2018/12/17 - 2018/12/21
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薔薇の咲く庭さん
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この旅行記のスケジュール
2018/12/19
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車での移動
ホテル→ グアム一日ツアー → ホテル
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ガーンポイント→太平洋戦争国立歴史博物館→スペイン古橋→ソルダット砦→タロフォフォの滝
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→横井ケーブ→南太平洋戦争戦没者慰霊公苑→恋人岬
この旅行記スケジュールを元に
グアムの楽しみ方はいろいろあることは知っていましたが、やはりどのような島なのかを知りたいと思い一日ツアーに参加することにしました。周遊するバス便等はないので、ツアーに参加する方法しか考えられませんでした。ドライバーズライセンスはもっていません。日本で予約をしておき、現地でピックアップしてもらう方法です。日本人ガイドさんが案内してくれたのでよくわかり有意義な時間になりました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
PR
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朝、ホテルの部屋に電話がかかり、「薔薇の咲く庭さん、8時50分にホテルの前で待っていてください。黒のベンツで迎えに行きます」
なんという親切なガイドさんだろうと感激。
ヨーロッパでベンツはけっして珍しい車ではありませんが(タクシーもトラックもベンツです)、ここ、グアムで聞くとなぜか新鮮に聞こえるはやはりヨーロッパから地球を半周したあたりにグアムがあるからでしょう。 -
迎えに来てくれた黒のベンツに乗って、ガイドの吉○さんと運転手のソ○さんの運転で向かう先はガーンポイントです。
日本人の方が車に先に2組同乗していて総勢8名で向かうことになりました。 -
綺麗な海。
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着いた所はガーンポイントと呼ばれる第二次世界大戦でアメリカ軍が上陸し、大激戦になった場所。
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日本とアメリカの半旗が掲げられていました。その下には砲台。これでアメリカ軍の上陸を阻止しようとしたそうです。
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アメリカ軍は300以上の上陸用船艇で上陸したのを、日本は砲台と1000名ほどの大隊で迎え撃ったというのですから、阻止は無理でした。
アガット湾の綺麗な景色が広がっています。 -
ガイドさんの話では「応援が来るのでそれまで持ちこたえよ」といわれて、奮起して戦ったそうですが応援は来ませんでした。そのような余力はもう日本軍にはなかったそうです。
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これが対空砲。これで打ち落とすことは難しそうです。
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アメリカ軍が上陸してきたときの写真が掲示されていました。
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近くの岩には弾丸が打ち込まれた穴の跡が残っていました。
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これも海を向いて置かれています。
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今は太平洋戦争公園として整備され緑が広がっています。
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次に訪れたのは太平洋戦争国立歴史博物館。
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グアム島の戦争の歴史の資料が残されていました。
最初にビデオを見ました。
チャロモ族がアメリカの植民地になり恩恵を受けたと表現されています。 -
そこへ、日本兵がやって来ます。第二次世界大戦の始まりです。
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ハワイの真珠湾攻撃のわずか7時間後に戦闘が始まります。
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グアムは太平洋の重要な基地でした。
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英語と日本語で書かれています。
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グアムを占領することがアメリカ軍の燃料補給路を断つことだったそうです。
Wikipediaによると「第二次世界大戦末期(1944年)には11月24日以降はマリアナ諸島、サイパン島、テニアン島、グアム島からB29が日本の本土爆撃が可能になった」と記載がありますが、実際はグアム島からの攻撃はなかったと防衛省の公刊戦史には書かれているそうです。 -
太平洋戦争が始まってグアムの人々の生活は一変します。
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「大宮島」という名称で呼ばれたそうです。
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グアムの人々は日本軍に忠誠であったそうです。
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忠誠を尽くすように教育されました。
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日本に反抗的だった人々は
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ジャングルの中に逃げ、食料もない悲惨な生活を送ったそうです。
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そして、グアムをアメリカ軍が奪還します。
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17500人の日本兵が戦死しました。
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日本が占領した国の地図がありました。教科書で見たことがあります。
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そして、1945年9月2日に、ミズーリ号の上での無条件降伏条約を締結します。ハワイのミズーリ号上で見た写真を再びグアムで見ることになることは想像していませんでした。
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このほか戦争に関する記事がたくさん掲示されていました。
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グアムの人々は日本人をどのように思っているのでしょうか?聞いて見たかったです。タモンの町には日本人観光客がいっぱいいますから。
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ルーズベルト夫人の言葉が印象に残りました。「平和に取り組む」・・・。
グアムでは沖縄の海軍を移転させるために軍事基地を拡張しているのを帰り道で見ました。平和のために軍備を拡張する? -
さて、次は・・・
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海岸線を走ります。黒のベンツの天井から雫がぽたぽたと落ちてきます。ベンツなのに?
