2018/10/14 - 2018/10/14
26位(同エリア362件中)
かつのすけさん
- かつのすけさんTOP
- 旅行記488冊
- クチコミ1112件
- Q&A回答4件
- 923,954アクセス
- フォロワー146人
この旅行記のスケジュール
もっと見る
閉じる
この旅行記スケジュールを元に
早朝、雨が降っていて出かけるのをためらいましたが、8時頃には雨もあがったので、予定を変更して比較的近場の生田緑地へ行ってきました。日本民家園に行こうと思ったら駅前でばら苑のチラシを配っていたので、ついでにばら苑にも行ってきました。
途中でポツポツと雨も降ってきましたが、途中からはいい天気になって、本日は、23,876歩のお散歩となりました。
【表紙の写真】生田緑地ばら苑
- 旅行の満足度
- 3.5
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄
PR
-
早朝雨が降っていたため、出かけようかどうか迷っていましたが、雨もあがり目的地を変更して出発!
09:30新宿発の小田急線急行小田原行で出発です。新宿駅 駅
-
向ヶ丘遊園で降りると、すっかり青空になっていました。
向ヶ丘遊園駅 駅
-
駅前の道を進んで行きます。
かつてここには向ヶ丘遊園へと向かうモノレールが上を走っていました。 -
10分ほど歩いて、生田緑地に到着しました。
生田緑地 公園・植物園
-
この日訪れたのは生田緑地にある日本民家園。
この本館の建物が入口になっています。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
入口の建物の中は日本の古民家の模型などを使い、解説されています。
で、この模型は秩父の大滝村栃本という集落の民家だそう。 -
この模型は園内にある旧北村家住宅の構造模型だそうですが、ここまで骨組みになるとどの建物か言われないとわからないですね。
-
エントランスの建物を出ると坂道を登って行きます。
すごい田舎の集落に来たような感じです・・・ -
最初の建物は旧原家住宅。
神奈川県川崎市中原区小杉陣屋町。明治44年上棟の建物です。
近代に入ってからの建物ですが、基本は江戸時代の流れを汲んでいるそうです。 -
土間から中も見ることができました。
古い日本家屋ですが… -
照明はシャンデリア・・・ちょっと不釣合のような感じはします。
まぁ、この建物は一応明治にできた建物なんで、電気があっても不思議はありません。 -
ここからは「宿場」エリア
旧鈴木家住宅
福島県福島市松川本町(19世紀初頭)
奥州街道の八丁目宿にあった馬宿。市に向かう馬方と馬が止まる宿で、土間に内馬屋を設け、そこに十数頭の馬がつながれていたそうです。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
鈴木家住宅の建物も土間から中を見ることができます。
-
その前にあった旧井岡家住宅
奈良県奈良市高畑町(17世紀末期~18世紀初頭)
柳生街道に沿って建てられていた油屋。正面に丸太格子や「あげみせ」を設けています。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
旧井岡家の土間
民家といっても、この民家園にある建物の殆どは村役人や商売を営んでいるそこそこ裕福な家を移築したものなんで、それなりにどの建物も広い建物です。どの建物も土間があって、その奥にほぼ「田」の字の形で部屋を仕切った部屋があるという素人にとっては同じような感じに思える建物ではありますが、その地方地方でそれぞれ特色があるようです。 -
こちらの建物は油屋を営んでいた家なので、「みせ」と呼ばれる商売をする場所があります。
-
続いて旧佐地家の門
愛知県名古屋市東区白壁(19世紀初頭)
250石取尾張藩士の武家屋敷入口だったものです。立派な門構えですが、これでも中級武士の家の門だそうです。母屋は名古屋に残されたまま。江戸時代は石川家という武家の門で、明治に入って陸軍第六連隊長梨本宮の官舎となり、銀行の所有となった後、昭和初期に貿易会社を創業した佐地家の所有となったようです。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
