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17年11月19日(日)、ブラジルでの4泊目が明けた。フォスドイグアス(Foz do Iguacu)のホテルでまずは7時過ぎに朝食(下の写真1)。パンとチーズとハムとジュースと云う簡単なものだが、この旅、朝早い移動が多かったので、ゆっくり朝食を味わえるだけで幸せ。朝には昨朝にもいた英語喋れる兄ちゃんがいたのでタクシーを再確認。で、8時前にちゃんと来てくれる。この日泊まったホテル、Pousada Foz Iguは90.3R$(3000円ちょっと)だった。バスターミナルにも近いし、周りにレストランもいくらでもあるので悪くないと思う。<br /><br />さて、車での国境越えはヨーロッパやアメリカで何度もあるが、タクシーでって云うのは初めての体験。ホテルを出て、15分ほどでブラジルのパスポートコントロールへ到着。ここで、いったんタクシーを降りて、自分で歩いて出国審査を受けイミグレ通過。そこで、別ルートでブラジルを出て来たタクシーに再乗車。5分余り掛かった。アルゼンチン側のパスポートコントロールは川の反対側にあるので、しばらくは緩衝地域。85年完成のイグアス川(Rio Iguacu)に掛かるタンクレード・ネーヴェス橋(Ponte Tancredo Neves)を渡ると真ん中で国境を越える。橋の名前は橋の開通した85年の1月に大統領選挙に勝利しながら3月の就任式前夜に倒れ、38日後に就任することなく亡くなったブラジル人政治家の名前(橋の開通は11月末)。3分ほどで今度はアルゼンチンのゲートに到着。こちらは車に乗ったまま、パスポートを渡すだけで、あっさりと入国(表紙の写真)。ブラジル側のゲート到着から10分ほどだった。さらばブラジル。つい最近(19年6月)にブラジルへの90日以内の滞在にはビザが不要になったが、もう来ることはないだろうなあ。そう云えば、この旅で、飛行機以外で入国した国はこのアルゼンチンだけだった。<br /><br />ブラジルのこの地域はこの時期、サマータイムを採用しており、サマータイムのないアルゼンチン側に入ったので、ここで1時間遅くなり、8時前に出発したのに逆に30分早くなって7時半頃にプエルトイグアス(Puerto Iguazu)のホテル(Residencial Noelia Hostel)に到着。最後ホテルの場所見つけるのに少し手間取ったが、隣りの国までタクシーで簡単に行けるんだね。ちょっと不思議な感覚だった。タクシー代、いくらか忘れたけど、そんなに高くなかったはず。ドアツードアで30分しか掛からず、大きなスーツケースを楽に運べたことを考えると、この決断は正しかったように思う。<br /><br />さて、この旅4ヶ国目のアルゼンチン、日本語での正式名はアルゼンチン共和国(Republica Argentina)。大統領を元首とする連邦共和制国家で、内閣、上下両院制の複数政党制議会を持つ。漢字表記では亜爾然丁などと書かれ、略称は亜とか爾とか。独立当時はリオ・デ・ラプラタ連合州(Provincias Unidas del Rio de la Plata)などと呼ばれていたが、スペイン植民地時代の圧政を忘れるため、リオ・デ・ラプラタの意味である「銀の川」から、銀のラテン語表記Argentumに地名を表す女性縮小辞(-tina)を添えたものを1825年に正式国名とした。現地発音ではアルヘンティーナ。<br /><br />青と白のストライプの中心に太陽が置かれた国旗は、空と海、自由や正義を表し、太陽はスペインからの独立を表す自由のシンボル。通貨はアルゼンチンペソ(Argentina Peso)で略号は$。日本円とのレートは、この時期(17年11月)には1$は6.5円程度だったが、現在(19年7月)は約2.5円になっている。えらい違いやわ。<br /><br />南アメリカ大陸南東部に位置する。ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が広く、世界全体でも第8位。南北に長く、西にアンデス山脈(Cordillera de los Andes)が連なるため、ジャングルから平原(パンパ(Pampa))、砂漠、山岳地帯、氷河など様々な景色が広がる。大畜産国であり、肉料理はアサード(Asado)を始めとして実に多彩。また世界有数のワイン生産国であるが、ほとんどを国内消費するため海外にはあまり知られていない。首都はブエノスアイレス(Buenos Aires)。文化遺産5件、自然遺産4件の世界遺産がある。<br /><br />紀元前11,000年から人類が暮らしていたが、文明は発達せず、先コロンブス期(Pre-Columbian Era)には北西部のアンデス山脈地域がインカ帝国(Tawantinsuyo)の支配下にあっただけだけで、人口も少なかった。最初に来たヨーロッパ人はスペインの探検家のフアン・ディアス・デ・ソリス(Juan Diaz de Solis)で1516年のこと。その後1536年にバスク人(Vascos)貴族のペドロ・デ・メンドーサ(Pedro de Mendoza)率いる植民団によって、現在のブエノスアイレスが建設されたが、先住民の激しい攻撃に遭って放棄された。