1996/03/27 - 1996/03/30
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スタリモストさん
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職場の慰安旅行が2度目の渡航だった。旅行先は韓国ソウル。日本の朝鮮半島支配を象徴する「朝鮮総督府」の姿を解体される前に見ておきたかった。
この旅でも、海外旅行初心者は、明洞の夜にさまよって、失敗をしてしまった。
※日本旅行の『JALで行く!どきどき韓国/ソウル3日』という、34800円からのツアーだったが、1泊延泊して4日滞在し、時期もあって76800円支払った。
空港からホテルへの送迎と、「プルコギ食べ放題・マッコリ飲み放題」の夕食が1回付いて、あとはフリープランのツアー。
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■1日目(3/27水)
関空から1時間45分余のフライトの後、金浦空港に着いた。
現地旅行社のガイド韓さんが出迎えてくれた。バンに乗り込み、ホテルへむかった。 -
ビュンビュンスピードを上げて疾走する車から、窓外のビル群に目をやったが、日本の広告は見つからない。味の素もトヨタもなかった。日本企業に対してだけのことなのか、それとも大型看板を規制する条例があるのだろうか。それとも見落としたのかな?
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ホテル「ソフィテルアンバサダー」に着いたのが、昼の1時半。ガイドの韓さんとはここでお別れ。
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荷物を置いて、地下鉄で景福宮に出かけた。
光化門から正殿の勤政殿に通じる参道の途中に、これを断ち切るように朝鮮総督府が建てられている(1926年建造)。朝鮮半島に対する、植民地政策の実態を象徴する建物だ。18年間総統府として使用された後には、米軍政庁舎、韓国中央政府庁舎に転用され、現在は、国立中央博物館となっている。
金泳三政府はこれの解体を決定し、光化門へから導かれる景福宮の全面的な復元と整備を、国家事業として進めていた。
※光化門より。博物館側は遮蔽されている。 -
解体作業のための足場が組まれている。
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「勤政殿」・・李氏接見の館
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勤政殿側から「旧朝鮮総督府」を写す。
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南大門に地下鉄で出た。
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夕食は、南大門市場でとった。上野のアメヤ横町のような活況だ。
現在と同じように、当時も日本との間に竹島をめぐる領有権問題に揺れていたが、頭上には島の死守を大書した横断幕が下がっていた。 -
日本語での客引きがやたら多かった。
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「見ていきなよ」「安いよ」「社長どう」と声があちこちからかかり、手を引かれた。
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若い女性がさなぎの甘露煮を、スナック菓子のように食べていたのにはびっくりした。
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豚の頭部が店頭に鎮座した店に入った。
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ビビンバや豚足などを食べ、マッコリを飲んだ。韓国は隣りの国だけど、味付けにはあまり馴染みがなく、食文化の違いを感じた。でも熱々のビビンバはとても美味しかった。
夕食の後、明洞を散歩してホテルにもどった。翌日の夜も界隈を散歩したが、その時・・。 -
■2日目(3/28木)
同僚とは別行動して、1人でソウルを散策した。
1395年に創建された曹渓寺(チョンゲサ)を訪れた。 -
巨大な仏画が軒からぶらさげられ、これに手をあわせる人たちがいた。・・朝8時、線香の煙が舞い、祈りが境内に響いていた。静かな朝のひとときだった。
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開館時間にあわせ、昨日も行った景福宮を再び訪れた。
1394年に建立された景福宮は、朝鮮王朝建国の祖、李成桂の正宮だ。
※右・・思政殿/左・・千秋殿 -
景福宮の建物は丹青(タンチョン)という青赤黄白黒の5色に彩られ、工芸品のように緻密で見事だ。
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すぐれた第一級の職人と資材をおしげもなく投入し、創建当時の壮麗な王宮が姿を現しつつある。2009年にはすべてが復元されるとのことだ。
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・・・・群れている鳩を眺めたり、結婚記念の写真撮影に目を休めながら、故宮のたたずまいに身を寄せた。
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李氏時代にタイムスリップしたかのよう・・・。
現代の名工たちが復元に携わっている宮内の建物は、実に端正で美しかった。 -
旧朝鮮総督府である国立中央博物館に入館した。
※入館チケットより -
博物館正面右
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右後方
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エントランスホール
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そして11月には、解体がほぼ完了した。
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民族博物館にも入館した。
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守護神「チャンスン」
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昼からは戦争記念館に行ってみた。
「先祖の護国の精神や国のために献身した先烈の愛国精神を追慕する殿堂・・」とパンフレットには書かれてあった。 -
日本が植民地支配した当時の状況も克明に展示されていた。一人入館していると、批判と憎悪のまなざしが、日本人の私にむけられているように感じた。
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館内には戦争体験室というのがあった。ライトを落とした暗くて広い部屋にミニチュアで野戦の再現がなされ、大きなスピーカーが弾丸音を繰り出し、電光が走る。振動とともに爆弾が炸裂する。こうした施設を必要とする、韓国の置かれてきた歴史や「今」に思いをはせた。
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ソウル駅に行ってみた。