裏側にあった供待(主人のお供が帰りを待つ控えの部屋)は3畳ほど。
-
旧三澤家住宅
長野県伊那市西町(19世紀中期)
伊那街道の伊那部宿にあった薬屋。屋根は石置きの板葺き。江戸時代には組頭役を代々務めていた家柄であるため、門構えと前庭付の式台が許された民家。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
ここが「まえにわ」というようです。
-
中はこんな感じ
-
高台から見ると、時代劇を見てるようですよ~
-
続いては「信州の村」エリア
水車小屋
長野県長野市上ヶ屋(19世紀中期)
車輪の直径3.6m川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
木製の歯車で製粉・精米・藁打ちができる水車小屋の中も見ることができました。
-
旧佐々木家住宅
長野県南佐久郡佐久穂町畑(享保16(1731)年)
千曲川沿いの名主の住宅。降雪量の少ない地方のため、柱や梁は比較的細い材を使用している。東側の屋根は兜造り。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
入口にはお手洗い(小便器)
-
日中でも建物の中はかなり暗い感じがします。
-
2階へと上がる階段
※登れません! -
旧江向家住宅
富山県南砺市上平細島(18世紀初頭)
富山県と岐阜県の境に位置する越中五箇山の合掌造り川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
豪雪地帯にあったため、屋根が急勾配になっています。
-
旧山田家住宅
富山県南砺市桂(18世紀初頭)
こちらも合掌造りの建物です。 -
浄土真宗の進行が篤い地方のため立派な仏壇を持ち、仏間も有しています。
-
民家園の民家は交代で中に解説をしてくださる方がいらっしゃるようで、中に上がることもできます。その民家では茅葺の民家の中を燻すためか、囲炉裏に火が焚かれています。ちょっと長居すると体に煙の臭いがついてしまうので注意です。
-
旧野原家住宅
富山県南砺市利賀村利賀(18世紀後期)
越中五箇山の利賀集落の合掌造り川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
この曲がった梁は、傾斜地で成長した木の根元が使われているからだそう。
-
旧山下家住宅
岐阜県大野郡白川村長瀬(19世紀前期)
飛騨白川郷の合掌造り川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
お休処(蕎麦屋)になっていましたが、お休みでした。
ちなみに、お蕎麦屋さんの名前は「白川郷」というそうです。 -
旧作田家住宅
千葉県山武郡九十九里町作田(母屋:17世紀後期、土間:18世紀後期)
九十九里浜地引網漁の網元の家。棟を別にする分棟型民家川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
中の土間は休憩所に・・・
-
その前では、土壁塗りなどの大工体験ができるコーナーがありました。
-
沖永良部の高倉
鹿児島県和泊町内城(19世紀後期)
太い4本柱の上部に穀物を収納する場所を設け、鼠などの侵入を防ぐようにしています。 -
旧広瀬家住宅
山梨県甲州市塩山上萩原(17世紀末期)
切妻屋根で軒が低く、壁の多い閉鎖的な甲州民家。土間には鳥居柱と呼ばれる2本の柱が立ち、居間には板床を張らない土座がある。
こちらの建物は、耐震補強工事のため非公開でした。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
旧太田家住宅
茨城県笠間市片庭(母屋:17世紀後期、土間:18世紀後期)
作田家住宅とは異なった形の分棟型民家。土間部分を釜屋と呼び、ここに馬屋も設けられている。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
ここからは地元神奈川の村
旧北村家住宅
神奈川県秦野市堀山下(貞享4(1687)年)
移築解体の際、建築年を示す墨書が発見された貴重な民家。正面の格子窓、今部分の押板やすのこ床など古い特色を持つわりに開放的な民家。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
