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タイ旅行の2日目。アユタヤの遺跡巡りからバンコクでの観光、そして夜にはニューハーフショウの観賞。

タイ旅行記(2日目)

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2010/02/19 - 2010/02/22

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パンダ番長

パンダ番長さん

タイ旅行の2日目。アユタヤの遺跡巡りからバンコクでの観光、そして夜にはニューハーフショウの観賞。

旅行の満足度
4.0
観光
4.0
ホテル
3.5
グルメ
3.5
ショッピング
3.0
交通
3.0
同行者
一人旅
一人あたり費用
10万円 - 15万円
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行なし)
  • <アユタヤ観光の朝><br />朝5時30分頃に目が覚めた。そのまま暫くベッドの中で昨晩読んでいたガイドブックを読んでいたが、6時前になり、ベットを出て顔を洗う。昨晩、パンさんから朝食は6時半からと聞いていたが、渡されたチケットを見ると6時からになっている。そこで、身支度をして、6時15分頃に部屋を出て、レストランに向かう。エレベーターでます2階のロビー階まで降り、そこからは階段で階下のレストランへ向かう。<br />やはり6時からであったのか、レストランは既に欧米人の宿泊客で混雑している。しかし、レストランがかなり広く、座る場所は幾らでもある。御決まりのバイキング方式の朝食であるので、なるべく取りに行きやすい場所の席に座り、料理を取りに行く。<br />  <br />料理などは西洋風のおかずが半分、タイ風のおかずが半分である。<br />ます、西洋風のおかずやパンなどで食事をする。一通り食べたいものを食べ終わり、今度はタイ風のものを食べてみる事にする。おかゆ風のものに、ピリ辛の炒め物をトッピングして食べる。おかゆも白湯でのものではなく、鶏の出汁のおかゆなので、それだけでも美味しい。更に炒め物をトッピングすると丁度辛さが和らぎ、非常に美味しく食べられる。<br />

    <アユタヤ観光の朝>
    朝5時30分頃に目が覚めた。そのまま暫くベッドの中で昨晩読んでいたガイドブックを読んでいたが、6時前になり、ベットを出て顔を洗う。昨晩、パンさんから朝食は6時半からと聞いていたが、渡されたチケットを見ると6時からになっている。そこで、身支度をして、6時15分頃に部屋を出て、レストランに向かう。エレベーターでます2階のロビー階まで降り、そこからは階段で階下のレストランへ向かう。
    やはり6時からであったのか、レストランは既に欧米人の宿泊客で混雑している。しかし、レストランがかなり広く、座る場所は幾らでもある。御決まりのバイキング方式の朝食であるので、なるべく取りに行きやすい場所の席に座り、料理を取りに行く。
     
    料理などは西洋風のおかずが半分、タイ風のおかずが半分である。
    ます、西洋風のおかずやパンなどで食事をする。一通り食べたいものを食べ終わり、今度はタイ風のものを食べてみる事にする。おかゆ風のものに、ピリ辛の炒め物をトッピングして食べる。おかゆも白湯でのものではなく、鶏の出汁のおかゆなので、それだけでも美味しい。更に炒め物をトッピングすると丁度辛さが和らぎ、非常に美味しく食べられる。

  • 最後に果物とコーヒーを飲み、食事を終えた。食事の間に同ツアーの人が食べに下りてくるかと思っていたが、誰も現れなかった。<br />時刻は、7時過ぎである。再び、階段でロビー階に戻り、ロビー階にある土産物屋を見ようと考えたが、まだ店は開いていない。但し、店の展示棚は外からでも見える様になっているので、どの様なものが売られているのかは確認が出来る。それらを見て廻った。2、3点興味を引かれるものがあったが、品物に値札が付いておらず、どのくらいするものなのかが全然判らない。その後、エレベーターで部屋に戻る。<br />

    最後に果物とコーヒーを飲み、食事を終えた。食事の間に同ツアーの人が食べに下りてくるかと思っていたが、誰も現れなかった。
    時刻は、7時過ぎである。再び、階段でロビー階に戻り、ロビー階にある土産物屋を見ようと考えたが、まだ店は開いていない。但し、店の展示棚は外からでも見える様になっているので、どの様なものが売られているのかは確認が出来る。それらを見て廻った。2、3点興味を引かれるものがあったが、品物に値札が付いておらず、どのくらいするものなのかが全然判らない。その後、エレベーターで部屋に戻る。

  • 部屋のカーテンを開け、昨晩見た中庭のプールを見ると、既に朝の清掃を始めている。大きなプールを1人の従業員が掃除をしている。暫くそれを眺めていたが、このホテルは今日朝にチェックアウトを行うので、荷物から必要なものだけを出し、荷造りを始める。<br />  <br />今日はパンさんに確認をして、半ズボンでもOKとの事であったので、半ズボンで行く事にする。何しろ、日本で想像していた以上に暑い。上着も1枚で、風通しの良いものを着る。時刻は8時である。まだ、少し時間に余裕があるので、昨晩撮った写真などを確かめる。やはり、殆どがピンぼけ状態で、上手く映っているものは少ない。少し早いと思ったが、8時30分頃に部屋を出て、ロビーに下りた。<br />ロビー脇のフロントに既にパンさんが居たので、朝の挨拶をし、荷物を預け、ホテルのチェックアウトを行なう。チェックアウトを済ませ、再びこの階にある土産物屋の展示棚を見に行く。それらを見ていると、若い男の子の3人組がロビーに現れた。朝の挨拶を行い、みんなで近くの椅子に座る。彼らも今日は軽装になっている。ひとりの子は私と同様に半ズボンである。<br />9時45分には女の子の2人組もチェックアウトを済ませた様だ。<br />全員が揃い、パンさんが『それではこれからアユタヤ観光に向かいます。』と言い、ホテル玄関に向かう。<br />ここで思わぬものに遭遇する。<br />

    部屋のカーテンを開け、昨晩見た中庭のプールを見ると、既に朝の清掃を始めている。大きなプールを1人の従業員が掃除をしている。暫くそれを眺めていたが、このホテルは今日朝にチェックアウトを行うので、荷物から必要なものだけを出し、荷造りを始める。
     
    今日はパンさんに確認をして、半ズボンでもOKとの事であったので、半ズボンで行く事にする。何しろ、日本で想像していた以上に暑い。上着も1枚で、風通しの良いものを着る。時刻は8時である。まだ、少し時間に余裕があるので、昨晩撮った写真などを確かめる。やはり、殆どがピンぼけ状態で、上手く映っているものは少ない。少し早いと思ったが、8時30分頃に部屋を出て、ロビーに下りた。
    ロビー脇のフロントに既にパンさんが居たので、朝の挨拶をし、荷物を預け、ホテルのチェックアウトを行なう。チェックアウトを済ませ、再びこの階にある土産物屋の展示棚を見に行く。それらを見ていると、若い男の子の3人組がロビーに現れた。朝の挨拶を行い、みんなで近くの椅子に座る。彼らも今日は軽装になっている。ひとりの子は私と同様に半ズボンである。
    9時45分には女の子の2人組もチェックアウトを済ませた様だ。
    全員が揃い、パンさんが『それではこれからアユタヤ観光に向かいます。』と言い、ホテル玄関に向かう。
    ここで思わぬものに遭遇する。

  • 丁度、このホテルで今日、結婚式が催され、その結婚式前の儀式が始まっていた。タイの古くからの儀式らしい。その為に暫く玄関口が使えず、ワゴン車が入れない様である。<br />何やら鳴り物が聞こえてきた。すると、近くから踊る人達が先導する行列が見えてくる。先頭の集団はお揃いのピンクの上着に、こげ茶色のスカートの集団である。<br />  <br />パンさんに聞くと、新婦(花嫁)を迎えに来た新郎の行列であるという。<br />まず、行列の先頭には踊るおばさんの集団、続いて楽器(鳴り物が中心)を持った集団、その後に花で出来た飾り物や、結婚指輪、引出物などを持った集団が続く、総勢で50人以上はいるか?<br />その人達が踊るおばさんの集団のスピードに合わせてぞろぞろと歩き、徐々にホテルの玄関に近づいて来る。<br />やっとの事、ホテルの玄関口に踊るおばさんの集団が到着し、そこで踊りを止め、ホテル内に集団が入っていく。しかし、またホテル内で踊り始め、階段を上って行った。<br />パンさんに聞くと、新婦(花嫁)がこのホテルの最上階に居て、それを迎えにいくと言う。<br />やっとの事、ホテルの玄関が静かになり、ワゴン車が玄関口に到着した。みんなでそれに乗り込む。

    丁度、このホテルで今日、結婚式が催され、その結婚式前の儀式が始まっていた。タイの古くからの儀式らしい。その為に暫く玄関口が使えず、ワゴン車が入れない様である。
    何やら鳴り物が聞こえてきた。すると、近くから踊る人達が先導する行列が見えてくる。先頭の集団はお揃いのピンクの上着に、こげ茶色のスカートの集団である。
     
    パンさんに聞くと、新婦(花嫁)を迎えに来た新郎の行列であるという。
    まず、行列の先頭には踊るおばさんの集団、続いて楽器(鳴り物が中心)を持った集団、その後に花で出来た飾り物や、結婚指輪、引出物などを持った集団が続く、総勢で50人以上はいるか?
    その人達が踊るおばさんの集団のスピードに合わせてぞろぞろと歩き、徐々にホテルの玄関に近づいて来る。
    やっとの事、ホテルの玄関口に踊るおばさんの集団が到着し、そこで踊りを止め、ホテル内に集団が入っていく。しかし、またホテル内で踊り始め、階段を上って行った。
    パンさんに聞くと、新婦(花嫁)がこのホテルの最上階に居て、それを迎えにいくと言う。
    やっとの事、ホテルの玄関が静かになり、ワゴン車が玄関口に到着した。みんなでそれに乗り込む。

  • <待ちに待った古都アユタヤ遺跡観光><br />我々を乗せたワゴン車は、ホテルの玄関口から、ホテル前の踏み切り(昨晩は暗くて判らなかったが、ホテルの前には線路があった)を渡り、アユタヤのメイン通りであるロッチャナー通りに入る。その通りを少し、東に向かう。この通りには中央分離帯があり、その切れ目でワゴン車がUターンを行い、西に方向を変える。クルンスリーリバーホテル横の高架道路を通り、アユタヤの中心に向かう。<br />今日最初に向かう遺跡は、”ワット・ロカヤスタ”である。ワゴン車はアユタヤ内の道を5分程走ったかと思うと、路地に入り込む。その路地が少し開けたところに停車した。ここでワゴン車を降りる。すると目の前に大きな寝仏が見えている。<br />ここが最初の観光地である”ワット・ロカヤスタ”である。<br />

    <待ちに待った古都アユタヤ遺跡観光>
    我々を乗せたワゴン車は、ホテルの玄関口から、ホテル前の踏み切り(昨晩は暗くて判らなかったが、ホテルの前には線路があった)を渡り、アユタヤのメイン通りであるロッチャナー通りに入る。その通りを少し、東に向かう。この通りには中央分離帯があり、その切れ目でワゴン車がUターンを行い、西に方向を変える。クルンスリーリバーホテル横の高架道路を通り、アユタヤの中心に向かう。
    今日最初に向かう遺跡は、”ワット・ロカヤスタ”である。ワゴン車はアユタヤ内の道を5分程走ったかと思うと、路地に入り込む。その路地が少し開けたところに停車した。ここでワゴン車を降りる。すると目の前に大きな寝仏が見えている。
    ここが最初の観光地である”ワット・ロカヤスタ”である。

  • この”ワット・ロカヤスタ”の遺跡は非常に広く、この寝仏がこの遺跡の一番奥に位置している。辺りは草原地帯で、木々も比較的少ない。その草原地帯の広い範囲にチェディや仏塔が点在している。<br />ここで、パンさんが簡単にこの寝仏について説明をする。<br />  <br />この寝仏は全長が28mで、アユタヤ王朝中期の様式で、元々は寺院の中にあったものが、戦争による破壊で現在はこの仏像のみがむき出しの状態であると言う。また、この寝仏も破壊が激しかったものを1956年に復元されたと言う。確かに近づいて良く見ると、下の方は古いレンガが剥き出しの状態で残っている部分もある。寝仏自体に表面はモルタルの様なもので修復されている。<br />思い思いに写真を撮り、その寝仏の裏にある遺跡にも上がる。元々ここは、前の寝仏を一体となっていた寺院の本堂部分であろう。かなりの広い範囲に遺跡土台が残っている。<br />この場所からは遠いが、周りの草原地帯を見渡すと、チェディや仏塔が見えている。<br />15分程でこの場所の観光を終了し、再びワゴン車に乗り込む。朝の早い時間でもないのに、結局観光客は我々だけであった。<br />

    この”ワット・ロカヤスタ”の遺跡は非常に広く、この寝仏がこの遺跡の一番奥に位置している。辺りは草原地帯で、木々も比較的少ない。その草原地帯の広い範囲にチェディや仏塔が点在している。
    ここで、パンさんが簡単にこの寝仏について説明をする。
     
    この寝仏は全長が28mで、アユタヤ王朝中期の様式で、元々は寺院の中にあったものが、戦争による破壊で現在はこの仏像のみがむき出しの状態であると言う。また、この寝仏も破壊が激しかったものを1956年に復元されたと言う。確かに近づいて良く見ると、下の方は古いレンガが剥き出しの状態で残っている部分もある。寝仏自体に表面はモルタルの様なもので修復されている。
    思い思いに写真を撮り、その寝仏の裏にある遺跡にも上がる。元々ここは、前の寝仏を一体となっていた寺院の本堂部分であろう。かなりの広い範囲に遺跡土台が残っている。
    この場所からは遠いが、周りの草原地帯を見渡すと、チェディや仏塔が見えている。
    15分程でこの場所の観光を終了し、再びワゴン車に乗り込む。朝の早い時間でもないのに、結局観光客は我々だけであった。

  • ワゴン車は、この遺跡の中の道を進む。途中に先程見えていた。チェディや仏塔の脇を通り抜け、次の遺跡に向かう。次の遺跡は昨晩最後のライトアップ遺跡として見た”ワット・プラ・シー・サンペット”である。<br />”ワット・ロカヤスタ”遺跡内の道を抜け、再びアユタヤの主要道路に出る。直ぐに、ワゴン車は再び駐車場の様なところに入り、その入口付近で停車する。屋台の店が並ぶ一角で我々はワゴン車を下りた。<br />ここから屋台の店が両脇に並ぶ路を歩き進む。店の殆どは土産物屋である。中にはハンモック(これもお土産ものなのか?)を売るユニークな店などもあった。<br />

    ワゴン車は、この遺跡の中の道を進む。途中に先程見えていた。チェディや仏塔の脇を通り抜け、次の遺跡に向かう。次の遺跡は昨晩最後のライトアップ遺跡として見た”ワット・プラ・シー・サンペット”である。
    ”ワット・ロカヤスタ”遺跡内の道を抜け、再びアユタヤの主要道路に出る。直ぐに、ワゴン車は再び駐車場の様なところに入り、その入口付近で停車する。屋台の店が並ぶ一角で我々はワゴン車を下りた。
    ここから屋台の店が両脇に並ぶ路を歩き進む。店の殆どは土産物屋である。中にはハンモック(これもお土産ものなのか?)を売るユニークな店などもあった。

  • その路を抜けると左手に”ワット・プラ・シー・サンペット”遺跡が見えている。また、右手を見ると、大きな新しい寺院が見ている。ここは、”ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット”である。<br />パンさんが、屋台の店が並ぶ路を抜けたところで立止まり、これからの行動予定の説明を始める。<br />これから”ワット・プラ・シー・サンペット”に入るという。そこで、自由行動とし、45分後にこの場所に集合してほしいという。説明が終わり、”ワット・プラ・シー・サンペット”の入口に向かう。<br />パンさんが入場手続を済ませ、塀で囲まれた遺跡の中に入る。それから少し遺跡の中をパンさんに付いて歩き、大きな菩提樹の木の木陰でパンさんが簡単なこの遺跡の説明を行なう。<br />まず、注意事項として、決してふざけて頭のない仏像の後から顔を出して写真などを撮らない様に言われる。<br />そして、この遺跡の説明が始まる。<br />”ワット・プラ・シー・サンペット”は、王室を守護する寺院として1941年に建立されたものである。<br />建立初期の1500年には高さ16m、総重量171kgの黄金に覆われた仏像が建造されたが、ビルマに侵攻された際に跡形も無く破壊され、黄金は奪われてしまったと言う。今残っている、この遺跡は、目の前に見える3基のセイロン様式のチェディで、3人の王様の遺骨が納められている。3人の王様とは、初代王のラーマティボディ1世(ウー・トン王)とその子のラーマティボディ2世とその兄のボーロマラーチャーティラート3世である。当時の漆喰などが現在も残っている。<br />この様な説明を受けた後、自由行動となる。<br />まず、パンさんにお願いし、この3つのチェディをバックに記念撮影を行なって貰う。その後、この3つのチェディ周りに点在する遺跡を見て廻る。<br />殆ど復元されておらず、ビルマに破壊されたままの状態で遺跡を保存している様である。<br />

    その路を抜けると左手に”ワット・プラ・シー・サンペット”遺跡が見えている。また、右手を見ると、大きな新しい寺院が見ている。ここは、”ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット”である。
    パンさんが、屋台の店が並ぶ路を抜けたところで立止まり、これからの行動予定の説明を始める。
    これから”ワット・プラ・シー・サンペット”に入るという。そこで、自由行動とし、45分後にこの場所に集合してほしいという。説明が終わり、”ワット・プラ・シー・サンペット”の入口に向かう。
    パンさんが入場手続を済ませ、塀で囲まれた遺跡の中に入る。それから少し遺跡の中をパンさんに付いて歩き、大きな菩提樹の木の木陰でパンさんが簡単なこの遺跡の説明を行なう。
    まず、注意事項として、決してふざけて頭のない仏像の後から顔を出して写真などを撮らない様に言われる。
    そして、この遺跡の説明が始まる。
    ”ワット・プラ・シー・サンペット”は、王室を守護する寺院として1941年に建立されたものである。
    建立初期の1500年には高さ16m、総重量171kgの黄金に覆われた仏像が建造されたが、ビルマに侵攻された際に跡形も無く破壊され、黄金は奪われてしまったと言う。今残っている、この遺跡は、目の前に見える3基のセイロン様式のチェディで、3人の王様の遺骨が納められている。3人の王様とは、初代王のラーマティボディ1世(ウー・トン王)とその子のラーマティボディ2世とその兄のボーロマラーチャーティラート3世である。当時の漆喰などが現在も残っている。
    この様な説明を受けた後、自由行動となる。
    まず、パンさんにお願いし、この3つのチェディをバックに記念撮影を行なって貰う。その後、この3つのチェディ周りに点在する遺跡を見て廻る。
    殆ど復元されておらず、ビルマに破壊されたままの状態で遺跡を保存している様である。

