2019/04/26 - 2019/05/07
534位(同エリア775件中)
子青さん
三国志関連の史跡訪問を主な目的に、四川省&陝西省へ行ってきました。
成都と西安の間は高鉄が通っているので、これを利用しながら、成都から西安方面へ移動しました;移動の都合で訪問順を決めたのですが、たまたま南から北へ向かうことになり、北伐と同じ方向となりました。
<日程>
1日目:移動(成田->重慶->成都)
2日目:成都市内(パンダ基地・洗面橋・武侯祠・金紗博物館・成都駅)
3日目:楽山大仏
4日目:広漢(ラク城・三星堆博物館)・徳陽(点将台・落鳳坡)
5日目:綿陽(西山公園・富楽山公園)
6日目:広元(剣門関)
7日目:広元(昭化古城・石門桟道)
8日目:勉県(武侯祠・馬超墓・古陽平関・武侯墓)・漢中(古虎頭橋・古漢台)
9日目:漢中(明月峡・拝将台)
10日目:岐山(諸葛亮廟)
11日目:西安市内(清真大寺・碑林博物館・興慶宮公園)
12日目:重慶(重慶洪崖洞・人民解放記念碑)・移動(重慶->成田)
本来の予定では、徳陽の旧綿竹城(土将台)へも寄るつもりでしたが、残念ながら行けませんでした。
ただ、蜀の重要な拠点(特に成都の武侯祠、綿陽のフ城、広元の剣門関、勉県の定軍山、岐山の五丈原)へ行けて大満足です。
また、三国志とは別ですが、楽山大仏、三星堆博物館、韓信の拝将台、西安興慶宮公園の阿倍仲麻呂碑も見られて充実した旅となりました。
旅行費用は、12日間で15万円、でした。
何かの参考になるかもしれないので、時刻と費用はなるべく書き込もうと思います
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 10万円 - 15万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- スプリングジャパン
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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6:05 起床。今日は忙しい一日となります。広漢と徳陽の2都市を回ります。公共バスが通っていない徳陽の土将台(旧綿竹城址)へ行こうとしていますが、はたして行くことができるでしょうか。
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G2232次 8:06成都東駅発で広漢北駅へ向かいます。
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8:51 広漢北駅着。
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駅前広場の左手に公共バスが停まっています;3台。事前調査で、9路バスで西園大酒店駅へ行くつもりです。
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9路バスの運転手にラク城へ行くか聞くと、行かない、とのこと。フロントガラスに貼られた路線表を見ると、「ラク城印象」、というバス停しかありません;中国では〇〇印象という名称をよく見かけます。隣りに停まっていたバス(3路)が動き出しました。そのバスで行ける、というので乗ろうとしましたが、乗せてくれません。その隣りのバス(2路)も動き出して、これでも行ける、とのことなので、バスの運転手に窓越しに話しかけて、何とか乗せてもらいました。2元。
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9:21 西園大酒店駅着。事前に地図で調べておいたので、このバス停からの道順は分かります。
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路線図を見ると、1路から13路まであるようです。地方都市では、路線情報がタイムリーに更新されていないのかも。
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「特警」と書かれた装甲車が停まっています。公安、警察、城管、武警と書かれた車はよく見ますが、特警、は少ないかもしれません。
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9:24 ラク城着。城門前ではマダム達が踊っていました。
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城壁は新しくしたようです。
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中は公園になっていて、入場は無料です。
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これは、劉備に捕らえられた張任ですね。張任は蜀郡出身の人で、その頃成都を治めていた劉ショウの家臣で、ラク城を守っていました。
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劉備が、張任に、家来になることを勧めています。みんな触るから、劉備の指がテカテカしてる。
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張任は、「老臣は二主につかえない」、といって降伏を拒否して、殺されてしまいました。劉備はその忠義に感心し、手厚く葬ったのでした。この後、劉備は成都を攻め、劉ショウが降伏して、蜀を手に入れました(AD214年夏)。
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これは張翼かな。張翼はラク城陥落で活躍した後、昇進して広漢の太守となりました。
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三国志の場面を説明した碑。
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園内には塔も建てられていました。
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9:40 ラク城を後にして、三星堆へ行きます。元々は三星堆に行く予定にはしていなかったのですが、BSのテレビで見た番組で、大涼山に住む人達の祖先は、三星堆に住んでいた、ということを知って、三星堆を見ることにしました。
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三星堆まで、7.5kmのようです。バス(6路)を待ちましたが来そうもないので、タクシーに乗りました;30元。