殆どの民家は入るとすぐ「ひろま」のような大きな部屋があり、「ざしき」が続いて住人が寝たりする「へや」があります(呼び方は違うかもしれません)。
村役人のお宅の「ひろま」は村人が集まったりするのに使い、座敷はお客様が来た時に使うそうで、それじゃ住んでる人はどこで寝るのか・・・と思い、聞いてみると、やはり裏の方にある小さな部屋で寝たりしているそう。大きな家でも、生活する部屋は慎ましやかだったんですね。 -
旧清宮家住宅
神奈川県川崎市多摩区登戸(17世紀後期)
三方が土壁で塞がれ、格子窓が土間と床上境にも設けられている極めて閉鎖的な民家。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
暮らす部屋は小さいですが、どこも表から見える土間やひろま・ざしきのスペースは大きいです。
-
こちらの民家も係の人がいて、囲炉裏に火が灯されていました。
-
高札場
-
旧伊藤家住宅
神奈川県川崎市麻生区金程(17世紀末期から18世紀初期)
入母屋造の農家。正面の格子窓をシシマドと呼び、獣の侵入を防ぐものだと言われている。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
こちらの民家には「みそぐら」
味噌・醤油の貯蔵にかなりのスペースが割かれています。 -
神棚もありました
-
蚕影山祠堂(こかげさんしどう)
神奈川県川崎市麻生区岡上(文久3(1863)年)
養蚕の豊作を祈り、その神を祀るお堂。宮殿の両側面には養蚕の神である金色姫の苦難の物語にある獅子・鷹・舟・庭の4場面が彫刻されている。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
旧岩澤家住宅
神奈川県愛甲郡清川村煤ヶ谷(17世紀末期)
土壁と板壁を併用した上層農家。3つの部屋で構成される広間型の間取り、正面と側面につく格子窓、押板など古い様式をとどめている。川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
せいろなどの生活用品も展示されています。
-
菅の船頭小屋
神奈川県川崎市多摩区菅(昭和4(1929)年)
多摩川の渡船場にあって、船頭が客待ち・休憩・河野見張りに使用した小屋川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
東北の村
旧工藤家住宅
岩手県紫波郡紫波町舟久保(宝暦頃)
旧南部領に分布する曲屋。主屋に対して曲がった部分は馬屋となる川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
曲家の曲がった部分の馬屋
-
上座敷以外は畳ではなく板の間になっています。
-
旧菅原家住宅
山形県鶴岡市松沢(18世紀末期)
出羽三山の麓から移築した妻入り農家川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
豪雪地帯の建物の特徴である「アマヤ」
-
階段を登って行ったところにあった船越の舞台
三重県志摩市大王町船越(安政4(1857)年)
志摩半島の漁村にあり、歌舞伎芝居などを演じていた舞台川崎市立日本民家園 名所・史跡
-
裏に回ると舞台の下を見ることができます。
ここは「奈落」
そう、「奈落の底」とはこの奈落からきた言葉です。 -
一通り見たので、西口から退園します。
西口は伝統工芸館になっていました。川崎市伝統工芸館 美術館・博物館
-
西門から民家園を出て正門の方へと歩いて行く途中、ちょっと寄り道。
民家園のある生田緑地がある桝形山の山頂がこの広場。 -
広場には展望台があります。耐震工事中でしたが、展望台はエレベーターもちゃんと使えました。
-
でもって、展望台に上ってみると意外と眺めが良い。
雨上がりということもあってか、結構遠くまで見ることができました。 -
こちらは横浜方面です。
ランドマークタワーも見えます。 -
桝形山山頂 海抜84m
-
かつて、この地には桝形城がありました。