  • 至る所に遺跡に使用されている石やレンガが転がっている。また、注意された様に殆どの仏像には頭がない。その辺に転がっているものもあるが、殆どがない。後でパンさんに聞いたが、理由は二つある様だ。<br />ひとつは、戦争の戦利品として仏像を持って帰ったが、あまりに多いので頭だけを持っていったもの。<br />もうひとつは、昔から仏像の頭には宝石を入れてあったと言われているために、その宝石目当てで頭だけを持ち帰ったもの。この二つが頭のない仏像が多い理由である。<br />

    至る所に遺跡に使用されている石やレンガが転がっている。また、注意された様に殆どの仏像には頭がない。その辺に転がっているものもあるが、殆どがない。後でパンさんに聞いたが、理由は二つある様だ。
    ひとつは、戦争の戦利品として仏像を持って帰ったが、あまりに多いので頭だけを持っていったもの。
    もうひとつは、昔から仏像の頭には宝石を入れてあったと言われているために、その宝石目当てで頭だけを持ち帰ったもの。この二つが頭のない仏像が多い理由である。

  • 3つのチェディのひとつに昇ると思いの外高く、そこから周りが見渡せる。また、この3つのチェディの裏に廻ると、塀跡の奥に広い場所がある。ここが王宮跡である。王宮は木造建築であった為、ビルマ侵攻の際に跡形も無く焼け落ちたという。今は何も残っていない。<br />3つのチェディの周りを1周する様に遺跡を見て廻った。途中、小学校高学年か、中学生くらいの集団が写生会をしている場に遭遇する。この遺跡を題材に水彩画を描いている。それを見ていると昔を思い出した。私も奈良の小学校であった為に、写生会はここで描いている学生と同様に東大寺や興福寺、奈良公園などの有名な寺社仏閣がその場所であった。<br />

    3つのチェディのひとつに昇ると思いの外高く、そこから周りが見渡せる。また、この3つのチェディの裏に廻ると、塀跡の奥に広い場所がある。ここが王宮跡である。王宮は木造建築であった為、ビルマ侵攻の際に跡形も無く焼け落ちたという。今は何も残っていない。
    3つのチェディの周りを1周する様に遺跡を見て廻った。途中、小学校高学年か、中学生くらいの集団が写生会をしている場に遭遇する。この遺跡を題材に水彩画を描いている。それを見ていると昔を思い出した。私も奈良の小学校であった為に、写生会はここで描いている学生と同様に東大寺や興福寺、奈良公園などの有名な寺社仏閣がその場所であった。

  • 3つのチェディの周りを1周し、また近くの遺跡を少し見て後、この”ワット・プラ・シー・サンペット”を後にする。これから”ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット”に向かう。<br />”ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット”は、高さ17mのプラ・モンコン・ボピット仏を本尊とする寺院で、ナレースエン王の時世下の1603年に別の場所からここに移されたと言われている。<br />一旦、この寺院もビルマ侵攻の折に、破壊されたが現王朝のラーマ5世が再建し、1956年にはビルマからの寄付も受けて現在の礼拝堂(ウィハーン)が復元された。<br />礼拝堂の前には、屋台の店が多く並んでいる。前まで行くと意外に大きな建物である。礼拝堂の入口で、靴を脱ぎ、白大理石の階段を昇る。階段を昇ったところには、大きな甕の様なものが置いてあり、そこに賽銭を入れる様だ。私も堂内に入る前にその甕に20バーツ(約60円)紙幣を入れる。<br />

    3つのチェディの周りを1周し、また近くの遺跡を少し見て後、この”ワット・プラ・シー・サンペット”を後にする。これから”ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット”に向かう。
    ”ウィハーン・プラ・モンコン・ボピット”は、高さ17mのプラ・モンコン・ボピット仏を本尊とする寺院で、ナレースエン王の時世下の1603年に別の場所からここに移されたと言われている。
    一旦、この寺院もビルマ侵攻の折に、破壊されたが現王朝のラーマ5世が再建し、1956年にはビルマからの寄付も受けて現在の礼拝堂(ウィハーン)が復元された。
    礼拝堂の前には、屋台の店が多く並んでいる。前まで行くと意外に大きな建物である。礼拝堂の入口で、靴を脱ぎ、白大理石の階段を昇る。階段を昇ったところには、大きな甕の様なものが置いてあり、そこに賽銭を入れる様だ。私も堂内に入る前にその甕に20バーツ(約60円)紙幣を入れる。

  • そして、堂内へ入る。直ぐ目の前に黄金の大仏が鎮座している。顔の表情などは奈良の大仏に似てはいるが、やはり黄金色(きんきらりん)に輝くところは、あまり馴染めない。礼拝堂内は意外に狭く、入口を入ったところに香炉があり、その奥に祭壇が設けてあり、参拝者が拝むスペースは殆ど、香炉の周りしかない。<br />この黄金の大仏を拝み、堂内を出る。時刻は10時25分で、集合5分前である。<br />  <br />そこから少し、屋台の店を見て廻ったが、買いたいものは見つからず、集合場所に向かう。<br />すでにOLの女の子2人組は、パンさんといっしょに集合場所にいた。私がその次で、後は若い男の子3人組だけである。男の子3人組は各人バラバラで、集合場所に来、最後のひとりが集まり、その場から再度、屋台の店の並ぶ路を戻り、ワゴン車に乗り込んだ。<br />

    そして、堂内へ入る。直ぐ目の前に黄金の大仏が鎮座している。顔の表情などは奈良の大仏に似てはいるが、やはり黄金色(きんきらりん)に輝くところは、あまり馴染めない。礼拝堂内は意外に狭く、入口を入ったところに香炉があり、その奥に祭壇が設けてあり、参拝者が拝むスペースは殆ど、香炉の周りしかない。
    この黄金の大仏を拝み、堂内を出る。時刻は10時25分で、集合5分前である。
     
    そこから少し、屋台の店を見て廻ったが、買いたいものは見つからず、集合場所に向かう。
    すでにOLの女の子2人組は、パンさんといっしょに集合場所にいた。私がその次で、後は若い男の子3人組だけである。男の子3人組は各人バラバラで、集合場所に来、最後のひとりが集まり、その場から再度、屋台の店の並ぶ路を戻り、ワゴン車に乗り込んだ。

  • <象乗り体験><br />ワゴン車に乗り込んだところでパンさんが、予定の変更を告げる。ここから当初の予定では、次の遺跡に行く予定であったが、今日が土曜日である事から急遽先に象乗り体験場所に行くと言う。<br />象乗り体験はここから然程遠くないエレファントキャンプで出来る。再び、ワゴン車が走り出して数分でエレファントキャンプに到着した。道路脇でワゴン車を下りる。<br />まずは、象乗り体験を行なった後に、象の餌やりも希望があれば、体験して貰うと言う。パンさんがそれぞれの象乗り時間を確認する。コースは10分間コースと20分間コースがある。10分間コースは追加料金が要らないが20分間コースは追加料金が必要である。<br />みんなで相談し、餌やり体験もしたいので10分間コースにする事にした。<br />

    <象乗り体験>
    ワゴン車に乗り込んだところでパンさんが、予定の変更を告げる。ここから当初の予定では、次の遺跡に行く予定であったが、今日が土曜日である事から急遽先に象乗り体験場所に行くと言う。
    象乗り体験はここから然程遠くないエレファントキャンプで出来る。再び、ワゴン車が走り出して数分でエレファントキャンプに到着した。道路脇でワゴン車を下りる。
    まずは、象乗り体験を行なった後に、象の餌やりも希望があれば、体験して貰うと言う。パンさんがそれぞれの象乗り時間を確認する。コースは10分間コースと20分間コースがある。10分間コースは追加料金が要らないが20分間コースは追加料金が必要である。
    みんなで相談し、餌やり体験もしたいので10分間コースにする事にした。

  • パンさんがチケットを購入しに走る。程なく、チケット購入し、戻ってきて、乗り場に案内される。<br />乗り場入口まで来て、2人乗りである事が判った。それで、若い男の子3人組にお願いし、ひとり相乗りして貰う事にした。その子といっしょに順番を待つ。順番を待っていると写真を見せられる。どうもここで注文すると写真を撮ってくれる様だ。金額は、大きな写真が400バーツ(約1,200円)、小さい写真が300バーツ(約900円)である。同上してくれる子とどうするかを相談していたが、折角なので購入する事にした。同上してくれたのは、堤下君という名字の子である。<br />まず、彼に先に(奥に)乗って貰い、私は後から象の背中に乗る。2人を乗せると象使いが乗り場を素早く離れる。象が足を出す度に左右に揺れる。丁度、象の背中といっても肩の辺りに椅子が置かれているために、象が足を出す度に肩の骨が動き、左右に揺れる。<br />しかし、思っていたよりも乗り心地は悪くない。但し、やはりかなり高いので、左右に揺れると怖い。<br />乗った場所から少し行くと写真を撮って貰う場所に差し掛かり、象が停止する。写真を撮り終えると再び、象が歩き出す。象は道路脇の象用の道を通り、50m程先の交差点まで行き、道路を渡り、”ワット・プラ・ラーム”遺跡の仏塔が見える池の渕まで行き、そこで停止する。<br />そこで、後から来た象使いがカメラを貸す様に促される。手渡すと、乗っている私達を撮ってくれた。サービスかと思ったが、しっかりとチップを要求された。それも象が。象が私に鼻先を近づけて来る。<br />    <br />象使いが紙幣を象の鼻先に入れる様に手振りをするので、象の鼻先に紙幣を近づけると起用にそれを鼻先で持ち、像使いに渡す。2回も要求され、計40バーツ(約120円)のチップを払った。<br />それが終わるとまた、もと来た道を戻る。10分間以上乗っていた感じである。もとの乗り場に戻り、その場で象を降りる。降りたところで、撮ってくれた写真を渡され、300バーツを要求される。<br />ここでハプニングが発生した。私をいっしょに象に乗った堤下君が財布を落としたという。象に乗っていた時に落ちたのかと思い、その辺りを後から合流したもう2人の男の子といっしょになり、探す。<br />堤下君に記憶を辿り、前に財布を使用したのはどこであったかを聞くと、朝から財布は使用していないと言う。それではどこで落したかは判らない。<br />取り敢えず、みんなで象乗り場所はすべて探したが、見つからなかった。そして、早々にパンさんを探す。しかし、中々パンさんが見つからない。<br />ワゴン車の中で落したのかも知れないので、ワゴン車も探す。ワゴン車はすぐに見つかり、座席を調べたが、見つからない。運転手にパンさんの居場所はどこか聞くも、象乗り場の中としか、判らないという。<br />その内に女の子の2人組も象乗りを終え、合流し、事情を話し、いっしょにパンさんを探して貰う。<br />そうこうしているとやっとの事、パンさんを発見し、事情を説明する。パンさんがもう一度、象乗り場を探すが、やはり見つからない。幸い、現金は然程入っていなかった様だが、クレジットカードが1枚入れてあったらしく、その事をパンさんに説明し、バンコクのHolidayツアー事務所に連絡を取って貰う。<br />

    パンさんがチケットを購入しに走る。程なく、チケット購入し、戻ってきて、乗り場に案内される。
    乗り場入口まで来て、2人乗りである事が判った。それで、若い男の子3人組にお願いし、ひとり相乗りして貰う事にした。その子といっしょに順番を待つ。順番を待っていると写真を見せられる。どうもここで注文すると写真を撮ってくれる様だ。金額は、大きな写真が400バーツ(約1,200円)、小さい写真が300バーツ(約900円)である。同上してくれる子とどうするかを相談していたが、折角なので購入する事にした。同上してくれたのは、堤下君という名字の子である。
    まず、彼に先に(奥に)乗って貰い、私は後から象の背中に乗る。2人を乗せると象使いが乗り場を素早く離れる。象が足を出す度に左右に揺れる。丁度、象の背中といっても肩の辺りに椅子が置かれているために、象が足を出す度に肩の骨が動き、左右に揺れる。
    しかし、思っていたよりも乗り心地は悪くない。但し、やはりかなり高いので、左右に揺れると怖い。
    乗った場所から少し行くと写真を撮って貰う場所に差し掛かり、象が停止する。写真を撮り終えると再び、象が歩き出す。象は道路脇の象用の道を通り、50m程先の交差点まで行き、道路を渡り、”ワット・プラ・ラーム”遺跡の仏塔が見える池の渕まで行き、そこで停止する。
    そこで、後から来た象使いがカメラを貸す様に促される。手渡すと、乗っている私達を撮ってくれた。サービスかと思ったが、しっかりとチップを要求された。それも象が。象が私に鼻先を近づけて来る。
     
    象使いが紙幣を象の鼻先に入れる様に手振りをするので、象の鼻先に紙幣を近づけると起用にそれを鼻先で持ち、像使いに渡す。2回も要求され、計40バーツ(約120円)のチップを払った。
    それが終わるとまた、もと来た道を戻る。10分間以上乗っていた感じである。もとの乗り場に戻り、その場で象を降りる。降りたところで、撮ってくれた写真を渡され、300バーツを要求される。
    ここでハプニングが発生した。私をいっしょに象に乗った堤下君が財布を落としたという。象に乗っていた時に落ちたのかと思い、その辺りを後から合流したもう2人の男の子といっしょになり、探す。
    堤下君に記憶を辿り、前に財布を使用したのはどこであったかを聞くと、朝から財布は使用していないと言う。それではどこで落したかは判らない。
    取り敢えず、みんなで象乗り場所はすべて探したが、見つからなかった。そして、早々にパンさんを探す。しかし、中々パンさんが見つからない。
    ワゴン車の中で落したのかも知れないので、ワゴン車も探す。ワゴン車はすぐに見つかり、座席を調べたが、見つからない。運転手にパンさんの居場所はどこか聞くも、象乗り場の中としか、判らないという。
    その内に女の子の2人組も象乗りを終え、合流し、事情を話し、いっしょにパンさんを探して貰う。
    そうこうしているとやっとの事、パンさんを発見し、事情を説明する。パンさんがもう一度、象乗り場を探すが、やはり見つからない。幸い、現金は然程入っていなかった様だが、クレジットカードが1枚入れてあったらしく、その事をパンさんに説明し、バンコクのHolidayツアー事務所に連絡を取って貰う。

  • このハプニングで象の餌やりはお預けになった。まあ、仕方がない。<br />  <br />仕方なく、ワゴン車に乗り込み、次の遺跡に向かう事にした。その間もパンさんはホテルなどに財布の落し物が無かったかの確認電話をしている。また、途中で、Holidayツアーのバンコク事務所からパンさんの携帯電話に電話が入り、堤下君本人が無くしたものや状況を説明している。<br />

    このハプニングで象の餌やりはお預けになった。まあ、仕方がない。
     
    仕方なく、ワゴン車に乗り込み、次の遺跡に向かう事にした。その間もパンさんはホテルなどに財布の落し物が無かったかの確認電話をしている。また、途中で、Holidayツアーのバンコク事務所からパンさんの携帯電話に電話が入り、堤下君本人が無くしたものや状況を説明している。

  • んなが心配している中、次の遺跡である”ワット・マハタート”に到着した。ワゴン車がその遺跡の駐車場に車を止める。全員が下り、パンさんが入口で手続をしている。<br />駐車場の脇には土産物屋が並ぶ、その前を通り抜け、遺跡の入口を向かう。垣根に囲われた路を少し行くと、遺跡に到達する。この遺跡に入ったところでパンさんが簡単な遺跡の説明を始める。<br />この”ワット・マハタート”遺跡は、先に訪れた”ワット・プラ・シー・サンペット”と並び重要とされる寺院で、2代目の王のラーマティボディ2世(ラームスエン王)が建立した説と、3代目の王のボロムラーチャー1世が建立した説があり、高さ44mの仏塔があったと言われている。<br />しかし、この仏塔もビルマ侵攻の際に破壊され、現在はその土台部分のみである。また、当時の面影を残すものには、菩提樹の根に取り込まれた仏像の頭部や、苔むした仏塔の土台や井戸、または往時の寺院の大きさを物語る窓の残る壁だけであると言う。<br />ここの寺院には珍しく井戸がある。アユタヤでは、川の水を利用する事が多かったので、多くの寺院では井戸などは掘られていないが、ここは川から遠かったせいか、井戸を堀り、その水を生活水として利用していたという。<br />このような説明を終えた後に再度、パンさんについて歩き出す。<br />寺院の中心には、大きな仏塔の土台跡が崩れた状態で残っている。その周りの塀脇には多くの仏像が鎮座しているが、どの仏像も頭がない。<br />少し遺跡内を歩いたところで、パンさんが立止まる。そこには、この寺院での見所のひとつである。菩提樹の根に取り込まれた仏像の頭部がある。その前には、線香や花が供えられている。その脇で多くの観光客が記念撮影を行なっているので、我々も同様にパンさんにお願いし、記念撮影を行なう。<br />

