1993/08/25 - 1993/08/30
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スタリモストさん
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四半世紀前の1993年41歳の時に、ツアーを利用してバリ島とボルブドールに出かけたのが、初めての海外旅行だった。妻と一緒だったが、彼女は前の年にアメリカにツアーで出かけているので、2度目の旅行だった。
この旅行は、「初めて」だったということだけでなく、忘れられないエピソードが旅行中や旅行後に付随していて、今だにあれこれのことが鮮明に思い出される。
■今後も、未投稿の旅数編をあげていく予定。・・
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■1日目(8/25水)
フライトは名古屋空港だったので、空港前のビジネスホテル「エアーライン」に前泊した。10時に団体受付カウンターに集合し、行きの搭乗券と帰りの航空券を受け取った。添乗員は同行せず、現地のツアー会社が対応するスタイルだった。
初セキュリティーチェックと出国審査・・・ドキドキした。(←出国カードとインドネシア入国カードを、旅行業者に用意してもらっていたような記憶もある。ホント初心者だった。)
飛行機はガルーダインドネシア航空のバリ直行便GA-859で、定刻12:00に離陸した。機内では、インドネシアの女性アテンダントがサービスする2度の機内食を楽しんだり、ビールやワインを傾けながらバリ島に思いをはせたので、8時間余りのフライトも長くは感じなかった。
そして赤道越えのアナウンスの直後、デンパサールのングラ・ライ空港に18:20に降り立った。
入国審査は出国の時よりも緊張を強いられたが、何も尋ねられることはなくあっさり通してくれた。
バゲッジクレームで、自分のを見つけて横に置いた直後に、そこにいたユニフォーム姿のポーターが、頼みもしないのに運んで行く。何度か「Nothankyou」をくり返したが、集合場所まで持っていかれて、チップを要求してきた。でも勝手に運んだ訳だし、持ち合わせていたドル紙幣は5ドル札以上だったから、結局チップは渡なかった。あの時の残念そうなポーターの顔が思い出される。申し訳ないことをしたかな?。
ツアーの現地担当が待ち受けていて、同行の人たちともに、『バリ・ガーデンホテル』にチェックインした。記録には、「バリ・ガーデンホテルは1989年に日本とインドネシアとの最初の合併事業として建てられた。」と書いているが、はたしてどうなんだろう。
※「バリ・ガーデンホテル」 -
着後はフリータイムとなっていたので、少し休んで、『プラザ・バリ』に、無料の周遊バスを利用して出かけた。大きなショッピングセンターで、ステージではガムランの音色に合わせてレゴンダンスが披露されていた。バリ島に出かけようと思ったったのは、この島の芸能や民芸に惹かれたこともあったので、嬉しいウェルカムステージだった。
店内に並んでいた精緻な木彫や絵画、そしてバテックなどの布製品にも目が行ったが、初日であったので買い物はしなかった。
ホテルにもどり、レストランで軽く食事とった。機内で夕飯を食べていたので、それほどお腹は減っていなかった。テーブルサイドに3人のミュージシャンが立ち、インドネシアの歌を演奏してくれた。こうした体験はもちろん初めてで楽しいひと時だった。
部屋にはトッケイが潜んでいて、ケケケっという甲高い鳴き声を発したのも楽しい思い出だ。
※「プラザ・バリ」 -
■2日目(8/26木)
ホテルの敷地内は南国の朝の光に溢れていた。とても気持ち良い。
ホテルのレストランの朝食で一番印象に残ったのは、スクランブルエッグだった。卵の風味が濃厚で衝撃を受けた。今まで食べてきた卵はなんだったんだろう・・と思うほどだった。屋外で飼われている野趣溢れる鶏を思い浮かべながら、毎朝食べることになった。 -
午前中は、ホテルの近くを散歩したり、クタ海外にも足を向けた。
当時はもちろん携帯などの通信手段はなく、日常の生活や職場とも完全に途絶するので、解放感がジワジワと満ちてきた。これも旅の喜びであることを実感した。
バリ・ガーデンホテルから歩いて、数分の所にあった土産物屋の集合体である『アートマーケット』に行ってみることにした。
その途中でスリにあった!!。
