サンパウロ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
17年11月15日(水)朝、サンパウロ(Sao Paulo)GRU空港に到着、空港内で朝食を食べた後、まずはホテルに向かう。翌日の出発便が早いので、空港の近くのホテルを取った。この空港は敷地内にホテルは無いものの、空港周辺に国際チェーンなどのホテルが複数ある。ただし、歩いて行けるような場所ではないため、車での移動になる。今回はその中から国際チェーンではないが、ブラジル国内に複数ホテルを持つホテラリアブラジル(hotelariaBrasil)チェーンのホテルマティス グァルーリョス アエロポルト(Hotel Matiz Guarulhos Aeroporto)に泊る。空港から7㎞あるが、無料のシャトルバスが24時間運行されている。<br /><br />事前にホテルとやり取りしてシャトルバスの時間と乗り場を確認していたので、9:35のバスに乗り、10時前にホテルに到着。英語も通じるし、なかなかいい感じのホテル。スーツケースを預けてすぐに出掛けようと思っていたが、少し待てば部屋にチェックイン出来ると云うので、予定変更。しばし待って部屋に入る。部屋も広くてなかなかきれい。この旅が終わってから思ったのだが、この旅で唯一、これまで海外出張で泊ってたホテルのレベルで、一番良かった。この時はそんなこと知る由もなし。ちなみに宿泊費はビュッフェスタイルの朝食付きで約200R$(7千円強)とリーズナブルだった。<br /><br />ただ、ここは今回泊ったところで一番最初に予約したのだが、キャンセル時の払い戻しが出来ないタイプの予約にしてしまって、出発直前にサンパウロへ飛ぶフライトの一部が運休となって、代替えコースを考えた時に、結構ネックになった。最終的には、サンパウロ自体には同じ便で到着することになったが、一時はサンパウロをパスしようかとも考えて、7千円捨てる覚悟もしていたので、結果オーライで良かった。<br /><br />10:40のシャトルバスで空港に戻る。サンパウロ市内に向かうのだが、この時点ではタクシー以外ではリムジンバスしかなかった。この4か月半後の18年3月末に元々05年開通予定で工事が始まったサンパウロ都市圏鉄道(CPTM:Companhia Paulista de Trens Metropolitanos)による空港連絡鉄道が13年遅れで開通し、空港ターミナルから無料シャトルバスで空港駅に連絡しているそうだ。ただし、市内のターミナル、ルス(LUZ)駅との直通は4往復と少なく、この駅周辺の治安は大変悪いそうなので、バスが無難かも。<br /><br />空港の第2ターミナルに戻り、ちょっとリムジンバスの切符売り場に迷ったが、11時過ぎには無事チケット購入。48.8R$なので、1800円近くは結構なお値段。ヘプブリカ広場(Praca da Republica)行とパウリスタ通り(Avenida Paulista)行の2路線があるが、11時20分発のヘプブリカ広場行に乗車。この時点では工事中だった空港連絡鉄道と共に南に進むと高速道路SP-070号線に入るが、この道はアイルトン・セナ高速道路(Rodovia Ayrton Senna)と呼ばれている。82年に開通したこの高速は、元々は「トラバリャドーレス(=労働者)高速道路(Rodovia dos Trabalhadores)」と呼ばれていたが、94年のセナの事故死の後に彼の功績を称えて改称された。<br /><br />市内に近づくと高層ビルが見えて来る(表紙の写真)。市の人口は1100万人以上、周辺都市部含むと2000万人を越える、ブラジルのみならず南半球最大のメガシティで南米経済、文化の中心地の一つ。サンパウロ州の州都で、州も都市も共にSPで表記されることがある。ニューヨークのNY、NYと同じだ。町の名前はポルトガル語でキリスト教における聖人の1人である「聖パウロ」を意味する。漢字では「聖市」と表記される。残念ながら市内全地域が犯罪多発地域とも云える町でちょっと怖い。