1996/07/30 - 1996/08/05
254位(同エリア454件中)
スタリモストさん
- スタリモストさんTOP
- 旅行記309冊
- クチコミ10件
- Q&A回答0件
- 297,061アクセス
- フォロワー35人
韓国旅行をした同じ年の夏、ジャワとバリに再び出かけた。当時私は、職域互助組織の府県レベルの理事をしていて、担っていた部署は福利厚生事業部だった。毎年この部は海外旅行も催行していて、1996年の夏には、『インドネシアの文化と芸能を訪ねて』を企画し、25名のツアーリーダーとして参加した。基本プランの提案や催行はJTB にお願いしたが、プランの再考や現地での対応は、添乗員とともに行った。
旅行費用は195000円。この旅行のベースになったのはJTBの『バリ/ジャワ島 伝統芸能と民族音楽を訪ねて』。私たちの旅程よりも1日長いが、同時期の旅行代金を見ると299000円だった。
-
■1日目(7/30)
関空では、参加者の1人がパスポート忘れられて焦ったが、自宅に連絡して届けてもらったので一安心。12:10発 EG221便に搭乗し、9時間35分のフライトで、19:45にジャカルタに着いた。
ホテルは「ヒルトン・インターナショナル」。スーツケースをフロントに置いておけば、係がそれぞれの部屋に入れてくれた。
※この旅行で利用したホテルは・・バンドン=「サボイホマン」。ジョグジャカルタ=「メリアプロサニ」。バリ=「バリヒルトンインターナショナル」で、ホテルのランクはA~L。部屋もデラックス相当だった。
※EG=「日本アジア航空」は2008年に日本航空に吸収合併されている。
※写真=ジャカルタ・ヒルトンインターナショナル -
■2日目(7/31)
気持ち良く目覚めた。ホテル内の芝生は丁寧に整えられていた。枯れ葉一枚も落ちていない。 -
椰子の葉が南国の光を浴びて陰影が付き、ボリュームを増している。
-
ヘリコニア・・鳥のくちばしのような花だ。上から順番に花を広げ、下に伸びていく。アマゾン原産の植物で、特定のハチドリを引き寄せる。
-
今日は、「ゴムのプランテーション」や「タンクバン・ブラフ火山」をめぐりながら、バンドンに向かう。
大型バスに乗りこんで出発。時間はたっぷりあったので、車内で自己紹介しあった。職域が同じなので、仕事上の悩みなども互いに打ち明け合っていた。そうした点では、バス内はまさに日本。異国にあって日本が移動しているような感じだった。
ゴムのプランテーションは、とても広大だった。開発が進められている中、このあたりにも工場が建ち、宅地が広がりつつあるという。 -
今から学校に向かう子どもたち。バスを待っていた。
-
ランチは、チアトルのレストラン「KUNANG KUNANG 」のもっとも眺めの良い部屋で。欧米の団体客はレストラン入り口あたりのテーブルだったし、並んでいる物も私たちよりもランクが下のように思えた。当たり前のことだけれど、予算によってメニューが変わるんだ。
-
「タンクバン・ブラフ火山」に到着。標高2076mの火山でジャワ島では最も規模が大きい。硫黄の臭いがたちこめ、遠近感のないモノクロの世界が広がっていた。
-
火口付近での物売りの攻勢はなかなか凄かった。経験者(たった1回だけど・・)として、『買いたくなければ、「No」「ティダマウ」とはっきり言いましょう。あいまいに「あとでね」などは言わないようにしましょう。値段交渉もお忘れなく。』と伝えておいたけれど、メンバーの中には、しつこい攻勢に恐れをなしてバスに逃げ込んだ方もいた。
-
場所に不釣り合いなぬいぐるみたち・・。
-
バンドン市内では、独立記念館などの市内観光を計画では入れていたが、魅力に欠けたので、すべてキャンセルして、アンクルンを楽しむことにした。
-
入場した「Saung Angklung Udjo」は、Udjo Ngalagena氏が1966年に設立した劇場だ。
竹の楽器「アンクルン」は、インドネシアの無形文化財にも登録されていて、手で揺すると竹と竹が触れ、とても澄んだ心地よい音を出す。解説パンフを見ると「school Udjo」の項目があり、ウジョー氏が学校をつくり、体系的にアンクルンを教えている様子が記載されていた。又、「・・・中央・地方政府の支持と協力を得て、重要な観光地になりつつあります。・・」とも。たしかにこの劇場は、バンドンの大切な観光資源であり、集客率は抜群だった。
