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梅雨の晴れ間の一日、栃木県を巡るバスツアーに友達と参加しました。<br />午前中は宇都宮の郊外にある大谷石で有名な大谷町へ。<br />ここには、弘法大師が岩壁に刻んだ日本最古の石仏「大谷観音」を本尊とする「大谷寺」があり、隣接する大谷公園には、大谷石に彫った高さ27mの「平和観音」などの見どころがあります。<br />午後は、2017年に4年間の改修工事を終え、創建当時の輝きが蘇った「日光東照宮」へ。<br />愛らしい「三猿」の彫刻や、極彩色に輝く「陽明門」など、久し振りに日光東照宮をじっくり見て回りました。<br />写真は、日光東照宮のシンボル「陽明門」。

栃木の旅・大谷観音と日光東照宮

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2019/06/18 - 2019/06/18

1384位(同エリア3454件中)

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ペコちゃん

ペコちゃんさん

梅雨の晴れ間の一日、栃木県を巡るバスツアーに友達と参加しました。
午前中は宇都宮の郊外にある大谷石で有名な大谷町へ。
ここには、弘法大師が岩壁に刻んだ日本最古の石仏「大谷観音」を本尊とする「大谷寺」があり、隣接する大谷公園には、大谷石に彫った高さ27mの「平和観音」などの見どころがあります。
午後は、2017年に4年間の改修工事を終え、創建当時の輝きが蘇った「日光東照宮」へ。
愛らしい「三猿」の彫刻や、極彩色に輝く「陽明門」など、久し振りに日光東照宮をじっくり見て回りました。
写真は、日光東照宮のシンボル「陽明門」。

旅行の満足度
5.0
同行者
友人
一人あたり費用
1万円未満
交通手段
観光バス 徒歩
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)
  • 地元を7時半過ぎに出発して、圏央道の菖蒲PAで小休止。<br />ここは、内回り・外回り両方から利用できる上下線集約型のパーキングエリアで、2015年に開業。

    地元を7時半過ぎに出発して、圏央道の菖蒲PAで小休止。
    ここは、内回り・外回り両方から利用できる上下線集約型のパーキングエリアで、2015年に開業。

  • 青いバスが今回のバス。<br />この先の久喜白岡JCT から東北道に入ります。

    青いバスが今回のバス。
    この先の久喜白岡JCT から東北道に入ります。

  • 東北道を宇都宮ICで降りて、石の里・大谷に近づくと、大谷石を切り出したあとの絶壁が車窓に迫ってきます。<br />宇都宮市の北西部には、約2千万年前の火山活動により生まれた「緑色凝灰岩」が多く、大谷石として建造物などに利用されてきました。<br />

    東北道を宇都宮ICで降りて、石の里・大谷に近づくと、大谷石を切り出したあとの絶壁が車窓に迫ってきます。
    宇都宮市の北西部には、約2千万年前の火山活動により生まれた「緑色凝灰岩」が多く、大谷石として建造物などに利用されてきました。

  • 10時前に大谷寺(おおやじ)に到着。<br />「天開山 大谷寺」は、平安時代初期(810年)に弘法大師(空海)が本尊の「大谷観音(千手観音)」を彫って開山したと伝えられる天台宗の寺院で、古くから坂東三十三観音の第十九番札所として信仰を集めてきました。

    10時前に大谷寺(おおやじ)に到着。
    「天開山 大谷寺」は、平安時代初期(810年)に弘法大師(空海)が本尊の「大谷観音(千手観音)」を彫って開山したと伝えられる天台宗の寺院で、古くから坂東三十三観音の第十九番札所として信仰を集めてきました。

  • 余り大きくない仁王門ですが、左右の阿吽像がしっかり守っています。

    余り大きくない仁王門ですが、左右の阿吽像がしっかり守っています。

  • 境内に足を踏み入れた途端、観音堂の上に聳え立つ大谷石(凝灰岩)の奇岩に圧倒されます!

    境内に足を踏み入れた途端、観音堂の上に聳え立つ大谷石(凝灰岩)の奇岩に圧倒されます!

  • 大谷寺は、巨岩の洞穴内に堂宇がある珍しい寺院で、この大谷石の壁面に本尊の千手観音像(大谷観音)が彫られています。

    大谷寺は、巨岩の洞穴内に堂宇がある珍しい寺院で、この大谷石の壁面に本尊の千手観音像(大谷観音)が彫られています。

  • 観音堂の屋根には赤鬼が。

    観音堂の屋根には赤鬼が。

  • 堂内の岩壁面に彫られた十体の大谷磨崖仏(千手観音・釈迦三尊像・薬師三尊像・阿弥陀三尊像)は、大分県の臼杵磨崖仏と共に学術的に非常に価値の高い石仏で、国の特別史跡と重要文化財にも指定されています。

    堂内の岩壁面に彫られた十体の大谷磨崖仏(千手観音・釈迦三尊像・薬師三尊像・阿弥陀三尊像)は、大分県の臼杵磨崖仏と共に学術的に非常に価値の高い石仏で、国の特別史跡と重要文化財にも指定されています。

  • 大谷寺・高橋住職の話を聞いた後、摩崖仏を拝観。

    大谷寺・高橋住職の話を聞いた後、摩崖仏を拝観。

  • 本堂に入ると、高さ約4mの本尊・千手観音(大谷観音)があります。<br />弘法大師の作と伝えられていますが、最近の研究ではバーミヤン石仏との共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した説が有力で、日本のシルクロードと言われます。<br />当初は金箔や彩色をして仕上げられたそうですが、江戸時代の火災等により剥落してしまいました。(内部は撮影禁止なので、写真はHPより)

    本堂に入ると、高さ約4mの本尊・千手観音(大谷観音)があります。
    弘法大師の作と伝えられていますが、最近の研究ではバーミヤン石仏との共通点が見られることから、実際はアフガニスタンの僧侶が彫刻した説が有力で、日本のシルクロードと言われます。
    当初は金箔や彩色をして仕上げられたそうですが、江戸時代の火災等により剥落してしまいました。(内部は撮影禁止なので、写真はHPより)

  • 奥に進むと、釈迦三尊像(平安時代後期作)、薬師三尊像(平安時代初期作)、そしてこの阿弥陀三尊像(鎌倉時代作)があります。

    奥に進むと、釈迦三尊像(平安時代後期作)、薬師三尊像(平安時代初期作)、そしてこの阿弥陀三尊像(鎌倉時代作)があります。

  • 次に、「宝物館」を見学。<br />ここには、昭和40年の防災工事中に、お堂の下約3mの地層から、ほぼ完全な形で出土した縄文時代最古の人骨が展示されています。