<br /><br />町の起源はイエズス会(Societas Iesu)宣教師団の一人ジョゼ・デ・アンシエタ(Jose de Anchieta)が1554年に創設した宣教村。その後1565年にサンパウロ市が創設された。町が成長をはじめるのは17世紀中頃に奥地探検隊バンデイランテス(Bandeirantes)の根拠地となってから。バンデイランテスはイエズス会の教化集落を襲撃し、奥地の開発を進め、金鉱の発見もあり、拠点としてサンパウロの重要性は徐々に上昇、1711年に正式に市に昇格した。1830年ごろにサンパウロ州内でのコーヒー栽培が始まってから、サンパウロはコーヒーの集散地として急速に発展を遂げ、労働力不足から各国からの移民が増え、国際化が進んだ。日本からも1908年の笠戸丸を皮切りに多くの人が移民し、日本人街を形成した。1960年には、同年に首都の座を離れたリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)の人口を超えブラジル最大の都市となった。<br /><br />気候は温暖湿潤気候で、1年を通じて変化に富み、夏は気温が摂氏30℃を越えることもある反面、冬は10℃以下に下がり霜がおりることもある。<br /><br />サンパウロFC(Sao Paulo Futebol Clube)、コリンチャンス(Corinthians)、パルメイラス(Sociedade Esportiva Palmeiras)などのサッカークラブが本拠地を構える町でもある。セルジオ越後(Sergio Echigo)はこの町の生まれでコリンチャンスでプレーした。私の高校から大学時代のブラジル代表の中心選手で、左足の魔術師と呼ばれたロベルト・リベリーノ(Roberto Rivelino)もこの町の出身で、コリンチャンスのセルジオの同期。元代表右サイドバックのカフー(Cafu)も市内育ちでサンパウロFC出身。歴代最高の左サイドバックと云われるロベルト・カルロス(Roberto Carlos da Silva Rocha)はサンパウロ市の出身でないがパルメイラスで名をあげた。また、かつてはペレ(Pele)が18年間プレーし、近年はネイマール(Neymar)が所属し、ブラジル選手権で最多優勝を誇るサントスFC(Santos Futebol Clube)はサンパウロの南東60㎞にあるサンパウロの外港都市であるサントス(Santos)にあり、サンパウロ市の3チームと併せてサンパウロのビッグ4と呼ばれている。2人ともサンパウロ市出身ではない。サントスFCはカズがプロデビューしたチームであり、その後彼はパルメイラスでもプレーした。<br /><br />市街地から南に20㎞ほどのインテルラゴス(Interlagos)では、F1のブラジルGP(Grande Premio do Brasil)が開催されている。セナの他、エマーソン・フィッティパルディ(Emerson Fittipaldi)、ルーベンス・バリチェロ(Rubens Goncalves Barrichello)、フェリペ・マッサ(Felipe Massa)もこの町の出身。<br /><br />ボサノヴァ(Bossa Nova)歌手の小野リサ(Lisa Ono)はこの町の生まれで10歳までサンパウロで育つ。アントニオ猪木(Antonio Inoki)は13歳から17歳まで移民一家として郊外の農場で育った。19年3月現在の財務大臣、副総理の麻生太郎元首相は政治家になる以前の実家の会社勤め時代の20代後半に1年間、この町に駐在していたと07年の外務大臣時代に語った。日系ブラジル人の約70%、約100万人が在住。私が日本で最後にしていた仕事関係のブラジルオフィスもこの町にあり、この夜、駐在の方と逢う予定。<br /><br />この町は、観光的な視点だとトップクラスの見どころはない。私の計画でも入ったりなくなったりしてたのだが、最終的には南米一の大都会なんだし、知ってる駐在員もこの町にしかいないし、ってことで来ることになった。結果的にはまあ行って良かったと思う。<br /><br /><br />さあ、その良かったと思う観光は次に続く。