子どもたち60名程が、生き生きと楽しくアンクルンを披露してくれた。その笑顔がとてもかわらしい。西洋音階に調整されていて、インドネシアの伝統音楽のみならず、世界各地の音楽が演奏される。アンクルンの「ちょうちょ」にあわせ、それぞれの国の言葉で観客が歌う。配布された歌詞カードには、日本語の他に、英語・フランス語・ドイツ後・中国語・オランダ語・インドネシア語・スンダ語など並んでいた。音楽を通して世界が一つになっていく感じだ。 -
観客全員がアンクルンを持ち、リーダーの手の位置で音階を理解して合奏をした。観客の顔がほころび、会場に気持ち良い一体感が生まれる。
-
フィナーレは、子供たちとのダンス。もう絶好調だ。素晴らしい演出だった。一生懸命の熱演に満席の客席から大きな拍手が贈られた。
※バンドンで、このアンクルンの鑑賞を入れて正解だった。これが入ってなければ、バンドンの印象はずいぶん違ったものになっただろう。 -
劇場の売店には、素敵な操り人形たくさん並んでいたので、その一つを買い求めた。
-
終演後、ウジョー氏に私たちツアー団のためにメッセージをお願いしたら、快諾してくださって、バスの中でスピーチをいただいた。ウジョー氏の高い指導力や深い人間性を感じた。興に乗ったのか、日本の軍歌が口から出た。彼が若い頃は、日本が統治した時代であったことを実感した。
※Udjo Ngalagena氏は1929年生まれ、2001年に72歳亡くなっている。この時、お歳は67歳だった。 -
夕食は、インドネシア料理 を味わいつつ、「ケチャピ・スリン」のステージを楽しんだ。ケチャピ・スリンは、西ジャワのスンダ地方に伝わる音楽。女性の歌唱も加わり、ゆるやかで哀愁を帯びた調べに心洗われた。
※同じグループが、滞在した「サボイ・ホマン」の中庭でも演奏していた。 -
ホテル近くで見かけた映画館のポスター。キスシーンは黒テープが張られていたが、かえってそこに目が行く。
-
バンドンで泊まったホテルは「サボイ・ホマン」。
-
このホテルは、1955年に開催された第1回アジアアフリカ会議に出席した国賓が宿泊した。客室に囲まれた中庭は、さほど広くなかったが、南国情緒に溢れていて、熱帯の植物と池、休息のスペースが絶妙に配されていた。鳥かごのインコやオームのさえずり、吹き抜けていく風、ガムランの調べ・・それらが解け合って心地好い安らぎを感じた。
-
■3日目(8/1)
歴史と伝統のある「サボイ・ホマン」だが、早朝大きなミスティクをしでかした。ツアー団全員に、モーニングコールを2時間も早く4時半にかけてきたのだ。ちょうど隣のモスクからその時間にアザーンが聞こえていたので、ツアー団は、イスラム教徒になったようものだ。この朝、疲れがピークに達していたものだから、朝食会場では皆さん一様に憤慨されていた。リーダーとして毅然と抗議し、担当のホテルマンをに出発時にバスに呼び、マイクを通して謝罪させた。
今日は、いくつかの観光地を巡りながら、プンチャック峠を越えてジャカルタに戻る。
※写真・・「第1回アジア・アフリカ会議会議場」 -
茶畑が続く・・バスから降りて見学した。ツアーの人から茶の銘柄を聞かれたので「やはり、『ジャワ・ティー』なのでは・・」と答えたが・・。
-
レストラン「PUNCAK PASS」でランチ・・どこのランチでもほぼバイキングスタイルで、並んでいたのは、サテ/ナシゴレン/ミーゴレン/ガドガド・・が多かった。この時はアンカービールを注文。
※しかし、ランチ(とディナー)の時に欠かさずビールを飲んだは良くなかった。帰国後、中性脂肪の数値が948に跳ね上がり、かかりつけ医にしかられた。 -
ジャカルタ近郊の「タマン・ミニ」に入場した。
-
インドネシアの国土と文化の多様性を紹介する広大なテーマパークだ。
※トラジャ地方のパビリオン -
イリアンジャヤの彫刻家が、すごい出で立ちで実演販売していた。
-
17:20発のSG336(Sempati Air)でジャカルタを飛び立ち、ジョグジャカルタには1時間後に着いた。
-
JAILAG KUNGリゾートの中の「Gazebo Garden Restaurant」で、スンダの音楽を鑑賞しながら夕食。
-
その後、隣接しているオーブンシアター「Pura wisata(プラウィサタ)」で、「ラーマヤナ舞踊」を鑑賞した。
