2016/05/10 - 2016/05/10
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junemayさん
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2016年5月8日から6月10日までの1か月ちょっと、スペインとポルトガルを一人旅しました。もう2年以上経ってしまったけれど、思い出しながら綴っていこうと思います。
スペインは言わずもがなカトリックの国です。イタリアで教会の素晴らしさを知ってしまった私にとって、今回の旅の目的は、1.教会を訪れること、2.美術館で絵を眺めること そして最終目的地をサンチャゴ・デ・コンポステーラにすること でした。特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、神を畏れ、神を敬うことによって、人間達が生み出した様々な創作物・文化を心より愛してやみません。
古来より何百万もの人々が時に命さえかけて目指したコンポステーラの町、そしてその道中(El Camino)は宗教観が異なる者にとっても大変魅力的でした。可能であれば長い巡礼の道を歩いて行きたかったのですが、体力的にバックパッカーは難しい。でも、徐々にコンポステーラに近づくことによって、巡礼者の気分を少しだけでも味わいたいという、無理難題、大変我儘な希望を叶えるために、作成したのが、な~んちゃって、コンポステーラ! 巡礼者の方には合わせる顔がないのですが、以下のようなプランが出来上がりました。
今回の旅はスペインの後、ポルトガルへと続いたのですが、私の頭の中では旅は一旦サンチャゴ・デ・コンポステーラでお終い。そこからまた新たな旅が始まったと思っています。こじつけ、そして自己満足の塊のような旅となりましたが、よろしければお付き合いください。
日程表 スペインの部
5月8日(日) 東京→マドリッド
5月9日(月) マドリッド
5月10日(火)★ マドリッド(セゴビア)
5月11日(水) マドリッド(アヴィラ)
5月12日(木) マドリッド(エル・エスコリアル)
5月13日(金) マドリッド(アルカラ・デ・エナーレス)
5月14日(土) マドリッド→ブルゴス→ビルバオ
5月15日(日) ビルバオ
5月16日(月) ビルバオ(サン・セバスチャン)
5月17日(火) ビルバオ(ヴィトリア)
5月18日(水) ビルバオ→オヴィエド
5月19日(木) オヴィエド
5月20日(金) オヴィエド→レオン
5月21日(土) レオン
5月22日(日) レオン→アストルガ→レオン→サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月23日(月) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月24日(火) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月25日(水) サンチャゴ・デ・コンポステーラ(→ポルトガル ポルト)
セゴヴィアの大聖堂を出たら。午後1時を回っていました。どこかでお昼を食べてからハイキングに参りましょう。でも相変わらずのこの寒さ、ハイキング日和にはなりそうもありません・・・ううう寒~!
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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大聖堂のあるマヨール広場の南には、旧ユダヤ人地区があります。12世紀から1492年に公布された「グラナダ勅令」(この年カトリック両王がレコンキスタ(国土回復活動)の完了を告げた)による追放まで、 ユダヤ人達が住んでいた地区です。
1492年の勅令は、正確にはユダヤ教徒の追放で、キリスト教徒に改宗したものは含まれず、国外退去者の数はスペイン全土で10万人を越えなかったとされています。 -
まずは大聖堂の壁に沿って歩きます。
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プラテレスコ様式の装飾発見! 馬に乗っていてマントを分け与えているように見えるからサン・マルティンかしら? っていつもの通り思い付きで判断。
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真昼間だというのに、人通りが少ないユダヤ人地区(juderia vieja)。かつてここにスペインでも最も豊かで最も人口の多かったコミュニティが存在していたというのがにわかには信じられない・・・
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路地から大聖堂を見上げます。こういう構図大好き! 俗の世界から聖の世界を仰ぎ見るって構図かしら?
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手作りらしい、人型ボトルを並べたお店です。よく見ると、ユーモアあふれた表情の面々。聖歌隊もいましたよ!
