし、手洗いを済ませるとその係員が手拭を渡してくれる。この為だけにトイレにいるのかどうか不思議であるが、私以外にも手拭を渡している。それで手を拭き、また係員に手拭を返し、トイレを出る。
トイレ近くには数件の屋台の様な土産物屋がある。面白い土産物屋としては、生のマンゴーを売っている店がある。これをそのまま機内に持ち込んでも良いのであろうか?それ以外には民芸品などを売っている店などもあった。 -
それらの店を少し見て、再度、待合場所の出口に向かう。そこで札を見せ、待合場所に入れて貰う。
相変わらず、待合場所の席は満席の状態である。少し空いている席がないかと探しながら、その中を歩く。
ひとつ席が空いているのを発見し、その席に座り、待つことにした。
搭乗開始がいつ始まるのか、全然判らない。その席で暫く待っていたが、当初予定の出発時刻の14時20分になってもいっこうに搭乗が開始されない。
結局、14時30分前になり、やっと待合場所で待つ乗客の搭乗が開始された。
私の様な関西空港からの人達は、通路脇の入口に並び、ここで搭乗を待っている人達とは分けられて、搭乗となる様だ。再度、その列に並び、順番を待つ。今度は、先程この待合場所に入る際に渡された札を返すだけで、そのまま機体に通じる通路に入る。
機体は先程降りたもので、機内が清掃されているだけである。よって先程まで座っていた席に再度座る。 -
<タイ航空TG621便 マニラ~バンコク>
さすがにこのマニラからは関西空港からよりも人が多い。私の座っていた3人掛けのシートもマニラまでは私だけであったが、さすがにここからは席が埋まる。
搭乗を開始して15分程度で再び機体が動き出す。後進をしながらターミナルから離れて行く。暫く後進を続けた後、機体が一時止まり、今度は前進を開始する。前方モニターが機体前方カメラの映像を映しており、滑走路脇を進んでいる様子を映し出している。離陸の順番待ちの為か、機体が停止する。
その後、機長のアナウンスが流れ、空港混雑の為にもう暫く離陸に時間を要する旨の説明がなされた。
5分程度経った後、再び機体が動き出し、滑走路へ向かう。滑走路に出たかと思った次の瞬間にエンジン音が変わり、そのまま加速し、離陸した。
結局、14時50分頃にマニラ空港を離陸した。機体は何度も旋回を繰り返しながら、徐々に高度を上げて行く。あくびなどをするとまだ先程着陸時に痛くなった耳がまだ痛い。
機体が上昇する中でうとうとしてしまい、いつの間にか寝てしまった。
後の席の人の大きなくしゃみで目が覚めた。前方モニターはいつの間にか飛行経路図に変わっている。もうすでに離陸してから20分が経過していた。
バンコクまでの飛行予定時間は3時間5分である。程なく、先程と同じくおつまみと飲物をCAが配り出す。
おつまみは関西空港からマニラに向かう時に出されたものと同じものである。先程は飲物にオレンジジュースを選んだので、今度はりんごジュースをお願いした。それを飲みながら、またうとうとしてしまったが、離陸から45分程経った頃にCAがおしぼりを配り出した。
また、食事が出るのか?と思っていたら、やはり少しして機内食を配り始めた。
今度は、ライスかヌードルかと聞いてくる。私はライスを頼んだ。出されたものを見るとまたまたチキンがメインのおかずである。それにライスが添えられている。隣の人がヌードルを頼んだので覗き見てみると、ミートスパゲッティ風のヌードルである。出された機内食は以下の通りである。
①チキンの甘煮(ライス添え)
②温野菜(ブロッコリー/にんじん)
③ポテトサラダ/ソーセージハム/レタス
④ナッツ入りバナナケーキ
⑤パン(バター添え)
⑥飲物(烏龍茶/コーヒー)
ここでもチキンが出された事で、ふと考える。過去の機内食を考えても肉の食材は圧倒的にチキン(鶏肉)が多い。これはなぜか?考えられる事はやはり宗教上の事柄である。国際線の飛行機には多くの国の人々が乗る。その人達はまた違った宗教の人達の可能性が高い。仏教、キリスト教、イスラム教など。それらの違う宗教(習慣)の人達に共通の食事を出さなければならない。おのずと食材なども制限が加わる。その中で最も無難な肉食材がチキン(鶏肉)なのではないかと思った。それで機内食にはチキンを用いた料理が多いのではと思ったが、これが合っているかどうかは判らない。私の経験上、機内食にはチキン(鶏肉)の料理が多い。
その様な事を考えながら食事をするが、先程の関西空港からマニラに向かう機内でも食事が出たので、あまりお腹も空いていない。その為か、特に美味しいと感じるものはなく、食事を終えた。
先程と同様に食事後にコーヒーを貰う。先程は砂糖もミルクも入れず飲んだが意外に苦く、今回は砂糖とミルクを貰う。食事を開始する頃に前方モニターがまた切り替わり、関西空港からと同様に訳の判らないテレビドラマらしきものを放映し出した。そうこうしている内にもうマニラを離陸してから1時間半が経過している。あと半分である。パンフレットの予定ではバンコク到着が16時35分となっているので、現時点では約20分程度の遅れか?