幻想的な雰囲気の中、ラーマ王とシンタ姫の物語はたっぷり2時間続いた。ツアー客の中には、夕食後の満腹感と薄暗さのせいか、ウトウトとまどろんでいた人もいた。 -
終盤の炎のパフォーマンス
-
■4日目(8/2)
朝6時、ホテルロビーに集合してツアーの何人かと界隈を散歩した。ホテルを一歩外に出ると、ジョクジャカルタ市民の生活の匂いが溢れていた。
マリオ・ポロ通り -
インドネシア銀行と中央郵便局
-
6時30分頃、通勤が始まる時間だ。
-
「ブリンハルジョ市場」に行った。
-
路上に並べられた極彩色の果物や野菜や香辛料や乾物。
-
鮮魚
-
市場の建物内の肉のかたまり。
添乗員の引率ではない、こうした時間がたまらなく楽しい。 -
8時にバスに乗って「ボロブドゥール」に向かった。ガイドは、アィジー・アステックさん、日本の大学で日本語を2年間学んだ人で、とても流暢で美しい日本語を話した。
-
職場や学校に向かう人たち
-
「ボロブドゥール寺院遺跡」に到着。93年に訪れた時は午後で、遺跡正面は逆光だったが、今回は光を受けて浮かび上がっていた。ここに来るなら午前中がお勧めだ。
-
-
外国のロケ隊が入っていた。
-
-
天女4人を伴う釈尊
-
「ムドゥトゥ寺院」に立ち寄った。
-
石仏三尊のうち、3mもある如来。
-
物売りの攻勢は93年の時と同じで、バスが出るまで、「全部で1000円」の声が途切れることはなかった。
※1000円で売っていたものは、ざっと並べてみると・・小さめの型押しのバテックハンカチ25枚/木製のキーホルダ40個/布5枚/皮製の小さな財布10個/彩色面3つ/ワヤン3つ・・など。立ち寄った免税店などでは、品質は良いものの、1000円ではとうてい上記のような数は買えない。土産に数が必要なら、全部で1000円を利用するのも手じゃないかな。・・・と思った。 -
土産物店「アットハウス」に立ち寄り、レストラン「ニューアジア」でランチ。・・この両店は、93年でも利用した所だった。
-
「プランパナン寺院遺跡」
プランバナンの天を突く伽藍群は、長い間、原形をとどめない無残な姿をさらしていたが、1941年に再建が完了した。しかし、その後2006年5月27日に起きたジャワ島中部地震で甚大な被害を受けた。 -
シヴァ聖堂入口の上
-
ドゥルガー像
-
シヴァ聖堂回廊レリーフ/ローカパーラ像
-
ジャワ更紗の工房「PLEN TONG」で制作の様子を見学し、その横のショップでお買い物・・。
-
夕食は、日本人が経営する「天ぷら『花』」。毎日おきまりの・・サテ/ナシゴレン/ミーゴレン+αだったので、みなさんには好評だった。
-
食後、シアター「Dewi sri」でワヤン・クリを鑑賞した。ワヤンは影、クリは人形だ。人形を操るダランは、語り部であり、劇を統括する。
-
演じている側からも鑑賞出来る。楽しい影絵芝居ではあるが、意味がわからない所もあって、長時間の鑑賞には不向きだったかもしれない。
ホテルは前日と同じ「メリアプロサニ」 -
■5日目(8/3)
8:30フライトのGA630便でジョグジャカルタからバリ島デンパサールに向かい、10:45に着いた。「プラザ・バリ」の中華レストランでランチのあと、ショッピングを楽しみ、ホテルに。
ホテルは、ヌサドゥアの「バリヒルトン・インターナショナル」だった。 -
広大なホテルで、プライベートビーチも有している。夕刻までスケジュールを入れなくて、ホテルでゆっくり過ごしてもらった。
-
この旅行では、ツアーリーダーを務めていることもあって、何かと気遣うこともあった。そうした中で気が休まったのは、ホテルに着いて部屋割りが伝えられ、それぞれの参加者を見送ったあとだった。感受性の窓を開き、一人中庭やホテルの近くを歩いた時間は極上のひとときだった。
-
夕刻、 UMADEWI(ウマデウィ)で「ケチャダンス」を鑑賞した。
パートごとに刻むリズムが異なっていて、それが重なることで、実に不思議な音色となって響く。手を上にやって波のように振り、怪しげな雰囲気が一層醸成される。 -
-
-
夕食は、Sitaレストランで定番のロブスターディナー。ペンディトを見ながら美味しくいただいた。
-
■6日目(8/4)
