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2017年、イースター(復活祭)のタイミングでバチカンのあるローマを訪れる。ローマ時代の遺跡や教会が多く、また、美術館も多い。今回は、超がつく観光地のみを周ることにしました。。。<br /><br />4/14(1日目) 街歩き(カンピドーリオの丘周辺)<br />コロッセオ(ミサの為入れず)、チルコマッシモ、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会、真実の口広場、ティベリーナ島、マルケッルス劇場(マルチェッロ劇場)、アラコエリのサンタ・マリア聖堂、カンピドーリョ広場、カピトリーノ美術館、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会、パンテオン、ナヴォーナ広場、トレビの泉。<br /><br />4/15(2日目) ヴァティカン博物館、サンタンジェロ城<br /><br />4/16(3日目) コロッセオ、フォロ・ロマーノ(この旅行記)<br /><br />4/17(4日目) 帰途。※旅行記はありません。<br /><br />旅行記表紙は、コロッセオ <br /><br /><参考サイト>※ついでにイタリア語の勉強に。<br />「イタリア世界遺産の旅」と「誰でもわかるイタリア語」<br />https://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/language/italian/italian_3/index.html

ローマ(Roma) 3日目 コッロセオ、フィロ・ロマーノ

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2017/04/14 - 2017/04/17

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2017年、イースター(復活祭)のタイミングでバチカンのあるローマを訪れる。ローマ時代の遺跡や教会が多く、また、美術館も多い。今回は、超がつく観光地のみを周ることにしました。。。

4/14(1日目) 街歩き(カンピドーリオの丘周辺)
コロッセオ(ミサの為入れず)、チルコマッシモ、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会、真実の口広場、ティベリーナ島、マルケッルス劇場(マルチェッロ劇場)、アラコエリのサンタ・マリア聖堂、カンピドーリョ広場、カピトリーノ美術館、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会、パンテオン、ナヴォーナ広場、トレビの泉。

4/15(2日目) ヴァティカン博物館、サンタンジェロ城

4/16(3日目) コロッセオ、フォロ・ロマーノ(この旅行記)

4/17(4日目) 帰途。※旅行記はありません。

旅行記表紙は、コロッセオ 

<参考サイト>※ついでにイタリア語の勉強に。
「イタリア世界遺産の旅」と「誰でもわかるイタリア語」
https://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/language/italian/italian_3/index.html

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • コンスタンティヌスの凱旋門<br />Arco di Costantino<br /><br />一昨日に訪れてから再度、訪問。

    コンスタンティヌスの凱旋門
    Arco di Costantino

    一昨日に訪れてから再度、訪問。

    コンスタンティヌスの凱旋門 建造物

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />フィロ・ロマーノとコロッセオは共通チケット。並ぶのを避けるため、コロッセオでチケットを買わずに、フィロ・ロマーノ(パラティーノの丘側)にある入り口でチケットを買う(2017年4月情報)

    コロッセオ
    Colosseo

    フィロ・ロマーノとコロッセオは共通チケット。並ぶのを避けるため、コロッセオでチケットを買わずに、フィロ・ロマーノ(パラティーノの丘側)にある入り口でチケットを買う(2017年4月情報)

    コロッセオ 建造物

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />今日は入れそう。

    コロッセオ
    Colosseo

    今日は入れそう。

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />まあ、結局、入場の為の列には並んだが、すんなり入れた方。手荷物検査があります。

    コロッセオ
    Colosseo

    まあ、結局、入場の為の列には並んだが、すんなり入れた方。手荷物検査があります。

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />オーディオガイドを借りて出発。まずは、一望できる場所から。

    コロッセオ
    Colosseo

    オーディオガイドを借りて出発。まずは、一望できる場所から。

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />この後はオーディオガイドの順路に従って歩きます。

    コロッセオ
    Colosseo

    この後はオーディオガイドの順路に従って歩きます。

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />ところで「コロッセオ」ってさあ「殺っせよ」ォォって聞こえない?なあ~?国語の先生よォォォォォ!! (セッコ)

    コロッセオ
    Colosseo

    ところで「コロッセオ」ってさあ「殺っせよ」ォォって聞こえない?なあ~?国語の先生よォォォォォ!! (セッコ)

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />そう、このコロッセオもJOJOファンにとっての聖地。<br />第5部で、ポルナレフがジョルノ達を待っていた場所。<br /><br /><br /><br /><br /><br />

    コロッセオ
    Colosseo

    そう、このコロッセオもJOJOファンにとっての聖地。
    第5部で、ポルナレフがジョルノ達を待っていた場所。





  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ(Colosseo)からフィロ・ロマーノ方面。後で訪問します。

    コロッセオ(Colosseo)からフィロ・ロマーノ方面。後で訪問します。

  • コロッセオ(Colosseo)から、隣に立っている<br />コンスタンティヌスの凱旋門(Arco di Costantino)が見える。

    コロッセオ(Colosseo)から、隣に立っている
    コンスタンティヌスの凱旋門(Arco di Costantino)が見える。

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />内部の通路。

    コロッセオ
    Colosseo

    内部の通路。

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />外に出てきました。

    コロッセオ
    Colosseo

    外に出てきました。

  • コロッセオ<br />Colosseo<br /><br />こうした彫刻が意外に少なく、限らた場所に残されています。

    コロッセオ
    Colosseo

    こうした彫刻が意外に少なく、限らた場所に残されています。

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • コロッセオ<br />Colosseo

    コロッセオ
    Colosseo

  • クラウディア水道(Aqua Claudia)<br /><br />フォロ・ロマーノ(Foro Romano)には、パラティーノの丘(Palatino)へ続く入り口から入ります。コロッセオの隣から入る入り口が長蛇の列。どのみち、後からフィロ・ロマーノを丘の上から見学するのなら、こっちから入った方が便利。<br /> 写真はクラウディア水道(Aqua Claudia)と呼ばれる遺跡で、ローマに水を供給していたもの。皇帝カリグラ(Caligula、AD38-41)が38年に建設を始め、約14年間の工事の後に皇帝クラウディウス(Claudius、AD41-54)が52年に完成させた施設。

    クラウディア水道(Aqua Claudia)

    フォロ・ロマーノ(Foro Romano)には、パラティーノの丘(Palatino)へ続く入り口から入ります。コロッセオの隣から入る入り口が長蛇の列。どのみち、後からフィロ・ロマーノを丘の上から見学するのなら、こっちから入った方が便利。
     写真はクラウディア水道(Aqua Claudia)と呼ばれる遺跡で、ローマに水を供給していたもの。皇帝カリグラ(Caligula、AD38-41)が38年に建設を始め、約14年間の工事の後に皇帝クラウディウス(Claudius、AD41-54)が52年に完成させた施設。

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane<br /><br />軽い傾斜の丘を登り切ったところにある建造物。<br />複数のアーチが残っている。このあたりの説明パネルは、Bathから始まるものが多く、浴場だったみたい。

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

    軽い傾斜の丘を登り切ったところにある建造物。
    複数のアーチが残っている。このあたりの説明パネルは、Bathから始まるものが多く、浴場だったみたい。

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane<br /><br />秘密の通路みたい。

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

    秘密の通路みたい。

  • 遠くにコロッセロが見える。

    遠くにコロッセロが見える。

  • スタディオン<br />Stadio Palatino

    スタディオン
    Stadio Palatino

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane<br /><br />隣にあるチルコ・マッシモ(Circo Massimo)を見下ろせる眺めのいいテラスにつながっています。(写真右側)

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

    隣にあるチルコ・マッシモ(Circo Massimo)を見下ろせる眺めのいいテラスにつながっています。(写真右側)