    んなが心配している中、次の遺跡である”ワット・マハタート”に到着した。ワゴン車がその遺跡の駐車場に車を止める。全員が下り、パンさんが入口で手続をしている。
    駐車場の脇には土産物屋が並ぶ、その前を通り抜け、遺跡の入口を向かう。垣根に囲われた路を少し行くと、遺跡に到達する。この遺跡に入ったところでパンさんが簡単な遺跡の説明を始める。
    この”ワット・マハタート”遺跡は、先に訪れた”ワット・プラ・シー・サンペット”と並び重要とされる寺院で、2代目の王のラーマティボディ2世(ラームスエン王)が建立した説と、3代目の王のボロムラーチャー1世が建立した説があり、高さ44mの仏塔があったと言われている。
    しかし、この仏塔もビルマ侵攻の際に破壊され、現在はその土台部分のみである。また、当時の面影を残すものには、菩提樹の根に取り込まれた仏像の頭部や、苔むした仏塔の土台や井戸、または往時の寺院の大きさを物語る窓の残る壁だけであると言う。
    ここの寺院には珍しく井戸がある。アユタヤでは、川の水を利用する事が多かったので、多くの寺院では井戸などは掘られていないが、ここは川から遠かったせいか、井戸を堀り、その水を生活水として利用していたという。
    このような説明を終えた後に再度、パンさんについて歩き出す。
    寺院の中心には、大きな仏塔の土台跡が崩れた状態で残っている。その周りの塀脇には多くの仏像が鎮座しているが、どの仏像も頭がない。
    少し遺跡内を歩いたところで、パンさんが立止まる。そこには、この寺院での見所のひとつである。菩提樹の根に取り込まれた仏像の頭部がある。その前には、線香や花が供えられている。その脇で多くの観光客が記念撮影を行なっているので、我々も同様にパンさんにお願いし、記念撮影を行なう。

  • その後、パンさんより自由行動の指示が出る。時間は20分間。20分後に、駐車場に集合となった。<br />思い思いに別れ、遺跡内を歩く。先程説明を受けたレンガ造りの井戸がある。中を覗きこむと今でも水を湛えている。その脇の塀は既に破壊されているが、ポツンと比較的大きな仏像が鎮座している。また、この仏像は頭もある。その遺跡の塀があったであろう周囲にも仏像が鎮座していた痕跡はあるが、今は綺麗になくなっている。<br />

    その後、パンさんより自由行動の指示が出る。時間は20分間。20分後に、駐車場に集合となった。
    思い思いに別れ、遺跡内を歩く。先程説明を受けたレンガ造りの井戸がある。中を覗きこむと今でも水を湛えている。その脇の塀は既に破壊されているが、ポツンと比較的大きな仏像が鎮座している。また、この仏像は頭もある。その遺跡の塀があったであろう周囲にも仏像が鎮座していた痕跡はあるが、今は綺麗になくなっている。

  • その脇を抜けるとこの遺跡の中心部に位置する仏塔跡の前に出る。かなり大きな基壇であるので、ここに44mの仏塔が経っていたのであろう。その周りの塀伝いにもびっしりと鎮座した仏像が並ぶがここのものはどれも頭部がない。大きな回廊を形成していたのであろうか?

    その脇を抜けるとこの遺跡の中心部に位置する仏塔跡の前に出る。かなり大きな基壇であるので、ここに44mの仏塔が経っていたのであろう。その周りの塀伝いにもびっしりと鎮座した仏像が並ぶがここのものはどれも頭部がない。大きな回廊を形成していたのであろうか?

  • この遺跡もかなり広い。奥の方まで行くには時間がないので、適当に遺跡内を回っていると、昨晩、写真を撮った道路脇近くの場所に出た。道路を挟み、“ワット・ラーチャブラナ”の大きな仏塔が見えている。<br />時間も余りないので、その周辺の遺跡を見ながら、入ってきた入口付近に戻る。<br />入口付近は、欧米人の団体客で込み合っていたが、その脇を通り抜け、駐車場へ急いだ。駐車場に到着したが、まだ少し時間もあるので、駐車場近くの土産物屋を覗く。若い男の子の3人組が、買い物をしていた。<br />  <br />ひとりの子が何やら購入したらしく、袋を提げている。何を買ったのかと尋ねると、虫の標本を買ったという。何でそんな物を買ったのかと思っていたが、聞くとタイは虫などの標本で有名なのだという。見せて貰うと非常にグロテスクなムカデの標本である。20cm近い大ムカデである。色が少し、日本で見るよりも青い気がしたので、その旨を言うと、日本にも2種類のムカデがいるらしい。この様な青いものもいるが、あまり大きくはならないらしい。その子はかなりの昆虫マニアらしい。自宅には幾つも標本を持っているらしい。この様な会話をしながら、いっしょにワゴン車のところへ向かう。ワゴン車まで戻ると殆どの人は戻っており、後3人組の男の子ひとりがまだの様だ。直ぐにその子もワゴン車に戻り、乗り込む。<br />これで午前の観光は終了と思っていたが、時間がある様でもう1箇所回る事となった。<br />次に訪れる遺跡は、”ワット・ヤイ・チャイ・モンコン”である。<br />ワゴン車が街のメイン通りに戻り、東に走る。昨晩宿泊したホテルの前の高架道路を再び通り、バサック川を越える。川を越え、少し行ったところで、ワゴン車は右(南)に折れる。道の両サイドに店が並ぶ比較的賑やかな通りを進む。直ぐに大きな石碑のようなものが見えて来た。<br />

    この遺跡もかなり広い。奥の方まで行くには時間がないので、適当に遺跡内を回っていると、昨晩、写真を撮った道路脇近くの場所に出た。道路を挟み、“ワット・ラーチャブラナ”の大きな仏塔が見えている。
    時間も余りないので、その周辺の遺跡を見ながら、入ってきた入口付近に戻る。
    入口付近は、欧米人の団体客で込み合っていたが、その脇を通り抜け、駐車場へ急いだ。駐車場に到着したが、まだ少し時間もあるので、駐車場近くの土産物屋を覗く。若い男の子の3人組が、買い物をしていた。
     
    ひとりの子が何やら購入したらしく、袋を提げている。何を買ったのかと尋ねると、虫の標本を買ったという。何でそんな物を買ったのかと思っていたが、聞くとタイは虫などの標本で有名なのだという。見せて貰うと非常にグロテスクなムカデの標本である。20cm近い大ムカデである。色が少し、日本で見るよりも青い気がしたので、その旨を言うと、日本にも2種類のムカデがいるらしい。この様な青いものもいるが、あまり大きくはならないらしい。その子はかなりの昆虫マニアらしい。自宅には幾つも標本を持っているらしい。この様な会話をしながら、いっしょにワゴン車のところへ向かう。ワゴン車まで戻ると殆どの人は戻っており、後3人組の男の子ひとりがまだの様だ。直ぐにその子もワゴン車に戻り、乗り込む。
    これで午前の観光は終了と思っていたが、時間がある様でもう1箇所回る事となった。
    次に訪れる遺跡は、”ワット・ヤイ・チャイ・モンコン”である。
    ワゴン車が街のメイン通りに戻り、東に走る。昨晩宿泊したホテルの前の高架道路を再び通り、バサック川を越える。川を越え、少し行ったところで、ワゴン車は右(南)に折れる。道の両サイドに店が並ぶ比較的賑やかな通りを進む。直ぐに大きな石碑のようなものが見えて来た。

  • ここが、”ワット・ヤイ・チャイ・モンコン”の入口である。ワゴン車はその石碑の横を通り、入口に向かう。入口の門は車1台がやっと入れるくらいで、そこからの道も車1台がやっとである。器用に人を避けながら、中に入り、斜めに何台かの車が止められている一角に車が止められる。<br />全員でワゴンを降り、その道の更に奥に進む。すると、人一人が通れるくらいのアーチ型の門が現れ、その脇を抜けると、拓けた場所に入場手続を行うところがある。<br />

    ここが、”ワット・ヤイ・チャイ・モンコン”の入口である。ワゴン車はその石碑の横を通り、入口に向かう。入口の門は車1台がやっと入れるくらいで、そこからの道も車1台がやっとである。器用に人を避けながら、中に入り、斜めに何台かの車が止められている一角に車が止められる。
    全員でワゴンを降り、その道の更に奥に進む。すると、人一人が通れるくらいのアーチ型の門が現れ、その脇を抜けると、拓けた場所に入場手続を行うところがある。

  • パンさんがそこで手続を済ます。すでに、待っている場所からでも一際大きなチェディが見えている。<br />パンさんについて中に入る。少し入ったところに小さな塔が建っており、その近くでパンさんが説明を始める。まず、目の前にある塔について、1階には太鼓、2階には鐘が吊るされている塔で、朝と昼の食事の時にそれぞれ朝には太鼓が、昼には鐘が鳴らされる。それ以後僧侶は食事を取れないという。<br />どうしてもお腹がすいた場合は、水や牛乳などでお腹を満たすそうだ。<br />今度はこの”ワット・ヤイ・チャイ・モンコン”についての説明が始まる。<br />”ワット・ヤイ・チャイ・モンコン”は、セイロンに留学した僧侶たちの為に初代ウー・トン王が1357年に建てたと伝えられる寺院で、境内中央のチェデイは、1592年に20代王のナレースエン王がビルマ王子との象上での一騎討ちに勝った際の戦勝記念塔として建てられたもので、高さが62mもある。<br />この様な説明が終わり、チェディの前に向かう。そのチェディをバックに何枚かの記念撮影を行い、ここでまた自由行動となる。時間は20分間。チェディに昇っても良く、その周りを巡っても良い。<br />    <br />   <br />まず、チェディに昇り、その中に入る事にした。中央にある険しい階段を昇る。かなり急で狭いが、その階段に登る人と降りてくる人が群がっている。<br />立止まり、後を振り返るにはちょっと怖い気がする。高所恐怖症には、無理か?<br />

    パンさんがそこで手続を済ます。すでに、待っている場所からでも一際大きなチェディが見えている。
    パンさんについて中に入る。少し入ったところに小さな塔が建っており、その近くでパンさんが説明を始める。まず、目の前にある塔について、1階には太鼓、2階には鐘が吊るされている塔で、朝と昼の食事の時にそれぞれ朝には太鼓が、昼には鐘が鳴らされる。それ以後僧侶は食事を取れないという。
    どうしてもお腹がすいた場合は、水や牛乳などでお腹を満たすそうだ。
    今度はこの”ワット・ヤイ・チャイ・モンコン”についての説明が始まる。
    ”ワット・ヤイ・チャイ・モンコン”は、セイロンに留学した僧侶たちの為に初代ウー・トン王が1357年に建てたと伝えられる寺院で、境内中央のチェデイは、1592年に20代王のナレースエン王がビルマ王子との象上での一騎討ちに勝った際の戦勝記念塔として建てられたもので、高さが62mもある。
    この様な説明が終わり、チェディの前に向かう。そのチェディをバックに何枚かの記念撮影を行い、ここでまた自由行動となる。時間は20分間。チェディに昇っても良く、その周りを巡っても良い。
     

    まず、チェディに昇り、その中に入る事にした。中央にある険しい階段を昇る。かなり急で狭いが、その階段に登る人と降りてくる人が群がっている。
    立止まり、後を振り返るにはちょっと怖い気がする。高所恐怖症には、無理か?

  • 昇り切ったところには中に丸く刳り抜かれたお堂の様な空間があり、その壁沿いとそのお堂の空間の中央に仏像が鎮座している。<br />この空間にも多くの人が訪れている。ここに一人のおじさんが居て、中央の仏像に前で何かを売っている。よく見ると、何やら紙切れの様なものを渡している。金箔である。<br />これが先程、パンさんが説明していた金箔で祈りながら仏像に体の悪い部分に金箔を貼り付けるそうだ。<br />私もおじさんに20バーツ(約60円)を渡し、金箔を受取る。そして、祈りながら、まずは壁際の仏像の体に金箔を貼り付けて行く。体の何箇所か気になっているところに金箔を貼る。<br />壁際には、8体の仏像が鎮座していた。それらに全て貼り終わり、中央の仏像に金箔を貼ろうとしたが、人が群がっており、貼れない。仕方なく、諦め、余った金箔は記念に持って帰る事にした。<br />これでは、ご利益はないだろうか?<br />その後、お堂を出て、下りの階段である。急ではあるが、人が詰まっているので、ゆっくり下りられた。<br />途中に下から僧侶の集団が昇ってくる。みんなオレンジ色の袈裟を着ている。<br />後でパンさんに聞くと、この寺院はタイの各地から社会見学で多くの僧侶も訪れるという。その一団であるらしい。その後、このチェディの周りを散策し、時間になり、集合場所に向かう。<br />

    昇り切ったところには中に丸く刳り抜かれたお堂の様な空間があり、その壁沿いとそのお堂の空間の中央に仏像が鎮座している。
    この空間にも多くの人が訪れている。ここに一人のおじさんが居て、中央の仏像に前で何かを売っている。よく見ると、何やら紙切れの様なものを渡している。金箔である。
    これが先程、パンさんが説明していた金箔で祈りながら仏像に体の悪い部分に金箔を貼り付けるそうだ。
    私もおじさんに20バーツ(約60円)を渡し、金箔を受取る。そして、祈りながら、まずは壁際の仏像の体に金箔を貼り付けて行く。体の何箇所か気になっているところに金箔を貼る。
    壁際には、8体の仏像が鎮座していた。それらに全て貼り終わり、中央の仏像に金箔を貼ろうとしたが、人が群がっており、貼れない。仕方なく、諦め、余った金箔は記念に持って帰る事にした。
    これでは、ご利益はないだろうか?
    その後、お堂を出て、下りの階段である。急ではあるが、人が詰まっているので、ゆっくり下りられた。
    途中に下から僧侶の集団が昇ってくる。みんなオレンジ色の袈裟を着ている。
    後でパンさんに聞くと、この寺院はタイの各地から社会見学で多くの僧侶も訪れるという。その一団であるらしい。その後、このチェディの周りを散策し、時間になり、集合場所に向かう。

  • みんなが集合後、今度はこの寺院のもうひとつの見所である寝仏に向かう。然程歩く事なく、その寝仏の前に到着した。ここの寝仏は、今日最初に訪れた”ワット・ロカヤスタ”の寝仏に比べれば、かなり小さいが白漆喰で表面を化粧された綺麗な寝仏である。黄色い布の袈裟も着けられている。<br />まずは先に恒例の記念撮影が始まる。その後、この寝仏の周りを回り、見学する。<br />  <br />欧米人がガイドに言われ、この寝仏の足の裏にコインを押し付け、貼り付け様としているが、何度も失敗し、悲鳴を上げている。不思議な事にその欧米人に付いているガイドの人は簡単に貼り付けている。何かコツがある様だ。我々も挑戦するが、やはり欧米人の様に上手く貼り付かない。何度か挑戦したが、諦め、このお寺を後にする。<br />ワゴン車に戻り、みんなで乗り込む。もう時刻は12時20分になっている。<br />またまた器用にワゴン車は細い寺院内の道をバックしながら進み、ターン出来る場所まで下がり、方向を変える。再び石碑の横を通り抜け、先程来た道を戻る。昼食は、昨晩宿泊したクルンスリーリバーホテル内のレストランでのタイ料理のバイキングである。ワゴン車はホテルに向かう。

    みんなが集合後、今度はこの寺院のもうひとつの見所である寝仏に向かう。然程歩く事なく、その寝仏の前に到着した。ここの寝仏は、今日最初に訪れた”ワット・ロカヤスタ”の寝仏に比べれば、かなり小さいが白漆喰で表面を化粧された綺麗な寝仏である。黄色い布の袈裟も着けられている。
    まずは先に恒例の記念撮影が始まる。その後、この寝仏の周りを回り、見学する。
     
    欧米人がガイドに言われ、この寝仏の足の裏にコインを押し付け、貼り付け様としているが、何度も失敗し、悲鳴を上げている。不思議な事にその欧米人に付いているガイドの人は簡単に貼り付けている。何かコツがある様だ。我々も挑戦するが、やはり欧米人の様に上手く貼り付かない。何度か挑戦したが、諦め、このお寺を後にする。
    ワゴン車に戻り、みんなで乗り込む。もう時刻は12時20分になっている。
    またまた器用にワゴン車は細い寺院内の道をバックしながら進み、ターン出来る場所まで下がり、方向を変える。再び石碑の横を通り抜け、先程来た道を戻る。昼食は、昨晩宿泊したクルンスリーリバーホテル内のレストランでのタイ料理のバイキングである。ワゴン車はホテルに向かう。

  • <クルンスリーリバーホテルでの昼食(タイ料理のバイキング)><br />5分程でワゴン車はクルンスリーリバーホテルに到着した。朝の様な賑わいは、今はない。レストランは1階であるので、ホテルの駐車場からそのまま、1階の入口からレストランに向かう。<br />レストランは朝食を摂ったところとはまた違うレストランであった。因みに朝食と摂ったレストランは“PASAK COFFEE SHOP”である。<br />レストランの名前は、”ITALIANN PUB & RESTRANT”である。朝のレストランよりもかなり狭い。また、名前からはイタリア料理がメインなのか?その入口付近の席に案内される。<br />

    <クルンスリーリバーホテルでの昼食(タイ料理のバイキング)>
    5分程でワゴン車はクルンスリーリバーホテルに到着した。朝の様な賑わいは、今はない。レストランは1階であるので、ホテルの駐車場からそのまま、1階の入口からレストランに向かう。
    レストランは朝食を摂ったところとはまた違うレストランであった。因みに朝食と摂ったレストランは“PASAK COFFEE SHOP”である。
    レストランの名前は、”ITALIANN PUB & RESTRANT”である。朝のレストランよりもかなり狭い。また、名前からはイタリア料理がメインなのか?その入口付近の席に案内される。