ブラジル サンパウロ 空港から市内へ(To Sao Paulo from the airport, Brasil)

0いいね!

2017/11/15 - 2017/11/15

574位(同エリア605件中)

旅行記グループ サンパウロ

0

0

ちふゆ

ちふゆさん

17年11月15日(水)朝、サンパウロ(Sao Paulo)GRU空港に到着、空港内で朝食を食べた後、まずはホテルに向かう。翌日の出発便が早いので、空港の近くのホテルを取った。この空港は敷地内にホテルは無いものの、空港周辺に国際チェーンなどのホテルが複数ある。ただし、歩いて行けるような場所ではないため、車での移動になる。今回はその中から国際チェーンではないが、ブラジル国内に複数ホテルを持つホテラリアブラジル(hotelariaBrasil)チェーンのホテルマティス グァルーリョス アエロポルト(Hotel Matiz Guarulhos Aeroporto)に泊る。空港から7㎞あるが、無料のシャトルバスが24時間運行されている。

事前にホテルとやり取りしてシャトルバスの時間と乗り場を確認していたので、9:35のバスに乗り、10時前にホテルに到着。英語も通じるし、なかなかいい感じのホテル。スーツケースを預けてすぐに出掛けようと思っていたが、少し待てば部屋にチェックイン出来ると云うので、予定変更。しばし待って部屋に入る。部屋も広くてなかなかきれい。この旅が終わってから思ったのだが、この旅で唯一、これまで海外出張で泊ってたホテルのレベルで、一番良かった。この時はそんなこと知る由もなし。ちなみに宿泊費はビュッフェスタイルの朝食付きで約200R$(7千円強)とリーズナブルだった。

ただ、ここは今回泊ったところで一番最初に予約したのだが、キャンセル時の払い戻しが出来ないタイプの予約にしてしまって、出発直前にサンパウロへ飛ぶフライトの一部が運休となって、代替えコースを考えた時に、結構ネックになった。最終的には、サンパウロ自体には同じ便で到着することになったが、一時はサンパウロをパスしようかとも考えて、7千円捨てる覚悟もしていたので、結果オーライで良かった。

10:40のシャトルバスで空港に戻る。サンパウロ市内に向かうのだが、この時点ではタクシー以外ではリムジンバスしかなかった。この4か月半後の18年3月末に元々05年開通予定で工事が始まったサンパウロ都市圏鉄道(CPTM:Companhia Paulista de Trens Metropolitanos)による空港連絡鉄道が13年遅れで開通し、空港ターミナルから無料シャトルバスで空港駅に連絡しているそうだ。ただし、市内のターミナル、ルス(LUZ)駅との直通は4往復と少なく、この駅周辺の治安は大変悪いそうなので、バスが無難かも。

空港の第2ターミナルに戻り、ちょっとリムジンバスの切符売り場に迷ったが、11時過ぎには無事チケット購入。48.8R$なので、1800円近くは結構なお値段。ヘプブリカ広場(Praca da Republica)行とパウリスタ通り(Avenida Paulista)行の2路線があるが、11時20分発のヘプブリカ広場行に乗車。この時点では工事中だった空港連絡鉄道と共に南に進むと高速道路SP-070号線に入るが、この道はアイルトン・セナ高速道路(Rodovia Ayrton Senna)と呼ばれている。82年に開通したこの高速は、元々は「トラバリャドーレス(=労働者)高速道路(Rodovia dos Trabalhadores)」と呼ばれていたが、94年のセナの事故死の後に彼の功績を称えて改称された。

市内に近づくと高層ビルが見えて来る(表紙の写真)。市の人口は1100万人以上、周辺都市部含むと2000万人を越える、ブラジルのみならず南半球最大のメガシティで南米経済、文化の中心地の一つ。サンパウロ州の州都で、州も都市も共にSPで表記されることがある。ニューヨークのNY、NYと同じだ。町の名前はポルトガル語でキリスト教における聖人の1人である「聖パウロ」を意味する。漢字では「聖市」と表記される。残念ながら市内全地域が犯罪多発地域とも云える町でちょっと怖い。

