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2017年、イースター(復活祭)のタイミングでバチカンのあるローマを訪れる。ローマ時代の遺跡や教会が多く、また、美術館も多い。今回は、超がつく観光地のみを周ることにしました。。。<br /><br />4/14(1日目) 街歩き(カンピドーリオの丘周辺)<br />コロッセオ(ミサの為入れず)、チルコマッシモ、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会、真実の口広場、ティベリーナ島、マルケッルス劇場(マルチェッロ劇場)、アラコエリのサンタ・マリア聖堂、カンピドーリョ広場、カピトリーノ美術館、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会、パンテオン、ナヴォーナ広場、トレビの泉。<br /><br />4/15(2日目) ヴァティカン博物館+システィーナ礼拝堂、サンタンジェロ城(この旅行記)<br />※ピナコテカ(絵画館、伊語:Pinacoteca)は別の旅行記で紹介予定。<br />※システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)は写真禁止で紹介はなし。<br /><br />4/16(3日目) コロッセオ、フォロ・ロマーノ<br /><br />4/17(4日目) 帰途。※旅行記はありません。<br /><br />旅行記表紙は、ラファエロの「アテナイの学堂」の中央部の拡大。<br /><br /><参考サイト>※ついでにイタリア語の勉強に。<br />「イタリア世界遺産の旅」と「誰でもわかるイタリア語」<br />https://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/language/italian/italian_3/index.html<br /><br />システィーナ礼拝堂<br />http://www.museivaticani.va/content/museivaticani/en/collezioni/musei/cappella-sistina.html

ローマ(Roma) 2日目 ヴァティカン博物館、サンタンジェロ城

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2017/04/14 - 2017/04/17

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2017年、イースター(復活祭)のタイミングでバチカンのあるローマを訪れる。ローマ時代の遺跡や教会が多く、また、美術館も多い。今回は、超がつく観光地のみを周ることにしました。。。

4/14(1日目) 街歩き(カンピドーリオの丘周辺)
コロッセオ(ミサの為入れず)、チルコマッシモ、サンタ・マリア・イン・コスメディン教会、真実の口広場、ティベリーナ島、マルケッルス劇場(マルチェッロ劇場)、アラコエリのサンタ・マリア聖堂、カンピドーリョ広場、カピトリーノ美術館、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂、サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会、パンテオン、ナヴォーナ広場、トレビの泉。

4/15(2日目) ヴァティカン博物館+システィーナ礼拝堂、サンタンジェロ城(この旅行記)
※ピナコテカ(絵画館、伊語:Pinacoteca)は別の旅行記で紹介予定。
※システィーナ礼拝堂(Cappella Sistina)は写真禁止で紹介はなし。

4/16(3日目) コロッセオ、フォロ・ロマーノ

4/17(4日目) 帰途。※旅行記はありません。

旅行記表紙は、ラファエロの「アテナイの学堂」の中央部の拡大。

<参考サイト>※ついでにイタリア語の勉強に。
「イタリア世界遺産の旅」と「誰でもわかるイタリア語」
https://www.aichi-kyosai.or.jp/service/culture/internet/language/italian/italian_3/index.html

システィーナ礼拝堂
http://www.museivaticani.va/content/museivaticani/en/collezioni/musei/cappella-sistina.html

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 馬鹿げているかもしれませんが、入場予約なしで訪問。朝から長蛇の列に並び、2時間半程度並んで、ようやく、入場門が見えてきました。途中、ダブ屋が誘惑の声をかけます。「このチケットなら今すぐ入れるよと。」10時ごろに入場。夕方5時頃までずっと中にいました。<br />いつものことながら、朝借りたオーディオガイドはいつも電池がなくなる。

    馬鹿げているかもしれませんが、入場予約なしで訪問。朝から長蛇の列に並び、2時間半程度並んで、ようやく、入場門が見えてきました。途中、ダブ屋が誘惑の声をかけます。「このチケットなら今すぐ入れるよと。」10時ごろに入場。夕方5時頃までずっと中にいました。
    いつものことながら、朝借りたオーディオガイドはいつも電池がなくなる。

    バチカン美術館 博物館・美術館・ギャラリー

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />中はいろいろなカテゴリの展示に分かれていますが、エジプト関係のものがある。<br />1839年、グレゴリウス16世(在位1831年 - 1846年)により開館。古代エジプトの出土品を展示。おそらく、ツアーでくるとここは飛ばすところ。<br /><br />Funerary stele of Ankh-Hapy(with an aramaic inscription)<br />Memphis<br />27 Dynasty (525-404 B.C.)<br /><br />アンク (古代エジプト語ラテン翻字: Ankh) は、古代エジプトで使用された「生命」あるいは「生きること」を意味する言葉で、それを表わすヒエログリフを象ったものは護符(お守り)や装飾の図柄として良く使われている。エジプト十字(エジプトじゅうじ)とも呼ばれる。<br />概要<br />アンクの力を信じる者は一度だけ生き返ることができると信じられている。<br />アンクは、現世(此岸)と来世(彼岸)の間にある「境界」を無事に超えるための、通行証である。(「境界」を超えて、来世に渡ることができれば「復活」できる。)もともと「 Ankh 」という古代エジプト語自体が生命を意味しており、生命的宗教的象徴とされる。<br />ヒエログリフにおいては Ankh や Anx 音を表す文字としても用いられており、ツタンカーメンも Tut-ankh-amen の ankh の部分にこの文字が用いられている。<br />(Wikiより)<br /><br />場面はアヌビス神は、心臓を取り出しているのかな。

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    中はいろいろなカテゴリの展示に分かれていますが、エジプト関係のものがある。
    1839年、グレゴリウス16世(在位1831年 - 1846年)により開館。古代エジプトの出土品を展示。おそらく、ツアーでくるとここは飛ばすところ。

    Funerary stele of Ankh-Hapy(with an aramaic inscription)
    Memphis
    27 Dynasty (525-404 B.C.)