  • まず、お決まりの飲物を注文する。勿論注文するのは、すいかジュースである。あまりにも私が食事毎にこのすいかジュースを注文するので、若い男の子の3人組のひとりがそんなに美味しいですか?と聞いてきた。私が、東南アジアに旅行した際には、一番無難な(ハズレのない)飲物だと思っていると言うと、その子もすいかジュースを注文した。みんな飲物の注文が終わり、席を立って、料理を見に行く。<br />タイ料理と聞いていたが、点心などもある。主な料理は以下の通りである。<br /> ①タイ風焼飯(タイ米を卵焼飯風にしたもの。味は薄味)<br /> ②タイ風カレー(スープカレーで見た目はそんなに辛い感じの色ではない)<br /> ③タイ風そうめん(米麺の細麺を湯がき、冷やしたもの)<br /> ④タイ風炒め物(鶏肉などと玉葱、人参、ピーマンなどのピリ辛ソース炒め)<br /> ⑤タイ風麺(東南アジアで良くある麺。具を選び、少しピリ辛の出汁で食べる)<br /> ⑥タイ風スープ(トム・ヤン・クンなど数種あり)<br /> ⑦各種点心(餃子、シュウマイなど)<br /> ⑧デザート類(果物、ケーキ、ゼリーなど)<br />など上記以外にも多くの料理が並んでいた。中には日本の天ぷらなどや、勿論スパゲティなどもあった。<br />我々は折角タイに来ているのであるから、タイ料理を中心に料理を取る。ここではパンさんも同じ場所でバンキングの料理を食べている。<br />  <br />パンさんに進められて、タイ風そうめんにタイ風カレーをかけて食べると美味しいと言われ、その通りにやり、テーブルへ持ち帰る。それと数種のタイ料理を皿に取り、取り敢えず席に着く。<br />まずは進められた組合せのカレー料理を食べる。確かに美味しいがあまりから辛くないと聞いていたけれども私にとっては激辛である。他の子も同じものを取って来て食べているが、同じ反応をしている。やはり日本人には辛すぎる。その為に後で食べた料理の味が判らない。食べる順番を失敗した。口の中が辛味で麻痺している感じである。すいかジュースを飲み、何とか口直しを行なうも効果がない。<br />結局、最後までこの麻痺した状態が続き、他の料理の味が殆ど判らなかった。<br />最後にこれもパンさんが進めるデザートがあった。何やら黒いゼリー状のものである。ゼリーというよりも日本のわらびもちの様なもので、黒い。どの様にして食べるのかをパンさんに聞くと、それとシロップ(砂糖水)と、氷(カキ氷の様な氷)とを混ぜて食べるという。言われた通りに入れ、席で食べる。黒いゼリー状のものは、味としては、昆布飴(昆布味の少し柔らかめの飴)の味で、硬さはやはり“わらびもち”に似ている。それにシロップの甘さが加わった感じである。あまり美味しいものではない。しかし、パンさんに言わせれば、タイでは非常に人気のあるポピュラーなデザートであるらしい。昆布の様な味がする事から日本のテングサから出来る寒天と同じ様なものかも知れない。色は黒ではあるが?<br />私は食べなかったが、タイ風麺(ベトナムの麺の“フォー”に似ている)は非常に美味しかったという。しかし、調味料としての唐辛子の量には注意が必要な様だが?<br />最後に果物を食べて、食事を終える。店員が注文した飲物の精算に来た。各々支払いを済ませる。<br />食事の時間としてはまだあるので、店を出て隣にある土産物屋を覗く。食事後の集合時間にはまだ10分程度ある。集合はホテルのロビーである。<br />土産物屋には、指して見るべきものもなく、ロビー階の土産物屋に移動する。朝の朝食時には開いていなかったが、今は店が開いている。その土産物屋を見て回る。<br />若い男の子の3人組が後からやって来て熱心に見ている。どうもお香関連商品を買いたい様だ。<br />熱心に見ていたが、2人がお香を買った。私は結局見るだけで何も買わなかった。ナイトバザールに行ける予定なので、そこまでは出来る限り土産物は買わないでおこう。<br />集合時間が近づき、ロビーのソファに座り待っていると直ぐに全員が集合し、ホテルの玄関に向かう。<br />今までホテルに預けていた荷物を受取り、ワゴン車に積み込み、我々も乗り込む。<br />そして午後の観光に出発する。<br />

    まず、お決まりの飲物を注文する。勿論注文するのは、すいかジュースである。あまりにも私が食事毎にこのすいかジュースを注文するので、若い男の子の3人組のひとりがそんなに美味しいですか?と聞いてきた。私が、東南アジアに旅行した際には、一番無難な(ハズレのない)飲物だと思っていると言うと、その子もすいかジュースを注文した。みんな飲物の注文が終わり、席を立って、料理を見に行く。
    タイ料理と聞いていたが、点心などもある。主な料理は以下の通りである。
     ①タイ風焼飯(タイ米を卵焼飯風にしたもの。味は薄味)
     ②タイ風カレー(スープカレーで見た目はそんなに辛い感じの色ではない)
     ③タイ風そうめん(米麺の細麺を湯がき、冷やしたもの)
     ④タイ風炒め物(鶏肉などと玉葱、人参、ピーマンなどのピリ辛ソース炒め)
     ⑤タイ風麺(東南アジアで良くある麺。具を選び、少しピリ辛の出汁で食べる)
     ⑥タイ風スープ(トム・ヤン・クンなど数種あり)
     ⑦各種点心(餃子、シュウマイなど)
     ⑧デザート類(果物、ケーキ、ゼリーなど)
    など上記以外にも多くの料理が並んでいた。中には日本の天ぷらなどや、勿論スパゲティなどもあった。
    我々は折角タイに来ているのであるから、タイ料理を中心に料理を取る。ここではパンさんも同じ場所でバンキングの料理を食べている。
     
    パンさんに進められて、タイ風そうめんにタイ風カレーをかけて食べると美味しいと言われ、その通りにやり、テーブルへ持ち帰る。それと数種のタイ料理を皿に取り、取り敢えず席に着く。
    まずは進められた組合せのカレー料理を食べる。確かに美味しいがあまりから辛くないと聞いていたけれども私にとっては激辛である。他の子も同じものを取って来て食べているが、同じ反応をしている。やはり日本人には辛すぎる。その為に後で食べた料理の味が判らない。食べる順番を失敗した。口の中が辛味で麻痺している感じである。すいかジュースを飲み、何とか口直しを行なうも効果がない。
    結局、最後までこの麻痺した状態が続き、他の料理の味が殆ど判らなかった。
    最後にこれもパンさんが進めるデザートがあった。何やら黒いゼリー状のものである。ゼリーというよりも日本のわらびもちの様なもので、黒い。どの様にして食べるのかをパンさんに聞くと、それとシロップ(砂糖水)と、氷(カキ氷の様な氷)とを混ぜて食べるという。言われた通りに入れ、席で食べる。黒いゼリー状のものは、味としては、昆布飴(昆布味の少し柔らかめの飴)の味で、硬さはやはり“わらびもち”に似ている。それにシロップの甘さが加わった感じである。あまり美味しいものではない。しかし、パンさんに言わせれば、タイでは非常に人気のあるポピュラーなデザートであるらしい。昆布の様な味がする事から日本のテングサから出来る寒天と同じ様なものかも知れない。色は黒ではあるが?
    私は食べなかったが、タイ風麺(ベトナムの麺の“フォー”に似ている)は非常に美味しかったという。しかし、調味料としての唐辛子の量には注意が必要な様だが?
    最後に果物を食べて、食事を終える。店員が注文した飲物の精算に来た。各々支払いを済ませる。
    食事の時間としてはまだあるので、店を出て隣にある土産物屋を覗く。食事後の集合時間にはまだ10分程度ある。集合はホテルのロビーである。
    土産物屋には、指して見るべきものもなく、ロビー階の土産物屋に移動する。朝の朝食時には開いていなかったが、今は店が開いている。その土産物屋を見て回る。
    若い男の子の3人組が後からやって来て熱心に見ている。どうもお香関連商品を買いたい様だ。
    熱心に見ていたが、2人がお香を買った。私は結局見るだけで何も買わなかった。ナイトバザールに行ける予定なので、そこまでは出来る限り土産物は買わないでおこう。
    集合時間が近づき、ロビーのソファに座り待っていると直ぐに全員が集合し、ホテルの玄関に向かう。
    今までホテルに預けていた荷物を受取り、ワゴン車に積み込み、我々も乗り込む。
    そして午後の観光に出発する。

  • <アユタヤの日本人町跡の観光><br />ワゴン車はホテルを出て、再び東に向いて走り出す。<br />少し東に走り、南に向きを変え、郊外の道を走る。周りには、家も少なくなってきた。暫く、走ると家もなく、道の両サイドは小さな木々の生い茂る林である。<br />そう思っていると急にワゴン車が左に曲がり、小川に架かる橋を渡る。そこが日本人街跡の入口であった。<br />橋を渡り、入口の左手にワゴン車が止まる。<br />日本人町跡といっても何も残っていない。入口付近に石碑が建っており、入口近くと奥に現代風の展示館らしき建物が建っているだけである。<br />ワゴン車を下りた場所で、パンさんの日本人町跡の説明が始まる。16世紀から17世紀にかけてアユタヤ王国は、中国や日本、西欧の国々との交易を盛んに行なった。<br />その際に各国の商人の為に、アユタヤ王はこれら外国人に住居を与え、それぞれの国の町を造る事を許可した。そのひとつがこの日本人町である。<br />17世紀初頭に御朱印船貿易で栄え、最盛期には、日本人3000人近い人が住んでいたと言われている。最も有名な日本人は歴史の教科書にも出てくる“山田長政”である。<br />このような説明を終わり、この入口近くに建てられている記念碑の前にみんなで移動する。<br />  <br />先程の“山田長政”について少し補足すると、“山田長政”は、当時のアユタヤ王のソンタム王に重用され、傭兵隊長などを歴任した後、最後には地方長官にまで上り詰める。しかし、その為に王位継承権争いに巻き込まれ、毒殺されたと伝えられている。<br />記念碑の前で撮影を行っていて気がついたが、記念碑には、“アユチヤ”と書かれている。“アユタヤ”ではない。これはなぜなのか?パンさんに聞いても判らない様子である。<br />記念碑の前で記念撮影を行い、その右奥にある。小さな祠にお参りをする。<br />

    <アユタヤの日本人町跡の観光>
    ワゴン車はホテルを出て、再び東に向いて走り出す。
    少し東に走り、南に向きを変え、郊外の道を走る。周りには、家も少なくなってきた。暫く、走ると家もなく、道の両サイドは小さな木々の生い茂る林である。
    そう思っていると急にワゴン車が左に曲がり、小川に架かる橋を渡る。そこが日本人街跡の入口であった。
    橋を渡り、入口の左手にワゴン車が止まる。
    日本人町跡といっても何も残っていない。入口付近に石碑が建っており、入口近くと奥に現代風の展示館らしき建物が建っているだけである。
    ワゴン車を下りた場所で、パンさんの日本人町跡の説明が始まる。16世紀から17世紀にかけてアユタヤ王国は、中国や日本、西欧の国々との交易を盛んに行なった。
    その際に各国の商人の為に、アユタヤ王はこれら外国人に住居を与え、それぞれの国の町を造る事を許可した。そのひとつがこの日本人町である。
    17世紀初頭に御朱印船貿易で栄え、最盛期には、日本人3000人近い人が住んでいたと言われている。最も有名な日本人は歴史の教科書にも出てくる“山田長政”である。
    このような説明を終わり、この入口近くに建てられている記念碑の前にみんなで移動する。
     
    先程の“山田長政”について少し補足すると、“山田長政”は、当時のアユタヤ王のソンタム王に重用され、傭兵隊長などを歴任した後、最後には地方長官にまで上り詰める。しかし、その為に王位継承権争いに巻き込まれ、毒殺されたと伝えられている。
    記念碑の前で撮影を行っていて気がついたが、記念碑には、“アユチヤ”と書かれている。“アユタヤ”ではない。これはなぜなのか?パンさんに聞いても判らない様子である。
    記念碑の前で記念撮影を行い、その右奥にある。小さな祠にお参りをする。

  • ここには、記名帳が置いてあり、ここを訪れた記念にみんなが記名をしている。我々もひとりひとり名前と住所を記載する。今までに記名されているページを見ていると奈良から来ている人がかなりの割合でいる。数ページに渡り、見たが4分の1くらいの人が奈良の人である。奈良からの団体客かと思い、記名日時などを見ると違う期日である。何故これ程奈良の人が多く、ここを訪れているのか?奈良の人はこのアユタヤに興味があるのであろうか?あまり理由が考えられないが?<br />その後、この敷地内の一番奥に建つ記念館に向かう。ここには、土産物屋と当時の資料展示や山田長政像などがあるらしい。<br />その記念館の入口で、パンさんが天井付近を指差す。見ると大きなヤモリが何匹もいる。どうもパンさんが日本人の観光客をこの場所に連れて来る度に日本人観光客がこれに注目する様で盛んにそのヤモリについて、話をしている。確かに最近は都会でみる事もなく、田舎者の私にとっては珍しいものではないが、若い男の子の3人組もOLの女の子2人組も珍しいのか熱心にパンさんの説明に聞き入っていた。<br />また、この建物の壁が白い事もヤモリがいるのが良く判る原因である。しかし、言われて見ていると本当に多くのヤモリが壁にくっ付いている。ざっと見ただけでも大小合わせて10匹近くいる。<br />私には盛んに、壁の隙間にあるこのヤモリの巣を見る様に進める。<br />私としては珍しいものではなく、興味もない。そのまま、記念館の中に入る。すると数人の日本人が出迎えてくれた。そして、まず入口右の展示室へ案内される。<br />そこには、当時の記録や朱印船の模型、そして山田長政の像(現地の衣装を着た)が展示されていた。<br />それらを一通り見終え、もとの入口の部屋に戻る。この入口の部屋は土産物が置いてある。また、左奥にも小さな部屋があり、そこも土産物でいっぱいである。それらを見て回る。<br />ここの館長さんらしき人が盛んに他の土産物屋よりも格安である事を強調し、様々な物を売り込む。<br />また、ここでの収益はアユタヤの日本人学校などへも一部が寄付されるという。それを聞くと少しでも購入しないと悪い気がした。<br />ここで、この館長さんらしき人に先程の記念碑の“アユチヤ”の由来について、聞いてみた。すると、はっきりとした事は判らないが、明治以降に入ってきた西洋書での表記をそのまま、読んだものが使用されたのではないかと言う答えであった。その説明によると、江戸時代までは、“アヨータヤ”と呼ばれていたそうだ。<br />そこで当初は買うつもりでは無かったが、土産物を購入する事にした。小物を買うつもりであったが、結局小さな鞄を2つ購入した。合計で600バーツ(約1,800円)である。<br />  <br />みんなかなりの時間、数人いる店員に捕まっていたが、一通り買物を終え、この建物を出る。その建物の裏は、もうチャオプラヤー川である。ここにも川の渡し場がある。<br />

    ここには、記名帳が置いてあり、ここを訪れた記念にみんなが記名をしている。我々もひとりひとり名前と住所を記載する。今までに記名されているページを見ていると奈良から来ている人がかなりの割合でいる。数ページに渡り、見たが4分の1くらいの人が奈良の人である。奈良からの団体客かと思い、記名日時などを見ると違う期日である。何故これ程奈良の人が多く、ここを訪れているのか?奈良の人はこのアユタヤに興味があるのであろうか?あまり理由が考えられないが?
    その後、この敷地内の一番奥に建つ記念館に向かう。ここには、土産物屋と当時の資料展示や山田長政像などがあるらしい。
    その記念館の入口で、パンさんが天井付近を指差す。見ると大きなヤモリが何匹もいる。どうもパンさんが日本人の観光客をこの場所に連れて来る度に日本人観光客がこれに注目する様で盛んにそのヤモリについて、話をしている。確かに最近は都会でみる事もなく、田舎者の私にとっては珍しいものではないが、若い男の子の3人組もOLの女の子2人組も珍しいのか熱心にパンさんの説明に聞き入っていた。
    また、この建物の壁が白い事もヤモリがいるのが良く判る原因である。しかし、言われて見ていると本当に多くのヤモリが壁にくっ付いている。ざっと見ただけでも大小合わせて10匹近くいる。
    私には盛んに、壁の隙間にあるこのヤモリの巣を見る様に進める。
    私としては珍しいものではなく、興味もない。そのまま、記念館の中に入る。すると数人の日本人が出迎えてくれた。そして、まず入口右の展示室へ案内される。
    そこには、当時の記録や朱印船の模型、そして山田長政の像(現地の衣装を着た)が展示されていた。
    それらを一通り見終え、もとの入口の部屋に戻る。この入口の部屋は土産物が置いてある。また、左奥にも小さな部屋があり、そこも土産物でいっぱいである。それらを見て回る。
    ここの館長さんらしき人が盛んに他の土産物屋よりも格安である事を強調し、様々な物を売り込む。
    また、ここでの収益はアユタヤの日本人学校などへも一部が寄付されるという。それを聞くと少しでも購入しないと悪い気がした。
    ここで、この館長さんらしき人に先程の記念碑の“アユチヤ”の由来について、聞いてみた。すると、はっきりとした事は判らないが、明治以降に入ってきた西洋書での表記をそのまま、読んだものが使用されたのではないかと言う答えであった。その説明によると、江戸時代までは、“アヨータヤ”と呼ばれていたそうだ。
    そこで当初は買うつもりでは無かったが、土産物を購入する事にした。小物を買うつもりであったが、結局小さな鞄を2つ購入した。合計で600バーツ(約1,800円)である。
     
