2001/09/05 - 2001/09/26
30位(同エリア253件中)
らびたんさん
(本旅行記は過去ログです。ネットもユーロもない時代の青春の記録ですので、適当に読み飛ばしてください)
茨城県出身の私が、1998年になぜか関西の大学に進学して、第2外国語は消去法でフランス語になりました。
フランス語に特に興味があったわけではなく(法学部だし)やる気もなかったのですが、関西に来て2か月で完全な関西弁をマスターしたためか(入学当初ひどい茨城弁だったw)、担当教授からフランス語は会話コースに進んでみーひんか?との提案をいただくことに。
断わる理由も特になかったので、1998年秋からフランス語は会話コースに進みました。
これがおもしろかった・・・法学部だけじゃなくあらゆる学部から集めているので友達も増え、1999年夏には選抜試験に通れば1か月フランスでワイン漬けの生活ができて単位までもらえるっていうじゃないの!
そんなこんなで1999年夏、初めてのフランス滞在で週末ごとにスイスとか出かけてすっかり個人旅行に目覚めました。周りは限られた人間関係の中で笑いあり涙ありたくさん恋愛模様が・・・あいのりみたいですほんと。
私と同じように恋愛など無縁で、当時仲良くなったのがM子ちゃん。一人暮らしの私の家に来て2人でよくワインを飲み、2001年大学最後の夏にフランス一周して全土のワインを飲もうという壮大な?計画を立てました。
身長体重見た目も似ててよく姉妹?双子?とか言われましたっけ。
<プロローグ>出発6日前の2001/8/30
夜に原付で自損事故を起こし、救急車で病院に搬送されました。
60km/hノーブレーキで激突し、これはビルの5階から落ちたのと同じ衝撃を体に受けてるので、データ上半数は死ぬよというレベルの事故。奇跡的に脳には損傷がなく、四股も打撲だけ、目の上をざっくり切って縫合だけで済みましたが、当時まだ溶ける糸などというものはなく、1週間後に抜糸、それから消毒にしばらく通院も必要だと言われ、そこをなんとかしてくれと頼みこみ、5日で抜糸して消毒セットを担いでフランスに旅立ったのでした。。
ポケットに入れていた携帯は、その衝撃で事故時刻2001/8/30の22:11を表示したまま止まってしまったので、事故日時はよく覚えています。
記憶違いもあるかもしれません、M子ちゃんとも連絡はとっていないのでほんとは聴き取りして写真なども共有して作成したかったのですが、なんせ昔のことなのですみません・・・恥ずかしいエピソードもたくさんですが、現在のらびたんの黎明期の記録を暇つぶしにどうぞ。
当時フィルムカメラで紙データしか残っておらず、スマホで撮影して起こしました。今みたいにデジカメで毎日100枚とか撮れないし、足りない部分はネットから拝借です。
それにしても食べ物の写真まったくない・・・・・貴重なワインたくさん飲んだのに!
写真赤丸が今回訪問する場所で、ピンクのほうは1999年に訪問済みです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 5.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 自転車 ヒッチハイク 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
9/5(水)
KIXより出国
安かったのでSQを選択しました。思えば、SQもこの1度きりです。いつかまた乗りたいなと思ってますが東京ベースだとなかなか^^;
サーチャージなんてのもなかったし、28日FIXで9万円くらいだったでしょうか?