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道がガラガラです。帰りの足がちょっと不安。
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10:15 三星堆博物館着。今日は月曜日ですが、無休です。因みに、三星堆の発掘場所と、博物館は別みたいです。
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入場料は大人72元。60歳以上は免票です。謝謝。
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三星堆と言えばマスクですね。それにしても、客がいません。何故かな。青銅館へ向かいます。
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遠くに見えるのが青銅館です。
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青銅館の入口に飾られたレプリカ作品です。こういうのを見せられると、中国のことなので、ひょっとして、内部の展示品もどこかで作ったものじゃないの、と疑ってしまうのは、私だけでしょうか。
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青銅人面具。仮に顔のモデルが有ったとしたら、東洋人ではなく、西洋人のような気がします。
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青銅人面具 正面。サイズは人頭に比べ、一回り大きいくらいでしょうか。
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これが眼の飛び出している青銅人面具ですか。
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どうしてこういうデザインを考え出したのでしょうね。眼が飛び出している方向が、正面ではなく斜め前方向なので、眼が横についている動物(例えばカメレオンとか)がヒントになったのでしょうか。
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青銅人面具は1つだけなのかと思ったら、たくさん展示されていました。サイズもいろいろ。
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これはトサカのようなものを付けた青銅人面具です。
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これはオーソドックスな青銅人面具。眼に穴が開いていないようなので、被って使ったのではないのでしょう。
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青銅人面具。額に四角い穴が開いているので、四角い棒に吊り下げたのかもしれませんね。
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説明板。青銅人面具;BRONZE MASK。紀元前12世紀の商代の遺品、と書かれています。紀元前12世紀って凄くないですか。商代のようです。
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青銅人頭像。これはお面ではなく、頭です。
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戴金覆面青銅人頭像;BRONZE HEAD WITH GOLD MASK。青銅人頭像に金箔を貼り付けたように思います。
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青銅神樹:本物は高さ3.96m。これは3.5倍に拡大したレプリカ(倣制品)。簡単にレプリカを作ってしまうところが、ちょっとなあ、なんですよね。しかも拡大版。普通 複製品を作る時には、原寸か縮小版を作るような気がしますが。拡大してしまうところが中国ですね。
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神樹にとまっている、神鳥、ということでしょうか。
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青銅大立人像。右手が丸く輪の形になっているので、丸い棒を挿していたのかもしれません。全体で2.62m、人の部分が1.72m、とのこと。
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青銅跪座人像。跪いている像は、大抵 罪人です。着ている服は、胸の前で合わせている着物のような形です;左が上になっているところが、現代と同じです。
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11:09 堪能した三星堆博物館を後にします。
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一応 博物館前のバス停にある路線図を見ます。13路で駅に行くようですが、来る気配がありません。ちなみに、待っている客もゼロ。とにかく自動車自体がほとんど通りません。たまたま通りかかったタクシーを呼び停めましたが、逆方向なので乗せてくれませんでした。
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11:18 交通量の多い交差点まで歩いて行って、やっと三輪バイクをつかまえました。
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橋を渡っていきます。風を受けて快適。
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運転手を後ろから写したら、川でも撮ってろ、と叱られてしまいました。ハハハ。左のバックミラーを頻繁に手で直していました。よく見ると傾いていて、壊れているような。。。ひょっとして、事故で横転したのかな。ちょっと怖い。でもスピードはあまり出ません。上り坂で停まるかと思ったくらいなので。そういう意味では安全。
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11:36 広漢北駅着。これが乗ってきた三輪バイク。20元を渡したら、あと5元、と言われました。
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12:28発 D1926次 正点です。「地標顔色」が「紫色」になっています。
