2010/02/19 - 2010/02/22
1229位(同エリア1810件中)
パンダ番長さん
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- Q&A回答0件
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- フォロワー2人
タイ旅行の3日目(最終日)。バンコクの寺院巡り。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 3.5
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
-
<ホテルでの朝食と待ち合わせ>
朝6時に起床する。昨日は疲れていたのか良く眠れた。早速、顔を洗い、ラフな身なりで朝食を取りにレストランへ向かう事にする。このホテルのレストランは、3階にある。
朝食の為に昨日チェックインの際に渡された朝食用のカードを持ち、部屋を出てエレベーターに乗り込む。降りる際には、キーカードを差し込まなくても、ボタンが押せる。
3階に到着し、レストランを探す。かなり大きなレストランで直ぐに判り、入口で朝食用のカードを提示し、中に入る。まだ、あまり人がいないので、席は殆ど空いている。
2人掛けの席にカメラを置き、料理の並ぶエリアに移動する。
どのホテルでも大概置いてあるものは同じで、このホテルでも西洋風の料理が中心で、別の一角にタイ料理が置いてある。
まず、いつもと同様にハムやベーコンなどと目玉焼き(これはコックがその場で注文に応じて焼いてくれる)、野菜などを取った。ポテトサラダも置いてあったので、これも取り、席に置く。
パンは胚芽入りの食パンを焼く。あと飲物はグァバジュースを取り、席に着く。 -
特に美味しいものはないが、意外に美味しかったのはポテトサラダである。味が薄めで、馴染みの味である。
これらを平らげ、再び料理を取りに行く。今度はタイ料理を食べるつもりである。
見るといかにも辛そうな料理ばかりである。また、スープとしてトム・ヤン・クンも置いてある。
その中で、御粥の様なスープがあったので、それを取り、その上に辛く見える鶏料理を載せて席に持ち帰る。それを食べると、この御粥風のスープは鶏がらのスープで、非常に美味しい。これだけでも充分美味しい。
辛いと思っていた鶏料理もそれ程でもなく、美味しかった。
最後にフルーツとして、パイナップルとすいかを取り、食べているとOLの女の子2人組がレストランに現れた。私には気が付いていない。
食べ終わり、席を立ち、帰る途中でそのOLの女の子2人組に挨拶を行い、レストランを後にし、部屋に戻った。
帰りのエレベーターではキーカードが必要になる。キーカードを差込、10階のボタンを押す。
部屋に戻ると、時刻は丁度7時であった。
カーテンを開け、部屋から見える景色を確かめる。しかし、市内の中心地に位置するのか、周りで見えるのは高層ビルばかりである。
集合が8時なので余り時間もない。荷物の整理をし、今日持ち歩く物のみを選別する。また、冷蔵庫に入っているミネラル水を持ち歩く為のペットボトルに移し変える。暑いので、水を携帯しないとやっていけない。
これらを済ませ、身支度を始める。今日は、パンさんからも言われており、半ズボンでは入れない場所がある。長ズボンを出し、それに履き替える。身支度を済まし、少し休憩を取ったが、少し早めの7時45分に部屋を出て、1階ロビーに降りる。
1階のロビーのソファでパンさんが同僚の通訳の人と話をしていた。朝の挨拶を済ませ、チェックアウトに付き合ってくれる。冷蔵庫などの飲物などについて聞かれるが、何も飲んでない旨を伝え、チェックアウトを済ませる。少し、両替をしたく、フロントで両替を行なって貰う。それに少し時間を要した。その間に、OLの女の子2人組が現れ、私の両替待ちとなった。両替を終え、ワゴン車にみんなで乗り込む。
これから若い男の子の3人組を迎えにシェラトンホテルに行く。 -
<観光前のハプニング>
シェラトンホテルには、20分程度で到着する。パンさんが我々を残し、若い男の子3人組を迎えに行く。今日も天気が良く暑くなりそうだ。程なく、パンさんといっしょに3人が合流する。3人が乗り込み、パンさんも乗り込むのかと思うと、『ちょっとトイレに行ってきます。』と言い残し、ワゴン車のドアを閉める。
ドアの閉まる音を聞いてワゴン車が動き出す。
パンさんを待たなくてもいいのかとは思ったが、どこか適当なところで待ち合わせているのであろう。
ワゴン車は路地を何度も曲がり、大きな通りに出る。前には日本の中華街にもある中国風の門が見えている。この門は牌楼という。この辺りが、バンコクの中華街である。春節の飾りがまだところどころに残されている。
しかし、パンさんとどこで待ち合わせているのであろうか?どんどん先程のシェラトンホテルから遠ざかっている気がする。さすがに不安になり、みんながざわつき始める。それで運転手に声をかけて、後ろを向いた時に運転手もパンさんがいない事に気が付いた様である。驚きの声を上げ、照れ笑いをしながら、頭を書いている。ここでみんなも爆笑する。みんな、どこかでパンさんと運転手が待ち合わせしているものと私と同様に思っていた様だ。
それと同時くらいにパンさんから運転手の携帯に電話が入った。話をして、道を変える。
ガイドが置き去りになってしまった前代未聞のハプニングである。
中華街の春節の飾りで華やかな大通りから路地を抜け、昨晩の渋滞を起こした路地にワゴン車が入る。ここを抜ければ、シェラトンホテルはもう直ぐである。昨晩に若い男の子3人組の降りた場所に、パンさんが待っていた。そこでパンさんをピックアップする。
パンさんが何か運転手に話をしている。文句を言っているのであろう。会話が終わり、ワゴン車が再び同じ路地をもう一度、走り出す。するとパンさんが私の方を向いて、手振りで”クルクルパー”と運転手を指してやっている。
<ターティアン船着場へ>
再び、中華街の門を潜り、ワゴン車は春節の飾りが残る中華街の大通りを進む。この通りはヤオワラート通りという。通りの両サイドは迫り出した中国語の看板で埋め尽くされている。
パンさんがこれからの予定の説明を始める。
これから、船着場へ行き、中洲の島に渡るという。ここに”暁の寺院”と呼ばれる”ワット・アルン”がある。この中州への渡し船の乗り場に向かっている。
ワゴン車は中華街を抜け、市内の賑やかな通りを進む。するとチェディの並ぶ寺院が見えてくる。
今日の観光予定の寺院群である。それらの脇を抜け、ワゴン車はその寺院の白い壁沿いの道を走る。その壁沿い、道を曲がったところでワゴン車が停まる。ここで降りるという。
ワゴン車を降りると独特の臭いがする。それも魚の生臭い臭いである。見ると。道路を挟んで、通りに面して店や屋台が沢山並んでいる。様々な店があり、それらの臭いが入り混じっている。
その中を通り、船着場に向かう。見ると、干し魚が多い。その臭いがしているのである。色々な魚が並んでいる。前の川で捕れる魚類なのであろう。
また、朝の時間帯なので、屋台の食べ物屋も流行っている。それらの人集かりの間を縫って、船着場に向かう。木造の外見は立派な建屋が船着場の建屋である。特に切符売り場以外は何もない。 -
途中通路でおじさんが地べたでものを売っているくらいである。
パンさんがみんなの切符の購入に走る。少し通路脇で待ち、パンさんの指示でひとりひとり船着場の回転扉を入る。簡単な桟橋が造られており、その先に小さな観光船のような船が停泊している。それに乗り込む。
船から対岸にある”ワット・アルン”の仏塔が良く見える。
桟橋は意外に揺れが大きい。通路の手摺を辿らないと真直ぐに歩けない。少し風が強く、波が出ている。
やっとの事船に到着し、乗り込む。 -
船には座る場所は殆どなく、船の後と前に数席あるのみで、立って乗るのが普通の様だ。
船が出る前に鐘などが鳴ると思っていたが、何の前触れも無く船は桟橋を離れ始めた。船には、30人くらいの人が乗っているが、殆どが日本人である。
チャオプラヤー川は大きな川ではあるが、対岸の船着場は見えている。途中で、何艙もの漁船とすれ違う。漁船と言っても日本の漁船とは少し違う。カヌーを大きくした様な船である。それにエンジンが着けてあり、猛烈なスピードで川を行き来している。川では何が取れるのであろうか?
