2018/10/25 - 2018/10/25
611位(同エリア1302件中)
belleduneさん
- belleduneさんTOP
- 旅行記839冊
- クチコミ134件
- Q&A回答177件
- 1,498,588アクセス
- フォロワー63人
春に近江八幡のラ・コリーナ近江八幡へ行きましたが、日牟禮神社へお参りする時間がありませんでした。秋は、近江鉄道で乗り換えながら、五個荘駅まで行き、15分ほど長閑な畑が広がる中を歩いて、藤井彦四郎邸へ行くことにしました。
表紙の写真は、ログハウス風の洋館の玄関前テラスです。
- 旅行の満足度
- 4.5
-
五個荘駅へ来るのに、ネットで調べていた時点で、JRだと思っていました。京都から近江八幡経由で五個荘に来るには、朝の時刻表によると、彦根まで行き、そこで彦根多賀神社線に乗り換え、高宮へ行きます。高宮で2度目の乗り換えで、湖東近江戦で五個荘に着きます。帰りも同じルートと思いきや、ローカル線のため、本数が少なく、五個荘から八日市まで行き、そこで、万葉あかね線に乗り換えて、近江八幡へ行くという近江鉄道線3本に乗りました。近江鉄道は電子カードが使えず、現金のみでしたので、今後こういうローカル線の問題が日本全国で生じるでしょうね。
-
駅から藤井彦四郎邸へは歩いて15分ほどということで、のんびり歩き始めました。昔から続く酒屋さん。
-
国道を通り過ぎて、畑が広がる長閑な風景の中をずっと歩いて、辿り着きました。五個荘には豪商の邸宅が5軒ほど、その他近江商人博物館、金堂まちなみ保存交流館、観光センター、観峯館などがありますが、今日はここだけ見学します。藤井邸にはログハウスの洋館、琵琶湖を模った池泉回遊庭園、檜造りの客殿などがあり、特にログハウス風の洋館に興味がありました。
-
門を入ると、天秤の里と言われている通りの天秤を担いだ藤井彦四郎の像がありました。近江商人発祥の地と言われている近江市五個荘は、五個荘金堂地区の舟板堀や白壁造りの土蔵が続く町並みが「美しい日本の歴史風土100選」に選ばれているそうです。
-
近江商人とは、近江を本家、本宅として、他国に行商した商人の総称だそうです。高島、八幡、日野、湖東商人と呼ばれて、其々の地域から発祥して、活躍した場所や取り扱う商品もいろんな違いがあるのが特徴とされています。東京日本橋一帯にも近江商人の呉服店舗(高島屋、三越、白木屋など)が軒並み並んでいました。
玄関の右手に洋館があります。 -
正面玄関
彦四郎は、三代目藤井善助の次男としてここに生まれました。八幡の高校に入学しましたが、中退し、朝鮮元山の近江商人宮原商店に奉公して、修行を積んだ後、京都へ戻って、長兄と共に、父の家業を手伝います。父の死後、分家して1907年に糸商「藤井彦四郎商店」(現・藤井株式会社)を操業します。藤井はフランスでレーヨンが発明されたことを知り、フランス、ドイツから見本品を輸入して、「人造絹糸」と名付けて、宣伝を行いました。大正期になって、現在の帝人や旭化成が人造絹糸の国産化を図理ますが、藤井は工場経営は行わず、毛糸事業に重点を置いて、共同毛織、共同毛糸紡績(現・倉敷紡績)を興して、「小町糸」や「スキー毛糸」のブランドで成功を収めたそうです。 -
藤井家の半纏です。藤井家は亨保年間、宮荘の篤農家・彦六を祖とし、三代後の初代善助が文化12年(1815)に布屋の商家として独立しました。父善助が政界に進出したため、兄と共に社長に就任。この主屋は、父・三代目善助が本家の横に家屋を買い、彦四郎の住居としたものです。彦四郎は結婚してから34年間、ここを本拠地としていましたが。昭和7年にここへ移築し、更に来客のために客殿、洋館を建設しました。