6人ほどの子どもたちが、皮製のミサンガを持って近づいてきた。ちょうどサッカー選手が験担ぎのためにそれを手に巻くのがはやっていた時期だった。子どもたちは私たちの前に立ちふさがり、束にしたミサンガを私の腰のあたりで振りながら「ミサンガ」と連呼した。買う気はなかったから、彼らを両手で(邪険にではなく、「ごめんね、いらないんだ」という感じで)振り払い、やっとその攻勢からぬけだしたが・・・・、腰につけていたウエストポーチを見たら、チャックがあいていた。中を確かめるとサイフがない。・・すぐに後を振り返って、子どもたちを追いかけようとしたが、誰一人いない。財布に入れていた2万円をすられた。子どもたちは、いずれも裸足だったし顔も薄汚れていた。服も所々破れていた。
ホテルにもどった時、ホテルガードマンは「彼らは、ロンボク島から来たに違いない。子どもらを率いる大人のボスがいる。スリが商売だ。」と・・。偏見も入った見解だろうが、白昼堂々、子どもだからと油断させる方法で、集団的にスリが行われていることに強い憤りを感じた。でも、私のような観光客にも相当問題がある。ウエストポーチに大金を入れるなんてあり得ないことだ。今だったら絶対にしない。
「日本人はお金持ち」「日本人はカモネギ」の成功体験を与えて、後続の日本人が同じ被害に遭ったとしたら申し訳ないことだと思った。一番残念だったのは、旅は始まったばかりなのに、警戒心がやたら強くなったことだ。可愛い笑みをたたえた子どもや、近寄ってくる善良なインドネシア人も、良からぬ魂胆をもっているように思えて、過度によそよそしくしたのが悔やまれた。
警察に届ける選択肢もあったが、旅行保険では現金盗難はカバーされていなったし、短い旅の日程に手続きの時間を使いたくなかったし、そして英語力にも自信がなかったから、結局警察には足を向けなかった。
※2万円は、当時のレートでは380000ルピア。ホテルガードマンの月収は175000ルピア、公務員の月収は600000ルピアと聞いた。食費は、1日100 円で事足りるとも言っていた。物価は日本の4~5分の1という感じだった。
無防備なコチラに非があったと、気を取り直して、散歩を続行した。
まずトラベラーズチェックで現地通貨ルビアに両替した。1円が19ルピア(IDR)というレートだった。 -
クタの海岸を散歩。・・「三つ編み屋」と「マッーサージ屋」のおばさんたちがたくさんいて、「ミツアミ、アマンカ」「アマカワ、トッテアゲルヨ」としつこく勧められたが、波打ち際に近づくと、見えない立ち入り禁止の線があるかのように、付きまとわれなくなった。
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妻は『Ud tirta harum』という店で、アジアンぽい鞄をお土産に数個購入した。(写真はウブドで買った分も入っている。自分用の一つをのぞき土産用だ。海外旅行なんて、めったにできないはずだからと、旅に出してくれたあの人、この人のために、気合いを入れて買っていた。)
値札の付いていない物を買うというのも初めての体験だった。初めは1つ60000 IDRだったが、値段交渉の結果、3つ72000IDRになった。「friendly price」「last price」等と言いながら値段が下がってくるが、それでも「マハル!」(高い)と言い、店を出ようとすると「OK」してくれた。鞄を購入することで、買う時の流れを一通り体得したおかげで、残された旅程での値段交渉は割りとスムーズに行ったように思う。
でも、高い値段で買ったからと言って、その事がただちに不当ということではないだろう。納得して買えば、それは高くてもボッタクリとはならない。要するに、市場のセリと同じだ。・・と思った。買う前に相場を事前学習しておく必要はあるだろう。 -
そして、昼からはボロブドゥールだ。(ツアー料金に含まれていた。)
ホテルにピックアップの車が来て、12:55のGA-635便でジャワ島に飛んだ。 -
13:05にジョクジャカルタに着陸した。(ジョクジャカルタとバリには1時間時差がある)。
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空港のトイレ。「トイレットペーパーなし」と初ご対面。その後の渡航の中で、すでに何度もペーパーレス処理は積んできているが、この時はさすがにそれが出来なかった。
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中華料理のレストランで昼食後、いよいよ大仏教遺跡ボルブドールへ。
田園風景の中から現れたその姿は、圧巻だった。 -
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帰り、ムドゥット寺院へ。ガードマンが、銀紙を張ったボードで日光を反射させ、お堂の中の仏像を見せてくれた。