後でパンさんから聞いたが、チャオプラヤー川の渡し場は、ここ以外にも幾つもあるそうだ。
その様な漁船を見ていると、もう対岸に着いている。慣れた操縦であっという間に船が桟橋に接岸された。 -
<暁の寺院、ワット・アルン>
この対岸の船着場の前がもう寺院である。
船着場を出て、少し歩くとこの寺院のもう境内に入っている。
パンさんがトンブリー王朝のタクシン王の像の前でこの寺院の説明を始める。
この”ワット・アルン“は、アユタヤ王朝時代には、”ワット・マコーク“と呼ばれる小さな寺院にすぎなかったが、トンブリー王朝のタクシン王が、この地にヴィエンチャン攻略での戦利品であるエメラルド仏を祀る王宮寺院を建てる様にチャクリー王朝の創始者であるラーマ1世に命じた。
タクシン王が亡くなると、トンブリー王朝は終了し、ラーマ1世によるチャクリー王朝(現在のバンコク王朝)が開かれた。
その後、この寺院は、ラーマ2世、3世の時代に増築され、中心の大塔は高さが75mに、そして大塔を中心に4つの小塔が取り囲み、須弥山を現している。
この様な説明を受けた後に、この像の前で記念撮影を行い、その後、この中心の大塔周辺へ入る為にパンさんが手続きを済ませる。 -
パンさんの説明には無かったが、日本人で純文学の好きな方なら、この寺院は三島由紀夫の小説『暁の寺』の題材となった事でも有名である。
パンさんについて、大塔の下に行く。大塔の下に来るとその大きさが良く判る。遠くから見た時は色鮮やかな塔であると思っていたが、近くまで来ると意外に装飾は雑である。
大塔を中心に四方に小塔が並び、その下に中国風の武神像が何体も並んでいる。また、その脇には、動物の像も置かれている。良く見ると、十二支の像である。
日本の十二支とタイの十二支では、少し違う。
タイには、イノシシが居ないので、その代わりに豚が入っている。塔の周りを一周し、それらの像を確かめたが、どうも形だけでは想像出来ないものもあり、どの像がどの動物に相当するのかは判らないものも多い。
それから、ここでパンさんから20分間の自由行動にする事が告げられる。 -
ここの大塔に登るも良し、周りを見て回るも良しであるが、大塔の途中まで登る事にした。みんなで登り始めるが、階段は急勾配で途中まで登るのでもやっとである。
塔には、ガルーダやアシュラ、猿(ハヌマーン)などの像が見える。塔を支える像として装飾の一部になっている。遠くから見ると色鮮やかである。その色鮮やかな細部は、どれも陶器である。無数の陶器の破片で模様が造られたている。
花なども陶器の皿を利用して造られている。
-
しかし、近くで観ると非常に雑で、お世辞にも綺麗とは言えない。
大塔の途中まで登り、それ以上登るのを諦め、そこからの眺めを楽しむ。その後、塔を降り、パンさんが指定した集合場所に向かう。
まだ、誰も集まってはおらず、パンさんだけがそこに居た。朝の早い時間でもないのに、あまり観光客はいない。パンさんに聞くと、この寺院はいつもこの程度の人であると言う。
少し、この寺院について話をしていたが、みんなが直ぐに集合したので、この寺院を後にする。 -
再び、先程の船着場に向かう。途中、若い男の子の一人と大塔の像などについて話をする。私からインドの叙事詩に出てくる神々である事を教えるともっとその様な事を知っていれば、見方も変ったのにと悔しがっていた。
帰りの船も行きと同様で、ほんの数分で対岸のターティアン船着場に戻る。船を下り、また屋台の並ぶ道を抜ける。この屋台の店で、パンさんがみんなにミネラル水を買って与えてくれた。
今日も気温が上がり出している。パンさんも自分が水分を補給したかった様だ。買ったミネラル水をがぶ飲みしている。時刻は既に10時を過ぎている。
ここから、またワゴン車で移動するのかと思っていたら、ワゴン車を下りた白い壁で囲まれた寺院が次の観光場所の“ワット・ポー”であった。 -
<巨大な涅槃仏の寺院“ワット・ポー”>
寺院への入口付近で、パンさんが寺院の説明を始めた。
“ワット・ポー”の正式な寺院の名前は、“ワット・プラチェートゥポンウィモンマンカラーラーム=ラーチャウォーラマハーウィハーン”と非常に長い名前であるので、通常では、“菩提の寺”を意味する“ワット・ポー”と呼ばれているそうだ。
1788年にラーマ1世により建てられ、タイ最初の医学の大学でもあるという。
そして、この寺院の寝仏堂内には、高さ15m、長さ46mの黄金色の寝仏(涅槃仏)がある。
簡単な説明の後に、小さな門から寺院の中に入る。この寺院には幾つもの門があり、どの門も中国風の飾り付けが施されている。 -
丁度、我々が入った門はこの寺院の寝仏堂に入るのに一番遠い場所であった。
寝仏堂の入口に到達し、中に入ると、寝仏堂いっぱいに黄金に輝く涅槃仏が横たわっている。あまりにも大きく、入口付近では全体像すら判らない。
入口から寝仏堂の壁伝いに通路が造られており、それに沿い、涅槃仏の前に回る。しかし、寝仏堂の柱などがあり、その前からも柱の間から分断された涅槃仏を見るかたちである。
丁度、涅槃仏の顔の前辺りで、パンさんがひとりひとりの写真を撮影してくれる。
後で撮った貰ったものを見たが、やはり私自信は顔くらいしか撮れていない。あまりにも涅槃仏が大き過ぎて、それといっしょに写真に収まる事は非常に難しい。
この涅槃仏の周りの回廊を奥に進み、丁度涅槃仏の足の手前でやっと涅槃仏の全体像が見え、写真にも収められる位置に来る。そこで数枚の写真を撮る。 -
この涅槃物の足の裏にも特徴があり、須弥山の様子、捧げ物、神々などのバラモンの教えの真理を108面の区画に分かれた螺鈿細工が描かれている。
また、パンさんによれば、この足の裏が扁平に造られているのにも理由があり、この足裏の扁平は仏教的な超人の32の身体的な特徴のひとつであるそうだ。
この足裏を過ぎ、背中の部分の回廊の壁際には、托鉢用のお鉢が107個並べてあり、丁度最初のひとつが置かれている辺りでおじさんが、小銭の入った小さな茶碗の様なものを渡している。
パンさんに聞くと、ひとつの占いみたいな物で、20バーツ(約60円)を支払い、自分で好きな茶碗を選び、壁際に並ぶお鉢に一枚ずつ小銭を入れて行く。そして、その小銭が終了した場所が自分の寿命になるという。
最後まで入れる事が出来れば長寿になるというお遊びの様な占いである。
私もおじさんに20バーツを渡し、小銭の入った茶碗を選ぶ。そして壁際のお鉢に一枚一枚数えながら入れて行く。途中でパンさんが気を利かせてくれ、私の写真を撮ってくれた。
結局、最後まで入れても、なお多くの小銭が残っていた。長寿になれるのであろうか?
