2019/03/11 - 2019/03/12
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今回は街歩きは、琉球王朝時代に建設された海中道路(長虹堤)の面影を探しながら崇元寺跡から伊辺嘉麻(いべがま)の辺りを歩くコース。
出発は前回と同じく美栄橋駅。
この駅を利用するとコースの中央から出発することになりますが、実は新修美栄橋碑と同じ場所に那覇の史跡&旧跡案内(長虹堤の案内)があるため、最初にこちらで情報をインプットしてから崇元寺まで向かうことにしました。
崇元寺跡から伊辺嘉麻の区間を歩くだけならそれ程時間はかからないので、少し足を延ばして安里川親水庭園も一緒に見学。
今回はかなり地味な街歩き。
時間も短いのですが、良かったら参考にしてください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.0
- 交通手段
- 徒歩
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-
はいたーい。
今回は夕方の時間帯を利用して、琉球王朝時代に築かれた海中道路『長虹堤』の面影を辿ってみようと思います。
写真は美栄橋駅の交差点。 -
過去の旅行記で新修美栄橋碑(画像)を紹介しましたが、それと同じ場所にあるのが那覇の史跡&旧跡案内。
-
長虹堤の説明や道筋をもう一度確認するため、美栄橋駅から歩き始めることにしました。
街歩きコースとしては長虹堤の中央付近からスタートすることになるので、重複する区間が出来てしまいますが、事前にこの説明を頭にインプットしておかないと、ただ地味に歩いているだけという感じになってしまいそうです。
さて今回紹介する長虹堤は、簡単に言うと琉球王朝時代に築かれた海中道路。
過去の旅行記でも触れましたが、昔の那覇は浮島でしたから、中国から冊封使が来琉する時は船を並べて橋の代わりにしていたようです。
やがて尚金福王の命令で、安里崇元寺から伊辺嘉麻の辺りに海中道路が建設されました。
これが長虹堤。 -
昔の地図(上)と現在の地図(下)を照らし合わせながら、歩くコースを確認。
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こちらの案内を見ると、美栄橋駅周辺には幽霊伝説が残るスポットなどもあり、いろいろな見どころが記載されています。
最初に向かうのは七つ墓(ななちばーかー)。
飴を買いに来る母親(幽霊)の伝説と地名の由来になった岩山がある場所へ出発…と言いたいところですが、心霊スポットは苦手。
参考までにこの場所(岩山)はジュンク堂という本屋さんの近くにあり、かつてそこには7つの墓があったようです。
今はその幾つかが残っているだけですが、数が減ってもお墓はお墓。
心霊スポット巡りが好きな方は、探してみてください。 -
美栄橋駅を背にして、沖映通りを国際通り方面に進んだところにあるのがFM那覇。
この時は、公開放送中でした。
更に進むと高良楽器店と人気の我部祖河食堂がありますので、その先の角を左に曲がりましょう。
※追記: 我部祖河食堂は閉業しました。 -
案内にあった古地図を見ると、どうやらこの通りに長虹堤があったようです。
しかし現在は、コンビニなどがあるアスファルトの通り。
昔の面影など全く無いので、歴史を辿っているという実感が湧きません。 -
崇元寺橋の交差点に到着。
長虹堤の面影を辿るならこの辺りと聞いていたので、そちらを探してみましょう。
ここで川が2つに分かれるため少し複雑な交差点になっていますが、長虹堤の文字を探すなら崇元寺橋は渡らず、ゆいレールのすぐ下にある道を前島南公園(左)の方向に進みましょう。 -
下を流れるのは安里川。
石にもその文字が刻まれていますが、私が見たいのはこちらではありません。 -
探しものはコレ!