9/6(木)
フランス到着、モンサンミッシェルへ
CDG着、両替(当時はキャッシングなどできるクレカ持ってなかった)とテレカ(テレホンカードの略です。公衆電話から電話かけるカードのこと)を購入して、RERとメトロを乗り継ぎモンパルナス駅。
レンヌからモンサンミッシェルへの直通バスは昨日まででバス終わってたらしく、仕方なく電車でポントルソンへ。そこでスカウトしたイタリア人男性2人組とヒッチw
ここはオムレツが有名だけど、私はムール貝、M子ちゃんは牡蠣。5人分じゃないの?ってくらい山盛りで来るw白ワインとともに初夜をお祝い。今後、だいたい夕食で毎晩飲んだくれ、それでも3000円くらいでしたね。フランていい時代でした。
宿は歩き方に載っていた宿で、一番安い宿を1か月前くらいに日本から電話して予約しました。絶対に泊まりたかったから。あの頃インターネットなんてなかったもんね~。フランス語できないと宿の予約もままならない時代で。
フランス人たちにどこから来たのか聞かれ、こういうときけっこう困るのだけど、M子ちゃんが済んでたオーサカというと「どこそれ」みたいな反応だし、私が住んでた西宮は論外なので、近くの都市コーベと答えると、あああの地震があったところねと1995年の震災がぱっと出てくる模様。 -
9/7(金)
モンサンミッシェル→ケルン大移動
いきなりフランスを逸脱してすみません。
ディジョンなどブルゴーニュエリアは1999年に済みだったので、ドイツに進出することにしちゃったわけです。
7:00のバス→レンヌ(座席指定が必要なユーレイルパス2等。窓口で30分は並ぶ)→パリ・モンパルナス→パリ北駅からケルンまで。
乗る車両がよくわからなくて荷物担いで走った走った。
傷口パカって開くんじゃないかと思った。。
荷物は信じられないかもしれませんが30リットル未満のザック1つです。
帰国時に税関で「これは2泊3日ソウルの量やろ」と突っ込まれましたがほんとにフランス3週間行ってきたんですよ。。
ブリュッセル・ミディ駅で停止。このへんから車内が複数言語に。夕方ケルンについて駅前のDomに鳩だらけw
通貨がマルクに変わるのが面倒な時代です。
1999年夏には熱波で授業中に熱中症になって救急車で運ばれたくらいなのに、2001年はかなり冷えるなと思いました。そのへんでセーター買って、雨の中ユースホステルに。モンサンミッシェルからの長旅でようやくケルンにたどり着き、さあ夕食!と意気込んで食堂へ行ってみると・・・なにこれハムとチーズが並んでるだけwこれがプロテスタントのお国か~ともう笑ってしまった。
気を取り直してビアホールをはしご。お約束のソーセージとともにケルシュビールを全種類飲む。ワイン飲みにきて2日目でビールざんまいだけど、ま、いっか♪
なんだかこのころって変に「犯罪に気をつけなきゃ、目立たない格好しなきゃ」という意識があって、まるでDomにいるカラスのような格好w
このDom上れます。500段以上あるので荷物は下で預かってくれました。 -
9/8(土)
ケルン→バッハラッハ古城YHでライン川を見下ろすお城に泊まる!
これも絶対やりたかったことの1つで、日本から電子メールというやつで予約していきました。ここの夕食はまったく期待していなかっただけに、普通のパスタが涙が出るくらいおいしく感じてしまいましたね。モーゼルワインで乾杯。
日本人旅行客とも会ったのでつい長話しして、夜(そんなに遅くなかったと思うのだけど)交代で部屋のシャワーを浴び、就寝。
翌朝起きたら同室の欧米人が何やら怒っている・・・どうやら「夜にシャワーしかも長時間だなんてうるさくて眠れやしないわ!非常識な東洋人が!」ということらしい。
私たちにとっては欧米人こそ汚い体のままベッドでよく眠れるなあということと、朝からシャワーなんてうるさくて眠れやしないわけだけど?英語のわかる日本人が日本というのは毎晩お風呂に1時間くらい入る習慣があって、普通のことなのよと説明してくれました。
カルチャーショック。 -
9/9(日)
バッハラッハ→マインツ
ライン川の川下りで一度コブレンツまで戻る。
その後電車でリューデスハイムに向かい、ワイナリーの試飲コーナーで大量に試飲、そして日本へ送りつけるというバブリーなことをやってました。
実は腕にやけどもしていて(事故当時は全身の打撲がひどく、当初やけどに気付いていなかった)、暑い日本ではかゆかったのですが、寒いドイツにきて一気に治りました。ラッキー。
マインツに到着し、バスでどっかの安宿に。運転手さんはご高齢で、英語が通じませんでした。ドイツで英語が通じなかったのはこの時だけです。
日曜の夜ってことでレストランも限られるし、近くのピザ屋に入ったことを覚えています。リースリングで乾杯。 -
9/10(月)
フランスへ戻る日