この寝仏堂を出ると、その右奥部分には、大きなチェディが3基見えている。 -
これらのチェディは、ラーマ1世から3世までのお墓である。
また、その前には、吹き抜けの小さな建物があり、そこには身体のつぼ(経絡秘孔)の図などが建物の梁の部分に幾枚も掲げられている。 -
この寺院のもうひとつの顔が、最初の医学大学で、タイ式マッサージ発祥の寺院である。そして、この寺院内には、本堂を挟んだ反対側の場所に、マッサージ場があり、そこで実際にマッサージを受ける事が出来る。
その建物を出ると、目の前に先程のチェディよりも更に大きなチェディが見えてくる。これがラーマ4世のお墓である。この様に王様のお墓は大きなチェディであるが、この寺院の境内には至るところに小さなチェディがある。これらは一般の人のお墓であったり、寺院の高僧のお墓であるという。 -
それらチェディの林立する中を進むと、丁度、先程のラーマ1世から3世までのチェディの裏手に、この寺院の本堂が見えてくる。最近改装されたのか、非常に装飾なども綺麗なタイ式建築である。特にうろこ状の屋根瓦と何重にも重なった屋根が特徴である。
その後、丁度本堂横にある門を出て、そこでワゴン車を待つことになった。
5分程度待ってやっとの事、ワゴン車が我々の待つ路地に到着した。我々のワゴン車が到着する前には、HISのバスやJTBのバスなどが先に現れ、観光客を乗せては出発をした。
我々も待つこと10分、やっとの我々の乗ってきたワゴン車が到着し、急いで乗り込む。
暑くなりかけているので、ワゴン車の冷房が気持ち良い。ここから次の観光場所に向かう。と言っても向かう先は、先程の寺院の隣に位置するエメラルド寺院と王宮である。 -
<タイで最も格式の高い王宮寺院の“エメラルド寺院”>
ワゴン車は“ワット・ポー”寺院の壁沿いの路地を抜け、大きなサナーム・チャイ通りに出る。
この大通り沿いに北に進むと右手に綺麗な公園が見えてくる。これがサラーン・ローム公園で、その先にもチェディが見えている。
更に北に進むと、左手には大きな白亜の塀が現れる。この塀の中が王宮である。
また、反対側の右手には、外務省の建物が、更にその北側にはその玄関前の広場に今では時代遅れの各種の大砲が並ぶ国防省の建物が見えてくる。その国防省の建物の辺りで、左に道を曲がり、ナー・プラ・ラーン通りに入る。この通りに入ると非常に車が多く、渋滞をしている。
このナー・プラ・ラーン通りを少し走り、右手の小路に曲がったところでワゴン車が停まり、ここで下りる。
下りた辺りは、人の波が出来ており、前には多くの店が並んでいる。
ワゴン車を下りて、先程のナー・プラ・ラーン通りに戻り、その通りを渡ったところに大きな門がある。ここがエメラルド寺院への門である“ウィセーツチャイシー門”である。
今日の服装は、この寺院と王宮に入る為のものである。短パンなどの軽装では、ここに入れない。
この門の脇には兵士がやはり立っている。門は多くの人で混雑している。
その門を入ると、更に驚いた事にその門の左手に多くの兵士が駐屯している詰所がある。また、反対側の右手には服装検査所もある。ここで、服装が適切でない人はタイ人であろうが、外国の観光客であろうが、これ以上中には入れない様である。
また、この先には記念写真スポットがある様で、盛んに団体客が記念撮影を行っている。見ると日本人などではなく、地元のタイ人の観光客の様である。 -
また、この寺院内に入ると2つの旗が多数はためいているのが目立つ。ひとつはタイの国旗で、もうひとつが現国王の黄色い旗である。この現国王の黄色い旗は、国王の誕生日の曜日に由来する。タイでは曜日ですべて色が決められており、黄色は月曜日で現国王の生まれが月曜日である為である。因みに各曜日の色は、日曜日が赤色、月曜日が黄色、火曜日がピンク色、水曜日が緑色、木曜日がオレンジ色、金曜日が水色、土曜日が紫色である。
以前にバンコクに仕事で訪れた時に現国王の在位60周年の記念日で、バンコクの街は黄色いシャツを着た人達で埋め尽くされていた事を思い出した。あの時は、車での移動に非常に苦労をした経験がある。
この様な事を思い出しながら、はためく旗と熱心に記念撮影を行うタイの人達を見ていたが、我々もパンさんにお願いし、その横で記念撮影を行う事にした。
また、この道の至る所に、この先にあるエメラルド寺院の入場券を売る人がいる。公然と売っているので、ここで購入しても問題ないのかも知れない。
我々は、それらの人混みを掻き分けながら、道を先に進む。門から100m程入った辺りで、左へ曲がる道が現れ、その道沿いに入場券売場がある。
ここでパンさんが入場券を購入し終わるまで少し待つ。時刻は11時近くになっている。それにしても非常に人が多い。特に外国の観光客が多いという訳でもなく、殆どはタイ人である。 -
パンさんが戻り、再び左への道を進む。すると、前方に入口らしき建物とその奥に門が見えてきた。
ここでパンさんより渡された入場券を提示し、半券をもぎ取られる。そして、入口付近に置いてある日本語のパンフレットを取り、門を潜る。
門を潜り、最初に目に付いたのは、大きな2体の像である。鬼の様な顔をした“ヤック”という境内を見守る神である。手に持つ剣を下に向けて立っている。日本の門などの仁王像にどこか似ている。
その“ヤック”の後ろに建つ大きなお堂がこのエメラルド寺院の本堂である。壁全面に彫刻や装飾が施されている。境内は更に多くの人で混雑している。
逸れない様にパンさんに付いて歩く。そして、人混みを裂け、境内の回廊脇で、この寺院の簡単な説明をパンさんより受ける。
この寺院は、1782年にバンコク遷都と同時に建てられた寺院で、正式な寺院名は“ワット・プラケオ”であるが、通称はエメラルド寺院と呼ばれている。これは、本堂に祀られている本尊がエメラルド色の翡翠で作られている為である。本尊の大きさは、高さが66cm、幅が48cmで、ラタナーコーシン(インドラ神の宝石)という名を持ち、年3回の季節の変わり目(乾季、暑季、雨季)毎に儀式が執り行われ、この本尊の衣装を国王自らが取り替えるという。 -
説明が終了し、再び人混みを掻き分けて、本堂の入口に向かう。途中で、パンさんがここで30分の自由行動にすると言う。待ち合わせ場所は、この本堂の左手の休憩所である。
我々は、本堂入口正面に回り、本堂に入る。本堂は土足厳禁なので、判りやすい場所に靴を先に脱いで置いて、そこから裸足で本堂入口に向かう。本堂入口も人でいっぱいでなかなか中に入る事も出来ない。
しかし、入口が本堂正面にあるので、そこからでも本尊であるエメラルド仏はかすかに見えている。
やっとの事、本堂内に入ると本堂内はその本尊前の部分に広間があるだけで、左右に回廊もない。
また、本尊は非常に高い祭壇の一番上に鎮座しているので、良くも見えない。
しかし、本堂内に入り、驚いたのは高い天井の本堂内の壁一面に仏教に関わる絵画が描かれている事である。
仏陀の生涯に関する絵やいわゆる曼荼羅と呼ばれる仏教の宇宙観を表したものなどで、埋め尽くされている。
この本堂内に入って、感動したのはむしろ、この絵画群である。本尊は良く見えない事もあり、あまり感動を覚えなかった。暫く、この仏教絵画を見渡してから、本堂を出た。この本堂内は写真撮影が許されていないのが非常に残念であった。 -
本堂を出て、この本堂の周りを回る。この本堂の外の壁も隙間なく、彫刻や装飾で飾られている。こんなに派手な外壁を持つ本堂も始めてである。
その後、本堂の横に建つ仏塔などを見て回り、その後回廊に入る。ここでは、カンボジアのアンコール・ワットで見たレリーフを思い出す様な絵画が描かれている。インドの叙事詩の『ラーマーヤナ』の場面である。しかし、少しアンコール・ワットで見たものとは違っていた。
後で知ったが、ここに描かれていたのは、『ラーマーヤナ』のタイ版の『ラーマーキエン』であるらしい。
しかし、それも修復中であったので、一部のみしか見られなかったのが、残念であった。
これも後で知ったが、アンコール・ワットの模型もこの寺院の奥にあったらしい。見損なってしまった。
また、この寺院には景観を損ねない様にゴミ箱などにも工夫がされていたのが、興味深かった。ゴミ箱も傘立ても大きな陶器製の壷が用いられていた。 -
