2019/05/07 - 2019/05/10
4位(同エリア18件中)
montarouさん
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2019年5月7日から6月18日まで、関空からギリシャのアテネを起点にトルコ、ジョージアを旅行した。ここでは初めの関空から、アテネ、サモス島、トルコのクシャダスまでを、ギリシャ・トルコ・ジョージア(I)として記した。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.5
- 交通手段
- 高速・路線バス 船 徒歩 バイク 飛行機
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この旅行は北京経由でアテネを起点に往復した。その理由は、料金がイスタンブール往復より2万円以上安かったからである。2019年5月7日、荷物を機内持ち込みにして、昼過ぎに関空を出発した。北京で乗り換えなので、出入国カードを書く必要のないトランジットの荷物検査に向かった。入国ゲートの後ろを通り抜け、奥の突き当りに近い、トランジットの荷物検査ラインに向かった。検査は嫌になるほど厳しい。荷物を預けると検査は楽だが、荷物が行方不明になるリスクがあり、それは旅行中断になりかねない。
安いチケットには不都合がある。北京で約10時間待った後、深夜発でアテネに向かった。早朝に到着し、入国は出入国カード無用で、パスポートチェックも簡単であった。国際線からの出口は空港ビルの北側で、右側の出発ロビーに向かった。アテネ空港のビルは小さいが、国際線だけでなく、島に行く小型の飛行機も含め、忙しく離発着している。レストランや販売店は少なく、空港ビル内に数店と、空港前の列車駅ビルに一軒だけであった。物価はやたらと高く、サンドイッチが7百円前後、ペットボトル飲料は3百~4百円、水だけが日本並みの価格だった。 -
アテネ空港からアテネ市内へのアクセスはバスと列車である。バスは空港ビルを右に出た所の売り場で、シンタグマ広場行きのX95のチケットを6ユーロで売っている。バスはチケット売り場のさらに南のビル南端から出る。バスも列車も1時間前後の乗車であるが、列車の利用者は少ないようだ。
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アテネ空港でさらに約10時間、暇をつぶし、プロペラ機でサモス島に向かった。サモス島を経由した理由は二つ、一つは面白くないトロイを経路から外すこと、二つ目はサモス島のヘーラー神殿遺跡に興味があること。ヘーラーはゼウスの正妻で、この旅行の後半でミコノスのデロス島に行ったが、そこはゼウスの不倫相手のレートーが、ゼウスの正妻ヘーラーの妨害から逃れて、アポローンとアルテミスを産んだと言われる島である。飛行機を選んだ理由は、フェリーが風景を楽しめない夜間航行であり、費用も飛行機とあまり変わらないからである。
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サモス島に向かうプロペラ機の私の席は、プロペラと平行の位置で、大きなプロペラがブンブン回るので恐怖を覚えた。ただプロペラが壊れて飛んできたら即死するので、むしろ墜落の恐怖を感じなくて良い。1時間弱の飛行で夕方の6時に、澄んだ青い海と、橙色の屋根、白い壁の家が並ぶ美しいサモス島に到着。
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サモス空港からピタゴリオへまで数kmで、公共バスもあるが、今日のバスは終わったと言うので、タクシーを使えという。割高の10ユーロを払い、5分ほどでピタゴリオの宿に着いた。
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ピタゴリオは人口は、わずか千人余りで、小さな港のある田舎町である。ただ、ここはピタゴラスの定理(誰もが学ぶ三平方の定理)で有名なピタゴラスが2600年前に生まれた町で、彼は宝石細工師の息子で、若い頃にエジプトなど地中海諸国を尋ね、幅広い学問分野を学び、やがて“日常から宇宙までの事象が数字と計算で解明できる”とする“すべてはピタゴラス学派”を組織した。このピタゴリオの地名は彼の名前に因んでいる。また、ここはギリシャ神話の主神ゼウスの正妻であるヘーラーの生まれた所と信じられ、2800年ほど前からヘーラーの神殿が建設されていた。ピタゴラスが生きていた時代の約2600年前にも、大きな神殿が建設中であった。この時代この地は、多くの職人や資材を運ぶ人や商人でにぎわった都市国家サモスの中心都市であったが、やがて漁師と農民だけの田舎村となった。この田舎村はティガニと呼ばれていたが、20世紀中ごろにピタゴリオと名前を変えて、リゾート地となった。まさに諸行無常である。
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港には、漁船らしき小船が数隻残るだけであったが、代わりに巨大なヨット、クルーズ船、遊覧モーターボートが多数停泊していた。