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

  • ドムス・セプティミ・セウェリ<br />Terme Severiane

    ドムス・セプティミ・セウェリ
    Terme Severiane

  • スタディオン<br />Stadio Palatino

    スタディオン
    Stadio Palatino

  • スタディオン<br />Stadio Palatino

    スタディオン
    Stadio Palatino

  • スタディオン<br />Stadio Palatino

    スタディオン
    Stadio Palatino

  • スタディオン<br />Stadio Palatino

    スタディオン
    Stadio Palatino

  • ドムス・アウグスターナ<br />Domus Augustana - Palatino

    ドムス・アウグスターナ
    Domus Augustana - Palatino

  • ドムス・アウグスターナ<br />Domus Augustana - Palatino

    ドムス・アウグスターナ
    Domus Augustana - Palatino

    ドムス アウグスターナ 史跡・遺跡

  • ドムス・アウグスターナ<br />Domus Augustana - Palatino

    ドムス・アウグスターナ
    Domus Augustana - Palatino

  • ドムス・アウグスターナ<br />Domus Augustana - Palatino

    ドムス・アウグスターナ
    Domus Augustana - Palatino

  • ドムス・アウグスターナ<br />Domus Augustana - Palatino

    ドムス・アウグスターナ
    Domus Augustana - Palatino

  • ドムス・アウグスターナ<br />Domus Augustana - Palatino

    ドムス・アウグスターナ
    Domus Augustana - Palatino

  • ドムス・アウグスターナ<br />Domus Augustana - Palatino

    ドムス・アウグスターナ
    Domus Augustana - Palatino

  • ドムス・アウグスターナ<br />Domus Augustana - Palatino

    ドムス・アウグスターナ
    Domus Augustana - Palatino

  • ドムス・アウグスターナ<br />Domus Augustana - Palatino

    ドムス・アウグスターナ
    Domus Augustana - Palatino

  • ドムス・フラウィア<br />Domus Flavia<br /><br />Elliptical Nymphaeum<br /><br />奥に見える2階建ての建物はFarnese Lodge(Casina Farnese)。 16世紀にファルネーゼ家が建てたもの。<br />

    ドムス・フラウィア
    Domus Flavia

    Elliptical Nymphaeum

    奥に見える2階建ての建物はFarnese Lodge(Casina Farnese)。 16世紀にファルネーゼ家が建てたもの。

  • 倒れそう。

    倒れそう。

  • このあたりが、パラティーノの丘の頂上に相当し、聖域とされ、神殿があったとのこと。隣にはアウグストゥスの邸宅があったらしい。<br />

    このあたりが、パラティーノの丘の頂上に相当し、聖域とされ、神殿があったとのこと。隣にはアウグストゥスの邸宅があったらしい。

  • その説明。。。

    その説明。。。

    アウグストゥスの家 史跡・遺跡

  • Temple of Victria?<br />294BCにパラティーノの丘の頂上に建てられた神殿。

    Temple of Victria?
    294BCにパラティーノの丘の頂上に建てられた神殿。

  • Temple of Victria?<br /><br />

    Temple of Victria?

  • さらに奥にすこし入った突き当りに眺めのいい展望台があります。

    さらに奥にすこし入った突き当りに眺めのいい展望台があります。

  • パラティーノの丘広々として散歩するには気持ちいい場所。さて、フィロ・ロマーノの方へ向かいます。

    パラティーノの丘広々として散歩するには気持ちいい場所。さて、フィロ・ロマーノの方へ向かいます。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />見晴らしのいい場所。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    見晴らしのいい場所。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />見晴らしのいい場所。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    見晴らしのいい場所。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />見晴らしのいい場所。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    見晴らしのいい場所。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />見晴らしのいい場所。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    見晴らしのいい場所。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ティトゥスの凱旋門<br />Arco di Tito<br />Arch of Titus<br /><br />丘から降りてくるとまず、最初にある建造物。ティトゥスの凱旋門。<br />82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスのエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられた。<br />この凱旋門は、16世紀以降に建てられることとなる凱旋門のスタイルの手本とされた。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ティトゥスの凱旋門
    Arco di Tito
    Arch of Titus

    丘から降りてくるとまず、最初にある建造物。ティトゥスの凱旋門。
    82年、ローマ帝国第11代皇帝ドミティアヌスにより、先代皇帝でドミティアヌスの兄でもあるティトゥスのエルサレム攻囲戦等での戦功を称えるため建てられた。
    この凱旋門は、16世紀以降に建てられることとなる凱旋門のスタイルの手本とされた。

    ティトゥスの凱旋門 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ティトゥスの凱旋門<br />Arco di Tito<br />Arch of Titus

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ティトゥスの凱旋門
    Arco di Tito
    Arch of Titus

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ティトゥスの凱旋門<br />Arco di Tito<br />Arch of Titus

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ティトゥスの凱旋門
    Arco di Tito
    Arch of Titus

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ティトゥスの凱旋門<br />Arco di Tito<br />Arch of Titus

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ティトゥスの凱旋門
    Arco di Tito
    Arch of Titus

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ティトゥスの凱旋門<br />Arco di Tito<br />Arch of Titus

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ティトゥスの凱旋門
    Arco di Tito
    Arch of Titus

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ<br />Basilica di Massenzio<br /><br />マクセンティウスが308年に起工し、コンスタンティヌス1世が312年に完成させた。このため、マクセンティウスのバシリカ、あるいはコンスタンティヌスのバシリカとも呼ばれる。それまでの伝統的なバシリカとは全く異なるスタイルの建築物で、皇帝浴場の形態から着想したものと考えられる。現在は北側の側廊のみが残る。(Wikiより)<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ
    Basilica di Massenzio

    マクセンティウスが308年に起工し、コンスタンティヌス1世が312年に完成させた。このため、マクセンティウスのバシリカ、あるいはコンスタンティヌスのバシリカとも呼ばれる。それまでの伝統的なバシリカとは全く異なるスタイルの建築物で、皇帝浴場の形態から着想したものと考えられる。現在は北側の側廊のみが残る。(Wikiより)

    マクセンティウスのバジリカ 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ<br />Basilica di Massenzio

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ
    Basilica di Massenzio

    マクセンティウスのバジリカ 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ<br />Basilica di Massenzio

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ
    Basilica di Massenzio

    マクセンティウスのバジリカ 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ<br />Basilica di Massenzio

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ
    Basilica di Massenzio

    マクセンティウスのバジリカ 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ<br />Basilica di Massenzio

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    マクセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ
    Basilica di Massenzio

    マクセンティウスのバジリカ 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />サンタ・フランチェスカ・ロマーナ聖堂<br />Piazza di Santa Francesca Romana<br /><br />※フィロ・ロマーノから入れません(おそらく)。<br /><br />聖人、聖フランチェスカ・ロマーナの修道院。<br />http://www.tordespecchi.it/public/index.php?Home<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    サンタ・フランチェスカ・ロマーナ聖堂
    Piazza di Santa Francesca Romana

    ※フィロ・ロマーノから入れません(おそらく)。

    聖人、聖フランチェスカ・ロマーナの修道院。
    http://www.tordespecchi.it/public/index.php?Home

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />中世のポーチ<br />Portico Medievale<br /><br />コッロセオからティトゥスの凱旋門をくぐり、サクラ<br />中世のもの。個人の邸宅の一部で、通りの面していたが、基礎の部分が今よりもずいぶん、上にある。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    中世のポーチ
    Portico Medievale

    コッロセオからティトゥスの凱旋門をくぐり、サクラ
    中世のもの。個人の邸宅の一部で、通りの面していたが、基礎の部分が今よりもずいぶん、上にある。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ロムルス神殿<br />Tempio del Divo Romolo<br /><br />皇帝マクセンティウスが、夭折した息子ウァレリウス・ロムルスのために建設した神殿。しかし、彼がミルヴィオ橋の戦いで戦死したため、未完となった。<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ロムルス神殿
    Tempio del Divo Romolo

