2019/07/03 - 2019/07/05
266位(同エリア402件中)
はぴさん
なぜかわからないのですが、ボスニア・ヘルツェゴビナに強く興味を惹かれ、渡航に向けて少しずつ歴史を勉強しました。ボスニアに行くと言ったら、ほとんどの人が「危なくないの?」と心配してくれましたが、確かに私も調べるまでは内戦のイメージが強く、こんなにも治安の良い街になっているとは想像もしていませんでした。1992年から1995年に起きていたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争。私は既に分別のつく年齢であったにも関わらず、その状況をほとんど知らなかった自分を恥ずかしく思うとともに、なお癒えない傷を目にし、事実を知りたいという気持ちでこの旅に出ました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
オーストリア航空、ウィーン経由でサラエボに向かいます。機内食は美味しいのですが、このメンツの中にお蕎麦を合わせるのは如何なものかと。。。
機体の到着が遅れたとのことで、成田を2時間遅れで出発。元々トランジット3時間の予定だったため、既に若干の不安。 -
ウィーンの空港は、乗り継ぎミニマム30分という考えられない設定なのですが、確かに到着後30分後には余裕で搭乗口にたどり着き、私の心配は杞憂に終わりました。ボスニア・ヘルツェゴビナがシェンゲン協定に入っていないため、ここでは入国審査がなく、ただのゲート移動になるからです。シェンゲン協定に入っている国へのトランジットだと、入国審査があるのでさすがに30分では厳しいかもしれませんね。。
そしてここでも1hのディレイ。空港までピックアップを頼んでいる宿に一応連絡を入れておきます。 -
サラエボの空港はとても小さいので、タラップを降りたら目の前の建物で入国審査、次の部屋で荷物引き取りというわけで、宿のピックアップに出会えるまであっという間でした。口コミでかなりホストの評価が高かっただけあって、なんだか初めて会った人じゃないような不思議な感覚でした。
しかもこんなに広い部屋!!スリッパもありました! -
優しく迎え入れてくれた Halvat Guesthouseの外観。
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早起きして早速町歩きです。
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サラエボに来た人は必ず訪れるバシチャルシア広場まですぐでした。
この向かいに、トラムの発着点があります。
この街ではほとんどカードが使えないので、まずはこの界隈でキャッシュをゲットします。ATMはたくさんありますが、私が引き出したところでは全て100マルク札で出てきてゲンナリ。これじゃぁ2マルクのコーヒー飲めないじゃないの涙
これから行く方に情報として、ATMでは others amountを選んで、「290マルク」とか、細かい紙幣を出してくれる金額を指定すると良いかと思います。 -
街を一望できるカフェがあるというので、坂を登っていると、周りは大きな墓地でした。よく見ると、没年がほとんど内戦中の1992年から1994年です。
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The Yellow Fortressという見晴らしのいいスポットに着きました。時間が早すぎるのか、まだカフェにはお客さんがいません。コーヒー飲みたかったけど、100マルク札しか持っていないので退散。。。
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10時からのフリーウォーキングツアーに参加しようか悩みつつ、旧市街に戻りお腹をすかせて歩いていると、チェバプチチで有名なCevabdzinica Zeljoのお店を見つけたので、早速注文。お肉の量は一番少ないやつにして、「チーズは?」って聞かれたのでトッピングしてもらいました。個人的にはチーズいらなかったかも。お店の人が外国人のお客さんに慣れているので、なんとなく、いろいろと大丈夫なところです。100マルク札でも嫌な顔せずにお釣りをくれました。
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フォークが刺さったこの状態で持ってこられます笑
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急げば間に合いそうなので、10時からのフリーウォーキングツアーに参加することに。まだ知らない街なのに、待ち合わせ場所である教会、Cathedral of Jesus' Heartまで小走り。