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夕方になると大型船上で、持ち主たちが酒を飲みかわし、港に面したレストランは一斉にテーブルを並べ、客を呼び込んでいた。
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路上の掃除も深夜に終わり、早朝には静かになる。港を散歩すると、老人が小さな手漕ぎ船で、釣りから帰ってきた。手には40㎝ほどのサワラのような魚を持っていた。
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ヘーラー神殿の遺跡へのバスはないというので、朝9時に貸バイク屋に行って、3~4時間だけ借りれるか?と聞くと、夕方5時までの1日間単位で18ユーロという。国際免許証など聞かれない国もあるが、ここでは大型バイクの免許を含む国際免許証の提出を求められた。18ユーロは高いが、それでもタクシーより安いので、仕方なく1日単位で借りて遺跡に向かった。
遺跡の入口の建物は小さく、柵が閉まっていたので、遺跡と思わず、通り過ぎて、行き止まりの海岸まで行ってしまった。戻って、係員が出勤するのを待って、3ユーロの入場料を払って中に入った。ギリシャ・ローマ風の遺跡を見るのは初めてであったが、通路を除き、雑草だらけで、3ユーロは高いと感じた。
女神ヘーラーが生まれたとされるサモス島では、2800年程前からヘーラーの神殿が造営されていた。ギリシャ神話では、美しいヘーラーに魅了されたゼウスが求愛したが、ヘーラーは妻帯していたゼウスを拒否し続けたと言う。結局、ヘーラーは、ゼウスに正妻のテミスと離婚させて、結婚に応じたと言う。神々の女王となったヘーラーは、毎年、美貌と処女性を取り戻すカナートスの泉で沐浴を続けた。ヘーラーは貞淑で、結婚の守護神であるが、反面でゼウスの浮気相手やその子供に対し、激しく、しかも執念深く嫉妬したと言う。
ヘーラー神殿は災害や戦争で破壊される度に再建されたが、結局は紀元前に放棄されため、紀元前6~4世紀以前遺物が残っていたと言う。小さな島に残る大重量の大理石の柱や台座から、それなりの感動はあったが、目を引く物は小さなモザイク画とレプリカの石像だけであった。発掘した実物はサモスシティー(バティ)のサモス考古学博物館にあると言うので、フェリーに乗る前に見に行くことにした。1時間弱で遺跡の出入口に戻ると、重機による草刈りが始まっていた。今が最も雑草の多い時期で、これからの観光シーズンに向けてサッパリするだろう。 -
紀元前のピタゴリオの賑わいは、全長1 km 以上という地下水路からも納得できると思い、バイクで向かった。しかし、坂道の斜度が急になり、砂利道となったので、転倒の危険を感じ、見物を断念した。バイクを返し、坂道のピタゴリオの町を散歩することにした。
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サモスシティー(バティ)行きのバスはピタゴリオに入る自動車通行止めの道路の三差路から、空港方向に50mほど離れた所にある。1時15分のバスに乗る予定で待ったが、バスの来る方向が予想と反対のMitilinii経由であった。料金は2.5ユーロ。この辺りに高木はなく、黄色い花をつけた灌木と、黄色の花の草も咲いて、山は黄色に染まっていた。サモスシティー側の斜面には針葉樹林があり、橙色の屋根と白い壁と、青い海が綺麗に調和していた。
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1時間弱でサモスシティーのサモス港(old port)手前のバスターミナルに着いた。少し遠いが、新港のVathy Portまで歩き、チケット売り場を探した。港湾イミグレは閉まっていたので、フェリー会社の事務所に行くと、二軒隣の旅行代理で買ってくれと言う。25ユーロのチケットを買うと、旅行代理店は、“4時頃からイミグレと船のゲートが開くので、そのとき11ユーロ(港湾使用料?)をフェリーの船員に払え”と言う。ネット情報では発船が6時とあったが、実際には4時から港湾イミグレが開き、5時に出船した。結局必要金額は計36ユーロだった。
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優先事項のチケットを買ったので、バスターミナルの近くのサモス考古学博物館に向かった。入館料は4ユーロで二棟に分かれていたが、半時間程度で回れた。
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ほかでは見られないような男女の遺物も見られた。
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その後、街並みと港を散歩した。海産物を売る店もあったが、魚種は少ない感じであった。