    次に、「宝物館」を見学。
    ここには、昭和40年の防災工事中に、お堂の下約3mの地層から、ほぼ完全な形で出土した縄文時代最古の人骨が展示されています。

  • 約1万1千年前の男性と考えられ、身長154cm、年令20歳位。<br />母親の胎内にいる胎児のように、小さく丸めて埋葬されていたそうです。<br />若いので丈夫そうな綺麗な歯・・・羨ましいですね。

    約1万1千年前の男性と考えられ、身長154cm、年令20歳位。
    母親の胎内にいる胎児のように、小さく丸めて埋葬されていたそうです。
    若いので丈夫そうな綺麗な歯・・・羨ましいですね。

  • 観音堂の左側にある「弁天堂」の入り口に鎮座する聖観音菩薩像。<br />大谷磨崖仏保存修理完成を記念して、1964年に建立されました。

    観音堂の左側にある「弁天堂」の入り口に鎮座する聖観音菩薩像。
    大谷磨崖仏保存修理完成を記念して、1964年に建立されました。

  • 上野の不忍池を摸したといわれる弁天堂。

    上野の不忍池を摸したといわれる弁天堂。

  • 弁天堂に祀られた弁財天・・・弁天様は楽器の琵琶を持っているのが一般的ですが、ここの弁天様は右手に宝剣を持った珍しいお姿。<br />芸能・音楽など技芸上達にご利益がある神様なので、私も芸事が上達するよう手を合わせてきました。

    弁天堂に祀られた弁財天・・・弁天様は楽器の琵琶を持っているのが一般的ですが、ここの弁天様は右手に宝剣を持った珍しいお姿。
    芸能・音楽など技芸上達にご利益がある神様なので、私も芸事が上達するよう手を合わせてきました。

  • 池の畔には、 ” 昔、この地に住んでいた毒蛇が空海に退治され、心を入れ替えて白蛇になって弁財天に仕えた ” という伝説に因み、白蛇の像が置かれ、参拝後に白蛇の頭を軽くさすると、ご利益があると云われています。<br />私も、さすりました・・・神様、ご利益お願いします!

    池の畔には、 ” 昔、この地に住んでいた毒蛇が空海に退治され、心を入れ替えて白蛇になって弁財天に仕えた ” という伝説に因み、白蛇の像が置かれ、参拝後に白蛇の頭を軽くさすると、ご利益があると云われています。
    私も、さすりました・・・神様、ご利益お願いします!

  • もう一匹いました。

    もう一匹いました。

  • 大谷石で彫られた浄土院の千手観音と如意輪観音。

    大谷石で彫られた浄土院の千手観音と如意輪観音。

  • 大谷寺・観音堂の上の岩山は、江戸時代に歴代輪王寺の宮様が毎秋松茸狩りを行った場所で、一般人の入山が禁じられたところから「御止山(おとめやま)」と呼ばれ、その景観の素晴らしさから「陸の松島」と讃えられました。<br />また、大正天皇は度々参詣され、山頂にはお手植えの松がありましたが、今は記念碑が建てられています。

    大谷寺・観音堂の上の岩山は、江戸時代に歴代輪王寺の宮様が毎秋松茸狩りを行った場所で、一般人の入山が禁じられたところから「御止山(おとめやま)」と呼ばれ、その景観の素晴らしさから「陸の松島」と讃えられました。
    また、大正天皇は度々参詣され、山頂にはお手植えの松がありましたが、今は記念碑が建てられています。

  • 御止山登山口近くにある大谷寺住職の墓地。<br />ユニークな形をした石造りの門には、象や獅子などの像が飾られています。

    御止山登山口近くにある大谷寺住職の墓地。
    ユニークな形をした石造りの門には、象や獅子などの像が飾られています。

  • 大谷石で作った飾り物など、お土産も買える「大谷石体験館」。<br />以前、この店で蛙の置物(無事カエル)を買ったことを思い出しました。<br />今も我が家の玄関で迎えてくれています。

    大谷石で作った飾り物など、お土産も買える「大谷石体験館」。
    以前、この店で蛙の置物(無事カエル)を買ったことを思い出しました。
    今も我が家の玄関で迎えてくれています。

  • 大谷石体験館の先にある大谷石の切り通し・・・まるで、アドベンチャー映画の1シーンみたい!

    大谷石体験館の先にある大谷石の切り通し・・・まるで、アドベンチャー映画の1シーンみたい!

  • 大谷石の採石場だった壁面を利用して刻まれた「平和観音像」。<br />戦没者の慰霊と世界平和を願い、昭和23年から6年の歳月をかけて手彫りで制作された、高さ27mの巨大観音は、東京芸術大学教授・飛田朝次郎の指導のもと、大谷町の石工達が制作にあたりました。

    大谷石の採石場だった壁面を利用して刻まれた「平和観音像」。
    戦没者の慰霊と世界平和を願い、昭和23年から6年の歳月をかけて手彫りで制作された、高さ27mの巨大観音は、東京芸術大学教授・飛田朝次郎の指導のもと、大谷町の石工達が制作にあたりました。

  • 昭和31年には開眼供養が行われ、それ以降、大谷の顔として大谷公園に聳え立っています。<br />大谷寺のお前立ち観音になる「平和観音」を「大谷観音」と勘違いする人も多いようです。<br />

    昭和31年には開眼供養が行われ、それ以降、大谷の顔として大谷公園に聳え立っています。
    大谷寺のお前立ち観音になる「平和観音」を「大谷観音」と勘違いする人も多いようです。

  • 急な鉄階段を登りながら穏やかなお顔を横から見ると、青空に微笑んでいるようです。

    急な鉄階段を登りながら穏やかなお顔を横から見ると、青空に微笑んでいるようです。

  • 階段を登りきって平和観音の裏側に出ると、風雨に晒された後姿が、どこか痛々しい。

    階段を登りきって平和観音の裏側に出ると、風雨に晒された後姿が、どこか痛々しい。

  • カエルのような二つの岩石は「親子がえる」・・・その昔、蜂の大群が大谷の村人を苦しめた時、どこからともなく親子蛙が現れ、岩肌にしがみついて蜂の大群と戦い、村人を守ったと伝わっています。

    カエルのような二つの岩石は「親子がえる」・・・その昔、蜂の大群が大谷の村人を苦しめた時、どこからともなく親子蛙が現れ、岩肌にしがみついて蜂の大群と戦い、村人を守ったと伝わっています。