マインツからICでストラスブールへ
自由席切符を持っていたけど、空いてるとこ座っていいのよーと親切に女性車掌さんが教えてくださる。二日酔い(この旅は慢性二日酔い)だから助かる~
ドイツマルクを使い切って、ストラスブール・・・けどこの町もドイツ語がよく聞こえてきましたわ。歴史的に、ね。
先にボートクルーズの切符を買って、乗って食べようと大好きなパニーニ買ったら「チーズ抜きで」ってお願いしたのに私のまんまとチーズ入ってる・・・ってことでM子ちゃんにボートまで走ってもらい、1分だけ待たせといてもらった。どんなVIPよって、あの頃はいろいろゆるかったです。
4時間ほどの滞在で、再び電車に乗ってわが町ブザンソンへ。2年前ここのフランシュ・コンテ大学っていうところにいたので勝手知ったる田舎町。
しかしフランスは地方同士の交通網が弱く、一度パリに出たほうが早いくらいなんですよねーこの移動。
着いたの20:00くらいになっちゃって、どうにか小さなホテルに入れたものの、これからの宿は基本予約なし/当日予約になってくるので大変です。 -
9/11(火)
歴史的テロの日、マルセイユ
懐かしのブザンソンを早朝に後にし、地中海まで南下します。途中リヨンで4時間ほど観光&ランチ。ここは1999年にも来てるのでさほど珍しくもなく、まあ眺めのよいところに登っとこうという記憶。
夕方マルセイユに着くと、なんじゃこりゃーの汚い町!ごみだらけで石畳のすきまにはタバコの吸い殻が模様みたく見事に埋まってる~
まあでもかもめが飛んでて、潮の匂いがして、ようやく海に出たんだなあと感じました。 -
9/12(水)マルセイユ→ニース
朝からこの町を徘徊して、昼はお楽しみのブイヤベースだよねっと港のローカルレストランに入ったところ、みんながTVでニュースにくぎ付けで、飛行機が高いビルに突っ込んでいく映像が繰り返し流れていました。
どうやら昨日この世界で何かが起こったらしい。
でもネットなんてないし、新聞なんて読めないし、フランス語で人に聞いてもそういう難しいことは理解できないし・・・ペンタゴンがどうとか言ってるけどペンタゴンて誰だっけ?というレベル。
とにかく昼からワイン1本開けて、ちょっと後輩たちへの差し入れ義務があるからお菓子を買ってきて郵便局から送るというヤボ用を済ませることに。お菓子代より段ボール1箱航空便で送る運賃のほうがずっと高かったのはご愛敬w
例によって朝のうち指定券は購入済みなのだけど、郵便局が激混みで乗り過ごしてしまいそう(>_<)ってことでM子ちゃんには先にニースに行ってもらいました。一応宿の狙いもつけてるし、夜までには会えるだろうってことで。
2時間後くらいのTGVで私もニースに到着すると、駅で待っていてくれました。紺碧の地中海!この旅で初めて晴れたきがする・・・
丘の上にあるYHに宿泊。カナダから来たという美人姉妹が同室でぽーっとなる。 -
9/13(木)
モナコ→アヴィニョン
モナコでは王宮を見て帰ってきたのだったかな?とにかくカジノになど行ける服装ではないことは若造でもわかっていたので早々にエズの村へ。バスとか電車でもそうなんだけど、フランス人てアベック(avecという単語はフランス語で、英語でいうwithです)が完全2人の世界でベタベタして別れを惜しんでいるのかーと思いきや、一緒に乗ってくるのはなぜ??
とにかくエズの村。ここの海岸ドライブが絶景だった。傷口もようやく塞がり?(ここまでフラッシュバックとか変な夢ばかりみていた)なんとなくもう大丈夫な感じが。
鷲の巣村の異名をとる絶壁の村で、ここでの景色がこの旅一番だったかもしれないと思う。お土産屋も多くて静かな村歩きとはいかないものの、絶景を求めてさまよい歩く現在の私を作ったことに貢献したことは間違いありません。
せっかく地中海だからと、途中サントロペでビーチに寝転んでみたりして、夜のアヴィニョンに到着。
アヴィニョン橋の上でって歌があるけど、なんかぜんぜん大したことない町じゃんていう感想になってしまった。。 -
9/14(金)
ニーム水道橋→カルカッソンヌ
アヴィニョンを出てローマ帝国時代のニームへ。お気づきでしょうか、ここまで連泊が一度もないことを!毎日すべての荷物を背負ってあちこち登ったり観光したり。
今回の水道橋は朝から二日酔いだし辛くってどうでもよくなり、そのへんに背負ってたもの全部おいて空身で上りました。何も取られなかったし、今度からそうしよう\(^o^)/と油断が出てくる頃でもありますね。
たかが水を送るためだけになんという美しいアーチを架けたんでしょう。世界史の教科書だけじゃなくて本当にあるんだ、現実なんだ・・・
帰りはアヴィニョンから電車に乗る・・・はずが、どうも違う駅に着いたらしい。歩き方が「地球の迷い方」だと揶揄されるのをこのときはじめて感じました。