<br /><br />その後1580年に再建されたブエノスアイレスは、1776年にペルー副王領(Virreinato del Peru)からリオ・デ・ラプラタ副王領(Virreinato del Rio de la Plata)が分離されると、首府となって開港され、密貿易により空前の繁栄を遂げた。1810年に五月革命(Revolucion de Mayo)が起こり独立戦争が始まり、1816年に独立宣言。しかし、独立後も国内抗争が続き、1829年からはフアン・マヌエル・デ・ロサス(Juan Manuel de Rosas)の恐怖独裁政治が20年続く。<br /><br />1861年に新たな連邦政権が樹立されようやく国内抗争が沈静化され、国家の近代化、中央集権化が進み、世界有数の富裕国に成長する。この時期に大量の移民が流れ込んだ。しかし、1929年の世界恐慌で経済は一気に悪化、忌まわしき10年間(Decada Infame)と呼ばれる時代も続いた。46年、フアン・ペロン(Juan Peron)が大統領に就任し、ナショナリズムを高めていくが、妻エビータ(Eva Peron)の死後クーデターで失脚、軍政と民政が繰り返される不安定な時代が続く。<br /><br />82年のフォークランド紛争(Falklands Conflict)(アルゼンチンではマルビナス戦争(Guerra de las Malvinas)と呼ぶ)の建国以来初めての敗戦の後、83年に民政政権に戻り順調に経済発展が続いたが、90年代後期には失速し、2001年には6回目の債務不履行を決行し経済は崩壊、アルゼンチンの世界的な評価は地に落ちた。その後は混乱が続く時期もあったが、経済再建は進み、政治も安定している。<br /><br />総人口が4000万人近く。スペインのみならずイタリア、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ各国から大量の移民が行われ、この国ではクリオーリョ(Criollo)と呼ばれるアメリカ大陸生まれの白人が97%を占めるとも云われ、他の南米諸国と全く違っている。92%がローマ・カトリック。陸海空軍を持ち、兵力は約10万人で、徴兵制はない。公用語はスペイン語。ただし、エスパニョール(Espanol)ではなくとカステジャーノ(Castellano)と呼ばれる。イタリア語のナポリ方言の影響が強く見られるが、スペインのスペイン語との会話を妨げるほどのものではない。まあ、私にはどちらもチンプンカンプンだが。<br /><br />アルゼンチンタンゴ(Tango)発祥の地で、山岳部では様々なフォルクローレ(Folclore)も盛んである。2002年には日本のTHE BOOMの「島唄」が日本語のままカバーされ大ヒットし、日韓ワールドカップのアルゼンチン代表の応援歌としても採用されたそうだ。全く知らなかった。サッカー大国で、ワールドカップ78年の開催国で初優勝しており、優勝2回、準優勝3回を誇る。テレビで見たなあ、決勝の紙吹雪。テニス、バスケットボール、ラグビーなども盛ん。日本でも知られた有名人はいくらでもいるけど、サッカーではやはりディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)とリオネル・メッシ(Lionel Messi)。テニスのガブリエラ・サバティーニ(Gabriela Sabatini)は野性的だったねえ。ギレルモ・ビラス(Guillermo Vilas)もいた。上げるとキリがないがキューバ革命の英雄チェ・ゲバラ(Ernesto G Che Guevara)はブエノスアイレス大学(Universidad de Buenos Aires)で医学を学んだええとこの坊ちゃんで、大統領夫人のエビータとのお付き合いもあった。<br /><br />到着した町、プエルトイグアスはイグアスの滝のアルゼンチン側の観光拠点となる小さな町で人口は約8万人。イグアス観光の河の港と云う意味。19世紀末に出来た町で、20世紀に入りホテルが建てられ、以後観光拠点として発展している。<br /><br />ホテルにスーツケースを置かせてもらってさっそくアルゼンチン側のイグアスの滝に向かう。歩いて10分足らずでバスターミナルへ。ブラジルのフォスドイグアスの方が町としては大きいが、バスターミナルはこちらの方が立派で、日本で云うバスセンター。チケット売り場で往復のバスチケットを購入し、指定のホームから出発する。バス代は往復で150ペソで、残ってたブラジルレアルで支払ったが、約1000円。朝8時過ぎ満員の客を乗せて出発。約30分で17㎞ほど南西のアルゼンチン側のビジターセンター(Centro de Interpretacion de la Naturaleza)に到着。アルゼンチン側のイグアスの滝の入園料はアルゼンチンペソの現金でしか購入できないと云うことを事前に調べていたので、まずはATMでキャッシング。これも事前情報通りにATMはあったが、9時前なのに結構な人が並んでいてちょっと時間が掛かった。なんとか無事に4000ペソゲット。手数料入れると1ペソ、7円くらいだった。そして9時半ようやくチケット購入。500ペソだったのでまあざっと3500円。ブラジル側よりちょっと高かった。<br />https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.1874215829315099&amp;type=1&amp;l=8a89379cb0<br /><br /><br />アルゼンチン側イグアスの滝に続く。