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ユダヤ人街通りにセゴヴィア市役所の出先機関 ユダヤ文化教育センターがあったので覗いてみました。センターでは、情報パネル、展示物、最先端のメディアを通して、セゴビアにおけるユダヤ人の歴史を伝え、教え、見せることを目指しています。
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地味~な入口です。このプレートがなかったら、通り過ぎるところでした。
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中に入ると、とっても古そうな石の柱がお出迎え。明るい中庭へと誘ってくれました。
建物の中にはユダヤ文化に関する情報、セゴビアのユダヤ人地区(スペイン語、英語、ヘブライ語)に関するパネルの展示、映像・写真等が閲覧できる有料の施設がありましたが、ユダヤ博物館は一昨年ジローナで入場したので、今日はパス。 -
出て来たのはこちらの中庭です。展示の説明によると、ここは「グラナダ勅令」による追放前にはセゴビアで最も有名人だったユダヤ人市民アブラハム・セネオールの家でした。アブラハムはユダヤ教のカステーリャ地区上級ラビで、ユダヤ地区の重鎮でした。
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敷地の関係で微妙にカーブした2階部分を支える石柱が続きます。壁は中世の物ではありませんが、ここにもスグラッフィート。
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アブラハム・セネオール以後、16世紀には国王カルロス1世と教皇ユリウス3世お抱えの医者アンドレス・ラグーナ一家、そして17世紀にはメシア・デ・トヴァール一家がここを住居としていますので、ユダヤ人住居の頃の佇まいはもう残っていないのかもしれませんね。
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イチオシ
床にキラッと光る金のプレート発見! なんでしょう?
と思い、調べたらとても興味深いことが分かりましたよ。これはセファルディ(イベリア半島出身或いはそこをルーツとするユダヤ人)のシンボルで、プレートそのものがイベリア半島の形をしています。彼らは、パレスチナというよりも、バビロニア(現代のイラク南部、ティグリス川とユーフラテス川下流の平野一帯)系ユダヤ人の伝統を重んじていて、独自の習慣や儀式を行っているのだそうです。バビロンと言えばバビロン捕囚。まさに旧約聖書の世界ですよ。その頃バビロンに囚われていた人々の子孫がイベリア半島までやってきたのかしら???
言われてみれば、確かにこの形イベリア半島だわ! -
そんな旧アブラハム・セネオール邸からほんの数十歩のところにあったカトリック教会 聖体拝領教会を訪れました。
ここは旧シナゴーグ。セゴビアに残る唯一のユダヤ文化の遺跡です。と言っても今は教会ですが・・・ -
壁は白一色でシンプルで、シナゴーグ時代の面影を残していましたが、祭壇はやはりスペイン風装飾過多。珍しく昼間の時間なのに3人の信者がいました。とても静かで穏やかな空気が流れていました。
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散々迷ったけれど、ランチはこちらのお店に決定。レストラン「フォゴン・セファルディ」。今さっき知ったばかりのセファルディが名前の一部でした。「セファルディの霧」・・・ユダヤ料理かしら??? 何が出て来てもわからない!?
入っちゃいましょう。 -
2階に案内されて上がると、そこは気楽な雰囲気の居心地の良いスペースでした。普段はあまりレストランで食べたメニューを紹介しないけれど、ここは別格。スペインで食べた中で一番おいしかったように思いました。この後延々と旅を続けたけれど、ここ以上の味にはついぞ出会いませんでした。
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イチオシ
一皿目。写真だと串に刺したピンチョスのような風合いですがもっとヴォリュームがあります。ナス、パプリカ等の野菜のグラタンにヤギのチーズとマスタードソースがかかっていました。
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イチオシ
メインディッシュ。これが絶品でした。これも串にさしてあり、ブロシェットのような感じでしたが、かかっているソースが今まで食べたことのない味で、とても美味でした。ソースはsalsa perigoxと書いてありました。
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デザートは森のフルーツ入りチーズケーキ。これもとても美味でした。
セゴヴィア名物の子豚の丸焼き(コチニーリョ・アサード)を一人で食べる気にはなれなかったので、このメニューを選んで大満足でした。 -
お値段もとても良心的でしたよ。ユダヤ料理なのかスペイン(セゴヴィア)料理なのかよくわかりませんでしたが、名前に惹かれて入って、忘れられない味に出会う結果となりました。
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レストラン近くの歩道で、またまたセファルディのシンボル発見!