  • 大谷を後にして日光に向かい、東照宮の西参道入口にある「富士屋観光センター」で昼食。<br />日光名物の生湯葉も、ほんの少しですが入っていました。

    大谷を後にして日光に向かい、東照宮の西参道入口にある「富士屋観光センター」で昼食。
    日光名物の生湯葉も、ほんの少しですが入っていました。

  • 昼食後、東照宮への参道を歩いて行くと、ヒノキの枝に結ばれた「おみくじ」が。

    昼食後、東照宮への参道を歩いて行くと、ヒノキの枝に結ばれた「おみくじ」が。

  • 表参道の途中にあるのは、766年に勝道上人により開山された「日光山輪王寺」・・・本堂の三仏堂は、1645年に徳川三代将軍・家光によって建て替えられましたが、2007年から「平成の大修理」が始まり、今年度やっと終わる予定です。

    表参道の途中にあるのは、766年に勝道上人により開山された「日光山輪王寺」・・・本堂の三仏堂は、1645年に徳川三代将軍・家光によって建て替えられましたが、2007年から「平成の大修理」が始まり、今年度やっと終わる予定です。

  • 日光山内の社寺は、奈良時代に創建された二荒山神社と輪王寺、および徳川家康を「東照大権現」として祀る東照宮があり、これらを総称して「二社一寺」と呼びますが、1999年に文化遺産「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。<br />表参道の先に、東照宮が見えてきました。

    日光山内の社寺は、奈良時代に創建された二荒山神社と輪王寺、および徳川家康を「東照大権現」として祀る東照宮があり、これらを総称して「二社一寺」と呼びますが、1999年に文化遺産「日光の社寺」として世界遺産に登録されました。
    表参道の先に、東照宮が見えてきました。

  • 徳川家康は1616年に駿府で死去し、久能山に造営された久能山東照宮に葬られますが、翌1617年に日光東照宮の社殿が完成し、家康本人の遺言により当地に改葬されます。<br />1634年に3代将軍・家光が参詣し、1636年の21年神忌に向けて「寛永の大造替」が始まり、現在の荘厳・壮麗な社殿へと改築されました。<br />2013年度から4年間かけて行われた「平成の大修理」が終わり、創建当時の輝きを取り戻した陽明門など、見どころタップリの東照宮を2時間ほどかけてゆっくり見て回ります。

    徳川家康は1616年に駿府で死去し、久能山に造営された久能山東照宮に葬られますが、翌1617年に日光東照宮の社殿が完成し、家康本人の遺言により当地に改葬されます。
    1634年に3代将軍・家光が参詣し、1636年の21年神忌に向けて「寛永の大造替」が始まり、現在の荘厳・壮麗な社殿へと改築されました。
    2013年度から4年間かけて行われた「平成の大修理」が終わり、創建当時の輝きを取り戻した陽明門など、見どころタップリの東照宮を2時間ほどかけてゆっくり見て回ります。

  • もともとこの地は、源頼朝の父・義朝が日光山造営を行って以来、鎌倉幕府・関東公方・後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた場所なので、家康もここに眠りたいと思ったのでしょう。<br />いよいよ、東照宮に参拝・・・空気が違ってきた気がします。

    もともとこの地は、源頼朝の父・義朝が日光山造営を行って以来、鎌倉幕府・関東公方・後北条氏の歴代を通じて、東国の宗教的権威となっていた場所なので、家康もここに眠りたいと思ったのでしょう。
    いよいよ、東照宮に参拝・・・空気が違ってきた気がします。

  • 入口にあるのは、1618年に福岡藩の初代藩主・黒田長政が寄進した「石鳥居」・・・福岡藩領内から15個の石を運び、積み上げて造られました。

    入口にあるのは、1618年に福岡藩の初代藩主・黒田長政が寄進した「石鳥居」・・・福岡藩領内から15個の石を運び、積み上げて造られました。

  • 鳥居を通り抜けて振り返ると、とにかくデカい!<br />石鳥居としては日本最大のもので、高さは9mもあり、鶴岡八幡宮・京都八坂神社と共に「日本三大石鳥居」と言われます。

    鳥居を通り抜けて振り返ると、とにかくデカい!
    石鳥居としては日本最大のもので、高さは9mもあり、鶴岡八幡宮・京都八坂神社と共に「日本三大石鳥居」と言われます。

  • 石鳥居を通り抜けると左手にあるのが、高さ35mの「五重塔」・・・東照宮は神社ですが、明治以前は神仏習合だったため、五重塔があります。<br />1650年に初代若狭小浜藩主・酒井忠勝が寄進しましたが、1815年に落雷で焼失したため、現在の塔は1818年に十代藩主・酒井忠進が再建したものです。<br />五重塔の真ん中には、直径60cmの巨大な木の柱「心柱(しんばしら)」がブラ下がり耐震性を高めていますが、この揺れを逃す耐震構造は、東京スカイツリーにも応用されています。<br />丁度、心柱の見学が出来るタイミングでしたが、時間が足りなくなると思い通過!

    石鳥居を通り抜けると左手にあるのが、高さ35mの「五重塔」・・・東照宮は神社ですが、明治以前は神仏習合だったため、五重塔があります。
    1650年に初代若狭小浜藩主・酒井忠勝が寄進しましたが、1815年に落雷で焼失したため、現在の塔は1818年に十代藩主・酒井忠進が再建したものです。
    五重塔の真ん中には、直径60cmの巨大な木の柱「心柱(しんばしら)」がブラ下がり耐震性を高めていますが、この揺れを逃す耐震構造は、東京スカイツリーにも応用されています。
    丁度、心柱の見学が出来るタイミングでしたが、時間が足りなくなると思い通過!

  • 一層の軒下には、右から家康の干支である「寅」、二代将軍・秀忠の「卯」、家光の「辰」が彫られています。

    一層の軒下には、右から家康の干支である「寅」、二代将軍・秀忠の「卯」、家光の「辰」が彫られています。

  • 五重塔から少し進んだところに「表門」があり、この先から有料エリア。<br />門の垂木の下にある4つの蟇股には、東照宮を守護する霊獣の「虎」「麒麟」「龍」の彫刻が彫られ、4本の主柱の上部には牡丹の彫刻、中央2本の柱には獏(ばく)の木鼻が施されています。

    五重塔から少し進んだところに「表門」があり、この先から有料エリア。
    門の垂木の下にある4つの蟇股には、東照宮を守護する霊獣の「虎」「麒麟」「龍」の彫刻が彫られ、4本の主柱の上部には牡丹の彫刻、中央2本の柱には獏(ばく)の木鼻が施されています。

  • 両脇には阿吽の仁王像が。

    両脇には阿吽の仁王像が。

  • 表門を入った左手にある「神厩舎(しんきゅうしゃ)」・・・あの有名な「三猿」の彫刻がある建物です!<br />彫刻が製作されたのは1636年(推定)、作者は「眠り猫」と同じ左甚五郎と推定されています。