予想ですが、アヴィニョン駅って当時(今は知りません)2つあって、新神戸と神戸みたいな。私たちは在来線なので神戸駅に行きたかったのだけど、なんらかの手違いで新神戸に来てしまったようです。バスで来た気がしますが記憶がはっきりしません。
Maps.meなんてないし、困ったのでとりあえず視界に入ったカルフールに行ってみることに。そこで荷物を持って出てきた人の好さそうな老夫婦に話しかけると、なんと駅まで送っていただけることに!やったあ実は期待してましたw
困ったときは家族連れや老夫婦、これ鉄則。
車内でNYのテロのことどう思う?って聞かれました。いやどう思うもなにも何が起こってるかよくわかってないし、とにかく信じられないの一言だと答え、早く日本語の新聞を読みたくなったことを覚えています。
かくして無事にカルカッソンヌへ到着。ここはドラクエっぽい城壁の町で、絶対壁の内側に泊まろうって決めてたんです。
駅から壁が見えてる(確か4kmくらい)んだけど、入口がどこなんだかさっぱりわからず。結局壁を1周してやっと入場です。入口をぐるぐる探すなんてほんとドラクエですよ。ザッザッザッザッ
ここの名物・カスレがとにかく忘れられない味で、いつか絶対再訪したいんです。豆を煮こんだ料理なんですけどね、いやあ酒を飲みすぎて大変でした。中世の雰囲気バツグンで、夜の徘徊をお勧めする町です。
YHは混んでて、早めに来てよかったです。同室だったチリ人の女性が明け方叫びだして変な呪いにかかったのかと心配になりましたが。 -
9/15(土)記憶がない
チリ人の女性とタクシーをシェアして7:30とか8:00とかに駅に戻ってきた記憶はあるのですが、そこから鈍行にゆられて気持ち悪くって、この日どこに泊まったのか記憶がありません。。
トゥールーズあたりでしょうか?でも風景が浮かんでこないのでよくわかりません。
昨晩カルカッソンヌで飲んでから城壁の外に出てこんなボヤけた写真を撮ったらしいけど、そもそも壁の外に出た記憶もなし。 -
9/16(日)
ラスコーの壁画
雨ですごく寒い日でした。どうやってか電車でCondat-le-Lardin駅に着いたら、そこから先公共機関はないし、最悪2時間歩くかーと言いながらやってきたのです。同じ電車で降りた女性がいて、妹だかお姉さんだかわかりませんがモンティニャックからお迎えの車が来ていました。
すかさず声をかけ、ずうずうしくも洞窟まで送っていただきました。到着してみると英語・フランス語・イタリア語・スペイン語のツアーがあり、一番早くに始まるフランス語のツアーに入れてもらいました。
飼い犬を追いかけて迷い込んだ少年が発見した絵、それがラスコー壁画です。上野でも展示やってましたよね。本物だと思ってましたが、たぶん私たちが見たのはレプリカ。それでも本物の洞窟に入って探検する気持ちはドラクエそのものです。匂いとか、現地でないと感じ取れないものはたくさんありますので、今となってはよく行った自分G’jobです。
さてさてどうやって帰りましょう?今夜どこに行きましょう?
近くの(40kmくらい)都市であるペリグーのYHに電話してみるも、2人は無理、今夜はベット1つしか空いてないと断られ・・・しゃーない出たとこ勝負でペリグーに着いてから考えようと、モンティニャックまで2kmの道のりを引き返します。そしてまたスーパーの駐車場で老夫婦をスカウトしてCondat-le-Lardin駅までお送りいただいたのでした。
が!!!!!
「そこで待っていても今日は電車来ないよ」
えっどういうこと、まだ午後2時だけど・・・
「今日は日曜日だから」
?(°エ°)
ああ・・毎日休みだと曜日とか気にしなくなるよ・・・
ということでヒッチハイク確定。幹線道路はどこか教えてもらい、そっちのほうへトボトボと。もう雨が上がっていたのが救いでした。
さて、信号のところに待機して、赤信号で停まった車にボンジュー(ニコッ)と声をかけるw
男性2人乗りのトラックが応じてくれたので、どこへ行くの?と聞いてみると、なんとなんと、ペリグーのずっと先であるボルドー(180kmくらいある)まで行くというじゃありませんか!やったぁああキタワア\(^o^)/ボルドーまで、お願いします♪と後部座席に乗せていただき、楽々ボルドーまでワープしました。
まだ明るい時間にボルドーへ到着し、明日と明後日のワイナリーツアーを予約し、できたばかりの新しいYHにチェックイン。この旅で初めての連泊、初めて1000円越えのYHでした。
スペインが近いので地理的にパエリヤの屋台なんかがあって、米を食べることができ嬉しかったです。私、パンが連続するのが苦手なのでサンドイッチとか3日でギブアップです。 -
9/17(月)
コート・ド・ブール/コート・ド・ブライ