    アンク (古代エジプト語ラテン翻字: Ankh) は、古代エジプトで使用された「生命」あるいは「生きること」を意味する言葉で、それを表わすヒエログリフを象ったものは護符(お守り)や装飾の図柄として良く使われている。エジプト十字(エジプトじゅうじ)とも呼ばれる。
    概要
    アンクの力を信じる者は一度だけ生き返ることができると信じられている。
    アンクは、現世(此岸)と来世(彼岸)の間にある「境界」を無事に超えるための、通行証である。(「境界」を超えて、来世に渡ることができれば「復活」できる。)もともと「 Ankh 」という古代エジプト語自体が生命を意味しており、生命的宗教的象徴とされる。
    ヒエログリフにおいては Ankh や Anx 音を表す文字としても用いられており、ツタンカーメンも Tut-ankh-amen の ankh の部分にこの文字が用いられている。
    (Wikiより)

    場面はアヌビス神は、心臓を取り出しているのかな。

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />死者の書(Book of the Dead)<br /> 古代エジプトで冥福を祈り死者とともに埋葬された葬祭文書。パピルスなどに、主に絵とヒエログリフで、死者の霊魂が肉体を離れてから死後の楽園アアルに入るまでの過程・道しるべを描いた書。冥界へ降る魂に死後の世界およびそこで受ける裁きについて、死者の裁判官、ウンネフェル(永遠に朽ちないという意)なるオシリスに会った時に語るべきことなどが記されている。(Wikiより)<br />

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    死者の書(Book of the Dead)
     古代エジプトで冥福を祈り死者とともに埋葬された葬祭文書。パピルスなどに、主に絵とヒエログリフで、死者の霊魂が肉体を離れてから死後の楽園アアルに入るまでの過程・道しるべを描いた書。冥界へ降る魂に死後の世界およびそこで受ける裁きについて、死者の裁判官、ウンネフェル(永遠に朽ちないという意)なるオシリスに会った時に語るべきことなどが記されている。(Wikiより)

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />死者の書(Book of the Dead)

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    死者の書(Book of the Dead)

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />このミイラ、手が出ています。。。

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    このミイラ、手が出ています。。。

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />「ナイル河の擬人像」<br />Reclining statue of the river Nile, Roman Imperial Period, 1st C. AD<br /><br />

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    「ナイル河の擬人像」
    Reclining statue of the river Nile, Roman Imperial Period, 1st C. AD

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />The god Anubis from Anzio, Roman Imperial Period, 1st-2nd C. AD<br />

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    The god Anubis from Anzio, Roman Imperial Period, 1st-2nd C. AD

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />Statue of Queen Tuya<br /><br />第19王朝セティ1世(在位:1294 - 1279 B.C.)の妻、ラムセス2世の母。

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    Statue of Queen Tuya

    第19王朝セティ1世(在位:1294 - 1279 B.C.)の妻、ラムセス2世の母。

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />Ptolemy II, 在位 285-246 BC(プトレマイオス2世)<br />プトレマイオス朝エジプトのファラオである。同母姉であり妻でもあるアルシノエ2世との強い結びつきのため、「兄弟(姉弟)愛」という意味のピラデルポス(「フィラデルフォス」と表記されることもある。地名のフィラデルフィアと同じ語源である)という異名を持つ。ヘブライ人の経典を公用語のギリシア語に翻訳させた人物であり、その翻訳は70人訳聖書と呼ばれ、現存する最古の旧約聖書の原版となった。(Wikiより)

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    Ptolemy II, 在位 285-246 BC(プトレマイオス2世)
    プトレマイオス朝エジプトのファラオである。同母姉であり妻でもあるアルシノエ2世との強い結びつきのため、「兄弟(姉弟)愛」という意味のピラデルポス(「フィラデルフォス」と表記されることもある。地名のフィラデルフィアと同じ語源である)という異名を持つ。ヘブライ人の経典を公用語のギリシア語に翻訳させた人物であり、その翻訳は70人訳聖書と呼ばれ、現存する最古の旧約聖書の原版となった。(Wikiより)

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />プトレマイオス2世の妻のアルシノエ2世(妻であり姉)<br />Arsinoë II, wife of Ptolemy II.

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    プトレマイオス2世の妻のアルシノエ2世(妻であり姉)
    Arsinoë II, wife of Ptolemy II.

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />Room V. Statuary<br />プトレマイオス朝のファラオと女王の立像が並ぶ。

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    Room V. Statuary
    プトレマイオス朝のファラオと女王の立像が並ぶ。

  • エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)<br /><br />Torso of the god bull Apis<br />Memphis<br />New Kingdom (1550-1070 B.C.)

    エジプト・グレコリウス博物館(伊語:Museo Gregoriano Egizio)

    Torso of the god bull Apis
    Memphis
    New Kingdom (1550-1070 B.C.)

  • ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)<br /><br />クレメンス14世(在位1769年 - 1774年)により1771年に設立され、元々古代、ルネサンス期の美術品に特化していた。その後、ピウス6世(在位1775年 - 1799年)により拡張された。ルネサンス期に大きな影響を与え、今日、ギリシャ・ローマ彫刻を展示する。<br />ベルヴェデーレの中庭と呼ばれるシモネッティ設計の八角形の中庭(Octagonal Court)には、囲むように彫像が飾られています。

    ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)

    クレメンス14世(在位1769年 - 1774年)により1771年に設立され、元々古代、ルネサンス期の美術品に特化していた。その後、ピウス6世(在位1775年 - 1799年)により拡張された。ルネサンス期に大きな影響を与え、今日、ギリシャ・ローマ彫刻を展示する。
    ベルヴェデーレの中庭と呼ばれるシモネッティ設計の八角形の中庭(Octagonal Court)には、囲むように彫像が飾られています。

  • ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)<br /><br />The Belvedere Apollo<br />ベルヴェデーレのアポロン<br /><br />ローマ時代2世紀のもので、おそらく、ギリシア時代、紀元前330-320年のブロンズ像のコピー。<br /><br />The statue has always been greatly admired, but owes its fame particularly to Johann Joachim Winckelmann who considered it the sublime expression of Greek art, &quot;of all the works of antiquity that have escaped destruction, the statue of Apollo represents the highest ideal of art&quot;.<br />

    ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)

    The Belvedere Apollo
    ベルヴェデーレのアポロン

    ローマ時代2世紀のもので、おそらく、ギリシア時代、紀元前330-320年のブロンズ像のコピー。

    The statue has always been greatly admired, but owes its fame particularly to Johann Joachim Winckelmann who considered it the sublime expression of Greek art, "of all the works of antiquity that have escaped destruction, the statue of Apollo represents the highest ideal of art".

  • ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)<br /><br />Perseus Triumphant<br />Antonio Canova(1757-1822)<br /><br />メデューサの首をかかげるペルセウス。<br /><br /><br />

    ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)

    Perseus Triumphant
    Antonio Canova(1757-1822)