前島南公園に架かる橋のたもと4ヶ所にこのような石があり、それぞれに「安里川」「平成15年3月竣工」「牧志長虹橋」「まきしちょうこうばし」と刻まれています。
長虹橋の文字が有るのは、前島南公園側の2箇所。
同じ長虹橋の文字でも、漢字は車道側、平仮名は歩道側。
この道は結構交通量が多いので、写真撮影などをする時は車に気をつけてくださいね。 -
公園側にあるのが、平仮名で書かれた「まきしちょうこうばし」。
琉球王朝時代の物であれば感激の度合いもまた違ったと思いますが、何と言っても沖縄島南部は沖縄戦の激戦区。
歴史的価値のある多くの物が、戦争で失われてしまいました。 -
長虹堤の遺構でも残っていれば良いのですが本当に何もないので、今回は案内を頼りにイメージしながら歩く街歩きです。
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今度は崇元寺橋を渡り、国の重要文化財に指定されている琉球王国の国廟を見に行ってみましょう。
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霊徳山崇元寺は臨済宗の寺。
この石造三連アーチ門と石牆(石垣)が国の重要文化財に指定されていますが、残念ながら正廟(※)などは残っていません。
※正廟の代わりに本殿や正殿と言う方もいらっしゃいますが、この旅行記では沖縄市歴史博物館の資料に合わせて正廟で記載します。旧崇元寺石門 名所・史跡
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崇元寺は、歴代の王を祀る廟寺。
中国からの使者である冊封使が来琉した際には、『新王冊封』に先立ち、この崇元寺で『諭祭』(ゆさい)が行なわれていました。
諭祭は先代の国王の霊を慰める儀礼で、全ての行事に先立って行われていたもの。
そして新王冊封は、新しい王の即位式のことです。 -
石門をくぐり、中から撮影。
https://youtu.be/1xyN9RshS7U -
石門のすぐ傍にある大きなガジュマルが、良い具合に木陰を作っていました。
石段を上った所にあるのは、崇元寺前堂(第二門)跡。
画像左下にあるのがその跡ですが、諭祭の後、客を待つ場所として利用されていたようです。 -
正廟など、全ての建物は戦争で焼失。
しかし那覇市歴史博物館(※)の資料を見ると、王廟と呼ぶにふさわしい立派な寺があったことが分かります。
現在は建物もなく普通の公園。
歴史的にも重要な場所でしたから、復元した崇元寺を見たいな…と思った私でした。 -
東側に少し小高くなっている場所があり何となく気になりましたが、昔の崇元寺の見取り図を見てもこの場所に何があったのか記載されていません。
石門をくぐり、石段を上った所に前堂(第二門)。
その後方左右に中国式建物の東庁(王の控室)と日本式建物の西庁(王妃の控室)。
更に奥へ進むと、第二門の北側正面に正廟。
そして、西庁の奥に神廟があったようです。 -
帰りは公園東側から出て、拝所(うがんじゅ)を見に行ってみましょう。
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東の下馬碑の近くにある馬鞭御獄(拝所)。
こちらは、安里大親(あさと うふや)の居住地があった所です。
どの様な人物なのか分からないという方もいらっしゃるかもしれませんので、補足しておきましょう。
沖縄へ行くと第一尚氏/第二尚氏という2つの王統の名前を聞いたり目にしたりする機会があると思いますが、第一は尚巴志が築いた王統で『尚』の姓(血)を受け継いでいた人々。
氏姓制度の面において『尚氏』または『尚姓』と言いますが、この『尚』という姓は明の皇帝から賜ったものと言われています。
しかし第一尚氏最後の尚徳王死去後に後継者争いが起こり、第一尚氏王統とは血縁関係がなかった金丸(農夫の出で第一尚氏の家臣)を王の座につかせようと推し進めたのが安里大親。
金丸が尚氏(尚円)を名乗ることで、第二尚氏王統がスタートします。
唐名は毛興文で、中城按司の護佐丸(唐名は毛国鼎)の兄。
按司も大親も琉球の位階(身分序列)を示していますが、大親は上級士族の中の最高位。
一方の按司は、王族が賜ることが出来たもの。
それにしても、何故金丸(=尚円王)が『尚』の姓を名乗る必要があったのでしょうか。
一般的には、明の皇帝に尚氏の正当な後継者だと認めてもらうため(冊封のため)だった…と言われています。
言い方は悪いかもしれませんが、簡単に言うと第一は純血。
第二は尚氏とは血縁関係がない人が、尚氏を名乗って築いた王統。