参加者は、ノルウェー人のご夫妻、あとは聴き逃してしまいましたが、英語圏ではないヨーロッパの国のご年輩の4人組、と私の7人。 -
第一次世界大戦のきっかけとなったサラエボ事件の現場、
68人の市民の命を奪った、市場にある迫撃砲痕、
サラエボで最大のモスク「ガジ・フスレヴ・ベグ・モスク」
サラエボで最大のセルビア正教の大聖堂「Serbian Orthodox Cathedral」
キャラバンサライ「ガジ・フスレヴ・ベイ・ベジスタン」
などなど、徒歩圏内の見所を約2時間ほどでざっと周ってもらいました。
今回は時間があるので、それぞれあとでゆっくり訪れようと思います。
たしかEnesさん?というガイドさんのキャラクターも良くて(まぁ私の理解度としては60%くらいですが)、
街に着いてのイントロダクションとしてはかなりオススメのツアーです。
フリーではありますが、チップ要です。
画像はモスクの水飲み場です。 -
ビジターがモスク内に入れるのはこの時間です。v
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モスクの隣にある時計台。
確かこの下あたりに無料の公共トイレがあったような。。。
もちろんトルコ式(和式)です。 -
モスクのミナレット(モスクに付随する塔。元々はアザーンという礼拝の呼びかけを行うために作られたのだそう)のおかげで、街のどこにいても方向感覚を失いません。
あれ、そういえばここではアザーンを聞いてないかも?
ボシュニャク人(ボスニア・ヘルツェゴビナにいるイスラム教の人達)は、必ずしも一日に5回お祈りしないとか、女性の服装も自由、お酒もタバコも嗜む人がいる、など割と戒律が厳しくないのだそうです。 -
バシチャルシア広場前のトラム発着所。
トンネルミュージアムに行くのに、ツアーに入るか、自力で行くか悩んだ結果、公共の乗物に乗りたい気持ちがまさって自力で行くことに。
3番トラムに乗って終点のイリジャまで行き(約30分)、そこでプラットホーム4番のバスに乗る。正直降りるところがよくわかりませんでしたが、バスの運転手さんに聞いたら、わざわざ一緒に降りてくれて、あっちだよ、と教えてくれました。なんて親切!! -
バスの運転手さんが教えてくれた方向に10分くらい歩くと、トンネルミュージアムに着きました。銃弾の痕が生々しく残っています。
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ミュージアムの入り口に貼ってあったバスの時刻表。よくわからないけど、意外と本数はあるみたい。
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1992年から1995年内戦中のサラエボ包囲とは、こういうことだったのですね。確かに、朝、高台に登った時に、随分山に囲まれた土地だなぁという印象を受けていました。
そして、ほとんど包囲されつつ、唯一の出入り口は敵陣が占拠できない空港だった。その空港の裏側にこのトンネルの出口を作った、という事なのです。 -
背の低い私でさえも頭をぶつけそうな小さなトンネル。でもこれを使ってサラエボを脱出したり、食料を運び込んだり、病人を運搬したりしていたわけです。実際の長さは約800メートルだったそうですが、このミュージアムでは出口付近の一部を展示していて、実際に通る事ができます。
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出口付近では、希望の光、という感じがしてしまいます。
しかしながら、誰でもこれを使って脱出できた訳ではありません。セルビア人勢力は
サラエボを欲しかった訳なので、街が空っぽになってしまっては、サラエボの街を取られてしまいます。そのためボスニア政府軍は、サラエボの市民を街中に閉じ込めました。結果人質のような存在になってしまったのです。
市民の人たちは、普通の生活を送る事が戦争に対する抵抗なのだ、と言って日々を過ごしていたそうです。 -
秘密裏に作られたトンネルでしたが、最終的には敵陣にもその存在を知られてしまったので、この出口付近を狙っての襲撃痕があります。
画像は「サラエボのバラ」と言って、砲弾によって死者が出た場所の穴に、赤い樹脂を埋め込んだもので、この紛争の悲劇を忘れないようにと残されているものです。これは、街の中でもいろんなところで目にすることになります。 -
あまりに雷がひどいので、雨が降り出す前にと、バス停に向かいます。
ミュージアム付近の一般の民家もこんな状況のままです。