その後、奥座敷1棟を増築して現在に至っています。 -
敷地面積は、8155平方m、建物面積710mです。彦四郎は質素を尊び、剛健な気質で、早起きを最も貴び、「藤井が起きれば、一番鳥が鳴く」とさえ言われたそうです。また、「現状維持は退歩なり」、「七転び八起き」をモットーのして、積極的に困難に立ち向かいました。
-
左額は、昭和20年、当時の首相鈴木貫太郎が揮毫したもの。「自彊不息」とは、自ら進んで、仕事や事業に励み、怠らないという意味。
-
中央の客間。ここで見台を使って、読書や謡を嗜んだのでしょう。
-
各部屋には色んな書が掛けてあります。
-
主客間から見た次の間の衝立
-
広縁上の照明器具
-
客殿の広縁
-
立派な床の間のある主客間は皇族の方も多くみえたそうです。
-
中島来章の筆による戸袋の画
-
床の間前の畳は普通の畳長の1,5倍に作られたものが敷いてあります。
-
藤井彦四郎自身が設計した独創的で、野趣に富んだ800坪の広い庭園です。京都東山に点在する庭園の影響を受けたものと思われます。
-
三間続いた襖を履けると広々とした空間となります。主客間から見ています。
-
床の間の格天井
-
幅広い床の間です。この床の間の前にある畳が普通の寸法の1,5倍になっています。つまり幅広の床の間の長さと同じにしてあります。
-
お手洗い前
-
お手洗い入り口の引き戸は竹を編んだ網代になっています。
-
一段下りて、また一段上がる原因は恐らく水洗トイレのため、給排管工事が原因でしょうか。
-
一段降りたとことに手洗いがあります。ちょっと見にくいのですが、手洗いの陶器の縁にカエルが1匹います。水を見たすと蛙が今にも飛び出しそうに見えるそうです。
-
この踏み石辺りは夜は気を付けなければ、踏み外しそう...
-
再び一段上がって、左右にトイレがありますが、臭いの点から当時から水洗トイレになっていたそうです。扉は狭いため、竹製の蛇腹戸になっています。
-
トイレ内部のです。角が上手くカーブになっています。竹材の隙間が上手く計算背されていますね。
-
水洗ですが、まだ腰掛式ではありません。
-
ここから洋館です。窓から玄関前を見ています。
-
窓枠や窓の桟が幾何学的で面白い。
-
天井のシャンデリアが3基
-
天井のシャンデリアの接地部分
-
暖炉周りの左手壁ぎわに置いてあるのは、天体望遠鏡で昭和17年~30年代前半に京都市まず製作所で作られたものだそうです。
-
大正11年(1922)製のヤマハグランドピアノは、南五個荘村上並の近江商人塚本信三が、父佐兵衛氏の遺志により、当時の南五個荘尋常小学校に寄付されたものです。その後、幼稚園で使用されていましたが、平成15年に修理しされ、コンサートで使用されているそうです。
-
左の大きな蓄音機は、明治45年~大正3年に発売されたニッポノホン20号で、金属製のラッパが赤く着色されています。
-
内部の構造です。
-
大正11年に小学校教師だった坪田太平氏が購入したオルガンで、寄贈されたもの。山葉オルガン第8号で、当時のお金で180円だったそうです。当時の月俸が60円~70円の頃ですから、高いですね。
-
このテーブルとイスですが、テーブルの4隅にタバコの灰皿が埋め込まれています。4人でカードでもしていたのでしょうか。
-
中央に大きなテーブルと椅子が置かれています。布地は張り替えたものらしく、新しかったのですが、椅子の木製部分はデザインが凝っています。
-
テーブルも木彫りの彫刻が面白いデザインです。
-
輸入されてものか、国内で作ったものか...