    皇帝マクセンティウスが、夭折した息子ウァレリウス・ロムルスのために建設した神殿。しかし、彼がミルヴィオ橋の戦いで戦死したため、未完となった。

    ロムルスの神殿 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿の巫女たちの家<br />Casa delle Vestali<br />巫女たちの家 (Casa delle Vestali) はかまどの女神ウェスタに仕える巫女たちの住居である。パネルを読むと、現在、見られるレンガ造りの建造物は、64年のもの。394年にキリスト教のローマ皇帝テオドシウス1世はこの場所の破棄を命じた。テオドシウスは、古代ローマ帝国の皇帝(在位:379年 - 395年)で、わずか4か月ではあったが、東西に分裂していたローマ帝国を実質的に1人で支配した最後の皇帝となった。392年にキリスト教を東ローマ帝国の国教に定め、のちに西ローマ帝国においても同じくした。                     

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿の巫女たちの家
    Casa delle Vestali
    巫女たちの家 (Casa delle Vestali) はかまどの女神ウェスタに仕える巫女たちの住居である。パネルを読むと、現在、見られるレンガ造りの建造物は、64年のもの。394年にキリスト教のローマ皇帝テオドシウス1世はこの場所の破棄を命じた。テオドシウスは、古代ローマ帝国の皇帝(在位:379年 - 395年)で、わずか4か月ではあったが、東西に分裂していたローマ帝国を実質的に1人で支配した最後の皇帝となった。392年にキリスト教を東ローマ帝国の国教に定め、のちに西ローマ帝国においても同じくした。                     

    ヴェスタの巫女の家 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿の巫女たちの家<br />Casa delle Vestali<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿の巫女たちの家
    Casa delle Vestali

    ヴェスタの巫女の家 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿の巫女たちの家<br />Casa delle Vestali<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿の巫女たちの家
    Casa delle Vestali

    ヴェスタの巫女の家 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿の巫女たちの家<br />Casa delle Vestali<br /><br />上に見えるのは、さっき、フィロ・ロマーノを見下ろした展望所。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿の巫女たちの家
    Casa delle Vestali

    上に見えるのは、さっき、フィロ・ロマーノを見下ろした展望所。

    ヴェスタの巫女の家 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿の巫女たちの家<br />Casa delle Vestali

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿の巫女たちの家
    Casa delle Vestali

    ヴェスタの巫女の家 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿の巫女たちの家<br />Casa delle Vestali

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿の巫女たちの家
    Casa delle Vestali

    ヴェスタの巫女の家 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿の巫女たちの家<br />Casa delle Vestali<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿の巫女たちの家
    Casa delle Vestali

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿の巫女たちの家、背景に、左から、ロムルス神殿、クセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ、サンタ・フランチェスカ・ロマーナ聖堂<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿の巫女たちの家、背景に、左から、ロムルス神殿、クセンティウス(もしくはコンスタチーノ)のバシリカ、サンタ・フランチェスカ・ロマーナ聖堂

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />中央、手前に移っている柱2本と壁が、ヴエスタ神殿。左側にみえる柱3本だけの建物が、カストルとポルックス神殿。さらに奥に移っているのは、1昨日前に訪れた市庁舎、右奥の白い建物は、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の上部。<br /><br />後から写真を見ると柵に座っている男のことを写したみたいな構図になっている。<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    中央、手前に移っている柱2本と壁が、ヴエスタ神殿。左側にみえる柱3本だけの建物が、カストルとポルックス神殿。さらに奥に移っているのは、1昨日前に訪れた市庁舎、右奥の白い建物は、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂の上部。

    後から写真を見ると柵に座っている男のことを写したみたいな構図になっている。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿とカストルとポルックス神殿。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿とカストルとポルックス神殿。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿<br />Tempio di Antonino e Faustina<br /><br />アントニヌス・ピウス帝が皇后ファウスティナを偲び、141年に建造させた。アントニウス・ピウスが死去した後、後継のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝によりアントニウス・ピウスと大ファウスティナを共に祀る神殿とされた。<br /><br />凝灰岩で造られた高床の上に建てられており、建物に刻まれた碑文にはDivo Antonino et Divae Faustinae Ex S.C.(日本語意訳:元老院から、神君アントニヌスとファウスティナに捧ぐ)と書かれていた。<br />ポルティコを支えるコリント式円柱は高さが17メートルはあり、コーニスのフリーズにはグリフォンと枝付き燭台の浮彫がされていた。(Wikiより)<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    アントニヌス・ピウスとファウスティナ神殿
    Tempio di Antonino e Faustina

    アントニヌス・ピウス帝が皇后ファウスティナを偲び、141年に建造させた。アントニウス・ピウスが死去した後、後継のマルクス・アウレリウス・アントニヌス帝によりアントニウス・ピウスと大ファウスティナを共に祀る神殿とされた。

    凝灰岩で造られた高床の上に建てられており、建物に刻まれた碑文にはDivo Antonino et Divae Faustinae Ex S.C.(日本語意訳:元老院から、神君アントニヌスとファウスティナに捧ぐ)と書かれていた。
    ポルティコを支えるコリント式円柱は高さが17メートルはあり、コーニスのフリーズにはグリフォンと枝付き燭台の浮彫がされていた。(Wikiより)

    アントニヌスピウスとファウスティーナ神殿 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ヴエスタ神殿<br />Tempio di Vesta<br /><br />ローマのすべての竈の火を象徴する神殿。現在の遺構は、205年にセプティミウス・セウェルス(Septimius Severus、在位:193 - 211、セウェルス朝の創始者)によって建造されたもので、フォロ・ロマーノで唯一の円形神殿である。中に祭られる火は絶えず燃やし続けられ、これを管理する女性神官はウェスタの巫女と呼ばれた。であり、アフリカ属州生まれ(属州民ではない)の皇帝となった。神殿は紀元391年テオドシウスの全ての異教廃止の勅令によって、これを最後に閉ざされ火は消された。  

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ヴエスタ神殿
    Tempio di Vesta

    ローマのすべての竈の火を象徴する神殿。現在の遺構は、205年にセプティミウス・セウェルス(Septimius Severus、在位:193 - 211、セウェルス朝の創始者)によって建造されたもので、フォロ・ロマーノで唯一の円形神殿である。中に祭られる火は絶えず燃やし続けられ、これを管理する女性神官はウェスタの巫女と呼ばれた。であり、アフリカ属州生まれ(属州民ではない)の皇帝となった。神殿は紀元391年テオドシウスの全ての異教廃止の勅令によって、これを最後に閉ざされ火は消された。  

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ユトゥルナの泉<br />Lacus Juturnae<br />Fonte di Giuturna<br /><br />後述。<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ユトゥルナの泉
    Lacus Juturnae
    Fonte di Giuturna

    後述。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />サンタ・マリア・アンティクァ聖堂<br />Chiesa di Santa Maria Antiqua<br />(写真は教会の一部)<br /><br />後から旅行記を書いているときに、いろいろな検索をして、「え、、見逃している」と後悔することがある。そのひとつがこれ。後悔の大きさはとてつもなく大きい。847年の地震で崩壊、その後、ほぼ900年にわたり土砂に埋もれていたが、18世紀初めにその一部が発見された。1900年より本格的な発掘作業が始まり、今にいたっている。2016年から公開されており、あまり、ガイドブックではフォローされていないが、グーグルマップを見ると、紀元後6-8世紀ぐらいの古い壁一面のフレスコ画が残されている。 通常、教会は古くから存在しても、時代とともに、修復、増築を繰り返すため、元の構造やフレスコ画は残されていない場合が多いが、9世紀に地震で放棄された為、そのままの状態で残されることになっている。<br /><br />https://www.khanacademy.org/humanities/medieval-world/early-christian1/v/santa-maria-antiqua<br /><br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    サンタ・マリア・アンティクァ聖堂
    Chiesa di Santa Maria Antiqua
    (写真は教会の一部)