    メデューサの首をかかげるペルセウス。


  • ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)<br /><br />River god (Arno)<br />典型的な河を擬人化した男が横たわっている彫像。2世紀ハドリアヌス帝時代のギリシア軍とアマゾーン族(ギリシア神話に登場する女性だけの部族、彫刻をよく見ると、女性兵士だとわかる)の戦いを装飾した石棺が、噴水とともに、水受けに使用された。ルネッサンス時代の彫刻家により、多くの個所が、印象的な髭も含めて修復がなされている。男のもつ花瓶の中に小さいライオンが彫られており(皆、この写真を撮る)、これも同じく修復されたものだが、おそらく、メディチ家出身のローマ教皇レオ10世(在位:1513-1521、ローマにおけるルネッサンスが最盛期)と同一視している(leoとlion)。このことから、今は、この擬人化された川は彼の出身地であるフィレンツェを流れるアルノ川と言われている。従来、これは、同じネコ科のトラとされており、メソポタミア文明のあるチグリス河(Tigris、古代ギリシア語名のティグリス(Τίγρις)、ギリシア語として解釈するならばトラ(tiger)の意である)と長年、思われていた。(以下の公式HPの意訳です。)<br />-----------<br />This statue, which shows the river god in a traditional reclining pose, dates from the time of the Emperor Hadrian and was inspired by a Greek prototype. In the early 16th century it was displayed in the Courtyard of Statues (Cortile delle Statue) where it was part of a fountain, the basin of which is a sarcophagus dating from 170-180 A.D. decorated with scenes of battles between Greeks and Amazons. The statue was repaired and restored by various Renaissance artists, who replaced many parts, including the head with its expressive bearded face. A small lion&#39;s head has been carved on the vase, also a restoration, which was probably made in homage to Pope Leo X Medici (1513-1521). These two elements suggest that the statue can be identified with the River Arno, which flows through Florence, though the presence of the feline, once thought to be a tiger, meant that for many years the statue was known as the River Tigris of the ancient Mesopotamia.(official websiteより)<br />

    ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)

    River god (Arno)
    典型的な河を擬人化した男が横たわっている彫像。2世紀ハドリアヌス帝時代のギリシア軍とアマゾーン族(ギリシア神話に登場する女性だけの部族、彫刻をよく見ると、女性兵士だとわかる)の戦いを装飾した石棺が、噴水とともに、水受けに使用された。ルネッサンス時代の彫刻家により、多くの個所が、印象的な髭も含めて修復がなされている。男のもつ花瓶の中に小さいライオンが彫られており(皆、この写真を撮る)、これも同じく修復されたものだが、おそらく、メディチ家出身のローマ教皇レオ10世(在位:1513-1521、ローマにおけるルネッサンスが最盛期)と同一視している(leoとlion)。このことから、今は、この擬人化された川は彼の出身地であるフィレンツェを流れるアルノ川と言われている。従来、これは、同じネコ科のトラとされており、メソポタミア文明のあるチグリス河(Tigris、古代ギリシア語名のティグリス(Τίγρις)、ギリシア語として解釈するならばトラ(tiger)の意である)と長年、思われていた。(以下の公式HPの意訳です。)
    -----------
    This statue, which shows the river god in a traditional reclining pose, dates from the time of the Emperor Hadrian and was inspired by a Greek prototype. In the early 16th century it was displayed in the Courtyard of Statues (Cortile delle Statue) where it was part of a fountain, the basin of which is a sarcophagus dating from 170-180 A.D. decorated with scenes of battles between Greeks and Amazons. The statue was repaired and restored by various Renaissance artists, who replaced many parts, including the head with its expressive bearded face. A small lion's head has been carved on the vase, also a restoration, which was probably made in homage to Pope Leo X Medici (1513-1521). These two elements suggest that the statue can be identified with the River Arno, which flows through Florence, though the presence of the feline, once thought to be a tiger, meant that for many years the statue was known as the River Tigris of the ancient Mesopotamia.(official websiteより)

  • ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)<br /><br />Laocoön(ラオコーン)<br /><br />超有名な古代ギリシアの大理石製の彫像。ギリシア神話のトロイア戦争で神官ラオコーンは、女神アテナの怒りを買ってしまい、怒った女神アテナは海蛇2匹を放ち、ラオコーンは息子2人とともに絞め殺されるという場面が表現されている。古代ローマの博物家プリニウスによると、この彫像の作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家であるとしている。1506年にローマ皇帝ネロの大宮殿ドムス・アウレアの近くから『ラオコーン像』が出土したときに、自身熱心な古典学者でもあったローマ教皇ユリウス2世が入手し、この像を現在のバチカン美術館の一部にあたる庭園に置いた。『ラオコーン像』の発見はイタリアの彫刻家にとって大きな衝撃であり、イタリア・ルネサンス芸術の方向性に極めて重大な影響を与えた。(Wikiより)<br />ミケランジェロやラファエロの時代に発見されたのも何かの因果。その当時は、ラオコーンの右腕は見つかっておらず、伸ばした状態で修復された。その後、右腕が見つかり、1950年ごろに現在の曲げた状態に修復されたとのこと。<br /><br /><br />

    ピオ・クレメンティーノ美術館(Museo Pio Clementino)

    Laocoön(ラオコーン)

    超有名な古代ギリシアの大理石製の彫像。ギリシア神話のトロイア戦争で神官ラオコーンは、女神アテナの怒りを買ってしまい、怒った女神アテナは海蛇2匹を放ち、ラオコーンは息子2人とともに絞め殺されるという場面が表現されている。古代ローマの博物家プリニウスによると、この彫像の作者はロドス島出身のアゲサンドロス、アテノドロス、ポリュドロスの三人の彫刻家であるとしている。1506年にローマ皇帝ネロの大宮殿ドムス・アウレアの近くから『ラオコーン像』が出土したときに、自身熱心な古典学者でもあったローマ教皇ユリウス2世が入手し、この像を現在のバチカン美術館の一部にあたる庭園に置いた。『ラオコーン像』の発見はイタリアの彫刻家にとって大きな衝撃であり、イタリア・ルネサンス芸術の方向性に極めて重大な影響を与えた。(Wikiより)
    ミケランジェロやラファエロの時代に発見されたのも何かの因果。その当時は、ラオコーンの右腕は見つかっておらず、伸ばした状態で修復された。その後、右腕が見つかり、1950年ごろに現在の曲げた状態に修復されたとのこと。


  • ミューズの間(伊語:Sala delle Muse)<br /><br />八角形の中庭から館内に入ると、ミューズの間と呼ばれる部屋に続き、ここではいろんな楽器を持った彫像がある。ハドリアヌス帝時代のもの、2世紀。

    ミューズの間(伊語:Sala delle Muse)

    八角形の中庭から館内に入ると、ミューズの間と呼ばれる部屋に続き、ここではいろんな楽器を持った彫像がある。ハドリアヌス帝時代のもの、2世紀。

  • ミューズの間(伊語:Sala delle Muse)<br /><br />「ムーサたちの間の天井画」トンマーゾ・コンカ作。<br />天井のフレスコ画で、アポロンとムーサ達が描かれている。

    ミューズの間(伊語:Sala delle Muse)

    「ムーサたちの間の天井画」トンマーゾ・コンカ作。
    天井のフレスコ画で、アポロンとムーサ達が描かれている。

  • ミューズの間(伊語:Sala delle Muse)<br /><br />「ベルヴェデーレのトルソ」<br />中央に配置されたミケランジェロに多大な影響を与えたと言われる作品。法王ユリウス二世(1503~1513)のご時世にローマのカンポ・デ・フィオーリ付近で発見された紀元前1世紀の大理石彫刻。他の多くのローマ時代の大理石彫刻と同じようにギリシャ彫刻(ブロンズ)のコピーとされる。 頭部や両手、両足がない胴体とパーツがないがそれでも筋肉美が素晴らしい。台座正面の部分にサインが刻まれており「ネストルの息子、アポロニオス Aplollonios son of Nestor」と書かれているが、古代を伝えるいずれの文献にも記録が無く、製作者についてはよくわかっていない。

