2018/10/22 - 2018/10/22
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naoさん
豊臣秀吉や徳川家康といった天下人が本拠を置いた、伏見城の城下町として大きく発展した伏見は、徳川幕府の一国一城令で廃城されて以降、京都と大坂を結ぶ主要交通路として旅人や生活物資を乗せた三十石船が頻繁に行き交った、宇治川から淀川へと続く水運の中継拠点として再出発することとなり、『伏見三仲間』と呼ばれる米問屋、薪問屋、材木問屋の豪商を輩出しました。
しかし、慶応4年(1868年)の鳥羽伏見の戦いにより町の大部分が焼かれたうえ、幕府の直轄地としての地位を失い、壊滅状態に陥ってしまいます。
その後、伏見が再興するのは明治31年(1898年)のことで、この地に陸軍38歩兵連隊が駐屯するようになり、軍部の需要に応えるため各地から商工業者が集まり、かつての活況を取り戻すことになりました。
そんな中、伏見の新しい経済基盤として成長してきたのが『伏見の酒』で、元々酒造りに適した風土があり、江戸時代にはすでに酒どころとなっていたところへ軍部の大量消費にも支えられ、新規参入する造り酒屋も相次ぐなど、飛躍的に生産量が増大しました。
最盛期には30軒以上もの酒蔵があった伏見ですが、大半の酒蔵が郊外へ移転したことや清酒業界そのものの不況などが影響して、現在では酒蔵の数がわずか18社にまで減少してしまいましたが、今もかつての酒都をしのばせるのに十分な白壁土蔵の酒蔵群や重厚な商家が連なる、風情ある町並みが残されています。
伏見と言えば、文久2年(1862年)の薩摩藩の尊皇派志士粛清事件、及び、慶応2年(1866年)の伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件の舞台として歴史にその名を残す旅籠、『寺田屋』があまりにも有名ですが、今も酒蔵通りの一角で看板をあげています。
なお、京都市が当時の記録を詳細に調査した結果、これら事件の舞台となった『寺田屋』は残念ながら鳥羽伏見の戦いの戦火で焼失していることが判明、現在の建物は隣接する所に当時の様子を再現して再建されたものだそうです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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この日は京阪電車に乗って来ました。
伏見の南側の最寄駅である京阪本線中書島駅で下車して町歩きを始めます。 -
駅の改札を抜けた所に建っている道標。
「寺田屋」の文字が見えます。 -
先ほどの道標に記されていた長建寺。
かつて門前には三十石船の船着場があったと言われ、今も付近に観光用の十石舟の乗船場が設けられています。 -
京都市の汚水桝の蓋。
中央に京都市の略章を置き、その周りに御所車の車輪をモチーフにした図柄が配されています。 -
伏見城の外濠にあたる濠川に架かる辨天橋を渡ります。
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遠足に来たのか、かわいい幼稚園児たちがにぎやかに濠川の川べりを歩いています。
カメラを向けていると、ひとりの女の子に見つかってしまいました。
右手には、観光用の十石舟の乗船場が見えています。 -
辨天橋を渡った所にある料理屋さん。
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しばらく進むと、風情のある大きな建物が見えてきました。
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こちらは明治42年(1909年)に建てられた酒蔵を活用した・・・
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「月桂冠大倉記念館」です。
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記念館の杉玉の上空に広がるさわやかな秋空。
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大黒柱と太い梁で構成された館内には、月桂冠創業からの歴史を物語る数多くの史料の展示を通じて、伏見の酒文化を伝えています。
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この日の館内は、インドからの観光客の皆さんでごった返していました。
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この辺りが月桂冠の創業地で、一帯は月桂冠に関連する建物で占められています。
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その一角にある酒蔵群は・・・
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月桂冠創業家である大倉家の本宅に隣接する内蔵形式になっていることから・・・
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「内蔵酒造場」と呼ばれています。
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こちらが月桂冠創業家である大倉家の本宅です。
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いろんな格子がはめられた大倉家の本宅ですが・・・
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部分的に竹の外格子をめぐらせておられます。
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こちらは、伏見観光協会が運営する「伏見夢百衆」です。
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「伏見夢百衆」は、元々月桂冠の本店として長年使用されていた建物で、喫茶、土産物販売、観光案内所として活用されています。
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この酒蔵も月桂冠関連のものでしょうね・・・。
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濠川越しに望む酒蔵群。
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京都特有の、屋根に大きな「ムクリ」が付けられている町家です。
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伏見の町並みです。
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道路から少し上がった敷地に駒寄をめぐらせた町家です。
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伏見の町並みを見返した光景です。
