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今回は70歳を前に、久々に青春18きっぷで、学生時代に帰ったような気分でのんびりと山々などを眺めつつ、学生時代に行った所とか、これまで行けなかった所、ここでアドバイスを頂いた所を、安上がりに巡る旅。<br /><br />「その2」は、二日目の岐阜駅から米原駅経由敦賀駅、湖西線経由で京都駅までと、京都東山山麓の旅です。<br /><br />お天気は晴、日本海岸の雪景色も見たくなって、かつて欧州と連絡列車があった敦賀港駅を見に北陸線の敦賀駅まで足を延ばす。ここからは小浜線、山陰線経由で京都駅へのプランも考えていたが、一日がかりになるので、早い湖西線経由で京都に入ることにして、戻る。<br /><br />表紙の写真は、欧州と連絡列車があった旧敦賀港駅駅舎を保存した敦賀鉄道資料館。入場無料というところが嬉しい。<br /><br />・・・・・期待した雪景色には会えず、一回乗り継ぎに失敗したが京都駅に到着し、市内を歩く時間が取れました。

青春18きっぷで飯田線から太陽の塔への旅 その2 日本海に雪はなかった

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2019/01/07 - 2019/01/10

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ワンダラー

ワンダラーさん

今回は70歳を前に、久々に青春18きっぷで、学生時代に帰ったような気分でのんびりと山々などを眺めつつ、学生時代に行った所とか、これまで行けなかった所、ここでアドバイスを頂いた所を、安上がりに巡る旅。

「その2」は、二日目の岐阜駅から米原駅経由敦賀駅、湖西線経由で京都駅までと、京都東山山麓の旅です。

お天気は晴、日本海岸の雪景色も見たくなって、かつて欧州と連絡列車があった敦賀港駅を見に北陸線の敦賀駅まで足を延ばす。ここからは小浜線、山陰線経由で京都駅へのプランも考えていたが、一日がかりになるので、早い湖西線経由で京都に入ることにして、戻る。

表紙の写真は、欧州と連絡列車があった旧敦賀港駅駅舎を保存した敦賀鉄道資料館。入場無料というところが嬉しい。

・・・・・期待した雪景色には会えず、一回乗り継ぎに失敗したが京都駅に到着し、市内を歩く時間が取れました。

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス ANAグループ JRローカル 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • JR岐阜駅前には、火縄銃を持ち西洋兜にマントをまとった姿の、金色の織田信長像が立ち、旅人を出迎え、見送る。<br /><br />今日も晴れ。伊吹おろしがやや寒い。

    JR岐阜駅前には、火縄銃を持ち西洋兜にマントをまとった姿の、金色の織田信長像が立ち、旅人を出迎え、見送る。

    今日も晴れ。伊吹おろしがやや寒い。

  • 列車に乗る前に時間があったので、駅の南側の中山道加納宿を歩いて探訪する。<br /><br />岐阜という名を付けたのは織田信長で、そもそもは中山道の宿場町の加納宿の方が古い。JR東海道本線の北側が岐阜城の城下町で、南側が古くからの加納宿兼、加納城建設後の城下町だ。駅から南東側に10分ほど歩くと、道路端には石碑や案内板がある。

    列車に乗る前に時間があったので、駅の南側の中山道加納宿を歩いて探訪する。

    岐阜という名を付けたのは織田信長で、そもそもは中山道の宿場町の加納宿の方が古い。JR東海道本線の北側が岐阜城の城下町で、南側が古くからの加納宿兼、加納城建設後の城下町だ。駅から南東側に10分ほど歩くと、道路端には石碑や案内板がある。

  • 中山道加納宿本陣跡は、現在は個人の住宅。<br />幕末に江戸に向った皇女和宮も泊まったという。<br />きっと大名行列もお呼びに着かない豪華な行列だったのであろう。

    中山道加納宿本陣跡は、現在は個人の住宅。
    幕末に江戸に向った皇女和宮も泊まったという。
    きっと大名行列もお呼びに着かない豪華な行列だったのであろう。

  • JR岐阜駅に戻って、18きっぷの本日分に入鋏してもらって、東海道本線下りホームへ。<br /><br />入って来たのは7:45発の米原行き。(大垣止り乗換えを嫌って)<br />車両は専門外ですがJR東海の313系4両編成は快速で、ここからは各停になる。<br />先頭のクハ312に乗るが、今日は通勤客に、特急しらさぎ1号が名古屋~米原間部分運休ということで岐阜から乗車予定の特急客も加えて、混雑。<br />どうにか1駅で座れた。<br /><br />

