
2019/05/10 - 2019/05/17
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montarouさん
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これは2019年5月7日から6月18日まで、ギリシャのアテネを起点にトルコ、ジョージアを周遊した記録である。ここではトルコのエフェソス・パムッカレ・カッパドキアのゴールデン観光ルートをギリシャ・トルコ・ジョージア(II)として記した。
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5月9日サモス島からフェリーでトルコに入国、翌10日の朝にクシャダスのバスターミナルまで歩き、ミニバスでセルチュクに向かい、午前中にバスターミナル近くのヴァルダル ペンションを宿に決めた。
グナイデン(おはよう)、メルハバ(こんにちは)、テシュキュレディレム(有難う)を何とか覚えて、セルチュクのバスターミナルに行き、エフェソス遺跡行きのミニバスが20分毎(3.5TL)に出ていること確認、また怪しい旅行代理店で12日のパムッカレ行き8:30発のバスのチケットを購入(37TLだったかな?)。その後、バスターミナルの前のエフェソス考古学博物館に行った(20TLだったかな?)。 -
ここで目を引く発掘物は、豊穣の女神アルテミス像であった。写真のように多産を象徴する多数のオッパイをもっていることで(多数の子供を育てられる??)豊穣を表している。
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ギリシャ神話で、アルテミスはゼウスと女神レートーの子供である。それより以前に、ゼウスはサモス島生まれの女神ヘーラーに惚れて、正妻のテミスを離婚して、貞淑なヘーラーを正妻していた。しかし好色なゼウスは女神レートーを孕ませたので、神々の女王ヘーラーはレートーに憤り、神々に命じてレートーの出産を妨害した。レートーは逃げ回り、デロス島に隠れてキュントス山で双子を産んだ。それが太陽神のアポローンと豊穣の女神アルテミスだった。女神アルテミスが多数のオッパイを持つためか?、博物館では道祖神的な出土物もみられた。
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遊び心か?
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次いでアヤスルク城に向かったが、閉鎖されていた。城の手前の遺跡内には、鳥のために設置された塔や、遺跡の上に、大きな鳥(ペリカンかな?)が卵を抱いていた。日本人なら鳥の巣を撤去することが常道だが、トルコにはおおらかさがあるようだ。
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ヴァルダル ペンション宿に帰ると、“ラマダンで旅人に夕食を振舞ってくれる所に案内してやる”と言う。場所はレストランの前で、毎年数軒が交代で食品原料を寄付し、レストランが料理し、ボランティアが給仕するのだそうだ。貧乏旅行だが、食うに困る程でない。ただ、旅人に対するラマダンの気持ちがうれしかった。日本ではイスラム教徒による自爆テロや誘拐のニュース等から、暴力的な印象を受けるが、旅をするとイスラム教徒が最も親切だと感じる。ただし、どこの国でも旅行関係者は金の亡者と思うべきで、言葉が不自由で、疑うことを不道徳と思う日本人はカモとして狙われやすい。これが連鎖を生んでいる。
宗教は人類に有益なのだろうか。メソポタミアで生まれた古い一神教の信者は、神から与えられたと言う居住地から、ローマによって追い払われたが、その後、その地域で生まれた別の一神教がローマ支配地に広がった。さらに、その後アラビア半島で新たな一神教が興り広がった。ただ神は唯一でと言うが、三者への唯一の神の預言には互いに齟齬があり、一つの中国と言うのと同じであり、また多神教とも相容れないため、数千年に及ぶ悲劇と戦争の火種になってきた。悲しいことに、それは現在の戦争となり、今後も続くだろう。
11日はセルチュクのバザールの日である言う。各地からトラックが集まり、深夜から店の設営が始まった。早朝には小さな町に驚天動地の数の店が、路上や駐車場に並んでいた。果物、野菜、乳製品、衣類、家庭雑貨、金物、何でもある。 -
ここで昼食用にオレンジ、イチゴ、アプリコットを買い込こんだ。この時、おばさんが上手な日本語で話しかけてきた。おばさんは日本語ガイドと言うが、ここ数年仕事がなく、日本語で話したかったという。確かに日本人旅行者は少ない。日本は鎖国しているのか知らん?
