2016/10/19 - 2016/10/19
117位(同エリア1318件中)
sio爺さん
松島訪問時、瑞巌寺の修復工事がほぼ終了して拝観を開始していたので、その様子は旅行記にまとめていたが、前年の観光船も含めて松島についてはまとめていなかった。今回も自分の備忘録のように振り返ってみたい。
- 旅行の満足度
- 4.0
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この画像だけ見ると、これは一体どこだ?と思われるが、JR松島海岸駅で列車からホームに降りて、海岸方面を見た画像。
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さあ、出発だ
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まずは、腹ごしらえ
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この券売機で食券を買うシステムだ
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イートインスペースは2階だった
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注文したのは、あら汁とねぎとろ丼。先にあら汁ができて、次にねぎとろ丼。ねぎとろ丼は新鮮で普通においしかったが、超おいしかったのは丼の御飯の方。酢飯になっていて味付けは抜群だった
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円通院は前年に参拝しているので通り過ぎ、
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瑞巌寺に向かった。
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瑞巌寺の本堂は拝観開始しているが、修復工事自体はまだ完成していなかった。平成20年から平成30年春まで、国宝瑞巌寺平成の大修理(国宝瑞巌寺本堂ほか七棟建造物保存修理事業)が行われ、安土桃山文化を伝える建築・美術の精華である創建当初の姿となるそうだ。
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本堂の内部は見学できた。孔雀の間、文王の間、上段の間など各部屋の天井や襖絵、彫刻、装飾金具など大変素晴らしいが、残念ながら撮影禁止なので画像はない。
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庫裏は禅宗寺院の台所で、昭和34年に国宝に指定されている。
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庫裡で見学できるのは、入口付近と天井部分。中央付近の観音像は、高村光雲作ということだ。瑞巌寺は旅行記にまとめているので、これで終了。
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瑞巌寺を出て海岸方面に向かい、まずは福浦島。福浦島へ行くには有料の橋を渡らなければならないので、ここでチケットを購入。
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ここに出て、朱い橋を渡る。
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橋を遠目で見ると、こんな感じ。
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だんだん島に近づく
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福浦島に上陸
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福浦島 島内案内板
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少し紅葉が始まっていた
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時間もあまりないので、戻ろう
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次に向かったのは、五大堂。
現在の建物は慶長9年(1604)伊達政宗公が瑞巌寺の再興に先立って再建し、現在も瑞巌寺の境内に含まれ、国の重要文化財に指定されている。 -
この橋を渡って、右手に見えるのが五大堂。
この橋は、すかし橋で、足下が透かしの構造になっているのは、「五大堂への参詣には身も心も乱れのないように脚下をよく照顧して気を引き締めさせるための配慮」ということだ。 -
堂宇は小ぶりだが古さを感じさせて趣があり、
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周囲は海の青と木々の緑がとけあい素晴らしい景観だった。
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あ~、松島や 松島や
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次に向かったのは、観瀾亭と松島博物館
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ここを通ると、
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この建物が海岸に面していた。この建物は文禄年間に伊達政宗が豊臣秀吉から拝領した伏見桃山城の一棟で、江戸品川の藩邸に移築したものを二代藩主忠宗がこの地に移したものと伝えられている。
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ここからは、こういう景観が見えた。
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建物はここに続いている。
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松島らしい景観を
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たっぷり味わえる
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団体さんが入ってきたので、博物館に移動する。
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松島博物館入口
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政宗公自筆書状の公開
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博物館内部はこんな感じ。
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松島周辺を上から見る設定
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奉献手水盤。政宗公の廟である鳳凰殿に奉献されていた手水盤は、戦後、観瀾亭とともに伊達家から松前町に譲渡されてここに保存されているとのこと。
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ここからは、前年度の松島訪問時、塩釜行の遊覧船からの画像。出航してすぐに、五大堂が見えた。ということは、五大堂に行かないで塩釜に向かったことが判明した。
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船内アナウンスの方がいろいろ説明してくれた。
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塩釜までの時間、松島湾の景色を見ながらゆったりとした時を過ごした。
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