2006/08/04 - 2006/08/07
47位(同エリア88件中)
ひらしまさん
ノルマンディの西端モンサンミシェルからさらに西へ直線で30km。サンマロはブルターニュ半島の付け根近くにある城壁に囲まれた港町。16世紀頃には海賊の拠点として栄え、英仏海峡を支配したのみならず、北米にフランス領の基礎を築く航海もしたらしい。
サンマロから戻ったパリでは、初めて旅先で寝込んだり、ユーロスターで英国の友人を訪ねたり、観光らしい観光もなくゆっくり過ごした。
〈2006年の夏のフランス旅行記を、2019年少し整理して載せます。フィルムカメラの時代で写真は少ないです〉
PR
-
モンサンミシェルからサンマロ方面へのバスはポントルソンで乗り換えがあるけれど、フランス語のできる日本人女性二人組が一緒で心強かったし、運転手も親切に教えてくれた。
サンマロ11時着。港狭しとヨットの帆柱が立つ。空は曇っていても、モンサンミシェルより明るい印象だ。 -
観光案内所でコインロッカーがないか聞くがやはりないとのこと。キャスター付きバッグを引っ張り、メリーゴーラウンドの横を通って旧市街にはいる。
まもなく見つけた店でガレットの缶入りを友人用に、袋入りを自宅用に買い、お願いしてバッグを預かってもらう。これで身軽になった。
次に、これも名物のクレープの店に列ができているのを見つけて妻が並ぶ。目の前で焼いてくれる。プレーンで1ユーロ。熱々でおいしいのを食べながら歩く。 -
サンマロの町はきれいだ。壁の石のデザインなどしゃれたものが多い。
第二次世界大戦では壊滅的な被害を受けたとどこかで読んだ。要塞の町なのだから、当然爆撃や艦砲射撃の標的となったことだろう。
瓦礫の山から復興し、多くの人を引きつける美しい町。ドイツのローテンブルクを想い起こした。 -
突き当たった城壁の下をくぐり抜けると海。
曇った肌寒い天気で私はセーターを着てるというのに、浜辺では泳いでる人がいる。水着で日光浴してる人もいる。これがヨーロッパ人か。 -
城壁に上がり遊歩道を歩く。ここはどこだろうと地図を見るが分からない。近くの家族連れに聞くが「イタリアから来たので…」。西に歩いていたつもりが実は南に出ていたと分かったのは、しばらく歩いてからだった。
いつの間にか青空が広がり、海の色も青くなった。西岸にはちゃんとした海水浴場があり、にぎわっている。
ゆっくり海を眺めていたかったが、2:10のTGVを予約している。城の手前で町に下り、バッグを預かってもらった店にお礼を言って、バスでサンマロ駅に向かった。
駅では少し時間があったので、予約済みのアヴィニョン~アンティーブの切符の発券を頼んだが、英語が通じない。英語のできる職員が応援に来てくれたけれど、今度はリファレンス番号はいくつかと聞かれて絶句。そんなのあったっけ。
幸い手持ちの控えの中から係員氏が見つけてくれて、なんとか発券してもらえた。手間のかかる客で申し訳ありませんでした。
パリに帰る列車の中で私は旅の記録、妻は今夜のためのメニュー研究。しかし、通路をへだてて隣の席の若い男性のイヤホンからシャカシャカ音が静かな室内に響いて耳障りだ。日本でだったら当然声をかけているが、当地でのみなさんの感覚ではどうなのかわからないので遠慮した。
この便は安かったので1等にしたけれど、1等の客もいろいろだ。 -
パリでは、明後日のロンドン行きの下見で北駅に寄ってから宿に戻る。
今度の部屋は51号室。ノートルダムの屋根もちょっと見える。内装はシックで、木製の調度が落ち着いていて、リクエストした52号室とは違うけれど気に入った。
シャワーを浴びてから夕食に出かける。歩いていける距離で選んだキッチンギャラリー。
しかし、都会的で量が少なそうと思って、前菜をとりすぎメインがほとんど食べられなくなる大失敗。サービスの青年との英語での意思疎通がうまくいかなかったからなあ。もったいなかった。 -
第4日
旅行前から治りきっていなかった風邪がぶり返してしまった。旅先で寝込むのは私は初めてだ。モンサンミシェル、サンマロと回ってパリに戻り、一つの旅が終わったみたいな成就感があって気がゆるんだのかも知れない。
午前中は休養日。 -
ボン・マルシェに行きたい妻に一人で行ってくるように勧めたが、私につきあってくれた。近くで買ってきてくれたギリシャサンド、レザンやショコラのパン、バナナ、リンゴ、水で昼食。
空が晴れてくると、気分も回復してきた。カメラは持たずに、ロダン美術館とボン・マルシェだけ行くことにする。
63番バスのソルフェリノ停留所から人気の少ない官庁街をしばらく歩き、ロダン美術館に近づくと行列が見えた。土曜の午後だもんな…。5分ほど並んで入館。
まずは中庭の「考える人」にご対面。バラの花に囲まれ、廃兵院の金色の屋根と青い空を背景に、明るい雰囲気だ。できれば朝一番の人の少ないうちに見たかった。
本庭の広さには驚いた。緑いっぱいの中にロダンの作品が点在する。ただ、半病人の身には日射しがきつい。
印象に強く残ったのは「カレーの市民」。ドーバー海峡に臨む地の市役所前に立つ彼らはどんな風に見えるのだろうか。
疲れたしサロン・ド・テにでも入ろうと、ラルティザン・ド・サヴールを探すがヴァカンス中。それでボン・マルシェで妻お気に入りのプチマカロンを買い、3階のカフェへ。
アールグレイが4.2ユーロもしたがおいしかった。フランスにもおいしい紅茶はあるんだ。
大きな窓から青い空と公園の緑、建物の上にひるがえる青白赤の三色旗を見ながら、ゆったり過ごしたパリの休日だった。 -
第5日
この日は友人に会うため、ロンドンへ日帰り旅行。ユーロスターを切符の安い8:07発にしたので、6時前に頑張って起きパリ北駅へ。
駅の中で入国審査まであり、むずかしい顔の係官に三つも質問されて本格的だった。以前のヒースロー空港では隣の係官とおしゃべりし通しだったけれど、それとは大違いだ。
車両は今日も一番遠い先頭車両だ。よく歩かせてもらえる。ユーロスターの外観はイメージに反してかなり汚れていたが、車内はTGVよりよい。
眠っているうちにユーロトンネルを過ぎ、英国にはいるとゆっくり進む。ロンドンアイが見えて、ウォータールー駅に着いた。 -
友人との時間は瞬く間に過ぎた。
帰りのユーロスターは1等で夕食が出た。サービスはきちんとしていたが、味は期待したほどではないかな。
北駅からは、カルネを使い切っていたので初めて自販機での切符購入に挑戦。せっかく自信がついたけれど、パリの地下鉄とはこれでさよならだ。 -
第6日
今日は南仏へ移動する。
荷造りしてから、ノートルダム寺院を見上げるカフェで朝食。パリに名残を惜しむ。 -
2019年4月15日、パリ・ノートルダム炎上。あの尖塔は焼け落ちてしまった。
パリの心臓の悲劇に言葉もない。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
サン=マロ(フランス) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
12