戦火の激しさを感じます。
バスは10分ほどでやって来ました。さっき、親切に道を教えてくれた運転手さんです。巡回しているんですね。にっこりしてくれたので思わず手を振ってしまいました。勝手に仲良し気分で一番前の席に乗り込むと、
「トンネルはどうだった?狭かったでしょ?」
「うん。すごく小さかった。」
「俺はあのトンネルを通っていたんだ」
「え?!」
運転手さんが40歳と仮定すると、彼が10代の頃に内戦があった計算になる。ボスニアにいたのであれば、内戦を経験していたのは当然のことなのだ。
続けて彼は、
「俺の兄弟は内戦で死んだ。戦争はBig problemだ」
と。私は何も言葉が出て来ませんでした。
その後も彼は何か言おうとしていましたが、英語が出てこない、といった様子で話すのをやめ、涙を拭っていました。
一般市民の命が奪われたのだという事を目の当たりにしました。そしてそれは過去の事ではなく、今生きている人達を今もなお苦しめているのだと。 -
雨がひどくなってきたので、慌てて街方面に戻り、ナショナルミュージアムに飛び込みました。自然科学や、考古学(いろんな鉱石など)、ありましたが、私が予習してきたのが15世紀以降の事だったので、個人的興味からはちょっとズレていたかもしれません。庭にはなぜか巨大カブトムシ。
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雨が止んだので外へ。
ナショナルミュージアムからすぐのところに、内戦当時ジャーナリスト達が滞在していた旧ホリデーインがあります。
この前の大通りは見晴らしが良いためスナイパーに狙われやすく、スナイパー通りと呼ばれました。動くものは犬や猫でさえも撃ったと言われるスナイパー。ここでも多くの一般市民が命を落としたのです。 -
通り沿いに、ここで亡くなった人の名前が刻まれたプレートがありました。
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なんとなく背中に緊張を感じながらスナイパー通りを歩いていると、ショッピングセンターらしきものが見えてきました。
突然ここだけ新しい雰囲気です。 -
普通の居住地にも当然のように銃弾の跡が残っています。
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1984年サラエボオリンピックの会場に来ました。
この頃はまだユーゴスラビア社会主義連邦共和国の時代です。
社会主義国で冬季オリンピックが開催されるのは初めてのことでした。 -
華やかな国際舞台になったオリンピックの地が、10年も経たないうちに墓地へと化してしまったのです。
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1992年から1995年の約3年半の間に、およそ20万人もの死者が出たのです。
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内戦で命を落とした子供達のための慰霊碑。
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子供達の名前と没年が明記されています。
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新型?お洒落塗装のトラム。
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そういえば10時前にチェバプチチを食べてから何も口にしていませんでした。
ウォーキングツアーで街中を歩き、トンネルミュージアムからの帰りナショナルミュージアムからオリンピック会場までも歩き、そこから墓地を通って街中までも歩いて戻って来ました。内戦の傷跡を見て食小気味ではありましたが、さすがに19時過ぎてお腹が空いてきました。
口コミで評判だったお店、Zara iz Duvaraというレストランで、初のサラエボプレミアム、とっても美味しいです。 -
お店の人にお肉が食べたいと言ってオススメしてもらったのがこれ。最初出て来た時は、すごい量、何人分あるんだよ~と思いましたが、ご飯を少し残しただけで、ほとんど食べてしまいました(汗)とても美味しかったんです。
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20時過ぎてもまだこの明るさ。腹ごなしに、朝のウォーキングツアーで紹介してもらった、第一次世界大戦の引き金となった1914年のサラエボ事件の現場へ。