    ミューズの間(伊語:Sala delle Muse)

    「ベルヴェデーレのトルソ」
    中央に配置されたミケランジェロに多大な影響を与えたと言われる作品。法王ユリウス二世(1503~1513)のご時世にローマのカンポ・デ・フィオーリ付近で発見された紀元前1世紀の大理石彫刻。他の多くのローマ時代の大理石彫刻と同じようにギリシャ彫刻(ブロンズ)のコピーとされる。 頭部や両手、両足がない胴体とパーツがないがそれでも筋肉美が素晴らしい。台座正面の部分にサインが刻まれており「ネストルの息子、アポロニオス Aplollonios son of Nestor」と書かれているが、古代を伝えるいずれの文献にも記録が無く、製作者についてはよくわかっていない。

  • 円形の間(Sala Rotanda)<br /><br />中央に配置されたのは、赤大理石の一枚岩をくり抜いた水盤が置かれている。でかい。<br /><br /><br />

    円形の間(Sala Rotanda)

    中央に配置されたのは、赤大理石の一枚岩をくり抜いた水盤が置かれている。でかい。


  • 円形の間(Sala Rotanda)<br /><br />Ancient greek statue of Hercules invictus<br />ひとりだけ金色。ヘラクレス。

    円形の間(Sala Rotanda)

    Ancient greek statue of Hercules invictus
    ひとりだけ金色。ヘラクレス。

  • 円形の間(Sala Rotanda)<br /><br />

    円形の間(Sala Rotanda)

  • 円形の間(Sala Rotanda)<br /><br />床の緻密なモザイクも見逃せない。

    円形の間(Sala Rotanda)

    床の緻密なモザイクも見逃せない。

  • ギリシャ十字の間(Sala a Croce Greca)<br /><br />ヘレナ、コンスタンティアの石棺(Sarcophagi of Helena and Constantina)<br />写真は、赤大理石製石棺、4世紀に作られたコンスタンティヌス帝の母「ヘレナの石棺」。反対側に同じく、コンスタンティヌス帝の娘、コンスタンティアの赤大理石製石棺がある。この赤大理石で作られている物は皇帝の正当性と権威を表す意味があり、因にバチカンは世界の赤大理石の80%を保有しているとのこと。

    ギリシャ十字の間(Sala a Croce Greca)

    ヘレナ、コンスタンティアの石棺(Sarcophagi of Helena and Constantina)
    写真は、赤大理石製石棺、4世紀に作られたコンスタンティヌス帝の母「ヘレナの石棺」。反対側に同じく、コンスタンティヌス帝の娘、コンスタンティアの赤大理石製石棺がある。この赤大理石で作られている物は皇帝の正当性と権威を表す意味があり、因にバチカンは世界の赤大理石の80%を保有しているとのこと。

  • ギリシャ十字の間(Sala a Croce Greca)<br /><br />ヘレナ、コンスタンティアの石棺(Sarcophagi of Helena and Constantina)<br />こちらがコンスタンティアのもの。

    ギリシャ十字の間(Sala a Croce Greca)

    ヘレナ、コンスタンティアの石棺(Sarcophagi of Helena and Constantina)
    こちらがコンスタンティアのもの。

  • ギリシャ十字の間(Sala a Croce Greca)<br /><br />ギリシャ十字の間の床

    ギリシャ十字の間(Sala a Croce Greca)

    ギリシャ十字の間の床

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)<br /><br />ちなみに各ゾーンには、こうした看板が立ててあり、写真を撮っておくと後から整理に役立つ。

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    ちなみに各ゾーンには、こうした看板が立ててあり、写真を撮っておくと後から整理に役立つ。

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)<br /><br />ポーズがお茶目。

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    ポーズがお茶目。

  • 燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)<br /><br />ポーズがお茶目。

    燭台のギャラリー(Galleria dei Candelabri)

    ポーズがお茶目。

  • つづれ織りのギャラリー(Galleria degli Arazzi)<br /><br />ここにはタペストリーが展示されている。

    つづれ織りのギャラリー(Galleria degli Arazzi)

    ここにはタペストリーが展示されている。

  • つづれ織りのギャラリー(Galleria degli Arazzi)

    つづれ織りのギャラリー(Galleria degli Arazzi)

  • 地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)<br /><br />16世紀に教皇グレゴリウス13世の命により、イタリア各地と教会領地の地図40点が、120m長さの回廊にフレスコ画で両壁にずらりと描かれています。

    地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)

    16世紀に教皇グレゴリウス13世の命により、イタリア各地と教会領地の地図40点が、120m長さの回廊にフレスコ画で両壁にずらりと描かれています。

  • 地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)<br />

    地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)

  • 地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)<br /><br />天井も緻密なデザイン。<br />

    地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)

    天井も緻密なデザイン。

  • 地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)<br /><br />天井も緻密なデザイン。<br />

    地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)

    天井も緻密なデザイン。

  • 地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)<br /><br />イタリア全体。このような地図がいくつも飾られている。

    地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)

    イタリア全体。このような地図がいくつも飾られている。

  • 地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)<br /><br />形を見てすぐにわかるヴェネツィア。

    地図のギャラリー(伊語:galleria delle Carte Geografiche)

    形を見てすぐにわかるヴェネツィア。

  • ソビエスキ王の間。<br /><br />『ソビエスキ、ウィーンを解放する』(ヤン・マテイコ作)<br />ヤン3世ソビェスキ(ポーランド語: Jan III Sobieski, 1629年8月17日 - 1696年6月17日)は、ポーランド王(在位:1674-96年)。オスマン帝国との戦いで活躍し、1683年の第二次ウィーン包囲で勝利して英雄として名を馳せた。「ソビェスキ」は「ソビエスキ」とも表記する(Wikiより)。

    ソビエスキ王の間。

    『ソビエスキ、ウィーンを解放する』(ヤン・マテイコ作)
    ヤン3世ソビェスキ(ポーランド語: Jan III Sobieski, 1629年8月17日 - 1696年6月17日)は、ポーランド王(在位:1674-96年)。オスマン帝国との戦いで活躍し、1683年の第二次ウィーン包囲で勝利して英雄として名を馳せた。「ソビェスキ」は「ソビエスキ」とも表記する(Wikiより)。