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レストラン ファゴン・セファルディからまっすぐ歩いてくるとこの門に突き当たります。奥にレストランが見えていますよ!
この小さな門が、セゴヴィアのプエルタ・デル・ソル 太陽門です。
門を出たところの城壁沿いの道は「イサベル2世のサロンの散歩道」ですって。夢がありますねえ。 -
プエルタ・デル・ソルから城壁を出た町の外に立っています。ローマ時代からあるこの城壁は11世紀 アルフォンソ6世の時代に再建されていますが、それ以降は形状そのものはあまり変わっていないようです。
興味深いのは、かつての城壁と住居が一体化していること。 -
レコンキスタが完了して、「防御」と言う目的を失った16世紀頃から城壁と合体した住居が建て始められたようです。19世紀には城壁は都市計画にとって邪魔者だという扱いをされ、公共事業の一環として壁の取り壊しが進んだ時期もありました。
城壁が見直されたのは20世紀に入ってから。継続的な修復作業と保全作業が始まったのも前世紀になってからのこと。城壁と家との見事なコラボレーションはこうして完了しました。 -
壁伝いに移動します。数十年前に観光名所アルカサルには入場しているので、今日はセゴヴィアを外側から見てやろうとハイキングを思いついたのです。
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といっても、もう食事を取ってしまったので、お弁当はなしです。セゴヴィアの城壁は全長3km。その中に、今見えているような塔が86個あります。主として石灰岩で作られていて、ローマ人達がネクロポリスから運んできて使った石も残されているそうですよ。
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左側の建物は、窓の配置がユニークですね。地面すれすれに窓があるということは、半地下になっているのかな? 城塔にはかつて窓があった部分が塗り込められていました。
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古代の城壁には5つのゲートがありました。サンチャゴ、サン・セブリアン、サン・ファン、サン・マルティン、そしてサン・アンドレス。このうち3つは現存していて、町の北側にあるのがサンチャゴとサン・セブリアン。そして町の南側に残されているのはこちらのサン・アンドレス門です。
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先ほどのプエルタ・デル・ソルは、主にユダヤ人の移動用に中世の時代に作られ、つぶされ、後に再建されたものですが、こちらは1120年当初から存在しました。もっとも現在の城門は15世紀末或いは16世紀初頭に改修されています。
関所の機能もあったので、門全体が監視塔となっていることが分かりますね。現在この中は中世城壁情報センターになっています。
私は城門を潜らず、ここからクラモレス渓谷沿いを周遊するパセオを辿ります。 -
ここから谷へと下りていきますよ。
前方に見える旗が揚がっている場所は、昔屠殺場があったところ。1986年~2006年まで時間をかけてセゴヴィア市の博物館に生まれ変わりました。今回行く余裕がありませんでしたが、とても地味だけれど行き甲斐がある博物館と言う口コミです。 -
こんな風に階段を下りていきます。町を一歩出ると、あっという間に荒涼たる原野が広がるスペイン。ここには川があるので、緑豊かな森林地帯になっています。
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aqua vitae Ille est
「それは 命の水、 」
ラテン語だ! 飲めるという意味ですよね。でも心配だからやめておこう。 -
だいぶ下ってきましたよ!
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イチオシ
振り返ればこの風景! ブラボー!!!