    表門を入った左手にある「神厩舎(しんきゅうしゃ)」・・・あの有名な「三猿」の彫刻がある建物です!
    彫刻が製作されたのは1636年(推定)、作者は「眠り猫」と同じ左甚五郎と推定されています。

  • 猿が馬の健康安全を守る、という信仰から表側に5面、右側に3面の神猿彫刻(横幅:142cm、高さ:44cm)が飾られ、合計16匹の猿が人間にも通じる一生を表しています。<br />①赤ん坊の時代・・・子供の将来を案じて周囲を見つめる母猿・・・親は子供の将来が実りあるものであることを祈り、子供は親に愛されて成長するということ。

    猿が馬の健康安全を守る、という信仰から表側に5面、右側に3面の神猿彫刻(横幅:142cm、高さ:44cm)が飾られ、合計16匹の猿が人間にも通じる一生を表しています。
    ①赤ん坊の時代・・・子供の将来を案じて周囲を見つめる母猿・・・親は子供の将来が実りあるものであることを祈り、子供は親に愛されて成長するということ。

  • ②幼年期・・・影響を受けやすい幼少期は、悪いことを &quot; 見ザル・聞かザル・言わザル ” で、良いことだけを経験させて育てたい。<br />これです!・・・この彫刻が一番有名な「三猿」。

    ②幼年期・・・影響を受けやすい幼少期は、悪いことを " 見ザル・聞かザル・言わザル ” で、良いことだけを経験させて育てたい。
    これです!・・・この彫刻が一番有名な「三猿」。

  • ③少年期で自立し<br />④青年期(写真の彫刻)・・・親しい友と一緒に、希望を胸に天を仰ぐ・・・青い雲は「青雲の志」を表し、若いうちは、志を大きく持って高い所を目指しなさいということ。<br />その後は、⑤挫折と友情 ⑥恋愛や結婚の悩み ⑦結婚 ⑧妊娠 で母猿になって親の喜びや苦悩を知り、生まれた子供は①に戻り、人生が続いていく・・・愛嬌のある猿の一生で人生の教訓を体現したストーリーですが、じっくり見ると、子を思う親の気持がにじみ出ていたり、山あり谷ありの人生を表していたりで、感慨深くジーンときました。

    ③少年期で自立し
    ④青年期(写真の彫刻)・・・親しい友と一緒に、希望を胸に天を仰ぐ・・・青い雲は「青雲の志」を表し、若いうちは、志を大きく持って高い所を目指しなさいということ。
    その後は、⑤挫折と友情 ⑥恋愛や結婚の悩み ⑦結婚 ⑧妊娠 で母猿になって親の喜びや苦悩を知り、生まれた子供は①に戻り、人生が続いていく・・・愛嬌のある猿の一生で人生の教訓を体現したストーリーですが、じっくり見ると、子を思う親の気持がにじみ出ていたり、山あり谷ありの人生を表していたりで、感慨深くジーンときました。

  • 神厩舎の前方にある「三神庫(さんじんこ)」。<br />上・中・下の3棟の建物の中には、百物揃・千人行列と呼ばれる壮大な渡御祭奉仕者の装束(1200人分)が収められています。

    神厩舎の前方にある「三神庫(さんじんこ)」。
    上・中・下の3棟の建物の中には、百物揃・千人行列と呼ばれる壮大な渡御祭奉仕者の装束(1200人分)が収められています。

  • 三神庫の中で一番有名な「上神庫」。<br />屋根の下には、象を見たことがない江戸時代初期の絵師・狩野探幽(1602~1674)が想像で下絵を描いた「想像の象」が彫られています。<br />獅子と象を足して2で割った感じ・・・ふさふさの毛や尖った爪、それに不思議な目がユーモラスですよね。

    三神庫の中で一番有名な「上神庫」。
    屋根の下には、象を見たことがない江戸時代初期の絵師・狩野探幽(1602~1674)が想像で下絵を描いた「想像の象」が彫られています。
    獅子と象を足して2で割った感じ・・・ふさふさの毛や尖った爪、それに不思議な目がユーモラスですよね。

  • 「唐銅鳥居」は、日本初の青銅製の鳥居で、高さは6m。<br />扁額の代わりに葵紋、その先には陽明門が見えます。

    「唐銅鳥居」は、日本初の青銅製の鳥居で、高さは6m。
    扁額の代わりに葵紋、その先には陽明門が見えます。

  • 参道を挟んで三神庫の反対側にある「輪蔵(経蔵)」・・・神仏習合の名残を残すお経が納められていた建物で、中に八角形の回転式大書架(=輪蔵)があったことが名前の由来。

    参道を挟んで三神庫の反対側にある「輪蔵(経蔵)」・・・神仏習合の名残を残すお経が納められていた建物で、中に八角形の回転式大書架(=輪蔵)があったことが名前の由来。

  • 輪蔵の左にある、煌びやかな「御水屋」。<br />水盤(手水鉢)は、1618年に佐賀藩主・鍋島勝茂によって「徳川家康公3回忌」を記念して奉納されたもの。<br />唐破風の屋根の下には「飛龍の彫刻」が彫られていますが、火を吐く飛龍を鎮めるためには大量の水が必要となるので、逆に「火難から守護する水の霊獣」として位置づけられたようです。

    輪蔵の左にある、煌びやかな「御水屋」。
    水盤(手水鉢)は、1618年に佐賀藩主・鍋島勝茂によって「徳川家康公3回忌」を記念して奉納されたもの。
    唐破風の屋根の下には「飛龍の彫刻」が彫られていますが、火を吐く飛龍を鎮めるためには大量の水が必要となるので、逆に「火難から守護する水の霊獣」として位置づけられたようです。

  • 内部から見ると、上部には波と飛竜の透彫り、その下には立浪の彫刻が施されていますが、青がメインで素晴らしい!<br />御水屋で心身を清めて、陽明門へ向かいます。

    内部から見ると、上部には波と飛竜の透彫り、その下には立浪の彫刻が施されていますが、青がメインで素晴らしい!
    御水屋で心身を清めて、陽明門へ向かいます。

  • 参道から陽明門の方を見ると、右側にはこの「鐘楼」、左側には太鼓を収蔵する「鼓楼」があります。<br />左右対称に建つ二棟は、ぼぼ同規模、同意匠で、高さ約12mの櫓造り。<br />一般的に、鐘は神社にはありませんが、東照宮に鐘も太鼓もあるのは神仏習合の名残でしょう。<br />日光東照宮の祭礼は、現在も鼓楼の太鼓の音に始まり、 鐘楼の鐘の音で終わるそうです。