  • Martyrs of Gorkum<br />ホルクムの殉教者たち<br />Cesare Fracassini (1838-1868)<br /><br />宗教改革の真っ只中にネーデルラント諸州とスペインとの間に起きた80年戦争はプロテスタント対カトリック教会の闘いでもあったが、初期の1572年6月26日に、ホルクムはオラニエ公ウィレム1世率いる軍事集団「海の乞食団」(ゼーゴイセンとも日本では呼ばれるがこれはドイツ語読みであり、オランダではWatergeuze ワーテルヒューズと呼ばれる)によってスペインの支配から解放された。その日ホルクムの17人のカトリック司祭と2人の平修士がカルバン派の団員たちによって囚われ監禁・拷問された。一行は船でオランダ南部における海の乞食団の蜂起の中心だったブリーレに連行され、悪名高い指揮官、ルメイ伯ウィリアム・デ・ラ・マルクの命令により尋問された。尋問ではカトリック教会の秘跡とローマ教皇が普遍的な世俗支配権を持つとする教理を捨て、プロテスタントに改宗する事が要求されたが聖職者達はこれを頑なに拒んだためデ・ラ・マルクは激昂し、オラニエ公ウィレム1世から届いたばかりの手紙に「聖職者達を罰せず、危害を加えないこと」と書かれていたにも関わらずこれを無視し、7月9日の早朝に19人を納屋の梁から吊り下げて絞首刑とした。目撃者によると遺体は切り刻まれたという。 彼らは「ホルクムの殉教者達」として1675年に列福され、1867年にはピウス9世によって列聖が宣言された。彼らの聖遺物箱はブリュッセルのシント・ニコラース教会に祀られている。今でも7月9日頃になるとブリーレには巡礼者がやってきて、聖人たちに敬意を表している。(Wikiより)

    Martyrs of Gorkum
    ホルクムの殉教者たち
    Cesare Fracassini (1838-1868)

    宗教改革の真っ只中にネーデルラント諸州とスペインとの間に起きた80年戦争はプロテスタント対カトリック教会の闘いでもあったが、初期の1572年6月26日に、ホルクムはオラニエ公ウィレム1世率いる軍事集団「海の乞食団」(ゼーゴイセンとも日本では呼ばれるがこれはドイツ語読みであり、オランダではWatergeuze ワーテルヒューズと呼ばれる)によってスペインの支配から解放された。その日ホルクムの17人のカトリック司祭と2人の平修士がカルバン派の団員たちによって囚われ監禁・拷問された。一行は船でオランダ南部における海の乞食団の蜂起の中心だったブリーレに連行され、悪名高い指揮官、ルメイ伯ウィリアム・デ・ラ・マルクの命令により尋問された。尋問ではカトリック教会の秘跡とローマ教皇が普遍的な世俗支配権を持つとする教理を捨て、プロテスタントに改宗する事が要求されたが聖職者達はこれを頑なに拒んだためデ・ラ・マルクは激昂し、オラニエ公ウィレム1世から届いたばかりの手紙に「聖職者達を罰せず、危害を加えないこと」と書かれていたにも関わらずこれを無視し、7月9日の早朝に19人を納屋の梁から吊り下げて絞首刑とした。目撃者によると遺体は切り刻まれたという。 彼らは「ホルクムの殉教者達」として1675年に列福され、1867年にはピウス9世によって列聖が宣言された。彼らの聖遺物箱はブリュッセルのシント・ニコラース教会に祀られている。今でも7月9日頃になるとブリーレには巡礼者がやってきて、聖人たちに敬意を表している。(Wikiより)

  • 無原罪の御宿りの間(Sala dell&#39;Immacolata Concezione)<br /><br />無原罪の御宿りの間の壁画とマリア像。<br />Francesco Podesti, Proclamation of the dogma<br /><br />

    無原罪の御宿りの間(Sala dell'Immacolata Concezione)

    無原罪の御宿りの間の壁画とマリア像。
    Francesco Podesti, Proclamation of the dogma

  • 無原罪の御宿りの間(Sala dell&#39;Immacolata Concezione)<br /><br />天井。<br />

    無原罪の御宿りの間(Sala dell'Immacolata Concezione)

    天井。

  • 無原罪の御宿りの間(Sala dell&#39;Immacolata Concezione)<br />

    無原罪の御宿りの間(Sala dell'Immacolata Concezione)

  • 無原罪の御宿りの間(Sala dell&#39;Immacolata Concezione)<br />

    無原罪の御宿りの間(Sala dell'Immacolata Concezione)

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br /><br />とうとうやってきました。ここからが本命です。<br />ラファエロの間は4つあり、それぞれ、<br />・署名の間 (Stanza della Segnatura)<br />・ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)<br />・ボルゴの火災の間 (Stanza dell&#39;incendio del Borgo)<br />・コンスタンティヌスの間 (Sala di Costantino)<br />となっており、訪問した時には、一部、改修中で見れず。各部屋には4面の壁にフレスコ画があります。実際にラファエロが関わったのは、最も有名な「署名の間」と「ヘリオドロスの間」。「ボルゴの火災の間」と「コンスタンティヌスの間」は、ラファエロの死後、ラファエロの工房のメンバーであるジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)、ジャンフランチェスコ・ペンニ(Gianfrancesco Penni)、ラファエリーノ・デル・コッレ(Raffaellino del Colle)らによって改修されました。<br /><br />&lt;参考&gt; <br />https://kaiga.nohra.tokyo/entry/raffaelloroom

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)

    とうとうやってきました。ここからが本命です。
    ラファエロの間は4つあり、それぞれ、
    ・署名の間 (Stanza della Segnatura)
    ・ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)
    ・ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)
    ・コンスタンティヌスの間 (Sala di Costantino)
    となっており、訪問した時には、一部、改修中で見れず。各部屋には4面の壁にフレスコ画があります。実際にラファエロが関わったのは、最も有名な「署名の間」と「ヘリオドロスの間」。「ボルゴの火災の間」と「コンスタンティヌスの間」は、ラファエロの死後、ラファエロの工房のメンバーであるジュリオ・ロマーノ(Giulio Romano)、ジャンフランチェスコ・ペンニ(Gianfrancesco Penni)、ラファエリーノ・デル・コッレ(Raffaellino del Colle)らによって改修されました。

    <参考> 
    https://kaiga.nohra.tokyo/entry/raffaelloroom

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />コンスタンティヌスの間 (Sala di Costantino)<br /><br />コンスタンティヌス帝の洗礼(右側のみ)<br />コンスタンティヌス1世は、306~337年にローマ皇帝に在位。キリスト教を容認したことでカトリック教会の聖人となっている。

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    コンスタンティヌスの間 (Sala di Costantino)

    コンスタンティヌス帝の洗礼(右側のみ)
    コンスタンティヌス1世は、306~337年にローマ皇帝に在位。キリスト教を容認したことでカトリック教会の聖人となっている。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)<br /><br />大教皇レオとアッティラの会談<br />大教皇レオは、三位一体を正当としたローマ司教。

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)

