2006/08/02 - 2006/08/04
534位(同エリア1850件中)
ひらしまさん
〈2006年の夏のフランス旅行記を、2019年少し整理して載せます。フィルムカメラの時代で写真は少なめです〉
2年前にフランスを訪れた時は妻の高齢の両親と一緒だったので、パリ、ロワール、リヨンを万事安全第一に回り、もちろん楽しかったけれど少し物足りない感が残った。そこで今度は妻と二人、前回行けなかったパリから遠い地域を訪ねる。
2回目なので少し冒険。未経験だった格安航空券を恐る恐る購入。Eチケットでほんとに乗れるのか、空港のカウンターに行くまで不安だった。
フランス国鉄SNCFの切符も「フランスツーリズム」を参考に買ってみた。上がり下がりの激しいPrem's価格には翻弄されたが、居ながらにして乗車券が入手できる便利さに、今となっては当たり前だけど当時は感心したものだった。
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第1日
ドゴール空港は22度、気持ちよく晴れていた。ホテルへ向かうタクシーは運よく英語が通じる上、遠回りもない。安心してパリの街並みを眺める。ノートルダム寺院の前を通る時は「帰ってきた」という気さえした。(写真は後日のもの)
海外で同じところを再訪するのはこれが初めて。一昨年とてもよかったカルティエラタンにあるパルク・サンセヴランに今年も計4泊する。「パリの定宿だね」と妻。レセプションの顔ぶれは変わっているようだが、現業系は見覚えのある人たちだった。部屋は一昨年の部屋の真下で、ほとんど同じ景色だ。
妻は飛行機酔い、私は風邪で体調は今ひとつのスタート。夕食はお粥ときつね呑兵衛。 -
第2日
朝8時前、ホテルにスーツケースを預けモンサンミシェルへ向かう。
地下鉄サンミシェル駅で回数券カルネを買い、4号線に乗る。
ドアを開けるレバーでもたついていたら、近くの席の青年がさっと開けてくれた。彼はモンパルナス駅の乗り換えでも年配の女性の荷物を持ってあげていた。偉いな。
高速鉄道TGVのホームまで乗り換えは遠かったが、我々の乗る20号車はさらに一番奥でずいぶん歩かせてもらった。
レンヌ駅に着くと曇りで肌寒い。
モンサンミシェルへのバスは乗客の半分以上が東アジア系なのに驚く。今回の旅ではとくに韓国の人を多く見かけた。男性なら肩に、女性ならお化粧に力が入っていたら韓国人、優しそうで控え目なのが日本人というのが現時点での私流見分け方。
そのうちバスの前方遠くにモンサンミシェルが見えてきた。 -
もっとも、モンサンミシェルに着くと圧倒的な欧州勢の波に飲み込まれた。
大駐車場に並ぶ車の数に、初めてモンサンミシェルを知ったのが車列が続くホンダの広告だったことを思い出す。奥の方には白い大きなキャンピングカーが数十台もとまっていた。 -
デュ・ゲスランは二つ星のホテル。海外でこのクラスは初めてトライする。
最初はサン・ピエールの湾ビューの部屋を予約してみたけれど、階段と鍵の苦労話がとても目につき、妻は階段が苦手なので、どうせ潮は期待できない日だし、評価のばらつきが少なく食事の評判のよかったデュ・ゲスランに変更することに。
まずロジ・ドフランスに申し込んだが一週間たっても回答が来ず、直接ホテルにファクスするとお断りの返事。あきらめたところへロジから連絡ミスのおわびメールが来た。島内で2食付一人60ユーロ(9000円)なら多少のリスクは覚悟しよう。
日本流に数えると1階が昼の食堂、2階がレセプション(ただし無人)と客室、3階が朝と夜の食堂、4階が客室で、我々の部屋は4階の14号。
写真は干潟から見上げたデュ・ゲスラン。 -
客室は実に質素で、日本だったら民宿でもなかなかお目にかかれないほどに古びているが問題ない。
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窓の下に城壁をめぐる観光客を見下ろし、その向こうは干潟がずうっと広がっている。
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夕食メニューの解読にとりくんだ後、修道院に向かおうとしたが、狭い道はすごい人波だ。まるで表参道のようって、ここも表参道か。
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少し時間をずらそうと一旦西側に下りて、修道院を見上げながら干潟を時計回りに散策する。
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増築に増築を重ねた複雑なモンサンミシェルはどこからみても面白い。
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宿を干潟から見上げる。
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陸地と結ぶ道路からの遠景も楽しんで、いよいよ本丸へ。
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3時を回って先程より人は減ったが、それでも多い。まさに世界的な観光地だが、このざわめきの中で修道院としての活動はできているのだろうかと思う。
千数百年にわたって狭い土地で増改築を繰り返してきた建物は変化に富み、それも魅力の一つなのだろう。制約があるからこそ魅力あるものが生まれる不思議さ。
暗い室内から海を望むテラスに出ると実に明るく開放的で気持ちがのびのびする。少し青空が広がり、塔の先端の大天使ミカエルが金色に輝いていた。 -
屋上庭園の緑と回廊が美しい。
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窓の少ない部屋は暗く、あの頃はほんとに苦労して写真を撮っていた。
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大きな柱が林立する騎士の間。
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交差ヴォールト天井が印象的。
要塞であったり牢獄であったりもしたという迷路のような不思議な空間に飽きることはないが、そろそろ宿に帰ろう。 -
夜7時に宿の食堂に向かうと、窓際の席に通される。窓の外は城壁の回廊と干潟だ。
唯一人英語の通じる男性にハーフボードで予約していると告げると、25ユーロのムニュから選べという。妻は魚のスープ、私は牡蠣、あとは二人とも子羊のソテーとクレームブリュレを選んだ。
鉢で出てきた魚のスープは、一片の魚も見えないがすりつぶされた魚の滋養がたっぷりで、疲れた体にしみ渡ると妻は感激していた。子羊はたくさんの野菜が添えられ、これぞ郷土料理の趣。クレームブリュレは素朴な味。
実質的でとても満足できる料理だった。(写真がなくてごめんなさい)
食後は城壁に出て散歩。9時半頃、大西洋に沈む夕日を見届ける。 -
第3日
7時半。朝食に3階の食堂に下りると、誰もいない。声をかけると女性従業員が現れた。
テーブルがセットされているのは昨夜とは逆のグランド・リュ側だ。窓際に席をとると修道院も見える。静かなグランド・リュをへだてて向かいの建物には手が届きそうだ。
パンとカフェあるいはテ、それにジュースだけの簡単な朝食だがおいしい。
実は昨夜の食事後に宿泊を含めた会計を求められて済ませたのだが、あとで部屋で確認したら、120ユーロで予約したのに130ユーロになっていた。しかし、英語の通じる人がいないのではどうしようもない。それに、この立地であの料理なら130ユーロでもよしとしよう。
妻はシャンプーがないと嘆いてはいたが、初の二つ星の評価はマルとなった。 -
朝の散歩もして、モンサンミシェルを歩き尽くした満足感とともに、宿をあとにサンマロへ向かう。
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