2018/05/23 - 2018/05/23
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この旅行記のスケジュール
2018/05/23
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バスでの移動
ポエジア(クルーズ船)→(バスで)新アクロポリス博物館→(バスで)アクロポリスの入り口→(バスで)船
この旅行記スケジュールを元に
昨年は忙しい年で、旅行記を書いている時間をあまり取ることができませんでした。今年になって思い起こして書きたかった旅行記を書いています。アテネもその一つです。アテネへ行くのは二回目です。クルーズで記録に残しておきたい場所の一つです。今回は国立考古学博物館へ行くことができたので有意義でした。パルテノン神殿では十分な時間が取れず、ツアーなのでしかたがないと思いました。一年経るとかなり記憶が曖昧になることが分かりました。感動も薄れていることも同様です。
5月18日(金)成田発 QR0807便 ドーハ経由
5月19日(土)QR0125 ベネチア着 MSCポエジア乗船
5月20日(月)バーリ アルベロベッロ
5月21日(火)カタコロン オリンピア遺跡
5月22日(水)ミコノス島
5月23日(木)ピレウス アクロポリスの丘 パルテノン神殿
5月24日(金)サランダ ブトリント遺跡
5月25日(土)ドブロブニク
5月26日(日)ベネチア ベネチア発 QR0126便 ドーハ経由
5月26日(日)QR0806便 成田着
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 交通手段
- 観光バス 船 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
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ベニスから出発したクルーズ船ポエジアは3日目の朝、ギリシャのカタコロンに着きました。目が覚めると、船が岸壁に横付けされていて、全く違う世界に着いた感じを受けました。
下船してパルテノン神殿に向かうバスを待ちましたが30分も遅れて、次々に出発するバスを見送りました。 -
何でも交通渋滞で近くまで来ているが、港までは来られにとか。???あの他のバスは来ているのですけれど。
やっと来ました。遅れた時間の分は延長するとのことでした。 -
途中、フォートラベル会員の目でタクシーを写しています。
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バスも
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トラムも
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20分くらいで新アクロポリス博物館に着きました。正面です。この博物館はアクロポリスをイメージして作られているそうです。
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表示がありました。
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ここの入り口はおもしろいです。発掘中の池機がそのまま残してあり、上から見ることができるのです。何の遺跡かはわかりませんが。
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中に入ると破風のように像が並んでいます。説明があればよいのですが。パルテノン神殿の破風? 少しサイズが小さいように思います。
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素敵ですね。玄関にこのような装飾がしてあったら、家に入るごとに異次元の世界へ行けそうな気がしそうです。
さりげなく置いてありました。 -
精巧に作られています。左の像はアテナに見えます。
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パルテノン神殿の模型がありました。
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窓からは本物が見える配置が何とも言えません。リアリティーがあります。
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本当に岩山の丘の上に神殿があるのですね。
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レリーフはパルテノン神殿が建てられたBC432頃の物。神殿の上部壁面にあった物と思われます。
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パルテノン神殿は15年かけて建設されています。
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その当時の様子が描かれているようです。
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アクロポリスは確かに要塞です。あの上には簡単に上れそうもありません。新アクロポリス博物館の窓からアクロポリスが見える設計は本当にリアリティがあります。
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いろいろな展示物を見て回りましたが、いよいよ本命。エレクティオンの玄関にある「少女の玄関」の像です。
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この細い首の6人で玄関の屋根を支えていました。
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紀元前5世紀に建設されています。ざっと2500年が経っています。6体目は原型を留めていない感じです。
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エレクティオンはギリシャの伝説の英雄エレクトニオス(ギリシャ王)に捧げられた神殿です。複数の神を合祀したそうです。もちろん大理石でできています。
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こんな彫刻が玄関にあり屋根を支えていたら神秘的ですね。
エレクティオンは紀元前86年にローマの独裁者スラが神殿を焼いてしまったそうですがその後再建されています。 -
少女の顔ははっきりとわかりませんが、かなりの美人だったのでしょう。
エレクティオンは教会やフランク王国の宮殿、オスマン帝国のハレムとしてエレクティオンは使われたそうです。この少女達が迎え入れたのでしょう。 -
6人が同じ顔ということはなさそうです。少しずつ違って見えます。
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確かに来ました。記念撮影。
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さて、新アクロポリス博物館を出て、いよいよアクロポリスへと向かいます。