    大教皇レオとアッティラの会談
    大教皇レオは、三位一体を正当としたローマ司教。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)<br /><br />ボルセーナのミサ<br /><br />

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)

    ボルセーナのミサ

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)<br /><br />ヘリオドロスの神殿からの追放

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)

    ヘリオドロスの神殿からの追放

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)<br /><br />聖ペテロの放免<br /> 聖ペテロは布教活動のため、度々ヘロデ王に投獄されていたキリスト教の聖人。天使によって牢獄から救い出される聖ペテロが3つのシーンに分けて描かれている。真中では天使が聖ペテロを起こし、右のシーンでは、寝ている兵士の間を、天使が聖ペテロを誘導します。左は、天使の光に気がついた兵士が同僚を起こしている。

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    ヘリオドロスの間 (Stanza di Eliodoro)

    聖ペテロの放免
     聖ペテロは布教活動のため、度々ヘロデ王に投獄されていたキリスト教の聖人。天使によって牢獄から救い出される聖ペテロが3つのシーンに分けて描かれている。真中では天使が聖ペテロを起こし、右のシーンでは、寝ている兵士の間を、天使が聖ペテロを誘導します。左は、天使の光に気がついた兵士が同僚を起こしている。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />アテナイの学堂<br /> ラファエロの最高傑作とされる「アテナイの学堂」は、50人以上の古代ギリシャの賢人が集まり、議論しあう様子が表現されています。登場人物については諸説ありますが、、、

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    アテナイの学堂
     ラファエロの最高傑作とされる「アテナイの学堂」は、50人以上の古代ギリシャの賢人が集まり、議論しあう様子が表現されています。登場人物については諸説ありますが、、、

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />アテナイの学堂 中央部。<br />レオナルド・ダ・ヴィンチをモデルにしたプラトンとアリストテレスが中央で議論し、ミケランジェロをモデルにしたヘラクレイトスが物思いにふけっている(左下)。

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    アテナイの学堂 中央部。
    レオナルド・ダ・ヴィンチをモデルにしたプラトンとアリストテレスが中央で議論し、ミケランジェロをモデルにしたヘラクレイトスが物思いにふけっている(左下)。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />アテナイの学堂 右下グループ。<br />

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    アテナイの学堂 右下グループ。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />アテナイの学堂<br />左側グループ。

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    アテナイの学堂
    左側グループ。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />アテナイの学堂

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    アテナイの学堂

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />アテナイの学堂

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    アテナイの学堂

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />聖体の議論<br /> アテナイの学堂の反対側の壁にあるフレスコ画。このフレスコ画は上下二層になっており、上層にキリストを中心地する天界が、下方に哲学者たちが集う地上が描かれている。キリスト教は全ての哲学に勝ることを表す。

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    聖体の議論
     アテナイの学堂の反対側の壁にあるフレスコ画。このフレスコ画は上下二層になっており、上層にキリストを中心地する天界が、下方に哲学者たちが集う地上が描かれている。キリスト教は全ての哲学に勝ることを表す。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />聖体の議論 中央拡大。

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    聖体の議論 中央拡大。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />パルナッソス山<br /> パルナッソス山は、ギリシャのデルポイにそびえる山でアポロンとミューズが住んでいる。アポロンとミューズを中心として多くの詩人が集う様子が描かれている。<br />

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    パルナッソス山
     パルナッソス山は、ギリシャのデルポイにそびえる山でアポロンとミューズが住んでいる。アポロンとミューズを中心として多くの詩人が集う様子が描かれている。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />パルナッソス山 中央部拡大。

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    パルナッソス山 中央部拡大。

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />署名の間 (Stanza della Segnatura)<br /><br />アテナイの学堂

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    署名の間 (Stanza della Segnatura)

    アテナイの学堂

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />ボルゴの火災の間 (Stanza dell&#39;incendio del Borgo)<br /><br />ボルゴの火災<br /><br />1513年、依頼主のユリウス2世が死去し、部屋の改修は、後継者のレオ10世によって続けられ、「ボルゴ火災の間」のフレスコ画は、教皇レオ3世と4世の生涯をモチーフにしている。<br /> ラファエロは、「ボルゴの火災の間」のフレスコ画「ボルゴの火災」のデザインを行いましたが、残りのフレスコ画については、ラファエロは関与せずに弟子たちらが完成させた。<br /><br /><br />

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)

    ボルゴの火災

    1513年、依頼主のユリウス2世が死去し、部屋の改修は、後継者のレオ10世によって続けられ、「ボルゴ火災の間」のフレスコ画は、教皇レオ3世と4世の生涯をモチーフにしている。
     ラファエロは、「ボルゴの火災の間」のフレスコ画「ボルゴの火災」のデザインを行いましたが、残りのフレスコ画については、ラファエロは関与せずに弟子たちらが完成させた。


  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />ボルゴの火災の間 (Stanza dell&#39;incendio del Borgo)<br /><br />ボルゴの火災 左側拡大<br />

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)

    ボルゴの火災 左側拡大

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />ボルゴの火災の間 (Stanza dell&#39;incendio del Borgo)<br /><br /><br />レオ3世のカール大帝への授冠 <br />

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)


    レオ3世のカール大帝への授冠

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />ボルゴの火災の間 (Stanza dell&#39;incendio del Borgo)<br /><br />オスティアの戦い<br /><br />

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)

    オスティアの戦い

  • ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)<br />ボルゴの火災の間 (Stanza dell&#39;incendio del Borgo)<br /><br />

    ラファエロの間(伊語:Stanze di Raffaello)
    ボルゴの火災の間 (Stanza dell'incendio del Borgo)

  • この後、システィーナ礼拝堂へ。写真禁止なので代わりにこの庭の写真。

    この後、システィーナ礼拝堂へ。写真禁止なので代わりにこの庭の写真。

  • ピナコテカ、絵画関係は別の旅行記で紹介できたらと思います。

    ピナコテカ、絵画関係は別の旅行記で紹介できたらと思います。

  • この螺旋状スロープを降りて出口まで。

    この螺旋状スロープを降りて出口まで。

  • 出口に戻ってきました。反対側にあるサン・ピエトロ寺院に向かいます。<br />システィーナ礼拝堂の横にあったのですが。。。

    出口に戻ってきました。反対側にあるサン・ピエトロ寺院に向かいます。
    システィーナ礼拝堂の横にあったのですが。。。

  • サン・ピエトロ寺院(Basilica di San Pietro)を目指して、城壁に沿って歩きます。

    サン・ピエトロ寺院(Basilica di San Pietro)を目指して、城壁に沿って歩きます。

  • サン・ピエトロ広場(Piazza San Pietro)についたが、様子がおかしい。至るところに金属探知機のゲートが設置され、広場には人っ子ひとりいない。

    サン・ピエトロ広場(Piazza San Pietro)についたが、様子がおかしい。至るところに金属探知機のゲートが設置され、広場には人っ子ひとりいない。

    サン ピエトロ広場 広場・公園

  • サン・ピエトロ広場<br />Piazza San Pietro

    サン・ピエトロ広場
    Piazza San Pietro

    サン ピエトロ広場 広場・公園

  • サン・ピエトロ寺院(Basilica di San Pietro)とサン・ピエトロ広場(Piazza San Pietro)<br /><br />どうも、イースターのミサに備えて、広場を一旦、封鎖しているみたい。。。<br />残念、中に入れない。しかし、観光客が完全にいない広場を見れることはあまりないだろう。逆光でなければいい写真が撮れただろうに。<br /><br />