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12:22 入場。空いています。私は8号車で、「地標」に従って先頭へ向かったのですが、誰もいないので、間違ったかと思い、最後部へ向かいました。
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12:24 入線。最後部に乗車したのですが、これは1号車。車両が違うので、最後部の1号車から、先頭の8号車へ移動しました。編成によって、車両の先後が違いますが、失敗しました。
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何故8号車で待つ乗客がいなかったかが分かりました。それは、一等車だったから。自分が一等車で予約したのをすっかり忘れていました。一等車にしたのは、安かったから;乗車時間は15分で、215円。乗車時間の半分は、車両を端から端まで移動していました(笑)。
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社内はガラガラです。
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12:39 徳陽駅着。
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先ずはバス停と、BSに当たってみて、土将台へ行く便を探します。事前調査では、昔は路線バスが土将台を通っていたようですが、今は経路が変わって、直接土将台には行けないと思います。
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徳陽駅前です。人はまばらです。
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三星堆を意識した飾りです。ここは三星堆の最寄り駅ではないので、他にこれといった観光資源がないことを窺わせます。
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12:48 先ずは駅前のバス・ロータリーで、総合案内板(付近の路線図)を探します。
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案内板が有りましたが、ここから南方面の便しか書かれていません;ここは市の中心から見て北の外れで、ここよりも北には、これといった施設がないので、これから行こうとしている北方面の路線図は期待薄です。次に、BSへ行って、土将台を通る便が無いかを調べます。
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12:54 これがBS;徳陽汽車客運北駅。
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表示板をよく見ると、「略坪」(以前 土将台を通っていたバスの終点)行きは、107路で、客運北駅から乗車購票、と書かれています。念のため、窓口で「略坪」行きの便を聞きましたが、ない、とのこと。事前調査で、107路は、駅前からだいぶ先の路地を入ったところにバス停がある筈なので、向かいました。
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13:20 バス停で、路線図を写真に撮っていると、「羅江」行きのバスが来たので、飛び乗りました。本当は107路を待つつもりでしたが、だいぶ時間も経っているので、何とかなるのでは、と思って乗りました。2元。ところが、途中で降りるつもりの「黄許鎮」を通り過ぎてしまい、車掌に1元を追加で払って、降りました。
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13:45 降りたのがここ。白馬関村の入口のようです。白馬関なので、だいぶ過ぎています。途中で川(綿運川)を渡ってしまっているので、土将台へ引き返すのは厳しそうなので諦めました。
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土将台の次に行こうとしているホウ統祠までは8kmあるようです。
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降りた場所の前にある商店の店主が、車に乗って行け、というので乗ることにしました。ホウ統祠まで10元。ひょっとして地元の人なので分かるかと思い、「土将台」を知っているか、と聞くと、勿論知っている、とのこと。土将台とホウ統祠の両方に行って欲しい、と言うと、よい、とのこと。でも車の進行方向はそのまま;ホウ統祠を先に行って、その後土将台に行くと時間のロスなので、ちょっとおかしいな、と思っていると、着いたところが、「点将台」。ここは「土将台」じゃない、と言うと、ここが「土将台」だ、と押し問答。途中で乗せたカップル2人も加わって、論争。カップルの男性(サカナ君そっくりなので、サカナ君と呼ぶことにします)が、スマホの地図で、「土将台」、はただの地名で何もない、と言います。サカナ君達は徳陽の人だと言っていましたが、地元の人でも、昔の史跡(旧綿竹城の城址)の知識がないみたいです。もう諦めました。「土将台」は諦めて、「点将台」を見学することにしましょう。
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「点将台」です。またの名を、張飛点将台。ここで亡くなったホウ統を偲んで、張飛が築いた高台とか。
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階段を上がっていきます。
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確かに遠くの山が望めます。
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ここから四方が望める高台です。でも成都の平野は見えないような気がしますが。
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14:23 ホウ統祠着。商店の主がここまで送ってくれました。10元。良い人でした。サカナ君が一緒に回っても良いか、と聞くので、良い、と答えました。
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入場料は大人25元ですが、免票でした。謝謝。
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ホウ統祠墓を見に行きます。北関楼から入場したのですが、いきなり墓所になります。本来は南関楼から入るのが順路のようですね。私がドンドン先へ進むので、サカナ君達は、行くところが有るから、と言ってどこかへ行ってしまいました。残念ですが、ペースも志向も合いそうも無いので仕方ないですね。
