
2018/11/03 - 2018/11/03
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bunbunさん
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レンタカーで長崎を回りました。今回は雲仙地獄を中心にご報告します。
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島原市から国道57号線を雲仙地獄に向かいます。
途中で見えた天狗山(標高695 m)。 -
天狗山、ズームイン。
少し紅葉してますかねえ。 -
天狗山、さらにズームイン。
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天狗山を南に回り込みます。
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さらに回り込むと雲仙岳が見えてきました。
雲仙岳は複数の峰から成りますが、最高峰は1991~1995年の火山活動で普賢岳の東にできた平成新山(標高1483 m)です。 -
雲仙岳、ズームイン。手前の頭がごつごつした一番高い山が平成新山です。
1991年に発生して多大な人的被害をもたらした「火砕流」と言う言葉を私が初めて知ったのは、当時のニュースからでした。島原城のガイドさんの話ですと、当時この言葉は専門分野でしか使われておらず、一般に普及したのはこの時からだそうです。 -
北を振り返ると天狗山です。
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雲仙地獄まであと数kmの、雲仙岳南西(標高約700 m)にやって来ました。
雲仙岳裾野の紅葉。 -
カメラを左(東)に振っていきます。
雲仙岳裾野の紅葉。 -
雲仙岳裾野の紅葉。
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雲仙岳裾野の紅葉。
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雲仙岳裾野の紅葉。
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雲仙地獄北端に到着しました。
標高約700 mです。
車を国道57号線(雲仙道路)脇の駐車場に置いて散策を開始します。
この駐車場は無人で、入口の小屋に小さな紙袋がたくさん置いてあり、
「紙袋に車のナンバーを書き、駐車料金500円を入れて箱に投入してください。未払いで駐車した場合はタイヤの空気を抜きます。」といった内容の張り紙がありました。これはいいアイデアだ。感心。
最初に雲仙地獄の雲仙道路東側を回ります。
まずは温泉(うんぜん)神社から。
「創建大宝元年(701年)、古くから島原半島一帯の祈願所として知られていた温泉神社の総本山。かつて大乗院満明寺の守護神として四面宮を祭っており、山号を温泉山としたことから名づけられたといわれています。ここから雲仙地獄への散策路もあり。
雲仙温泉観光協会:0957-73-3434」
-雲仙市公式ウェブサイトより- -
鳥居をくぐって階段を上り、
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境内に出ました。
正面は拝殿、左は手水舎です。 -
拝殿。
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天地之道理傳始社
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境内の紅葉
右下の説明板に「夫婦柿」について書かれていますが、後で説明します。 -
手水舎と黄葉
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幸せの泉
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拝殿
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南側の鳥居をくぐって、雲仙地獄の散策路へ。
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雲仙地獄案内図がありました。
北は左斜め下方、「現在地」は中央左下に赤字で示されています。
「雲仙天草国立公園 雲仙
雲仙を最初に開いたのは、およそ1300年前(701年)、奈良時代の僧「行基」だと云われています。当時「温泉」(ウンゼン)は、女人禁制の霊山として、西の高野山と呼ばれるほど栄えていました。そのためか、地獄の噴気個所には、当時の仏教説話にもとづいた地名ガ数多く付けられています。
明治44年(l911年)には、日本で初の「県営温泉公園」となり、昭和9年(l934年)に、瀬戸内海や霧島とともに日本最初の国立公園の指定を受けました。その後、昭和3l年に天草地域ガ追加され「雲仙天草国立公園」となりました。
雲仙の特徴ある自然は、四季折々、ちがった風景の表情を見せてくれます。「自然と歴史を観る目」をもつて、国立公園「雲仙」をお楽しみください。」