Mirador Puerta de San Andrés と呼ばれている展望台です。ひときわ高くそびえる塔は、勿論、大聖堂です。 -
足元にはデイジーのような花が一面に咲いていました。
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アルカサールが姿を現しましたよ。そうそう、これが見たかったのですが、修復用のシートを見てがっくり。
数十年ぶりに白雪姫のお城と御対面 と勝手に想像していたのだけれど、その気分は味わえませんでした。仕方ないね、大きな建物だからいつもどこか修復中。 -
今私がどこを歩いているのかと言うと、標高1000mの石灰岩の上にあるセゴヴィアを囲んでいる二つの渓谷 エレスマ 渓谷とクラモレス 渓谷を繋ぐ遊歩道です。所々にこのような道標が立っているので安心して歩けますよ。
聖霊(とダビデの★)橋方面と書いてありました。なんだろう?ダビデの★橋って? -
崩れかけたこの建造物には「ピオボ橋」と書いてありました。それ以上の説明なし。かなり古い橋と言うことしかわかりませんね。
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見上げるとアルカサール。こりゃ攻撃するの大変だ!
クラモレス川は20世紀に暗渠になっていて、地上部分には谷だけが残された状態でした。 -
ややも歩くと、かつて2つの川が合流していた地点に橋が架けられていました。これが聖霊橋。ダビデの★はどこ~?
流れているのはエレスマ川。清らかな自然の流れです。 -
橋から眺めた景色。白雪姫の物語の中に入り込んで、ようやくお城を見つけた王子様の気分になりました。
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橋からはセゴビアの町の北側に回り込みます。残念ながら木々が生い茂っていて、アルカサルはここからは良く見えません。
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見えた!
大分と脆くなった石灰岩の上ですが、非常に堅い守りの要塞(アルカサル)であることが分かります。見えている印象的な塔は町の一番北側に位置していて「アルフォンソ10世の塔」と呼ばれています。 -
スペインの要塞の殆どはローマ人が築いたものですが、セゴヴィアでは基礎を除き、元の構造は殆ど残っていません。
アルカサルを建てたのはベルベル人のアルモラヴィド王朝。それが何世紀頃の事なのかどの資料を見ても書かれていなかったのが不思議と言えば不思議。
セゴヴィアがキリスト教徒の手に戻った12世紀初頭以来、このアルカサルは歴代のカステーリャの王たちを魅了し、彼らが王国を護る重要な要塞として整備したのです。現在の建物の大半はトラスタマラ朝(1369年~1516年)時代に建設されました。 -
よく観察すると川沿いにかつての要塞のような建物の一部が残っていました。ここから脆い崖を上る輩を防ぐ? ためのフェンスもありましたよ。ボルダリングの練習に使われたらたまらない?!
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石灰岩の河岸段丘の上に家並みが見え始めました。ほんの数十分のことだったのに、町並みに懐かしさを感じます。旧市街とはやはり趣が異なりますね。
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全景に近いのですが、木々がやはり邪魔。
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この遊歩道は町を半周してAlameda del Parralという美しい公園まで続いているのですが、私はもう少し高い所からアルカサルを見たかったので、この先でリタイアするつもりです。全長8kmの内、1/3位歩いたかなあ・・・
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橋を越した辺りで遊歩道を離れます。アルカサルのもっと素敵な景色を期待して来たのですが、やはり修復現場の覆いが気になりますね。
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イチオシ
少しアップでもう1枚。
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セゴヴィアの北側の丘陵地帯に上っていく道沿いに、20世紀のスペインの画家ロペ・タブラダ・デ・ディエゴのアトリエがありました。フランス南部で見たような、木組みと煉瓦を組み合わせた家です。
1階より2階、2階より3階と、少しずつ出っ張って面積が増えていくところも似ています。 -
旧市街とは全く違う田舎の雰囲気が漂っていて、これはまたこれで好ましいですね。
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先ほどまでとは異なるアングルで、セゴヴィアの旧市街を眺めます。
手前に見える灰色の屋根は後刻訪れる王立造幣局です。 -