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「竜馬通り」と名付けられた商店街の光景です。
さて、ここで濠川の方へ行ってみます。 -
蓬莱橋の上から濠川を眺めていると、観光用の十石舟が通り過ぎて行きました。
蓬莱橋のたもとには、濠川添いに設けられた遊歩道に下りられる階段があります。 -
遊歩道から見上げた伏見の町並みです。
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濠川に面して建ち並ぶ・・・
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月桂冠の酒蔵群。
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と、そこへ観光用の十石舟がやって来て・・・
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白い航跡を残して走り去って行きました。
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水辺空間の景観構成に欠かせない柳の木。
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潤いのある景観の中で、風にそよぐやさしい風情までも添えています。
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お日様の光に花びらを射抜かれたキバナコスモス。
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では、町歩きに戻ります。
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先ほどの「竜馬通り」商店街の先には、薩摩藩の尊皇派志士粛清事件、及び、伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件の舞台として歴史にその名を残す旅籠『寺田屋』があります。
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坂本龍馬暗殺未遂事件の概略は以下のとおりです。
薩長連合を成し遂げた坂本龍馬が、後に妻となる「おりょう」を待たせている『寺田屋』に真夜中に到着し、行動を共にしていた長州藩士三吉慎蔵と飲み始めたところを伏見奉行所の捕吏たちに取り囲まれてしまいます。 -
龍馬と三吉慎蔵のために布団を敷いてから風呂に入っていた「おりょう」が、風呂の窓越しに伏見奉行所の捕吏たちに取り囲まれているのを見るや、機転を利かせて裸のまま階段を駆け上がってそのことを龍馬に報せたことで、修羅場とはなったものの、龍馬と三吉慎蔵は何とか逃げ延びることができたという事件です。
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小さな社の前の絵馬掛所には、坂本龍馬の絵馬が並んでいます。
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この井戸水で風呂を沸かしたんでしょうか・・・。
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『寺田屋』さんの表札と扁額。
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京橋のたもとに立つ「伏見口の戦い激戦地跡」の石碑。
鳥羽伏見の戦いでは、薩長を中心とした新政府軍と、幕府歩兵隊、会津藩兵、新選組などの旧幕府軍の間で激しい戦闘が行われましたが、宇治川から淀川へと続く水運の中心地で、旧幕府軍が本拠を置いていた大坂と直結する京橋付近でも熾烈な戦いが繰り広げられました。
この戦いに敗れた旧幕府軍が民家に火を放ちながら淀方面に敗走したため、このあたりは火の海と化し、その煽りで『寺田屋』も焼け落ちたと言われています。 -
京橋から見た濠川。
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「伏見長州藩邸跡」の石碑。
京都と伏見を結ぶ竹田街道(府道115号線)沿いの、「伏見口の戦い激戦地跡」の石碑の立つ京橋からほど近いところにあります。
ちなみに、長州藩邸は鳥羽伏見の戦いの3年半前にはすでに焼失していたそうです。 -
では、竹田街道(府道115号線)を越えた西側の町並みへ向かいます。
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虫籠窓のある町家です。
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マンションのエントランスが、モダンな京町家風にしつらえられています。
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太い横格子が玄関回りを固めている町家です。
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再び竹田街道(府道115号線)を越えて、東側の町並みに戻って来ました。
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「お庭と雑貨」と染め抜かれた暖簾を掲げているお店があります。
「お庭と雑貨」とは何ぞやと思ったら、インテリア用園芸雑貨や家庭用雑貨などを販売されているお店でした。 -
丸窓に面白い庇の架かった土蔵です。
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先ほど見かけた、「竜馬通り」商店街です。
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小さな社を祀っておられる町家です。
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「黄桜」と書かれた大きなガス灯をあげているのは、漫画家小島功氏のカッパのイラストでお馴染みの「黄桜」の日本酒や京都の地ビールが楽しめる黄桜酒造直営のお店です。
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こちらは京都市左京区で代々酒造業を営んでおられた東山酒造さんで・・・
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昭和59年にこの地に移転して、現在に至っておられるそうです。
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こちらは、先ほどの黄桜酒造直営店で出されている地ビールの工房です。
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この酒蔵を右に入った所には・・・
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「伏見土佐藩邸跡」の石碑が立っています。
鳥羽伏見の戦いが始まった際、藩大目付の板垣退助を中心とした倒幕派がこの期に乗り遅れまいと薩長軍に合流し、新政府軍の一角にその名を連ねることとなりました。 -
