2019/06/04 - 2019/06/04
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belleduneさん
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初めて修善寺を歩いて来ました。夏目漱石が泊まったという「菊屋」はどんな旅館かなと思っていたら、なんと改修中でした。買収されたのか、単なる改修中が分からないけれど、残念でした。でも、そこから歩いて行くと、美味しいと評判の蕎麦屋があり、順番待ちに記入して暫し、待っていたのですが、結局タイムアウトで食べられず、次回の楽しみにしました。
しばらく歩くと、なんと「あさば」がありました。門構えも格調があり、いつか泊まってみたいと思わせるような旅館でした。玄関から見ると、広間の向こうに池があり、その向かいに能舞台「月桂殿」がありました。旧大聖寺藩主・前田利芲(としか*かの漢字がないので仕方なくこの字を当てています)子爵ゆかりの能舞台を明治後期に浅羽保右衛門によって移築されました。先祖の浅羽弥九郎幸忠が延徳元年(1489)に修善寺曹洞宗開山のために、隆渓繁詔禅師の隋将として修善寺を訪れました。堂守の側の門前に開いた宿坊がこの宿の始まりだということです。
- 旅行の満足度
- 4.5
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旅館「菊屋」は只今改修中でした。かの夏目漱石が明治43年(1910)に胃潰瘍のため転地療養していた旅館でした。
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こちらが旅館「菊屋」玄関です。
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暫く行くと、日枝神社がありました。修善寺の鬼門にあたり、弘法大師の建立だそうです。元は、修善寺の山王社でした。
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子宝の杉
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修善寺の八塔司(はったっす)の一つである信功院のあったところだそうです。建久4年(1193)、源範頼は兄の頼朝の誤解によって、この信功院に幽閉されました。翌年、梶原景時が率いる500驥の不意打ちに遭い、自害したと言われています。信功院は後に庚申塚となり、現在では、文政元年(1818)建立の一基が残るのみとなっています。
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修善寺へやって来ました。
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修善寺
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修善寺寒桜
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慈照閣前の十五羅漢像
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慈照閣
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一石庵でちょっと一休みしたかったのですが、休日でした。
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湯掛け稚児大師
前の川の中にある独鈷の湯は、その昔、孝行者の息子が年老いた父の背中を川で流してやっているのをご覧になった弘法大師は水では冷たかろうと持っていた独鈷で岩を掘ったところ、湧き出したものと言われています。願いを込めて、お湯をかけてあげてください、とありました。 -
熊野権現をお祀りしてあります。
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蕎麦処「朴念仁」は美味しいと評判だったので、是非食べたかったのですが、混んでいて、諦めました。次回の楽しみにします。
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2階でも食べられます。
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旅館「あさば」にやって来ました。いつか泊まってみたい旅館です。
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Relais & Chsteaux の印が付いているのは、高級旅館の格が高いのです。
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こちらが玄関です。
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玄関を入ると大広間のようなエントランスホールが広がっています。
その向こうに池があり、能舞台も見えます。 -
声を掛けても、応対がないため、暫く待っているとスタッフの方が見え、パンフレットを頂きました。検索すると、季節によって、能、狂言、新内流しなどが催され、人気があるため、予約は難しそうです。
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頂いたパンフレットの写真ですが、あまりに素晴らしい景色なので、アップします。
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能舞台「月桂殿」をやや上から見たところ
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この能舞台では、このように結婚式を挙げることができます。ちょっと羨ましい...
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和室ですが、椅子やベッドを設えもあります。
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1階のサロンです。ガラッと雰囲気の変わる場所ですね。青紅葉の頃が良いですね。
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赤蛙公園
作家島木健作は昭和19年秋に胸部疾患の療養で、修善寺に滞在していた折、カエルが向こう岸へ渡ろうと、一生懸命泳いでは溺れを繰り返し、遂に力尽きて、渦に飲またのを見て、死期が近い自分のことのように思い、共感しました。帰京後、短編「赤蛙」を書き、彼の死後の昭和21年に「赤蛙」を発表しました。
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