食事を終えて、再び何もする事が無くなった。また、少し寝る事にした。
暫く寝ていたが、CAがタイの出入国カードを配り始めた。その為に起され、カードの記入を行なう。今回の旅行では、旅行会社が記載要領を準備してくれたので、それを見ながら記載する。
依然、前方モニターではテレビドラマをやっている。しかし、先程とはドラマが変わっている様である。
時刻からもうあと1時間程でバンコクに到着する予定である。マニラからの飛行は揺れる事もなく、快適である。マニラ出発時のアナウンスで、バンコクの気温は28℃、天候は曇りという事であったので、先程のマニラよりも2℃低い。但し、マニラでは空港ターミナルの外に出る事が無かったので、そんなに暑さは感じなかった。また、バンコク到着は夕方なので多少は気温も下がっているだろう。しかし、まだ上にはトレーナーを着たままの今の格好ではやはり暑いか?
前方モニターが切り替わり、ビデオ放映が終了し、飛行経路図に切り替わる。
もうあと40分程でバンコクに到着する。機体はインドシナ半島上空を飛んでいる。地図が表示されているが、地形のみでどの辺りを飛んでいるのか定かではないが、カンボジアとタイの国境辺りか、もう既にタイには入っているかの辺りである。その内に機長のアナウンスが始まる。
あと30分でバンコク国際空港へ到着予定である。バンコクの天候は雨。気温は28℃であるという。気温が夕方に向かっているのに先程と変わっていない。また雨も降っている。マニラを出発した時の天気は曇りとの事であったが、雨が降っているには予想外であった。丁度、時期的には乾季の終わり、暑季の初めで雨などは降らないと思っていた。まあ、南国特有のスコールかも知れないが?
前方モニターの高度数値が徐々に落ちて行く。着陸体制に入っている。高度が少しずつ落ちる度に小さく揺れ始める。少し機体を傾け、方向修正を繰り返しながら、降下を続ける。どのくらい降りて来たのかが前方モニターが機体前方カメラに切り替わらなかったので判らなかったが、窓の外を見ると既に下の町並みが見えるくらいまで降下して来ていた。その内、タイヤハッチの開く音が響き、不意に着陸の衝撃があったかと思うと急ブレーキがかかる。無事にバンコクのスワンナブール国際空港に到着した。 -
<バンコク スワンナブーム国際空港>
ゆっくりと機体が空港内を移動している。タイのバンコクに来るのはこれが2回目である。1回目は仕事で、3年半程前に来たが、その時にはこのスワンナブーム国際空港はまだ出来ていなかった。前のバンコクの国際空港は、ドンムアン国際空港である。スワンナブーム国際空港が出来てからは、閉鎖されていたと聞くが、今は再開されているらしい。
時刻は既に現地時間で17時を過ぎている。着陸からかなりの時間空港内を移動していた。着陸から10分程でやっとターミナルに到着し、機体が停止する。少しして乗客が降り始める。
ターミナル内に入ると、新しい空港らしく、香港や北京第三国際空港、関西空港などと造りが非常に似ている。到着したウイングのゲートからターミナルの中心部に向かう。かなり長い通路が続いている。その通路を歩き、やっとターミナルの中心部に到着したのかと思った所はまだウイングの付け根部分で、そこがトランジットエリアになっている。まだ、ターミナルの中心部分に向かうには、更に長い通路が続いていた。
途中に免税店なども並ぶエリアを通過し、やっとの事、通関エリアに到着したが、そこは人だかりの山であった。非常に多くの通関口があるのも係わらず、窓口毎に10m以上の列が出来ている。これでは、通関に30分以上を要する可能性がある。 -
時刻は既に17時15分である。また、先程までは歩いていたので、あまり感じなかったが、やはり空港内でもかなり暑い。もうトレーナーなどは着ていられない。トレーナーを脱ぎ、腰に巻き付け、列に並ぶ。
窓口が2つあるので、2人の係官がいるのかと思ったら、ひとつの窓口は使用されておらず、2列並んでいるのが、窓口手前で1列になっている。その列で待つこと30分、やっとの事順番が廻って来た。