しかし、入り口までの、物売りの攻勢には辟易した。ここは相当気合の入った商売をしていた。かわいいワヤン(人形)につい目が行ってしまい、「いくら?」と聞いたのが運のつき。10人以上の物売りに取り囲まれて、前に進むのにも困窮するほど・・。その時のおばさんの真剣な表情が、今だに脳裏に刻まれている。
でも「シャチョー」と声をかけられたのには、げんなりした。日本語で「ヤスイヨ・ゼンブデ1000円カワンカ」も滞在中何回聞いたことだろう。
バリ島には、世界各地から観光客が訪れていたが、当時一番目についたのは日本人だった。免税品店内は、9割までが日本人。(私たちは全く興味がない分野だけど)高級ウイスキー・香水・洋服・バッグを手当たり次第買っていた。 -
夕飯は、シーフードレストランで。ツアー料金には含まれていなかったが、なぜかタダ。その時に、ボロブドゥール観光の際撮影されたビデオを見せられる。このビデオテープを「5000円で買わないか?。」ということだった。他の客のほとんどが買っていたが、別に繰り返し見ることもないだろう・・と思って買わなかった。夕飯代はこのビデオ屋が負担していたようだ。買わなかった私たちには、空港までついてきて買わせようとした。2000円ほどにさがったけれど、それでも買わなかった。・・
20:40 発 GA-618 でデンパサールへ。
機内ではケーキとコーヒーが出た。何分間か、エンジン音や振動がなくなり、空の一点に留まっているような、あるいはスーと滑っているような、静けさにつつまれる時間があった。夜であり、機上にいることを忘れる奇妙な体験だった。サンテクジュペリの「夜間飛行」のくだりを想起した。
22:45にングラ・ライ空港着いて、ホテルに戻った。
※随行のビデオカメラマン -
■3日目(8/27金)
この日はツアーでバロンダンスを鑑賞し、その後午後3時頃まで、いろんなアートショップに立ち寄ることになっていた。 -
バロンダンスは、デンパサールの『Sari wisata budaya』で鑑賞した。ガムランの調べがとても心地よい。勧善懲悪物語ではない話しの展開もユニークだ。調べに乗せて演者が高揚していくと、(疑似?)トランス状態で、胸に木剣を突き刺し、長老が演者に聖水をかけて覚醒を促していく。
写真は、ツアー客の中で懇意になったYクンが撮ったもので、高性能な一丸レフを携えていた。中学校の美術教師で、ジャズを愛好しニューヨークのダウンタウンをイメージした絵画を描いていた。同じ関西に住んでいることもあり、旅行後にも交流していたが・・・あのような悲劇的な結末が待ち受けていようとは・・(末尾に記載) -
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鑑賞のあとは、アートショップのはしご・・。
その1、チュルク村では、銀製品ショップへ・・買わない。
その2、マス村では、木彫ショップ『AYANGAN SUCI 93』(写真)に入った。
ここに並んでいた木彫はとても素晴らしかった。精緻にしてしかも大作がどどーんと並んでいた。もうこれは買いでしょう。 -
手の込んだ40㎝四方のマホガニーのラーマヤナレリーフを買うことにした。スタートは900ドルからだったが、黒壇のガネーシャ像のトルソを付けて、300ドルで手を打った。レリーフは、今も我が家の玄関で、お客を出迎えている。
このレリーフは、技術的にも、完成度の点も大変高く、何度見てもあきない名品だと思っている。日本の欄間彫刻のように多層的表現が施されていて、前面の人物や木々の後ろにも木の幹や葉が細かく彫刻されている。どのようにノミを入れたのか不思議に思う。卓越した技術に驚嘆するばかりだ。欄間彫刻と言えば、富山の井波町が有名だが、バりの木彫職人たちとコラボすれば、また次元の異なる素晴らしい作品が生まれるのではないかなあ。 -
その3、バトゥアン村では、絵画ショップ『Dewa Ketut Rai』で、IWY SUTAMとWI KT RAIという2人の作家の、バロンダンスとバリの風景を融合させた絵画を木彫額付きで買った。
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顔の表情に稚拙な所もあるが、圧倒的な緻密さには驚嘆した。値段は忘れてしまった。
その4、バティックの店にも立ち寄り、染色の行程をみせてくれた。 -
その5、地元の人たちに御用達の市場にも立ち寄った。
ランチは、サヌールのレストラン『Hong Kong』で中華料理。そのときネコが足下にやってきて、ずいぶん戯れて楽しい時間を過ごしたことを覚えている。