    後から旅行記を書いているときに、いろいろな検索をして、「え、、見逃している」と後悔することがある。そのひとつがこれ。後悔の大きさはとてつもなく大きい。847年の地震で崩壊、その後、ほぼ900年にわたり土砂に埋もれていたが、18世紀初めにその一部が発見された。1900年より本格的な発掘作業が始まり、今にいたっている。2016年から公開されており、あまり、ガイドブックではフォローされていないが、グーグルマップを見ると、紀元後6-8世紀ぐらいの古い壁一面のフレスコ画が残されている。 通常、教会は古くから存在しても、時代とともに、修復、増築を繰り返すため、元の構造やフレスコ画は残されていない場合が多いが、9世紀に地震で放棄された為、そのままの状態で残されることになっている。

    https://www.khanacademy.org/humanities/medieval-world/early-christian1/v/santa-maria-antiqua

    S.M.アンティクア教会 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />カストルとポルックスの神殿<br />(カストールとポリュデウケースの神殿)<br />ディオスクーロイの神殿とも呼ばれる(ギリシャ神:ゼウスの息子達。)    <br /><br /> 王政ローマ最後の王タルクィニウス・スペルブスはローマを追放された後、ラテン人たちと共に成立間もない共和政ローマと戦った。この戦いの前に、ローマの独裁官アウルス・ポストゥミウス・アルブスは、戦いに勝ったらディオスクーロイの神殿を建立することを誓った。<br /> 伝説によれば紀元前499年、ローマ人とラティー二族によるレッジロ湖畔(ローマ南)の戦いにおいて、不思議で神々しい馬に乗った双子(カストルとポルックス)が有能な騎手として戦場に現れ、ローマ側に加勢したという。また、ローマが勝利した後にもフォルム・ロマヌム(フィロ・ロマーノ)のユートゥルナの泉に現れ、馬に水を飲ませ、ローマの戦勝を伝え消え去ったと伝えられる。ローマ市民は彼らをディオスクーロイと認識し、神殿は彼らが現れたと言われている場所に建てられた。ポストゥミウスの息子が神殿を完成させたのは紀元前484年のことだった。<br /> 共和政時代、この神殿は元老院の会議の場所として使われ、紀元前2世紀中ごろからは正面の階段が話者の演台として役立った。帝国期になると、この神殿は度量衡を監督する役所が設けられ、国家の宝物庫とされた。<br /> 紀元前117年、ルシウス・カエシリウス・メテッルス・ダルマティクスはダルマチア人に勝利したことを記念して、この神殿を修復し拡張した。紀元前73年には、ガイウス・ヴェレスがさらに修復を行った。<br /> 紀元前14年、フォルム・ロマヌムの主要部分が火災で焼け落ち、この神殿も破壊された。これを再建したのは、後に第2代皇帝となったティベリウスである。新たな神殿が完成したのは紀元6年のことだった。現在遺跡として残っているのはこのティベリウスが建てた神殿の一部である。ただし、土台はメテッルスの時代のものである。(Wikiより)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    カストルとポルックスの神殿
    (カストールとポリュデウケースの神殿)
    ディオスクーロイの神殿とも呼ばれる(ギリシャ神:ゼウスの息子達。)    

     王政ローマ最後の王タルクィニウス・スペルブスはローマを追放された後、ラテン人たちと共に成立間もない共和政ローマと戦った。この戦いの前に、ローマの独裁官アウルス・ポストゥミウス・アルブスは、戦いに勝ったらディオスクーロイの神殿を建立することを誓った。
     伝説によれば紀元前499年、ローマ人とラティー二族によるレッジロ湖畔(ローマ南)の戦いにおいて、不思議で神々しい馬に乗った双子(カストルとポルックス)が有能な騎手として戦場に現れ、ローマ側に加勢したという。また、ローマが勝利した後にもフォルム・ロマヌム(フィロ・ロマーノ)のユートゥルナの泉に現れ、馬に水を飲ませ、ローマの戦勝を伝え消え去ったと伝えられる。ローマ市民は彼らをディオスクーロイと認識し、神殿は彼らが現れたと言われている場所に建てられた。ポストゥミウスの息子が神殿を完成させたのは紀元前484年のことだった。
     共和政時代、この神殿は元老院の会議の場所として使われ、紀元前2世紀中ごろからは正面の階段が話者の演台として役立った。帝国期になると、この神殿は度量衡を監督する役所が設けられ、国家の宝物庫とされた。
     紀元前117年、ルシウス・カエシリウス・メテッルス・ダルマティクスはダルマチア人に勝利したことを記念して、この神殿を修復し拡張した。紀元前73年には、ガイウス・ヴェレスがさらに修復を行った。
     紀元前14年、フォルム・ロマヌムの主要部分が火災で焼け落ち、この神殿も破壊された。これを再建したのは、後に第2代皇帝となったティベリウスである。新たな神殿が完成したのは紀元6年のことだった。現在遺跡として残っているのはこのティベリウスが建てた神殿の一部である。ただし、土台はメテッルスの時代のものである。(Wikiより)

    カストルとポルックスの神殿 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ディヴォ・ジューリオ神殿(ディウウス・カエサル神殿、カエサル神殿)<br />Tempio del Divo Giulio<br /><br /> ディウウス・カエサル神殿(ラテン語: Aedes Divi Iulii、イタリア語: Tempio del Divo Giulio)はローマのフォロ・ロマーノにある古代の建築物である。紀元前29年8月29日に、アクティウムの海戦に勝利したオクタウィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)が神君カエサルを記念して建てたプロスタイル式(前柱廊下式)の神殿。日本語で神君カエサル神殿と表記されることもある。<br />フォルム(中央の広場)の東に面しており、レギア、カストルとポルックス神殿、バシリカ・アエミリアに囲まれた場所にあり、カエサルの遺体が火葬された場所に建てられている。神殿の一段上がったところはロストラ(演壇)が作られており、アクティウムの海戦で捕縛した船の船首で飾られていたという。この神殿はまた、カエサルの死後(の紀元前44年)に出現した彗星を祀るものでもあり、この彗星はカエサルの魂であるとも、初代ローマ皇帝アウグストゥスの出現を表すものとも言われていた。(Wikiより)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ディヴォ・ジューリオ神殿(ディウウス・カエサル神殿、カエサル神殿)
    Tempio del Divo Giulio

     ディウウス・カエサル神殿(ラテン語: Aedes Divi Iulii、イタリア語: Tempio del Divo Giulio)はローマのフォロ・ロマーノにある古代の建築物である。紀元前29年8月29日に、アクティウムの海戦に勝利したオクタウィアヌス(後の初代皇帝アウグストゥス)が神君カエサルを記念して建てたプロスタイル式(前柱廊下式)の神殿。日本語で神君カエサル神殿と表記されることもある。
    フォルム(中央の広場)の東に面しており、レギア、カストルとポルックス神殿、バシリカ・アエミリアに囲まれた場所にあり、カエサルの遺体が火葬された場所に建てられている。神殿の一段上がったところはロストラ(演壇)が作られており、アクティウムの海戦で捕縛した船の船首で飾られていたという。この神殿はまた、カエサルの死後(の紀元前44年)に出現した彗星を祀るものでもあり、この彗星はカエサルの魂であるとも、初代ローマ皇帝アウグストゥスの出現を表すものとも言われていた。(Wikiより)