窓口では質問される事もなく、無事通過し、急いで荷物受取所に向かう。また、運悪く、並んだ通関口から荷物受取所の出てくるターンテーブルまでが遠かった。
荷物受取所では比較的スムースに荷物を見つける事が出来、急いで出口に向かう。
パンフレットで待ち合わせ場所の出口を確認すると、またまた荷物受取所からかなり離れた所である。そこまで急ぎ足で向かう。手前の税関に申告するものもなく、そのまま出口へ。出口を出たすぐの通路脇にHolidayツアーの看板を見つけた。その看板を持った人に駆け寄り、名前を告げる。通路を抜けて、こちらへ来るように促されて、通路を抜ける。そこにもうひとりの人が居て、日本語で名前を聞かれる。
名前を告げると他のツアー客を集めている。どうも私が最後の様だ。
今回のツアーを共にするメンバーが集まってきた。私を含めて合計6人である。私と若い男の子の3人組、OLの女の子の2人組である。遅れた事を謝し、みんなでガイドの人について歩く。すでに予定よりもかなり遅れている様である。念のため、ガイドの人に今晩の観光の前にホテルへ立寄るのかどうかを確認するが、やはり予定がかなり遅れている事もあり、ホテルへ寄る時間はないと言う。
空港のターミナルを出るとすごい熱気に襲われる。さすがに暑い。それも雨が降った後でもあるためか、非常に蒸し暑い。先程の通関の待合場所で、トレーナーを脱ぎ、長袖のシャツをたくし上げているが、それでも暑い。その熱気に耐えながら、今回のツアーの移動で乗るワゴン車を待つ。沢山の観光バスやワゴン車が周りには停まっている。少し待つと大きめのワゴン車が我々の前に止まった。 -
<アユタヤへの道中>
意外にも非常に綺麗な車である。車種はトヨタのハイエース コミューターである。
私以外は後部の荷物入れに、みんなの手荷物を入れ、車に乗り込む。私は荷物と共に一番前の席に座った。
ガイドの人も私の横に乗り込み、車は出発する。
ここで、ガイドの人がまず自己紹介を始める。ガイドの人の名前は”パン”さん。これから3日間を共にする事になる。
ここでパンさんが、今回のツアーの旅行予定表をみんなに出す様に言う。みんなで旅行予定表を出す。
パンさんが今回のツアー内容の確認を取り出した。今日、これからの予定から明日以降の日程などについて事細かく確認する。我々も旅行予定表の内容を確認し、了解する。
ワゴン車は市内の道路から高速道路に入る。しかし、この高速道路が大渋滞である。しかし、パンさん達は当たり前の様に何とも感じていない様だ。タイも日本と同様に車社会である。これくらいの渋滞は当たり前なのかもしれない。しかし、高速道路だというのに遅々として進まない。
ここでツアー旅行恒例の注意事項がパンさんから告げられる。内容は次の様な事柄である。
①タイと日本の時差は2時間である。
②水はミネラル水しか飲めない。各宿泊ホテルに置いてあるビン入りのミネラル水は無料。
それ以外のものは有料。
③タイの紙幣は5種類。1000、500、100、50、20。
④観光地での物売りに注意。最近、この物売りとの金銭トラブルが多発している。
安易に買わない事。要らないのであれば、”No Thank You”とハッキリと言う事。
⑤バザールなどの人が混雑しているところでは”スリ”に注意。
このような話を行なっている間も高速道路の渋滞を一行に抜けられる気配がない。
前方を見ると、薄暮の状態の道路で、車のテールランプの赤いランプが延々と見えるだけである。まだ、かなり先まで渋滞が続いている。
この渋滞の間に、パンさんと会社の工場が、ラ・ヨン県にある事などを話す。
タイはすべて県制で、76の県がある。バンコクも県、これから行くアユタヤも県である。この点でも日本と似ている。また、タイにも兵役の義務があるが、これは抽選制で、赤い玉と黒い玉が入った箱から玉を取り出し、”赤い玉”なら兵役、”黒い玉”なら免除になるという。パンさんは運良く”黒い玉”を引当、兵役は免除になったとそうだ。