午後3時頃ホテル着で解散。現地ツアー会社がマージンを稼ぐためだったようにも思えたが、私としては、良質のバリの民芸品を買い求めたいと思っていたので、楽しいショッピングツアーだった。 -
少し休んで、ホテルのタクシーカウンターで手配した車(7000IDR)で、スーパーマーケット『グラエルデワタ』に出かけ、当地の食料品を大量に買い込んだ。帰りのは流しのメータータクシー(3000IDR)でホテルに戻った。
夕飯は、サヌールのレストランでシーフード料理(ツアー代金に含まれていた)。レゴンダンスやケロッグダンスを見ながらの楽しいひとときだった。 -
■4日目(8/28土)
今日は夜を除き、一日フリータイムだ。
朝、クタ・レギャン海岸やレギャン通り散歩した。 -
海岸で儀式(葬送)らしきものが執り行われていた。『Kopi Pot』でコーヒータイム。
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クタ・レギャンストリート
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ベモが行き交う。今なら、これに乗っただろうけれど、この時はさすがに手を挙げることができなかった。
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『グラエル・デワタ』前でタクシー(30000IDR)を拾ってウブドへ、このタクシーの運転手は、私たちのことを「アジノモト」と言い、アートショップが近付くと何度も止まろうとした。
ウブドでは、『プリ・サレン王宮』を見学したり、民芸品店でワヤンを買ったり、『ワルダニ』という店では、大きいサイズのイカットを買った。今でもソファーカバーとして重宝している。 -
そして、レストランでランチ。
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ナシゴレン・ミーゴレン・サテ・ガドガド・ビンタンビールなどを注文した 。美しい花や、猫、昼下がりの静寂に包まれて、食後にはついウトウトした。至福の時だった。
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昼からは『プリ・ルキサン美術館』を見学したあと、
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『カフェロータス』で休憩。蓮池があり、大変美しい所だった。
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市場
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初めてドリアン(3000IDR)を食べた。
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強い刺激臭があったけれど、口に入れるととろけるチーズの感触で独特の風味があり、美味しくいただいた。通りがかりのドイツ人に越卒分けしたが、彼は「まだ完熟はしていないよ。」と・・。食べたあと、たまたま出てしまったゲップが臭かった(^^;)ことを覚えている。その後マレーシアで完熟ドリアンを食べた!!
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妻は、再び鞄を物色・・・。
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市場の前でタクシーを捕まえて、ホテルに戻った。途中、葬式らしきものをしていた。とても陽気な運転手で大変楽しかった記憶がある。
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夜はオプションで「ケチャダンスとロブスターデナー」(5000円)を申し込んでいた。
ケチャクダンスは、デンパサール『アートセンター』の野外ステージで行われた。
炎と照度を落としたライトの薄暗い中で演じられるケチャは、なんともあやしく、不思議な魅力があった。
帰り際、出演者たちみんなが、トラックの荷台に立って帰路についた姿が脳裏に残されている。 -
ディナーでは、レゴンダンスを見ながら、ロブスターを一匹丸ごと食べてハッピー。
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■5日目(8/29日)
今日は丸一日フリータイムだ。