湿気が多いのでクーラーの吹き出し口に水がたまるのです。ベンツも湿気にはかないません。 -
来ましたスペイン古橋。アメリカ史跡記念物。
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グアムはスペイン支配の歴史がマゼランが来た後330年ありますが、その時代(18世紀)に作ったそうです。海岸線を渡るときに必要だったのでしょう。車窓から見ただけなので大きさはピンときません。
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海岸線に沿った道路を走り、南端近くに来ました。天気が良ければ海がきれいでしょうね。
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入り江が大きく見えてきました。
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ガイドさんの話ではこの辺りに3兄弟の牛が飼育されているとのこと。
いました。真ん中の黒いのが牛です。 -
ウマタック湾です。ここから18世紀にマゼランがグアム島に上陸したそうで、
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岸には5mほどのマゼラン上陸碑がありました。1521年にポルトガルの探検家が世界一周航海の時に初上陸したそうです。記念碑は1926年に建てられました。
下車して写真撮影の時間はありませんでした。車の窓からの撮影です。 -
きれいにウマタック湾が見渡せる丘の上に来ました。U字型の湾であることがわかります。
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この先にあるのは、
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ソルダット砦です。1802年に作られました。スペインがその当時統治していました。
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交易港のウマタック湾や交易船を海賊から守るために作られたそうです。ここから大砲を撃ったようです。
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解説がありました。日本語です。
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綺麗な入り江。ここに海賊が現れたのです。イメージできませんけれど・・・。
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天気が回復して海の色が青くなってきました。
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ココス島です。最南端の島。渡し船の乗り場がありました。台風で建物は皆吹き飛んでしまったので島には何もなくシュノーケルができるとガイドさんは言っていました。
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近くで見た民家です。ここは車社会。どの家にも車がありました。そして、どの家もコンクリートで造られています。台風で木造は吹き飛んでしまうのでしょう。
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天然のプールだそうです。イナラハン天然プールと呼ばれています。
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なるほど外海は波が荒くてとても泳げませんが岩を隔てたプールは波がありません。外海とどこかで繋がっているので珍しいのですね。週末にはたくさんの人がここで泳ぐとか。
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教会がありました。グアムはカソリック信者が多いそうです。
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海岸から内側に入って、
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草原の中を進みます。周りには畑などはなく見渡す限りの草原です。
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着いたところはタロロフォフォの滝入り口です。スペイン風です。
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ガイドさんンをお迎えしてくれたのはワンちゃんでした。4匹はいます。すごく人懐こい犬の集団でした。仰向けになってお腹を見せて従順の意を表すワンちゃんもいました。
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中は、ちょっとした遊園地のようになっています。
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ここがゴンドラの入り口です。ゴンドラに乗って滝まで行きます。
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これがゴンドラです。
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周りはジャングル。どんどん下りていきます。
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タロフォフォ川が見えてきました。
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わーう。滝です!
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ガイドの吉〇さん。東京都国分寺市の出身だそうです。英語はもちろんペラペラです。近々用事があって日本へ帰るとのことでした。
「日本は寒いです」と話すと3月に延期するようなことを話していました。 -
滝は2つあって順路が決まっていました。先に下の第二滝へ行きました。
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だんだん下って、
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全景が見えるところまで下りることができます。なかなか凄い!
