2018/09/21 - 2018/09/21
21位(同エリア6769件中)
chiaki-kさん
- chiaki-kさんTOP
- 旅行記231冊
- クチコミ123件
- Q&A回答139件
- 739,212アクセス
- フォロワー212人
「ローマの休日」(原題:Roman Holiday)は、1953年製作のアメリカ映画。 原案ダルトン・トランボ 監督ウィリアム・ワイラー 主演 グレゴリー・ペック、オードリー・ヘプバーン。ワイラー監督は撮影場所を現地ローマに、スタジオはチネチッタ撮影所にしたが、この年の夏のローマは20世紀で最も暑い夏の一つとして記録されるほどの「地獄の夏」で、街は湿気でサウナに変わったと言われている。
映画の中盤に、アン王女が市内に出て美容院で髪を短く切り、尾行してきた新聞記者ジョー・ブラッドレーが、スペイン広場で「偶然の再会」を装って、2人が語り合う有名な場面がある。 上映時間は2分にも満たないシーンだが、階段下から撮ったカットに後景のトリニタ・デイ・モンティ教会の鐘楼の時計が映っており、カットのたびに変わる時計の針からここの撮影に3時間以上も費やしていたことが後で判明した。(Wikipedia参照)
さて、今回のローマ旅行の主目的は古代ローマの探訪なのだが、サブテーマは「ローマの休日」撮影シーンの探訪? も兼ねていた。その一つがスペイン階段のシーンで、主演のオードリーが大股開きでジェラートを食していた場所を探すのも目的の一つであった。
2024/03/09 一部修正
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 航空会社
- フィンランド航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
PR
-
9/21
朝のカブール通り。お、晴れた。 -
朝食後、恒例の朝の散歩。ホテルの裏道で、あるレストランを発見。2003年にツアーで来た時にオプショナルに行かずに、ディナーを食べたレストラン”IL COVO ” 。まだ営業していたので、ちょっと嬉しかった。内山さんに聞いたら高級レストランとのこと。
-
8:30にホテル出発。メトロ・カブール駅から落書きだらけの電車に乗り、テルミニ駅で乗り換えてフラミニオ駅で下車する。
-
ポポロ門はローマの北の玄関とも言える門で、ここからフラミニア街道がはじまる。そして、門の右側にある修復中の建物がサンタ・マリア・デル・ポポロ教会。
-
1099年、法王パスカリス2世は当時のフラミニア門の脇に聖母マリアに捧げる小さな教会を建てた。それがサンタ・マリア・デル・ポポロ教会の始まりだが、1472年、法王シクストゥス4世の命で現在見られる形に再建された。
-
これが主祭壇だが、一部工事中。
-
主祭壇に祀られたのは「マドンナ・デル・ポポロ」(市民のマドンナ)と呼ばれるイコン。
-
主祭壇の手前右側にチェラージ礼拝堂がある。正面の絵はアンニバーレ・カラッチ「聖母被昇天」
-
色鮮やかな画に驚かされる。そしてマリアの着衣の下から顔を覗かせる天使達が可愛い。光が反射してしまったのがおしい。
-
左にある画はカラヴァッジオ「聖ペテロの逆さ磔」
-
エルサレムやローマで布教活動をおこない、最後はローマで殉教した聖ペテロの逆さ磔の場面を描いたもの。カラヴァッジオらしく背景は真っ黒で、必要な人物や十字架などを闇から浮き上がらせ、物語性を強調している。釘を打たれた左手を凝視するペテロ。頭に去来するものは何だったろう。
-
右にある画はカラヴァッジオ「聖パウロの改心」
-
パウロがまだユダヤ教徒の時代に、キリスト教弾圧のためにダマスカスへ向かう道中、突然天からの光に照らされ落馬、そしてキリストの声を聞く劇的な一瞬を捉えたもの。なお、当時の馬には鞍やアブミは無く、相当慣れた人でなければ乗馬は難しかった。
-
隣のロヴェーレ礼拝堂にはピントゥリッキオ「幼子キリストの礼拝」がある。これも有名なフレスコ画。
-
キージ家礼拝堂の天井画はラファエロが下絵を描いたらしい。
-