    参道から陽明門の方を見ると、右側にはこの「鐘楼」、左側には太鼓を収蔵する「鼓楼」があります。
    左右対称に建つ二棟は、ぼぼ同規模、同意匠で、高さ約12mの櫓造り。
    一般的に、鐘は神社にはありませんが、東照宮に鐘も太鼓もあるのは神仏習合の名残でしょう。
    日光東照宮の祭礼は、現在も鼓楼の太鼓の音に始まり、 鐘楼の鐘の音で終わるそうです。

  • 東照宮の境内には、121基(石造101基・銅製17基・鉄製2基・石造五重塔1基)の燈籠があります。<br />鐘楼の下にある手前の「鉄燈籠」は、仙台藩主・伊達政宗がポルトガルから鉄材を運んで鋳造し、奉納したもの・・・当時の鉄は高価なものだったことでしょう。

    東照宮の境内には、121基(石造101基・銅製17基・鉄製2基・石造五重塔1基)の燈籠があります。
    鐘楼の下にある手前の「鉄燈籠」は、仙台藩主・伊達政宗がポルトガルから鉄材を運んで鋳造し、奉納したもの・・・当時の鉄は高価なものだったことでしょう。

  • 四角い石の上に置かれた丸い石は、東照宮の祭礼時に幟を立てる時に使う穴の蓋「兜石」。<br />参拝客が遊び心でその周りに石を置いて、可愛い亀の形になっています。

    四角い石の上に置かれた丸い石は、東照宮の祭礼時に幟を立てる時に使う穴の蓋「兜石」。
    参拝客が遊び心でその周りに石を置いて、可愛い亀の形になっています。

  • 石段を登って陽明門へ向かいます。

    石段を登って陽明門へ向かいます。

  • 最初の石段を登った右側の石柵の裏にあるのは「飛び越えの獅子」。<br />この石像は一つの石に石柵と獅子が彫られており、まるで獅子が石柵を飛び越えているかのよう。

    最初の石段を登った右側の石柵の裏にあるのは「飛び越えの獅子」。
    この石像は一つの石に石柵と獅子が彫られており、まるで獅子が石柵を飛び越えているかのよう。

  • 鐘楼の手前にある「朝鮮鐘」。<br />家光の長男・家綱誕生の折、朝鮮国より献納された釣鐘ですが、この鐘には何故か撞木がありません・・・どんな響きがするのでしょう。

    鐘楼の手前にある「朝鮮鐘」。
    家光の長男・家綱誕生の折、朝鮮国より献納された釣鐘ですが、この鐘には何故か撞木がありません・・・どんな響きがするのでしょう。

  • 朝鮮鐘の屋根には、獏の頭の飾りが四隅についています・・・ヨーロッパで見たガーゴイルみたい。

    朝鮮鐘の屋根には、獏の頭の飾りが四隅についています・・・ヨーロッパで見たガーゴイルみたい。

  • オランダから奉納されたスタンド型蓮燈籠・・・燭台が蓮の花の形をしています。<br />オランダは、鎖国下の日本で唯一交易が認められていた国であり、東照宮へは3回奉納を行っています。

    オランダから奉納されたスタンド型蓮燈籠・・・燭台が蓮の花の形をしています。
    オランダは、鎖国下の日本で唯一交易が認められていた国であり、東照宮へは3回奉納を行っています。

  • 陽明門に向かって左側にある「鼓楼」。<br />その手前にあるのは「回転燈籠」。<br />

    陽明門に向かって左側にある「鼓楼」。
    その手前にあるのは「回転燈籠」。

  • この廻転燈籠は、1643年にオランダの東インド会社から奉納されたものですが、ロウソクに火を灯すと燭台が自然に回転するそうです。<br />この燭台をよく見ると、徳川家の家紋「三つ葉葵」の上下が、何と逆になっています!<br />幕府も、オランダ人が製作したものなので悪意はなかったとして、お咎めなしで受け取りました。

    この廻転燈籠は、1643年にオランダの東インド会社から奉納されたものですが、ロウソクに火を灯すと燭台が自然に回転するそうです。
    この燭台をよく見ると、徳川家の家紋「三つ葉葵」の上下が、何と逆になっています!
    幕府も、オランダ人が製作したものなので悪意はなかったとして、お咎めなしで受け取りました。

  • 鼓楼の先にある「本地堂」は東照宮最大の建物で、明治の神仏分離の際、輪王寺の管轄になったため、お寺です。<br />薬師如来を祀っていることから薬師堂とも呼ばれます。<br />「鳴龍」で有名だった創建時の建物は、昭和36年に失火で焼失し再建されましたが、狩野探幽の弟・安信が描いた龍の天井画も焼けたため、日本画家・堅山南風(1887~1980)によって復元されました。

    鼓楼の先にある「本地堂」は東照宮最大の建物で、明治の神仏分離の際、輪王寺の管轄になったため、お寺です。
    薬師如来を祀っていることから薬師堂とも呼ばれます。
    「鳴龍」で有名だった創建時の建物は、昭和36年に失火で焼失し再建されましたが、狩野探幽の弟・安信が描いた龍の天井画も焼けたため、日本画家・堅山南風(1887~1980)によって復元されました。

  • 縦6m、横15mの巨大な龍の天井画の下で拍子木を打つと、「カァーン!」と高い音が床に反響した後、「リリリリ~ン!」と鈴のような音が暫く響きました・・・まるで龍の鳴き声のように聞こえるこの音が「鳴龍」です。<br />明治38年に東照宮内部の一般公開を始めた頃、掃除をしていた職員が、天井に棲みついた鳩を追い出すために手を叩いたら音が反響したためこの事に気付き、瞬く間に「鳴龍」の噂が広まりました。<br />鳴龍の仕組みは、鳴龍の顔の部分が6センチほど凹み、床と凹みの間で音が反響するからです。(写真はHPより)

    縦6m、横15mの巨大な龍の天井画の下で拍子木を打つと、「カァーン!」と高い音が床に反響した後、「リリリリ~ン!」と鈴のような音が暫く響きました・・・まるで龍の鳴き声のように聞こえるこの音が「鳴龍」です。
    明治38年に東照宮内部の一般公開を始めた頃、掃除をしていた職員が、天井に棲みついた鳩を追い出すために手を叩いたら音が反響したためこの事に気付き、瞬く間に「鳴龍」の噂が広まりました。
    鳴龍の仕組みは、鳴龍の顔の部分が6センチほど凹み、床と凹みの間で音が反響するからです。(写真はHPより)