このMUSEUMの角で、セルビア人の青年ガヴリロ・プリンツィプがオーストリア=ハンガリー二重帝国の皇太子夫妻を射殺したのです。 -
サラエボ事件が起きた6月28日は、中世セルビアがオスマン帝国に負けた日であり、皇太子夫妻の結婚記念日でもありました。
妻ゾフィーは身分の低い出身だったため、公式行事では皇太子と同席する事が許されていませんでした。皇太子フェルディナンドが軍人の資格で動く時のみ許されており、この時はオープンカーに同席することが出来たのだそう。そしてこの時ゾフィーは妊娠していました。
暗殺はグループで行われていて、先に投げられた爆弾はタイミングがずれて後続の車を爆破、16~20人を負傷させる。サラエボ市庁舎に到着した大公夫妻は歓迎式を終えた後、負傷者を見舞うために病院を訪れる事に。
暗殺失敗に落胆していたプリンツィプは食事をしていたが、偶然にもその店のすぐ前で大公夫妻のドライバーが道を間違え右折(この川沿いを右側から左に向かっていて、MUSEUMの角を曲がろうとした)、方向転換しようとしていたところに飛び出し、至近距離から夫妻を射殺。直後、プリンツィプは自殺をはかろうとしたが、群衆に取り押さえられ逮捕されたのです。
暗殺の数時間後から、反セルビア暴動が発生し、セルビア系住民の虐殺も行われました。
そして、オーストリアがセルビアに宣戦布告。これが第一次世界大戦のきっかけとなったのです。 -
今回私の下準備が足りず、現地に行ってから気づいたのですが、各見所にはこのようなプレートがあり、アプリをダウンロードしておくと説明が聴けるようです(たぶん英語)。
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軽く飲めるところはないかと飲食街をうろうろしていると、朝のウォーキングツアーで一緒だったノルウェー人のマダムに呼び止められました。朝はいなかった娘さん夫妻も一緒にディナー中だったようです。なんと娘さんは2年前に日本に遊びに来ていたのだとか。そんな話をしていると、再びマダムがまた別の人を呼び止めました。「午後のトンネルツアーで一緒だった日本人なのよ」と紹介されました。ノルウェー人のマダムを通して知り合いになった我々2人は意気投合し、ローカルワインを飲みましょうという話になり、Fonotekaというワインバーにて乾杯!これも美味!
なんという偶然でしょう。
お互いサラエボにもう1泊ということで、翌日のディナーをご一緒に、と待ち合わせのお店を決めて宿に帰りました。 -
この日は購入しませんでしたが、帰国前日にボトルを購入しに再訪しました。
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この時点で24時ぐらいですが、全く危険な雰囲気はありません。
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汁物が美味しいので、朝ごはんはスープにしてみました。ここはちょっと洋風のカフェではありますが、スープはボスニアっぽい感じです。
サラエボの飲食店でびっくりした事ですが、基本的にどこの席にも必ずと言っていいほど灰皿が置いてあるんです。喫煙率高し。 -
セルビア正教会。
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正教会の隣にある公園にはチェスがあるのですが・・・この日はお子様が楽しんでいました。
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ホテルヨーロッパ。いわゆる高級ホテルで、この向かいに、キャラバンの遺跡が残っています。
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1540年建設されたものだと言われるキャラバンサライ(隊商宿)「ガジ・フスレヴ・ベイ・ベジスタン」
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教会近くのサラエボのバラ。
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2017年にオープンしたばかりの WAR CHILDHOOD MUSEUM。1978年から1991年生まれの、内戦時に子供だった人を対象に、生き延びた彼らの「戦争の記憶」を集めたところです。
突然いなくなった大切な人がいつ戻ってくるのか心待ちにしてしまう事、銃弾の音が鳴り響く環境でずっと過ごしていたために、停戦して銃声が聞こえなくなった時につまらない、と思ってしまった事など、子供の目線ならではの言葉が綴られていました。