    カエサルの神殿 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />バシリカ・ユリア<br />Basilica Julia<br /><br />バシリカ・ユリア(ラテン語: Basilica Julia)は古代ローマのフォルム・ロマヌムにあった公会堂(バジリカ)。フォルム・ロマヌムの中央広場(フォルム)からみて、聖なる道(Via Sacra)を挟んだ南側に隣接している。火災によって消失したバシリカ・センプロニアの跡に造営されたバシリカ。ガイウス・ユリウス・カエサルによって起工されたため、バシリカ・ユリア(ユリウスのバシリカ)と呼ばれる。5廊式の巨大建築物で、4つの民事法廷が開設されていた。<br /><br />バシリカ・ユリアは、紀元前54年にガリア戦争の勝利で得た資金をもとにして、カエサルが建設を始めたものである。建設用地は、紀元前170年に建てられたバシリカ・センプロニアを取り壊した跡地を利用しており、施設は紀元前46年に供用が行われ、最終的な建物の完成はカエサルの後継者であるアウグストゥスの時代になってからである。この施設は完成後まもなく火災で大きく被害を受け、紀元12年に改築・拡張されている。また、再度の火災により被害を受けたため、238年に第51代皇帝(東方正帝)ディオクレティアヌスにより改築が行われたことが分かっている。<br /> このバシリカは主に民事裁判所として使われ、また施設内にはタベルナ(食堂)街や官公庁の事務所も居を構えていた。特別民事裁判所ケントゥムビリ(百人法廷)の会場としても有名で、相続問題について審理される法廷ともなっていた。小プリニウスの書簡によれば、『新たな嫁を迎えた10日後に死去した80歳の故人が、提訴者Attia Viriolaを相続人から外したのは違法である』との訴えを審理した例が書かれている。<br /> また、ローマ市民の会合の場所としてもよく使われ、そのための部屋や店などもあったが、バシリカ・ユリアの本来目的は裁判所の法廷としての利用であった。ポルチコ(列柱廊)の大理石床には8×8のマス目が嵌め込まれている場所があり、市民がチェスやチェッカーのようなゲームに興ずる場所をも提供していたようだ。<br /> 410年の西ゴート族アラリック1世によるローマ略奪でバジリカは破壊され廃墟となっていたが、7世紀から8世紀頃に教会として建物の残存部分が利用されたようである。現在、バシリカ・ユリアは周囲より1mほど嵩上げされた101m×49mの長方形基礎部分が残存しており、聖なる道に面した側は階段状の基盤が残っている。建物を支えていた柱や壁は、北西角に若干の壁と共に残存している円柱数本を除いて、基礎部分の礎石を残すのみでほぼ全てが失われている。バシリカの中央の大広間は82m×16mの広さで、周囲を7.5m幅の大理石円柱で支えられた柱廊で取り囲んでいた。(Wikiより)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    バシリカ・ユリア
    Basilica Julia

    バシリカ・ユリア(ラテン語: Basilica Julia)は古代ローマのフォルム・ロマヌムにあった公会堂(バジリカ)。フォルム・ロマヌムの中央広場(フォルム)からみて、聖なる道(Via Sacra)を挟んだ南側に隣接している。火災によって消失したバシリカ・センプロニアの跡に造営されたバシリカ。ガイウス・ユリウス・カエサルによって起工されたため、バシリカ・ユリア(ユリウスのバシリカ)と呼ばれる。5廊式の巨大建築物で、4つの民事法廷が開設されていた。

    バシリカ・ユリアは、紀元前54年にガリア戦争の勝利で得た資金をもとにして、カエサルが建設を始めたものである。建設用地は、紀元前170年に建てられたバシリカ・センプロニアを取り壊した跡地を利用しており、施設は紀元前46年に供用が行われ、最終的な建物の完成はカエサルの後継者であるアウグストゥスの時代になってからである。この施設は完成後まもなく火災で大きく被害を受け、紀元12年に改築・拡張されている。また、再度の火災により被害を受けたため、238年に第51代皇帝(東方正帝)ディオクレティアヌスにより改築が行われたことが分かっている。
     このバシリカは主に民事裁判所として使われ、また施設内にはタベルナ(食堂)街や官公庁の事務所も居を構えていた。特別民事裁判所ケントゥムビリ(百人法廷)の会場としても有名で、相続問題について審理される法廷ともなっていた。小プリニウスの書簡によれば、『新たな嫁を迎えた10日後に死去した80歳の故人が、提訴者Attia Viriolaを相続人から外したのは違法である』との訴えを審理した例が書かれている。
     また、ローマ市民の会合の場所としてもよく使われ、そのための部屋や店などもあったが、バシリカ・ユリアの本来目的は裁判所の法廷としての利用であった。ポルチコ(列柱廊)の大理石床には8×8のマス目が嵌め込まれている場所があり、市民がチェスやチェッカーのようなゲームに興ずる場所をも提供していたようだ。
     410年の西ゴート族アラリック1世によるローマ略奪でバジリカは破壊され廃墟となっていたが、7世紀から8世紀頃に教会として建物の残存部分が利用されたようである。現在、バシリカ・ユリアは周囲より1mほど嵩上げされた101m×49mの長方形基礎部分が残存しており、聖なる道に面した側は階段状の基盤が残っている。建物を支えていた柱や壁は、北西角に若干の壁と共に残存している円柱数本を除いて、基礎部分の礎石を残すのみでほぼ全てが失われている。バシリカの中央の大広間は82m×16mの広さで、周囲を7.5m幅の大理石円柱で支えられた柱廊で取り囲んでいた。(Wikiより)

    ユリウスのバジリカ 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />バシリカ・ユリア<br />Basilica Julia<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    バシリカ・ユリア
    Basilica Julia

    ユリウスのバジリカ 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />サートゥルヌス神殿<br />(ラテン語: Templum Saturni または Aedes Saturnus、イタリア語: Tempio di Saturno)<br />右手、支柱だけを残っている、ローマ神話の神サートゥルヌスを祭った神殿。<br />(背景にあるのは、市庁舎)<br /><br />徐々に崩壊してほとんど何も残っていないが、正面のポルチコ部分として8本の柱とペディメントの一部だけが残存している。ペディメントには Senatus Populusque Romanus incendio consumptum restituit と刻まれており、元老院とローマ市民が火災で失われたものを復元したことを意味している。<br /> 一部の文献は王政ローマの最後の王タルクィニウス・スペルブスが建てたとしており、別の文献はティトゥス・ラルキウス・フラウスだとしている。また、ガリア人による放火(紀元前4世紀初めごろのブレンヌスによるローマ侵略)の後にも修復されている。共和政ローマ時代の国有財産をここに保管していたため、「アエラリウム (Aerarium)」すなわち「国庫」とも呼ばれた。この神殿はカンピドリオの丘まで続く古い坂道クリヴス・カピトリヌスの起点に位置していた。<br />現在の廃墟は3代目のサートゥルヌス神殿であり、2代目は283年に火災で破壊された。(Wikiより)<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    サートゥルヌス神殿
    (ラテン語: Templum Saturni または Aedes Saturnus、イタリア語: Tempio di Saturno)
    右手、支柱だけを残っている、ローマ神話の神サートゥルヌスを祭った神殿。
    (背景にあるのは、市庁舎)

    徐々に崩壊してほとんど何も残っていないが、正面のポルチコ部分として8本の柱とペディメントの一部だけが残存している。ペディメントには Senatus Populusque Romanus incendio consumptum restituit と刻まれており、元老院とローマ市民が火災で失われたものを復元したことを意味している。
     一部の文献は王政ローマの最後の王タルクィニウス・スペルブスが建てたとしており、別の文献はティトゥス・ラルキウス・フラウスだとしている。また、ガリア人による放火(紀元前4世紀初めごろのブレンヌスによるローマ侵略)の後にも修復されている。共和政ローマ時代の国有財産をここに保管していたため、「アエラリウム (Aerarium)」すなわち「国庫」とも呼ばれた。この神殿はカンピドリオの丘まで続く古い坂道クリヴス・カピトリヌスの起点に位置していた。
    現在の廃墟は3代目のサートゥルヌス神殿であり、2代目は283年に火災で破壊された。(Wikiより)