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幅28m。高さ9mです。一枚岩だそうです。
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滝のすぐ近くへと道は続いています。
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途中で道を囲む柵が切れていて滝の岩に上がることができました。もちろん滝のすぐ近くというか、滝の水に触ってきました。気温より少し低い感じの温度でした。
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滑るように流れていました。
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第二滝を上まで上がると、横井ケーブの入り口に出ました。
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ここで虫よけスプレーを手足によくかけて、ジャングルを進みます。横井ケーブまでの道は舗装されていました。
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柵があり迷わないようになっています。進むこと300m。
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出ました。標識です。
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ん?ここ?穴はありません。
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観音像があります。
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横井正一さんはグアムでは英雄になっています。兵歴が書かれていました。
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地下に穴を掘り1mくらいの横穴で暮らしていたそうです。模式図が展示されていました。
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近くには横井さんの説明がありました。
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28年もよくジャングルの中で生き延びることができたと思います。タロフォフォ川の水と魚を取って命を繋いだとガイドさんは言っていました。
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写真がたくさんありました。
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これを見ている間に、蚊に3カ所刺されました。蚊よけスプレーがかかりにくかった右手の指です。蚊はスプレーの隙間をねらって刺すのです。凄い!
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ここが穴の入り口です。覗くと水がたまっていました。狭い縦穴です。こんな所に?と思うような場所です。
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すぐ脇にはタロフォフォ川が流れています。実際に穴のあった場所はここより300mほど奥だそうですが、十分にその様子が想像できます。
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こんなジャングルの中で28年間も生活しました。かなり蚊に刺されたことでしょう。食べ物などほとんどないところで。
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赤い小さな花が帰り道に咲いているのを見つけました。横井さんもこんな花を見ていたのでしょう。
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舗装したばかりのセメントの上を歩いた動物は何だったのでしょう?
動物がいるのです。 -
横井ケーブから戻って先へ進むともう一つの第一滝に出ました。
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揺れる吊り橋を渡りながらシャッターを切りました。かなり苦心して取った写真です。下は川。
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渡りきった所にハイビスカス。おしべが長ーい。
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帰りのゴンドラから第一滝の全景が見えました。
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海岸に出てくるとタロフォフォ湾が見えました。U字形の深い入り江です。
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その先の海岸。グアムっぽい。
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お昼ご飯は、
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オンワードビーチリゾートホテル。ブュッフェでした。
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海鮮がおいしい。
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プールの向こうに海が広がるグアムらしいホテルです。
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半島が見えてきました。この半島はすべてグアム大学の建物だそうです。白く見えているのが建物です。
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バガニアのカソリック教会が見えました。白く目立ちます。教会までの建物はほとんどありません。
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次は南太平洋戦没者慰霊公苑です。ここまで日本軍は逃げてきて玉砕した最後の地です。