そんな感じもする。
-
教会の片隅にあるのはメメントと呼ばれる骸骨。どんな人でも最後はこうなるぞ、という警告。ちなみにメメントはローマ皇帝の凱旋式の最後尾にもあったらしい。
-
ポポロ教会から出るとそこはポポロ広場。中央にはチルコ・マッシモから運んできたオベリスクが聳え、その向こう側にそっくり同じような双子の教会がある。右側の教会の名はサンタ・マリア・デ・ミラーコリ教会、左はサンタ・マリア・イン・モンテサント教会。
-
双子教会に挟まれた道がコルソ通りでベネチア広場と、右がリベッタ通りでサンピエトロ広場と、そして左がバブイーノ通りでスペイン広場に繋がっている。映画「ローマの休日」の冒頭シーンにも登場したね。
-
バブイーノ通りを進む。ひとつ左側のバブイーノ通りと並行する通りがマルグッタ通り。映画「ローマの休日」に登場した新聞記者ジョーのアパートはこの通りの33番地に今でもあるそうだ。
-
スペイン広場に到着。以前はトリニタ広場と呼ばれていたが、スペイン大使館が近くにあったこともあり、いつからかスペイン広場と呼ばれるようになった。
-
そしてスペイン階段。階段の上にあるトリニタ・デイ・モンティ教会の鐘楼の時計は何と午後3:47を指している(今は午前9:30)。内山さんの説によるとローマの時計は皆、間違った時間を指している、とのこと。なお、いつも観光客で一杯のスペイン階段なのだが、まだ朝だったので比較的空いていた。
-
この噴水は「船の噴水」と呼ばれローマを彩ったベルニーニの作品のひとつ。通常の噴水と違い地上から一段、掘下げた場所に造ってあるが、この辺はローマ水道の水圧が低く、水を吹き出す力が弱かった為と言われている。
-
さて、問題のオードリーの立ち位置だが、階段の左右に飾りとして大きい石が2列、並べてあるのが見える。その左側、街灯が乗っている石から下へ数えて4段目、
-
はい、この娘さん達が立っている隣の石がそう。この石の下は、階段と階段が少し開いていて、照明さんや録音さんなどを配置するのがやりやすかったので、監督はここを選んだと思われる。
-
試しにカミさんを立たせて見た。背景のトリニタ・デイ・モンティ教会の鐘楼の時計もバッチり写っている。家に帰ってから再度ビデオをチェックしてみたが、ビデオと違うのは街灯の灯りの形(映画は丸い)だけであることが判明した。もうひとつ気になったのは、映画ではオードリーの足下を画面から外していること。多分、踏み台や配線など写ってはまずい物があったのではと推測。
-
ブランドショップが立ち並ぶコンドッティ通りは素通りし、こんな可愛い路地を歩く。
-
サンタンドレア・デレ・フラッテ教会前を通過。入らなかったがサンタンジェロ橋にあった天使像の本物がが2体飾ってあるそうだ。
-
教会を背に、坂を下ってすぐのところにあるのがベルニーニの家。写真はベルニーニの家に掲げられたプレートとベルニーニの肖像。なお、ベルニーニの墓はサンタ・マリア・マッジョーレ教会にある。
-
内山さんの説明が無ければ全く解らない場所に、ひっそりとあったのがヴィルゴ水道。15世紀に復活したローマ水道だが、今でも現役というのが凄い。ちなみにこれから行くトレビの泉の水もここを通っている。
-
トレビの泉、再訪。詳細は前の旅行記を見てね。
-
ここを再度訪れたのは、ジェラートを食べるため? では無くトイレを借りるため。 2.5Eのピスタチオ・ジェラート、おいしかった。
-
ガッレリア・アルベルト・ソルティはコルソ通りに面したショッピングモール。ファッション店や、おしゃれなカフェ・レストランなどが入っている。
-
モールを出て、コルソ通りの反対側にある広場はコロンナ広場。広場の中央に立つ柱はマルクス・アウレリウスの記念柱。ゲルマニアでの戦いに勝利したのを記念して、トラヤヌスの記念柱を模して建てられた。
-
柱の後ろにある建物はキージ宮といい、現在は内閣府がおかれている。
-
このオベリスクの後ろにあるのはモンテチトーリオ宮といい、代議院 (下院) 議事堂として使用されている。 日本の国会議事堂にあたるのだが、門番程度のセキュリティで良いの?
