2018/11/15 - 2018/11/15
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ドクターキムルさん
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江の島にある江島神社の中津宮の手前には中津宮広場がある。「花の名所(中津宮広場)」の看板がある。
この山側には「金亀楼別館」碑が建っている。また、江の島エスカーまでの間には石燈籠が立つ池がある庭園になっている。これは金亀楼の名残である。参道を挟んだこの中津宮広場は老舗旅館「金亀楼」の跡を花壇に整備したものである。
江島神社は慶安2年(1649年)に神仏習合し、金亀山与願寺と号した。岩屋本宮(奥津宮)、上之宮(中津宮)、下之宮(辺津宮)の三宮はそれぞれ「宿坊」を備えていた。しかし、明治時代の神仏分離により江島神社となり、宿坊は一般向けの旅館としてそれぞれ岩本楼、金亀楼、恵比寿楼となった。金亀楼は、上之坊を引き継ぐ江の島の山号が付いていた旅館であるが、姿を消してしまい、旅館跡地は花の名所の中津宮広場になっている。
金亀楼には別館もあり、江の島大師の横にあった。戦後になって旧金亀楼別館は旅館「江の島館」になった。現在も残るレンガ造りと土蔵造り風の建物があるが、物産店「貝広」(明治44年(1911年)に創業)の創業者(片野廣吉)は金亀楼の次男(福島廣吉)が養子に入ったものである。実家(の別館)と土地続きの場所に移って来て出店している。養子に出る際に実家の土地を譲り受けたのだろう。当時は「貝廣」であったが、これは創業者の名前の1字を入れたものであろう。現在では、世界の貝の博物館で知られる。あるいは店頭にローマの休日で出てくる「真実の口」の占いがある店といえば分かり易いだろうか。
現在の「貝広」店主は、金亀楼は眺望に恵まれた人気の旅館であったが、高台まで階段を上っていかねばならず、車社会となり時代にそぐわなくなり、閉館したのではないかという。閉館年は調べられなかったが、石燈籠や池を残し、平成11年(1999年)に建物が撤去され、花の名所として中津宮広場となっている。なお、金亀楼別館(後の江の島館)のある場所は山ふたつと言われる場所であり、下道までは車が通れ、徒歩区間は金亀楼よりも格段に短く、階段も少ない。
それにしても、金亀楼跡(上之坊跡)に「金亀楼別館」碑が建っているとは…。
(表紙写真は中津宮広場の花壇)
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