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構内は大変広くよく整備されていた。ちょうど韓国と日本のサッカーの試合がテレビで中継されていたが、結果は2対1で韓国の勝ち。翌日の韓国新聞に「日本KO」の文字が踊っていた。
構内のショップでパンソリのCDを2枚買った。この後訪れたロッテワールド3階の民族館ステージではたまたま、パンソリをやっており、浪々と響くその哀調を帯びた歌声に心動かされた。 -
駅前の様子。今はずいぶん変わっただろうな。
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駅前では、たくさんの人たちが輪をつくっていた。にんにくの無料配布に人だかりがあった。選挙活動だろうか、オレンジ色の旗を立て壇上から何か訴えている人がいた。
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夕刻、後発の5人と合流し計8人で、「多来園」という店で「プルコギ食べ放題・韓国焼酎飲み放題」だ。
山のように出てきたプルコギ(牛薄肉)。これを網で焼き、給仕の女性がハサミでカットしてくれる。何回もおかわりしたが51人分食べた所でストップがかかった。食べ放題の看板にいつわりありと抗議するのも大人げないので、カルビやホルモンを注文した。 -
ホルモンは20㎝から30㎝の長い腸そのものの姿で出てきた。味付けが口にあってとても美味しかった。とにかく食べに食べた。飲みに飲んだ。同僚たちとのツアーの醍醐味だ。
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ホテルにもどったあと、今日着いた同僚と、2人で明洞に出かけた。屋台で揚げ物を食べていた時、学生風の男に声をかけられた。「日本語勉強しているのでつきあつてくれませんか・・。 」と。こちらは随分酔いも回っていたので、誘いに乗った。 フレンドリーな交歓を期待していた。コーヒーショップで話しをしたあと、飲もうということになり、入った所が、女性(1人)が横に座るカラオケ付きのバーだった。
そして1時間後、6万円の請求!!・・。とても高くついた日韓交流となった。
※この旅以降、旅先で、「日本語で話しかけてくる輩には注意怠らず。」と戒めることになった。
※学生風に、不用意について行ったこちらの脇の甘さは、否定のしようがないのだけど、(この時、日韓交流に準ずる活動を地元でしていたものだから、なおのこと)ボッタクリにしてやられた、悔しい気持ちは、ちょっとの間消えなかった。しかし、今にして思えば、明洞のバーの相場が、支払い額相当だったとすれば、ボッタクリと言えるかな?。バーのボッタクリって桁が違うのじゃないかなあ・・なんて思ってみたりしている。 -
■3日目(3/29金)
「大韓旅行社」が催行するツアーで、板門店の共同警備区域(JSA)を訪問した。ツアー料金として12000円支払ったが、この旅行の現地ツアー会社を通してチケットをとったので、高くついた。
板門店は、ソウルの北60㎞(北緯38°の南方5㎞)に位置している。1953年に朝鮮戦争の休戦協定が調印された場所で、休戦ラインを中心に2㎞にわたって儲けられた非武装中立地帯(DMZ)の真ん中に軍事停戦会議場がある。 -
途中立ち寄った「統一公園」にて・・「肉弾10勇士忠魂碑」
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道路に併走していた鉄路が途中で断ち切られているのを横目に、国連軍司令部支援隊のキャンプボニファスに入る。
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訪問者は国連軍のゲストとしての処遇となる。昼食が出されたが、特大のローストビーフで、いかにもアメリカ的な代物だった。食後、共同警備区域に入るにあって、宣誓書にサインすることを命じられる。「事変や事件の予知が出来ないので命の保証はできない。」などが冒頭うたわれ、北にむかい手をふるなどの示威行為の禁止などが書かれていた。
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37度線は今なお軍事的緊張が続いていることを実感する。帰国直後の4月6日、北朝鮮軍がこの共同警備区域に、協定違反進入をした事が翌7日付の新聞に大きく報道されていた。
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「自由の家」
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報道で見慣れたシーンだけど、緊張感が走る。
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体半分隠して、銃撃に備える。人形かと思えるほど、微動だにしない。
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軍事停戦委員会の建物に入った。建物の中央にはラインがひかれ、隊員の右側が北朝鮮側となる。しかし、建物内のみこのラインを越えることが出来る。本当ならば引かれるはずもなかったラインだ。政治と大国の思惑で一つの国が分断されてしまった。肉親や友達や恋人が分けへだたれた。その重たい事実を前に胸がしめつけらる思いがした。
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「帰らざる橋」UN軍第3哨舎は北側より数メートルの所に。
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バス内での説明は、北の残虐と非道を喧伝することに終始していたように記憶している。別離をよぎなくされている人々が、平和の内に自由に行き来できる環境が一日も早く整うことを願う。
※北側の最南端の村・・ガイドは「宣伝村」と強調していた。 -
夕食はロッテデパートのレストランで参鶏湯(サムゲタン)を食べた。丸ごと一羽の雛鳥の腹に餅米をつめ、朝鮮人参・ナツメ・栗・ニンニクとともに煮込まれている。沸騰している状態で出てきた。あつあつを口にほおばると体は一気に温まる。体に良さそう一品だった。
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■4日目(3/30土)
帰国の日の朝、東大門の市場の屋台で朝食を食べた。 -
カボチャのおじややぜんざい、おでんなどを口にした。初日に少し違和感を感じた料理も不思議に味わい深くなってきた。
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市場でみやげに明太子を買った。店主は流暢な日本語を喋り応対してくれた。
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行政機関の近くには機動隊の隊列があった。当時盛んに行われていた学生デモに備えてだろうか?。地下鉄の出入口にも機動隊が配置されていた。威圧を与える光景だった。
職場の慰安の旅行ではあったが、意義のある、そして旅のノウハウを学べた旅でもあった。
(初めての海外旅行に続いて、今回も高い授業料を払ったけれど・・。幸いなことにこれ以降、大きなトラブルにあうこともなく、旅を楽しめている。あ。そう言えば、無理をしたサイクリングで、妻が怪我をした一件があったなあ。https://4travel.jp/travelogue/10182098
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