丁度、回廊の絵画を見て、余りに暑いので、その脇で休憩を取っていると、もう集合時間が近づいていた。慌てて集合場所に向かう。既に若い男の子3人組は集合し、そこで休憩をしている。私が合流するのとほぼ同時にOLの女の子2人組も合流し、パンさんに付いて再び歩き出す。
本堂前にあるお祈り場所の横を通り、西の回廊方面に向かう。その際にパンさんが、お供え物が並ぶ場所を指さして、説明をする。この本尊はゆで卵が好物で、多くの参拝者がゆで卵をお供えするそうだ。
確かに、多くのゆで卵が供えられている。
その後、西の回廊を通り抜け、エメラルド寺院から今度は王宮へ入る。 -
<チャクリー王朝歴代の住まいであった王宮>
エメラルド寺院から細い道を抜けると王宮の敷地内に入る。
まず、入った左手に、閉ざされた大きな門が見える。そして、その門の奥に立派な洋館が建っている。
これが、“ボロマビマン宮殿”である。門からは石畳が続き、その奥に建つ建物は、タイらしからぬものである。これは、ヨーロッパにも留学していたラーマ4世により建てられた。 -
そこから道なりに歩くと、“アマリン・ウィニチャイ堂”が見えてくる。
この建物は、主に国王の誕生日や国家の重要な催しなどを行った建物らしい。建物が大き過ぎて、建物全体の形が判らない。見て回れる地域も制限されているので、なおの事である。
更に進むと、ひときわ大きな建物が見えてくる。西洋のお城の様な建物である。
これが、“チャクリー・マハ・プラサート宮殿”である。
この建物はこの王宮の敷地内のほぼ中央に建てられており、ラーマ5世により、チャクリー王朝100周年を記念して建てられた。タイの様式とヨーロッパの建築が融合した見事な建物である。
残念な事にこれらの立派な建物の中にはどれも入れない。
ひとつくらい開放されて、中の一部でも見学出来る様にしてほしいものである。
その建物の前までは行かなかったが、更に奥には、“ドゥシット・マハ・プラサート宮殿”が建っている。
丁度、“チャクリー・マハ・プラサート宮殿”前からでも良く見える。 -
この宮殿は、ラーマ1世により建てられた王宮内で最も古い建物で、歴代王の戴冠式などが執り行われた宮殿である。典型的なタイ様式の重層屋根を持った美しい宮殿である。
この王宮については、特にパンさんからの説明もなく、個々の宮殿の前まで来ると、記念撮影を行うだけであった。
そして、“チャクリー・マハ・プラサート宮殿”の前にある“ビマンチャイシー門”を出て王宮を後にする。
門を出ると、行きに通ったメイン通りに出ていた。その通りを“ウィセーツチャイシー門”に戻る。
時刻はもう12時を過ぎている。
“ウィセーツチャイシー門”を出て、ナー・プラ・ラーン通りを渡り、少しナー・プラ・ラーン通り沿いに歩いた所にワゴン車が待っていた。やはりワゴン車の中は涼しい。
そして次は昼食である。今日の午前中はかなり歩いたので、お腹が空いている。ワゴン車は、再び国防省前や外務省前を通り、南へ走る。今日の昼食は飲茶である。 -
<飲茶バイキングの昼食>
昼食場所は、ツインタワーズホテル内の“福満楼”である。
程なく、ワゴン車はツインタワーズホテルの玄関に到着する。玄関ロビー脇のエレベーターでホテルの3階に上がる。この階に“福満楼”がある。
パンさんについてみんなで店に入る。店を入ると入口付近に飲茶の料理が並んでおり、その奥にテーブルの席が並んでいる。そのひとつにみんなで座る。
まず、いつもの通りに飲物の注文を聞かれる。非常に喉も乾いているので、たくさん水分補給出来るものを頼みたいと考えていたら、烏龍茶を頼めば、飲み放題である事をパンさんが教えてくれる。メニューを見れば、価格もそれ程高くはない。丁度、良いと思い、私は烏龍茶を注文する。
各自、飲物を注文した人から席を立ち、思い思いに飲茶料理を見に行く。 -
料理を見ていると、特に目に付いたのは変り餃子やシュウマイなどが多い事である。
また、北京ダックなども皮に既に包まれた形で置いてある。また、湯麺類は、料理人がついて、注文に合わせて具と麺を選択し、作ってくれる。また、この様な飲茶料理の他にも普通の中華料理も置いてあった。
主な飲茶料理や中華料理は以下の通りである。
<飲茶料理>
①変り餃子(海老餃子/ニラ餃子/椎茸餃子/魚つみれ餃子など)
②変りシュウマイ(海老シュウマイ/花シュウマイなど) *花シュウマイは4色具に分かれたもの。
③北京ダック
④肉まん/餡まん
⑤湯麺(麺は2種類、具は様々)
<中華料理>
①蒸し鶏
②八宝菜
③鶏肉のピリ辛炒め
④豚肉の甘辛煮
⑤中国風生ハム類
などである。どれも量としては然程多くなく、非常に美味しかったので、多くの種類を食べる事が出来た。また、烏龍茶も3杯もおかわりが出来た。非常に喉が渇き、お腹が空いていたので満足した。
それでも食事は、40分程で終了し、みんなといっしょに飲物の支払いを済まし、席を立つ。 -
パンさんとの待合わせは、食事開始から1時間後で、1階のホテルロビーである。
このホテルは丁度、ロビー付近が吹き抜けになっており、3階部分からでも他の階が良く見える。
2階に何軒かの土産物屋があるので、みんなでエスカレーターにて2階へ下りる。そして土産物屋で土産物を物色するも私としては買いたいものもなく、みんなよりも先に1階のロビーに下りる。
1階ロビーの中央には、まだ春節の祝いの飾りが残されており、フロント前を占領している。その脇のソファで集合時間が来るのを待つ事にした。
暫くすると何処にいたのか、パンさんが現れた。
『食事はどうでしたか?』と聞かれたので、非常に満足した旨を伝え、これからの予定を聞く。
少し、時間が余っている様で、ゆっくり出来るという。しかし、パンさんと話をしている内にみんなが集合した。みんなを確認し、パンさんといっしょにワゴン車に移動をする。
ホテルの玄関にで、ワゴン車が到着するのを待つ。程なく、ワゴン車が到着し、みんなで乗り込み。次の観光スポットの“ジム・トンプソンの家”に向かう。 -
<タイのシルク王の暮らした家:ジム・トンプソンの家>
ホテルを出たワゴン車は、大きな通り(RAMA 6 Rd.と書かれているので、ラーマ6世通りか?)を進み、右に曲がり、今度はラーマ1世通りを進む。その通りを暫く進んだ後、路地の様な道に入る。
その路地をゆっくり進み。前を見ると道の先が行き止まりになっている。その30m程手前を左に入ると、広場(駐車場)になっており、そこにワゴン車が停められる。
ここから歩いてジム・トンプソンの家までは行く様だ。ワゴン車を下り、先程の路地道まで戻る。
路地道を行き止まりの方へ歩くと、その手前に綺麗な施設が見えてくる。
ここが、ジム・トンプソンの家である。しかし、手前の綺麗な施設はあとで建てられたレストランや土産物屋で、その奥に見学する家がある。
このレストランと土産物屋の間の道を奥に進む。小さな入口の手前で待つ様に言われ、パンさんの手続きを待つ。手続きが終了し、その門を潜り、中に入ると、広場があり、その回りに古い家屋が建っている。
再び、ここで暫く待つ様に言われる。どうも見学の順番待ちの様だ。 -
5分程して、1人のタイ人女性が我々と更に数人の日本人観光客をこれから案内してくれるらしい。
パンさんは、この広場で待っているという。
その女性について、我々はその古い家屋のひとつの1階部分に向かう。その入口で、女性が日本語のガイドである事を知った。各国語が出来るガイドが待機しており、その観光客を案内している。
その女性は非常に若く、まだ20歳そこそこであろう。スレンダーで、タイ特有の顔立ちの美人である。
日本語は片言で、非常にゆっくり丁寧に話してくれるので良くは判る。まず、入口の1階部分で、手荷物をすべて預けなくてはならないみたいだ。
ここで、また暫く待つ事になる。前の観光客で施設が混雑している。
暫くすると、まず1階の屋外から見学を開始する。屋外に置かれたある美術品の前でそのガイドさんが説明を始める。
まず、ジム・トンプソンについて説明が始める。
ジム・トンプソンは、第二次世界大戦中にこのバンコクで諜報活動などを行っていた軍人で、大戦後もこのバンコクが気に入り、居残って生活を開始した。
その後、バンコクの家内工業で生産されていた当時のタイシルク製品に目を付け、工業化による大量生産と流通経路などの整備を行い、タイシルク王と呼ばれる様になった。