  • 2つ目の階段を登り、いよいよ陽明門へ。<br />「日光を見ずして結構というなかれ」・・・かつて日光東照宮を訪れた人が、陽明門の素晴らしさを称えたのでしょう。

    2つ目の階段を登り、いよいよ陽明門へ。
    「日光を見ずして結構というなかれ」・・・かつて日光東照宮を訪れた人が、陽明門の素晴らしさを称えたのでしょう。

  • 40年振りの大修理が終わった陽明門は、白・黒・金の背景に極彩色の彫刻が一層鮮やかに蘇りました。<br />この門の前で「日が暮れるまで見ていても飽きない」と言ったのは徳川家光で、後世に「日暮し門」と呼ばれるようになりました。

    40年振りの大修理が終わった陽明門は、白・黒・金の背景に極彩色の彫刻が一層鮮やかに蘇りました。
    この門の前で「日が暮れるまで見ていても飽きない」と言ったのは徳川家光で、後世に「日暮し門」と呼ばれるようになりました。

  • 左右に安置された陽明門の守護神「随身」。<br />袴に桔梗紋があるので、明智光秀かな(?)<br />しかもこの随身像は、家康の干支である「虎」を尻に敷いており、謎に包まれています。

    左右に安置された陽明門の守護神「随身」。
    袴に桔梗紋があるので、明智光秀かな(?)
    しかもこの随身像は、家康の干支である「虎」を尻に敷いており、謎に包まれています。

  • 豪華絢爛な陽明門ですが、唐子・聖賢などの彫刻も見どころ。<br />陽明門には156人、唐門には64人の人物が彫刻されています。<br />瑚粉塗りの柱、黒漆塗りの屋根など、豪華絢爛な陽明門ですが、一日見ても飽きないと言われる所以は、建物だけでなくこの彫刻にあるのでしょう。

    豪華絢爛な陽明門ですが、唐子・聖賢などの彫刻も見どころ。
    陽明門には156人、唐門には64人の人物が彫刻されています。
    瑚粉塗りの柱、黒漆塗りの屋根など、豪華絢爛な陽明門ですが、一日見ても飽きないと言われる所以は、建物だけでなくこの彫刻にあるのでしょう。

  • 陽明門の正面にある7つの「聖賢」の彫刻のうち、4つは「琴棋書画(きんきしょが)」を描いています。<br />「琴棋書画」とは「琴・囲碁・書(書道)・絵画」を指し、中国ではこの4つの見識が備わっている為政者が理想とされました。<br />これは「君子の四芸・琴」・・・膝の上の琴を弾いている姿。

    陽明門の正面にある7つの「聖賢」の彫刻のうち、4つは「琴棋書画(きんきしょが)」を描いています。
    「琴棋書画」とは「琴・囲碁・書(書道)・絵画」を指し、中国ではこの4つの見識が備わっている為政者が理想とされました。
    これは「君子の四芸・琴」・・・膝の上の琴を弾いている姿。

  • 「君子の四芸・棋」・・・囲碁をやっている様子。<br />こんな風景も、世の中が平穏であればこそ・・・家康の願いだったのでしょう。

    「君子の四芸・棋」・・・囲碁をやっている様子。
    こんな風景も、世の中が平穏であればこそ・・・家康の願いだったのでしょう。

  • 「君子の四芸・絵画」<br />

    「君子の四芸・絵画」

  • 「周公聴訴」・・・洗髪中でも人が訪ねてくれば中断して訴えを聞いた周公。<br />周公は古代中国の優秀な政治家で、理想とされる人物(人格者)を彫刻で示したものと言われています。<br />下の白い唐獅子は東照宮の守護獣で、金も使われている豪華版。

    「周公聴訴」・・・洗髪中でも人が訪ねてくれば中断して訴えを聞いた周公。
    周公は古代中国の優秀な政治家で、理想とされる人物(人格者)を彫刻で示したものと言われています。
    下の白い唐獅子は東照宮の守護獣で、金も使われている豪華版。

  • 「訴人」・・・周公の右側にある彫刻で、民が頭をかがめて何かを訴えています。

    「訴人」・・・周公の右側にある彫刻で、民が頭をかがめて何かを訴えています。

  • 陽明門の上層の高欄(手摺り)の彫刻は「唐子の知恵遊び」と呼ばれ、子供の遊びや躾が主題になっています。<br />●右側は「孟母三遷」・・・子供が勉強をするようにと環境のよい場所を探して三度も引っ越したという孟子の母の話。<br />●左側は「お祭」・・・笛を吹き、太鼓を鳴らしています。

    陽明門の上層の高欄(手摺り)の彫刻は「唐子の知恵遊び」と呼ばれ、子供の遊びや躾が主題になっています。
    ●右側は「孟母三遷」・・・子供が勉強をするようにと環境のよい場所を探して三度も引っ越したという孟子の母の話。
    ●左側は「お祭」・・・笛を吹き、太鼓を鳴らしています。

  • ●右側は「司馬温公の瓶割」・・・中国北宋の政治家・司馬温公は子供の頃、水瓶に落ちた友達を救うため、石で大切な瓶を割ったが、父親は温公を叱らずに誉めて、生命の大切さを教えたという故事で、命の尊さを表現した彫刻。<br />●中央は「鬼ごっこ」・・・ ” ことろことろ ” の遊びのようです。<br />●左側は「竹馬遊び」。

    ●右側は「司馬温公の瓶割」・・・中国北宋の政治家・司馬温公は子供の頃、水瓶に落ちた友達を救うため、石で大切な瓶を割ったが、父親は温公を叱らずに誉めて、生命の大切さを教えたという故事で、命の尊さを表現した彫刻。
    ●中央は「鬼ごっこ」・・・ ” ことろことろ ” の遊びのようです。
    ●左側は「竹馬遊び」。

  • ●右側は「舞踊」<br />●左側は「ジャンケン」

    ●右側は「舞踊」
    ●左側は「ジャンケン」

  • これらの唐子の知恵遊びや、中国の故事・逸話をモチーフにした彫刻は、戦いのない平和な世の中を作りたいという家康の理想を表したものでしょう。

    これらの唐子の知恵遊びや、中国の故事・逸話をモチーフにした彫刻は、戦いのない平和な世の中を作りたいという家康の理想を表したものでしょう。

  • 陽明門通路の天井には、狩野探幽作の「昇り龍」と「降り龍」が描かれています。<br />昇り龍は「八方睨みの龍」降り龍は「四方睨みの龍」とも呼ばれます。

    陽明門通路の天井には、狩野探幽作の「昇り龍」と「降り龍」が描かれています。
    昇り龍は「八方睨みの龍」降り龍は「四方睨みの龍」とも呼ばれます。

  • 陽明門を抜けた左側にある金の「唐獅子」・・・これは角がないので狛犬ではなく唐獅子だそうです。(造立年:大正7年)