-案内図の説明文より-
はーっ!いいこと書いてあるじゃん。 -
八万地獄。
「地獄という言葉は、現世に悪いことをすると、死後に苦しみの世界に落ちるという仏教
説話に基づくものです。
いつの世も、地獄を恐れる人々の心は変わらず、このような荒涼とした場所に地獄のイメージを重ねてきたのでしよう。
八万地獄というのは、人ガ持っている八万四千の煩悩によってなされた悪行の果てに落ちる地獄のことだといわれます。」
-説明板より―
源泉を引くパイプだらけで絵になりませんねえ。 -
八万地獄の中を通る散策路を南東に向かいます。
ここもパイプだらけですが、紅葉が綺麗なんでまあ許せますか。 -
温泉の池
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散策路とその両側に広がる八万地獄。
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湯煙を上げる八万地獄の散策路東(山)側。
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湯煙を上げる八万地獄の散策路東(山)側。
「温泉余土と湯の花
温泉余土というのは。「地獄」地帯の安山岩(著者注:酸化ケイ素が52~63%の火山岩)が、高い地熱と温泉の強い酸性のため変質
したものです。酸の影響で脱色し、白灰色の粘土状になります。
また;地獄の噴気口の周りには、白~淡黄色の湯の花も見られます。
これは、噴気含まれ硫化水素ガスと土に含まれる鉄やアルミニウムなどが化学反応してできたものです。
湯の花は,入浴剤としても利用されています。」
-説明板より―
中央に小さく見える柵は八方地獄展望台です。
と言うことで、この後引き返して八方地獄展望台に向かいます。 -
八万地獄の散策路西側の岩。
腐食された安山岩ですかねえ。 -
湯煙を上げる八万地獄の散策路西側。
「温泉と噴気
雲仙の温泉の泉質は、硫酸イオンの多い硫黄泉で、強い酸牲を示します。古くから温泉療法として用いられ、リウマチ、糖尿病、皮膚病に効果ガあります。
また、シューシュ―ど昔を立てて噴き出している墳気の最高温度は120度もあります。
噴気は大部分が水蒸気ですが。炭酸ガス、硫化水素ガスを含み、強い硫黄の臭いを漂わ せています。」
-説明板より― -
八万地獄散策の出発地点あたりまで戻って来ました。
今まで歩いた散策路の東(山)側の湯煙を上げる八万地獄。 -
八方地獄の北側の散策路に入り、八方地獄展望台に向かいます。
しばらくは木立の中を通ります。
木立の合間から見える八万地獄。 -
黒い実が一杯なっている。
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黒い実接写。
シャシャンボに似てますが違いますかねえ。 -
紅葉した木立。
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八方地獄展望台に着きました。
展望台の西側に見える八万地獄。
「雲仙岳は奈良時代の大宝元年(701年)に僧行基が開山したといわれる修験道の山です。 以来、山岳信仰の霊山として栄え、祖霊崇拝、五穀俺穣、地震鎮静などの祈祷がなされていました。
目の前で噴気を上げている八万地獄は無間地獄ともいわれ、数ある地獄のうちでも四方八方から火炎が襲ってくるといった、最も過酷なものの名前で呼ぼれています。
眼下に広がる温泉街の街並みは、周囲の山並みと調和する赤茶色の勾配屋根と白い壁面で統一されています。正面の絹笠山の山頂からは橘湾に沈むタ日を美しく望め、サンセットヒルとして人気があります。 (地獄周辺~白雲の池~綿笠山山頂コース:片道約50分)」
-説明板より―
上に見える散策路は先ほど歩いた所です。
この散策路はここで行き止まりですので、この後また引き返して、先ほど歩いた八万地獄の中を通る散策路(写真上部)に戻ります。 -
戻って来ました。八万地獄とその中を通る散策路。
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湯煙を上げる八万地獄の散策路東(山)側。
この辺りで八万地獄は終わりです。
このあと木立の中の散策路を南に進んでお糸地獄に向かいます。 -
散策路北側の紅葉した山。
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散策路北側の紅葉した山。
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少し上ります。
紅葉した山。 -
紅葉した山。
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お糸地獄に出ました。
「その昔、島原城下で、たいへん裕福な生活をしていたのに密通をしたあげく、 夫を殺してしまったお糸という女がいました。
お糸が処刑されたころにこの地獄が噴出したので、 「家庭を乱すと地獄に落ちるぞ」という戒めを込めてこの名前がつけられたと云われます。」
-説明板より―
ここは源泉を取り込むパイプが殆ど無いから綺麗でいいや。 -
湯煙のお糸地獄。