車は途中までしか行きませんでした。遠くに合掌した形の塔が見えます。 -
わーう。両サイドから手を合わせた形です。
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そばには各国の国旗がはためいていました。
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歩兵18連隊戦没者慰霊碑と書いてあります。周りの雲の模様がなんとも言えません。
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慰霊碑
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これは海軍航空隊 この他にもたくさんの碑がありました。胸の詰まる思いをしました。ここで亡くなられているのです。
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さぞ日本へ帰りたかったでしょう。玉砕なんて・・・。考えてもいなかったはずです。
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近くには花が咲いていました。
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これがお寺です。
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「我無」をグアムと読むのだそうです。平和寺そうです平和寺です。
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中には大仏様がありました。
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遺留品です。
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一年に一度ここで合同の法要をするそうです。
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破れた日の丸が壁にかけてありました。当時のものだと思われます。
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ガラスケースがありました。ガラスケースには
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東京都立翔陽高校が平和についての寄せ書きを送っていました。
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広い公園になっています。訪れる人は少なさそうです。
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車は南に方向を変えて、通ったのは米軍基地。門の所にある掲示です。
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ここは拡張されるそうで工事を行っていました。道路も広げて渋滞にならないようにしていました。海兵隊の住居も作られるそうです。
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次の訪問地は恋人岬。行ってビックリ!凄い量のハート型の絵馬?が壁に繋がれていました。ハートロックウォールと呼ばれています。恋人たちの聖地みたいなところらしいです。
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ここには伝説があります。
スペイン統治時代に美しいグアムの娘がスペイン人の将校or総督に結婚を迫られて、グアム人の恋人と結婚することができず、 -
2人で逃亡します。
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しかし、逃げ切ることはできず、追い詰められた2人は髪を結んで、永遠の愛を誓いここから海へ身投げをしたというストーリーです。
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岬の所に5枚のパネルがあり、物語を説明しています。
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ここから身投げをするとは・・・。確かに景色は美しいのですが。
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下を覗くとかなり怖いです。
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青い海に吸い込まれていったのでしょう。
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アマンテス像。一度この像は「台風ポソナン2002」で吹き飛ばされて行方不明になっていますが、アメリカ人夫妻よってくず鉄屋さんで見つけられここに戻ってきました。
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グアム観光の写真によく出てくる場所です。全景が見えます。展望台はあまり広くありません。しかし、絶景は見られます。
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岩の上に載っている感じです。下は崖になっています。よく作ってあると思います。
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最近この岬を見渡せるところにカフェが作られたそうで、このツアーにはここでアイスティーが無料で飲めるサービスがついていました。
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この日のツアーで最後に見たのはなんと恋人岬の上を通過していくアメリカ軍のB52爆撃機でした。轟音がしました。平和な時代に生まれてラッキーでした。多くの方の犠牲があって今があります。
グアムというと常夏の暖かいヴァケーションの国というイメージですが歴史の一端を知ることができた一日でした。
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この旅行記へのコメント (6)
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- しょうちゃんさん 2019/01/23 11:03:45