    みんなかなりの時間、数人いる店員に捕まっていたが、一通り買物を終え、この建物を出る。その建物の裏は、もうチャオプラヤー川である。ここにも川の渡し場がある。

  • ここから再度入口に向かい歩き出す。その途中には、垣根に囲われた日本庭園があるが、そこには入らず、入口付近の建物に向かう。<br />この建物は、タイの歴史と日本との関係についての資料などが展示されている資料館である。中に入ると冷房が良く効いていて気持ちが良い。入口付近には、タイ王朝の変遷と日本の歴史を年表にしたものがある。<br />まず、最初のタイの王朝は、スコータイ王朝で、1233年~1438年で、メコン河流域の小国がまとまり、1238年にシー・インタラーティット王のもとにタイ民族初の統一国家を建国した。クメールの衰退に乗じて大きく勢力を伸ばし、領土は現在のラオスやシンガポールにまで及んだと言われている。また、3代王のラムカムヘーン王がタイ文字を発案、セイロンから伝わった上座部仏教(小乗仏教)を国教に制定、交易の自由などを認めるなど、内政面や文化面で、今日のタイ国家を形成する基盤を創った。<br />2代目の王朝がアユタヤ王朝である。アユタヤについては先に説明したのでここでは省略する。<br />次がトンブリー王朝で、1767年~1782年までの15年。アユタヤ王朝滅亡後、アユタヤの将軍であったプラヤー・タクシンが自ら王となり、バンコクの対岸にあるトンブリーを新都として定めた。タイ人は国の支配権を回復し、北部地方も中央のシャムに統合したが、やがてタクシンは自分を新しい仏陀と見なすなど、精神に異常を来たすようになり、1782年に将軍であったチャオ・プラヤー・チャクリーのクーデターにより滅んだ。<br />そして現在のチャクリー(ラアタナコーシン)王朝である。タクシンを倒した後チャオ・プラヤー・チャクリーが政権を握り、王都をトンブリーの対岸のバンコクに移し、チャクリー王朝の王、ラーマ1世となった。ラーマ1世は過去のビルマの侵略などで衰退したタイの文化復興に力を注ぎ、国内の整備に注力した。また国際情勢の変化にも対応し、1855年のラーマ4世の時代には、イギリスとの間に自由貿易を原則とする条約を締結し、その後も他の西欧諸国と同様の外交関係を構築した。更にラーマ5世は奴隷制度を廃止すると共に行政制度の整備、郵便通信事業や教育制度の制定、鉄道建設など近代国家への基礎を作り、絶対君主制を確立した。しかし、第一次大戦後と世界恐慌がタイにも深刻な不景気をもたらし、ラーマ7世の在位中の1932年に民主主義の理想に心酔したパリ在住の学生グループがシャム王国の絶対君主制に対してクーデターを起こし、立憲君主制の道を開いた。ラーマ7世は混乱を避けるために国外へ亡命した。替わってラーマ8世が即位したが、事故で急逝し、弟のプミポン・アドゥンヤデートがラーマ9世(現国王)として即位し、現在に至る。<br />この様なタイの歴史に合わせて、日本での主要な出来事およびその際のタイとの関係などが年表にまとめられている。<br />また、奥にはこの辺りから出土した当時の生活用具や貿易などの商品等が展示されている。<br />当時は沖縄の物産品なども日本からの製品として貿易品のひとつとして、このアユタヤに運ばれていた。その証拠に泡盛を入れた徳利が多く、出土している。それと同様に地中海で造られたと思われる土器などもいっしょに出土をしている。このような展示を見ると、当時の交易範囲の広さが伺える。<br />これらを見ていると、パンさんがもう出る様に促す。冷房が非常に良く効いていたので、もう少し居たかったが仕方がない。早々にみんなとこの建物を出て、ワゴン車に向かう。<br />

    ここから再度入口に向かい歩き出す。その途中には、垣根に囲われた日本庭園があるが、そこには入らず、入口付近の建物に向かう。
    この建物は、タイの歴史と日本との関係についての資料などが展示されている資料館である。中に入ると冷房が良く効いていて気持ちが良い。入口付近には、タイ王朝の変遷と日本の歴史を年表にしたものがある。
    まず、最初のタイの王朝は、スコータイ王朝で、1233年~1438年で、メコン河流域の小国がまとまり、1238年にシー・インタラーティット王のもとにタイ民族初の統一国家を建国した。クメールの衰退に乗じて大きく勢力を伸ばし、領土は現在のラオスやシンガポールにまで及んだと言われている。また、3代王のラムカムヘーン王がタイ文字を発案、セイロンから伝わった上座部仏教(小乗仏教)を国教に制定、交易の自由などを認めるなど、内政面や文化面で、今日のタイ国家を形成する基盤を創った。
    2代目の王朝がアユタヤ王朝である。アユタヤについては先に説明したのでここでは省略する。
    次がトンブリー王朝で、1767年~1782年までの15年。アユタヤ王朝滅亡後、アユタヤの将軍であったプラヤー・タクシンが自ら王となり、バンコクの対岸にあるトンブリーを新都として定めた。タイ人は国の支配権を回復し、北部地方も中央のシャムに統合したが、やがてタクシンは自分を新しい仏陀と見なすなど、精神に異常を来たすようになり、1782年に将軍であったチャオ・プラヤー・チャクリーのクーデターにより滅んだ。
    そして現在のチャクリー(ラアタナコーシン)王朝である。タクシンを倒した後チャオ・プラヤー・チャクリーが政権を握り、王都をトンブリーの対岸のバンコクに移し、チャクリー王朝の王、ラーマ1世となった。ラーマ1世は過去のビルマの侵略などで衰退したタイの文化復興に力を注ぎ、国内の整備に注力した。また国際情勢の変化にも対応し、1855年のラーマ4世の時代には、イギリスとの間に自由貿易を原則とする条約を締結し、その後も他の西欧諸国と同様の外交関係を構築した。更にラーマ5世は奴隷制度を廃止すると共に行政制度の整備、郵便通信事業や教育制度の制定、鉄道建設など近代国家への基礎を作り、絶対君主制を確立した。しかし、第一次大戦後と世界恐慌がタイにも深刻な不景気をもたらし、ラーマ7世の在位中の1932年に民主主義の理想に心酔したパリ在住の学生グループがシャム王国の絶対君主制に対してクーデターを起こし、立憲君主制の道を開いた。ラーマ7世は混乱を避けるために国外へ亡命した。替わってラーマ8世が即位したが、事故で急逝し、弟のプミポン・アドゥンヤデートがラーマ9世(現国王)として即位し、現在に至る。
    この様なタイの歴史に合わせて、日本での主要な出来事およびその際のタイとの関係などが年表にまとめられている。
    また、奥にはこの辺りから出土した当時の生活用具や貿易などの商品等が展示されている。
    当時は沖縄の物産品なども日本からの製品として貿易品のひとつとして、このアユタヤに運ばれていた。その証拠に泡盛を入れた徳利が多く、出土している。それと同様に地中海で造られたと思われる土器などもいっしょに出土をしている。このような展示を見ると、当時の交易範囲の広さが伺える。
    これらを見ていると、パンさんがもう出る様に促す。冷房が非常に良く効いていたので、もう少し居たかったが仕方がない。早々にみんなとこの建物を出て、ワゴン車に向かう。

  • <王様の離宮、バン・パイン離宮><br />ワゴン車に乗り込み、次の観光スポットに向かう。次の観光スポットはバン・パイン離宮で、ここからは少し離れている。車で30分近くかかる予定である。丁度、先程から少し眠くなってきていたので少し寝る事にした。ワゴン車に揺られながら、いつの間にか寝入っていた。<br />バン・パイン離宮近くの道路にワゴン車が停まり、起こされた。<br />ここから少し歩く様だ。白い塀伝いに道路を歩くと、程なくバン・パイン離宮の入口に到着した。入口付近で、パンさんの手続きが済むのを待つ。<br />パンさんが手続きを済ませ、バン・パイン離宮に入る。入ったところに建物があり、まずその中に入っていく。<br />その建物の中には、土産物屋や軽食・飲料などの売店などが並ぶ。その横を通り抜け、再び外へ出る。<br />この建物の中の通路を通っただけであった。外へ出て、池沿い(川沿い?)の道を離宮奥へ進む。この道の左右には大きなマンゴーの木が植えられており、木いっぱいに実を付けている。<br />少し離宮内を歩き、ある小さな建物の前で立ち止まり説明が始める。<br />まず、このバン・パイン離宮についての説明を始めた。<br />このバン・パイン離宮は、アユタヤから南へ約20kmのところにあり、プラサート・トン王によってチャオプヤラー川の中州に築かれた夏の宮殿である。アユタヤの歴代王は、ここを離宮として使用した。<br />現在の多くの建物は、現王朝のラーマ5世が建てたものである。そして今でも年に数回はここへ訪れては数日を過ごされるという。<br />この様な簡単な説明の後、この前にある建物の説明を始める。<br />建物は、“ホーエン・モンティアン・テラワット”と言うクメール様式の建物で、バン・パイン離宮へ向かう途中に船が転覆し、亡くなった王妃のためにラーマ5世が建てたものであるという。<br />そして、更に奥に進むと、池の向こうに多くの西洋風の建物が見えてくる。また、池の中央に島の様に浮かぶ宮殿が見えてくる。これが、このバン・パイン離宮で最も有名な“プラ・ティナン・アイサワン・ティッパアート”である。十字型の美しいタイ建築の建物で、ラーマ4世がバンコクの王宮内に建てた“アーポーン・ピモーク・プラサート”を模して造られた。中には軍服姿のラーマ5世の像があるらしいが、遠くて像があるのは確認できるが、服装までは判らない。<br />    <br />   <br />この建物が良く見えるところで、この“プラ・ティナン・アイサワン・ティッパアート”をバックに記念撮影を行う。そして、小さな橋を渡り、更に離宮の奥に進む。<br />丁度、橋の上から水門が見えている。この離宮はチャオプヤラー川の中州に築かれている為に川の水を上手く利用し、この様な池を造っている。<br />

    <王様の離宮、バン・パイン離宮>
    ワゴン車に乗り込み、次の観光スポットに向かう。次の観光スポットはバン・パイン離宮で、ここからは少し離れている。車で30分近くかかる予定である。丁度、先程から少し眠くなってきていたので少し寝る事にした。ワゴン車に揺られながら、いつの間にか寝入っていた。
    バン・パイン離宮近くの道路にワゴン車が停まり、起こされた。
    ここから少し歩く様だ。白い塀伝いに道路を歩くと、程なくバン・パイン離宮の入口に到着した。入口付近で、パンさんの手続きが済むのを待つ。
    パンさんが手続きを済ませ、バン・パイン離宮に入る。入ったところに建物があり、まずその中に入っていく。
    その建物の中には、土産物屋や軽食・飲料などの売店などが並ぶ。その横を通り抜け、再び外へ出る。
    この建物の中の通路を通っただけであった。外へ出て、池沿い(川沿い?)の道を離宮奥へ進む。この道の左右には大きなマンゴーの木が植えられており、木いっぱいに実を付けている。
    少し離宮内を歩き、ある小さな建物の前で立ち止まり説明が始める。
    まず、このバン・パイン離宮についての説明を始めた。
    このバン・パイン離宮は、アユタヤから南へ約20kmのところにあり、プラサート・トン王によってチャオプヤラー川の中州に築かれた夏の宮殿である。アユタヤの歴代王は、ここを離宮として使用した。
    現在の多くの建物は、現王朝のラーマ5世が建てたものである。そして今でも年に数回はここへ訪れては数日を過ごされるという。
    この様な簡単な説明の後、この前にある建物の説明を始める。
    建物は、“ホーエン・モンティアン・テラワット”と言うクメール様式の建物で、バン・パイン離宮へ向かう途中に船が転覆し、亡くなった王妃のためにラーマ5世が建てたものであるという。
    そして、更に奥に進むと、池の向こうに多くの西洋風の建物が見えてくる。また、池の中央に島の様に浮かぶ宮殿が見えてくる。これが、このバン・パイン離宮で最も有名な“プラ・ティナン・アイサワン・ティッパアート”である。十字型の美しいタイ建築の建物で、ラーマ4世がバンコクの王宮内に建てた“アーポーン・ピモーク・プラサート”を模して造られた。中には軍服姿のラーマ5世の像があるらしいが、遠くて像があるのは確認できるが、服装までは判らない。
     

    この建物が良く見えるところで、この“プラ・ティナン・アイサワン・ティッパアート”をバックに記念撮影を行う。そして、小さな橋を渡り、更に離宮の奥に進む。
    丁度、橋の上から水門が見えている。この離宮はチャオプヤラー川の中州に築かれている為に川の水を上手く利用し、この様な池を造っている。

  • 奥に進むと、道の両サイドに洋館が現れる。左手の洋館は中に売店などがあり、カフェか、レストランになっている様だ。そして、その右奥には一際大きな立派な洋館が建っている。<br />これが“プラ・ティナン・ワローパート・ピマーン”である。<br />  <br />この西洋建築の建物は、国王がここを訪れた時の住居であり、謁見の間などもある。丁度、道路からもその謁見の間が見える様にカーテンなども開けられている。中の様子は道からでは良く見えないが、説明では、この謁見の間や待合室などにはタイの歴史を題材にした油絵が飾られているという。そして、その謁見の間の見える道の先に小さな小屋の様なものが建っている。何かと中を覗くと銃を持った迷彩服の兵士が立っていた。<br />

    奥に進むと、道の両サイドに洋館が現れる。左手の洋館は中に売店などがあり、カフェか、レストランになっている様だ。そして、その右奥には一際大きな立派な洋館が建っている。
    これが“プラ・ティナン・ワローパート・ピマーン”である。
     
    この西洋建築の建物は、国王がここを訪れた時の住居であり、謁見の間などもある。丁度、道路からもその謁見の間が見える様にカーテンなども開けられている。中の様子は道からでは良く見えないが、説明では、この謁見の間や待合室などにはタイの歴史を題材にした油絵が飾られているという。そして、その謁見の間の見える道の先に小さな小屋の様なものが建っている。何かと中を覗くと銃を持った迷彩服の兵士が立っていた。

  • パンさんに聞くと、ここは離宮とは言え、王宮なので常時軍隊が駐屯し、警備を行っているという。また、どの軍隊が駐屯・警備をしているのかは、その迷彩服の軍服で判る様になっていると説明をしてくれた。<br />記念にといっしょに写真を撮れないのかとパンさんに聞いて貰うと快くOKが出た。みんなで代わる代わるその兵士さんと記念撮影を行った。<br />  <br />その先には広い芝生の広場があり、その芝生の中に植木の動物が造られている。元々、ここは狩場で多くの野生の動物が棲息しており、それを植木で再現している。象や鹿、ウサギなどが確認できる。<br />  <br />パンさん曰くライオンというものもあったが、どう見てもライオンには見えなかった。<br />

    パンさんに聞くと、ここは離宮とは言え、王宮なので常時軍隊が駐屯し、警備を行っているという。また、どの軍隊が駐屯・警備をしているのかは、その迷彩服の軍服で判る様になっていると説明をしてくれた。
    記念にといっしょに写真を撮れないのかとパンさんに聞いて貰うと快くOKが出た。みんなで代わる代わるその兵士さんと記念撮影を行った。
     
    その先には広い芝生の広場があり、その芝生の中に植木の動物が造られている。元々、ここは狩場で多くの野生の動物が棲息しており、それを植木で再現している。象や鹿、ウサギなどが確認できる。
     
    パンさん曰くライオンというものもあったが、どう見てもライオンには見えなかった。

  • この芝生の広場の奥に、これまた今までの建物とは一風変わった建物が2つ見えてくる。<br />ひとつは、大きな塔である。物見の塔とパンさんが説明してくれた。この塔は“ホー・ウィトゥン・タサナー”という。<br />

    この芝生の広場の奥に、これまた今までの建物とは一風変わった建物が2つ見えてくる。
    ひとつは、大きな塔である。物見の塔とパンさんが説明してくれた。この塔は“ホー・ウィトゥン・タサナー”という。

  • そしてもうひとつの建物は、中国風の建物の“プラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン”である。<br />    <br />この“プラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン”に近づくと、その造りの豪華さが良く判る。<br />この建物は中に入れる様で、下駄箱が並んでいる。その前で靴を脱ぎ、中を見学する。<br />中に入ると写真撮影は禁止となっている。残念である。しかし、中国風で柱など至るところに細かな彫刻が施されている。また、入った広間の床はタイル張りである。<br />中国で焼かれたものか、絵の図柄が中国風のものが多い。しかし、中には綺麗な藍色のマカオで見た“アズレージョ”を思い出す様なタイルもある。その広間から廊下伝いに奥の間に行く。しかし、残念な事に各部屋には入る事が出来ず、この廊下からガラス越しに部屋の様子を見るしか出来ない。<br />廊下も凝っており、板には腐敗などを避けるために鉄の釘は一本も使われていない。みんな木の釘が使われている。また、柱も朱色をベースとして天井付近には細かな彩色の絵が描かれている。<br />見学出来たのは、廊下伝いに建物の1階部分の半分だけであった。そこから再度Uターンして、もとの広間に戻る。この建物は、当時は廷臣などの居住場所として使用されていたらしい。<br />その後、この建物を出たところで、自由行動となった。自由行動の時間は30分。集合場所は、最初に通った入口の土産物屋などのあった建物である。パンさんと別れる前にこの“プラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン”の横にある龍の陶製壁画の前で記念撮影をお願いする。<br />その後、パンさんとは別れ、各自自由行動となる。まず、目の前に見えている物見の塔の“ホー・ウィトゥン・タサナー”に向かう。先程の“プラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン”でもそうであったが、今日は土曜日という事で社会見学に来ている小学生や中学生が非常に多い。みんな同じ服装なので良く判る。運悪く、塔に着いた時には、塔の内部はこの社会見学の小学生の集団でいっぱいであった。少し、待ってその子達が居なくなるまで、この辺りで時間を潰す。<br />

    そしてもうひとつの建物は、中国風の建物の“プラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン”である。
     