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湯煙のお糸地獄。
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温泉が沸々と湧き出しています。
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雲仙地獄の案内板。
現在地は写真中央やや左上です。 -
雲仙地獄の説明板。
「雲仙地獄は、島原半島中央にそびえる雲仙岳の"呼吸"を観察できる場所です。雲仙岳のマグマだまりは、ここより西にある橘湾の海底の下にあると言われています。雲仙岳の主峰である普賢岳の平成噴火(平成2~7年)の際には、マグマだまりからマグマが上昇して火口から噴出しましたが、普段は火山ガスのみが上昇しており、地下水や雨水と混ざることで温泉となります。小浜温泉・雲仙温泉・島原温泉は、同じマグマだまりに由来していますが、マグマだまりからの距離に応じて火山ガスの成分が変化ずるため、それぞれ泉質や色に違いがあります。
雲仙地獄は、高温の硫化水素が地表の岩石を溶がして白い泥にし、白い噴気とともに辺り一帯を覆う様子が、まるで生物がいないように見えることから「地獄」と呼ばれています。しかし、実際には、ツクシテンツキやツツジ類などの硫化水素に比較的強い植物が分布し、独特な生態系を形成しています。」
-説明文より-
著者補足
このマグマだまりは、フィリピン海プレートがユーラシアプレートの下のマントルに海水と一緒に沈み込んで(南海トラフ)、海水を吸ったマントルの融点が下がって液体のマグマとなり、周囲の圧力で上昇したものです。マグマだまりは現在も成長していますので、実際にはマントルからマグマだまりへの供給路もあるはずです。
ここから東に向きを変え、お糸地獄を見ながら大叫喚地獄へ向かいます。 -
お糸地獄。
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お糸地獄。
右の建物は雲仙宮崎旅館です。 -
お糸地獄。
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お糸地獄。
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座って湯気の温度を感じられる石。
「湯気には触れないでください。(90℃以上と非常に高温です)」との注意書きがありますが、石に座ってみると、ポカポカと良い感じです。
「猫にエサを与えないでください。」か。猫も昼寝に来るのかな。 -
お糸地獄。
右奥に真知子岩が見えてきました。 -
真知子岩。
「忘却とは
忘れ去ることなり
忘れ得ずして
忘却を誓う心の
悲しさよ
菊田一夫
「君の名は」ロケ記念
主演男優 佐田啓二
主演女優 岸 恵子
昭和二十九年三月」
この岩は真知子が手をついた岩で、映画人気でこの場所が有名になったそうです。
聞いたことあるな。 -
真知子岩を過ぎてさらに東へ。
お糸地獄。右の建物は展望休息所です。 -
さらに東へ。お糸地獄と紅葉。
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さらに東へ。お糸地獄と紅葉。
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さらに東へ。お糸地獄と紅葉。
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展望休息所につきました。紅葉の山。
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展望休息所北側のお糸地獄と紅葉。
右の散策路はキリシタン殉教碑、聖火燃ゆ之碑(生田蝶介歌碑)に続きますが、太陽の位置の関係で今は行かず、南下して大叫喚地獄へ向かいます。 -
紅葉の中の散策路。
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大叫喚地獄に着きました。案内図。
「大叫喚という名前は、噴気口から聞こえてくる低黄(アー、オー)が地獄からの叫び声や喚き声や喚き声に聞さえることに由来しています。この音はガラス瓶に口を当てて吹 いた時にでる低音と同じ原理で。噴気口を火山ガスが勢いよく通る際に発生します。
大叫喚地獄は、雲仙地獄に現在30あると言ねれる地獄の中で、最も活発に噴気を出しています。墳気が活発な区域は長い年月をかけて西から東に移動していると言ねれており、ここより西にある旧八方地獄(噴気が沈静化)やさらにその西にある原生沼(噴気が止まり植生が回復)と比べるとそのことがよく分かりまきす。
噴気の温度は、約120でです。」
-説明板より―
旧八方地獄と原生沼は後で行きます。 -
大叫喚地獄。
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大叫喚地獄。
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大叫喚地獄。
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少し南下して邪見地獄。