月曜日ってあんまりツアーが出ていなくって、ほんとはメドックかグラーブを狙ってたんですが催行してないと言われてしまいました。まあこれも縁だし?ボルドー街歩きをする気はさらさらなかったんで、ブールとブライ、行ってみましょう。
これは英語とフランス語のツアーで、フランスで初めて英語なんて耳にしたな?という感じでした。さすが観光客もそれなりに多いボルドーな気がしました。日本にもすっかりおなじみのボルドーワインですが、私は元々いたのがブザンソンなので、アルザスとかブルゴーニュのほうを毎日飲んでたわけです。
さて馴染みの薄いブールとブライ、結果的にかなり気に入りました。自分たちだけがしってる秘密のワインて感じで。ブールのほうは日本でもたまに見かけるようになりましたけどね。派手さはないけど落ち着く大人の味わいだ!って思いました。
写真のボトルは現在我が家に転がってるコート・ド・ブールの空き瓶。
確か2017年ごろに1,500円くらいの破格で買ったものです。 -
9/18(火)
サンテミリオン
ボルドーワインの中でもサンテミリオンは王道?今日も元気に飲むぞ!とバスに乗り込みます。
街並みもおとぎ話の世界ですごくかわいかった。
ちょうど収穫期が始まり、平日だというのにお祭りのような雰囲気だったんですよね。これはこれですごく貴重な体験。今夜のワインももちろん買って帰るけど、高級ワインになると100万越えもずらり並んでおお~ってなります。昼もさんざん試飲で飲んで、夜も1本以上、でも連泊になってようやく体が楽になったのでこなせちゃってます。
9/19(水)
ボルドー3泊目
この日のことも覚えていません。
とにかくYHをチェックアウトしてどこかに向かったのに、何らかの理由で目的を達せず、やむなくボルドーに戻ってきて同じYHにチェックインしたことしか覚えていないのです。 -
9/20(木)パリへ帰る
いよいよパリへ。フランスの交通なんてまるで信用ならないから、帰国の3日前にはパリに戻っていようと当時はとても慎重でした。
朝ボルドー駅を発車すると、すぐに停まってしまい、ドタドタと機動隊みたいなのが入ってきて「全員避難しろ!」と言うじゃありませんか。。なんということでしょう。仕方なく端っこの車両に追いやられ、周りの乗客が噂するには開かないトイレがあり、爆弾とか仕掛けられてるかもしれないからこじあけて確認しているとのこと。
立ったまま3時間待ちましたよ。狭いところに追いやられ、キモいフランス人が君たちかわいいねえ~と体触ってくるし。逃げようにも逃げられない。。
安全が確認されパリに着くころにはぐったり・・・でどうしたのかよく覚えていませんが、マレ地区の安宿に泊まったのかしら?4連泊もしたっけかなあ・・
9/21(金)
シャンパーニュ地方
ドラクエ3に出てくるシャンパーニュ地方は絶対はずせないし、
この旅でまだ飲んでないフランスのお酒といえばシャンパン\(^o^)/
ランス駅に着くと雨で、ワイナリー行くのは止めたのだったかな??
またもあいまいですが、とにかくシャンパーニュ地方でシャンパンはしっかり飲みました。ここから大聖堂のあるアミアンへ移動したわけですが、地方都市同士の路線はほんと薄くてすごく時間がかかり、大聖堂入ってみたわー広―い涼しい~でも味気ない建物ねー以上。な感じでした。夜にパリへ戻り。でも荷物を宿に置きっぱなしでいいというのはなんと楽なのでしょうね。
(写真左上がアミアン大聖堂/右下がランス大聖堂)
適当に食事して酒屋でワインを買い込み、うち1本はここで開けてちょうだいとお願いしたら案の定君たちいくつとIDを求められました。。私老け顔だったのですが、アジア人は若く見られますもんね。 -
9/22(土)
どっか出かけたとは思うのですが、記憶なし。コンコルド広場あたりの写真があるので、うろうろしていたんでしょう。あとシャトレレアールでなんか買い物したことをぼんやりと。
ホテルから見える景色は歓楽街の怪しい雰囲気でw
この旅はじめての個室、ここも2000円くらいで泊まれたんですよね。
翌2002年もここに泊まりましたが、ユーロになって4000円くらいに跳ね上がりました。。 -
9/23(日)
フォンテーヌブロー
フランス人の休日みたいなことをしようとやってきました。
駅前で自転車を借りて森を走るなんて、パリジェンヌぽくない?GARE DE MELUNGare de Melun駅からレンタサイクル、いくらだったかすっかり忘れました。
森の中を抜け、お城や庭を見学し、充実した最終日だなあ・・・と、お昼ごはんすぎに自転車がパンク。。ガラス(ビール)の破片そこらじゅうに落ちてるので、簡単にパンクします。