    この“プラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン”に近づくと、その造りの豪華さが良く判る。
    この建物は中に入れる様で、下駄箱が並んでいる。その前で靴を脱ぎ、中を見学する。
    中に入ると写真撮影は禁止となっている。残念である。しかし、中国風で柱など至るところに細かな彫刻が施されている。また、入った広間の床はタイル張りである。
    中国で焼かれたものか、絵の図柄が中国風のものが多い。しかし、中には綺麗な藍色のマカオで見た“アズレージョ”を思い出す様なタイルもある。その広間から廊下伝いに奥の間に行く。しかし、残念な事に各部屋には入る事が出来ず、この廊下からガラス越しに部屋の様子を見るしか出来ない。
    廊下も凝っており、板には腐敗などを避けるために鉄の釘は一本も使われていない。みんな木の釘が使われている。また、柱も朱色をベースとして天井付近には細かな彩色の絵が描かれている。
    見学出来たのは、廊下伝いに建物の1階部分の半分だけであった。そこから再度Uターンして、もとの広間に戻る。この建物は、当時は廷臣などの居住場所として使用されていたらしい。
    その後、この建物を出たところで、自由行動となった。自由行動の時間は30分。集合場所は、最初に通った入口の土産物屋などのあった建物である。パンさんと別れる前にこの“プラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン”の横にある龍の陶製壁画の前で記念撮影をお願いする。
    その後、パンさんとは別れ、各自自由行動となる。まず、目の前に見えている物見の塔の“ホー・ウィトゥン・タサナー”に向かう。先程の“プラ・ティナン・ウェーハート・チャムルーン”でもそうであったが、今日は土曜日という事で社会見学に来ている小学生や中学生が非常に多い。みんな同じ服装なので良く判る。運悪く、塔に着いた時には、塔の内部はこの社会見学の小学生の集団でいっぱいであった。少し、待ってその子達が居なくなるまで、この辺りで時間を潰す。

  • その小学生の集団も去り、塔に登る事にした。ここでも土足厳禁で、下駄箱が1階入口に用意されている。そこで靴も靴下も脱ぎ、塔の中へ入る。意外に塔の中は狭く、螺旋状に階段が付いている。その螺旋階段を上ると、まず2階部分に上がれる。しかし、ここからではあまり景色が変わらない。<br />更に螺旋階段を上り、上階へ上がる。ここからは更に階段が狭くなり、幾分急にもなっている。<br />何周か回りながら上階へと続く。やっとの事3階に到着した。ここからならかなり高く、周りを見渡せるが窓だけである。<br />しかし、もう1階上があるので、そこまで上る事にした。<br />再び螺旋階段を上る。4階部分はさすがに狭く、また外に張り出した部分も狭い。<br />そしてその張り出した部分が、少し下に傾いている。高所恐怖症の私には、その場所まで行って、外を見る勇気が出ない。仕方なく、塔の中央部から周りを眺める。<br />  <br />少し、この場所で周りを眺めていると、下方から騒がしい声が聞こえる。すると別の社会見学の小学生の集団が塔に上り始めている。<br />こんなところで混雑しては危ないと感じ、慌てて塔を下り始めたが、時既に遅く、塔内の螺旋階段はこの小学生の集団に占領されていた。その小学生の集団に阻まれながら、やっとの事、1階まで下りる。<br />暑い中での出来事であったので、これだけで疲れてしまった。<br />時間も然程残っていないので、ここから入口を目指し、歩き始め、先程来た道を戻る。<br />途中に何人かの兵士に遭遇したが、みんな小屋の中で立っている。やはり日向に出ると暑いからか?<br />入口近くまで戻り、時間が少しあるので、来た道からそれ、池の反対側の道を通る事にした。<br />

    その小学生の集団も去り、塔に登る事にした。ここでも土足厳禁で、下駄箱が1階入口に用意されている。そこで靴も靴下も脱ぎ、塔の中へ入る。意外に塔の中は狭く、螺旋状に階段が付いている。その螺旋階段を上ると、まず2階部分に上がれる。しかし、ここからではあまり景色が変わらない。
    更に螺旋階段を上り、上階へ上がる。ここからは更に階段が狭くなり、幾分急にもなっている。
    何周か回りながら上階へと続く。やっとの事3階に到着した。ここからならかなり高く、周りを見渡せるが窓だけである。
    しかし、もう1階上があるので、そこまで上る事にした。
    再び螺旋階段を上る。4階部分はさすがに狭く、また外に張り出した部分も狭い。
    そしてその張り出した部分が、少し下に傾いている。高所恐怖症の私には、その場所まで行って、外を見る勇気が出ない。仕方なく、塔の中央部から周りを眺める。
     
    少し、この場所で周りを眺めていると、下方から騒がしい声が聞こえる。すると別の社会見学の小学生の集団が塔に上り始めている。
    こんなところで混雑しては危ないと感じ、慌てて塔を下り始めたが、時既に遅く、塔内の螺旋階段はこの小学生の集団に占領されていた。その小学生の集団に阻まれながら、やっとの事、1階まで下りる。
    暑い中での出来事であったので、これだけで疲れてしまった。
    時間も然程残っていないので、ここから入口を目指し、歩き始め、先程来た道を戻る。
    途中に何人かの兵士に遭遇したが、みんな小屋の中で立っている。やはり日向に出ると暑いからか?
    入口近くまで戻り、時間が少しあるので、来た道からそれ、池の反対側の道を通る事にした。

  • 橋を渡り、対岸の道へ行く。大きなマンゴーの木が見える。その木に近づくと何やら泣き声が聞こえる。日本では聞いた事のない泣き声である。鳥なのか他の動物なのかも判らないが、この大きなマンゴーの木のどこかにいる事は間違いない。目を凝らして、木全体を見渡すも、何もそれらしき鳥や動物を見つける事が出来ない。<br />  <br />しかし、泣き声だけが相変わらず聞こえている。<br />それが気になりながらも、時間がないので対岸の道を進む。こちらからだと最初に見た“ホーエン・モンティアン・テラワット”の全景が池の噴水越しによく見える。<br />対岸からもとの道に戻り、入口付近の建物に入る。この中も非常に冷房が良く聞いていて気持ちが良い。<br />パンさんが何か飲物を飲みながら待っていた。何を飲んでいるのかと尋ねると、ある店を指差す。その店に行くと果物の生ジュースの店である。<br />私もこの店ですいかジュースを注文する。料金は、80バーツ(約240円)である。それを受け取り、パンさんの座っている席でいっしょに飲む。程なく、他のみんなも建物に到着する。みんな喉が渇いているらしく、思い思いの店で飲物を注文している。<br />みんなが席で飲物を飲んでいるとパンさんが、『これからバンコクに戻りますが、少し時間があります。ここでもう少し休憩するか、または先にホテルでチェックインを済ますか、どうしますか?』と問う。<br />我々は、ニューハーフショー見学などもあり、今晩は遅くなるので先にホテルのチェックインを行いたい旨をいうと、『それではすぐに出発しましょう。』と席を立つ。<br />パンさんに付いて急ぎ、ワゴン車に乗り込む。<br />

    橋を渡り、対岸の道へ行く。大きなマンゴーの木が見える。その木に近づくと何やら泣き声が聞こえる。日本では聞いた事のない泣き声である。鳥なのか他の動物なのかも判らないが、この大きなマンゴーの木のどこかにいる事は間違いない。目を凝らして、木全体を見渡すも、何もそれらしき鳥や動物を見つける事が出来ない。
     
    しかし、泣き声だけが相変わらず聞こえている。
    それが気になりながらも、時間がないので対岸の道を進む。こちらからだと最初に見た“ホーエン・モンティアン・テラワット”の全景が池の噴水越しによく見える。
    対岸からもとの道に戻り、入口付近の建物に入る。この中も非常に冷房が良く聞いていて気持ちが良い。
    パンさんが何か飲物を飲みながら待っていた。何を飲んでいるのかと尋ねると、ある店を指差す。その店に行くと果物の生ジュースの店である。
    私もこの店ですいかジュースを注文する。料金は、80バーツ(約240円)である。それを受け取り、パンさんの座っている席でいっしょに飲む。程なく、他のみんなも建物に到着する。みんな喉が渇いているらしく、思い思いの店で飲物を注文している。
    みんなが席で飲物を飲んでいるとパンさんが、『これからバンコクに戻りますが、少し時間があります。ここでもう少し休憩するか、または先にホテルでチェックインを済ますか、どうしますか?』と問う。
    我々は、ニューハーフショー見学などもあり、今晩は遅くなるので先にホテルのチェックインを行いたい旨をいうと、『それではすぐに出発しましょう。』と席を立つ。
    パンさんに付いて急ぎ、ワゴン車に乗り込む。

  • <再び、バンコクへ><br />ワゴン車は再び、郊外の道を走り出す。周りは、草原地帯で何もない。時折、ポツンと建つ家らしきものが見える。その内に我々の走る道と平行して道が現れる。<br />幹線道路なのか、交通量は圧倒的にそちらの道の方が多い。そして、我々の走る道と交差する地点でこの道に乗るも中央分離帯がある為に先程とは反対方向への道路である。その道路を少し走り、中央分離帯の切れ目で、方向を転換し、もとの方向へ再び走り出す。<br />暫く、この幹線道路を走ると高速道路の入口に差し掛かる。この辺りから記憶が無くなっている。寝てしまったのである。気が付くと、バンコク市内の高架道路を走っていた。1時間近く寝ていた様だ。<br />高架道路を下り、市内の路地に入る。曲がりくねった路地を何度か曲がり、ワゴン車が走る。すると何時の間にか、最初のホテルであるシェラトンホテルに到着していた。ここで、パンさんと一緒に若い男の子3人組が下りる。パンさんより暫く待って貰う様に言われた。この辺りはホテルが集中している様で、このホテル近くの路地には、観光バスが多く停まっている。ワゴン車の中で待つこと15分、パンさんと3人がワゴン車に戻って来た。これから我々のホテルに向かう。ここから15分以上は掛かる様だ。<br />ワゴン車は再び路地を抜け、市内の幹線道路を通り、その道から高架道路に入る。暫く走り、幹線道路を抜け、またまた路地に入る。バンコクのホテルは路地に面したところが多い。<br />程なく、私の宿泊するレンブラントホテルに到着した。私とOLの女の子2人組とパンさんがワゴン車を下りる。4人でホテルのフロントへ。フロントにて、パスポートとクレジットカードを要求され、それらをパンさんに預け、フロント横のソファで待つ。<br />  <br />暫くしてパンさんがホテルの署名用紙を持って来て、それに署名し、パスポートとクレジットカードが返され、部屋のキーカードが渡される。そしてキーカードの使い方について説明を受ける。<br />

    <再び、バンコクへ>
    ワゴン車は再び、郊外の道を走り出す。周りは、草原地帯で何もない。時折、ポツンと建つ家らしきものが見える。その内に我々の走る道と平行して道が現れる。
    幹線道路なのか、交通量は圧倒的にそちらの道の方が多い。そして、我々の走る道と交差する地点でこの道に乗るも中央分離帯がある為に先程とは反対方向への道路である。その道路を少し走り、中央分離帯の切れ目で、方向を転換し、もとの方向へ再び走り出す。
    暫く、この幹線道路を走ると高速道路の入口に差し掛かる。この辺りから記憶が無くなっている。寝てしまったのである。気が付くと、バンコク市内の高架道路を走っていた。1時間近く寝ていた様だ。
    高架道路を下り、市内の路地に入る。曲がりくねった路地を何度か曲がり、ワゴン車が走る。すると何時の間にか、最初のホテルであるシェラトンホテルに到着していた。ここで、パンさんと一緒に若い男の子3人組が下りる。パンさんより暫く待って貰う様に言われた。この辺りはホテルが集中している様で、このホテル近くの路地には、観光バスが多く停まっている。ワゴン車の中で待つこと15分、パンさんと3人がワゴン車に戻って来た。これから我々のホテルに向かう。ここから15分以上は掛かる様だ。
    ワゴン車は再び路地を抜け、市内の幹線道路を通り、その道から高架道路に入る。暫く走り、幹線道路を抜け、またまた路地に入る。バンコクのホテルは路地に面したところが多い。
    程なく、私の宿泊するレンブラントホテルに到着した。私とOLの女の子2人組とパンさんがワゴン車を下りる。4人でホテルのフロントへ。フロントにて、パスポートとクレジットカードを要求され、それらをパンさんに預け、フロント横のソファで待つ。
     
    暫くしてパンさんがホテルの署名用紙を持って来て、それに署名し、パスポートとクレジットカードが返され、部屋のキーカードが渡される。そしてキーカードの使い方について説明を受ける。

  • このホテルのエレベーターもこのキーカードが必要である。このキーカードが無ければ、エレベーターのボタンが押せない様になっている。エレベーターで宿泊階の10階に向かう。部屋に入り、必要なもの以外は部屋に置き、お湯やトイレを確認し、再びフロントに下りる。<br />  <br />再びパンさんとOL女の子の2人組と合流し、ワゴン車に向かう。<br />ワゴン車で今日の夕食場所に出発する。<br />

    このホテルのエレベーターもこのキーカードが必要である。このキーカードが無ければ、エレベーターのボタンが押せない様になっている。エレベーターで宿泊階の10階に向かう。部屋に入り、必要なもの以外は部屋に置き、お湯やトイレを確認し、再びフロントに下りる。
     
    再びパンさんとOL女の子の2人組と合流し、ワゴン車に向かう。
    ワゴン車で今日の夕食場所に出発する。

  • <スアン・ルム・ナイトバザールと夕食><br />ワゴン車は再び市内の幹線道路を通り、今晩の夕食場所へ向かう。<br />ここから夕食場所までは、20分程度らしい。ワゴン車は幹線道路を進む。途中にアメリカ大使館などの前を通り、目的地に向かう。するとパンさんが、『もう直ぐ、日本大使館が見えてきますよ。』という。程なく、左手に立派な建物が見えてきた。これが日本大使館である。先程のアメリカ大使館よりも立派な建物ではないか?それを過ぎると、ワゴン車は左に道を折れる。ここがナイトバザールの入口である。<br />ナイトバザールの場所は道の中央分離帯の反対側の道の向こうで、こちらからは中央分離帯が邪魔をして直接は入る事が出来ない。道を奥に進み、道なりにUターンをする。<br />バザールの入口付近の路地を入り、道の両脇に店が並ぶ一角にワゴン車を駐車する。<br />まだ、夕食には時間がある様で、スアン・ルム・ナイトバザールの入口の門まで歩き、この前で自由行動となる。<br />時間は30分間。思い思いの方向に歩き出す。<br />時間も余りないので、私は若い男の子3人組について歩く事にした。<br />大通りに面した店を見ながら、歩く。まだ、時間が早く、開いている店も限られている。開店準備をしている店も多く見られる。<br />本当に色んな物が売られている。殆どの物には値札が付いていない。すべて価格交渉で決まるのであろう。<br />

    <スアン・ルム・ナイトバザールと夕食>
    ワゴン車は再び市内の幹線道路を通り、今晩の夕食場所へ向かう。
    ここから夕食場所までは、20分程度らしい。ワゴン車は幹線道路を進む。途中にアメリカ大使館などの前を通り、目的地に向かう。するとパンさんが、『もう直ぐ、日本大使館が見えてきますよ。』という。程なく、左手に立派な建物が見えてきた。これが日本大使館である。先程のアメリカ大使館よりも立派な建物ではないか?それを過ぎると、ワゴン車は左に道を折れる。ここがナイトバザールの入口である。
    ナイトバザールの場所は道の中央分離帯の反対側の道の向こうで、こちらからは中央分離帯が邪魔をして直接は入る事が出来ない。道を奥に進み、道なりにUターンをする。
    バザールの入口付近の路地を入り、道の両脇に店が並ぶ一角にワゴン車を駐車する。
    まだ、夕食には時間がある様で、スアン・ルム・ナイトバザールの入口の門まで歩き、この前で自由行動となる。
    時間は30分間。思い思いの方向に歩き出す。
    時間も余りないので、私は若い男の子3人組について歩く事にした。
    大通りに面した店を見ながら、歩く。まだ、時間が早く、開いている店も限られている。開店準備をしている店も多く見られる。
    本当に色んな物が売られている。殆どの物には値札が付いていない。すべて価格交渉で決まるのであろう。

  • 先程の日本人町跡の土産物屋で売っていたものと同じものがあったので、試しに値段を聞いてみた。すると一声で日本人町跡での土産物屋と同じである。やはり、ここで購入する方が遥かに安くなった。<br />ぐるっと大通り沿いの店を見て回り、何が置いてあるかは大体把握出来た。<br />途中でマグネットについて、1個の価格を聞くと、一声で35バーツ(約105円)と安い値段を言ってくれたおばさんの店があった。この店を記憶して置く事にした。今まで聞いた中では一声で一番安い値段を言ってくれた。購入は、帰る日の晩にもう一度ここに訪れるので、その時にする。<br />時間も後5分程度であるので、待合せ場所に向かう。既にパンさんが待っていた。<br />パンさんに合流し、他のメンバーを待つ。若い男の子3人組も集合場所の周りの店を見ている。少ししてOL女の子2人組が集合場所に現れた。これで、みんなが揃う。<br />パンさんについて、これから夕食場所に向かう。この近くと聞いているので、歩いて行く。<br />このナイトバザールの門(クレール様式の門)を潜り、バザールを出る。<br />前には、市内の大通りが見えている。門を抜け、左手に向かう。すると、この門の左手にあるレストランが今晩の夕食場所の” SUAN LUM SEAFOOD”であった。その店に入って行く。<br />店を入り、廊下伝いに奥に行く、手前にも大きなテーブル席のスペースがあるが、奥には更に大きなテーブル席のスペースがある。しかも、時間帯が早いのか、我々以外には、あと1組しか席には着いていない。<br />我々は、ほぼ中央の席に案内され、まずは飲物のメニューで、飲物を注文する。<br />ここには少し変わったソフトドリンクもあり、私は”フローズンマンゴー”と書かれた飲物を注文する。<br />先程、OLの女の子2人組がナイトバザールで何か買い物をした様で袋を下げている。何を購入したのかを聞くと、マグネットを購入したという。私もマグネットは購入して帰るつもりであったので、幾らで購入出来たのかを問うと、最初に言われた値段は1個60バーツ(約180円)であったと言う。そして、ここから交渉を開始し、最後には10個をまとめ買いする事で、1個35バーツ(約105円)で合計、350バーツで10個を購入したそうだ。明日の交渉に参考にさせて貰う事にしたが、私が途中の店で一声1個35バーツと言われた事を話すと驚き、また悔しがっていた。<br />それぞれ注文した飲物が来る。それと同時に1品目の料理が来る。今日の夕食もタイ料理である。<br />まず1品目は、これもお決まりのスープのトム・ヤン・クンである。しかし、1日目の夕食に出て来たものよりもパクチーの匂いが余りしない。これなら飲めるのではないかと挑戦したが、やはり飲み出すとパクチーの匂いや味がだめだ、やはり飲めない。<br />食事が出て来るまでに、となりのOLの女の子と話をする。話をすると若い男の子3人組から聞いたのか、私が世界遺産巡りをしている事を知っており、どこが良かったかなどを聞いてきた。<br />私が今までの世界遺産について、話をし、女の子には海外旅行の経験があるのかどうかを聞いた。すると、その女の子一人は今回が2回目の海外旅行であるという。最初にどこに行ったのかを尋ねると数年前にF1のドイツグランプリを見る為にドイツのニュルンブルクリンクまで行ったという。モータースポーツが好きらしい。<br />もうひとりの子は旅慣れた感じでこれまでにもドイツ以外にも行った事がある様だ。<br />