    JR岐阜駅に戻って、18きっぷの本日分に入鋏してもらって、東海道本線下りホームへ。

    入って来たのは7:45発の米原行き。(大垣止り乗換えを嫌って)
    車両は専門外ですがJR東海の313系4両編成は快速で、ここからは各停になる。
    先頭のクハ312に乗るが、今日は通勤客に、特急しらさぎ1号が名古屋~米原間部分運休ということで岐阜から乗車予定の特急客も加えて、混雑。
    どうにか1駅で座れた。

  • 関が原にかかると、小学生で登った伊吹山が目の前に聳え立つはずだったが・・・。<br />今日は季節風が強すぎて、写真のように上部は雪雲の中。(醒ヶ井付近)<br /><br />間もなく8:47米原着。

    関が原にかかると、小学生で登った伊吹山が目の前に聳え立つはずだったが・・・。
    今日は季節風が強すぎて、写真のように上部は雪雲の中。(醒ヶ井付近)

    間もなく8:47米原着。

  • 米原駅からは9:00発。姫路始発の近江塩津行きのJR西日本の223系4両編成の新快速に乗継。どこか途中で後半部を切り離して来たのであろう。<br />新快速といっても、ここから北陸本線はローカル色で各駅停車、下りの乗客も少ないし。<br /><br />

    米原駅からは9:00発。姫路始発の近江塩津行きのJR西日本の223系4両編成の新快速に乗継。どこか途中で後半部を切り離して来たのであろう。
    新快速といっても、ここから北陸本線はローカル色で各駅停車、下りの乗客も少ないし。

  • 先頭車から前方を眺めていると、運転手さんは女性。もっとも男性の指導運転士が横に立って指導訓練中のようだ。まだまだ女性運転士に遭遇するのは珍しい。<br /><br />木ノ本を過ぎて、余呉湖にかかるが、雪はほとんど見られない。<br />余呉湖の、雪景色のすばらしい写真をよく見るが、残念。<br /><br />9:33終点 近江塩津着、4分待ちで後続の敦賀行きが来る。

    先頭車から前方を眺めていると、運転手さんは女性。もっとも男性の指導運転士が横に立って指導訓練中のようだ。まだまだ女性運転士に遭遇するのは珍しい。

    木ノ本を過ぎて、余呉湖にかかるが、雪はほとんど見られない。
    余呉湖の、雪景色のすばらしい写真をよく見るが、残念。

    9:33終点 近江塩津着、4分待ちで後続の敦賀行きが来る。

  • 終点の近江塩津駅に着く前にトイレに行っていて、車内放送がよく聞こえなかった。<br />2面ある島式ホームのうち、西側のホームに入り、東側のホームには特急が敦賀方面から入って来た。<br />下車すると「敦賀方面」と書いてあるので、降りたのが当然に下り線の専用ホームだと錯覚してしまった。乗換の人もホームに残っていたし。<br /><br />間もなく南から、乗るべき北陸線下り電車が来たが、何と、上り線専用ホームだと信じていたホームに向っている。慌てて慣れない地下道を捜してやっとホームに上がったら、ドアは閉まって発車して行った。乗継失敗。<br /><br />失敗の原因は、降りたホームが湖西線専用発着ホームだったこと。<br />上り線ホームと誤解したホームが北陸本線専用ホームだった。<br />(降りた乗り換え客は、湖西線への乗り継ぎ客でした。)<br /><br />止む無く、改札を出て、待合室で次の北陸線を待つ。<br />駅舎の周りには、写真のように、僅かに雪があった。

    終点の近江塩津駅に着く前にトイレに行っていて、車内放送がよく聞こえなかった。
    2面ある島式ホームのうち、西側のホームに入り、東側のホームには特急が敦賀方面から入って来た。
    下車すると「敦賀方面」と書いてあるので、降りたのが当然に下り線の専用ホームだと錯覚してしまった。乗換の人もホームに残っていたし。

    間もなく南から、乗るべき北陸線下り電車が来たが、何と、上り線専用ホームだと信じていたホームに向っている。慌てて慣れない地下道を捜してやっとホームに上がったら、ドアは閉まって発車して行った。乗継失敗。