それ以外にタイでは、仏教への帰依が行なわれる。これはすべての成人に課せられ、成人すると2~3ヶ月間お寺で修行と仏教の勉強を行なうという。タイは小乗仏教の国で、戒律などは日本の仏教に比べ、格段に厳しいらしい。
この渋滞の中を30分程とろとろ動いて、やっとの事この渋滞の原因である料金所に辿り着いた。
この料金所を抜けると比較的スムースにワゴン車が走り出す。それでも先程の渋滞で車の数は多い。その中を縫う様に器用に走る。その内に郊外に出るにつれ、車の数も少なくなり、時速もグンと上がる。
後から運転席を覗き込み、速度を確認すると130kmを超えている。
しかし、時刻はすでに18時40分である。
この高速道路は非常に親切に案内板が出ている。非常に多く分岐点が出てくるが、非常に判り易く案内板が設置されている。幾つかの分岐点で方向を変え、高速道路を走る事20分強で、高速を降りて、幹線道路へと入る。この幹線道路も片側3車線の非常に広い道路で、ここも案内板などが非常に親切に出てくる。
また、信号機が日本とは大きく違う。まず縦型である。それに黄色がない。緑(青)と赤のみ。面白い事に矢印のところもある。直進なら下向きの矢印、右折なら右向きの矢印が緑や赤で示される。
大きな道路が交差するところは中国と同じ様にロータリー(右回り)になっている。各国の良いところを取り入れた感じである。そして幹線道路に下りてから、観光バスが多く見受けられる。
それもどのバスも独自のペインティングを施されたバスである。
パンさんに『あのバスはどこのバスなのか?』と質問すると、『あのバスはすべて会社や工場などの送迎バスです』と言う。 -
タイでは、自動車以外の交通網が発達していない為に、自家用車を持たない人は、あのような送迎バスを利用しているという。
それにしても非常に派手なペインティングを施したバスが多い。それも非常に沢山走っている。図柄が非常に様々で、アメリカや日本のアニメものもあれば、ディズニー、風景、女性(日本の舞子さんなどの図柄もあった)、勿論タイ独特の図柄(なにを表しているのか日本人には判らないものもある)もある。誰の趣味でこの様な図柄のペインティングをしているのかを疑いたくなる様なものまである。
それともうひとつ気がついたのが、ガソリンスタンドにコンビニが多く併設されている事である。
日本でも最近見かける様になったが、見ている限りタイでは、ガソリンスタンドの半分くらいにコンビニが併設されている。また、そのコンビニもセブンイレブン(日本と店の柄などは同じ)が8割方を占めている。
アユタヤの街に近づいてきたのか、道の両サイドに店が多くなってきた。時刻は19時10分になろうとしている。その内に前方に塔の様なものが見えてきた。
これはタイの各地にある”チェディ”というセイロン風の仏塔である。日本にも似た様なものは存在するが、これ程大きなものはそんなにない。日本では、戒壇(仏教への帰依者が悟りを開く場所)にこの様なものが造られていたり、また仏舎利(舎利塔)もこの形である。近づくと、丁度道の真ん中に建っている。道路はこの塔を中心に交差し、この塔の周りはロータリーとなっている。また、この塔の下には、四方に国王の肖像画が置かれ、祭壇のようになっている。あとで判ったが、これがアユタヤの玄関口に建つ“ワット・サンプレアム”というチェディである。
このロータリーを直進し、周りには建物も多くなり、街が近づいている事を感じる。
その内、川に架かる高架道路に差し掛かる。この高架道路がアユタヤの中州への入口である。アユタヤはチャオプラヤー川の支流に囲まれた中州の中にある。この高架道路を過ぎると大きな建物が見え出す。
しかし、時刻は19時30分を過ぎている。
パンさんが、『もう少しで夕食場所に到着します。みなさんお腹が空いたでしょう?』と言う。
みんなでお腹が空いたというと、『今晩はタイの一般的な家庭料理です。』と答えた。