最初は緩やかな道でしたが、先ほど見たように岩山の上にパルテノン神殿はありましたから、山道を上ることになります。 -
この日も5月だというのに31℃もあって、大変な山登りです。途中でイドロ・アティコス音楽堂が見下ろせる所を通りました。
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左を見ると、おう、なんと凄い絶壁。この上まで行きます。
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だいぶ上って来ました。下から上ってくる人が小さく見えます。
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眼下の景色も小さくなりました。イドロ・アティコス音楽堂の全景が見えるようになりました。
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アグリッパの台座が見えてきました。紀元前2世紀にベルガモン王の馬車像を設置する台座として作られたそうです。
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アテナ・二ケ神殿の真下に来ました。高い所に立てられています。
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この辺りははもう銀座並の混みようです。クルーズ船が到着すると日中は大変な混みようになるとガイドさんが言っていました。時間をずらしてもどうにもならないそうです。
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ブーレの門が下に見えます。やっと写真を撮ることができました。防御のために3世紀に作られた門です。一通になっていてこの門は下りの時にしか通ることはできませんでした。
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やっとアグリッパの門の所まで上がって来ました。この台の上にはアウグストゥス帝の婿アグリッパの像が置かれていました。
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上りきりました。アテネの町が広がって見えます。
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プロピア(前門)を上りながら撮っています。中央の柱は太くドリア式です。右と左の柱はイオニア式で、細く上下に模様があります。
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アテナ・二ケ神殿が上部に見える所まで上りました。かなり上りました。
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プロピア(前門)の中央です。左側はイオニア式の柱で明らかに中央と違います。左側は北翼でピナコクテクと呼ばれ神殿参拝者の奉納品や絵画などの財宝の保管所だった所です。
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再び右を見るとアテナ・ニケ神殿。ここには勝利の女神ニケ像が祭られていました。飛んでいくことができないように背中の羽は切られていたそうです。
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プロピア(前門)の柱はドリア式でかなり太いです。よくここまで重い石を持ち上げたものです。
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これは門の上部です。イオニア式の柱の上部はこのようになっています。オリンピアにあった柱にイオニア式がありました。似ています。
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屋根は梁だけを残しています。
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前門を通り抜けて平らな所に出ました。ついに来ました。アクロポリスの上に。2回目でも感動があります。エレクティオンが見えます。
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アテナ古神殿とアテナ プロマコスの像の場所です。照明灯が置かれていました。はたしてここが本当にアテナ古神殿とアテナ プロマコスの像のあった場所なのかが疑わしくてガイドさんに確認すると「確かにそうです」という返事。紀元前480年にペルシャ軍に破壊されているのでしかたがありません。
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これがエレクティオン「少女の像」の玄関です。前に4人後ろに2人で、細い首で頑張って玄関の屋根を支えています。レプリカなので中に鉄骨が入っていてもおかしくはありません。
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エレクティオンは斜面に作られているために3mの高低差があります。裏に回って階段を下りて裏側へ行くことができます。
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裏側です。表からは想像できなかった建物の造りです。
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確かに高低差があることがわかります。
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細い柱でがんばって支えています。所々の繋ぎ目が凸凹しているのがわかります。
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さらに進むと、右上に「少女の玄関」の像が見えます。裏側はこんな風になっています。斜面に作られていることがよくわかります。
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そして、ついに来ました。パルテノン神殿です。柱の白いところは修復された部分です。かなりまだらな感じがします。
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壁面の部分にはレリーフはないように見えます。
民主政治を築いた名将ペリクレスが作りました。紀元前432年のことです。
守護神アテナ(12m)が安置されていました。アテナは知恵の神です。
前回の旅行で大理石のアテナ像のミニチュアをお土産に買って見ているのでなんとなくイメージはもてます。 -
うーん。やはりダイナミック。すごーいです。
ドリア式の柱で真ん中が膨らんでいます。角の柱は他の柱より太く、屋根を支えるために内側に傾いています。 -
長さ70m、幅31m、高さ10mの素晴らしい神殿。屋根がないのは残念です。
1687年のヴェネツィア軍の攻撃で大破されてしまいました。残っていたらさぞすばらしい神殿だったでしょう。 -
よく作りましたね。全部で46本の柱を使っています。破風がないのが本当に残念!