    先程の日本人町跡の土産物屋で売っていたものと同じものがあったので、試しに値段を聞いてみた。すると一声で日本人町跡での土産物屋と同じである。やはり、ここで購入する方が遥かに安くなった。
    ぐるっと大通り沿いの店を見て回り、何が置いてあるかは大体把握出来た。
    途中でマグネットについて、1個の価格を聞くと、一声で35バーツ(約105円)と安い値段を言ってくれたおばさんの店があった。この店を記憶して置く事にした。今まで聞いた中では一声で一番安い値段を言ってくれた。購入は、帰る日の晩にもう一度ここに訪れるので、その時にする。
    時間も後5分程度であるので、待合せ場所に向かう。既にパンさんが待っていた。
    パンさんに合流し、他のメンバーを待つ。若い男の子3人組も集合場所の周りの店を見ている。少ししてOL女の子2人組が集合場所に現れた。これで、みんなが揃う。
    パンさんについて、これから夕食場所に向かう。この近くと聞いているので、歩いて行く。
    このナイトバザールの門(クレール様式の門)を潜り、バザールを出る。
    前には、市内の大通りが見えている。門を抜け、左手に向かう。すると、この門の左手にあるレストランが今晩の夕食場所の” SUAN LUM SEAFOOD”であった。その店に入って行く。
    店を入り、廊下伝いに奥に行く、手前にも大きなテーブル席のスペースがあるが、奥には更に大きなテーブル席のスペースがある。しかも、時間帯が早いのか、我々以外には、あと1組しか席には着いていない。
    我々は、ほぼ中央の席に案内され、まずは飲物のメニューで、飲物を注文する。
    ここには少し変わったソフトドリンクもあり、私は”フローズンマンゴー”と書かれた飲物を注文する。
    先程、OLの女の子2人組がナイトバザールで何か買い物をした様で袋を下げている。何を購入したのかを聞くと、マグネットを購入したという。私もマグネットは購入して帰るつもりであったので、幾らで購入出来たのかを問うと、最初に言われた値段は1個60バーツ(約180円)であったと言う。そして、ここから交渉を開始し、最後には10個をまとめ買いする事で、1個35バーツ(約105円)で合計、350バーツで10個を購入したそうだ。明日の交渉に参考にさせて貰う事にしたが、私が途中の店で一声1個35バーツと言われた事を話すと驚き、また悔しがっていた。
    それぞれ注文した飲物が来る。それと同時に1品目の料理が来る。今日の夕食もタイ料理である。
    まず1品目は、これもお決まりのスープのトム・ヤン・クンである。しかし、1日目の夕食に出て来たものよりもパクチーの匂いが余りしない。これなら飲めるのではないかと挑戦したが、やはり飲み出すとパクチーの匂いや味がだめだ、やはり飲めない。
    食事が出て来るまでに、となりのOLの女の子と話をする。話をすると若い男の子3人組から聞いたのか、私が世界遺産巡りをしている事を知っており、どこが良かったかなどを聞いてきた。
    私が今までの世界遺産について、話をし、女の子には海外旅行の経験があるのかどうかを聞いた。すると、その女の子一人は今回が2回目の海外旅行であるという。最初にどこに行ったのかを尋ねると数年前にF1のドイツグランプリを見る為にドイツのニュルンブルクリンクまで行ったという。モータースポーツが好きらしい。
    もうひとりの子は旅慣れた感じでこれまでにもドイツ以外にも行った事がある様だ。

  • その様な事を話ていると、料理が運ばれてきた。次の料理が途切れる事なく出て来た。<br /> ①トム・ヤン・クン<br /> ②空芯菜の中国味噌炒め *パック・ブン・ファイデーンと言う。<br /> ③タイ風蟹カレー(渡り蟹のカレー)*プー・パッ・ポン・カリーと言う。<br /> ④フカヒレの姿煮薬膳スープ<br /> ⑤蒸し海老<br /> ⑥タイ風卵チャーハン *カーオ・パットと言う。<br /> ⑦タイ風さつま揚げ(辛目。インゲン豆やねぎが入っている)*トート・マン・プラーと言う。<br />  ⑧もやし炒め<br /> ⑨魚の蒸し物(醤油ベースソース掛け)<br /> ⑩フルーツ<br />凄かったのは、やはりフカヒレの姿煮薬膳スープである。直径20cm弱の土鍋にフカヒレがそのまま入っており、それがひとりひとりに出された。スープは薬膳スープなので、高麗人参の匂いや味が強く、少し漢方薬を飲んでいる気分である。フカヒレはさすがに柔らかく、ツルと喉を通る。この様なものを余り食べた事が無かったが、まさにコラーゲンの塊である。<br />タイ風カレーは辛さも強くなく、非常に美味しい。特にタイ風卵チャーハンに掛けて食べるのが非常に美味しく。みんなも同じ事をやっている。<br />また、タイ風さつま揚げは、さつま揚げではあるが、少し辛く、中に豆やねぎなどが入っている。パンさんによるとタイのお漬物(少し酸っぱい)といっしょに食べるのが美味しいらしい。<br />蒸し海老はそのまま、塩味で、大きな大正海老が蒸されたものである。<br />    <br />飲物もフローズンマンゴーだけでは足らず、すいかジュースを追加注文した。<br />この夕食は料理の種類が少なく、殆どの料理をみんなで綺麗に平らげた。最後にお茶が出され、それを飲みながら、パンさんが来るまでの時間をみんなで買い物の話などをする。<br />

    その様な事を話ていると、料理が運ばれてきた。次の料理が途切れる事なく出て来た。
     ①トム・ヤン・クン
     ②空芯菜の中国味噌炒め *パック・ブン・ファイデーンと言う。
     ③タイ風蟹カレー(渡り蟹のカレー)*プー・パッ・ポン・カリーと言う。
     ④フカヒレの姿煮薬膳スープ
     ⑤蒸し海老
     ⑥タイ風卵チャーハン *カーオ・パットと言う。
     ⑦タイ風さつま揚げ(辛目。インゲン豆やねぎが入っている)*トート・マン・プラーと言う。
    ⑧もやし炒め
     ⑨魚の蒸し物(醤油ベースソース掛け)
     ⑩フルーツ
    凄かったのは、やはりフカヒレの姿煮薬膳スープである。直径20cm弱の土鍋にフカヒレがそのまま入っており、それがひとりひとりに出された。スープは薬膳スープなので、高麗人参の匂いや味が強く、少し漢方薬を飲んでいる気分である。フカヒレはさすがに柔らかく、ツルと喉を通る。この様なものを余り食べた事が無かったが、まさにコラーゲンの塊である。
    タイ風カレーは辛さも強くなく、非常に美味しい。特にタイ風卵チャーハンに掛けて食べるのが非常に美味しく。みんなも同じ事をやっている。
    また、タイ風さつま揚げは、さつま揚げではあるが、少し辛く、中に豆やねぎなどが入っている。パンさんによるとタイのお漬物(少し酸っぱい)といっしょに食べるのが美味しいらしい。
    蒸し海老はそのまま、塩味で、大きな大正海老が蒸されたものである。
     
    飲物もフローズンマンゴーだけでは足らず、すいかジュースを追加注文した。
    この夕食は料理の種類が少なく、殆どの料理をみんなで綺麗に平らげた。最後にお茶が出され、それを飲みながら、パンさんが来るまでの時間をみんなで買い物の話などをする。

  • パンさんが最後に飲物の精算を行い、その店を後にする。辺りはすっかり暗くなり、先程通った門もライトアップされて綺麗に浮かび上がっている。その門を再び潜り、ワゴン車の停まっている駐車場に向かう。<br />ワゴン車を見つけ、みんなで乗り込む。次は今日最後の催し物の”ニューハーフショー”である。<br />

    パンさんが最後に飲物の精算を行い、その店を後にする。辺りはすっかり暗くなり、先程通った門もライトアップされて綺麗に浮かび上がっている。その門を再び潜り、ワゴン車の停まっている駐車場に向かう。
    ワゴン車を見つけ、みんなで乗り込む。次は今日最後の催し物の”ニューハーフショー”である。

  • <最高に面白いニューハーフショー:カリプソ><br />ワゴン車は再び市内の大通りを進む。<br />パンさんによると、これから見るニューハーフショーの劇場はバンコクでも人気のある劇場で”カリプソ”という。バンコクには、人気のある劇場は2つあり、その内のひとつである。<br />このナイトバザールからは20分程度掛かるという。暫く、夜のバンコク市内を車窓から眺めながら、どの様なショーが見られるのか、考える。若い男の子3人組のひとりはこのツアーで、このショーを一番楽しみにしている子もいた。少し時間は掛かったが、30分弱であるホテルの大きな玄関前にワゴン車が停まる。<br />どうもこのホテルの中でショーを見る様だ。ホテルは、”アジアホテル”である。<br />中に入ると、ホテルのロビーにしては非常に賑わっている。人がものすごく多い。ショーを見に来た人達であろうか?フロント前には、オープンテラスのレストランもある。<br />パンさんに言われ、このレストランの前辺りで手続を待つことになった。暫く、その場所で話をしていたが、みんな近くの土産物屋に向かって移動し始める。私だけが残り、パンさんの帰りを待つ事になった。誰もいないとパンさんが困るであろうと思い、ここで待つ事にした。みんなが入った土産物屋は確認出来ているので、パンさんといっしょに回れば良い。<br />本当にこのホテルは人が多い。この人達のうちでこのホテルに宿泊している人がどのくらいいるのかと考えてしまう。<br />タイ人らしき人も多く見られるので、やはりショーを見に来ている人も多いのであろう。<br />その様な事を考えていると、パンさんが戻って来た。みんなについて尋ねる。みんなが土産物屋を見に行った事を話し、いっしょにその土産物屋に向かう。土産物屋でみんなを見つけ、店の前で、ショーのチケットが渡される。パンさんは”カリプソ”の店の中には入れないという。<br />これからの予定の説明が始まる。各々指定席になっているので、その席に座る様に言われる。みんなでチケットを見せ合うと確かに番号が続きではない。私はひとりで、あと若い男の子3人組は続き、またOLの女の子も続きではあるが、3組ともバラバラである。どうもこのツアー申込時に席を押えられているのか、最初から決まっていた様だ。<br />そして、ワンドリンクが付いているので、各自半券のドリンク欄中から欲しいものにチェックする。<br />パンさんはショーが終わった出口(入口とは別のところ)で待っているという。そして、もうひとつ注意として、ニューハーフの人といっしょに写真を撮らせて貰う場合は最低20バーツ(約60円)のチップを渡す様に言われる。そして、入口付近で記念撮影を行い、その場でパンさんと別れ、我々は店の人にひとりひとり指定の席に案内される。<br />

    <最高に面白いニューハーフショー:カリプソ>
    ワゴン車は再び市内の大通りを進む。
    パンさんによると、これから見るニューハーフショーの劇場はバンコクでも人気のある劇場で”カリプソ”という。バンコクには、人気のある劇場は2つあり、その内のひとつである。
    このナイトバザールからは20分程度掛かるという。暫く、夜のバンコク市内を車窓から眺めながら、どの様なショーが見られるのか、考える。若い男の子3人組のひとりはこのツアーで、このショーを一番楽しみにしている子もいた。少し時間は掛かったが、30分弱であるホテルの大きな玄関前にワゴン車が停まる。
    どうもこのホテルの中でショーを見る様だ。ホテルは、”アジアホテル”である。
    中に入ると、ホテルのロビーにしては非常に賑わっている。人がものすごく多い。ショーを見に来た人達であろうか?フロント前には、オープンテラスのレストランもある。
    パンさんに言われ、このレストランの前辺りで手続を待つことになった。暫く、その場所で話をしていたが、みんな近くの土産物屋に向かって移動し始める。私だけが残り、パンさんの帰りを待つ事になった。誰もいないとパンさんが困るであろうと思い、ここで待つ事にした。みんなが入った土産物屋は確認出来ているので、パンさんといっしょに回れば良い。
    本当にこのホテルは人が多い。この人達のうちでこのホテルに宿泊している人がどのくらいいるのかと考えてしまう。
    タイ人らしき人も多く見られるので、やはりショーを見に来ている人も多いのであろう。
    その様な事を考えていると、パンさんが戻って来た。みんなについて尋ねる。みんなが土産物屋を見に行った事を話し、いっしょにその土産物屋に向かう。土産物屋でみんなを見つけ、店の前で、ショーのチケットが渡される。パンさんは”カリプソ”の店の中には入れないという。
    これからの予定の説明が始まる。各々指定席になっているので、その席に座る様に言われる。みんなでチケットを見せ合うと確かに番号が続きではない。私はひとりで、あと若い男の子3人組は続き、またOLの女の子も続きではあるが、3組ともバラバラである。どうもこのツアー申込時に席を押えられているのか、最初から決まっていた様だ。
    そして、ワンドリンクが付いているので、各自半券のドリンク欄中から欲しいものにチェックする。
    パンさんはショーが終わった出口(入口とは別のところ)で待っているという。そして、もうひとつ注意として、ニューハーフの人といっしょに写真を撮らせて貰う場合は最低20バーツ(約60円)のチップを渡す様に言われる。そして、入口付近で記念撮影を行い、その場でパンさんと別れ、我々は店の人にひとりひとり指定の席に案内される。

  • 私の席は、舞台から右手の前から2列目中央通路から3席目の絶好の場所である。若い男の子3人組は私の斜め後方の6列目で中央通路から10席目くらいのところである。OLの女の子2人組は舞台の左手の前から4列目、中央通路から5席目くらいにいる。私が最も舞台に近い席である。<br />席に着くと、直ぐに半券で注文をした飲物が運ばれてくる。3人に一つ小さなテーブルが設置されている。<br />そのテーブルに飲物が置かれる。<br />席は丁度、舞台を前に半円状に設けられている。然程大きな劇場ではなく、非常にこじんまりとしている。それでも椅子が目いっぱい置かれているので、200人以上は入るであろうか?<br />我々が席に着いたのはまだショーが開始されるまで30分以上前であったので、20人程度しか席には着いておらず、時間が経つに連れて、席が埋まり出す。私の右横には、綺麗な外国人の女性2人組が座った。耳を傾け、言葉を聞くとロシア語の様である。ロシア人か?そして、左横にも人が現れる。こちらは日本人のおじさんである。後に座った団体客の連れである。そして、私の前にはこれまた外国人(欧米人)の老夫婦の2人。そして、1列名の中央通路よりには日本人の若い女の子の2人組が座った。<br />時刻は、19時25分を過ぎている。ショーは19時30分からであるのでもう直ぐだ。<br />まだ、幾つかの席は空いているが、パラパラと人が入ってくる。しかし、ほぼ席は満席の状態である。<br />その内、劇場内が暗くなったと思うと、中央通路に司会進行役のニューハーフ(男装であるが)が現れた。<br />そして、観客のみんなに挨拶を始める。まずは英語、そして日本語、中国語、韓国語、フランス語、イタリア語、ロシア語と挨拶をし、その都度拍手が起こる。<br />そして、タイ語で挨拶を行なった時に一際大きな拍手を貰い、更にもう一カ国語(何語か判らなかった)で挨拶をし、終える。<br />その人の合図でショーが開始された。まずは綺麗なニューハーフの人のダンスでショーが始まる。<br />その後、次々と、人が変わり、衣装が変わり、音楽、舞台設定が変わり、多くのニューハーフが女装と男装に別れ、各役を行なっている。さすがにレベルが高く、女装のニューハーフはどの人も美人揃い?である。とても男性とは思えない。但し、どのニューハーフも背が高く、その点では男性らしい。<br />

    私の席は、舞台から右手の前から2列目中央通路から3席目の絶好の場所である。若い男の子3人組は私の斜め後方の6列目で中央通路から10席目くらいのところである。OLの女の子2人組は舞台の左手の前から4列目、中央通路から5席目くらいにいる。私が最も舞台に近い席である。
    席に着くと、直ぐに半券で注文をした飲物が運ばれてくる。3人に一つ小さなテーブルが設置されている。
    そのテーブルに飲物が置かれる。
    席は丁度、舞台を前に半円状に設けられている。然程大きな劇場ではなく、非常にこじんまりとしている。それでも椅子が目いっぱい置かれているので、200人以上は入るであろうか?
    我々が席に着いたのはまだショーが開始されるまで30分以上前であったので、20人程度しか席には着いておらず、時間が経つに連れて、席が埋まり出す。私の右横には、綺麗な外国人の女性2人組が座った。耳を傾け、言葉を聞くとロシア語の様である。ロシア人か?そして、左横にも人が現れる。こちらは日本人のおじさんである。後に座った団体客の連れである。そして、私の前にはこれまた外国人(欧米人)の老夫婦の2人。そして、1列名の中央通路よりには日本人の若い女の子の2人組が座った。
    時刻は、19時25分を過ぎている。ショーは19時30分からであるのでもう直ぐだ。
    まだ、幾つかの席は空いているが、パラパラと人が入ってくる。しかし、ほぼ席は満席の状態である。
    その内、劇場内が暗くなったと思うと、中央通路に司会進行役のニューハーフ(男装であるが)が現れた。
    そして、観客のみんなに挨拶を始める。まずは英語、そして日本語、中国語、韓国語、フランス語、イタリア語、ロシア語と挨拶をし、その都度拍手が起こる。
    そして、タイ語で挨拶を行なった時に一際大きな拍手を貰い、更にもう一カ国語(何語か判らなかった)で挨拶をし、終える。
    その人の合図でショーが開始された。まずは綺麗なニューハーフの人のダンスでショーが始まる。
    その後、次々と、人が変わり、衣装が変わり、音楽、舞台設定が変わり、多くのニューハーフが女装と男装に別れ、各役を行なっている。さすがにレベルが高く、女装のニューハーフはどの人も美人揃い?である。とても男性とは思えない。但し、どのニューハーフも背が高く、その点では男性らしい。