ワゴン車がアユタヤの街に入り、一回右折を行なったところで、ライトアップされた遺跡が見えてきた。
先程の”チュディ”の遺跡である。そのライトアップされた遺跡をワゴン車の中から見ていたが、ワゴン車がまたまた右折の為に道路中央に停止する。その右折した道路脇に今日の夕食場所の店があった。
その店の前にワゴン車が着けられ、みんなで下りる。
ここが、”Ruen Rojjana Thai Restrant”である。 -
<タイ料理の夕食:Ruen Rojjana Thai Restrant>
みんなで店の中に向かう。店の入口付近には、テラス席があり、幾つかのテーブルが置かれている。その席には外国人の観光客らしき人達が数人、食事をしている。我々は店の中の座敷の様な席に2組(女の子の2人組)と、私と若い男の子の3人組に別れる。
パンさんによるとコース料理で次々にタイ料理が出てくるという。
座布団代わりは南国らしく竹で編まれた敷物が席に置いてある。それを敷いてみんなで座る。
まず、パンさんが飲物は別料金である事を告げ、みんなに何を飲むかを聞いて廻る。そして、店の女店員がそれを聞いて筆記している。
ふと、その女店員を見ると、何とハッとする程の可愛らしいである。少し色黒(暑い国なので、日焼けしているのであろう)ではあるが、日本に来ればアイドルに成れるくらいの可愛らしさである。
その女の子にメニューを見せながら、各々の飲物を注文する。女の子はタイの民族衣装を着ているが、スタイルも抜群である。
写真を撮りたく、パンさんにOKかを聞いて貰ったが、恥ずかしいそうで拒否をされた。残念である。
その女の子が気になりながら、まず注文した飲物が出てくるのを待つ。
程なく、注文した飲物が出てきた。私はスイカジュースを注文した。比較的大きなグラスに入ったものが、先程のかわいい女の子とは別の女の子が運んできた。各々注文した飲物を受取る。
その後、お気に入りのかわいい女の子が竹で編まれたお櫃を抱えてやってきた。そして各自のお皿にご飯を
よそい始める。近くで見れば見る程、可愛らしい。一通り、ご飯を配り終わり、また店の奥に戻って行った。
我々は飲物が来たので、若い男の子3人組と取り敢えず、乾杯をした。ここで3人組と話を始める。3人組は、学生かと思っていたが、社会人で、同じ会社の同僚で、釣り仲間であるという。
今迄は、国内でいっしょに釣りに行く事ばかりであったらしいが、今回初めて3人で海外旅行に来たという。
海外旅行が今回初めての人もいた。非常に3人共に礼儀正しい若者であった。私が世界遺産巡りを行なっている事を話すと非常に興味を持った様子で、次から次へと各人が色々と質問をしてくる。その様な話をしていると最初の料理を先程の可愛らしい女の子が運んできた。スープである。パクチーの匂いが目の前に出されなくても匂ってくる。世界三大スープのひとつである、”トム・ヤン・クン”である。
目の前に出されると更にパクチーの匂いが増す。私個人的には、どうもこのパクチーの匂いや味は好きになれない。しかし、折角タイに来て、タイの名物料理のひとつでもあるので、恐る恐る飲む。辛さは然程でもないが、かなり酸っぱい。それとやはりパクチーの匂いが強い。少し飲み、具の海老などを食べて、スープを飲むのを止めた。やはりこれ以上は飲めなかった。
その後、暫く料理が出て来なかったが、次の料理である。ちまき風の料理が出てからは次々に料理が出てきた。出てきた料理は以下の通りである。 -
①トム・ヤン・クン(非常にパクチーの匂いが強い辛い酸っぱい海老スープ)
②タイ風唐揚げ(ちまき風に笹の葉に包まれた唐揚げ。少し味が付いている)
③タイ風オムレツ(オムレツの具には、ヤングコーン、玉葱、人参、さやえんどうなどを
ケチャップ味で炒めたもの)
④青菜(空芯菜)の塩炒め
⑤タイ風揚げ春巻き(具には、春雨を醤油で炒めたものが入っている)
⑥魚の生姜醤油蒸し(さっと揚げた魚を生姜醤油の出汁をかけて蒸してある)