首里城へ行った時にも、第一/第二尚氏王統や位階制度また冊封についての説明がありますので、是非そちらもお読みください。 -
こちらは東側にある下馬碑。
「あんしもけすもくまにてむまからおれるべし」
意味
★按司(あじ/村落共同体の支配者のこと)も下司(身分の低い人)も、この場所で馬から下りなさい★
崇元寺は歴代の王を祀る寺でしたので、この前を馬に乗って通行することは禁じられていました。
かつては東西にあった下馬碑ですが、西の下馬碑は沖縄戦で破壊され現在は東の下馬碑のみが残っています。
※県立博物館には、破壊された西の下馬碑の破片が所蔵されています。
またこの下馬碑を良く見ると弾痕も残っていますので、崇元寺へ行かれたらそちらも探してくださいね。 -
アーチ門の横にあるホウオウボク。
オレンジ色と赤色を混ぜたような鮮やかな色の花を咲かせます。 -
ここからは長虹堤ではありませんが、折角崇元寺跡まで来ましたのでもう少し足を延ばして牧志駅方面へ行ってみましょう。
沖縄実業創業地記念碑。 -
ホウオウボクの大きな実。
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更に歩くとマックスバリュー牧志店。
ここはT字路になっていますので、店舗の入り口には魔除けの石敢當が置かれています。 -
そのすぐ目の前にある横断歩道を渡り、10分くらい真っすぐ歩くと那覇新都心のおきみゅー(沖縄県立美術館・博物館)。
しかし牧志方面から新都心へ向かう場合は、結構な上り坂になります。 -
質問: この木は何でしょうか?
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答え: ガジュマル
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東南アジアへ行くと暖簾になっている果樹丸の木も有りますが、この木の生命力は物凄いと感じます。
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牧志の駅前にあるさいおんスクエアに到着しました。
画像はさいおんうふシーサー。
うふは大きいという意味ですが、歩いて10分くらいの壺屋にもうふシーサーがありますよ。さいおんうふシーサー 名所・史跡
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このお散歩マップに書かれているコースは私も良く歩きますが、中々良いコースですから街歩き(まちま~い)の参考にすると良いでしょう。
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写真左の建物は、ゆいレール牧志駅からダイレクトに行けるダイワロイネット。
雨の日でも傘要らずのホテルです。
その下にあるのが安里親水庭園。
もう少し水が綺麗だと、もっと雰囲気が良くなると思いますが…。
この川沿いに真っすぐ進むと安里駅。
その駅のすぐ前にある栄町市場はB級グルメが楽しめる市場なので、観光客にも人気のスポットになっています。安里川親水庭園 公園・植物園
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丁度牧志駅にモノレールが入ってきました。
これが那覇空港駅と首里駅を行き来している「ゆいレール」。
追記: 現在は浦添までのびています。
今度は国際通りを歩きながら美栄橋方面に戻り、長虹堤の残り伊辺嘉麻(松山チンマーサー)まで歩いてみましょう。牧志駅 駅
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伊辺嘉麻に到着。
しかし長虹堤と分かるものがないので、この辺りはいつもの街歩きと殆ど変わりません。
美栄橋から崇元寺までは史跡&旧跡の案内(長虹堤の説明)や崇元寺の石門もありますから何となく…という感じは得られますが、美栄橋からこの伊辺嘉麻は何処に何があったのか全く分からず。
せめて案内板でもあれば、ここが伊辺嘉麻…ここに長虹堤…とイメージ出来るのですが、それもないので「長虹堤は何処?」と言う感じになってしまいました。
長虹堤の面影を辿るのであれば、美栄橋から崇元寺跡を歩くだけで十分ではないかと思います。
それ以外の区間は、はっきり言って全く分かりません。
さて今回の街歩きは、寄り道をしながらの2時間コース。
長虹堤のルートを歩くだけなら、1時間散歩も可能。
地味なコースでしたが、良かったら参考にしてください。
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