-
サンタゴスティーノ教会にやってきた。15世紀に建てられたこの教会にはカラヴァッジョやラファエロなどの作品がある。
-
主祭壇はこちら。それより・・・・
-
礼拝堂にあるのは、カラヴァッジョ「ロレートの聖母、または巡礼の聖母」(1604~1605年)
-
足の汚れた巡礼者にキリストを拝ませる心やさしい聖母マリア。
-
ヒラリとかわす足さばきは、さすが聖母。なお、聖母のモデルは、カラヴァッジョの恋人で、 娼婦をしていたレーナと言われているが、光輪がなければ、 とても聖母子とはわからない庶民的な姿の親子が良い。
-
サン・ルイージ・デ・フランチェージ教会にやってきた。ローマは教会だらけだ。
-
主祭壇はこちらだが・・・
-
内山さんが説明を始めたのは3枚の画の写真の前。この後に本物を撮影するのだが、いずれも礼拝堂の高い位置に掲げられているので画像が斜めになってしまい、あえてこちらの写真を載せてみた。
-
カラヴァッジオ「聖マタイの殉教」
コンタレッリ礼拝堂聖にあるマタイ連作画のひとつで、背景はブラックアウトされ、人物の配置のみで空間構成をおこなっているカラヴァッジオならではの作品。 -
カラヴァッジオ「聖マタイと天使」
聖マタイが出現した天使にスコラ哲学を教授される場面を描いたもので、突然、出現した天使を目撃し驚愕する聖マタイが、写実的に描かれている。 -
カラヴァッジオ「聖マタイの召命」
徴税人であったマタイが収税所で机に向かっているところに、キリストが自分に付き添うよう呼びかける場面がドラマチックに描かれている名作。画の中に登場する人物で聖マタイと解釈できる者は、指を指す髭を生やした初老の男、うなだれて金貨を見つめる男など複数人存在しているが、現在では画面左端のうなだれる男が聖マタイであると位置付けられている。
次ぎ、パンテオン行って見よ~。 -
最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの盟友アグリッパによって建造された。しかし、このパンテオンは、火事で焼失、2代目のパンテオンは118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建された。
-
正面にはアグリッパに敬意を表し M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)と記されている。
-
建物は、深さ4.5mのローマン・コンクリート基礎の上部に直径43.2m の円堂と半球形のドームが載った構造で、壁面の厚さは6mに達するが、高さによって材質を使い分けており、ドーム上部は凝灰岩と軽石を素材として用い、その厚さは1.5mに減じる。
-
床からドーム頂部までの高さは直径と同じ43.2mで、頂上部分にはオクルス(ラテン語で「目」の意)と呼ばれる採光のための直径9メートルの開口部があり、ドームの質量を感じさせない。
-
また、オクルスは、もともとネロが建築した黄金宮殿ドムス・アウレアの影響を受けて建築されている。そもそもドムスの天窓を、円形で建築することは非常に困難であった。しかし無数のアーチをつなぎ合わせるように建築することで、この円形のオクルスを完成することができたのである。
-
パンテオンは608年頃にはキリスト教の聖堂となり、破壊を免れた。建物自体が非常に改築されにくいものだったので、この荘厳な空間は、今日でも当時のまま見ることが出来る。(以上Wikipedia参照)
-
ラファエロの墓もここにある。
-
これはウンベルト1世の墓、向かい側にヴィットリオ・エマニュエル2世の墓もあるそうだが、撮り損ねた。
-
パンテオンを出て左側にある REPLAY という店は映画「ローマの休日」でアン王女とジョー、並びにカメラマンのアービングがお茶を飲んだカフェ。ちなみにこの店でアン王女はシャンペンをリクエストして懐の厳しいジョーを焦らせる。
-
続いてやってきたのはナヴォーナ広場。1世紀にドミティアヌス帝が造らせた競技場が元になっているが、車が入らない広場なので、安心して見学できる。なお、後ろに見える教会はサンタ・ンイェーゼ・アゴーネ教会。キリスト教を信じた聖アグネスが殉教した場所に建てられた教会。
-
広場中央には、4つの大河(ナイル川、ガンジス川、ドナウ川、ラプラタ川)を擬人化した彫像の噴水型のオベリスクがある。これらの彫像は、皆、ベルニーニによって造られたもの。
-
ナイル川の擬人像は、当時水源が解っていなかったので、顔を隠している。
-
ガンジス川の擬人像は、鎌首をもたげる蛇を櫂で従えている。
-
ドナウ川の擬人像。
-
ラプラタ川の擬人像だが、「教会が崩れてくる!」と慌ててのけぞるハゲ親父、という小話がある。これは、噴水の作者ベルニーニと教会の設計者ボッロミーニの不仲を揶揄したローマ人の作り話だとされている。
-
ムーア人の噴水は、ベルニーニのデザインにより、アントニオ・マーリが彫ったもの。なお、ムーア人とは、北アフリカのベルベル人のことをさす。
-
大きな通りを横断してやってきたのはカンポ・デ・フィオーリオ広場。フィオーリとは花のことで、昔この辺に花畑があったので、そういう名前がついた模様。1456年、教皇カリストゥス3世がパリオーネ地区の整備のため、石畳を敷いてこの広場は誕生。広場の周りにはオルシーニ家のパレスなど重要な建造物もでき栄えた。