    サトゥルヌスの神殿 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />フォカスの記念柱 (写真左手の塔)<br />(伊: La Colonna di Foca、英: The Column of Phocas)<br /> 西暦601年8月1日、東ローマ帝国皇帝フォカスを称えて、ローマ中心部、フォロ・ロマーノのロストラ(演説台)の前に建立され、フォカスに献納または再献納された石柱(コロンナ)である。この記念柱は、古代にあって、フォロ・ロマーノに加えられた最後の建造物である。<br /> 白大理石でつくられた立方体の台石の上に、縦溝の彫られたコリント式の円柱が、13.6メートルの高さでそびえ立っている。石柱は2世紀ごろに製作されたものの転用と考えられる。<br /> 煉瓦でできた四角形の基礎は、以前は地面の下に埋もれて見えていなかったものである。19世紀に至って、アウグストゥス帝が最初に敷設した舗装路面まで、蓄積した土砂などがフォロ・ロマーノから除去された結果、本来の姿が現れた。(Wikiより)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    フォカスの記念柱 (写真左手の塔)
    (伊: La Colonna di Foca、英: The Column of Phocas)
     西暦601年8月1日、東ローマ帝国皇帝フォカスを称えて、ローマ中心部、フォロ・ロマーノのロストラ(演説台)の前に建立され、フォカスに献納または再献納された石柱(コロンナ)である。この記念柱は、古代にあって、フォロ・ロマーノに加えられた最後の建造物である。
     白大理石でつくられた立方体の台石の上に、縦溝の彫られたコリント式の円柱が、13.6メートルの高さでそびえ立っている。石柱は2世紀ごろに製作されたものの転用と考えられる。
     煉瓦でできた四角形の基礎は、以前は地面の下に埋もれて見えていなかったものである。19世紀に至って、アウグストゥス帝が最初に敷設した舗装路面まで、蓄積した土砂などがフォロ・ロマーノから除去された結果、本来の姿が現れた。(Wikiより)

    フォカスの記念柱 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ウェスパシアヌスとティトゥス神殿<br />(ラテン語: Templum Vespasiani et Titi、イタリア語: Tempio di Vespasiano e Tito)<br /> ローマのフォロ・ロマーノ西端、サートゥルヌス神殿とコンコルディア神殿の間にあった神殿で皇帝ドミティアヌスによって建設された神殿。現在は3本のコリント式の柱のみが残る。<br /> ウェスパシアヌス帝と息子のティトゥス帝を神格化して祭っている。ウェスパシアヌスの死後、ティトゥス治世下の紀元79年に着工した。ティトゥスの弟ドミティアヌス帝が紀元87年ごろ完成させ、ティトゥスとウェスパシアヌスを祭る神殿とした。単にウェスパシアヌス神殿と表記されることもある。<br /> 古代ローマ史を通して、記念碑を建てることで氏族の名声と栄光を高め、その名を長く後世に伝えようとする傾向があった。そういう意味ではこの神殿は、ウェスパシアヌス (69-79)、ティトゥス (79-81)、ドミティアヌス (81-96) と続いたフラウィウス朝の栄光を称えるための建築物である。当時の皇帝崇拝は一種の国教であり、そうすることで皇帝への忠誠を示し、政治的または外交的姿勢を示す意味もあった。(Wikiより)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ウェスパシアヌスとティトゥス神殿
    (ラテン語: Templum Vespasiani et Titi、イタリア語: Tempio di Vespasiano e Tito)
     ローマのフォロ・ロマーノ西端、サートゥルヌス神殿とコンコルディア神殿の間にあった神殿で皇帝ドミティアヌスによって建設された神殿。現在は3本のコリント式の柱のみが残る。
     ウェスパシアヌス帝と息子のティトゥス帝を神格化して祭っている。ウェスパシアヌスの死後、ティトゥス治世下の紀元79年に着工した。ティトゥスの弟ドミティアヌス帝が紀元87年ごろ完成させ、ティトゥスとウェスパシアヌスを祭る神殿とした。単にウェスパシアヌス神殿と表記されることもある。
     古代ローマ史を通して、記念碑を建てることで氏族の名声と栄光を高め、その名を長く後世に伝えようとする傾向があった。そういう意味ではこの神殿は、ウェスパシアヌス (69-79)、ティトゥス (79-81)、ドミティアヌス (81-96) と続いたフラウィウス朝の栄光を称えるための建築物である。当時の皇帝崇拝は一種の国教であり、そうすることで皇帝への忠誠を示し、政治的または外交的姿勢を示す意味もあった。(Wikiより)

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ウェスパシアヌスとティトゥス神殿<br />(ラテン語: Templum Vespasiani et Titi、イタリア語: Tempio di Vespasiano e Tito)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ウェスパシアヌスとティトゥス神殿
    (ラテン語: Templum Vespasiani et Titi、イタリア語: Tempio di Vespasiano e Tito)

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ウェスパシアヌスとティトゥス神殿<br />(ラテン語: Templum Vespasiani et Titi、イタリア語: Tempio di Vespasiano e Tito)<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ウェスパシアヌスとティトゥス神殿
    (ラテン語: Templum Vespasiani et Titi、イタリア語: Tempio di Vespasiano e Tito)

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />The Porticus Deorum Consentium<br />(Italian: Portico degli Dei Consenti; English: Portico of the Harmonious Gods), sometimes known as the Area of the Dii Consentes, is an ancient structure located at the bottom of the ancient Roman road that leads up to the Capitol in Rome, Italy. The Clivus Capitolinus (&quot;Capitoline Rise&quot;) turned sharply at the head of the Forum Romanum where this portico of marble and composite material was discovered and re-erected in 1835.<br /><br />It was last rebuilt in 367 AD and was thus the last functioning pagan shrine in the Forum (such shrines had been forbidden by law more than a decade earlier). The Portico housed twelve recessed rooms where it is believed the judicial clerks of the Capitoline Assent held their offices.(Wikiより)<br /><br />※適当な日本語訳がないので、英文のままで。<br />これも後からみると、この家族を写したような構図になっている。。。<br /><br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    The Porticus Deorum Consentium
    (Italian: Portico degli Dei Consenti; English: Portico of the Harmonious Gods), sometimes known as the Area of the Dii Consentes, is an ancient structure located at the bottom of the ancient Roman road that leads up to the Capitol in Rome, Italy. The Clivus Capitolinus ("Capitoline Rise") turned sharply at the head of the Forum Romanum where this portico of marble and composite material was discovered and re-erected in 1835.

    It was last rebuilt in 367 AD and was thus the last functioning pagan shrine in the Forum (such shrines had been forbidden by law more than a decade earlier). The Portico housed twelve recessed rooms where it is believed the judicial clerks of the Capitoline Assent held their offices.(Wikiより)

    ※適当な日本語訳がないので、英文のままで。
    これも後からみると、この家族を写したような構図になっている。。。

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />The Porticus Deorum Consentium

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    The Porticus Deorum Consentium

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ウェスパシアヌスとティトゥス神殿(左)とサートゥルヌス神殿(右)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ウェスパシアヌスとティトゥス神殿(左)とサートゥルヌス神殿(右)

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />聖ルカ教会とマルティナ教会(Chiesa dei Santi Luca e Martina、正面)とセプティミウス・セウェルスの凱旋門(Arco di Settimio Severo、右)<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    聖ルカ教会とマルティナ教会(Chiesa dei Santi Luca e Martina、正面)とセプティミウス・セウェルスの凱旋門(Arco di Settimio Severo、右)

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />セプティミウス・セウェルスの凱旋門<br />(伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)<br /><br />西端に建つ記念門。皇帝セプティミウス・セウェルスのパルティア遠征の戦勝記念として建設され、203年に完成した。高さ23m、幅25m。白大理石の豪華な彫刻によって装飾されている。(Wikiより)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    セプティミウス・セウェルスの凱旋門
    (伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)

    西端に建つ記念門。皇帝セプティミウス・セウェルスのパルティア遠征の戦勝記念として建設され、203年に完成した。高さ23m、幅25m。白大理石の豪華な彫刻によって装飾されている。(Wikiより)