  • 本当に息つく暇も無いほどに次から次へとショーが行なわれる。踊りあり、ミュージカル風の劇ありと退屈させない。中でも一際、観客のみんなを笑いの海に落していたのが、”イウナさん”というニューハーフである。この”カリプソ”の看板ニューハーフなのであろう。貰ったパンフレットにもこの人が載っている。<br />しかし、この人は御世辞にも綺麗とは言い難い。どことなく、日本のカリスマ美容師でニューハーフ?の”IKKO”に似ている。<br />まず、このイウナさんが出てきたのは、ダチョウの着ぐるみを着た一団といっしょに踊るコミカルなアフリカ風のダンスであった。その際にひとりの男性に向けて、好意を表すダンスがあったが、その標的にされたのが、私の斜め前に座る老夫婦のだんなさんである。少し小太りのこの男性に好意のウインクや投げキッスなどを行い、このアフリカ風ダンスは終了し、一旦舞台を引っ込んだ。しかし、面白かったのは、これからである。その後、また別のニューハーフによるダンスなどが幾つかあり、そして再度、司会進行役の男装のニューハーフに紹介されて、イウナさんが登場。

    本当に息つく暇も無いほどに次から次へとショーが行なわれる。踊りあり、ミュージカル風の劇ありと退屈させない。中でも一際、観客のみんなを笑いの海に落していたのが、”イウナさん”というニューハーフである。この”カリプソ”の看板ニューハーフなのであろう。貰ったパンフレットにもこの人が載っている。
    しかし、この人は御世辞にも綺麗とは言い難い。どことなく、日本のカリスマ美容師でニューハーフ?の”IKKO”に似ている。
    まず、このイウナさんが出てきたのは、ダチョウの着ぐるみを着た一団といっしょに踊るコミカルなアフリカ風のダンスであった。その際にひとりの男性に向けて、好意を表すダンスがあったが、その標的にされたのが、私の斜め前に座る老夫婦のだんなさんである。少し小太りのこの男性に好意のウインクや投げキッスなどを行い、このアフリカ風ダンスは終了し、一旦舞台を引っ込んだ。しかし、面白かったのは、これからである。その後、また別のニューハーフによるダンスなどが幾つかあり、そして再度、司会進行役の男装のニューハーフに紹介されて、イウナさんが登場。

  • 今度は、日本の芸子姿である。舞台に上がるまで、扇子で顔を隠していたので、それを取るまでは会場の観客も先程のイウナさんであるとは判らなかった。<br />その扇子を取った途端に、会場は爆笑の渦に包まれる。そして、実はここで、この面白いニューハーフの人がイウナという名前である事が判った。舞台の後のカーテンから看板を持った手が出ており、その看板に日本語でイウナさんと書かれていたからである。<br />  <br />日本の演歌の流れる中で、芸子の舞を披露していたが、途中からアクションが派手になり、最後には、先程も標的になった斜め前のおじさんの膝の上に跨いで乗り出した。<br />全般にコミカルな踊りであったので、会場は大うけである。ひと際、うけていたのが私の隣に座っていたロシア人の美人の女の子達である。このイウナさんが前席のおじさんの膝に上に座った頃には、腹を抱えて笑い転げていた。<br />そんなイウナさんの面白い芸子姿のショーも終わり、またシリアスなドラマ風の踊りも挟まれて、ショーはどんどん進む。そして、もうそろそろショーも終盤かと思っていた時に、またまたイウナさんが舞台裏のカーテンから登場である。会場は拍手の嵐である。今度はどこかの民族衣装を着ている。数人と一緒に踊りを披露していたが、またまた途中からアクションが派手になり、舞台袖の壁に激突するパーフォーマンスも入り、更に会場内を笑いの渦に落す。極め付けは、またまた、前席のおじさんに散々、色目を使い、最後には抱きつき、頬に濃厚なキスをする。ここでまたまた隣のロシア人が大爆笑である。キスをされたおじさんも満更でもなかったのか、ニコニコしている。隣で老夫婦の奥さんが複雑な顔をしていたのが印象的であった。

    今度は、日本の芸子姿である。舞台に上がるまで、扇子で顔を隠していたので、それを取るまでは会場の観客も先程のイウナさんであるとは判らなかった。
    その扇子を取った途端に、会場は爆笑の渦に包まれる。そして、実はここで、この面白いニューハーフの人がイウナという名前である事が判った。舞台の後のカーテンから看板を持った手が出ており、その看板に日本語でイウナさんと書かれていたからである。
     
    日本の演歌の流れる中で、芸子の舞を披露していたが、途中からアクションが派手になり、最後には、先程も標的になった斜め前のおじさんの膝の上に跨いで乗り出した。
    全般にコミカルな踊りであったので、会場は大うけである。ひと際、うけていたのが私の隣に座っていたロシア人の美人の女の子達である。このイウナさんが前席のおじさんの膝に上に座った頃には、腹を抱えて笑い転げていた。
    そんなイウナさんの面白い芸子姿のショーも終わり、またシリアスなドラマ風の踊りも挟まれて、ショーはどんどん進む。そして、もうそろそろショーも終盤かと思っていた時に、またまたイウナさんが舞台裏のカーテンから登場である。会場は拍手の嵐である。今度はどこかの民族衣装を着ている。数人と一緒に踊りを披露していたが、またまた途中からアクションが派手になり、舞台袖の壁に激突するパーフォーマンスも入り、更に会場内を笑いの渦に落す。極め付けは、またまた、前席のおじさんに散々、色目を使い、最後には抱きつき、頬に濃厚なキスをする。ここでまたまた隣のロシア人が大爆笑である。キスをされたおじさんも満更でもなかったのか、ニコニコしている。隣で老夫婦の奥さんが複雑な顔をしていたのが印象的であった。

  • 本当にこのイウナさんは芸達者である。日本の吉本にでも入れば、人気が出るのではないか?<br />  <br />その次が最後の踊りで、最初に男装のニューハーフ(司会進行役の人とは別の人)の踊りから始まり、徐々に人は増え、最後にはこのショーに出た全員での踊りと挨拶でショーが終了した。1時間のショーかと思っていたが、45分間であった。<br />その後、出口近くの通路にみんな並び、帰る観客を見送る。その際に観客はお気に入りのニューハーフが居れば、一緒に写真を撮ったりしている。我々もニューハーフの方々をもう一度全員見るために、通路の一番端(手前)から出口に向かう。<br />しかし、この様に改めて一列に並ばれてみんなを見ると、どの人も本当に男なのかと思うくらいに美人揃いである。但し、強いて言うならば、みんな背が高く、体格がしっかりとしているところは男である。タイ人の平均的な人よりも非常に背が高い。みんな170cm以上はある。<br />また、昨年のニューハーフの世界大会で日本の“はるな愛”がこのタイで優勝した事が話題になったが、本当にこの様な美人揃いの大会の中で優勝したのであろうか?不思議である。実際に“はるな愛”本人を直に見た事はないが、テレビで見る限りここに並ぶ人達よりもお世辞にも綺麗とは言えない。それともニューハーフの美人の基準というものが、何かあり。我々が思う美人の基準とは違うのかも知れない。<br />結局、いっしょに写真は撮らなかったが、非常に印象に残るものであった。イウナさんが通路には居なかったので、どこにいるのかと思っていたら、さすがに一番人気があるのであろう。出口のホールにひとり立ち、写真などに納まっている。この人と一緒に写真を撮る人が非常に多いのである。<br />そのイウナさんの前を通り、出口を出ると、司会進行役と最後の踊りの男装のニューハーフ2人が出口を出たところで挨拶をしている。この2人も人気がある様だ。この2人の前も人集りである。<br />OLの女の子はこの2人と一緒に写真を撮って貰っていた。しかし、チップを渡すのを忘れている。<br />その後、階段を上ると、その階段を上ったところでパンさんが待っていた。我々が最後の方であった様だ。その後、ホテルのロビーを抜け、ワゴン車へ向かう。ショーはもう1回行なわれるらしく、まだホテルのロビーは人集りである。<br />このショーを一番楽しみにしていた男の子に感想を聞くと、もう一度見たいという。それももっと前の方で見たかったという。私が羨ましい様であった。<br />私が意外に近すぎて見にくかった事を言ったが、やはり前で見たいと言う。<br />正直なところ、私ももう1回見たい。バンコクを訪れる事があれば、是非見に来るべきショーのひとつである。非常にお勧めである。<br /><br /><ホテルへの帰りの道><br />ワゴン車に乗り込むとパンさんがいきなり、<br />『電車の駅が近いので、私はここで失礼しますが、宜しいですか?』と言う。<br />ダメだとは言いづらく、OKである旨を伝え、明日の各ホテルでの集合時間を確認し、ここで別れた。<br />その後、ワゴン車はまずシェラトンホテルへ向かう。<br />スムースに行ければ、20分も掛からないはずである。市内の大通りを通り、ワゴン車はシェラトンホテルを目指す。途中から路地道に入る。これが失敗であったのか、それともシェラトンホテルに行くにはこの道しかないのか、この路地に入って少し走ったところで、ピタリと動かなくなった。運転席脇から前を覗くとかなり前に観光バスが見える。しかし、一向にこの観光バスが動く気配がない。その状態で待つ事20分以上、やっとの事見えていた観光バスが動き出した。何で動かなかったのか全然理由が判らない。ゆっくりと渋滞した車が後に続き、動き出す。<br />丁度、観光バスが動かなかった辺りまで来て、やっとその渋滞の原因らしきものが判った。その辺りに観光バスが数台並んで停まっており、その乗客が乗り降りをしている。先程の前の観光バスも同様にそこに停まり、乗客が降りている。この為に観光バスが待っていたのと、その横を通り抜けられなかった為であろう。ワゴン車でも通り抜けるのにギリギリである。その先がシェラトンホテルであるのか、この観光バスを通り抜けた次の三叉路の脇でワゴン車を停め、運転手が降りる様に言う。最初どこのホテルに到着したのか、みんな理解出来ず、シェラトンホテルかと聞くと頷いたので、シャラトンホテルの若い男の子3人組が我々に挨拶をしながら降りる。ワゴン車は3人を降ろし、その三叉路を曲がり、再び市内の大通りに出る。そこから高架道路に乗り、軽快に走り出す。先程の渋滞は本当に何だったのか?しかし、時刻は先程の渋滞などもあり、既に22時を廻っている。<br />しかし、さすがにこの時間になると車の数も少なく、思いの他早く、我々の宿泊するレンブラントホテルに戻る事が出来た。ホテルには22時15分頃に到着した。<br />ホテル玄関で、ワゴン車の運転手に御礼を言い、別れ、またOLの女の子2人組ともこの玄関で別れた。<br />私は、このホテル前にあるKIOSKにて買い物をする為である。<br />ホテルにも入らず、KIOSKを目指す。KIOSKといっても日本のKIOSKとは少し違い、タイのセブンイレブンを小さくした様な店である。置いてあるのは、殆どが食べ物や飲物である。それ以外のものでは新聞や雑誌程度である。ここで、ホテルの部屋での飲物を買い込み、また暑いのでアイスクリームもひとつ買ってみた。昔、日本の駄菓子屋で見た様は冷蔵庫から何のアイスなのか判らないがひとつ選び、飲物といっしょにレジに持って行く。会計は合計で、52バーツ(約160円)であった。<br />それを持ち、ホテルへ戻る。ロビーを抜け、エレベーターに乗り込む。<br />ここで初めてエレベーター内で、キーカードを使い、ボタンを押した。忘れており、ボタンを押したが、反応しなかったので、キーカードで操作する事を思い出した。セキュリティ面では非常に良いが、やはり面倒である。<br />やっとの事、部屋に辿り着いた。<br /><br />今回はここまで!<br />

    本当にこのイウナさんは芸達者である。日本の吉本にでも入れば、人気が出るのではないか?
     
    その次が最後の踊りで、最初に男装のニューハーフ(司会進行役の人とは別の人)の踊りから始まり、徐々に人は増え、最後にはこのショーに出た全員での踊りと挨拶でショーが終了した。1時間のショーかと思っていたが、45分間であった。
    その後、出口近くの通路にみんな並び、帰る観客を見送る。その際に観客はお気に入りのニューハーフが居れば、一緒に写真を撮ったりしている。我々もニューハーフの方々をもう一度全員見るために、通路の一番端(手前)から出口に向かう。
    しかし、この様に改めて一列に並ばれてみんなを見ると、どの人も本当に男なのかと思うくらいに美人揃いである。但し、強いて言うならば、みんな背が高く、体格がしっかりとしているところは男である。タイ人の平均的な人よりも非常に背が高い。みんな170cm以上はある。
    また、昨年のニューハーフの世界大会で日本の“はるな愛”がこのタイで優勝した事が話題になったが、本当にこの様な美人揃いの大会の中で優勝したのであろうか?不思議である。実際に“はるな愛”本人を直に見た事はないが、テレビで見る限りここに並ぶ人達よりもお世辞にも綺麗とは言えない。それともニューハーフの美人の基準というものが、何かあり。我々が思う美人の基準とは違うのかも知れない。
    結局、いっしょに写真は撮らなかったが、非常に印象に残るものであった。イウナさんが通路には居なかったので、どこにいるのかと思っていたら、さすがに一番人気があるのであろう。出口のホールにひとり立ち、写真などに納まっている。この人と一緒に写真を撮る人が非常に多いのである。
    そのイウナさんの前を通り、出口を出ると、司会進行役と最後の踊りの男装のニューハーフ2人が出口を出たところで挨拶をしている。この2人も人気がある様だ。この2人の前も人集りである。
    OLの女の子はこの2人と一緒に写真を撮って貰っていた。しかし、チップを渡すのを忘れている。
    その後、階段を上ると、その階段を上ったところでパンさんが待っていた。我々が最後の方であった様だ。その後、ホテルのロビーを抜け、ワゴン車へ向かう。ショーはもう1回行なわれるらしく、まだホテルのロビーは人集りである。
    このショーを一番楽しみにしていた男の子に感想を聞くと、もう一度見たいという。それももっと前の方で見たかったという。私が羨ましい様であった。
    私が意外に近すぎて見にくかった事を言ったが、やはり前で見たいと言う。
    正直なところ、私ももう1回見たい。バンコクを訪れる事があれば、是非見に来るべきショーのひとつである。非常にお勧めである。

    <ホテルへの帰りの道>
    ワゴン車に乗り込むとパンさんがいきなり、
    『電車の駅が近いので、私はここで失礼しますが、宜しいですか?』と言う。
    ダメだとは言いづらく、OKである旨を伝え、明日の各ホテルでの集合時間を確認し、ここで別れた。
    その後、ワゴン車はまずシェラトンホテルへ向かう。
    スムースに行ければ、20分も掛からないはずである。市内の大通りを通り、ワゴン車はシェラトンホテルを目指す。途中から路地道に入る。これが失敗であったのか、それともシェラトンホテルに行くにはこの道しかないのか、この路地に入って少し走ったところで、ピタリと動かなくなった。運転席脇から前を覗くとかなり前に観光バスが見える。しかし、一向にこの観光バスが動く気配がない。その状態で待つ事20分以上、やっとの事見えていた観光バスが動き出した。何で動かなかったのか全然理由が判らない。ゆっくりと渋滞した車が後に続き、動き出す。
    丁度、観光バスが動かなかった辺りまで来て、やっとその渋滞の原因らしきものが判った。その辺りに観光バスが数台並んで停まっており、その乗客が乗り降りをしている。先程の前の観光バスも同様にそこに停まり、乗客が降りている。この為に観光バスが待っていたのと、その横を通り抜けられなかった為であろう。ワゴン車でも通り抜けるのにギリギリである。その先がシェラトンホテルであるのか、この観光バスを通り抜けた次の三叉路の脇でワゴン車を停め、運転手が降りる様に言う。最初どこのホテルに到着したのか、みんな理解出来ず、シェラトンホテルかと聞くと頷いたので、シャラトンホテルの若い男の子3人組が我々に挨拶をしながら降りる。ワゴン車は3人を降ろし、その三叉路を曲がり、再び市内の大通りに出る。そこから高架道路に乗り、軽快に走り出す。先程の渋滞は本当に何だったのか?しかし、時刻は先程の渋滞などもあり、既に22時を廻っている。
    しかし、さすがにこの時間になると車の数も少なく、思いの他早く、我々の宿泊するレンブラントホテルに戻る事が出来た。ホテルには22時15分頃に到着した。
    ホテル玄関で、ワゴン車の運転手に御礼を言い、別れ、またOLの女の子2人組ともこの玄関で別れた。
    私は、このホテル前にあるKIOSKにて買い物をする為である。
    ホテルにも入らず、KIOSKを目指す。KIOSKといっても日本のKIOSKとは少し違い、タイのセブンイレブンを小さくした様な店である。置いてあるのは、殆どが食べ物や飲物である。それ以外のものでは新聞や雑誌程度である。ここで、ホテルの部屋での飲物を買い込み、また暑いのでアイスクリームもひとつ買ってみた。昔、日本の駄菓子屋で見た様は冷蔵庫から何のアイスなのか判らないがひとつ選び、飲物といっしょにレジに持って行く。会計は合計で、52バーツ(約160円)であった。
    それを持ち、ホテルへ戻る。ロビーを抜け、エレベーターに乗り込む。
    ここで初めてエレベーター内で、キーカードを使い、ボタンを押した。忘れており、ボタンを押したが、反応しなかったので、キーカードで操作する事を思い出した。セキュリティ面では非常に良いが、やはり面倒である。
    やっとの事、部屋に辿り着いた。

    今回はここまで!

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