2019/06/14 - 2019/06/14
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ばねおさん
シトロエン車の誕生100周年記念イベントに偶然遭遇した。
場所はパリ15区メトロ10号線シャルルミシェル(Carles Michels)駅にほど近い
ボーグルネル(Beaugrenelle)前のリノワ通り。
近くの郵便局で知人と落ち合い、昼食を共にして別れたあと
ボーグルネルに向かう途中で出会ったもの。
路上に珍しい車があるのに目が留まり
立ち止まってよく見ようとしたところ
前後の車両も珍品揃い
おやまあよくこんなものがと思いつつ、あたりをみると
片側2車線のひとつをつぶして、クラシックカーがずらりと並べられていた
しかも反対車線側にも同じように珍しい車が並んでいる
クラシックカーマニアの集会か、と思いきや
これがシトロエン車誕生100周年記念イベントであることにようやく気がついた
クラシックカーばかりではないことはしばらくして分かったが
100週年にかけてシトロエンを代表する100台が集合している様は見ごたえがあった。
本来なら博物館に陳列されているような多くの名車が
一日に何度も通り雨のあるパリの公道に並べられ
道行く人々が興味の赴くままに覗きこんでいく、という方法も大胆なものだ
特にシトロエンファンというわけではないので詳しくは語れないが
マニアにとってはおそらく滅多に目にすることのできない垂涎の光景であったろう
3日間限定のイベントの初日、まだ展示開始間もない時間に行き会えたことも幸運だった
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
展示された100台すべてを写真に収めたわけではないが
最初と最後だけは押さえておいた
これがシトロエンの第一号
1919年に製造されたタイプA -
その後ろ姿
何というか
風情がありますね -
次いで1923年のB2という車
とりあえず年代順に追ってみたのだが
全部を並べるわけにもいかないので
自分の興味中心にピックアップしてみた -
B2の後部にLANDAULETと書かれてあるので
あとで辞書で調べたら
「後部座席にだけ開閉自在の幌がある形の車」を意味しているらしい -
案内表示をみると
これは1924年のC3HP -
1925年 B2
-
1927年 B14
ラジエターグリルの上には
シトロエンのシンボルマーク「ダブルシェブロン」 -
1928年
C4 DEPANNEUSE
すなわちレッカー車 -
1929年
C6 -
1931年
C6G -
1932年
C4 -
1934年
TRACTION AVANT 7 -
1938年
TRACTION AVANT 11 -
シトロエンといえば何といっても2CV(deux chevaux=2頭立て=2馬力)
この独特な容姿は、当初ずいぶんと物笑いの種にされたようだ。
それが次第に受け入れられたのには
やはり優れた設計思想が時代のニーズに合致し
特に経済性と踏破力に抜きんでたものがあったからなのだろう
フランス人にとっても奇妙な姿形に最初は戸惑ったということで
ちょっと安心する思いがする -
1950年の2CV
-
その後部座席には笊に入れられた生卵が置かれていた。
(写真では車外風景が映り込んでいて見にくいが)
2CVの設計を命じた当時のシトロエン経営者ピエール・ブーランジェの
逸話がある。
彼は南仏で農民たちが19世紀と変わらぬ方法
すなわち牛馬で運搬作業をしている姿をみて
農民向けの簡素で実用的な車を開発しようと思い立った。
設計にあたっての基本原則をいくつか示したのだが
そのひとつが「かごいっぱいの生卵を積んで悪路を走っても、ひとつの卵も割れないこと」であった。
この展示はそのことを物語っている。 -
何と!弾痕の跡が生々しい2CVがあった。
-
横っ腹には007の文字
ボンドカー?
どうやら「ボンドカー」としての位置づけではなく
ボンドガールの愛車という設定で
映画ではカーチェイスに活躍したとのこと -
ダカールラリーにも参戦したのだろうか
2CV 6 AFRIQUE -
1985年
2CV CROSS -
本格的なラリー車も勢ぞろい
モータースポーツ本場の面目躍如 -
たぶん好きな人にはたまらんのでしょうね
-
シトロエンには鼻先の長い流線形というイメージもありますね
1974年ID 19 -
こちらは憲兵隊仕様の2ドア車両
日本の道路では角を曲がるのに苦労しそうな鼻の長さ -
1975年
DS 20 BREAK
たしかDSというシリーズには
大統領専用車があったはず -
1974年製 H型
こちらは警察車両としての仕様
POLICEの文字と青色灯
そいうえばこの頃は白黒ツートンが警察車両だった -
POLICEカーの前では
当時の警察官のいでたちで
不審者訊問中
何とも念の入ったことです -
誰がみても分かるだろうが
これは消防車
1967年製
CAMION BELPHEGOR -
1950年代から1960年代にかけての展示車両付近では
当時の新聞売りに扮した人物が
見物客を巻き込んでのパフォーマンス -
シトロエンが経営不振に陥って
立て直しに登場したのがミッシュラン
H型車両の前方屋根に鎮座しているのは
ミッシュランマンことムッシュビバンダ
後ろに並んでいるのは
1978年 MEHARI -
この色、そしてこれも独特な形のムッシュビバンダ
どこからみてもミッシュラン満載 -
1941年製 TUB
のちにH型として発展した原型がこれであるとのこと -
現代車両をほとんど省略して
2008年
GTbyシトロエン -
最後に2台のコンセプトカー
こちらはAMI ONEと名付けられている -
AMIとは対照的な形状の
19_19
名称もユニーク
これで締めくくり -
追加で一台
こちらもかってのコンセプトカー
年代をみて驚いた
1956年 C10とある
アルミニウム製で382㎏
4人乗りで時速100㎞であるそうな
今の安全基準には適合しないだろうが -
三色旗をたすき掛けにして15区の区長も姿を見せた
イベントがこの場所で行われるには意味がある
「BORN PARIS XV」と書かれたステッカーがあちらこちらに掲示されていたが
シトロエン車はここからほど近いパリ15区Javal通り沿いの工場から生まれたのだ
通りの名はその後創業者の功績を讃えてアンドレ・シトロエン通りとなり
Javalの地名はミラボー橋近くの駅名に残っている -
シトロエンの工場跡地は広大なアンドロ・シトロエン公園となって市民の憩いの場となっている
中央にあるのは見学者を乗せ高度150mまで上がる気球
通りに名を刻み、公園にその名を冠しているシトロエンの評価は産業の功績だけではなく、おそらく第2次大戦中の行いにも由来するのだろう
ナチス・ドイツに占領されたパリにおいて、占領軍の命の下に置かれたシトロエンは計画的なサボタージュと欠陥車の提供という形で会社を挙げてレジスタンス行動をとった。
同じ自動車メーカーのルノーが自社の利益のみを考えて、積極的にナチスに協力したこととまさに対照的である。
大戦後、ルノーの経営者は投獄され、会社は国有化されたので過去と現在とは切り離されているのだが、それぞれにこうした歴史があったことはいつまでも残るだろう。
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