2019/01/12 - 2019/01/12
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minaMicazeさん
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旧川邊村氷地区の「氷風穴」を見学した後、山道を歩いて「釈尊寺」「布引観音」へ行きました。
駐車場から山道を1.5km位歩き、そこから急な下り坂を500mほど下ったところに「釈尊寺」があります。「観音堂」は切り立った崖に作られていて、崖伝いに歩いて行かれます。
ここは「牛に引かれて善光寺詣り」の伝説が生まれたところです。
旅行記作成に際しては、現地の説明板、小諸市と小諸市観光協会のホームページ、その他関連するネット記事、「氷風穴」のパンフレットを参考にしました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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長野県の川邊村(現在の)小諸市)、氷地区の「氷風穴」を見学した後、「布引観音」へ向けて山道を歩きます。
浅間山が見える駐車場から出発します。 -
西へ向かって歩き始めると、右下に風穴群が見えます。写真では分かり難いと思いますが、中央付近のパイプの柵の左側の穴が1号風穴、右手前の窪みが6号風穴だと思います。
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もう少し歩いて見下ろすと、4号風穴の青い屋根が見えます。現在でも使われている風穴です。
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4号風穴の青い屋根の右に、5号風穴の入り口付近が見えます。
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歩いてきた山道を振り返ります。山側の道路際に「温風穴」があったので、地滑り地形の上縁が道路になっているようです。
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更に歩いてから振り返って見た山道です。
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駐車場から1.5km位歩くと、右下への分岐路があります。「釈尊寺(布引観音)」へは、分岐路を右下へ下ります。
左奥に白く見える立て看板には「積雪時チェーン装備4WD車のみ通行可能」と書かれています。 -
分岐路を下ります。舗装されていますが、急な下り坂です。
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500mほど下ると、この先、車は進入禁止です。
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下ってきた道を振り返ります。分岐したところからの標高差は(地形図で見たら)70mくらいでした。
左の広場は駐車場です。ここまで車で来たら、ここに駐めます。ただし、出発した駐車場からここまでの間、ほぼ、すれ違いはできません。路面に白く見えるのは雪ではなく融雪剤です。 -
さらに坂を下って「釈尊寺」へ向かいます。
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下る途中の左の崖にお堂があります。
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額には「大子堂」と書かれています。
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「釈尊寺」に着きました。三方を山(崖)に囲まれています。
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「釈尊寺」に着いたら、窓下の棚に二匹のネコが居ました。
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東側の崖の祠に石像があります。
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開けている東側を見ると、北の崖に立派なお堂があります。
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イチオシ
「釈尊寺」の「観音堂」です。
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イチオシ
崖伝いに道があり、「観音堂」へ行かれます。
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「釈尊寺」の本堂の前を北へ歩くと、突き当りにお堂があります。
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歴史を感じさせるお堂です。
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お堂の右下で、赤い紐が巻かれている像は「なで牛」です。なでるとどのような御利益があるのか、なでる場所によって違いがあるのか等々、よくある説明書きのようなものは見当たりません。撫でる人、それぞれの心の中にある、ということなのでしょう。
右の階段を崖伝いに進むと、その先に「観音堂」があります。 -
「観音堂」へ行く途中、左の崖に「白山社」があります。
説明板には、
「12 白山社 室町時代初期の建築で、当時の様式を伝える数少ない貴重な建築物である。白山とは御牧ヶ原の白山地籍……ことからこの名がついた。」と書かれています。 -
さらに進むと、崖にはめ込まれたようなお堂があります。
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その先には岩をくり抜いたトンネルがあります。
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トンネルから振り返って見た「釈尊寺」です。
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トンネルの先には「六地蔵」があります。説明板には、「13 六地蔵 六道(ろくどう)地蔵ともいい衆生がそれぞれの行いによって生まれかわって行く六種の迷いの世界を地蔵尊に表している。地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上、を「六道」という。」と書かれています。
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そして、その先に「観音堂」があります。
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入口に説明板があります。「15 重要文化財 宮殿 この観音堂の岩屋内に安置されており、正嘉二年(1258)に建立 和風建築のひな形とも云うべきもので、鎌倉時代の様式をよく現した重要な建築物である。昭和11年9月国宝に指定、現在は重要文化財となっている。」と書かれています。
「14番」の説明板は見つけられませんでした。 -
イチオシ
「観音堂」から見た「釈尊寺」です。
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「観音堂」から見た東方向です。千曲川の向こう側、小諸の市街地の方向だと思います。
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「観音堂」から「釈尊寺」へ戻ってきました。
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やっと青空が見えてきて、陽が射してきました。
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「布引観音」は「信濃四大伝説・牛にひかれて善光寺参り」が生まれたところです。
強欲で信心の薄い老婆が千曲川で布をさらしていたら、どこからか現れた牛が、その布を角にかけて走り出しました。老婆は布惜しさに牛の後を追いかけ、気がつくと善光寺に来ていました。牛に追いついたと思ったのもつかの間、牛は金堂のあたりで姿を消しました。
疲れ果てた老婆はその場に佇んでしまいました。やがて日が暮れる頃、一条の光明が差してきて、老婆はその霊光の尊さに思わず跪いて菩提心を起こし、金堂に篭って罪悪を詫び、家に帰りました。
ある日老婆が、ふと布引山を仰ぎ見ると、岩角にあの布が吹付けられていました。老婆は何とかして取り戻したいと思いましたが断崖絶壁で取るすべもありません。一心不乱に念じているうち、布とともに石と化してしまいました。その断崖には今も白く布の形をした岩肌が眺められます。 -
「釈尊寺」は「天台宗布引山釈尊寺」が正式名称です。信濃三十三観音霊場の第二十六番札所に定められています。
信濃三十三観音霊場は、江戸時代の初頭に定められたと伝えられ、いずれの寺々も善光寺への古き街道筋にあることから、善光寺信仰とも深いつながりを持つと考えられています。本尊は聖観世音菩薩です。(そば処「草笛」のホームページによる) -
寺伝によれば、奈良時代の神亀元年(724)に行基が開き、聖徳太子が作ったとされる聖観音を祀ったと伝えられている。
戦国時代に戦禍により焼失した後、。永禄元年(1558)に望月城主・望月左衛門佐信雅によって再建された。しかし、江戸時代中期の享保8年(1723)に再度、野火のため焼亡した。
現存する堂宇の大半は、江戸時代後期に小諸藩主・牧野康明によって整備された。(Wikipediaによる) -
やっと晴れてきました。ここから駐車場まで、500mの急坂を上り、1.5kmの山道を歩いて戻ります。
そして、その後、今度は千曲川沿いの県道からここまで、急な岩山に作られた階段を、標高差約120mを登ってくることになります。
( つづく )
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