2019/04/26 - 2019/05/07
189位(同エリア775件中)
子青さん
三国志関連の史跡訪問を主な目的に、四川省&陝西省へ行ってきました。
成都と西安の間は高鉄が通っているので、これを利用しながら、成都から西安方面へ移動しました;移動の都合で訪問順を決めたのですが、たまたま南から北へ向かうことになり、北伐と同じ方向となりました。
<日程>
1日目:移動(成田->重慶->成都)
2日目:成都市内(パンダ基地・洗面橋・武侯祠・金紗博物館・成都駅)
3日目:楽山大仏
4日目:広漢(ラク城・三星堆博物館)・徳陽(点将台・落鳳坡)
5日目:綿陽(西山公園・富楽山公園)
6日目:広元(剣門関)
7日目:広元(昭化古城・石門桟道)
8日目:勉県(武侯祠・馬超墓・古陽平関・武侯墓)・漢中(古虎頭橋・古漢台)
9日目:漢中(明月峡・拝将台)
10日目:岐山(諸葛亮廟)
11日目:西安市内(清真大寺・碑林博物館・興慶宮公園)
12日目:重慶(重慶洪崖洞・人民解放記念碑)・移動(重慶->成田)
本来の予定では、徳陽の旧綿竹城(土将台)へも寄るつもりでしたが、残念ながら行けませんでした。
ただ、蜀の重要な拠点(特に成都の武侯祠、綿陽のフ城、広元の剣門関、勉県の定軍山、岐山の五丈原)へ行けて大満足です。
また、三国志とは別ですが、楽山大仏、三星堆博物館、韓信の拝将台、西安興慶宮公園の阿倍仲麻呂碑も見られて充実した旅となりました。
旅行費用は、12日間で15万円、でした。
何かの参考になるかもしれないので、時刻と費用はなるべく書き込もうと思います。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- スプリングジャパン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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7:00 起床。外で鳥が鳴いています。部屋で簡単な朝食をとりました。
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7:45 見学に出ます。雨模様だったので、雨具の上着を着て出かけました。写真は宿の中庭です。
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先ずはすぐそばにある漢城壁遺祉。
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ここは城の南なので、昔の南側の城壁、ということですね。土を固めた土塁という感じです。この先は川(嘉陵江)です。
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ここから南方面を見ると、川(嘉陵江)を挟んで山が連なっています。陽が射して暑くなってきたので、いったんホテルに戻って着替えました。
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8:07 昭化漢城博物館。時間が早いので閉まっていました。
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入場は無料。博物館は普通無料ですが、三星堆は大人72元でした。
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8:11 臨清門着。
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城壁の上に上がります。
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城内の街並みです。まだ朝が早いので、観光客はまばらです。
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大砲のようなものが置かれていますが、ちょっと違和感があります。
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遠くに虎牢関とかかれた施設が見えます。虎牢関は洛陽の方にある関所なので、こことの関係は良く分かりません。単に名前を借りただけかも。
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8:27 城壁の上は途中で途切れていて、一周はできません。
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8:33 戦勝覇。演義によれば、成都にいる劉ショウの要請を受けて、漢中の張ロの命を受けた馬超が、葭萌関にいる劉備軍を攻めにやってきます。馬超は張飛と一騎討ちをしますが、互いに一歩も譲りません。このままではどちらか一方が討ち死にします。それを惜しんだ諸葛亮は、李カイを使いにやり、馬超を説き伏せて味方にしました。戦勝という言葉の意味は、張飛が馬超と戦って勝った、ということではなく、馬超を味方に付けることによって、劉備が劉ショウに勝った、ということなのだと思います。その後、劉備が成都の劉ショウを攻めた際、馬超が成都に入ると、劉ショウは恐れてすぐに降伏したと言われています。ところで、本来の戦勝覇はここではないようです。後で探しに行きます。
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8:33 剣門蜀道遺祉 昭化古城碑。剣門関を北上するとここに着く訳ですね。
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ここから先の道は戦勝街と名付けたようです。何となく荊州の二番煎じのような気がしますが。
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ただ道路は工事中でした。周囲は石を売る店が多いように思います。
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8:34 工事中の道を進むと、敬候祠があります。
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8:38 敬候祠着。
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ここに費イ墓があります。
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書道の見本のような書が掛かっています。
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これが費イですね。費イは、延煕14年(AD251年)にここ昭化(当時の名前は漢寿)に駐屯し、翌年幕府を開いています。ただ、延煕16年(AD253年)正月の宴会の場で酔いつぶれて、魏の降伏者郭ジュンに刺殺されてしまいました。おくりなは敬候。
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深謀卓識と書かれています。費イは政務に励みながらも、博打もうつ遊び人だったようですが、費イの後を継いで尚書令になった董允が、費イの行為を真似しようとしたところ、10日で仕事が滞留してしまったので、費イの才能・力量に舌を巻いた、といわれています。私の周りに、俺はxxしかできねえ(xxならば誰にも負けない、という意味)、と威張っている人がいますが、本当に優秀な人は、何をやらせてもソツなくこなすものです。