「 邪見というのは、人をねたむ、みにくい心のことです。
この温泉のお湯を飲むと、夫婦や友達の間で生じた、嫉妬心による不和を解消する、といわれています。
ところが実際には強酸牲の湿泉で。とても飲めるようなものではありません。きっと、邪見を捨てる場所ということなのでしょう。」
-説明板より― -
さらに少し南下して邪見地獄。
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さらに少し南下して邪見地獄。
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木立の中に入ってきました。
木立の間に見える邪見地獄。 -
木立の中の散策路。
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葬頭川の婆石。
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葬頭川の婆石。
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葬頭川の婆石。
温泉が湧き出しています。 -
西進して泥火山の南側にやってきました。
雲仙地獄の案内図。
現在地は中央下です。 -
北に移動して泥火山。
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泥火山の説明図。
「霧仙地獄の泥火山は、硫化水素を含む高温の火山ガスによって溶けた岩石が白い泥となって、噴気とともに噴き上がり、火山のような形を造っています。
火山は、火口から噴き出した溶岩が冷えて固まることで山体を作り、溶岩の粘り気によってできる山体の形が異なります。実は、それと同様のことが泥火山でも起こります。水分が少なく泥の粘り気が強いと急峻な形となり、粘り気が弱いと平たい形になります。
その日ならではの泥火山の姿と表情をお楽しみください。」
-説明図より― -
泥火山と紅葉。
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泥火山から北上した所にあった案内板。
現在地は中央やや下です。 -
案内板の後ろに広がるお糸地獄。
遠くに見える散策路を先ほど通りました。その散策路沿いに小さく見える細長い建物は雲仙地獄茶屋で、その右の小さな建物の中に先ほど見た「座って湯気の温度を感じられる石」があります。
この後は左に見える散策路を進みます。 -
少し北進して、お糸地獄と紅葉の山。
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さらに少し北進して、お糸地獄と紅葉の山。
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さらに少し北進して、お糸地獄と紅葉の山。
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さらに少し北進して、お糸地獄と紅葉の山。
緑色の流れは、多硫化イオン水溶液の黄色と硫黄コロイド粒子のレイリー散乱の青色の混色によります。 -
さらに少し北進して、お糸地獄と紅葉の山。
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さらに少し北進して、雲仙地獄案内図。
ここで方向を変えて西進します。 -
すずめ地獄
「このあたり一帯では、地下から噴き出したガスが水中ではじけて、ピチピチと小さな音をたてます。
ちょうど、スズメがたくさん集まって鳴き騒いでいるような感じがするのでこのような名前になりました。
おしゃべりをちょっとやめて、静かにおんせんのつぶやきを聞いてみましょう。」
-説明板より― -
ツクシテンツキ カヤツリグサ科
「 九州地方で温泉が湧き出す場所や「地獄」と呼ばれる地帯に見られる特有の植物です。
「地獄地帯」は、地温か高く、硫化水素ガスが噴き出したり、土が強い酸性になってい るため、植物が育つにはたいへん厳しい環境といえます。
このツクシテンツキは、ほかの植物ガ育つことのできない、このような環境のもとでおうせいに繁殖しています。」
-説明板より― -
西進して国道57号線(雲仙道路)を横切りました。
散策路脇にあった案内図。
これから旧八万地獄(月面地獄)に向かいます。 -
散策路を隔てて上の案内図の反対側にあった島原半島世界ジオパークの説明板。
「ジオパークは、科学的に重要な岩石、地質、地形といった大地の遺産を主な見所とする大地の公園です。
島原半島には、「平成噴火」や「島原大変」、「温泉」、「湧水」等に関するジオサイト(見学ポイント)があります。
これらは、地質学的な見所に加え、歴史、文化的な見所も含んだものとなっています。」
-説明文より-
フォートラさんの写真サイズで文字が読めますかねえ。
茶色の〇は「島原半島の成り立ち」、
赤い〇は「人々と火山の噴火」、
黄色の〇は「災害と復興、」
緑の〇は「自然の恵み」、
青い〇は「博物館/資料館」
の位置、もしくはそれに関わる位置を示しています。 -
雲仙温泉の地獄地形の進化の説明図