⑦フルーツ(すいか/パイナップル)
⑧コーヒー
あの可愛らしい女の子が気になり、食事があまり進まなかった。あまり、私がその子を見るので、その子が勘違いをして、ご飯のお櫃を持ってきて、お皿にご飯を追加してくれた。
若い男の子達は気づいていなかったのか、それとも料理の味が気にいったのか、黙々と食事をしている。
みんなかなりの量を食べている。結局、私は各々の料理を一口ずつ食べた程度で食事を終えた。
最後に可愛らしい女の子とは違う別の店員の女性が来て、コーヒーか紅茶かと聞いてくる。私はコーヒーを頼んだ。
ここで、パンさんが現れ、あと5分で食事を終えられるかと聞いてくる。我々はなぜなのかを問うと、遺跡のライトアップが21時迄であり、もう時間があまりないと言う。
時計を見ると、時刻はすでに20時20分を過ぎている。
我々は問題ない旨を伝え、早々に注文した飲物の精算(スイカジュースは、90バーツであった)を行い、コーヒーを飲み干し、席を立つ。
最後に可愛らしい女店員に手を振ると振り替えしてくれ、その女店員に見送られて店を後にした。
店の前には、すでにワゴン車が待機している。それに各自乗り込む。
乗り込む前に店の全景を写真に収めようとしたが、店の看板が明る過ぎて上手く撮れなかった。それを見て、パンさんが店に戻り、ワゴン車に乗り込んでいる我々に店の絵はがきを持ってきてくれた。ワゴン車が店の前の道路を走り始める。
前方に明るい地域があるので、何かと目を凝らしていると、パンさんが、『中国系の人達の旧正月のお祭りですよ!』という。
丁度、今日が春節の最終日である。その脇を通り、ワゴン車が遺跡を目指す。 -
<ライトアップされたアユタヤの遺跡群>
店前からワゴン車が走り出して数分で、道路脇に停車する。ここで下りる様だ。
見れば、先程食事をしたレストランとは目と鼻の先程のところである。この道路沿いから見える遺跡がライトアップされた“ワット・マハタート”である。
どうも遺跡の中に入る訳ではなく、この様に道路脇からライトアップされた遺跡を見学する様だ。ここは明日の観光予定には入っているので、その際に中を詳しく見る事が出来る。
各々思い思いに写真を撮る。少し、ライトアップされた遺跡が遠いのと、三脚などがない為に上手く写真が撮れない。みんなも同様だ。道路を挟んだ反対側にもライトアップされた遺跡が、木々の間から見えている。この遺跡は、“ワット・ラーチャブラナ”であるが、道路からは木々が邪魔してはっきりとは見えない。
みんな写真を撮り終えたところで、再びワゴン車に乗り込み、次のライトアップポイントに向かう。
今度は、5分くらい走ったところで、またまた道路脇にワゴン車が停まる。
ワゴン車を下りると目の前にライトアップされたクメール様式の仏塔(カンボジアのアンコール・ワットなどでも良く見た)とチェディが見えている。
ややこしいが、タイには2種類の仏塔が存在する。
ひとつは、“チェデイ”と呼ばれるセイロン様式の仏塔である。これはタイではポピュラーな仏塔で至る所でみる事が出来る。
もうひとつは、クメール様式の仏塔である。この仏塔は古い遺跡にしか存在しない。今後は、チェディと仏塔という表現で2つを区別する。 -
見えている遺跡が、“ワット・プラ・ラーム”である。この寺院跡は明日の観光日程には入っていない。パンさんに聞くと、この遺跡は比較的大きな遺跡ではあるが、あまり人気がなく、観光コースにはあまり入らないと言う。
この“ワット・プラ・ラーム”は、1369年に建てられたクレール様式の寺院である。この寺院は、アユタヤ王朝の初代の王の“ウー・トン”のお墓として2代目王の“ラームスエン”により建てられた。
ここで、簡単にアユタヤ王朝についての知識を記載する。