    失敗の原因は、降りたホームが湖西線専用発着ホームだったこと。
    上り線ホームと誤解したホームが北陸本線専用ホームだった。
    (降りた乗り換え客は、湖西線への乗り継ぎ客でした。)

    止む無く、改札を出て、待合室で次の北陸線を待つ。
    駅舎の周りには、写真のように、僅かに雪があった。

  • 北側から見た近江塩津駅ホーム。右側が誤解した湖西線専用ホーム<br /><br />こちらが北陸本線ホームで、幸い30分後に下り列車があった。<br />この10:07敦賀駅行に乗る。<br /><br /><br />

    北側から見た近江塩津駅ホーム。右側が誤解した湖西線専用ホーム

    こちらが北陸本線ホームで、幸い30分後に下り列車があった。
    この10:07敦賀駅行に乗る。


  • 国境のトンネルを抜けると雪国ではなかった。<br />確かに山に雪は少しあるが、地面には殆どない。<br /><br />急な下り勾配を降りて行くと、敦賀駅10.20着<br /><br />写真は、広い敦賀駅の跨線橋から見た福井方面の山、中腹から上に雪がある。

    国境のトンネルを抜けると雪国ではなかった。
    確かに山に雪は少しあるが、地面には殆どない。

    急な下り勾配を降りて行くと、敦賀駅10.20着

    写真は、広い敦賀駅の跨線橋から見た福井方面の山、中腹から上に雪がある。

  • 写真は、敦賀駅前。<br />敦賀は「銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトに会える街」として売り出している。<br />駅前には写真の「銀河鉄道999」のモニュメントのブロンズ像がある。

    写真は、敦賀駅前。
    敦賀は「銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトに会える街」として売り出している。
    駅前には写真の「銀河鉄道999」のモニュメントのブロンズ像がある。

  • 同じく敦賀駅前の「銀河鉄道999の星野鉄郎とメーテル」のモニュメント。<br /><br />駅前から、氣比神宮に至る1キロほどの「シンボルロード」には28個のモニュメントが置かれている。<br />敦賀の街に松本零士氏の作品をモチーフとしたブロンズ像が並んでいるのは「銀河鉄道999=鉄道・科学・未来」「宇宙戦艦ヤマト=港・科学・未来」のシンボルということだそうだ。<br />敦賀は日本海側で最初に鉄道が敷かれた街で、戦前には東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、「日本でも有数の鉄道と港の町」だった。<br />このブロンズ像群だけでも、途中下車の価値がある。<br />

    同じく敦賀駅前の「銀河鉄道999の星野鉄郎とメーテル」のモニュメント。

    駅前から、氣比神宮に至る1キロほどの「シンボルロード」には28個のモニュメントが置かれている。
    敦賀の街に松本零士氏の作品をモチーフとしたブロンズ像が並んでいるのは「銀河鉄道999=鉄道・科学・未来」「宇宙戦艦ヤマト=港・科学・未来」のシンボルということだそうだ。
    敦賀は日本海側で最初に鉄道が敷かれた街で、戦前には東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走り、「日本でも有数の鉄道と港の町」だった。
    このブロンズ像群だけでも、途中下車の価値がある。

  • 駅前通りから国道を右折して歩くと、氣比神宮の大鳥居がある。<br /><br />北陸道の総鎮守でもあり、越前國一之宮でもある格式の高い神社で、建立は飛鳥時代とされて古く、松尾芭蕉も「おくのほそ道」で訪れたという。<br /><br />国道の交差点に面した木造大鳥居は高さ約11mとされ、日本三大木造大鳥居の一つとされるもの(他は春日大社、厳島神社)。 

    駅前通りから国道を右折して歩くと、氣比神宮の大鳥居がある。

    北陸道の総鎮守でもあり、越前國一之宮でもある格式の高い神社で、建立は飛鳥時代とされて古く、松尾芭蕉も「おくのほそ道」で訪れたという。

    国道の交差点に面した木造大鳥居は高さ約11mとされ、日本三大木造大鳥居の一つとされるもの(他は春日大社、厳島神社)。 

  • この写真が、敦賀駅から敦賀港駅に延びていた敦賀港線の休止された現在の姿。<br />休止線や廃線跡を訪ねるファンも多いが、踏切は柵で塞がれ、戦前に東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が通っていた面影は微か。<br />港側は、鉄道コンテナヤードなど。