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ピタゴリオでは見なかった黒人が、サモスシティー(バティ)では目についた。サモス島とトルコの最短距離は2~3kmで、泳いでも渡れるが、現在、難民騒ぎは感じなかった。ただ、トルコ本土に近い島々のすべてがギリシャ領であることは、オスマントルコのイスラム教とギリシャのキリスト教の対立と戦争が原因だったようだ。宗教対立が現在の争いや戦争の原因にもなっていることは、愚かで悲しいことである。
ギリシャでは政府の赤字隠しが露見し、EUから援助を受けている国で、年金の減額より、キリスト教の教会へ課税を求める国民が多い。日本はギリシャと比べものにならないほどの赤字国なので、日本の港より、ギリシャの港は大変に綺麗に整備され、水道と電源まで用意されている。 -
サモスシティーでも漁船は少ないが、水道と電源はヨットや大型ボートで来る観光客用のようだ。日本では小さな漁港まで整備拡張されてきたが、漁船が減るなかでも漁業用設備に限られ、ヨットやボートのためのインフラは無く、水道と電源なども漁協の中に限られている。輸送船用に新増設された港も多いが、貨物船が入らないため、設備も不十分なまま、遊漁船用のマリーナに用途変更されている。
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Vathy Portから約1時間でトルコのクシャダスに着いた。
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入国カードも無用で、イミグレの通過は簡単だった。
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この近辺にATMが多いことも分かっていたが、日本で1万円分の異常に高いレートのトルコリラを用意してきたが、これは大失敗であった。宿でも日本の約半分のレートで両替できるし、また宿も宿泊料をユーロで払うことを望んだ。自国と通貨を信用しない国も多いが、世界一の借金大国、日本の通貨はいつまで信用できるのだろうか?
サモスに比べ、クシャダスは大都会で夜景も素晴らしかった。 -
早朝に起きて、ギュウェルジン島まで散歩した。これはトルコ語のグナイデン(おはよう)、とテシュキュレディレム(有難う)を直ぐ忘れる頭脳に叩き込みためでもあった。海岸で釣り老人もいたので、良い練習になったが、しかし帰りには忘れてしまっていた。どうも脳ミソが腐ってきたようだ。
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ギュウェルジン島まで繋ぐ埋め立て道の北側には、多くの大型遊覧船が係留されていた。そこには日本の遊覧船には見られない、奇抜な飾りを付けた船が多く、客を楽しませるための最大の趣向を凝らしていた。
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帰り道で、立ち売りからパンを買って朝食にした。一個が1.5リラ(30円)と高いことが後から分かったが、それでも日本のパンより味わい深かった。食後にチェックアウトし、旧市街の土産物店街を見てバスターミナルに向かった。途中に石積み造りの一階がアーチになった建物があり、その二階に顕微鏡で見なければ分からない、微細な手作り細工を無料で展示していた。その、驚くべき細かさは、米粒に字を書く程度の日本人では、足元にも及ばないだろう。この作者はイスタンブールに住んでいたトルコ人だと言う。もっとも最近の日本人は不器用になり、ノコギリや包丁さえ使えない若者もいる。言葉だけの教えは役に立たず、ケガのリスクがある訓練がなければ、技術は身につかない。ワクチンの副作用を恐れて風疹障害者が増え、手術ミスの恐れから産科や小児科で支障を来している。
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この顕微鏡的な展示館から、右の道を十分余り上ると、自動車道に突き当たる。
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下の道を右に曲がり、2百mほど上がると、半地下の大きな果物野菜市場に出る。トルコの果物はうらやましいほど安い。ここの大きなイチゴやサクランボが100gで10円~30円である。
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蜂蜜も、巣を一枚ずつ外したままの状態でも売っていた。
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この市場から自動車道の下を横切ると、公園とバスターミナルがある。
そこで、市場で買ってきたイチゴ1㎏、8トルコリラ(約150円)を公園の水で洗い、タラフク食べた。ここからセルチュク行きのミニバスが出ている。料金は7TL、ホテル街でも客を乗せて1時間弱で、エフェソスで有名なセルチュクのバスターミナルに着いた。先ず、宿をヴァルダル ペンションに決めた。ここは安宿だが、素晴らしい宿であった。
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