この家屋群はそのジム・トンプソンが住んでいた家をそのまま残したものである。
また、ジム・トンプソンは美術品への造詣も深く、特に仏教美術に関心を示し、タイの古美術や周辺諸国の美術品の収集に力を注いだ。また、建築などにも独自の発想を要れ、ここにあるタイ古来の家屋を西洋風の建築などと融合させた家屋を考案した。
しかし、タイシルクの事業も順調であった1967年、休暇で訪れたマレーシアのキャメロン・ハイランドの山中で謎の失踪を遂げてしまい、未だに行方が判っていない。
現在、この施設はそのジム・トンプソンの友人や親戚などの管理のもとに公開されているという。
この様な説明を受け、その後も何点かの屋外の美術品を見て回る。 -
途中で、この家の裏門の前で説明を受ける。この門の外は運河があり、直接シルク製品を港まで運ぶ事が出来たそうだ。また、当時は運河を挟んだ家の向かい側にシルクの工場もあったという。
運河は今も残り、物の運搬には利用されている。この運河は“セーン・セーブ運河”という。
再び先程の家屋の入口に戻る。ここからは家屋の中に入る。家屋の中は土足厳禁なので、ここで各自下駄箱に靴を入れて階段を上る。階段を上り切ったところで、また説明が始まる。
タイの古民家は全て高床式住居で、この家屋も元はそうであったものをジム・トンプソンが客人を持て成す為に玄関を造り、階段を設置したと言う。もともとの家屋への入口は屋外からの梯子のみであったらしい。
また、今入っている家屋はひとつの大きな家になっているが、元々は3つのタイの古民家を基本に家をひとつに合わせたものであると言う。
その証拠というのは、元々のタイの古民家はすべて台形型の家屋であるので、屋内の柱をみれば判ると言う。
そう言われ、改めて、この階段のある家屋を見ると確かに部屋を仕切る両サイドの柱が斜めになっている。丁度、台形のタイの古民家の間の空間に部屋を造ったのである。
また、タイの古民家の部屋の入口も台形型になっているので、非常に面白い。 -
ジム・トンプソンは、この様な建築だけにそのユニークな発想が留まらず、各種の美術品を起用に生活用品に応用している。例えば、中国製の陶器の飾りを木のテーブルの真ん中にはめ込んでみたり、陶器を用いたスタンドを作ったりと元が何であったか、想像が難しいものもある。
ガイドの人がみんなに質問した事が2回あり。ひとつは、部屋の中にある美術品で、ひとつ日本製のものがあると言われ、それがどれか判るかを問われた事。これは明らかに判る質問で、大きな伊万里焼の皿が飾られていたので、その伊万里焼であると答えたら、意外にもガイドの人に驚かれた事が私自身驚いた。
日本人なら見慣れている陶器の製品であるので大概の日本人なら判る。
もうひとつが難しい質問で、長方形の陶器製の箱の様なものが窓際に置かれていた。
ジム・トンプソンは、それを花瓶代わりに使用していた様であるが、それが元々中国製のもので何に使われていたのか想像が付かない。するといっしょに廻っていた別の日本人観光客の年配の方が簡易トイレであると言う。この答えに対してもガイドの人が驚かれ、良く判りましたねと言う。
その陶器製の長方形の箱は、女性用の簡易トイレである。特に高貴な人物の間で使用されていたものであるらしい。これら以外にも非常に多くの美術品のコレクションがこの家屋内に展示されている。
途中に何組かの他のガイドに率いられた観光客とすれ違いながら、家屋内をすべて見て廻った。
特にジム・トンプソンが気に入っていた美術品(仏教美術品)などは、すべて寝室に集められていた。
30分くらいをかけて、このジム・トンプソンの家を見て廻った。最後にガイドの女性にお礼を言い、パンさんに合流する。そして、再度ワゴン車へ向かう。
ジム・トンプソンの家を出て、路地をワゴン車の停まる駐車場へ向かう途中に、若い男の子3人組のひとりに指摘され、荷物を預けたままである事に気がつき、慌てて、ジム・トンプソンの家の家屋入口へ戻る。
そこで荷物を受け取り、急ぎワゴン車の駐車場に向かう。ワゴン車は駐車場の入口付近まで移動してくれており、そこで私をピックアップしてくれた。
非常に危なかった。パスポートなどもこの中に入れていたので、大変な事になっていた。
ワゴン車は再び、ラマン1世通りに出て、次の目的地を目指す。
次はタイ式マッサージ体験である。 -
<タイ式マッサージ店:MAGNET>
ワゴン車がビルの間に入って行く。ワゴン車が停まり、ここで下りる様にパンさんに言われる。
店はこの横のビルにある。店の正面に廻ると店の名前は“MAGNET”と書かれている。店の前には日本語で書かれた看板も出ている。
1階はガラス張りで中が見えるが、1階には受付しかない。
この1階に入り、受付でパンさんが話をした後、受付横のエレベーターにみんなで乗り込む。最後に店の人が乗り込み、3階に上がる。
3階には、待合室があり、その待合室で少し待つことになる。その後、まず足裏からマッサージを行うのか、その待合室の横に足を洗う場所があり、そこで各自座り、足を洗って貰う。
最初はお湯で、そして塩で足を揉まれる感じで洗われる。
その後、この階にはマッサージをする部屋はないようで、再度エレベーターでもう1階上の階(4階)に移動する。そして、ここで男性4人と女性2人が別れ、各自部屋に入る。
我々、4人が入った部屋には丁度4人分のマットが敷かれており、その上にマッサージ用の着替えの服が置いてある。その服に各自着替える。脱いだ服を置く場所がないので、枕元に脱いだ服を置く。
我々が着替え、マットに座り、話をしていると、4人の女の人が入って来た。
女の人はみんな若くもなく、中年でもないと言う年の人達で、それぞれの足元に座る。そして、まず上向いて寝る様に言われ、足からマッサージを開始される。
マッサージを開始されて、足裏のマッサージをして貰えると思っていたが、足裏のマッサージは殆どされず、メインは足のふくらはぎをマッサージされた。疲れていたので、これはこれで非常に気持ちが良い。
その後、うつ伏せになり、全身に移る。全身をして貰う頃には、気持ち良くなり、少し寝てしまっていた。そして急に目覚めると、笑われてしまった。
たっぷり1時間30分のマッサージであった。少し痛い部分があるかと思ったが、そうでもなく、眠ってしまう程気持ち良かった。
マッサージ終了を同時に、小さな茶碗でお茶が運ばれて来た。飲むと飲み慣れない味がする。何のお茶かはよく判らない。色は烏龍茶の様な濃い茶色である。健康茶の一種であろう。
お茶を飲み終わり、再び服に着替える。部屋を出る前に各々のマッサージを担当してくれた女性に対し、チップとして、100バーツ(約300円)を渡す。そしてエレベーターで階下に下りる。
そして奥の休憩室で女の子達を待つ。
待っていると店に日本人の団体客が入って来た。10人以上の団体客である。すべて中年の男女である。
店が賑やかになった。その中で、OL女の子2人組が戻って来た。
みんなが揃ったので、店を出る。
ワゴン車に乗り込むとパンさんが、少し時間がある旨を告げる。
時間を潰す方法としては、DFS(免税店)に行く事を提案される。我々もそれで良い旨を伝え、ワゴン車が走り出す。 -
<キングパワー・デューティーフリーショップ(DFS)>
マッサージ店から少し走ったところに大きなコンベンション施設が見えてくる。ここが、DFSも併設しているキングスパワーコンプレックスである。
この施設の前でワゴン車を下り、施設内に入る。施設ホールの受付で、パンさんが何か手続きをしている。
そして戻って来ると一人一人にパスポートみたいなものを渡される。
これでここの品物を購入すると支払いだけで受け取りは空港で行えるのである。
入口ホールから2階へのエスカレーターに乗る。2階がDFSの入口である。DFSの入口には、定番のチョコレートなどのお菓子類の特設コーナーが出来ている。
その展示場所の両サイドには、ブランド品の店が並ぶ。
2階の部分には、ブランド品の店が数十店以上は並んでいるか?多くの人達で賑わっている。
私自身はブランド品には興味がない。2階は素通りして1階へ下りる事にした。1階には小物などの土産物も多い。これらを見て廻る事にした。