    この写真が、敦賀駅から敦賀港駅に延びていた敦賀港線の休止された現在の姿。
    休止線や廃線跡を訪ねるファンも多いが、踏切は柵で塞がれ、戦前に東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が通っていた面影は微か。
    港側は、鉄道コンテナヤードなど。

  • JR貨物の鉄道コンテナヤードの一画には、明治時代の「旧敦賀港駅ランプ小屋」が修復保存、無料公開されている。<br /><br />蓄電池や電灯がなかったころの鉄道に思いを馳せる場所。<br /><br />

    JR貨物の鉄道コンテナヤードの一画には、明治時代の「旧敦賀港駅ランプ小屋」が修復保存、無料公開されている。

    蓄電池や電灯がなかったころの鉄道に思いを馳せる場所。

  • 旧敦賀港駅ランプ小屋の内部はこんな感じ。<br />当時は、視認性は悪かっただろうが、速度も遅かったので、夜間も安全な運行が出来たのであろう。

    旧敦賀港駅ランプ小屋の内部はこんな感じ。
    当時は、視認性は悪かっただろうが、速度も遅かったので、夜間も安全な運行が出来たのであろう。

  • 敦賀港の金ケ崎緑地周辺には、観光施設が点在する。<br /><br />写真は、その一つである観光拠点にリニューアルされた赤レンガ倉庫の脇に展示された気動車キハ28の静態保存車両。<br />この車両は旧国鉄時代の1961年からJR西日本移行後の1999年まで、急行「わかさ」として小浜線を走行していたという。<br />同系統のキハ58は、良く乗せてもらった懐かしい車両だ。

    敦賀港の金ケ崎緑地周辺には、観光施設が点在する。

    写真は、その一つである観光拠点にリニューアルされた赤レンガ倉庫の脇に展示された気動車キハ28の静態保存車両。
    この車両は旧国鉄時代の1961年からJR西日本移行後の1999年まで、急行「わかさ」として小浜線を走行していたという。
    同系統のキハ58は、良く乗せてもらった懐かしい車両だ。

  • つづく観光拠点のこの建物が、旧 敦賀港駅の駅舎で、「敦賀鉄道資料館」として無料公開されている。(この旅行記表紙が玄関の写真)<br /><br />敦賀に日本海側で最初に鉄道が敷かれた経緯とか、戦前には東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走っていたこと、北陸本線の改良など、日本でも有数の鉄道と港の町の歴史が分かる展示だ。<br /><br />

    つづく観光拠点のこの建物が、旧 敦賀港駅の駅舎で、「敦賀鉄道資料館」として無料公開されている。(この旅行記表紙が玄関の写真)

    敦賀に日本海側で最初に鉄道が敷かれた経緯とか、戦前には東京とパリを結ぶ「欧亜国際連絡列車」が敦賀港駅を経由して走っていたこと、北陸本線の改良など、日本でも有数の鉄道と港の町の歴史が分かる展示だ。

  • 観光客用に「ぐるっと敦賀周遊バス 」というのがあるので、帰りに乗車。<br /><br />市内の主な観光施設を、平日は1時間に1本巡回しており、JR敦賀駅から、金ケ崎宮や赤レンガ倉庫などに行くにはやや役立つ。休日はその中間時間に短縮コースが加わるので、使い勝手は向上する。<br />しかし1か所に1時間の観光では待ち時間が多く、平日は、歩ける人は、歩いた方が早い。<br />

    観光客用に「ぐるっと敦賀周遊バス 」というのがあるので、帰りに乗車。

    市内の主な観光施設を、平日は1時間に1本巡回しており、JR敦賀駅から、金ケ崎宮や赤レンガ倉庫などに行くにはやや役立つ。休日はその中間時間に短縮コースが加わるので、使い勝手は向上する。
    しかし1か所に1時間の観光では待ち時間が多く、平日は、歩ける人は、歩いた方が早い。

  • 敦賀駅に戻り、湖西線経由の12:23発 新快速姫路行に乗る。<br />JR西日本の223系電車で、4両で各駅に停車して近江今津まで行き6両増結され、近江舞子から新快速で姫路まで行く。便利になった分、過疎化も進むのだろう。<br /><br />

    敦賀駅に戻り、湖西線経由の12:23発 新快速姫路行に乗る。
    JR西日本の223系電車で、4両で各駅に停車して近江今津まで行き6両増結され、近江舞子から新快速で姫路まで行く。便利になった分、過疎化も進むのだろう。