フォートラさんの写真サイズでも分かるよう、実際の説明図をアレンジしています。
下の図は上の雲仙地獄の地図に示されたA―B線の断面図です。
「 ここ雲仙温泉では、高温の噴気(ガス)や熱水(温泉)が噴出している箇所を間近に観察することができ、このような場所を、地獄と呼んでいます。地獄地帯の岩石は、温泉や噴気の影響によって変質作用を受けて、分解・崩壊が促進され、地表は次第に侵食されて盆池状の地獄地形が形成されます。河川などの地形の変遷と同じように、地獄地形にも、I)原始期・Ⅱ)幼年期・Ⅲ)壮年期・IV)老年期が識別されています。この変遷過程を「地獄地形の進化」と呼んでいます。新湯地帯は、活発な活動を見せているので幼年~壮年期、旧八方地獄は、変質地帯が侵食されつつある老年期、原生沼は、老年期を過ぎた地獄地形に水を湛えて湿地になったものと考えることが出来ます。
「大地は語る」長崎件より」
-説明文より-
新湯地域は既に見学したので、これから旧八万地獄、原生沼の見学に行きます。 -
旧八万地獄の中央にある湯まつり広場にやって来ました。
湯まつり広場から見た旧八万地獄の北側。
「 月面のクレーターに似ていることから、地元では月面地獄とも呼ばれています。
火山の誕生から植物の侵入をわかりやすく観察できる静かな地獄です。
後方の巨岩の下からは、湯が湧き出ており、雲仙地区の「湯の神」が祭られています。例年12月には、地元の人々による「温泉感謝祭」が催されています。」
-旧八方地獄の説明文より-
殺伐として窪んでいるところが月面のクレーターに似てるということでしょうねえ。月面のクレーターは隕石起源でクレーターの中にも小さなクレーターたくさんあります。 -
湯まつり広場から見た旧八万地獄の東側。
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湯まつり広場の西にある湯神少彦名(すくなひこな)大神
「古来から温泉は神からの授かりものとして大切にされてきました。
湯神は、温泉神のことを言い、温泉の優れた効果や効力を神様としてまつった呼び名です。
日本各地の温泉場にはよく温泉神社があって、その多くは大己貴命(おおなむちのみこと) と少彦名命の両神をおまつりしています。
少彦名命は、大国主神(=大己貴命)と相協力してともに国づくりをされたと言われています。
また、少彦名命は大己貴命とともに医療や薬事に公徳のある、医神・薬神(くすしのかみ)といわれており、ここ旧八万地獄の源泉にも「湯神」としてまつられています。
環境省 」
-説明文より- -
旧八万地獄北側の紅葉。
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原生沼に向かうために、一旦旧八万地獄入り口に戻ります。
そこにあった雲仙温泉案内図。現在地は中央右側です。
黒い影は木の枝です。 -
旧八万地獄を取りまく散策路を東、南、西へと進みます。
旧八万地獄東側から見た旧八万地獄。 -
少し南に移動して、東側から見た旧八万地獄。
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南側に回り込んで見た旧八万地獄。
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少し西に移動して、旧八万地獄。
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さらに少し西に移動して、旧八万地獄。
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さらに少し西に移動して、旧八万地獄。
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木立の中に入りました。
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紅葉した木立。
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木立を抜けると、テニスコートです。
テニスコートの向こうの茶色の茂みで覆われた部分が原生沼です。 -
原生沼にやって来ました。
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テニスコート北の芝生を東に引き返して、紅葉。
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振り返って芝生越しに見た原生沼。
観光バスが停まってますね。 -
先ほどパスした、キリシタン殉教碑、聖火燃ゆ之碑(生田蝶介歌碑)を見るために、
温泉神社に戻って来ました。 -
右の拝殿と左の松の木の間拝殿側に、2本の柿の木が並んで立っており、「夫婦柿」と呼ばれて、パワースポットとして知られています。
手前の説明板(左下)には
「家内安全、勝運祈願、心願成就、子孫繁栄、恋愛成就
祈願の作法
両手で柿の木をだき、二つ一緒に下から上になで上げ、口で唱えながら祈願する。続いて榊で神水を浴びる」
と書かれています。 -
ここからキリシタン殉教碑への散策路に入ります。