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費イ墓です。
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8:51 蜀漢大将軍録尚書成郷敬候候費イ之墓。蒋エンの後を継いで大将軍となりました。合掌。
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9:01 他の方の旅行記で、城外に本来の戦勝覇がある、と書かれていたので、探しに行きました。
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9:03 町の外れの交差点まで来ましたが、それらしい碑が見つかりません。
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これといった手掛かりがないので、元来た道を戻ります。写真でも分かると思いますが、人がほとんどいません。変な人間がうろうろしているからでしょうか(笑)。
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9:07 幼稚園がありますが、子供の声は聞こえませんでした。5月1日から5月4日までは法定休日のようです。
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9:07 脱貧困、というスローガンは、地方都市に行くと良く見かけます。
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9:18 臨清門前の広場まで戻ってきました。
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9:24 ホテルに戻りました。午後に広元の明月峡(蜀古桟道)へも行くので、チェックアウトしようかとも思ったのですが、このまま戦勝覇碑を見ずに帰るのでは悔いが残るので、再度 戦勝覇碑を探しに行くことにしました。少し休んだお蔭で、本来の戦勝覇の位置が、臨清門から1kmのところにある、というメモを思い出しました。やっぱり休息は必要ですね。
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9:41 また臨清門を通ります。ここから1km離れた位置、ということで、歩いて15分の場所を目当てにして歩き出しました。さっき行った道を交差点まで進み、更にまっすぐ進みます。時々トラックも通るので、意外に怖いんですよ、歩くのが。
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道の右側は斜面で、左側は畑が広がっています。
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他の方の旅行記で見た写真ぽいです。確か、民家と畑の境目に建っていましたよ。
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これこれ。このポジションです。でも木と草が伸びて、何だかよく分かりませんが。
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9:57 これが本来の戦勝覇碑ですね。やっと見つけました。よかった、よかった。ここで馬超と張飛が一騎討ちをしたのですね。
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それにしても、もう少し枝を刈り込んでもらえませんかね。
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こういうところで、昔の武将は戦っていたのですね。感慨無量。
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隣接している建物は、何屋さんだか分かりませんが、壁に、戦勝、の文字が入っていますね。今度くるときはこの建物を見印にしたいと思います。多分もう来ることはないとは思いますが。
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10:15 臨清門に戻ってきました。この後チェックアウトして、昭化古城を出ます。
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道すがら、挙報箱(通報あるいは密告受付箱)、を見つけました。
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暴力団追放の為の通報を奨励する通知のようです。
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設置してあったのは、司法局でした。
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11:01 出口を出ました。来た時の辺りにバスはいません。少しうろついていると、白タクのおじさんが声を掛けてきます。広元までで100元。太貴了、と言うと、80元に下げたので乗ることにしました。20km弱で80元は高いと思いますが、白タクの値段は距離だけではないんですよね。何で決まるかというと、車格。この時の車は、白のSUV.乗り心地は最高でした。途中の高速で、広元の汽車駅が2つあることを思い出したので、北門駅、と伝えると、ニヤッと笑って親指を突き上げました。サングラスを掛けて、気取ったおじさんでした。
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11:38 広元北門汽車駅着。
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予め、所要時間は40分、と聞いていたのですが、まさにぴったりでした。いつも往復しているから、やはりちゃんと分かっているのですね。見た目よりも安全運転で、良い人でした。
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これから明月峡(蜀古桟道)へ行くので、ここの売店(BS入口脇)に荷物を預けました。5元。
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11:42 窓口でチケットを買います;12.5元。 滞留していた5角札が使えたので嬉しい。明月峡へ行くバスですが、すでに満員だったので、次のに乗れ、とのこと。
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明月峡は、朝天汽車駅から少し川沿いに南へ戻ったところにあります。
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11:55 マイクロバスですが、すぐに客で埋まります。チケットに、明月峡(直通車)、と印字されているので、運転手に、直通車か、と念を押して確認しました。