アユタヤ王朝は、1351年に初代王の“ウー・トン”候がアユタヤに都を移し、自らを“ラーマティボディ1世”と名乗り、王国を築いた事から始まる。以降、34人の王による統治が約400年(1351年~1767年)続く一大王朝となった。しかし、王朝の歴史は平穏なものではなく、初期の時代は、クメールやチェンマイ、16世紀中頃からはビルマなどの侵略を受け、戦争の連続であった。一時はビルマの属国となったが17世紀初頭に政権を取り戻した。
ビルマなどとの度重なる戦争で、破壊された寺院などが現在の遺跡である。
しかし、戦争などの反面、アユタヤは中国、インド、西欧の国々や日本などとの交易も盛んに行われた国際商業都市としても栄えた。しかし、1765年に再びビルマの侵攻を受け、2年間の戦争の後、王朝が滅亡した。
ここも中に入る事なく、道路の歩道から垣根越しに写真を撮る。しかし、距離がある事もあり、やはり三脚無しでは上手く撮れない。暫くして、この道路を渡り、反対側の歩道を歩き出す。その歩道の奥に何やらライトアップされた像が見えている。
パンさんに聞くと、これが”ウー・トン”王の像である。ライトアップされて肉眼では非常に綺麗に見えるが、カメラで撮影するとやはり焦点がボケたり、周りが明る過ぎたりで、上手く撮れない。その前を通り過ぎ、更に歩道を歩くと、前方にまたまたライトアップされた遺跡群が見えてくる。
これが、アユタヤの遺跡で最も有名な”ワット・プラ・シー・サンペット”の遺跡群である。
その遺跡群も囲われた塀の外からの見学である。塀に近づくと、何かが塀の上にいる。驚いて良く見ると、犬が塀の上に寝そべっている。辺りにあまり外灯もないので、最初は何がいるのか非常に驚いた。
その犬の脇を通り抜け、更に遺跡に近づく。するとこの遺跡を囲む様にレンガの塀がある。この塀迄で中には入れない様だ。近くに入口らしきものはあるが、今は誰も居らず、閉まっている。
丁度、塀越しに、3つのチェディが縦並びに見えている。少し遠いが幻想的な情景を演出している。 -
塀のすぐ近くにも、仏塔跡らしきものがあるが、破損が激しく、殆ど原形を留めていない。
この塀越しに遺跡の方向にカメラを向ける。
丁度、この塀が三脚代わりになり、幾つかの写真はブレる事なく撮ることが出来た。ここが、このライトアップ観光の最終場所である。時刻は20時50分を過ぎている。ライトアップは21時迄と聞いているので、もう少しで終了である。
思い思い写真を撮り、またパンさんに記念写真を撮って貰い、この遺跡を後にワゴン車に戻る。
これで今日の観光の予定は終了である。ワゴン車は今日の宿泊先のホテルに向かう。
今日の宿泊ホテルは、このアユタヤを取り巻くチャオプラヤー川の支流のひとつであるパサック川の川岸に建つ”クルンスリーリバーホテル”である。パンによれば、5分程で到着すると言う。 -
<アユタヤ宿泊のホテルとその周辺>
ワゴン車は夜のアユタヤの街を抜け、一路ホテルへ向かう。
程なく、ここへ来る途中に渡った高架道路が見えてきた。その高架道路には上らず、その脇の側道をワゴン車は下りる。下り、前方の突き当たりを左折すると、前にホテルの玄関が見えてきた。その玄関にワゴン車が上る。上っていったのは、2階にこのホテルの玄関口がある為である。玄関前でワゴン車を下り、ホテルへ入る。ホテルのポーターが荷物は運んでくれるので、我々とパンさんが手ぶらで、ホテルのロビーへ移動する。
ロビーにてパンさんが全員のパスポートを集める。それを持ち、ホテルフロントにてチェックインの手続きを行なう。いつもながら思うが、ツアーでガイドさんが要れば、チェックインなどの手続きを自分で行なわないで済むので非常に楽である。