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ホウ統墓です。
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漢靖侯ホウ士元之墓。ホウ統、字は士元、諡号は靖侯、落鳳坡で流れ矢に当たって亡くなる、年36歳。劉備は諸葛亮の次に親愛していたようです。一説では、白馬に乗っていたので、劉備の身代わりになってしまった、と言われています。そう言えば、ここの土地は白馬関という地名ですが、その故事に因んだのかもしれません。
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ホウ統墓は、石で築かれています。
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ホウ統墓案内板。
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ホウ統の塑像です。どこもガラスで囲っているので、写真が撮りにくい。
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右は羽扇を持っているようなので、諸葛亮ですね。軍議をしている図、ということでしょうか。
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龍鳳名高。高名な龍(諸葛亮)と鳳(ホウ統)、ということでしょうか。
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成都鳳凰山出土の「説唱俑」とのこと。表情が豊かですね。陳列館にありました。
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ホウ統の塑像。
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園内の張飛殿も見ます。
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これが張飛殿。質素です。
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相変わらずの顔の張飛です。この顔はお約束ですね。
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14:58 園内を一周して北関楼に戻ってきました。
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ホウ統祠墓の外は、秦蜀金牛古道があります。もしかすると、サカナ君達は、ホウ統祠墓には寄らずに、古道だけを散策したかったのかもしれません。サカナ君達は、地元徳陽の人だと言っていましたが、残念ながらあまりこの辺りに詳しそうな感じはしませんでした。若そうな二人だったので、あまり歴史には興味がないのかもしれません。
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金牛古道は、この先の五丁谷まで続いています。
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当時(ざっと2千年前)の一輪車の轍が残っている、ということなのですが、本当に昔のものなのでしょうかね。そういうのを、下衆の勘繰り、というか、野暮、というものなのでしょう。現物に目を凝らすよりも、空を仰いで遠い昔に思いを馳せる、というのが正しい中国鑑賞法なのでしょうね、きっと。
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ホウ統祠の前の広場にある掛鏡台です。
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金牛古道を五丁谷まで歩きます。だいたい2kmくらいみたいですね。
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道沿いにはところどころに店がありますが、肝心の客がほとんどいません。平日だからでしょうね。
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一応 いくつか見どころが設定されているようです。私は落鳳坡が見られればそれでいいです。
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15:19 池がありました。
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飽きさせないように、往時の通行風景を模した銅像があります。
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昔の一輪車の轍、ということです。そう信じましょう。
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15:37 五七幹部学校。かつての中国共産党施設のようです。
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15:36 八卦谷。
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ちょっと興味が有りましたが、見たところ観光用に作った森(林?)という感じでした。有料の施設のようでしたが、入口に入場料を徴収する係員はいませんでした;ただで門楼の上に上がって写真を撮りました。失礼。
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15:43 ここが落鳳坡ですかあ。ここでホウ統が亡くなったと思うと、感慨深いですね。
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広場では、若い十人くらいの男女がゲームのようなことをしていました。傍に軍服を着た人が居たように思いますが、あれは何だったんでしょうか。謎。
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落鳳坡の案内板。
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広場の奥の階段の先に、ホウ統墓があります。
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これがホウ統墓です。後の時代に作られたホウ統の墓のようです。