まさか押して戻れる距離でもないし、公衆電話から電話して事情を話し、迎えに来てもらいました。。自分たちのいる場所もよくわからないから目印になるものを言ったり、ほんとにフランス語話せてよかったです。。トラックの荷台に自転車ごと積まれて駅に戻り、パリで最後の晩餐をしましたね。
9/24(月)パリを出発 -
9/25(火)
シンガポールで半日トランジット
これが唯一のシンガポール訪問歴なので、あらためて訪問しなきゃーとは思ってます。
9/26(水)KIX帰着
ただの回想録にお付き合いくださりありがとうございました。
この後、卒業して有休など存在しないブラック企業を転々とし、2007年に退職してエジプトに行って(航空券予約しないと退職させてもらえなかったw)から本格的に現在の旅生活が始まります。
Fin
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この旅行記へのコメント (12)
-
- olive kenjiさん 2022/01/19 11:30:45
- 傷口閉まりましたか
- 兎みたいな らびたんさん ほいみさんのコメント欄で目にしたので、どの様な方かと思い訪問しました・・初めましてと言いたい所でしたが・・・
なんと1年前に、エンジェルロード旅行記でコメント欄でお話していたのですよね。
お恥ずかしい限りです。また訪問しますって、いいかげんな私です。
この旅行記は面白いですね。5日前に大怪我してもフランスへ行っちゃうのですから、凄い根性です。2001・8・30・22時11分に時間はストップして、それからの人生は旅続きになってしまうのですから(私的にはそう解釈しました)
昔泊まったニースのYHが同じだったので、懐かしく読まさせて頂きました。
同質の美人姉妹、同性でもやはり、ポーツとなってしまうものですかね。これ不思議。
また風呂の習慣の違いのお話も面白かったです。
外人は日本の風呂に入るのは恥ずかしいと聞きますが、YHで野郎がスッポンポンで歯を磨くのには驚きました。日本人でそんなことする奴いるかー
やはり聞くと見るでは偉い違いですね。これだから旅行は面白い。
火傷がドイツで治ったという話にも注目しました。
私は肺に疾患を持っていますが、どこか国内外通じて治る所、ないでしょうか。
そこに住みたいです。なんか病気相談室みたいになってきてごめんなさい。
らびたんさんは、ほういみさんと同じく、旅行の難度や視点の多様性に私は勝ち目がありませんが、お付き合いのほど、よろしくお願いします。
また面白い旅行記を見つけましたので、コメントしましすね。
- らびたんさん からの返信 2022/01/20 23:01:20
- Re: 傷口閉まりましたか
- olive kenjiさん、こんばんは。
エンジェルロードに続きコメントありがとうございます!
今度高松空港への便を予約してはおりますが、この状況でどうなることやら・・・です。
若いころの大きな出来事は人生を変えますよね。
ニースのYHに泊まられたことがあるのですか。
今もあるんですかねえ・・・毎日が非日常で、欧米人に怒られたり今となってはすべてが勉強でした。
肺疾患ですか・・・やけどはあくまで外傷なので、気温の低いところへ行ったらすっと落ち着きました。
事故の後遺症はありません。
ほかにもいろんな病気や大きな怪我は経験していますが、やはりよい医者に当たるかどうかが大事かなとは思っちゃいます。
よい答えになってなくて申し訳ございません。
ほいみさんは写真はもちろん、感性や目の付け所が天才的ですよね。
ひっくり返ってもかないません。
マイナーなハバロフスク編もコメントくださりありがとうございます!
のちほどあちらもコメントバックいたしますね。
らびたん
- olive kenjiさん からの返信 2022/01/21 14:16:49
- Re: 傷口閉まりましたか
- フランスにもロシアにもご返信ありがとうございました。
今度高松へ行く予定なのですね。何処が目的なのでしょうか。
オミちゃんが流行っているので、決断に悩みますよね。
来れば、讃岐うどん大盛に天ぷら2個ぐらいはご馳走しますので、気軽にお声をかけて下さい。←ケチやな~
らびたんさんの他のコメントも読まさせて頂きましたが、ドラクエや漫画に関するお話は、全くチンプンカンで、私にとっては宇宙語でございます。
特にドラクエを共にして、旅の何が楽しいのかがよく理解できないので、初級編旅行記がありましたら教えて下さいね。
プロフィール欄も楽しいですよね。
新しい字句に弱い私は、ミレーナって何だと思いました。
いつでも海に山に荷物も軽く行けると書いていたので、新しく開発された筋肉増強ロボット衣服かと想像しました。
確認の為ネットで調べました・・・・・・恥ずかしかったです。
高松へ来ても、延期になっても楽しんで下さいね。
ひとつ言えることは、貴女は絶対オミよりも強い!!