1階には、今までに見て来たお土産物以外にも多くのものがある。それらを見て廻るも買いたいものはないので、少し時間を持て余した。早々に集合場所に向かう。まだ、集合時間には、15分程あるが、集合場所の1階エスカレーター付近で待つ事にした。
周辺を観察すると、やはり圧倒的に日本人が多い。この様なDFSには必ず日本人は立寄りたがる。何もバンコクに来ている外国人の大半を日本人が占めている訳ではないとは思うが、この様な所に来ると、本当に観光客は日本人しかいないのでないかと思う事が多い。
しかし、ここは少し様子が違った。中国人が意外にも多いのである。最近、中国人の旅行者をあちこちで見かける。バンコクにも多くの中国人が観光に来ている様である。
買物をするこの様な観光客を見ていると、パンさんが集合場所に現れた。
パンさんと話をしながら、みんなを待つ事にした。丁度、集合場所の裏手に、カフェがある。
少し、冷たい物が飲みたいと思ったが、のんびりと座って飲物を飲んでいる時間もないので、我慢する事にした。その内に、OLの女の子2人組が現れたが、もう少し買物をしたい様子である。
また、若い男の子3人組も集合場所に現れた。この3人組は何も購入しなかった様子である。そして、OLの女の子2人組も戻って来た。この2人組のひとりが買物をしたらしく、商品の引き取り方をパンさんに教えて貰っている。そしてDFSの出口に向かう。
夕食の時間に丁度良い時間帯になった。これから今日の夕食場所に移動する。
<タイスキの夕食:COCA RESTAURANT>
DFSから然程遠くないところに夕食場所のCOCA RESTAURANTがある。
このレストランは、バンコクの若者で賑わうショッピングタウンのサヤーム・スクエアの一角にある。日曜日の夕方でもあり、多くの人で賑わっている。ワゴン車は、そのメイン通りから1本横の路地を進む。
レストランはこのスクエアの一番東の端辺りに位置している。
レストラン近くのスクエアが工事中でもあり、その工事中の道路脇でワゴン車を下り、ここから歩いて店まで移動する。 -
このCOCA RESTAURANTはチェーン店で、他の国にも支店があるとパンさんが説明してくれた。
店に入り、2階に案内される。
まだ、もう18時頃ではあるが、夕食時間には早いのか、2階のテーブル席はまだ数組の客しかいない。
我々も入口近くのソファの席に案内される。
今晩の料理はタイスキである。
まずは飲物を注文する。最後の食事でもあるので、パンさんもいっしょに乾杯をしようという事になり、みんなでパンさんの麦酒代を出す事にした。私は最後でもあり、またまたすいかジュースを注文する。
そして、みんなの飲物がテーブルに揃うのを待ち、パンさんへのお礼も込めて乾杯をする。
喉が渇いていたので、このすいかジュースを一気に飲み干す。
そして、新たに烏龍茶も追加注文をおこなった。
テーブルには、IHコンロが設置されているが、4人掛けのテーブル席2つに6人で座っているので、2台のIHコンロが目の前にあるが、鍋が設置されているのは1台のみである。
6人でひとつの鍋で食べる様である。鍋には蓋がされているので、この時点では何が入っているのかは判らない。その内に女店員が、つけタレを持ってきた。2種類入っている。
1種類はパンさんによれば、醤油ベースのタレである。もう1種類は、パンさんも説明がうまく出来ない様なので、実際に舐めてみると、日本のゴマ味噌タレを唐辛子で辛くした様なタレである。少し辛いが、こちらの方が美味しそうである。
まず、料理が一品出てきた。大きな伊勢海老の様な海老の丸揚げである。
鍋が茹だるまでの間にこの料理を食べる。
パンさんに言われ、頭から丸かじりする。丸揚げだと思っていたが、身の部分はつくね状にすり潰されたものが詰められて揚げられている。これが各人に出され、まずはこれをみんなで食べる。
そして、この間に鍋の蓋から湯気が出てきたのを確認し、女店員がタイスキの具を用意し始める。
タイスキは、タイではパンさんによると、『スキー』と呼ばれているそうだ。元々の語源は、『タイ風スキヤキ』から来ている。しかし、見た目は日本のスキヤキと言うよりは、水炊きである。
大きな皿に具が乗っている。
それらの具を人数分丁寧に鍋に入れて行く。具材は以下の様なものであった。
まず第一段として、
①海老または蟹の入ったつみれ(色が少し黒っぽく鍋に入ると少し赤みを帯びる)
②野菜類(ピーマン/白菜/キャペツ/ヤングコーン/チンゲン菜)
③木くらげ
④ワンタン
⑤かまぼこ(日本のかまぼこに似ているが円筒形の形のものを輪切りにしたもの)
これらを鍋に入れ、少し待つ。そして煮立つとこれらを女店員が各自の碗に取り分ける。我々がそれらを食べている間に次のものを鍋に入れ始める。 -
第二段は、
⑥鶏肉
⑦豚肉のねぎ巻き
⑧豆腐(円筒形の形のものを輪切りのしたもの)
⑨挽肉のつみれ(豚肉っぽい)
⑩野菜類(サラダ菜/ホウレン草/空芯菜)
第一段の時と同様に煮立つとそれらを各自の碗に取り分ける。
そして、第三段は、
⑪魚のつみれ(茹で上がるとぷにぷにしている)
⑫春雨
⑬牛肉
⑭ロールキャベツ
⑮いか
これらをすべて各人に取り分けて、具は終了である。
女店員が鍋に残る細かな具を覗き、少し鍋の中の出汁を減らし、今度はご飯と卵、ねぎを用意する。
少し煮詰まった出汁に、このご飯を入れ、出汁と馴染ませ、煮立つのを待つ。
煮立ってきたら、今度は卵とねぎを入れ、よくかき混ぜる。見た目は、日本の水炊きのおじやである。
水炊きの時には、あまり卵を入れてから、かき混ぜることをしないが、ここではよくかき混ぜている。
出来上がったおじやをまた、一人一人の碗に分ける。
食べると味も殆ど日本の水炊きのおじやであるが、よくかき混ぜているせいか、卵が粉々に固まり、食感としてはあまり良くない。しかし、味は非常に美味しい。これでもうお腹いっぱいである。
具材としては特にこれと言って美味しいものは無かったが、非常に楽しめた。
1時間くらいで、このタイスキの食事を終えた。
最後に飲物の支払いの時に少しトラブルがあった。各人で支払いを行ったつもりであったが、どうも全体の支払いが合わない様で女店員が困惑している。パンさんの麦酒代が入っていないのではないかと考えたが、よく判らない様である。仕方なく、足らない分は一番年配の私は支払いを行う事にした。余分に、50バーツ(約150円)支払いをする。まあ、大した額ではない。 -
我々が食事を終え、席を立つ頃には店内はほぼ満席の状態になっていた。非常に人気のある店である様だ。
店を出て、少し店から離れたところに停めてあったワゴン車へ移動する。
そして、最後のイベントのスアン・ルム・ナイトバザールでの買物に向かう。 -
<スアン・ルム・ナイトバザールでの最後の買物>
COCA RESTRANTのあるサヤーム・スクエアから5分程度で、昨日も訪れたスアン・ルム・ナイトバザールに到着した。ここが最後の買物場所である。
ワゴン車を下り、昨日の集合場所に移動する。そこで自由行動になる。時間は1時間である。
時間はたっぷりとある。時刻は19時で20時までの時間、買物が出来る。
まずは、昨日も探していたマグネットを購入する事にした。昨日のおばさんの店を目指す。集合場所から然程遠くない所にその店はある。そこで、昨日は一声、35バーツであったので、ここから価格交渉を始める。しかし、この価格は破格の価格なのか、これ以上はおばさんも無理な様だ。
仕方なく、最後に10個まとめて購入するので、10個で300バーツでと言うと渋々OKが出た。これで1個30バーツ(約90円)である。これで日本の100円ショップで買うよりも安い価格になった。
ナイトバザールでの購入価格の目安は小物では、この日本円で100円だと考えて価格交渉をするつもりであった。
その後、他の店を見て廻るも、あまり自分自身でほしいものが、見つからない。
途中で、若い男の子3人組のひとりに遭遇する。何か買ったのかと尋ねると、ヒンドゥー教の神である“ガネーシャ”の小さな木像を買ったと言う。
いくらで購入したのか尋ねると300バーツ(約900円)だと言う。日本円で1000円以下なので、まあまあ良い値段である。
その後、多くの店を見て廻るも、これといったものがない。