このミュージアムの挑戦の目的は、この「戦争の記憶」を世界の人に見てもらう事で、次なる戦争を防ぐ事にあるのだとか。
ヤスミンコ・ハリロビッチ(Jasminko Halilovic)さんという方がこのミュージアムの発起人だそうです。彼は1988年サラエボ生まれで、5歳の時にサラエボ包囲戦が始まり、「戦場の子供時代」を過ごす事に。
私は展示全ての英語を理解できた訳ではありませんでしたが、出口に日本語版の彼の著書が置いてあり、それでかなり内容をカバーする事ができました。サッカー監督のオシムさんの声も記述されています。サラエボに興味がある方はぜひ読んでいただきたいです。
「ぼくたちは戦場で育った サラエボ1922-1995」ヤスミンコ・ハリロビッチ -
しんみりしたところでブレイク。初めてボスニアンコーヒーにチャレンジ。
おちょこのようなカップにコーヒーを注いでお砂糖を混ぜ、沈殿するのを待って上澄みを飲みます。
赤いのはロクム。イスタンブールに行った時にたくさん買って帰ったくらいお気に入りのスイーツです。オスマン帝国の文化が色濃く残っているわけですね。 -
今日は日差しがとても強いです。
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サラエボで最大のモスク「ガジ・フスレヴ・ベグ・モスク」。
ウォーキングツアーで入り口まで来ましたが、今日はちゃんと髪を覆って、内部まで見学させてもらいます。 -
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ガジ・フスレヴ・ベグ・モスク向かいのミュージアム。
個人的に今、トルコのドラマ「オスマン帝国外伝~愛と欲望のハレム~」というのにHuluでハマっていまして。。。日本で言う所の大奥みたいな感じで、女性周りのお話はフィクションだと思うのですが、史実に基づいている部分もあるので、家系図みたいなのにもちょっと興味があります。
しかしオスマントルコってすごいですね。ボスニアがここまでトルコ色強いとは思っていませんでした。 -
ハマムの跡のようです。
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図書館。
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今日は暑いのでティータイム多め。2度目のコーヒーブレイクです。
デザート甘酸っぱくて美味しい。 -
Eternal flame。
1945年4月6日、パルチザンがサラエボ市民とともにファシストからサラエボを解放したことを記念し、その戦いで亡くなった英雄への感謝の意を表したものだそうです。1992年からのボスニア紛争中は石油不足により一時消火されていたそうです。 -
銅を叩いている音が鳴り響いている、お土産物屋さん兼銅板職人ストリート(と私が勝手に思っている)小道です。バシチャルシアにあります。
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昨日ノルウェーマダムの仲介で知り合いになった日本の方と約束したレストラン、
Nania Kuhinja にやって来ました。
もちろん夏季だけでしょうけど、こんな風に外にテーブルなど並べているお店がほとんどです。サラエボは晴れていれば昼間はかなり暑いですが、夜は程よく涼しくなります。 -
キュウリとトマトとチーズのサラダ。想像していたよりチーズ大盛り笑
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どこのレストランに行っても何を頼んでも絶対に出てくるパン。
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左はラビオリのような餃子のような、パスタ生地にお肉が入っているもの。
右はオクラ(すごいちっちゃいオクラ)とお肉の煮物。
いずれもなかなかのお味。 -
デザートはリンゴ煮の生クリーム添え。
ネットでの評判が良いお店だけあって、どのお料理も美味しかったし、お客さんの入りも良かったです。
でもそれより何より、ノルウェーマダムのおかげで知り合いになれた日本人の方との出会いがサラエボで一番のハイライトかもしれません。音楽、お酒、ひとり旅、丈夫な胃袋(笑)、等共通する部分が多く、出会ったばかりなのにこんなに盛り上がるものかと、本当に楽しい時間を過ごさせてもらいました。出会いに感謝! -
名残惜しい感じでしたが、「また世界のどこかで!」とお別れしました。
モスタルに続く。。。
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