    陽明門を抜けた左側にある金の「唐獅子」・・・これは角がないので狛犬ではなく唐獅子だそうです。(造立年:大正7年)

  • 陽明門には12本の柱があり、胡粉が塗られた渦巻き文様の「グリ紋」と呼ばれる地紋と鳥獣・草花が彫られた白い柱で支えています。<br />右側の唐獅子の所にある柱は「魔除の逆柱」と呼ばれ、この柱だけグリ紋が下向きになっています。<br />これは「満つれば欠ける」という諺にならったもので、完成は崩壊の始まりを意味することから、敢えて未完成状態にした魔除けで、社殿の中にも2本あるとの事・・・東照宮はまだ完成していないのです。

    陽明門には12本の柱があり、胡粉が塗られた渦巻き文様の「グリ紋」と呼ばれる地紋と鳥獣・草花が彫られた白い柱で支えています。
    右側の唐獅子の所にある柱は「魔除の逆柱」と呼ばれ、この柱だけグリ紋が下向きになっています。
    これは「満つれば欠ける」という諺にならったもので、完成は崩壊の始まりを意味することから、敢えて未完成状態にした魔除けで、社殿の中にも2本あるとの事・・・東照宮はまだ完成していないのです。

  • 陽明門をくぐって左側にある「神輿舎(しんよしゃ)」には、春秋渡御祭に使われる3基の神輿が納められています。<br />中央の神輿は主祭神・徳川家康、右は豊臣秀吉、左は源頼朝の神輿。<br /> 神輿の上で天女が優雅に舞う天井画も見どころの一つ。

    陽明門をくぐって左側にある「神輿舎(しんよしゃ)」には、春秋渡御祭に使われる3基の神輿が納められています。
    中央の神輿は主祭神・徳川家康、右は豊臣秀吉、左は源頼朝の神輿。
    神輿の上で天女が優雅に舞う天井画も見どころの一つ。

  • 陽明門を出て正面にあるのが、社殿の正門にあたる「唐門」。<br />東照宮では絢爛豪華な陽明門が圧倒的に有名ですが、美しさという面では、この唐門の方が上かも(?)<br />全体が胡粉で白く塗られて中国風の細かい彫刻が施され、白い柱に這う茶色の龍の意匠など、うっとりするような美しさです。<br />この門は、江戸時代には将軍に拝謁できる身分の幕臣・大名だけがくぐることを許され、今も大きな祭典と国賓相当の参拝者の時しか開くことはないそうです。

    陽明門を出て正面にあるのが、社殿の正門にあたる「唐門」。
    東照宮では絢爛豪華な陽明門が圧倒的に有名ですが、美しさという面では、この唐門の方が上かも(?)
    全体が胡粉で白く塗られて中国風の細かい彫刻が施され、白い柱に這う茶色の龍の意匠など、うっとりするような美しさです。
    この門は、江戸時代には将軍に拝謁できる身分の幕臣・大名だけがくぐることを許され、今も大きな祭典と国賓相当の参拝者の時しか開くことはないそうです。

  • 唐門の屋根の上には、昼を守る霊獣の竜が左右に、夜を守る霊獣の恙(つつが:唐獅子の一種)が正面にいます。<br />真上から辺りを見下ろしている恙は、虎よりも凶暴な生き物で、霊獣の中でも最強クラス・・・4本の足に金の嵌め輪が嵌められているのは、飛びかからないように足を抑えておく必要があったからです。<br />その凶悪ぶりから災害や病気など害悪の象徴とされ、「恙なく=つつがなく:悪い事の無い平和な状況」の語源になりました。

    唐門の屋根の上には、昼を守る霊獣の竜が左右に、夜を守る霊獣の恙(つつが:唐獅子の一種)が正面にいます。
    真上から辺りを見下ろしている恙は、虎よりも凶暴な生き物で、霊獣の中でも最強クラス・・・4本の足に金の嵌め輪が嵌められているのは、飛びかからないように足を抑えておく必要があったからです。
    その凶悪ぶりから災害や病気など害悪の象徴とされ、「恙なく=つつがなく:悪い事の無い平和な状況」の語源になりました。

  • 唐門には611もの彫刻が施され、その中で人物の彫刻は6体・64人います。<br />その中の一つが唐破風にある「舜帝朝見の儀」の彫刻で、正月元日に舜帝が沢山の役人達から新年の挨拶を受けている場面を表しています。<br />舜帝の時代は、中国で最も国が治まった時期で、徳川幕府も舜帝の治世を目指そうとしたためか、舜帝の顔が家康に似せて作られています。<br />因みに「平成」の元号は、舜帝が残した「内平外成」の言葉からとったもので、「内平らかに外成る」とは、舜帝が優秀な人材を登用して政治に力を入れた結果、国がよく治おさまったことを表す言葉です。

    唐門には611もの彫刻が施され、その中で人物の彫刻は6体・64人います。
    その中の一つが唐破風にある「舜帝朝見の儀」の彫刻で、正月元日に舜帝が沢山の役人達から新年の挨拶を受けている場面を表しています。
    舜帝の時代は、中国で最も国が治まった時期で、徳川幕府も舜帝の治世を目指そうとしたためか、舜帝の顔が家康に似せて作られています。
    因みに「平成」の元号は、舜帝が残した「内平外成」の言葉からとったもので、「内平らかに外成る」とは、舜帝が優秀な人材を登用して政治に力を入れた結果、国がよく治おさまったことを表す言葉です。

  • 唐門の左右に透塀があり、左側の門柱と透塀の境にある鶴のデザインは、日本航空のマークになっています(?)<br />これは右向きで、JALは左向きですが、本当にJALのロゴ「鶴丸」にそっくり。

    唐門の左右に透塀があり、左側の門柱と透塀の境にある鶴のデザインは、日本航空のマークになっています(?)
    これは右向きで、JALは左向きですが、本当にJALのロゴ「鶴丸」にそっくり。

  • (上の写真)JALマークの下には寄木で作られた「昇龍」。<br />(下の写真)右側の柱には「降龍」・・・こちらにもJALマークがあります。

    (上の写真)JALマークの下には寄木で作られた「昇龍」。
    (下の写真)右側の柱には「降龍」・・・こちらにもJALマークがあります。

  • 本殿の右側にある「祈祷殿」・・・結婚式や初宮などの祈祷が行われます。<br />祈祷殿の先に、あの「眠り猫」があり、奥宮の入口へ続いています。

    本殿の右側にある「祈祷殿」・・・結婚式や初宮などの祈祷が行われます。
    祈祷殿の先に、あの「眠り猫」があり、奥宮の入口へ続いています。

  • 陽明門の左右には、社殿を囲むように廻廊が設けられ、牡丹・竹・梅・孔雀・鷲などの彫刻で埋められています。<br />彫刻は平面的な絵でなく立体的な「透かし彫り」で、動物が飛び出してくるような迫力があり、さらに驚くことに、東西回廊の彫刻はすべて一枚板から彫られています。