ホテル前からタクシーを拾い、ケチャダンスが昨晩上演されたデンパサール『アートセンター』へ出かけた。ドライバーは、私たちを乗せたあと、ドアをロックをして、メータ-を倒そうとせず、料金を提示した。はじめは30000IDR提示した。「メーターダウンでないと乗らない」と強く言うと・・プライスがどんどん落ちてきた。最終10000IDRになったけれど、それでもメーターダウンを要求したので、運転手もあきらめて、メーターを倒して走ってくれた。さて、着いてみると、メーターは9000IDRだった。
チップを含み10000IDRを渡したが、値段交渉最終の10000IDRは、結果的に決して高い金額ではなかった。 -
『アートセンター』の入口にいたインドネシア人が、「日本語を勉強したいから、ガイドをしていいか。」と申し出てくる。私設ガイドと理解したが、承知の上でお願いした。しっかりした案内で、絵画や彫刻の歴史や背景がよくわかった。もちろん帰り際チップを渡した。
ケチャが演じられた場所で・・そのポーズをしてみた。 -
秀逸な彫刻がたくさん陳列されていた。
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子供たちの笑顔がまぶしかった。でも、あの盗難事件を思い出してしまった。
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その後、『メガ・アートショップ』に行ったが、あいにく休み(昼休みだったかもしれない)だったので、『パサール・バドゥン』へ。この市場は人々の喧噪が溢れていて活気がとてもあった。
その後、『MAデパート』でTシャツ買い、『マタハリデパート』でランチ。ナシチャンプールを頼んだが、出てきたのは・・かき氷だった(^^;)。 -
夕刻、ホテルのプールでスイミングした。リッチな気分。気持ちよかった。
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その後、クタ海岸で、夕日をみる。実に美しい!
夕食は、ホテル近くのレストランで、カニの炒めたものなどを食べた。ライスワインも口にした。その後・・『プラザバリ』へ最後のショッピングを楽しんだ。
■6日目(8/30月)
午前0時にホテルロビー集合し、02:15 GA-858で帰路につき、10:30 名古屋空港着いた。
初海外旅行はこうした終わった。
※ツアー名は、東急観光「Windyバリ島ゆうゆう6日間(ボロブドゥール観光付き)」で、私たちが行った日の価格は、145000円だった。 -
■帰国後のエピソード・その1「コレラに感染?」
帰着した2日後の午後、勤務先に妻から電話があった。「保健所から連絡があったのだけど、バリ島ツアーの参加者2名が『エルトール小川型』の真性コレラに罹ったらしいのよ。それでね。そのツアーに参加した私たちも、検査の必要性があるので、至急保健所に来てほしいのだって・・」。・・晴天の霹靂!!。動揺した。上司にその旨を伝えたら、シーシーとばい菌を追い払うがごとく、すぐ検査を受けるようにと、申し渡された。
ただちに、保健所へ。説明のあと、便の採取をして、帰宅。「検査結果で陰性となるまでは、人との接触を避けるように厳命された。
以下は保健所が作成した監視指導票だ。
「貴殿と同行のバリ島ツアー参加者のうち2名が9月1日、 真性コレラ患者と診断され隔離されました。つきまして は、下記事項に留意して下さい。・・『コレラ菌の検査結果が判明する9月2日午後まで、多人数との接触を避けること。』・・」
2日午後までの時間の長かった事。私の方はお腹の調子に異常は全くなかったが、妻は、少し調子が良くないとのこと。・・夏バテや旅行疲れからくる不調であっても、ひょっとして・・という疑惑が膨らんだ。もしコレラに罹患していれば、私たちは隔離される。消毒は、家だけでなく職場にも及ぶだろう。私の職場はいわば人を扱う事業だから、その影響ははかりしれない。
・・新聞をみると、「コレラ患者さらに6名・・東南アジアのツアー客」などのタイトルが飛び込んできていた。・・・あれやこれやとよからぬ事に思いを巡らしたが・・・
・・翌日の午後、。保健所から電話がかかってきた。
恐る恐る受話器を取ったが、・・「陰性です!!」。・・無罪放免だ!!。・・妻とおもわず、抱き合って喜んだ。 -
■帰国後のエピソード、その2「父の死」
帰国直後の9月、父が、何ら予兆なく、明日にはゴルフ旅行に出かけるという前夜に、脳内出血で倒れ、11月に帰らぬ人となった。享年66歳。昨年の秋に25回忌を済ませた。
私は今年、父が亡くなった歳になった。同じ年になってみると、とても若い年齢であったことを実感している。
■帰国後のエピソード、その3「ツアーで知り合った美術教師の死」