  • 滋賀県境の深坂トンネルを抜けて下ると琵琶湖が見えてくる。<br />午後は、やや霞がかかった感じなのが惜しい。

    滋賀県境の深坂トンネルを抜けて下ると琵琶湖が見えてくる。
    午後は、やや霞がかかった感じなのが惜しい。

  • 湖西線は比較的新しい高規格の路線なので、高架部分が多く、展望が良い。<br /><br />左手はずっと琵琶湖で、右手には雪を被った比良山地が見える。<br />写真は近江舞子付近の比良山。ここからは新快速で快走。

    湖西線は比較的新しい高規格の路線なので、高架部分が多く、展望が良い。

    左手はずっと琵琶湖で、右手には雪を被った比良山地が見える。
    写真は近江舞子付近の比良山。ここからは新快速で快走。

  • 山科で東海道本線に合流して京都駅13:58着で下車。<br />駅前の京都タワーが歓迎してくれる。<br />出来た当初は不細工に見えたが、慣れは恐ろしい。<br /><br />京都駅のJCBラウンジの無料飲料で英気を養って、東山山麓を徒歩で巡る旅に出発。

    山科で東海道本線に合流して京都駅13:58着で下車。
    駅前の京都タワーが歓迎してくれる。
    出来た当初は不細工に見えたが、慣れは恐ろしい。

    京都駅のJCBラウンジの無料飲料で英気を養って、東山山麓を徒歩で巡る旅に出発。

  • 一番人気の清水寺に直行して参拝。レンタルの着物を着た女性が多い。こんなに流行っているとは。<br />参道が混んでいるのと、清水の舞台は工事中なので、勅使門と三重塔などを見て、混雑を避けて八坂神社方向に向かう。

    一番人気の清水寺に直行して参拝。レンタルの着物を着た女性が多い。こんなに流行っているとは。
    参道が混んでいるのと、清水の舞台は工事中なので、勅使門と三重塔などを見て、混雑を避けて八坂神社方向に向かう。

  • ここは途中の高台寺の西参道で、これくらい観光客がいないと、京都情緒がある。

    ここは途中の高台寺の西参道で、これくらい観光客がいないと、京都情緒がある。

  • 高台寺の下、秀吉の正室寧々が晩年を送ったという「ねねの道」には、このような触れ仏が道端に点在している。<br /><br />高台寺塔頭の月真院京都御陵の衛士屯所跡の前に、さりげなく置かれた路傍の触れ仏は、本当に小さなお姿にもかかわらず、見事に雰囲気を醸し出している。<br />

    高台寺の下、秀吉の正室寧々が晩年を送ったという「ねねの道」には、このような触れ仏が道端に点在している。

    高台寺塔頭の月真院京都御陵の衛士屯所跡の前に、さりげなく置かれた路傍の触れ仏は、本当に小さなお姿にもかかわらず、見事に雰囲気を醸し出している。

  • その先の八坂神社も大混雑。まだ初詣態勢だ。<br />南側の表参道にある石鳥居から入って、本殿に参拝。<br />早々にこの有名な西門から四条通りの東詰めに出る。<br /><br />祇園などを散策して、京都らしい南座から鴨川、高瀬川を渡って河原町通りへ。

    その先の八坂神社も大混雑。まだ初詣態勢だ。
    南側の表参道にある石鳥居から入って、本殿に参拝。
    早々にこの有名な西門から四条通りの東詰めに出る。

    祇園などを散策して、京都らしい南座から鴨川、高瀬川を渡って河原町通りへ。

  • 今日の宿は、繁華街の河原町三条に新しくできたホテル。<br />なんと敷地は幕末に後藤象二郎が泊まっていた宿の跡地で、高瀬川の船溜まりを挟んで、坂本龍馬が呼べば応えられるという宿にいたという。<br /><br />ホテルの玄関前の誰でも入れる部屋には、その解説とジオラマがあって、興味深かった。

    今日の宿は、繁華街の河原町三条に新しくできたホテル。
    なんと敷地は幕末に後藤象二郎が泊まっていた宿の跡地で、高瀬川の船溜まりを挟んで、坂本龍馬が呼べば応えられるという宿にいたという。

    ホテルの玄関前の誰でも入れる部屋には、その解説とジオラマがあって、興味深かった。

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