町の起源はイエズス会(Societas Iesu)宣教師団の一人ジョゼ・デ・アンシエタ(Jose de Anchieta)が1554年に創設した宣教村。その後1565年にサンパウロ市が創設された。町が成長をはじめるのは17世紀中頃に奥地探検隊バンデイランテス(Bandeirantes)の根拠地となってから。バンデイランテスはイエズス会の教化集落を襲撃し、奥地の開発を進め、金鉱の発見もあり、拠点としてサンパウロの重要性は徐々に上昇、1711年に正式に市に昇格した。1830年ごろにサンパウロ州内でのコーヒー栽培が始まってから、サンパウロはコーヒーの集散地として急速に発展を遂げ、労働力不足から各国からの移民が増え、国際化が進んだ。日本からも1908年の笠戸丸を皮切りに多くの人が移民し、日本人街を形成した。1960年には、同年に首都の座を離れたリオデジャネイロ(Rio de Janeiro)の人口を超えブラジル最大の都市となった。

気候は温暖湿潤気候で、1年を通じて変化に富み、夏は気温が摂氏30℃を越えることもある反面、冬は10℃以下に下がり霜がおりることもある。

サンパウロFC(Sao Paulo Futebol Clube)、コリンチャンス(Corinthians)、パルメイラス(Sociedade Esportiva Palmeiras)などのサッカークラブが本拠地を構える町でもある。セルジオ越後(Sergio Echigo)はこの町の生まれでコリンチャンスでプレーした。私の高校から大学時代のブラジル代表の中心選手で、左足の魔術師と呼ばれたロベルト・リベリーノ(Roberto Rivelino)もこの町の出身で、コリンチャンスのセルジオの同期。元代表右サイドバックのカフー(Cafu)も市内育ちでサンパウロFC出身。歴代最高の左サイドバックと云われるロベルト・カルロス(Roberto Carlos da Silva Rocha)はサンパウロ市の出身でないがパルメイラスで名をあげた。また、かつてはペレ(Pele)が18年間プレーし、近年はネイマール(Neymar)が所属し、ブラジル選手権で最多優勝を誇るサントスFC(Santos Futebol Clube)はサンパウロの南東60㎞にあるサンパウロの外港都市であるサントス(Santos)にあり、サンパウロ市の3チームと併せてサンパウロのビッグ4と呼ばれている。2人ともサンパウロ市出身ではない。サントスFCはカズがプロデビューしたチームであり、その後彼はパルメイラスでもプレーした。

市街地から南に20㎞ほどのインテルラゴス(Interlagos)では、F1のブラジルGP(Grande Premio do Brasil)が開催されている。セナの他、エマーソン・フィッティパルディ(Emerson Fittipaldi)、ルーベンス・バリチェロ(Rubens Goncalves Barrichello)、フェリペ・マッサ(Felipe Massa)もこの町の出身。

ボサノヴァ(Bossa Nova)歌手の小野リサ(Lisa Ono)はこの町の生まれで10歳までサンパウロで育つ。アントニオ猪木(Antonio Inoki)は13歳から17歳まで移民一家として郊外の農場で育った。19年3月現在の財務大臣、副総理の麻生太郎元首相は政治家になる以前の実家の会社勤め時代の20代後半に1年間、この町に駐在していたと07年の外務大臣時代に語った。日系ブラジル人の約70%、約100万人が在住。私が日本で最後にしていた仕事関係のブラジルオフィスもこの町にあり、この夜、駐在の方と逢う予定。

この町は、観光的な視点だとトップクラスの見どころはない。私の計画でも入ったりなくなったりしてたのだが、最終的には南米一の大都会なんだし、知ってる駐在員もこの町にしかいないし、ってことで来ることになった。結果的にはまあ行って良かったと思う。


さあ、その良かったと思う観光は次に続く。

0いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ブラジルで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ブラジル最安 619円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ブラジルの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

PAGE TOP