アルゼンチン イグアスの滝へ(To Cataratas del Iguazu, Argentina)

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2017/11/19 - 2017/11/19

394位(同エリア405件中)

旅行記グループ イグアスの滝

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ちふゆ

ちふゆさん

17年11月19日(日)、ブラジルでの4泊目が明けた。フォスドイグアス(Foz do Iguacu)のホテルでまずは7時過ぎに朝食(下の写真1)。パンとチーズとハムとジュースと云う簡単なものだが、この旅、朝早い移動が多かったので、ゆっくり朝食を味わえるだけで幸せ。朝には昨朝にもいた英語喋れる兄ちゃんがいたのでタクシーを再確認。で、8時前にちゃんと来てくれる。この日泊まったホテル、Pousada Foz Iguは90.3R$(3000円ちょっと)だった。バスターミナルにも近いし、周りにレストランもいくらでもあるので悪くないと思う。

さて、車での国境越えはヨーロッパやアメリカで何度もあるが、タクシーでって云うのは初めての体験。ホテルを出て、15分ほどでブラジルのパスポートコントロールへ到着。ここで、いったんタクシーを降りて、自分で歩いて出国審査を受けイミグレ通過。そこで、別ルートでブラジルを出て来たタクシーに再乗車。5分余り掛かった。アルゼンチン側のパスポートコントロールは川の反対側にあるので、しばらくは緩衝地域。85年完成のイグアス川(Rio Iguacu)に掛かるタンクレード・ネーヴェス橋(Ponte Tancredo Neves)を渡ると真ん中で国境を越える。橋の名前は橋の開通した85年の1月に大統領選挙に勝利しながら3月の就任式前夜に倒れ、38日後に就任することなく亡くなったブラジル人政治家の名前(橋の開通は11月末)。3分ほどで今度はアルゼンチンのゲートに到着。こちらは車に乗ったまま、パスポートを渡すだけで、あっさりと入国(表紙の写真)。ブラジル側のゲート到着から10分ほどだった。さらばブラジル。つい最近(19年6月)にブラジルへの90日以内の滞在にはビザが不要になったが、もう来ることはないだろうなあ。そう云えば、この旅で、飛行機以外で入国した国はこのアルゼンチンだけだった。