ツアーで知り合い、旅行後も交流を続けた若い美術教師が、アメリカで航空事故にあい亡くなった。彼は念願だったアメリカのある都市の日本人学校に教師として赴任したが、1998年、学校創立記念の一環として、校舎を上空より撮るためにヘリコプターに搭乗したのだが、そのヘリコプターが墜落した。
※写真、彼から届いた年賀状。
・・・初海外旅行は忘れられない強烈な後日談を3つ残した。 -
■付録のお話し・・添乗員、ツアー客置き去り事件・・
妻の初海外旅行は、前の年1992年のアメリカツアーだった。添乗員が日本から同行する安全安心の旅行のはずだったが・・彼女はありえないハプニングに遭遇した。
旅程は、サンフランシスコ→ラスベガス(グランドキャニオン遊覧飛行付き)→ロサンゼルス→ハワイというコース。たった1週間なのにすこぶる過密な旅程だ。
ラスベガス空港でのこと、濃霧のためにロサンゼルス便の運行が遅延したものだから、妻は、待合室壁際に並んでいたスロットマシンで時間を潰したという。
・・そして事件は起こった。
スロットマシンに興じて集合の合図を聞き逃したのか、後ろを振り向き、周りを見渡しても同行のツアーの人たち30人ほどがごそっといない。添乗員もいない。妻は取り残されてしまったのだ。当時は英語力もままならなかったので、相当焦ったようだ。しかしボーデングパスを係員に見せてると、乗り遅れたことを理解してくれたようで、導かれるままに、後発便に案内され、1時間ほど遅れてロサンゼルスに着いたという。
そして、・・またまた、信じられことに・・バゲッジクレームで、ツアー客と添乗員に合流した!!。バッグの積載が遅れて、別便で送られたようで、一同バッグが出てくるのを待っていたようだ。
添乗員には、顛末を話したが、いなかったことに気づいていなかった同行のツアー客には、「置きざりにされた」ことは話さなかったという。・・旅の後半のツアー団の雰囲気を壊したくない・・という気持ちもあって。
ツアー客置き去り・・なんていうとんでもない目にあっても、翌年にはバリ島に。そして渡航歴はもうすぐ60回に届こうとしている。
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この旅行記へのコメント (2)
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- mistralさん 2018/12/11 23:28:13
- 思い出、満載の旅。
- スタリモストさん
こんばんは。
いつもご投票を頂きまして、ありがとうございます。
初海外旅行された折の旅行記、楽しませていただきました。
初の海外なのに、ハプニング満載!
そして思い出もいっぱい!
お写真もたくさん残っていましたね。
このような形で残されるのは、good ideaと思いました。
私はすでにほとんどの写真を処分してしまいました。
購入されたマホガニーのレリーフ、300ドルだったとのこと、
本当にお目が高い、良いお買い物でした。
木彫の額も立派な物ですね。
お知り合いになられた美術講師の方の、突然の事故死の
お知らせも、お心に深く残られていることでしょう。
そして最後に驚いたのは、奥さまがアメリカ旅行で置き去りに
されたご経験がおありなこと!
こんなことがあって良いのでしょうか、と思いました。
今でしたら添乗員さんは大変なお咎めがあることでしょう。
でも、何もなかったのは、奥さまのご配慮があったからですね、きっと。
すでに旅の達人になられる素質があったんでしょう。
mistral
- スタリモストさん からの返信 2018/12/12 08:35:41
- RE: 思い出、満載の旅。
- mistralさん
おはようございます。
フランス中世の彫刻物語・・楽しく拝見させていただいています。そして勉強になります。
妻の「置き去り」事件なのですが・・、あらためて彼女に確認しましたら、添乗員には顛末を話したそうです。25年経過する中で、妻の体験を美化していたようです(^^;)。
本文を直しました。この書き込みなければ、そのままにしていたわけなので、感謝します。
私も中学校の美術教師をしていましたので、ツアーで知り合った彼の死には衝撃を受けました。彼の絵画から、ジャズのスイングが聞こえてくるような感じがして、感銘を受けていました。人にはどんなことが待ち受けているかわからないものですね。
今後ともよろしくお願いします。
ちょっと早いですが、良い年をお迎えください。
スタリモスト
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