    サン・ピエトロ寺院(Basilica di San Pietro)とサン・ピエトロ広場(Piazza San Pietro)

    どうも、イースターのミサに備えて、広場を一旦、封鎖しているみたい。。。
    残念、中に入れない。しかし、観光客が完全にいない広場を見れることはあまりないだろう。逆光でなければいい写真が撮れただろうに。

    サン ピエトロ広場 広場・公園

  • サン・ピエトロ寺院<br />Basilica di San Pietro<br /><br />だれもいない広場とサン・ピエトロ寺院。

    サン・ピエトロ寺院
    Basilica di San Pietro

    だれもいない広場とサン・ピエトロ寺院。

    サン ピエトロ大聖堂 寺院・教会

  • サン・ピエトロ寺院<br />Basilica di San Pietro<br /><br />今回は諦めて立ち去ります。。。広場からサンタンジェロ城(Castel Sant&#39;Angelo)に伸びている道を歩きます。逆光で写真がとりづらい。

    サン・ピエトロ寺院
    Basilica di San Pietro

    今回は諦めて立ち去ります。。。広場からサンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo)に伸びている道を歩きます。逆光で写真がとりづらい。

    サン ピエトロ広場 広場・公園

  • サンタ マリア イン トランスポンティーナ教会<br />Chiesa di Santa Maria in Transpontina

    サンタ マリア イン トランスポンティーナ教会
    Chiesa di Santa Maria in Transpontina

    サンタ マリア イン トランスポンティーナ教会 寺院・教会

  • うーん、逆光。

    うーん、逆光。

  • サンタンジェロ城<br />Castel Sant&#39;Angelo<br /><br />残念ながら、すでに閉館時間であり、城の中には入れず。

    サンタンジェロ城
    Castel Sant'Angelo

    残念ながら、すでに閉館時間であり、城の中には入れず。

    サンタンジェロ城 城・宮殿

  • サンタンジェロ橋<br />Ponte Sant&#39;Angelo

    サンタンジェロ橋
    Ponte Sant'Angelo

    サンタンジェロ橋 建造物

  • サンタンジェロ橋からのサンタンジェロ城<br />

    サンタンジェロ橋からのサンタンジェロ城

  • サンタンジェロ橋からのサンタンジェロ城<br />

    サンタンジェロ橋からのサンタンジェロ城

    サンタンジェロ橋 建造物

  • サンタンジェロ橋からのサンタンジェロ城。<br /><br />JOJO第5部でボスとの最終決戦の場所。<br />ゴールドエクスペリエンスレクイエムになったところ。<br />コロッセオからここまで歩いてきたと思うと長い距離歩いたな。

    サンタンジェロ橋からのサンタンジェロ城。

    JOJO第5部でボスとの最終決戦の場所。
    ゴールドエクスペリエンスレクイエムになったところ。
    コロッセオからここまで歩いてきたと思うと長い距離歩いたな。

    サンタンジェロ橋 建造物

  • サンタンジェロ城<br />Castel Sant&#39;Angelo

    サンタンジェロ城
    Castel Sant'Angelo

  • そのまま、川沿いを歩きます。

    そのまま、川沿いを歩きます。

  • Academy of Costume and Fashion<br />(Accademia Costume e Moda)<br /><br />廃墟があると思ったら、どうも服飾専門学校のよう。

    Academy of Costume and Fashion
    (Accademia Costume e Moda)

    廃墟があると思ったら、どうも服飾専門学校のよう。

  • 橋の向こうに見えているのは、最高裁判所(Corte Suprema di Cassazione)<br />その前にウンベルト1世橋(Ponte Umberto I)がかかっています。

    橋の向こうに見えているのは、最高裁判所(Corte Suprema di Cassazione)
    その前にウンベルト1世橋(Ponte Umberto I)がかかっています。

  • 最高裁判所(Corte Suprema di Cassazione)

    最高裁判所(Corte Suprema di Cassazione)

  • ウンベルト1世橋からみるサンタンジェロ橋とサン・ピエトロ寺院<br /><br />絶好の写真スポット。

    ウンベルト1世橋からみるサンタンジェロ橋とサン・ピエトロ寺院

    絶好の写真スポット。

  • さらに上流にむかって歩きます。<br />川の反対側に見えるのは、<br />Sacred Heart Church of the Intercession<br />(Chiesa Sacro Cuore del Suffragio)

    さらに上流にむかって歩きます。
    川の反対側に見えるのは、
    Sacred Heart Church of the Intercession
    (Chiesa Sacro Cuore del Suffragio)

  • ポポロ広場(Piazza del Popolo)にやってきました。<br /><br />

    ポポロ広場(Piazza del Popolo)にやってきました。

    ポポロ広場 (ローマ) 広場・公園

  • ポポロ広場<br />Piazza del Popolo

    ポポロ広場
    Piazza del Popolo

    ポポロ広場 (ローマ) 広場・公園

  • ポポロ門<br />Porta del Popolo<br /><br />ローマの玄関。<br />1475年にローマ教皇シクストゥス4世により建てられた門。ファサードはバロック期の著名な彫刻家であり建築家でもあるベルニーニの設計による。<br />ちなみに写真は内側(広場に面した方)。

    ポポロ門
    Porta del Popolo

    ローマの玄関。
    1475年にローマ教皇シクストゥス4世により建てられた門。ファサードはバロック期の著名な彫刻家であり建築家でもあるベルニーニの設計による。
    ちなみに写真は内側(広場に面した方)。

  • ポポロ門<br />Porta del Popolo<br /><br />こちらが外側から撮った写真。

    ポポロ門
    Porta del Popolo

    こちらが外側から撮った写真。

    ポポロ門 建造物

  • ポポロ門<br />Porta del Popolo

    ポポロ門
    Porta del Popolo

    ポポロ門 建造物

  • ポポロ広場<br />Piazza del Popolo<br /><br />ポポロ門から入って広場をみたところ。左手にはサンタ・マリア・デル・ポポロ教会(Basilica Parrocchiale Santa Maria del Popolo)の入り口。時間が遅く入れず。<br /><br />奥にみえるのは双子教会。サンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタマリア・ デイ・ミラーコリ教会。<br />