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碑の近くに来ました。
散策路から木立を通して見えるお糸地獄。 -
散策路から南(お糸地獄側)の土手に上ると、聖火燃ゆ之碑(生田蝶介歌碑)です。
碑の下には生田蝶介が読んだ、「今のなお、丹きつつじの山こめて、聖き血しほの、燃えるなりけり」の句が刻まれています(写真ではよく分かりませんね)。
彼は小説「聖火燃ゆ」執筆にあたり、1927年(昭和2年)38歳のとき雲仙を訪れて殉教者にこの句を捧げました。長崎県は1939年(昭和14年)、一乗院境内にこの歌碑を建立しましたが、キリシタン殉教碑ができた1961年(昭和36年)11月にこの地に移しました。
書は?峰正敬(「?」は難しい漢字でIMEパッドでも出て来ません。)と刻まれていますが、これは徳富蘇峰の雅号です。 -
碑の位置から見たお糸地獄。
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カメラを少し右に振って、お糸地獄。
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聖火燃ゆ之碑(生田蝶介歌碑)の隣にあるキリシタン殉教記念碑。
「188福者(列福 2008年11月24日 長崎)」
1627年2月28日殉教16名(最初の福者(殉教者)です。)、1627年5月17日殉教10名(先の10名に続く福者)、計26名の殉教キリシタン名が刻まれています。
188は1627~1631年に雲仙の焦熱地獄で拷問・処刑された福者の合計です。 -
キリシタン殉教記念碑。
「沸々とたぎり 轟々と噴騰する硫黄地獄 1627年から5年間
ここで行なわれた "雲仙地獄の殉教"は早くから海外にまで知られて人々の胸をゆすぶった 或は硫黄涌き立つ湯壺に投せられ または全身に熱湯を注がれながら屈せず 信仰に殉じたもの数十名
"身体を殺して霊魂を害し得ないものを恐れるな"との聖訓を奉し
神への忠誠と霊魂の尊厳とを重んじて 拷問と死とに打ち克った聖なる殉教者たちの誉れは 永くここに留まる
1961年11月5日
カトリック長崎大司教区」
-刻まれた説明文より-。漢数字はアラビア数字に変換しました。
その下には
「ここで受難した主な殉教者
205福者(列福 1867年7月7日 ローマ)
1628年12月25日この地で殉教」した1名の名前と、
5名の名前に続けて「5名はここで拷問を受け、その後
1632年9月3日長崎で火刑により殉教」
と刻まれています。
205は1867年に教皇ピオ9世によって福者にあげられた、江戸時代初期の日本全体の福者の合計です。 -
散策路を東進して見たお糸地獄。
高台の小屋はさっき行った展望休息所です。 -
さらに少し東進して見たお糸地獄。
-
展望休息所に着きました。
お糸地獄と紅葉した山。
一部白飛びしちゃってますね。 -
そろそろ時間です。
さっきも通ったお糸地獄の中の散策路を西に向かって、駐車場に戻ります。
お糸地獄、展望休息所、紅葉した山。
これも白飛びか。 -
少し西に移動して。
でかい岩だなあ。安山岩ですかねえ。 -
また少し西に移動して。
キリシタン殉教記念碑が見えますね。 -
西に移動して。
でかい岩と紅葉。 -
お糸地獄のでかい岩と紅葉した山。
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お糸地獄と紅葉した山。
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湯煙を上げるお糸地獄と紅葉した山。
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湧き出すお糸地獄の湯
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湯煙を上げるお糸地獄と紅葉した山。
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湯煙を上げるお糸地獄と紅葉した山。
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お糸地獄と紅葉した山。
これで雲仙地獄とはお別れです。 -
駐車場で車を取って県道128号線を通り、西へと山を下りて来ました。
幸いタイヤの空気は抜かれていませんでした。
途中で見た山。 -
西下方。
谷間の海岸に見えるのは小浜町、海は立花湾、その向こうの陸は長崎半島ってとこですか。 -
さらに下って後ろの山。
この後空港に戻って長崎の旅は終わりです。
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この旅行記へのコメント (4)
-
- cheriko330さん 2018/11/20 02:03:06
- お天気に恵まれて長崎へ♪
- bunbunさん、こんばんは。
11月3日の良き日に長崎へいらしたのですね。
長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産は世界遺産に登録され
ましたよね。
青空と紅葉は映えますね☆今回は長崎だけだったのですか?