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12:48 朝天着。私以外の客は全員下車。運転手に聞くと、乗って待て、とのこと。しばらくすると、次のバスが到着して、それに乗り換えろ、とのこと。直通車と言っていましたが、実態として、直通車ではありませんでした。途中のバス停が無かったり、人を拾っていかない、という意味では直通車ですが。まあよくあることです。
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12:54 明月峡着。
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乗ってきたバスはすぐに帰りの客で一杯になり、広元へ帰って行きました。
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12:57 入園者数は、1,263人、のようです。帰りにこの数字をチェックしたいと思います。
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13:05 景区入口です。
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規則によれば、国家法定休日以外であれば、60歳以上65歳未満は免票で、国家法定休日は半価、とのこと。意味合いとしては、空いている日は無料で、混んでいる日は有料、ということだと思います。
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入場料は大人70元と書かれていますが、私は半価で25元だったので、多分今は大人50元なのではないかと思います;園内に一部補修中の箇所がありました。
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明月峡の全体図です。ざっくりいうと、川沿いに、博物館のある所まで歩く、ということです。
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終点の桟道歴史博物館周辺です。ここの川は嘉陵江で、ずっと下ると昭化古城に着きます。直線距離で40kmくらい。
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13:06 観光客の受入キャパは、1万人、のようですが、とてもそれに届かないような客の入りです。良くて1日千人くらいかも。
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諸葛亮がお出迎えです。
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明月峡は中国交通史博物館、という説明図です。川(嘉陵江)には船の航路、右側の岸には鉄道(宝成鉄道)、左側の岸には、上部から古道(金牛駅道)、車道(108国道)、蜀桟道(先秦古桟道)、船を曳く人の道(チエン夫道)、があります。船を曳く、とはどういうことか、と言うと、船を上流へ運ぶ際に、船につないだ綱を持って、道を歩きながら引いて行く、ということですね。水位が高くなると道は無くなってしまうのではないか、と思うので、恐らく冬の水位が低い間に船で上流へ行く、ということだと思います。
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歩いて行く方角は南へ向かっているので、魏から蜀へ向かう方向です。
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こんな深い谷を200km以上進むのは大変なことですよね。まさに蜀道難ですね。
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老虎嘴;Tiger Mouth。
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明月石という場所は補修工事中でした。
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13:30 対岸の鉄道には貨車が走っています。宝成鉄道なので、上流に向かうと、宝鶏までずっと川に沿って走っているのでしょう。(この貨車は下流方向へ向かっています。)
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13:36 対岸の崖にはダイナミックな地層が見えます。
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上の方には建物が見えます。今はいろいろな道がついているのかもしれません。
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13:48 再現した蜀桟道。昔の人は、よくもまあこんな凄いところに道を作ったものですね。驚きです。
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桟道は、崖に打ち込まれた2本の横木で支えられています。
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13:53 古桟道孔眼。2本の横木を差し込む四角い穴です。
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やや傾けて上に向けて開けられています。よくこんなにきれいに穴が開けられたものだ、と感心します。工事の時の足場はどうしたんでしょうか。不思議。だって高いところの崖の斜面なんですよ。船も併用したのかもしれませんね。
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穴は、上下2個が対になっていますが、下の穴は埋められています。
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2008年5月12日の大地震で被害を受けたようです。安全の為、孔眼を埋めたようです。
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13:58 観光用の船が出ているようです。
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13:59 終点の博物館に着きました。
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川を見ると、この先の下流で川幅が広くなって浅瀬になっています。
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14:05 帰りは、10元の観光カートに乗って楽をします。
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風を受けて走るので快適です。
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14:10 入口に戻ってきました。
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14:22 出口を出ました。