    ポポロ広場
    Piazza del Popolo

    ポポロ門から入って広場をみたところ。左手にはサンタ・マリア・デル・ポポロ教会(Basilica Parrocchiale Santa Maria del Popolo)の入り口。時間が遅く入れず。

    奥にみえるのは双子教会。サンタ・マリア・イン・モンテサント教会とサンタマリア・ デイ・ミラーコリ教会。

    ポポロ門 建造物

  • ポポロ広場<br />Piazza del Popolo

    ポポロ広場
    Piazza del Popolo

    ポポロ広場 (ローマ) 広場・公園

  • ポポロ広場<br />Piazza del Popolo<br /><br />古代ローマ時代の紀元前10年にエジプトから運ばれてきたという、広場の中央にたつ古代オベリスクのひとつフラミニオ・オベリスク(Obelisco Flaminio)。高さ23.20m。この名称は、ポポロ広場がローマからリミニ(ローマのほぼ真北、アドリア海に面した町)に至る『フラミニア街道』の基点であることに由来しています。フラミニア街道は古代ローマ帝国の、ローマから北へ向う幹線道路で、紀元前220年にガイウス・フラミニウスによって建設されました。<br /><br />写真ではよくわかりづらいが、表面にはヒエログリフ文字で碑文が刻まれている。セティ1世(第19王朝、在位 紀元前14世紀)およびその息子ラムセス2世(同、在位 紀元前13世紀)に関するもの。

    ポポロ広場
    Piazza del Popolo

    古代ローマ時代の紀元前10年にエジプトから運ばれてきたという、広場の中央にたつ古代オベリスクのひとつフラミニオ・オベリスク(Obelisco Flaminio)。高さ23.20m。この名称は、ポポロ広場がローマからリミニ(ローマのほぼ真北、アドリア海に面した町)に至る『フラミニア街道』の基点であることに由来しています。フラミニア街道は古代ローマ帝国の、ローマから北へ向う幹線道路で、紀元前220年にガイウス・フラミニウスによって建設されました。

    写真ではよくわかりづらいが、表面にはヒエログリフ文字で碑文が刻まれている。セティ1世(第19王朝、在位 紀元前14世紀)およびその息子ラムセス2世(同、在位 紀元前13世紀)に関するもの。

    ポポロ広場 (ローマ) 広場・公園

  • サンタ・マリア・イン・モンテサント教会<br />Basilica di Santa Maria in Montesanto<br /><br />広場に南側に面して建っている教会。

    サンタ・マリア・イン・モンテサント教会
    Basilica di Santa Maria in Montesanto

    広場に南側に面して建っている教会。

    サンタ マリア イン モンテサント教会 寺院・教会

  • スペイン広場<br />Piazza di Spagna<br /><br />ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」と背後に<br />トリニタ・デイ・モンティ教会。<br />映画『ローマの休日』で、オードリー・ヘプバーン扮するアン王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所だが、2004年に制定された条例によって、スペイン広場とトレヴィの泉での飲食は保全の為、禁止されており、映画のシーンのようにジェラートを食べる事はできない。<br />階段の南側にかつてスペイン大使館があり、この名前が付けられたとのこと。<br />

    スペイン広場
    Piazza di Spagna

    ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ作「バルカッチャの噴水(舟の噴水)」と背後に
    トリニタ・デイ・モンティ教会。
    映画『ローマの休日』で、オードリー・ヘプバーン扮するアン王女がジェラートを食べたシーンでもおなじみの場所だが、2004年に制定された条例によって、スペイン広場とトレヴィの泉での飲食は保全の為、禁止されており、映画のシーンのようにジェラートを食べる事はできない。
    階段の南側にかつてスペイン大使館があり、この名前が付けられたとのこと。

  • スペイン広場<br />Piazza di Spagna<br /><br />教会へと続くトリニタ・デイ・モンティ階段、通称「スペイン階段」を登ります。<br />設計はフランチェスコ・ディ・サンクティス(Francesco De Sanctis)という無名の建築家の設計で 、1725年に完成。写真は階段の途中で広場を見下ろしたところ。

    スペイン広場
    Piazza di Spagna

    教会へと続くトリニタ・デイ・モンティ階段、通称「スペイン階段」を登ります。
    設計はフランチェスコ・ディ・サンクティス(Francesco De Sanctis)という無名の建築家の設計で 、1725年に完成。写真は階段の途中で広場を見下ろしたところ。

  • スペイン広場<br />Piazza di Spagna<br /><br />さらに上に。ここまでくると人はまばら。

    スペイン広場
    Piazza di Spagna

    さらに上に。ここまでくると人はまばら。

  • トリニタ デイ モンテイ教会<br />Trinità dei Monti<br /><br />広場の前に建つサルスティアーノ・オベリスクは1789年、法王ピウス6世 Pio Ⅵによって建てられた。(つまり、フランス革命のとき)

    トリニタ デイ モンテイ教会
    Trinità dei Monti

    広場の前に建つサルスティアーノ・オベリスクは1789年、法王ピウス6世 Pio Ⅵによって建てられた。(つまり、フランス革命のとき)

  • トリニタ デイ モンテイ教会<br />Trinità dei Monti<br /><br />教会の名前は、「丘の上の三位一体教会」という意味で、16世紀にフランス王ルイ12世の命により建設が開始され、およそ1世紀後、建築家カルロ・マデルノの手で完成された。現在もフランス人神父によるフランス語のミサが行われている。2本の鐘楼が印象的なフランスのゴシック様式。<br /><br />ちなみに階段を登らなくても地下鉄駅のエレベータでここまで登ってくることもできます(まあ、観光客はせっかくなので階段を使うと思いますが)

    トリニタ デイ モンテイ教会
    Trinità dei Monti

    教会の名前は、「丘の上の三位一体教会」という意味で、16世紀にフランス王ルイ12世の命により建設が開始され、およそ1世紀後、建築家カルロ・マデルノの手で完成された。現在もフランス人神父によるフランス語のミサが行われている。2本の鐘楼が印象的なフランスのゴシック様式。

    ちなみに階段を登らなくても地下鉄駅のエレベータでここまで登ってくることもできます(まあ、観光客はせっかくなので階段を使うと思いますが)

    トリニタ デイ モンティ教会 寺院・教会

  • スペイン広場<br />Piazza di Spagna<br /><br />すっかり暗くなりましたが、広場には人がたくさん。今日はここまで。ちなみに帰りは地下鉄を利用しましたが、スリ4名グループ(おばさん)に会いました。被害はありませんでしたが、気が付くと、扉があいた瞬間に逃げて行きました。気を付けてくださいね。

    スペイン広場
    Piazza di Spagna

    すっかり暗くなりましたが、広場には人がたくさん。今日はここまで。ちなみに帰りは地下鉄を利用しましたが、スリ4名グループ(おばさん)に会いました。被害はありませんでしたが、気が付くと、扉があいた瞬間に逃げて行きました。気を付けてくださいね。

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