早朝、プライベートペーチを歩いた。太陽が静かに登りはじめる。人影はまばら。・・時折ランニングする白人が前を通りすぎていく。その白人やボートが、強い陽射しを後ろから浴びて真っ黒のシルエットになる。透き通った大気の向こうから照射された日の出の輝きは、息を飲むほど美しかった。・・一日の始まりの厳粛な一瞬に立ち会えた感動があった。 -
午前中は、Sahadewaで「バロンダンス」を鑑賞した。演じていたグループは当時の「るるぶ」でも紹介されていた有名なグループだった。
-
なかなか見ごたえがあった。
-
立ち寄った絵画店「W.BARWA」で、土産にウブドの田園風景画を購入。
-
木彫の店「ANANTA GALLERY」ではガルーダ像を買い、今も本棚に収まっている。バリの民芸品はつくづくハイレベルだと思う。
-
ウブドを散策した。モンキーフォレストの陽だまりの猿。
-
ランチは、レストラン「CAHARA DEWATA」にて。
テラスからのアユン川をはさむ渓谷の眺望は最高だった。棚田の水面の輝き、椰子の葉のさざめき・・。とても美しい。目を閉じると川のせせらぎや、風に揺れるヤシの木のざわめきが聞こえてくる。とろとろとまどろむ。 -
ゴアガジャ(像の洞窟)を歩いた。ヒンドゥー教の神聖な場所であるので、短いスカートの女性には、500rpで腰布を貸していた。
-
洞窟の前には大きな沐浴場があり、たくさんの外国からの観光客もいた。そして、正装して参拝する地元の人たち・・・。
-
ゴアガジャ近くの小さな寺院に立ち寄った。
-
中を見ると、カマサンスタイルの絵画で、ヒンドゥー教の神話が描かれていた。
-
帰国にむけ、デンパサールから19:10発のEG221便でジャカルタに移動し、19:45着。
21:20発のEG222便で関空に向かった。
以下は当時の文章
『・・日本アジア航空222便は、一路関空にむけてフライトを続けています。今、午前3時、あと3時間程で関空に到着します。夜のフライトは、滑らかで快適です。・・・・
インドネシアの1週間は、大変しのぎやすい毎日でした。オーストラリアに降りそそいだ大量の雪、その冷気を取り込んだ南の風が、インドネシアに吹き寄せていたのです。
躍動する経済力を物語るジャカルタの「喧騒」から始まった旅は、バリ島ウブドの見事なライステラスの眺望で終焉しました。その日のバリは「クニンガン」。ペンジョールが家々の玄関を飾り、人々は正装してお寺詣でをします。・・・良い日がラストディーとなりました。
インドネシアの芸能と文化を訪ねる旅でした。・・・
・・・心ときほぐすアンクルン、哀調を帯びたカチャピ・スリン、勇壮なラーマヤーナ舞踏、幻想的なワヤンクリッ、神秘のケチャ、バリの混沌を象徴するバロンダンス、食事の時のガムランとペンデット・・それらの音楽と舞踏が、今、渾然一体となって、頭を駆け巡っています。ケチャ、それはプロの集団でなく、バンジャールという村の組織でグループを作り演じられます。共に農耕に従事し、葬祭を運営し、芸能にもかかわる。そうした共同の生活の中で、絆を深めます。地域社会での人間関係が大変稀薄になってきている日本は、このバンジャールから学ぶ事はたくさんあるような気がしました。
仏教遺跡ボルブドールとプランバナン寺院歴訪も今回の旅のメインでした。世界の文化遺産に指定された石作りの巨大な建造物は、観る者を圧倒しました。
物を作り出す類いまれな才能は、今も生きづいています。織物、染色、彫刻、絵画、そのどれもが、一級のレベルであり、興味がつきません。・・
ホテルも最高水準でした。バンドンのホテル「サボイホマン」、南国の情緒溢れる素敵なホテルでした。ヌサドゥアの「バリヒルトン」のプライベートビーチも美しかった。
良い思い出が一杯できた素晴らしい旅となりました。
窓の外が少し、明るくなってきました。CAがお水を持ってきてくれました。もう少しで関空です。帰国した後も、しばらくはインドネシアの事を反芻して楽しめそうです。』
関空には、翌日8/5、6:00に着いた。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ジャワ島(インドネシア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
ジャワ島(インドネシア) の人気ホテル
インドネシアで使うWi-Fiはレンタルしましたか?
フォートラベル GLOBAL WiFiなら
インドネシア最安
294円/日~
- 空港で受取・返却可能
- お得なポイントがたまる
0
75