-
現在、広場では毎週月曜日から土曜日の早朝から午後2時頃まで朝市が開かれ。花、野菜、果物、チーズ、香辛料、お土産にもなる小物や洋服、日用雑貨まで、ありとあらゆる商品が並んでいる。
-
また、広場の周りはぐるりとレストラン・バーが囲んでいて、ランチなどには最適な広場となっている。
-
今日の昼食はフィオーリオ広場近くの PANCRAZIO 。有名店のようで”歩き方”にも載っている。
-
カエサル、クラッススと共に後期共和制ローマで三頭政治を行ったポンペイウスが建てた当時世界最大の劇場がかつて、ここにあった。ローマ帝国滅亡後、劇場は解体され建築資材となってしまったが、地下構造は少し残っており、このレストランの地下も、その一部だそうだ。
-
ポンペイウス劇場は神殿や集会場などを併設した複合施設であり、劇場本体からは遠い部分に元老院の議事堂としても使われた集会所があった。BC44年3月15日、カエサルはそこで共和制擁護派の一味に暗殺されたが、レストランの階段にこんなカエサル頭像も置いてあった。なお、メインの料理はリガトーニのカルボナーラだったが、何故か料理の写真が見当たらない、さてはカエサルの呪いか? それともボーっと生きていたのか?
-
昼食後、市バスに揺られてやってきたのはサンタンジェロ城。まずはサンタンジェロ橋を渡る。”天使の橋”には、ベルニーニなどが制作した天使のレプリカが立ち並んでいる。
-
橋のたもとに映画「ローマの休日」に登場した船上ダンスパーティ会場があったね。
-
サンタンジェロ城に入城する。ここで、サンタンジェロ城の歴史についてスタディ。
135年、ローマ帝国五賢帝のひとりハドリアヌスが自らの霊廟として建設を開始し、アントニヌス・ピウス治世の139年に完成した。霊廟はきれいな円形平面をなし、太陽を象徴したハドリアヌスが戦車を引く像が頂上に設置されたが、しばらくすると軍事施設として使用されはじめ、403年にはアウレリアヌスの城壁の一部に組み入れられた。 14世紀以降は歴代のローマ教皇によって要塞として強化され、また、同時に牢獄や避難所としても使用された。
16世紀前半の教皇クレメンス7世は、ローマが神聖ローマ皇帝軍により”ローマ略奪”を受けている間、皇帝カール5世の包囲に抵抗するため、避難所として使用した。17世紀前半には教皇ウルバヌス8世がサンタンジェロ城の強化に努め、1667年に教皇となったクレメンス9世は、バロック芸術の大家ベルニーニにサンタンジェロ橋の装飾を依頼しており、橋はベルニーニ自作の2体ふくむ10体の天使像の彫刻で飾られている。
サンタンジェロ城の名称は、590年にローマでペストが大流行した際、時の教皇グレゴリウス1世が城の頂上で剣を鞘に収める大天使ミカエルを見て、ペスト流行の終焉を意味するとしたことに由来する。その故事を記念して、16世紀にラファエッロ・ダ・モンテルーポによる大理石製の天使の像を城の頂上に設置した。1753年からは青銅製の像が設置してある。 なお、サンタンジェロ城は、1933年以降は博物館として利用されている。(Wikipedia参照) -
かつて霊廟だった頃の上部の想像模型があった。
-
橋を城側から振り返るとこんな感じ。今日も賑やかだ。
-
まずは階段で外壁に昇る。これは外壁上にあった投石機のレプリカ。ベンハーの時代からあったね。
-
かつて霊廟の上には沢山の神様の像(3つ前の写真にあり)が並んでいたが、下から登ってくる敵に目がけて全部投げ落としてしまったらしい。蛮族侵入の時か”ローマ略奪”の時かは忘れてしまった。
-
外壁を少し歩いてから前方に見える橋を渡って本丸?へ。
-
橋から見た眺め。これでは、外壁に登っても本丸?にはとりつけないね。
-
城の中心部には、城が霊廟として使われていた時代に代々の皇帝達の骨壺を納めていた場所が残っている。
-
城の回廊の一部にはこんなカフェのような店もあった。
-
内山さん曰く、カリフラワーのよう。
-
息を切らしながら登った最上階では大天使ミカエルの像がお出迎え。
-
サンタンジェロ城からの眺め、その1。手前の三角形の建物は傷痍軍人会館。後ろの大きい建物は最高裁判所。
-
サンタンジェロ城からの眺め、その2。テヴェレ川の向こう側右手に見える丘はジャニコロの丘。
-
サンタンジェロ城からの眺め、その3。サン・ピエトロ寺院が目の前に。明日、伺います。
-
サンタンジェロ城からの眺め、その4。遠くに見える山の上にバチカン放送局のアンテナがあるそうだ。
-
サンタンジェロ城は教皇の避難場所になったこともあり、こんな豪華な部屋も残されていた。中央の壁画に描かれているのはハドリアヌス帝か。
-
サンタンジェロ橋を横に見て3日間のツアーはこれで終了。内山さん3日間ありがとうございました。
-
バチカン入り口近くのバス停から市バスとメトロを乗り継いでホテルまで戻る。まだ外は充分明るかったので、ホテルから10分ほど歩いてサンタ・マリア・マッジョーレ教会にやってきた。なお、写真の教会は裏側。2003年にもここまで来ているのだが閉まっていると勘違いして引き返した思い出がある。
-
表側に回るとスンナリ入れた。教会の内部はこんな感じで広大。
-
祭壇の右手にベルニーニの墓を発見。とても質素なので見つけるのに苦労した。
-
こちらが表側の広場。中央に記念柱あり。
-
虹が出ているのがわかりますか?