秩父党の流れをくむ小山田有重の子稲毛三郎重成により築かれ、戦国時代以降は廃城となったそう。枡形城跡 名所・史跡
-
民家園の正門近くには生田緑地の中央広場があります。
-
昔懐かしい国鉄の客車も展示されていましたが、現在は中には入れません。
-
こちらの建物は「かわさき宙と緑の科学館」
今回はちょっと時間がありませんでしたが、民家園との共通チケットもあるようです。かわさき宙と緑の科学館 美術館・博物館
-
広場の片隅には D51 408号機
先日の所沢でもデゴイチの生態保存機を見ましたが…こちらは勿論真っ黒でした。 -
さて、本日は民家園に行くために向ヶ丘遊園駅で降りましたが、駅前ではばら苑のパンフレットを配っていたので、行ってみることに。こちらが近道ということで進んでみたら、まぁ、なんと永遠と続く登りの階段(-_-;)
-
10分ほど歩いたでしょうか、ようやくばら苑に到着しました。
ばら苑の開苑は10月11日~11月4日ということで、開苑したばかりのため、開花状況はまだまだ・・・という感じでした。満開になると、625種約2,900本の秋バラを見ることができるそうです。
かつてここにあった向ヶ丘遊園の閉園に伴い、園内にあったばら苑を川崎市が引き継いで、今年開苑60年となります。
こちらのバラは「ゲイクルセイダー」 -
「ゴルテルゼ」は黄色いバラ
-
「グラナダ」は中央が黄色くなっていました。
-
天津乙女
-
「エリナ」
-
朝は雨が降っていましたが、空もすっかり晴れてバラが青空に映え~
-
プリンセス・ミチコ
-
そろそろバラ園を退園です。
-
坂を下って行ったところにあったのは藤子F不二雄ミュージアム。
川崎市藤子 F 不二雄ミュージアム テーマパーク
-
20分ほど歩いて登戸駅まで来ました。
登戸駅 駅
-
こちらのバスは登戸駅と藤子F不二雄ミュージアムを結んでいるバス。
川崎市営バス 乗り物
-
ドラミちゃんの銅像みっけ!
-
ここで昼食にします。
ばら苑に行ったため、ちょっと予定よりも時間が押してしまったので、小田急線の駅ビルの1階にあった吉野家です。 -
牛丼並。
早い、安い、久しぶりなので、それなりに旨いです。 -
吉野家を出たら、今度は黄色のドラえもんバスみっけ!
-
登戸からは、南武線に乗ります。
運よく快速が来ました!JR南武線 乗り物
-
宿河原・久地・津田山と通過して、次に止まった武蔵溝ノ口で乗り換えます。
武蔵溝ノ口駅 駅
-
乗換といってもJRは「武蔵溝ノ口」、東急は「溝の口」で駅名も違うので、駅の入口も隣り合っていても別々。
溝の口駅 駅
-
田園都市線に乗って
東急田園都市線 乗り物
-
宮崎台で下車して
宮崎台駅 駅
-
改札を出て目の前の「電車とバスの博物館」に。
電車とバスの博物館 美術館・博物館
-
エントランス前の踏切
-
こちらの博物館は東急運営の鉄道系博物館。JR東で言えば鉄道博物館、東京メトロでいえば地下鉄博物館・・・のような感じ。
-
なので、歴代の東急の車両モデルがズラリと展示されてます。
-
鉄道ジオラマやシュミレーターがメインという感じなので、他の鉄道系博物館に比べると特に子供の来場者が多かった感じがします。
で、こちらがその鉄道ジオラマの東急線の車庫。 -
駅に電車が入線してきました。
-
目蒲線の目黒駅の模型。
現在は地下鉄と繋がり、駅も地下化され、この場所には立派な駅ビルが建っています。
いかにも「昭和の風景」という感じです。 -
シミュレーター
-
記憶が確かなら、20年位前まで池上線や目蒲線(今は目黒線・多摩川線)でもこんな緑の旧型車両が走っていました・・・
-
旧型車の運転台
-
こちらはバスのコーナー。
鉄道系博物館の中ではバスのエリアも充実していると思います。 -
最近の電光行先表示板
自分で設定して行先を変えることができます。 -
昔のアナログ表示幕も自分で設定して変えることができます。
-
田園都市線(元新玉川線)のルーツの玉電は、かつて国道246号線を走っていました。
-
先ほどの運転台に比べれば新しい
-
宮崎台から田園都市線です。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
登戸・新百合ヶ丘(神奈川) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
111