では、町並みへ戻って、三叉路の突き当たりを右に歩きます。
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玄関庇を肘木で支える、風情豊かな町家です。
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ベンガラ色が映えるこちらはおでん屋さんです。
店名もそのまま「べんがらや」です。 -
伏見の町並みです。
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お店の前の垂れ幕からも判るように、こちらは「月桂冠」直営のお店です。
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こちらは、「神聖」の銘柄名で知られる、延宝5年(1677年)創業の山本本家の酒蔵です。
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その酒蔵の外壁に・・・
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「鳥せい本店」の看板が掲げられていますが・・・
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「鳥せい本店」さんは、山本本家の酒蔵の一棟を改装して営業されています。
お店では、「神聖」の生原酒が提供されているそうですよ! -
「鳥せい本店」の横には、山本本家の酒造りに使われている「白菊水」とよばれる名水が湧き出ています。
誰でも利用できるそうなので、この日も大勢の方が水を汲みに来ておられました。 -
こちらは、甘味処です。
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伏見の町並みです。
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こちらは山本本家の建物です。
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この町家が先に建っていたのに、後から建ったマンションに押し潰されそうに見えます。
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伏見の町並みです。
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こちらは、建築関係の会社です。
新しい千本格子から、木の香がただよってきそうです・・・。 -
こちらは、酒処伏見の名物、酒まんじゅうを扱う和菓子屋さんです。
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ベンガラ塗の柱と、白漆喰塗の虫籠窓が良いバランスでしつらえられています。
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さて、ここから「竜馬通り」商店街を歩いてみます。
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商店街の店先に、飛騨高山などの岐阜県飛騨地方で昔から作られている「さるぼぼ」が飾られています。
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伏見御堂の山門前に立つ「会津藩駐屯地跡(伏見御堂)」の石碑。
鳥羽伏見の戦いで新政府軍と戦った会津藩の先鋒隊約200名が、ここ伏見御堂を宿陣としました。 -
ここにも小さなお社を祀った町家があります。
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思いもよらない所で、こんな洋館を見つけました。
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こちらは、白黒の虫籠窓を使い分けておられる町家です。
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外格子を含めて、1階にかつての面影を残す町家です。
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かつて両替商だったと言われている町家です。
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慶長6年(1601年)、徳川家康により伏見銀座(江戸幕府直轄の銀貨鋳造所)が置かれたことで、慶長13年(1608年)に銀座が京都に移された以降も、この辺りには数多くの両替商が軒を並べていたとのことです。
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それを示すように、「此付近 両替商旧跡」と書かれた石碑が立てられています。
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こちらはゲストハウスです。
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名栗加工の外格子をめぐらせた町家です。
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こちらの町家は、同じ名栗加工でも、外格子ではなく駒寄ですね。
では、線路を越えて京阪本線の東側へ向かいます。 -
京料理の「魚三楼(うおさぶろう)」さんが見えてきました。
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鳥羽伏見の戦いに敗れた旧幕府軍が民家に火を放ちながら淀方面に敗走したため、この辺り一帯は火の海と化してしまいますが、幸いにも「魚三楼」さんは難を逃れて焼け落ちずに済んだそうです。
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そのおかげか、激しい戦闘を物語る弾痕が、今も千本格子に残されています。
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こちらは、風情ある町家を活かしたレストランです。
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千本格子とともに、小さな虫籠窓が良い雰囲気を醸し出しています。
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こちらは、イベント会場などとして使われている町家です。
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京阪本線伏見桃山駅の西側に、「此付近 伏見銀座跡」と刻まれた石碑が立っています。
これは、慶長6年(1601年)に江戸幕府直轄の銀貨鋳造所である伏見銀座が置かれたことにちなんで設置されたものです。 -
では、京阪本線伏見桃山駅から電車に乗って、次の目的地へ移動します。
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