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漢靖侯ホウ公士元之墓。墓碑はありますが、ここに埋葬はされていない訳ですね。
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ホウ統血フェン;ホウ統墓の案内板。
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15:49 前の坂道を下っていきます。
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15:54 アスレチックの施設がありました。子供達があきるからでしょうね。
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16:03 五丁谷まで降りてきました。地面の岩が削れているように見えます。本当に一輪車で削られた轍なのかな。
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金牛古道。駐車場があり、ここから登っていく人もいるのだと思います。
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五丁谷。
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近くに国道108号線があります。
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標識には、微妙に日本語(ひらがな)が書いてあります。日本人が車で通ることを想定しているのでしょうか。恐らく日本人の観光客はそれなりに多いということだと思います。
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バス停はありますが、バスが来るのかどうか、良く分かりません。徳陽と羅江の間を走るバスは国道を通るはずなので、そちらへ行ってバスを捕まえます。
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この交差点を左に行くと、国道に出ます。
16:15 ガソリンスタンドが見える辺りで、バスを待っていると、羅江行きのバスが来たので乗りました。着いたところは、たぶん羅江汽車駅(地方のバスは中途半端なところで降ろされるので、正確な位置は分かりません)。待機していた三輪車(電動自転車に客用の荷台を後ろに取り付けた簡素な乗り物)に乗りました。羅江東高鉄駅まで20元。どのくらい時間が掛かるか聞いたら、傍にいた同業者のおじさんが、20元だもの、と言って笑っていました。少々時間が掛かっても文句を言うな、ということだと思います。 -
16:30 この運転手のおじさんは、あまり言葉をしゃべりません。失礼ですが、ちょっとぼんやりしている人。でもガタイはがっちりしています。
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途中 遊園地のようなところを通りました。後ろの観覧車の景色を勘で撮ったのですが、我ながら良く写せたな、と感心しました(笑)。
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橋を渡ります。天気も良く、気持ちが良かったです。
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標識があると、乗っていて少し安心します。
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でも、この乗り物の足元には、踏ん張れるような突起がないんです。手元に手すりもありません。荷台が軽い分、意外にスピードが出ます(午前中に乗った三輪バイクとは雲泥の差)。途中の下り坂でかなりスピードが出て、いざとなったら、このおじさんに抱きつくしかないな、と密かに心に決めていました。
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16:43 線路の下をくぐります。駅は近そうですね。
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16:50 羅江東駅着。20元。15分で着きました。この乗り物は速かった、という印象。
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これが乗ってきた電動チャリカーとおじさんです。謝謝。
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羅江東駅の駅前です(駅舎とは反対側)。何もありません。客もまばらなので、駅前に屋台の店も出ていません。本当に何もない駅です。
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予め遅くなってもいいように最終の列車を予約していました; 18:20発 C6311次。窓口で早い列車に変えてもらおうと思いましたが、駄目でした。時間があるので、少し買い物をしてのんびりしました。インスタントコーヒーは携帯していたのですが、コップがないので、カップ面を食べた後のカップを使いました。味はともかく、情緒がないですね。
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「参軍報国 無上光栄 -熱血男子 精忠報国」という看板です。軍人募集の広告ですね。多分 都会の男の子は軍隊に入らないので(親が許さない)ので、田舎の子を誘っているのだと思います。
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小さな駅(町)なので、私の列車の後は、西安方面の列車2本で今日はおしまいのようです。
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18:12 羅江東駅1番線入場。
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18:55 成都東駅着。
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19:07 成都東駅前。
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19:07 無事 成都東駅に戻ってきました。土将台(旧綿竹城址)には行けませんでしたが、充実した一日でした。やっぱり地方の村へ行くのは簡単ではないですね。お疲れ様。辛苦了。
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