    セプティミウス セウェルスの凱旋門 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />セプティミウス・セウェルスの凱旋門<br />(伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)<br /><br /> セプティミウス・セウェルスの凱旋門はフォロ・ロマーノの北西端にある白い大理石製の凱旋門で、皇帝セプティミウス・セウェルスとその息子カラカラとゲタの第6次パルティア戦争(194年/195年と197年から199年までの遠征)での勝利を記念して紀元203年に建設された。<br /> セプティミウス・セウェルスの死後、カラカラとゲタは共同皇帝として即位したが、212年にカラカラがゲタを暗殺した。このため、ゲタを記念した彫刻は建築物や記念碑からことごとく削除された。当然ながらこの凱旋門でもゲタに関する部分は削り取られている(*ダムナティオ・メモリアエ)。<br /><br />*ダムナティオ・メモリアエ(ラテン語: Damnatio Memoriae)<br /> 古代ローマで元老院がその支配体制へ反逆した人物に対して行った措置を指す。その対象は古代ローマ人全般に及び、少なくとも2名の皇帝がダムナティオ・メモリアエを受けたことがわかっている。なお、日本語の訳は「記憶の破壊」または「名声の破壊」など。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    セプティミウス・セウェルスの凱旋門
    (伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)

     セプティミウス・セウェルスの凱旋門はフォロ・ロマーノの北西端にある白い大理石製の凱旋門で、皇帝セプティミウス・セウェルスとその息子カラカラとゲタの第6次パルティア戦争(194年/195年と197年から199年までの遠征)での勝利を記念して紀元203年に建設された。
     セプティミウス・セウェルスの死後、カラカラとゲタは共同皇帝として即位したが、212年にカラカラがゲタを暗殺した。このため、ゲタを記念した彫刻は建築物や記念碑からことごとく削除された。当然ながらこの凱旋門でもゲタに関する部分は削り取られている(*ダムナティオ・メモリアエ)。

    *ダムナティオ・メモリアエ(ラテン語: Damnatio Memoriae)
     古代ローマで元老院がその支配体制へ反逆した人物に対して行った措置を指す。その対象は古代ローマ人全般に及び、少なくとも2名の皇帝がダムナティオ・メモリアエを受けたことがわかっている。なお、日本語の訳は「記憶の破壊」または「名声の破壊」など。

    セプティミウス セウェルスの凱旋門 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />セプティミウス・セウェルスの凱旋門<br />(伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)<br /><br />この凱旋門はトラバーチンの基礎の上に建ち、元々は古代のフォルムの地面から階段で昇るようになっていた。中央のアーチ道は半円形のヴォールトで全体を格間で飾っている。そして、両脇のアーチ道との間に側部開口部が通じている。このような特徴は近代の凱旋門でも模倣されている。<br /><br />3つのアーチ道は橋脚で支持されており、その前面は台座の上のコンポジット式オーダーの柱になっている。勝利の女神が三角小間に彫刻されている。南の橋脚には記念碑の頂上まで続く階段があり、そこに兵士を従えた皇帝と2人の息子が四頭立て戦車(クアドリガ)に乗っている様子が描かれている。<br /><br />歴史<br />この凱旋門はカンピドリオの丘の麓に建っている。そしてアンコーナにあるトラヤヌスのアーチのように、階段で開けた場所へ続いていた。4世紀までにたび重なる洪水でフォルムの地面のレベルが上がって階段が埋まり、門を平坦な道が通るようになった。大量の岩屑やシルトが周辺の丘から流れ込み、凱旋門の基部は完全にそれらで埋まった。中世の車輪や近代初期の交通によってもたらされた損傷は台石の浮き彫りの上の柱の基部に今も残っている。<br /><br />中世になってもこの低地はしばしば洪水に見舞われ土砂が堆積していったため、カナレットが1742年にこの凱旋門を描いたとき、地面の上には凱旋門の上半分しか出ていなかった。この凱旋門の保存状態がよいのは、これをキリスト教の教会の一部に組み入れていたためである。教会が他の場所に移ったときも凱旋門はその教会の財産として存続し、他の建築物の建設のために撤去されなかった。<br /> 315年に、フォルム・ロマヌムの反対側に建てられたコンスタンティヌスの凱旋門は、セプティミウス・セウェルスの凱旋門に大きな影響を受けている。(Wikiより)<br /><br /><br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    セプティミウス・セウェルスの凱旋門
    (伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)

    この凱旋門はトラバーチンの基礎の上に建ち、元々は古代のフォルムの地面から階段で昇るようになっていた。中央のアーチ道は半円形のヴォールトで全体を格間で飾っている。そして、両脇のアーチ道との間に側部開口部が通じている。このような特徴は近代の凱旋門でも模倣されている。

    3つのアーチ道は橋脚で支持されており、その前面は台座の上のコンポジット式オーダーの柱になっている。勝利の女神が三角小間に彫刻されている。南の橋脚には記念碑の頂上まで続く階段があり、そこに兵士を従えた皇帝と2人の息子が四頭立て戦車(クアドリガ)に乗っている様子が描かれている。

    歴史
    この凱旋門はカンピドリオの丘の麓に建っている。そしてアンコーナにあるトラヤヌスのアーチのように、階段で開けた場所へ続いていた。4世紀までにたび重なる洪水でフォルムの地面のレベルが上がって階段が埋まり、門を平坦な道が通るようになった。大量の岩屑やシルトが周辺の丘から流れ込み、凱旋門の基部は完全にそれらで埋まった。中世の車輪や近代初期の交通によってもたらされた損傷は台石の浮き彫りの上の柱の基部に今も残っている。

    中世になってもこの低地はしばしば洪水に見舞われ土砂が堆積していったため、カナレットが1742年にこの凱旋門を描いたとき、地面の上には凱旋門の上半分しか出ていなかった。この凱旋門の保存状態がよいのは、これをキリスト教の教会の一部に組み入れていたためである。教会が他の場所に移ったときも凱旋門はその教会の財産として存続し、他の建築物の建設のために撤去されなかった。
     315年に、フォルム・ロマヌムの反対側に建てられたコンスタンティヌスの凱旋門は、セプティミウス・セウェルスの凱旋門に大きな影響を受けている。(Wikiより)


    セプティミウス セウェルスの凱旋門 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />セプティミウス・セウェルスの凱旋門<br />(伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)<br /><br />勝利の女神<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    セプティミウス・セウェルスの凱旋門
    (伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)

    勝利の女神

    セプティミウス セウェルスの凱旋門 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />セプティミウス・セウェルスの凱旋門<br />(伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)<br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    セプティミウス・セウェルスの凱旋門
    (伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)

    セプティミウス セウェルスの凱旋門 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />セプティミウス・セウェルスの凱旋門<br />(伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    セプティミウス・セウェルスの凱旋門
    (伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)

    セプティミウス セウェルスの凱旋門 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />セプティミウス・セウェルスの凱旋門<br />(伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    セプティミウス・セウェルスの凱旋門
    (伊:Arco di Settimio Severo、ラテン語: Arcus Septimii Severi)

    セプティミウス セウェルスの凱旋門 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />セプティミウス・セウェルスの凱旋門<br />Arco di Settimio Severo<br /><br />横から。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    セプティミウス・セウェルスの凱旋門
    Arco di Settimio Severo

    横から。

    セプティミウス セウェルスの凱旋門 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />フォカスの記念柱<br />(伊: La Colonna di Foca、英: The Column of Phocas)<br /> 西暦601年8月1日、東ローマ帝国皇帝フォカスを称えて、ローマ中心部、フォロ・ロマーノのロストラ(演説台)の前に建立され、フォカスに献納または再献納された石柱(コロンナ)である。この記念柱は、古代にあって、フォロ・ロマーノに加えられた最後の建造物である。<br /> 白大理石でつくられた立方体の台石の上に、縦溝の彫られたコリント式の円柱が、13.6メートルの高さでそびえ立っている。石柱は2世紀ごろに製作されたものの転用と考えられる。<br /> 煉瓦でできた四角形の基礎は、以前は地面の下に埋もれて見えていなかったものである。19世紀に至って、アウグストゥス帝が最初に敷設した舗装路面まで、蓄積した土砂などがフォロ・ロマーノから除去された結果、本来の姿が現れた。(Wikiより)