ブラジルのこの地域はこの時期、サマータイムを採用しており、サマータイムのないアルゼンチン側に入ったので、ここで1時間遅くなり、8時前に出発したのに逆に30分早くなって7時半頃にプエルトイグアス(Puerto Iguazu)のホテル(Residencial Noelia Hostel)に到着。最後ホテルの場所見つけるのに少し手間取ったが、隣りの国までタクシーで簡単に行けるんだね。ちょっと不思議な感覚だった。タクシー代、いくらか忘れたけど、そんなに高くなかったはず。ドアツードアで30分しか掛からず、大きなスーツケースを楽に運べたことを考えると、この決断は正しかったように思う。

さて、この旅4ヶ国目のアルゼンチン、日本語での正式名はアルゼンチン共和国(Republica Argentina)。大統領を元首とする連邦共和制国家で、内閣、上下両院制の複数政党制議会を持つ。漢字表記では亜爾然丁などと書かれ、略称は亜とか爾とか。独立当時はリオ・デ・ラプラタ連合州(Provincias Unidas del Rio de la Plata)などと呼ばれていたが、スペイン植民地時代の圧政を忘れるため、リオ・デ・ラプラタの意味である「銀の川」から、銀のラテン語表記Argentumに地名を表す女性縮小辞(-tina)を添えたものを1825年に正式国名とした。現地発音ではアルヘンティーナ。

青と白のストライプの中心に太陽が置かれた国旗は、空と海、自由や正義を表し、太陽はスペインからの独立を表す自由のシンボル。通貨はアルゼンチンペソ(Argentina Peso)で略号は$。日本円とのレートは、この時期(17年11月)には1$は6.5円程度だったが、現在(19年7月)は約2.5円になっている。えらい違いやわ。

南アメリカ大陸南東部に位置する。ラテンアメリカではブラジルに次いで2番目に領土が広く、世界全体でも第8位。南北に長く、西にアンデス山脈(Cordillera de los Andes)が連なるため、ジャングルから平原(パンパ(Pampa))、砂漠、山岳地帯、氷河など様々な景色が広がる。大畜産国であり、肉料理はアサード(Asado)を始めとして実に多彩。また世界有数のワイン生産国であるが、ほとんどを国内消費するため海外にはあまり知られていない。首都はブエノスアイレス(Buenos Aires)。文化遺産5件、自然遺産4件の世界遺産がある。

紀元前11,000年から人類が暮らしていたが、文明は発達せず、先コロンブス期(Pre-Columbian Era)には北西部のアンデス山脈地域がインカ帝国(Tawantinsuyo)の支配下にあっただけだけで、人口も少なかった。最初に来たヨーロッパ人はスペインの探検家のフアン・ディアス・デ・ソリス(Juan Diaz de Solis)で1516年のこと。その後1536年にバスク人(Vascos)貴族のペドロ・デ・メンドーサ(Pedro de Mendoza)率いる植民団によって、現在のブエノスアイレスが建設されたが、先住民の激しい攻撃に遭って放棄された。

その後1580年に再建されたブエノスアイレスは、1776年にペルー副王領(Virreinato del Peru)からリオ・デ・ラプラタ副王領(Virreinato del Rio de la Plata)が分離されると、首府となって開港され、密貿易により空前の繁栄を遂げた。1810年に五月革命(Revolucion de Mayo)が起こり独立戦争が始まり、1816年に独立宣言。しかし、独立後も国内抗争が続き、1829年からはフアン・マヌエル・デ・ロサス(Juan Manuel de Rosas)の恐怖独裁政治が20年続く。

1861年に新たな連邦政権が樹立されようやく国内抗争が沈静化され、国家の近代化、中央集権化が進み、世界有数の富裕国に成長する。この時期に大量の移民が流れ込んだ。しかし、1929年の世界恐慌で経済は一気に悪化、忌まわしき10年間(Decada Infame)と呼ばれる時代も続いた。46年、フアン・ペロン(Juan Peron)が大統領に就任し、ナショナリズムを高めていくが、妻エビータ(Eva Peron)の死後クーデターで失脚、軍政と民政が繰り返される不安定な時代が続く。