-
この後、カブール駅からメトロでピラミド駅まで移動。長~い地下道を歩いてやってきたのはイータリー・ローマ店。2012年にオープンしたイタリア食材店で、扱っている商品はすべてメイド・イン・イタリーで、パッケージの可愛い商品が多く、お土産にも最適。ここで、ワイン、パスタなどをたっぷり買い込み、ついでに0階(1階)にあった軽食コーナーで軽く夕食。オーダーしたのはプロセッコ(スパークリングワイン)、アクア(水)、生チーズ&トマトと軽くすませ、2人併せて25.6Eだった。(食べかけ失礼)
これで「2018年 ローマ旅行記5:スペイン広場、パンテオン、サンタンジェロ城&教会巡り」は終了です。本日も最後まで、ご覧頂きありがとうございます。
2024/03/09 一部修正
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (2)
-
- tadさん 2018/11/21 22:55:59
- 情報の濃いローマ旅行記ですね!
- 勿論一番嬉しかったのはローマの休日の言及です。ヘプバーンの登場場所の検証、やりたくてもやったことがありません。ローマの実際の場所なのがすごいですよね。
仕事の関係でロンドンは繰り返し行っていましたので、コヴェントガーデンを歩くと、いつもヘプバーンが花売り娘で登場するシーンを思い出します。もっとも、あの映画はセットでの撮影でしたので、ローマの休日のような迫真性はありませんが。。。それに合唱がロンドン訛りではなく、アメリカ訛りが混じるのは苦笑ものでしたが。。
- chiaki-kさん からの返信 2018/11/22 16:18:31
- オードリー!!
- ・
tadさん、こんにちは。私の旅行記に、たくさんの”いいね”を
いただき、ありがとうございます。
> 勿論一番嬉しかったのはローマの休日の言及です。
tadさんもオ−ドリー・ファンと見ましたが、私の場合、私より
カミさんの方が大ファンで、このまま行くと、オードリーのお墓の
あるスイスのトロシュナ村まで行きそうです。
「ローマの休日」スペイン階段のシーンは、ビデオを何度も見て
行きましたので、ほぼ間違いない場所だと思っています。
映画との違いは、後ろに建っているトリニタ・デイ・モンティ教会
が修復で綺麗になったことと、階段に設置された街灯の灯火の形が
変わっていた位です。
>コヴェントガーデンを歩くと、いつもヘプバーンが花売り娘で
登場するシーンを思い出します
私も2004年にコヴェントガーデンを訪れていますが、暗かったこと
もあり、場所がよくわかりませんでした。
>合唱がロンドン訛りではなく、アメリカ訛りが混じるのは苦笑もの
でしたが。
余談ですが、オードリーは「マイフェアレディ」で主演のイライザ
を見事に演じましたが、歌の部分が吹き替えだったせいか、
アカデミー賞は逃しています。
ちなみに1964年(第37回)のアカデミー賞最優秀作品賞、監督賞、
編曲賞、録音賞、撮影賞、美術賞、衣装デザイン賞、男優賞はすべて
「マイフェアレディ」が取りましたが、主演女優賞は「メリー・
ポピンズ」に主演したジュリー・アンドリュースが取ってしまった
のは有名な話です。
う〜ん、私も結構なオードリー・ファンですね(^^;;
では、また。
chiaki-k
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ローマ(イタリア) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
2
94