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    フォカスの記念柱
    (伊: La Colonna di Foca、英: The Column of Phocas)
     西暦601年8月1日、東ローマ帝国皇帝フォカスを称えて、ローマ中心部、フォロ・ロマーノのロストラ(演説台)の前に建立され、フォカスに献納または再献納された石柱(コロンナ)である。この記念柱は、古代にあって、フォロ・ロマーノに加えられた最後の建造物である。
     白大理石でつくられた立方体の台石の上に、縦溝の彫られたコリント式の円柱が、13.6メートルの高さでそびえ立っている。石柱は2世紀ごろに製作されたものの転用と考えられる。
     煉瓦でできた四角形の基礎は、以前は地面の下に埋もれて見えていなかったものである。19世紀に至って、アウグストゥス帝が最初に敷設した舗装路面まで、蓄積した土砂などがフォロ・ロマーノから除去された結果、本来の姿が現れた。(Wikiより)

    フォカスの記念柱 史跡・遺跡

  • フォロ・ロマーノ<br />Foro Romano<br /><br />ラクス・クルティウス<br />Lacus Curtius<br /><br />ラクス(池)とはあるが、水はなく、大理石で覆われている。<br />この場所に関してはいくつかの伝説がある。もともとこの場所は沼地で、ローマ人とサビニ人が戦争をしていたとき、サビニ人の指揮官メッティウス・クルティウス(Mettius Curtius)がこの沼に馬ごと飲み込まれたためこう呼ばれるようになったというもの。1553年、この近くでギリシャ産大理石のレリーフが発見された。写真のものは複製で、オリジナルはカピトリーニ美術館に収蔵されており、メッティウス・クルティウスが地の裂け目に飲み込まれる様が刻まれている。

    フォロ・ロマーノ
    Foro Romano

    ラクス・クルティウス
    Lacus Curtius

    ラクス(池)とはあるが、水はなく、大理石で覆われている。
    この場所に関してはいくつかの伝説がある。もともとこの場所は沼地で、ローマ人とサビニ人が戦争をしていたとき、サビニ人の指揮官メッティウス・クルティウス(Mettius Curtius)がこの沼に馬ごと飲み込まれたためこう呼ばれるようになったというもの。1553年、この近くでギリシャ産大理石のレリーフが発見された。写真のものは複製で、オリジナルはカピトリーニ美術館に収蔵されており、メッティウス・クルティウスが地の裂け目に飲み込まれる様が刻まれている。

    ラクス クルティウス 史跡・遺跡

  • アウグストゥスのフォルム<br />Foro di Augusto<br /><br />さて、フィロ・ロマーノを離れ、ヴェネツィア広場(Piazza Venezia)とコロッセオを結ぶ道沿いにあるフィロを見学。さらに、1昨日に入れなかったパンテオンを目指す。<br />

    アウグストゥスのフォルム
    Foro di Augusto

    さて、フィロ・ロマーノを離れ、ヴェネツィア広場(Piazza Venezia)とコロッセオを結ぶ道沿いにあるフィロを見学。さらに、1昨日に入れなかったパンテオンを目指す。

    アウグストゥスのフォロ 史跡・遺跡

  • ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂<br />Altare della Patria

    ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂
    Altare della Patria

    ヴィットーリオ エマヌエーレ2世記念堂(ヴィットリアーノ) 建造物

  • ミネルバ・オベリスク<br />Obelisco della Minerva

    ミネルバ・オベリスク
    Obelisco della Minerva

    ミネルヴァ広場 広場・公園

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />ローマでは「パンテオンを見ずしてローマを去る者は愚者なり」とも言われています。一昨日は夜だったので、閉館していたので、再度、訪問。愚者にならずに済みました。

    パンテオン
    Pantheon

    ローマでは「パンテオンを見ずしてローマを去る者は愚者なり」とも言われています。一昨日は夜だったので、閉館していたので、再度、訪問。愚者にならずに済みました。

    パンテオン 建造物

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />

    パンテオン
    Pantheon

    パンテオン 建造物

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />入り口。夜来た時もそうだったけど、人が多い。中はひんやりしています。

    パンテオン
    Pantheon

    入り口。夜来た時もそうだったけど、人が多い。中はひんやりしています。

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />ドーム状の建物の直径43.2メートル、床からドーム頂上の高さも43.2メートル。天井の真ん中に「パンテオンの目」と呼ばれる直径約9メートルの天窓。<br />ここから内部に光が注がれ、壁や柱の装飾を浮き立たせ、なんとも神秘的。これが、第14代ローマ皇帝のハドリアヌスの時代に再建した、西暦120年頃の建造物とは思えない。

    パンテオン
    Pantheon

    ドーム状の建物の直径43.2メートル、床からドーム頂上の高さも43.2メートル。天井の真ん中に「パンテオンの目」と呼ばれる直径約9メートルの天窓。
    ここから内部に光が注がれ、壁や柱の装飾を浮き立たせ、なんとも神秘的。これが、第14代ローマ皇帝のハドリアヌスの時代に再建した、西暦120年頃の建造物とは思えない。

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />ミケランジェロが「天使の設計」と賞賛した。

    パンテオン
    Pantheon

    ミケランジェロが「天使の設計」と賞賛した。

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓

    パンテオン
    Pantheon

    ヴィットリオ・エマヌエーレ2世の墓

  • パンテオン<br />Pantheon

    パンテオン
    Pantheon

  • パンテオン<br />Pantheon

    パンテオン
    Pantheon

  • パンテオン<br />Pantheon

    パンテオン
    Pantheon

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />左手。

    パンテオン
    Pantheon

    左手。

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />入り口から入って左手。ローマのパンテオンに安置された、ラファエロとマリア・ビッビエーナの墓。聖母子の彫刻はロレンツォ・ロッティ (en:Lorenzetto) の作品である。

    パンテオン
    Pantheon

    入り口から入って左手。ローマのパンテオンに安置された、ラファエロとマリア・ビッビエーナの墓。聖母子の彫刻はロレンツォ・ロッティ (en:Lorenzetto) の作品である。

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />イタリア王家ウンベルト1世の墓。

    パンテオン
    Pantheon

    イタリア王家ウンベルト1世の墓。

  • パンテオン<br />Pantheon<br /><br />イタリア王家ウンベルト1世の墓。

    パンテオン
    Pantheon

    イタリア王家ウンベルト1世の墓。

  • パンテオン<br />Pantheon

    パンテオン
    Pantheon

  • トレビの泉<br />Fontana di Trevi<br /><br />ここもあいかわらず人がおおい。

    トレビの泉
    Fontana di Trevi

    ここもあいかわらず人がおおい。

    トレヴィの泉 建造物

  • トレビの泉<br />Fontana di Trevi

    トレビの泉
    Fontana di Trevi

    トレヴィの泉 建造物

  • トレビの泉<br />Fontana di Trevi

    トレビの泉
    Fontana di Trevi

  • トリトーネの噴水<br />Fontana del Tritone

    トリトーネの噴水
    Fontana del Tritone

    バルベリーニ広場 広場・公園

  • サンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂<br />Santa Maria degli Angeli e dei Martiri<br /><br />翌日。駅前にある教会。中には入らず。<br /><br />

    サンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂
    Santa Maria degli Angeli e dei Martiri

    翌日。駅前にある教会。中には入らず。

    サンタ マリア デッリ アンジェリ教会 寺院・教会

  • サンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂<br />Santa Maria degli Angeli e dei Martiri

    サンタ・マリア・デランジェリ・エ・デイ・マルティーリ聖堂
    Santa Maria degli Angeli e dei Martiri

    サンタ マリア デッリ アンジェリ教会 寺院・教会

  • 中央駅前の共和国広場。<br /><br />これでおしまい。超がつく観光地だけを訪れたけど、実はまだまだ見どころがいっぱいのローマ。また、来る機会があればいいのになあ。

    中央駅前の共和国広場。

    これでおしまい。超がつく観光地だけを訪れたけど、実はまだまだ見どころがいっぱいのローマ。また、来る機会があればいいのになあ。

    共和国広場 広場・公園

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