取り敢えず、親戚の子供達への土産物を探す事にした。丁度、象の可愛いキーホルダーがあったので、それを購入する事にした。5つ入って、70バーツ(約210円)である。これは結構安く買えた。
この店は然程、品物は置いていないが、意外に安くしてくれる様である。店員は若い女の子である。
他にも、財布に似た小物入れなどやタイシルクの製品を売っている。これの価格を聞くと、これは1個200バーツ(約600円)だと言う。これは少し高い気がした。そこで価格交渉に入る。しかし、この小物入れはなかなか価格を下げてくれない。散々、交渉したが、180バーツから譲らない。 -
仕方なく、購入を諦め、店を後に立ち去ろうとすると今度はタイシルクの製品を進められる。
何かと思うとクッションカバーである。丁度、40cm角の大きさくらいのクッションカバーである。これが、1枚100バーツ(約300円)でいいと言う。物をみると、布地は薄いが、刺繍で一部模様(象の図柄の模様)も入っているので、綺麗だ。
安いのかどうか、思案していると、今度は少し小さめの同じタイシルクの製品を出してくる。何なのかは最初判らなかったが、袋から出され、広げて見せてくれたので、それがティッシュケースカバーである事が判った。これも一部に刺繍がされている。これも価格は100バーツ(約300円)だと言う。
これでも店の女の子にしては、安い値段を示したつもりなのであろう。かなり熱心に売り込んで来る。
更にディスカウントしてくれないと買わないと素振りをすると、タイシルク製品は90バーツと言い出す。
そこで、合わせて10枚を購入するので、1枚85バーツ(約255円)にする様に言う。
かなり女の子は悩んでいたが、最後にはOKを出してくれた。そして、クッションカバーとティッシュケースカバーを合わせて10枚購入する。ここで、これを買ったのであるからと先程の小物入れを150バーツ(約450円)にしてくれる様に言う。そうしないとタイシルク製品も買わない素振りをする。
これには女の子も困った様子であったが、何個欲しいのか尋ねられ、3個と言うと、3個を条件にOKしてくれた。合計で、1、370バーツ(約4、110円)である。かなり買物をした。
支払いに1、500バーツを出し、お釣を貰う。お釣りを貰ったところで、女の子が安くしたのだから、チップをくれと要求してきた。ちゃっかりしているが、これは断った。
かなりこの店で価格交渉をしていたので、残り時間はあと15分程度である。時間もあまりないので、集合場所近くまで戻る事にした。集合場所近くの店で、また品物を物色する事にする。
先程、遭遇した男の子の言っていた木像の置物の店も多い。色々な大きさや種類の木像の置物が売られている。基本の題材は、象や仏像関連である。
最近の日本人に人気なのか、その様なものを置いている店には必ず“ガネーシャ”像が置かれている。
テレビで、この神様を題材にしたテレビドラマ『夢をかなえるソウ』が流行った事が原因であろう。
ヒンドゥー教の“ガネーシャ”などの神はマイナーな神で普通人気があるはずもない。
しかし、私もそれらの木像を見ていると欲しくなって来た。店の人に比較的小さな物をいくらか?と聞くと、400バーツ(約1、200円)と紙に書いて渡された。
話に成らないという素振りをすると、今度は電卓を店の奥から出してきて、私に渡す。
いくらで買いたいのか示せというのか?
その電卓で私が200と打つと、ダメダメと手振りをして、電卓を取り上げ、数値を打ち込む。それを見ると、320である。今度は私がダメダメの手振りをし、再度、電卓に先程と同じ200を打ち込む。
これしか買わないという態度を示す。すると、電卓に280の数値を打ち込む。店員は30歳過ぎくらいの男性である。なかなかシビアである。再度、ダメダメの手振りをして、諦めて店を出ようとすると、呼び止められ、200でいいと、電卓を見せられた。それでは購入する事にした。
実際は日本円にすれば、然程高いものではないが、関西人にはこの値切るという行為が楽しい。
“ガネーシャ”の木像を200バーツ(約600円)でゲットした。
もう時間も集合5分前を切っているので、集合場所に移動する。既にOLの女の子2人組は集合場所でパンさんと話をしている。若い男の子の1人も見える。まだ、他の2人は集合場所には来ていない。
OLの女の子にマグネットを1個30バーツで購入した事を言うと、その女の子達は昨日購入したマグネットが価格交渉をして、35バーツにしか成らなかった事が悔しかったのか、今日は粘りに粘って、1個25バーツで購入したという。負けてしまった。すごい根性である。昨日の買物が余程悔しかったのであろう。
程なく、残りの2人も集合場所に現れ、このスアン・ルム・ナイトバザールでの買物は終了である。
みんなでワゴン車の停まる駐車スペースへ向かい歩き出す。
思い思いの土産物を手にいっぱい持ち、ワゴン車に乗り込んだ。
ワゴン車は多くの人で賑わう、このナイトバザール内を抜け、大通りに出る。これでタイでの観光はすべて終了である。これからワゴン車はスワンナブーム国際空港へ向かう。 -
<スワンナブーム国際空港での手続きと別れ>
ワゴン車は夜の高速道路を走り、スワンナブーム国際空港へ向かう。道は時間帯が遅い為か、または日曜日という曜日の為か、渋滞していない。
高速道路を通り、20分強で空港3階部分の入口に到着した。改めて空港のターミナルを眺めるとその大きさが判る。上海・浦東や香港国際空港に負けない大きさである。
ターミナルに入り、早速タイ航空のカウンターに向かう。時刻は20時30分近くになっているが、この時間でも空港内は非常に多くの人で賑わっている。
タイ航空のカウンターも多くの人で列が出来ている。
パンさんに暫くこの近くで待つ様に言われ、パンさんがタイ航空のカウンターに行った。
タイ航空のカウンターにパンさんが行っている間に、我々は航空会社に預ける手荷物を整理する為に、その場でカバンを開け、先程のナイトバザールで購入したものも含め、入れられるものはカバンに詰める。
各人その作業を終え、パンさんを待つ。
暫くしてパンさんが戻り、反対側のカウンターに移動すると言う。
パンさんに付いて、裏のカウンターに移動する。そこはタイ航空のカウンターではあるが、団体専用のカウンターである。ここで手続が出来る様で、そのカウンターで順番を待つ事になった。
パンさんが、前の団体客の女性ガイドと何か話をしている。親しい様なので、知り合いか?
その団体客の手続も終了し、我々の順番が来た。一人一人Eチケットとパスポートを提出する。
そしてカバンを預ける。
私が渡された航空券は、3人掛けの席の真ん中のB席である。席を変更出来ないのかをパンさんに言い、航空会社に聞いて貰うも、この便は満席なのか変更不可であるという。仕方が無い。
他のみんなは、かたまって座れる様だ。
これですごく身軽になった。改めてターミナル内を見ると、このスワンナブーム国際空港も関西国際空港と天井の造りなど似ているところが多い。 -
カウンターでの手続を終え、みんなで出発ゲート付近に移動する。まだ、時間は充分にあるが、パンさんも早く仕事を済ませたいみたいで、みんなを出発ゲートに誘導する。そして、ここでパンさんとお別れである。礼を言い、一人一人と硬く握手をして別れる。
出発ゲートに入ると、タイでは日本などとは違い、いきなり通関がある。
また、ここに長蛇の列が出来ている。その列のひとつにみんなで別れ、並ぶ。この空港は非常に利用客が多いことが、入国時の混雑と、この出国時の混雑とで判る。
その列で待つ事20分、やっとの事順番が廻ってきた。特に何もなく、通関を済ませ、次に進む。次に手荷物検査所があり、そこで手荷物などの検査を行う。ここで驚いたのは、ベルトまで外す様に言われた事である。
金属探知機のゲートを潜り、ブザーが鳴ったのなら判るが、それを通る前に外す様に言われる。確かに国により、この金属探知機の感度はかなり違い、同じ服装でも鳴る場合と鳴らない場合がある。
タイの場合は感度が良く、明らかにベルトのバックルなどに反応し、鳴る事が多いのであろう。
手荷物検査も何事もなく、通過すると、前がもう既に免税店などの並ぶエリアである。 -
ここで興味深いものを発見。丁度、手荷物検査所を出た前にヒンドゥー教における天地創造神話の“乳海攪拌”の大きな模型像が置かれているでなないか?