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確かに来ました。証拠写真です。
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展望台に近づいて来ました。アテネの町が眼下に見えます。
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なかなかすばらしい眺め。リカヴィトスの丘が見えます。
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これがキモンの南壁です。キモンによって石を組み上げ防御壁としてアクロポリスを広げました。自然の岩山だったアクロポリスを人工的に大きくしたのです。
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展望台の上から下を見るとこんな感じです。眼下の家の屋根が小さい。難攻不落の要塞だったのでしょう。大砲がない時代は十分この要塞が役割を果たしました。
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アテネはかなり人工密度が高いように思いますが。地価はかなり高いそうです。
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少し離れたところにゼウス神殿が見えました。
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展望台ではパルテノン神殿の前面からの全景が見えます。離れて写さないと全景は入りませんでした。31mの幅があるので。
中国から来た女性が写真を撮ってくれました。感謝! -
ここは本当に自然の要塞だったのですね。神様を安置するにはとっておきの場所だったのでしょう。神秘的です。神がかった場所です。
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展望台からの眺めを楽しんだ後、女神ロマと皇帝アウグストゥスの神殿跡を通ってパルテノン神殿の裏側の道を通ることにしました。左側はどのようになっているのかを知りたいと思ったからです。この神殿跡の前には説明書きがありましたが、読んでいる時間はありません。ツアーのつらい所です。
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女神ロマと皇帝アウグストゥスの神殿跡の前を通って左の道を行くとパルテノン神殿の裏側に回って見た神殿です。ここはクレーンが入って修復工事中です。
紀元前5世紀の状態に戻すという計画のもと、修復しているそうですがいつのことになるのか検討がつきません。 -
イオニア式の柱の天井に接する部分はこんな感じです。
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岩場がありこの場所に立てられているということは、かなりぎりぎりの配置をしている感じを受けます。
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裏側を見る人は少なく、人影はまばらでした。
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ディオニソス劇場が下に見えて来ました。
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酒と演劇の神ディオニソスの聖域に造られたギリシャ最古の劇場です。
15000人を収容することができたそうです。今はかなり崩れています。 -
工事の足場が観光のじゃまにならないように組まれています。
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後ろ髪を引かれるような思いでパルテノン神殿を後にしました。アテナ・ニケ神殿が正面に見えます。アクロポリスの岩山を降りました。
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バスに乗り市内を見て回りました。アドリアスの門です。前回のアテネ訪問では写真に撮ることができなかったので、今回はしっかり撮りました。
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第一回近代オリンピックの競技場です。馬蹄形をしています。65000人を収容できたということでした。2020東京オリンピックの開会式は抽選で外れてしまいました。終わったら見に行こうかと思います。
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すぐ近くにジャカランダの紫の木が咲いていました。綺麗ですね。我が家の庭にジャカランダの木を植えて2年が経とうとしています。冬を越しました。日本で育つのは熱海と宮崎と聞きましたが、我が家も育てられそうです。花が咲くとよいのですが・・・。
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ポエジアに戻りました。エーゲ海は波が穏やかで青が一層綺麗です。前回は冬に来たので海は暗く期待はずれでしたが、この青さは十分楽しめます。
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夕暮れも幻想的で素敵です。
ギリシャ・アテネが栄えたのは紀元前のこと。西洋文明、民主主義の発祥の地です。プラトンやアリストテレスが活躍し芸術や学問、哲学の中心の都市国家でした。しかし、今は残念ながらギリシャ危機といわれるほど国は栄えてはいません。 栄枯盛衰を防ぐことはできなかったことに悲しさを感じました。日本の豊かさを維持するためにこれから何をどうすればよいのかを考える旅でした。
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