- らびたんさん からの返信 2022/01/21 20:34:42
- Re: 傷口閉まりましたか
- olive kenjiさん 、こんばんは。
高松ではまだ詳細を決めていないんです。
さぬきこどもの国は決定で、徳島へ抜けてアスタムランドもメイン目的地ですね。
ドラクエはプレイしてないと絶対意味不明だと思うので、
適当に読み飛ばしちゃってください~。
>ミレーナ=新しく開発された筋肉増強ロボット衣服
これ爆笑でした!!!!
olive kenjiさんおもしろいです( ゚∀゚)
筋肉増強ロボット服ほしいですよね(≧▽≦)
らびたん
-
- ほいみさん 2019/05/14 22:53:41
- 古文書発見。
- >両親も新婚旅行が1979年ヨーロッパでした
ゲゲ・・・1977年にヨーロッパ1周しました。
そうそう、発音が困難なバッハラッハのYHも泊まりましたよ。当時は何処へ行っても予約しなくても大丈夫だったし。
>欧米人こそ汚い体のままベッドでよく眠れるなあということ
ほんと、シャワーも浴びずに、パンツ一丁で寝るし、靴下なんか1週間は履くし。私から見ても汚いです。
記事全体から、らびたんさんが溢れ出ていますが、フランスとは関係ない「原付激突」が衝撃的ですね。それにしても酒歴が凄い。カルカッソン、私は酔っぱらってなかったけど、あの城壁の下で野宿しました。
私も何時か、ふる~い旅日記をアップしてみよ。
- らびたんさん からの返信 2019/05/15 08:29:26
- Re: 古文書発見。
- ほいみさん、こんにちは(^^)
なんと!バッハラッハ泊まられましたか。
あのお城みたいなやつ、登るのに一苦労でした。
欧米人て足臭いですよねw
私はすぐ水虫になるので靴下は毎日変えます。
とはいえ登山のときは荷物になるので毎日同じ靴下で、キリマンジャロも6日間一足で済ませました。。
ほいみさんみたくちゃんと記録に残しておけばなーと、今からしたら貴重な体験でもったいなかったです。
タッシリナジェールとかすこいかったですもん。
若い頃は酒ばっか飲んで記憶がない部分も多くて。
早く娘も酒飲めるようにならないかなーと思ってます。
ほいみさんとはいつか酒を飲めると信じてます。
カルカッソンヌの壁の下でテント張ってやりたいです。
らびたん
-
- 猫大好きさん 2019/03/17 20:01:43
- レイメイロクね~
- 読めないので調べました!意味も~
4トラ タメになります
らびたんさんの旅は、こーんな昔から面白かったのね
それにしても 事故の傷が癒えない内に無理しますね
呑みすぎて 傷口開きません?
原付運転 宮古でも充分気をつけて!!
写真をこうして旅行記に仕上げておくって良いですね
私も 45年前の 初旅行(ヨーロッパ)
旅行記にしてみようかしら?
- らびたんさん からの返信 2019/03/18 06:11:49
- RE: レイメイロクね?
- 猫大好きさん、おはようございます^^
4トラまじめに書き始めてから、読書とかゲームとかでこの単語いいなーとか面白いなーとか感じたとき控えておくようになりました。
黎明録は好きなゲームから拝借したものです。
フランス1周は出発前の事故のせいもあって、思い出が濃いです。
旅の楽しさが忘れられずに今につながってくるんですよね。
酒飲みすぎと走りすぎで本当に傷口開きそうでした。
宮古をかっ飛ばすの今からとても楽しみです。
晴れますように☆
与論以来3年ぶりの原付旅になります。
猫大好きさんのお初は45年前のヨーロッパだったんですね。
1974年オイルショック直後のヨーロッパですか。
アンカレッジで経由していくやつですよねきっと。
うちの両親も新婚旅行が1979年ヨーロッパでした。
円安ですごーく高かったと聞いています。
でも今みたいにテロなんかもないし、すごく旅しやすい世の中だったと聞くとああ生きてるうちにどんどん世界が悪くなるのかなと思い悲しくなったりも。
1974年ヨーロッパ編ぜひやってください(*^_^*)
らびたん
-
- Miyatanさん 2019/03/16 22:05:17
- 記憶力すごいですね
- らびたんさん、こんばんは。徳島からです。
私が初めてヨーロッパに行った2002年には既にユーロ紙幣が導入されていたので、ユーロ紙幣導入以前のフランスの様子はだいぶ違ったんだなーと思いました。フランス、そんなに物価安かったんですか? それもビックリです。
それにしても交通事故、大丈夫ですか? うちの地元は横浜市内でも駅から遠くて坂道だらけのエリアで当然周りは原付だらけだったのですが、幼い頃からバイクだけは絶対に乗るなと言われて育ったので、未だに原付乗った事ありません。やはり危ないでしょうか。。。