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14:24 入園者数の表示は、1,263人、でこれはお昼に入場した時と同じ数字です。ということで、この表示に意味がないことが分かりました。でも日付は合っています。
14:30 帰りの広元行きバスは直ぐに来ました。5角硬貨も使えました。スッキリ。 -
道は嘉陵江に沿っています。
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15:36 広元汽車駅に戻ってきました。
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15:44 時間があるので、超市で靴下を買いました;3足で33元。洗濯する暇がないので、靴下は毎日履き捨てにしています。
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15:57 お昼を食べます。雑醤麺8元。普通に美味しいです。
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食べたのは真ん中のお店;魏涼面。よく見たら、魏のお店で食べたんですね。
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16:13 露店で果物を買いました。バナナとデコポンの量り売り。19元。デコポンは4個を買ったつもりでしたが、3個しかなかったのは、私の勘違いですかね。
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近いので、広元駅まで歩いて行きます。
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KTVがありました。
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未成年者入店禁止、となっています。お酒を飲む場所なのでそうでしょうね。ところで、中国では女性がお酒を注ぐ接客は禁止されているんですよ。以前それで検挙された女性が綿陽にいました。でもそれは、その店が普通の店ではなく、ぼったくりバーだったからでしたが。
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明月峡まで車で行くと23kmみたいです。
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16:27 橋を渡ります。
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16:31 嘉陵江の上流方向(北)です。雲が見えますが、これから行く漢中方面(北)は天気が良くないかもしれませんね。
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下流方向には変わった形の建物が見えます。四川省は地震が多いのに、こんな形でも大丈夫なのかな。
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橋を渡った右方向に広元駅があります。
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16:44 広元駅に着きました。
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隣は長距離BSでした。
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この鳥は何でしょうか。
恐らく、鳳凰、だと思います。
広元は、則天武后、の生地なので、この鳳は、彼女の象徴なのだと思います。
予約したのは 19:08発 D1946次でしたが、時間が早いので、駅で 17:34発 D1940次に変えてもらいました。 -
17:23 入場。
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D1940次は地標黄色でした。
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17:38 女皇温泉という文字が見えます。山上には風力発電の羽が並んでいます。ここはまだ明月峡よりも手前ですが、この後長いトンネル(多分20kmくらい)に入ります。トンネルを出た先が、四川省と陝西省の堺です。
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18:12 漢中に近づいて、山並みが見えてきます。多分秦嶺山脈。
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18:21 漢中駅着。
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18:29 駅前から、泊まるホテル(金江大酒店)が見えます;やや右側の背の高いビル。駅から近くて便利です。
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これが金江大酒店。この辺りでは一番背が高くて、眺望が良かったです。
18:31 チェックイン。2泊で、\6,031。今回の旅で一番設備が良かったです。内装もリニューアルしたばかりのようで新しかったです。 -
部屋は17階で、浴室から遠くの景色が見えます。快適。
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部屋には無料の水とバナナが置いてあります。とても良いホテルでしたが、翌日残念な出来事がありました。
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19:12 翌日勉県に行くので、BSへ下調べに行きました。
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券売機の表示を調べてみると、武候祠、という行先があるのが分かりました。
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昭化古城へ行くツアーがあるようです。温泉付きで118元。
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交差点の歩道橋から見た漢中汽車駅。
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19:52 ホテルへ戻る途中の商店で、カップ面と缶ビール、茶葉を買って帰りました。
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これは昼間買ったデコポンとバナナ。
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21:54 毎晩花火が5分間くらい、打ち上げられていました。
部屋で食事をした後、簡単に洗濯をして寝ました。今日は戦勝覇碑がちゃんと見られてよかったです。辛苦了。
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