- グアム島(大宮島)
- 今日は 説明に誤りがあります。
B29に関して、米軍がマリアナ諸島(サイパン・ロタ・テニアン島)を占領した(1943年7月)あと、日本本土への爆撃が可能になった〔航続距離の関係)ということです。グアム島からではありません。
2連装の対空砲(おそらく20ミリ)は、下の写真です。
なお、グアム島や比島は、スペイン(キューバを巡る戦い)とアメリカとの(米西)戦争の後、米国の領土〔現在も、キューバに米軍基地あり)になったということです。
では
- しょうちゃんさん からの返信 2019/01/23 21:26:33
- RE: グアム島(大宮島)日にち訂正
- > 今日は 説明に誤りがあります。
> B29に関して、米軍がマリアナ諸島(サイパン・ロタ・テニアン島)を占領した(1944年6月15日上陸ー1944年7月7日サイパン陥落)あと、日本本土への爆撃が可能になった〔航続距離の関係)ということです。グアム島からではありません。
現在でも、サイパン島アスリート飛行場、テニアン島に3000メートル滑走路が残っています。
グアム島には マリアナ沖海戦で日本海軍に大打撃を与えたあと、グアム島タモン湾に米軍が上陸、水際戦略は失敗し、後退しました。その後のサイパン島も上陸阻止に失敗。
1945年4月1日沖縄に抵抗も無くらくらくと上陸し、内陸部での戦闘に切り替えた。
> 2連装の対空砲(おそらく海軍の20ミリ)は、下の写真です。
> なお、グアム島や比島は、スペイン(キューバを巡る戦い)とアメリカとの(米西)戦争の後、米国の領土〔現在も、キューバに米軍基地あり)になったということです。
> では
最後に、親父はサイパン島で戦死しました。
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2019/01/25 07:00:30
- RE: グアム島(大宮島)
- 旅行記をお読みいただきありがとうございます。また細部までお読みいただきご指摘いただきましてありがとうございます。
私は戦争に関する知識は教科書程度ほどしかなくご指摘いただいた内容をWikipediaで調べさせていただきました。Wikipediaが正確な情報であるかは不明ですが、マリアナ諸島、サイパン島、テニアン島、と並んで一応グアム島も「日本本土ほぼ全域への戦略爆撃を開始した」と 記載されていました。
いずれにせよ太平洋戦争国立歴史博物館できちんと聞き取ることができなかったために正確な記載ができなかったことは事実です。博物館に記述された内容の文の掲示はなかったと思いますので根拠はありません。訂正させていただきました。
しょうちゃんさんは専門的な細部(月日)まで知識をもっていらっしゃり、誤りを指摘することができて素晴らしいと存じました。ありがとうございました。今後もよろしくお願い申し上げます。
薔薇の咲く庭
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2019/01/25 07:13:57
- RE: グアム島(大宮島)
- 旅行記をお読みいただきありがとうございます。また細部までお読みいただきご指摘いただきましてありがとうございます。
私は戦争に関する知識は教科書程度ほどしかなくご指摘いただいた内容をWikipediaで調べさせていただきました。Wikipediaが正確な情報であるかは不明ですが、マリアナ諸島、サイパン島、テニアン島、と並んで一応グアム島も「日本本土ほぼ全域への戦略爆撃を開始した」と 記載されていました。
いずれにせよ太平洋戦争国立歴史博物館できちんと聞き取ることができなかったために正確な記載ができなかったことは事実です。博物館に記述された内容の文の掲示はなかったと思いますので根拠はありません。訂正させていただきました。
しょうちゃんさんは専門的な細部(月日)まで知識をもっていらっしゃり、誤りを指摘することができて素晴らしいと存じました。ありがとうございました。今後もよろしくお願い申し上げます。
薔薇の咲く庭
- しょうちゃんさん からの返信 2019/01/25 11:29:21
- RE: RE: グアム島(大宮島)返信
- > 旅行記をお読みいただきありがとうございます。また細部までお読みいただきご指摘いただきましてありがとうございます。
>
> 私は戦争に関する知識は教科書程度ほどしかなくご指摘いただいた内容をWikipediaで調べさせていただきました。Wikipediaが正確な情報であるかは不明ですが、マリアナ諸島、サイパン島、テニアン島、と並んで一応「グアム島」も「日本本土ほぼ全域への戦略爆撃を開始した」と 記載されていました。
残念ながら 防衛省の公刊戦史にも、グアム島からという記事はありません。
海外の記事を、翻訳している知り合いがいますが、アマチュアレベルです。
また、朝日新聞(ww1イープル)や、第一次世界大戦の本・ポケット版(城西国際大)を書いている人がいますが、間違いがあります。本人が現場(戦場)にでかけておりません。その程度のレベルです。
Wikiは70%ぐらいの信用度しかありません。
元軍事史学会会員 これでもアカデミックの分野(経営教育)で働いていましたから。
1次データ(インタビューなど)を使った実証史学(例,秦氏)なら信頼できます。
元 C 大学大学院(博士課程)教員
では
> いずれにせよ太平洋戦争国立歴史博物館できちんと聞き取ることができなかったために正確な記載ができなかったことは事実です。博物館に記述された内容の文の掲示はなかったと思いますので根拠はありません。訂正させていただきました。
> しょうちゃんさんは専門的な細部(月日)まで知識をもっていらっしゃり、誤りを指摘することができて素晴らしいと存じました。ありがとうございました。今後もよろしくお願い申し上げます。
>
> 薔薇の咲く庭
>
>
>
>
- 薔薇の咲く庭さん からの返信 2019/01/28 17:23:10
- RE: RE: RE: グアム島(大宮島)返信
- しょうちゃんさん様
再三のご指摘ありがとうございます。
Wikipediaの信憑性は問題があることは存じておりましたので、ご指摘いただいた内容で再度訂正させていただきました。元 C 大学大学院(博士課程)教員をされていたとのことでその道の専門家であるしょうちゃん様の内容を記述させていただきました。私の夫も元Y大学で教授をしており、彼の専門的な知識に脱帽させられることが度々です。
ご指摘ありがとうございました。今後もよろしくお願い申し上げます。
私は今ワイキキにおります。真珠湾を再訪する予定です。
薔薇の咲く庭
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