ヒッチハイク、海外でってすごいですね。私は屋久島で一度だけやったのですが、行き先合わずに1kmくらいで降ろされました。その一回だけです。。。
らびたんさんは標準語のイメージですけど、昔はバリバリの茨城弁やマスターした関西弁を駆使していたんですね。
黎明録、面白いですね。次回作も楽しみにしています。
Miyatan
- らびたんさん からの返信 2019/03/17 09:15:45
- RE: 記憶力すごいですね
- Miyatanさん、こんにちは。
マラソン頑張ってください!コンディション良さそうで何よりです。
ユーロになる前は円高で格安でしたよー。
1999年のときは初めてでさらにカルチャーショックの連続でしたが、
本作2001年では新鮮味は薄れてしまってるかもしれません。
交通事故はちゃんと「てつかぶと」装備してたので守備力に救われました。
鎧は「ぬののふく」だったのであちこちダメージを受けてしまいましたが、
やっぱり頭って大事です。
自分がバイク乗るなんて全然考えていなかったのですが、
大学が山の上にあり、おしゃれな大学なだけにみんなヒールで30分とか毎日よく山登り(当然帰りは下り)するなと信じられませんでした。
ヒール1週間でボロボロになります。
かといって大学の近くに住むと結局買い物が不便だし、
私はふもとの町に住んで原付免許だけ先に取りました。
ピザの配達のバイトをしていて、事故後も続けました。
基本は自転車と同じですが、雨の日はマンホールや白線で滑りますね。
タイヤの数は多いほうがいいです。
そんなわけで今もたまに原付の旅をしますが、
今年は梅雨明けの宮古で原付予約しました。
Miyatanさんみたく記録ちゃんととってないので、今回は記憶ベースで適当な旅行記になってしまってます。
フロッピーディスクにWORDで打ち込んでいた記憶はあるのですが、そもそもそのフロッピーなんてどっか行っちゃいました。
黎明期はほかにNZとかエジプトなどが考えられますが、
ここまできっちりした記憶がないのでダメですね。
今のところ作品化できなさそうな見込みですw
らびたん
- Miyatanさん からの返信 2019/03/17 21:05:29
- RE: RE: 記憶力すごいですね
- らびたんさん、こんばんは。再び徳島からです。
マラソンは、、、天候が最悪でした。途中までは良かったのですが、折り返し地点辺りで強風と横殴りの雨で、雨粒が身体中に当たり、目も開けない程でした。一旦止んだのですが、ゴール手前で今度はあられが降り出し身体中に当たり痛かったです。見事に天気予報外れるし、冬の日本海側じゃないんだし、1日の体感気温が10度以上変わったような春の大嵐の1日でした。地元の人が言うにはこんなの珍しいらしいです。
阿波踊りのパフォーマンス途中やゴールで観れたし、大塚グループの地元なので、でも何故かポカリスエットやカロリーメイトではなく、アミノバリューやソイジョイが大量にエイドにあり、そういう意味では徳島らしさを楽しめました。二晩連続夕食が徳島ラーメン。(笑)
鉄兜に助けられましたね。鉄仮面でも良かったかも。そもそも布の服、皮の服以外でバイクに乗っている人、見たことありません。(笑)
宮古に行かれるのですね。既に飛行機抑えている感じですね。私も今年は宮古構想と奄美大島構想があるのですが、具体的な事はまだ何も決まっていません。
私も全ての旅を記録にとっているわけではないので、全ての旅行記化は出来ないです。写真だけなら掲載可能ですが。
そして未だに阿波踊りの囃子の音楽が頭の中でリフレイン状態です。(笑)
Miyatan
- らびたんさん からの返信 2019/03/18 06:20:45
- RE: RE: RE: 記憶力すごいですね
- Miyatanさん、おはようございます^^
マラソンは大変だったのですね。
お疲れさまでした・・・過酷さは真岡を抜いたでしょうか。。
東京もこの土日は天候が急変し、春の嵐。
いよいよ冬も終わるなって感じがしました。
> 鉄兜に助けられましたね。鉄仮面でも良かったかも。
中型以上のバイクだと鉄仮面が多いですよね。
ほんとうに危ないと思います。
あっと思ったときにはもう激突0.01秒前で、時の砂を使う余裕などありませんでした。
宮古は年末に押さえました。JTAの神スケジュール直行で2万台です。
同じく奄美も未踏で、バニラのうちに・・・と思っていたのですが、
あそこは原付じゃ大変、バス使うには日数ももうちょっと(宮古は1泊2日です)欲しいとなると宮古のほうが行きやすくて。まあピーチで行くかなという気がします。
夏以降の旅行は4月にサーチャージ下がったら一気に予約しますよー。
らびたん
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