    陽明門の左右には、社殿を囲むように廻廊が設けられ、牡丹・竹・梅・孔雀・鷲などの彫刻で埋められています。
    彫刻は平面的な絵でなく立体的な「透かし彫り」で、動物が飛び出してくるような迫力があり、さらに驚くことに、東西回廊の彫刻はすべて一枚板から彫られています。

  • 東廻廊にある「坂下門」の蟇股に彫られた「眠り猫」は、縦:約15㎝、横:約20㎝と小さいので、見落とさないように ” 眠り猫 ⇒ 頭上 ” の紙が貼られています。

    東廻廊にある「坂下門」の蟇股に彫られた「眠り猫」は、縦:約15㎝、横:約20㎝と小さいので、見落とさないように ” 眠り猫 ⇒ 頭上 ” の紙が貼られています。

  • 左甚五郎作と伝えられる「眠り猫」・・・牡丹の花に囲まれて日の光を浴び、うたた寝をしているところから ” 日の光=日光 ” と恒久平和を表現したと考えられます。<br />また、小さいながらも、主人・家康公が永眠する奥社に近づく妖しい者には、いつでも飛びかかれるように奥社を守護しています。

    左甚五郎作と伝えられる「眠り猫」・・・牡丹の花に囲まれて日の光を浴び、うたた寝をしているところから ” 日の光=日光 ” と恒久平和を表現したと考えられます。
    また、小さいながらも、主人・家康公が永眠する奥社に近づく妖しい者には、いつでも飛びかかれるように奥社を守護しています。

  • 「眠り猫」の裏側は「雀」の彫刻。<br />これは、小鳥の天敵である猫が眠っていると、弱い小鳥も安心して遊べるということを表現しており、「猫が眠りにつくほど徳川の時代が平和であり、この平和が末永く続くであろう」という意味が込められています。

    「眠り猫」の裏側は「雀」の彫刻。
    これは、小鳥の天敵である猫が眠っていると、弱い小鳥も安心して遊べるということを表現しており、「猫が眠りにつくほど徳川の時代が平和であり、この平和が末永く続くであろう」という意味が込められています。

  • 「眠り猫」を観た後は、207段の長い階段を登り「奥宮」へ。

    「眠り猫」を観た後は、207段の長い階段を登り「奥宮」へ。

  • 「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」・・・家康の「東照宮遺訓」は説得力があります。

    「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くが如し 急ぐべからず」・・・家康の「東照宮遺訓」は説得力があります。

  • 「奥宮」は家康公が眠る、東照宮で最も神聖な場所で、元来、歴代徳川将軍しか立ち入ることができなかった場所です。<br />昭和40年に執り行われた「日光東照宮・三百五十年式年大祭」を記念して、一般公開されるようになりました。<br />石段前にある左右の狛犬は、家康の遺臣(松平正綱・秋元但馬守)から奉納されたもの。

    「奥宮」は家康公が眠る、東照宮で最も神聖な場所で、元来、歴代徳川将軍しか立ち入ることができなかった場所です。
    昭和40年に執り行われた「日光東照宮・三百五十年式年大祭」を記念して、一般公開されるようになりました。
    石段前にある左右の狛犬は、家康の遺臣(松平正綱・秋元但馬守)から奉納されたもの。

  • 拝殿は、奥の宝塔に眠る「神となった家康公」に祈りを捧げるための場所。

    拝殿は、奥の宝塔に眠る「神となった家康公」に祈りを捧げるための場所。

  • 「眠り猫」の絵馬。

    「眠り猫」の絵馬。

  • 宝塔の手前にある「鋳抜門」・・・狛犬が墓前を守護しています。

    宝塔の手前にある「鋳抜門」・・・狛犬が墓前を守護しています。

  • 家康の墓「宝塔」は、高さ5m。<br />当初の木造から石造に代わりましたが、1683年の地震で破損したため、現在の唐銅製に造り替えられました。<br />宝塔の脇には、パワースポットとして人気がある樹齢約600年の「叶杉」。

    家康の墓「宝塔」は、高さ5m。
    当初の木造から石造に代わりましたが、1683年の地震で破損したため、現在の唐銅製に造り替えられました。
    宝塔の脇には、パワースポットとして人気がある樹齢約600年の「叶杉」。

  • 奥宮からバスに戻る途中、三猿の彫刻がある「神厩舎」の左側に聳え立つ高野槇(コウヤマキ)にも参拝。<br />高野槇は悠仁親王のお印と定められ注目を浴びましたが、特に手入れをしなくても狭円錐形の非常に整った樹冠を形成し、品格がある樹形は世界三大庭園樹になっています。<br />高野山に多く自生する高野槇は水に強くて朽ちにくいことから、現在でも湯船や橋などに使われています。

    奥宮からバスに戻る途中、三猿の彫刻がある「神厩舎」の左側に聳え立つ高野槇(コウヤマキ)にも参拝。
    高野槇は悠仁親王のお印と定められ注目を浴びましたが、特に手入れをしなくても狭円錐形の非常に整った樹冠を形成し、品格がある樹形は世界三大庭園樹になっています。
    高野山に多く自生する高野槇は水に強くて朽ちにくいことから、現在でも湯船や橋などに使われています。

  • 東照宮には杉の巨木が沢山ありますが、この高野槇は樹齢370年、樹高38m、幹周は4.5mほどある立派な大きさで、三代将軍・家光のお手植えだと伝えられています。

    東照宮には杉の巨木が沢山ありますが、この高野槇は樹齢370年、樹高38m、幹周は4.5mほどある立派な大きさで、三代将軍・家光のお手植えだと伝えられています。

  • 由緒ある高野槇の「木」から「気」を頂いて、神聖な気持ちで日光東照宮を後にしました。<br />今回はジックリと東照宮を見学でき、今まで知らなかった新しい発見も沢山ありました・・・また機会があれば訪れてみたい世界遺産ですね。

    由緒ある高野槇の「木」から「気」を頂いて、神聖な気持ちで日光東照宮を後にしました。
    今回はジックリと東照宮を見学でき、今まで知らなかった新しい発見も沢山ありました・・・また機会があれば訪れてみたい世界遺産ですね。

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