82年のフォークランド紛争(Falklands Conflict)(アルゼンチンではマルビナス戦争(Guerra de las Malvinas)と呼ぶ)の建国以来初めての敗戦の後、83年に民政政権に戻り順調に経済発展が続いたが、90年代後期には失速し、2001年には6回目の債務不履行を決行し経済は崩壊、アルゼンチンの世界的な評価は地に落ちた。その後は混乱が続く時期もあったが、経済再建は進み、政治も安定している。

総人口が4000万人近く。スペインのみならずイタリア、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ各国から大量の移民が行われ、この国ではクリオーリョ(Criollo)と呼ばれるアメリカ大陸生まれの白人が97%を占めるとも云われ、他の南米諸国と全く違っている。92%がローマ・カトリック。陸海空軍を持ち、兵力は約10万人で、徴兵制はない。公用語はスペイン語。ただし、エスパニョール(Espanol)ではなくとカステジャーノ(Castellano)と呼ばれる。イタリア語のナポリ方言の影響が強く見られるが、スペインのスペイン語との会話を妨げるほどのものではない。まあ、私にはどちらもチンプンカンプンだが。

アルゼンチンタンゴ(Tango)発祥の地で、山岳部では様々なフォルクローレ(Folclore)も盛んである。2002年には日本のTHE BOOMの「島唄」が日本語のままカバーされ大ヒットし、日韓ワールドカップのアルゼンチン代表の応援歌としても採用されたそうだ。全く知らなかった。サッカー大国で、ワールドカップ78年の開催国で初優勝しており、優勝2回、準優勝3回を誇る。テレビで見たなあ、決勝の紙吹雪。テニス、バスケットボール、ラグビーなども盛ん。日本でも知られた有名人はいくらでもいるけど、サッカーではやはりディエゴ・マラドーナ(Diego Maradona)とリオネル・メッシ(Lionel Messi)。テニスのガブリエラ・サバティーニ(Gabriela Sabatini)は野性的だったねえ。ギレルモ・ビラス(Guillermo Vilas)もいた。上げるとキリがないがキューバ革命の英雄チェ・ゲバラ(Ernesto G Che Guevara)はブエノスアイレス大学(Universidad de Buenos Aires)で医学を学んだええとこの坊ちゃんで、大統領夫人のエビータとのお付き合いもあった。

到着した町、プエルトイグアスはイグアスの滝のアルゼンチン側の観光拠点となる小さな町で人口は約8万人。イグアス観光の河の港と云う意味。19世紀末に出来た町で、20世紀に入りホテルが建てられ、以後観光拠点として発展している。

ホテルにスーツケースを置かせてもらってさっそくアルゼンチン側のイグアスの滝に向かう。歩いて10分足らずでバスターミナルへ。ブラジルのフォスドイグアスの方が町としては大きいが、バスターミナルはこちらの方が立派で、日本で云うバスセンター。チケット売り場で往復のバスチケットを購入し、指定のホームから出発する。バス代は往復で150ペソで、残ってたブラジルレアルで支払ったが、約1000円。朝8時過ぎ満員の客を乗せて出発。約30分で17㎞ほど南西のアルゼンチン側のビジターセンター(Centro de Interpretacion de la Naturaleza)に到着。アルゼンチン側のイグアスの滝の入園料はアルゼンチンペソの現金でしか購入できないと云うことを事前に調べていたので、まずはATMでキャッシング。これも事前情報通りにATMはあったが、9時前なのに結構な人が並んでいてちょっと時間が掛かった。なんとか無事に4000ペソゲット。手数料入れると1ペソ、7円くらいだった。そして9時半ようやくチケット購入。500ペソだったのでまあざっと3500円。ブラジル側よりちょっと高かった。
https://www.facebook.com/chifuyu.kuribayashi/media_set?set=a.1874215829315099&type=1&l=8a89379cb0


アルゼンチン側イグアスの滝に続く。

  • 朝食

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