ヴィシュヌ神の化身である巨大亀のクルーマに大マンダラ山を乗せ、大蛇ヴァースキを絡ませて、神々はヴァースキの尾を、アスラ(鬼)はヴァースキの頭を持ち、互いに引っ張りあっている様子を表している。
まだ造られて新しいものであるのか、大蛇ヴァースキの胴体の金色がまぶしいくらいである。
暫くの間、この模型像を隅々まで見ていたが、このエリアを抜け、掲示板で搭乗ゲートを確認すると、搭乗ゲートはE5番ゲートであるので、そこから右の方向に進む。
案内板に従い、その方向に進むと、中は非常に広く、また奥は遥か先である。やはり非常に馬鹿でかい空港である。ムビングウォークに何回か乗り、周辺にある免税店などを無視し、まずは搭乗ゲートを目指す。
それにしてもゲートが遠い。やっと、奥の終点が見えるところまで来たと思っていたら、そこからまたウイングが折れ曲がり、まだまだ奥へ続いている。本当にどこまで続いているのであろうか?
丁度、この折れ曲がる地点にも免税店や飲食店が集中している。それらの店を少し見て、再び、ゲートを目指し歩き出す。するとやっとゲートが見えてきた。しかし、その近くに待合場所はない。
良く見るとゲートのところには腰まで高さの扉があり、今は閉まっており、それに続く通路には入れない。通路は開階下に繋がっており、そこに待合場所がある。まだ時間が早い為か、その中には入れない様だ。
仕方なく、少し手前の通路脇にある椅子で待つ事にする。 -
これまでに使用したお金の整理や観光順番などのまとめをここで行なう。時刻は、21時30分である。搭乗開始予定が、22時30分であるので、まだ1時間ある。
その内、うとうとして寝てしまった。目が覚めて辺りを見渡すと、先程まで通路の椅子が満席であったが、今は誰もいない。ゲートを見ると、既に先程開いていなかった扉が開いている。
時刻を確認すると、もう22時10分である。
慌てて、ゲートに向かう。そしてそこから階下に続くスロープを下りる。そして待合場所を見ると、既にその待合場所の椅子は満席状態である。その椅子の周りに立って待っている人もいる。
私もここで立って待つ事にする。暫くすると、タイ航空の係員がプラカードを持ち出して、搭乗口前に立った。プラカードに書いてある文字を見ると、席番が書かれている。
どうも、奥から乗客を機内に案内する様である。プラカードに書かれた番号の乗客の列がその係員の後ろに出来る。それらが、少なくなると次の番号と順々に乗客を機内に案内をしている。
我々の番号のプラカードが上がり、列に並ぶ。ゲートで搭乗券とパスポートを見せ、機内に通じる通路に入る。 -
<帰りの便のタイ航空TG622便 バンコク~関西空港>
機内に入ると行きに乗った機内と席などは同じで、3席掛けが3つ並ぶ。1列に9人掛けの機体である。
席は、機体左手の行きTG621便と同じく、翼の付け根付近である。3人席の真ん中の席に座る。
少し違ったのは、席の前(前の席の背に)モニターが一台一台付いている。行きの機体にはモニターがついていなかった。席に添え付けの案内書を見ると、機体はボーイング777-300であった。
3人掛けの席に私が最初に座った為に奥の人が来るのかどうか判らなかったが、直ぐに奥の窓側席に若い女の人が入った。そして、通路側には、ビジネスマン風の男の人が座った。
窓側に座った女の人は座ると直ぐに毛布を取り出し、それで全身を覆い、寝る体制に既に入っている。
また、通路側のビジネスマン風の男の人は逆に分厚い本を取り出して読み始めた。
私は、搭乗開始を待っている間に行なっていた観光順番の記入などを観光ガイド本を見ながら、再会した。その内に、機内は乗客で埋まり、埋まると同時に機体がターミナルを離れ始めた。
帰り便は本当に満席である。ゆっくりと機体がバックでターミナルを離れていたが、前進を始める。
前方のモニターに切り替わり、移動している走路が映し出されている。
まだ、滑走路脇の走路を進んでいる。モニターに前の機体が映り、それがゆっくりと右に方向を変えているのが見える。丁度、前の機体が滑走路へ出ようとしている。
我々の機体はここで停止する。順番待ちである。数分後、再び動き出し、前の機体同様に右に方向を変える。そして滑走路に出て行く。ここで再び停止後、エンジン音が上がり、加速を開始する。
あまり滑走する事なく、機体はスワンナバーム国際空港を無事離陸した。離陸後、大きく旋回を開始する。
機体が斜めになるのが判る。その後、水平に戻り、更に上昇を続ける。10分程上昇すると、シートベルト着用のランプも消える。しかし、夜間の便である為に誰も席を立つ人もいない。
既に私の隣の窓側席では、女の人が寝ている。相変わらず、通路側の人は本を読んでいる。私も何もする事がないので、もう寝る事にした。席の前のモニターには経路図が映し出されている。帰りは丁度、5時間10分のフライト予定である。行きに比べれば、かなり短い。偏西風に乗れる為に早く帰れる。
関西国際空港到着予定時刻は、6時10分である。
眠りかけていると、イヤホンを配り出し、その後に飲物も配り出した。仕方なく、起きてそれを貰う。
機内は消灯されるのかと思ったが、いっこうに消灯する気配がない。
貰った飲物を飲み、そのまま寝る事にした。隣ではビジネスマン風の男性がまだ熱心に読書を続けている。
どれくらい寝ていたのか、隣を見ると窓側の女の人は相変わらず、毛布を全身に被り、寝ている。
私が寝る前まで読書を続けていた通路側の男性も寝ている。
経路図を見ると、すでに台湾の下辺りまで来ている。あれから2時間近くが経過していた。
もうひと眠りしたかったが、眠る事なく、前方のモニターをボウっと眺めていた。
時刻は、日本時間で、4時過ぎになっている。
すると、CAが慌しく動き出している。何かと思っていたら、その内におしぼりを配り始めた。
私以外の2人は寝ているので、私だけが熱いおしぼりを受取り、顔を拭う。
そして、その後CAが機内食を配り始めた。
朝食である。機内食を配り始める頃になると、さすがに機内放送も入り、私の両サイドの人も起きた。
時刻は朝の4時30分である。朝食にしては早いが、到着が6時10分予定であるので、この時間に出されるのは当り前か?
CAにオムレツかフィッシュライスどちらが良いかメニューを聞かれたので、私はフィッシュライスをお願いした。
機内食のメニューは以下の通りである。
①煮魚/高野豆腐/ご飯
②野菜の煮物(レンコン/グリーンピース/人参/里芋)
③ヨーグルト
④パン(マーガリン/ジャム)
⑤フルーツ(ドラゴンフルーツ/パパイヤ/パイン/グレープ)
⑥飲物(オレンジジュース/コーヒー)
である。オムレツを頼んだ人は私の①と②の代わりに大きなオムレツが入ったもので、オムレツの具にどんなものが入っているのかは判らない。
朝が早いので、余り味が判らない。取りあえず、掻き込む様にすべてを食べ終わる。
普段はもっぱらパン食で朝からご飯を食べることがないので、余計に食が進まない感じである。メニューをオムレツにすれば良かったと後で後悔した。
最後にコーヒーを貰い、食事を終える。時刻は5時10分過ぎである。
もう後1時間程度で、関西国際空港に到着する。寝る前まで見ていたガイドブックをまた取り出し、今回訪れた遺跡や施設などについて再度、確認をする。ガイドブックを見る限り、今回のツアーで訪れた食事場所は、比較的有名な場所が多い。いつもツアーで旅行に行くと、ガイドブックで紹介されていない場所が多いが、今回の場所は殆どの場所がガイドブックで紹介されている。
ガイドブックを呼んでいると機長のアナウンスが入る。あと30分程で関西国際空港に到着するという。
天候は晴れ、気温は4℃だと言う。今まで、30℃を越す場所にいたので、いきなり4℃とはつらい。
徐々に機体が高度を下げる。タイやマニラに到着する前の様に、急激に下降していないのか、今回は耳が痛くはならない。経路図での高度は見る見る下がって行く。もう経路図では徳島上空に差し掛かっている。もう少しである。その内に機体の揺れが激しくなる。雲の中に入った様で、その間は揺れが収まらない。暫くするとその雲間を抜け、また機体が安定する。すると機体の下からタイヤの出る音がする。
もうモニターには何も映っていない。不意に衝撃を受け、機体が着陸する。定時よりも少し早目に関西国際空港に無事着陸した。その後、ゆっくりと空港内を移動する。然程時間を要さずにターミナルに到着した。
今回の旅行はここまで!
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