-
角の扉は、隣に建てられた奥座敷への通路かと思われます。
-
藤井彦四郎氏の像
思いやりがあり、部下思いで、各種の式には人任せにせず、必ず出席していたそうです。 -
別の椅子とテーブル
-
裏には堀がありません。
-
イギリス製の自転車ラージ 小杉五三郎氏の愛用品で、ホワイトラインタイヤが目立ちます。
この洋間には、ずいぶん多くのものが展示してありました。 -
裏庭方向
-
洋館の隣にある奥座敷が見えています。
-
玄関前のテラス
-
ログハウスの外壁が見えます。
-
日常生活の場だった家族の居間へ行きます。
-
京都東山の斜面を利用した一帯に、京都本邸が昭和3年に完成しました。1万数千坪もある広大な敷地には、山、渓谷があり、この地域を開墾して、宅地にするのは大変な苦労があったそうです。中庸から取って「和中庵」と名付けました。昭和4年に池堀を造り、昭和7年に旧宅を移築するなど17もの建物を建てる計画がありました。
-
彦四郎が京都に和中庵を建てる少し前に、兄の4代目善助が琵琶湖疎水慶流橋(平安神宮大鳥居前)の付近に、藤井佼成会「有鄰館」を建設します。有鄰館は、善助が収集した主に中国の東洋美術品を展示する館で、私設美術館として、日本の草分けの一つとされています。武田五一の設計で屋上に八角堂があります。
-
居間の掛け軸は藤井彦四郎の祖父にあたる2代目藤井善助・藤井周願翁が描かれています。絹本著色は幕末から明治時代の著名な日本画家・鈴木百年。
-
こちらの部屋には毛糸の編み機、ミシンなどがありました。
-
昭和16年に逝去した彦四郎夫人・屋寿子さんの人柄を偲び、東本願寺の智子裏方が読んだ和歌です。
苔のなかを ゆく みをしへと かねてきく あら なみの 世も われハいとはし -
憲章社の富籤箱で、明治9年に設立された憲章降の後身で、憲章学校維持のための財団法人。藤井善助、竹中喜兵衛ら豪商が中心となって運営されました。この富籤箱は、基金積立のために使われたそうです。
-
欄間の透し彫りというか、彫刻が凄い!
-
横手にはお蔵があります。
-
商店の玄関内部です。
-
商店入り口
-
入って胃すぐのところには、彦四郎氏が帳場に座っておられます。
-
商店玄関を出たところにあった消火ポンプ機
-
囲炉裏のある居間
-
台所は吹き抜けになっているので、広いです。食事時は皆さん、忙しく働いていたのでしょうね。
-
竃周り
-
台所には簗瀬簑(やなぜみ)や編笠などの様々な用具、器具が展示してあります。
-
当時の職人、雇用人たち。
-
甕から糸繰機まで様々なものがあります。
-
こちらは女中部屋
-
女中部屋の中には、縫物仕事など当時のものが色々と展示してあります。
-
これはなんでしょうか...恐らく、糸に関する器具でしょうか。
-
風呂場の天井
-
お風呂場ですが、斜めの板が冬など寒い時にこの板の上を歩いて湯船まで行くのでしょう。
-
風呂場前の廊下天井が素敵です。
-
広い庭へ出て見ます。25mプールなら8個分あるそうです。
-
広々とした広縁の角には縁台が設えてあり、お月見などもここでしたのでしょうか。
-
宮大工による総檜造りの客殿は堂々としています。
-
琵琶湖を模った池を巡ります。
-
歩く度に景色が変わります。
-
琵琶湖に掛かる大橋を模した石橋
-
小高くなった方へ行ってみます。
-
ここが小高くなっているので、屋敷全体が見渡せます。
-
名石、名木が配された庭園は手入れが大変ですね。
-
大きな灯篭も数基あります。
-
根元から奇妙に割れていますが、捩れて、くっ付いている松の木。
-
庭に置かれた道標
-
行く先が分かりづらい
-
客殿の東面
-
庭先のかなりの巨石。
-
礎石周りが面白い。
-
沓脱ぎ石は大きいですね。
-
広縁に座って池を見たり、向こうの松を見たりと心和むひと時です。
-
そろそろ近江八幡へ行きます。これは、玄関上です。
-
玄関を入ったところです。
-
玄関の軒周り
-
この玄関傍の松が斜めになっていてかなり凝っています。
-
横にある洋館のテラスへ
-
このテラスは色使いが素敵です。
-
表紙の写真ですが。どこのタイルでしょうか。
-
軒下
-
柱も少し削ってあり、良い感じです。
-
平屋の洋館全体
-
洋館がログハウスだという証拠です。
-
門を入った車寄せへの景色
-
現在の邸宅脇は、紅葉公園となっています。藤井糸店があった場所です。
-
紅葉の頃は綺麗でしょうね。
-
色んな記念塔があります。
-
この灯篭もユニークな形でした。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
belleduneさんの関連旅行記
近江八幡・安土(滋賀) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
110