我々は、ホテルより出されたウエルカムドリンクを飲みながら、パンさんのチェックインの手続きを待つ。出されたウエルカムドリンクは何のジュースか飲んでもあまり判らなかった。色はオレンジ色なので、何か柑橘系の果物のジュースなのではないかと思うが?程なく、パンさんが我々のところに戻り、ホテルの説明を始める。部屋は8階である。各自、部屋に入ったらエアコンやお湯などを確認する様言われる。また、パンさんもこのホテルに宿泊しているのでルームナンバーを控え、用事や何かあれば電話をする様に言われる。それから、明日の朝食場所は、このホテルの1階(このロビーの下)のレストランである事を教えられ、また集合時間はこの場所に9時であると言われ、説明が終了する。別れ際にホテル近くのコンビニの場所を教えて貰い、みんなでエレベーターに乗り込む。8階に到着し、各自の部屋番号を確認し、各々の部屋に入る。部屋は当然の様に並びである。部屋に入り、エアコン、お湯を確認し、ポーターの持ってくる荷物を待つ。程なく、部屋にポーターが荷物を運んで来てくれた。チップとして20バーツ(約60円)を渡す。
ホテルの窓から外を見ると、中庭にはプールがある。やはり南国のホテルらしい造りである。その後、着替えもせず、そのままの格好で、先程聞いたコンビニまでこのホテル周辺を散策する事にした。
ホテル玄関を出て、コンビニのある方向へ歩き出す。もう時刻は21時30分になっているので、人通りもない。歩道もない道を進むと道路脇には、バラックのような家が並ぶ。中には店をやっている家もある。看板などの出ている場所もあり、その様なところはまだ開いている。見ると、マッサージと日本語で書かれた店の看板もある。観光客相手にやっている店なのか?また、暗くて最初は判らなかったが、至る所に犬が横たわってグッタリとしている。バラック家の前で横たわっているので飼い犬なのであろう。この様な犬が非常に多いので怖い気がする。
更に少し歩くと橋に差し掛かる。アユタヤの街の外辺部はチャオプラヤー川の支流などが運河の様に入り組んでいる。そのひとつの支流(名前も付いていない様な)のひとつに架かっている橋である。それを渡る。
すると数件の屋台が出ている一際明るいところに到着する。ここがコンビニであった。
看板などからセブンイレブンである。飲物などを調達する為にそこに入る。コンビニ内は日本のコンビニと店の造りや置いてある物も大差ない。しかし、置いてあるものは勿論地元のものである。店の中をどの様なものが置いてあるのか物色しているとパンさんを発見した。声をかけるとやはり私と同様に飲物(パンさんの場合は麦酒とミネラル水であったが)とおつまみのお菓子を買いに来たそうだ。私も飲物などを買う為に冷蔵庫を覗き込むが、ジュース類は何のジュースか良く判らないものが多い。
散々考えた挙句に、ミネラル水2本と紙パックの小さな果物ジュースのものを買い、お菓子に小さな袋の”タイ風かっぱえびせん”の様なスナック菓子を購入した。全部で67バーツ(約200円)である。
コンビニを出て、そこから更に先に行こうと考えていたが、見れば外灯も少なく、人通りも殆どなく、時刻も22時近くになっているので、ホテルに戻る事にした。
先程通ってきた道を戻る。先程までは開いていたバラック家の店々も既に閉まっている。
丁度、帰りの道の途中でツアーの若い男の子の3人組に出会う。彼らもコンビニに買い物に行くと言う。私もコンビニで買い込んで来た事を話し、先にホテルへ帰った。
もう22時を回っているので、早々にシャワーを浴びる事にした。荷物から必要なものを出し、シャワーを浴びる。浴室を出て、テレビを点けるもドラマやニュース番組はどれも当たり前であるが、タイ語でやっている。取り敢えず、時刻だけの確認の為、時刻表示のある番組を見ながら、頭などの乾くのを待つ間に、コンビニで買い込んで来た果物ジュースを飲む事にした。何のジュースか判らなかったが、どうもライチとマンゴスチンのジュースである。それらを飲みながらスナック菓子を食べる。このスナック菓子は”かっぱえびせん”と形も味も、そっくりである。
今日は移動などの疲れもあるので、明日はそんなに集合時間は早くはないが、早々に寝る事にした。
11時過ぎに床に着き、タイの観光ガイドを見ている内にいつの間にか寝てしまっていた。
今回はここまで!
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