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次いでバスターミナルにある例の旅行代理店で明日の夜行のパムッカレからギョレメ(カッパドキア)行きのチケットを予約し、エフェソス遺跡に向かった。
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エフェソス遺跡の入場料は60TL(千円余り)。ピタゴリオのヘーラー遺跡では、他に一人の客を見なかったが、ここの観光客の多さは驚天動地。
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昼に向けて観光客は益々、増加! 人とぶつかるし、英独に加え、中国や韓国語の大きな会話声が響く。
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一般にトルコの欠点はトイレが少ないことである。ここでは入口に一ヵ所だけ? 女性が列をなしていた。午後にセルチュクに帰り、夕方まで約3時間をかけてバザール見て回った。
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お米はアジア諸国に比べて高いが、日本の半値から1/3くらい。
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翌朝、店は消え、路上や駐車場の野菜や果物くずなど大量のごみは綺麗に撤去、掃除されていた。朝、世話になったヴァルダル ペンションをチェックアウトして、バスターミナルでチケットを受け取り、8時半にセルチュクを出発、11時半にパムッカレに到着した。
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セルチュクで買ったギョレメ(カッパドキア)行きのチケットを扱う旅行代理店を探す。このバスはセルチュク発で、パムッカレも通らないので、8時過ぎにディズニル行きの公共バス(5TL)が来るので、それに乗れ、と親切なお教え。荷物を預かってもらったが、このチケットのために15TLと5TL、計20TL余分に払った。金額より、チケットを受け取ったときに確認しなかった愚かさを反省。
パムッカレ・ヒエラポリスの入場料は50TLだったかな? ただ真白な石灰棚は素晴らしい以外に言い様がない! -
サンダルを脱いで裸足で登るが、最上部は温水が流れていて、コケ様なものが付着しているので、非常に滑りやすい。転んでカメラを壊す人を見たので、注意が必要。ヒエラポリスの遺跡自体もエフェソスに負けず、もなかなか素晴らしい。遠景はエフェソスより素晴らしく、雪山と広大な農地は見え、ハングライダーも飛んでいる。
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これは奈良の酒船石に似ているかな?
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ヒエラポリスには石棺が多い。墓地に適した素晴らしい風景だ。ただ、死者を石棺に入れれば、死者には風景も見えまいに!
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パムッカレ・ヒエラポリスの唯一の欠点は、やはりトイレが少ないこと。遺跡温泉内とヒエラポリスの入口に各1ヵ所である。
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パムッカレ・ヒエラポリスは24時間オープンと言うが、時間の区切りは不可能であろう。夕日の見える7時近くまで居残り、その後、荷物を受け取り、公共バスでディズニルに向かった。
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13日の早朝、明るくなって、夜行バスはネウシェヒルの町から離れたところのバスターミナルに着いた。ここで30分も止まり、この後20分ほどでギョレメに着いた。ギョレメのバスターミナルにはインフォメーションセンターがあったが、宿の位置を示す地図をくれたが、あまり親切ではない。ただ、ギョレメは真に華麗な奇岩地帯であった。
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朝の内に宿を決め、ギョレメ野外博物館に歩いていった。
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トルコ人にはイスラム教徒が多いが、ギョレメ野外博物館は、キリスト教者の多い欧米ロシアの観光者向けに併せているように感じた。ギョレメ野外博物館からの帰りは、山越えで帰った。
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翌朝の薄暗い朝、宿の窓から空を見上げて驚いた。想像の何十倍もの数の気球が空に浮かんでいた。屋上に上って1時間以上も眺めていた。
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朝食後、バスでネウシェヒルに行き、バスを乗り換え、カイマルク地下都市(35TL)を見る。敵が侵入してきた時に、通路を塞ぐために使った石。大石を準備するほど襲われたとは物騒で、人間には悪魔が多いのかな。
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ネウシェヒルの地下住居。ここにも地下都市があるという。彼らは地下が好きだね。涼しいからね。
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帰りは、ネウシェヒルからギョレメ行きのバスの途中のウチヒサルで降りて、ウチヒサル城の上に上る。ウチヒサル城はこの辺りで最も高く、奇岩地帯を一望できる。
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その後、ウチヒサル城からビジョンバレーに降りて、川沿いに行くが、途中に崖崩れの所があり、大きく高まきをした。
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朝の出発時に、道路沿いヒュンダイの乗用車が止まっていて、これはレンタカーか? 24時間いくらか? と聞くと、2000TLという。帰りにこの車を借りようと思ったが、すでに止まっていなかった。翌日も朝も車を探したが、見当たらなかった。それで歩いまわることにした。アヴァノス行きのバスが、バスターミナル前の道路沿いで乗れることを聞き、その運転手にパシャバーに行きたいと告げると、パシャバーに入る三差路で降してくれた。ここから15分ほどでパシャバーに着いた。
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さらに歩いて、ゼルヴェ屋外博物館を越えた所の大通りでバスに乗る積りだったが、近道をして山越えをしたところ、どこにもバス停がなくなった。Twin Fairy Chimneysも、バス停はなかった。
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結局、ウルギュップまで歩くことにした。しかし、ウルギュップのバスターミナルは町外れで、町中を20分余りも歩いた。ギョレメ行きのバスは30分毎に発車。
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翌朝は未練たらしく、また散歩。
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ところで昨日の朝、アンカラ行きのバス(60TL)を予約しておいたとき、バス会社は、9時のネウシェヒル行きのバスに乗り、運転手にアンカラに行くと言え、降りたところでアンカラ行きのターミナル行きのバスに乗り換えよ、と言う。不安だったが、13日に着いたバスターミナルに、何とか辿り着いた。
アンカラへの途中には塩湖も見えた。 -
アンカラについて地下鉄に乗ろうとすると、カードを買えという。オロオロしていると係員が、ここを通り抜けて、バスに乗れと指示、料金は3TL。時速120㎞で飛ばすので恐いが、直ぐにアンカラ城の下のターミナルに着いた。
アンカラに行く主目的はアナトリア文明博物館を見るためである。その理由は、鉄の精錬法を発明したヒッタイトの遺物を見たかったからである。これは次項で書く。
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