普賢岳災害はもう27年前になったのですね。私も火砕流はこの時に
初めて知りました。
ところで表紙のマッターホルンのお写真は雄大で素敵ですね。
どの辺りから撮られたのでしょうか?
私は8年前にツェルマットで2泊しましたが、一度もマッターホルンを
拝めませんでした。私もいつの日かbunbunさんが見たような雄姿を
見たいものです。あの形は格別ですね♪
cheriko330
- bunbunさん からの返信 2018/11/20 11:38:58
- RE: お天気に恵まれて長崎へ♪
- cheriko330さん、こんにちは。
またのご訪問ありがとうございます。
世界遺産に登録されたということで、今回初めて長崎に行って来ました。2泊3日で長崎市周辺と島原半島だけ見学してトンボ返りです。1ヶ月ほど前に手配しましたが、台風が来ていて、天候が悪かったらキャンセルしようと毎日天気予報とにらめっこでした。幸い好天で助かりました。
表紙の写真はゴルナーグラート展望台からです。登山電車で上るときは雲一つない快晴でしたが、展望台で食事をしてのんびりしていたらどんどん雲が出て、下りるときマッターホルンの頂上は雲に隠れてしまいました。山の天気は変わりやすいですもんね。
そうですね。先の尖った天に突き刺す雄姿は実に美しく、世界を代表する山ですね。ゴルナーグラート展望台からの景色は氷河やモンテローザ等の山々、ツェルマットの谷等360度の大パノラマです。今度行かれるときは、天気に恵まれるといいですね。
またcheriko330さんの素敵な旅行記を楽しみにしております。
bunbun
- cheriko330さん からの返信 2018/11/21 19:11:58
- bunbunさんの表紙の写真☆
- bunbunさん、こんばんは☆
表紙のお写真はとてもダイナミックで素晴らしい写真なのでてっきり
ゴルナーグラード展望台からではなくて、もっとマッターホルンに近い
ところから撮られたのでは?って思っていました。
良いお写真を見せていただいてありがとうございました。
私も見れていたはずの景色なのですね♪
昭和記念公園のチューリップは、さすがキューケンホフの元館長さんが
造られただけありオランダの本場で見ているようにきれいですね。
ここなら気軽に行けますので、今度時期を合わせて是非に本場の気分を
味わいに行きたいです。以前より大分垢抜けましたね♪
やまぶきや桜も花筏までも素晴らしかったです。
以前に見せていただいたはずですが、ポチ忘れしていたみたいです。
では、またおじゃましますね。
cheriko330
- bunbunさん からの返信 2018/11/26 14:42:57
- RE: bunbunさんの表紙の写真☆
- cheriko330さん、こんにちは。
表紙の写真は、フォートラさんの表紙の枠にマッターホルンが入るよう上下をかなりトリミングしております。元の写真ではゴルナーグラート展望台の下の氷河も写っていますが、あの表紙だけからでは、別のところから、と思われますよね。
昭和記念公園への投票ありがとうございます。この公園は1983年に開園してから10年近く、毎日通勤で横を通っていましたが、その当時は一回も行ったことはありませんでした。定年退職して戻ってからはよく行きます。ちょっと時期がずれただけで異った風景が見れますので、いつ行っても楽しめます。
cheriko330さんは以前近くにお住まいだったんですよね。思い出探しを兼ねて是非いらしてください。
bunbun
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