丘の中腹辺りに城壁が見え隠れしていますね。大聖堂の塔が意外と近くに見えるということは、アルカサールを頂点とする旧市街の南北の幅が狭いことを表わしています。平らな部分はせいぜい直線にして400m位ではないかしら。
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北側からのセゴヴィア旧市街のアップです。
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こんな道を上ったり下りたりしながら、目指したのは中腹にある修道院です。
ほーら、修道院の塔が見えてきましたよ。1447年に国王エンリケ4世の命により建てられたサンタ・マリア・デル・パラル修道院です。16世紀にアヴィラの彫刻家によって作られた修道院の主祭壇が素晴らしいと聞き、やってきたのですが・・・ -
辺りはシーンとして誰もいません。いやな予感。ここから見える全ての扉は閉ざされているように見えます。後でわかったのですが、見学は水曜日から日曜日で、月曜、火曜はお休みなのだそう。まことに残念。
それにしてもゴシックあり、ムデハルあり、塔の先にはセゴヴィアに着いてからお馴染みとなったプラテレスコありの賑やかな複合体の建物ですねえ。 -
注目したのは、ファサード上方に浮き彫りになっている紋章付きの盾。
調べてみたら、この盾は1467年から 74年にかけて、修道院が帰属していたサンチャゴ騎士団の団長となったファン・デ・パチェコのものだそうです。
ファン・デ・パチェコはエンリケ4世の側近でしたが、王の政治を顧みない、優柔不断、物事を決められない性格に反旗を翻し、彼の異母妹であるイサベルを擁立する反乱軍の首領となりました。
自らが建てた修道院の教会に、自分に歯向かった部下の紋章が掲げられるとは、エンリケ4世も想像だにしなかったでしょうね。 -
蛇足ですが、ファン・デ・パチェコが擁立したイサベルは強い信念の持ち主で頭脳明晰、エンリケ4世亡き後、彼の娘ファナと王位を争って勝利。イサベル1世となった女性です。夫のアラゴン王子フェルナンドと共にレコンキスタを強力に推進、完了させたことは前述しました。
修道院が開いていないので、最後に中央扉の周りの装飾をじっくりと観察して、帰路につきました。途中でちょん切れたような連続する柱に施された装飾! 変わっていますねえ!! -
旧市街に戻る古い石橋を渡ります。下を流れるのは、先ほど川辺を歩いたエレスマ川です。
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水音が聞こえたので欄干から下を覗いてみると、堰が設けられていました。
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この豊かな水流を利用していたのは・・・
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橋を渡り終えたところにある建物。王立造幣局 レアル・カサ・デ・モネダです。1580年にフェリペ2世がローラータイプでコインを鋳造する新しい造幣所の建設を命じたのが起源とされていて、ヨーロッパでも最も古い工場施設の一つとなっています。
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早速中へと思ったのですが、どうも今日はついていない。ここも水曜日から日曜日までは10:00~18:00まで営業しているのですが、月曜日はお休み、火曜日は14:30まで…と言うことでもう閉まっていました。ガクッ!!
やれやれ、振られてばかりですねえ・・・ -
営業日であれば、1550年にドイツのアウグスブルグで発明された油圧式ホイールを導入した造幣技術がガイドツアーで見学可能です。オーストリアの工場で製造された油圧式ホイールは長い時間をかけてスペインまで運ばれ、1771年まで活躍。その後新しい弾み車方式の機械に取って代わりました。そして三番目で最後となる自動コイン製造機が導入されたのが1866年のこと。この機械は3年しか稼働しませんでした。何故って、スペインはたったの6年間しか続きませんでしたが、1869年に一時共和国になったからです。最後のコインは共和国の記念硬貨だったという話ですよ。
セゴヴィアに行くのであれば、月曜日、火曜日は避けた方が良いかもしれませんね。 -
仕方がないので、建物の間をうろつきます。屋根も壁もとても新しそうに見えますが、2007年2月から2011年5月まで4年の歳月をかけ、修復されたとのこと。
16世紀にフェリペ2世の命を受け、建築家フアン・デ・エレラが建造した当時と全体の構造は変わっていないそうです。 -
エレスマ川に堰を築き、多量の水力を使って操業していたようです。
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建物の裏側には二つの水路が設けられていて、水車を使った装置が並んでいました。
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上の写真の右側にあるフェンス越しに撮った1枚。
建物からシャフトが伸びていますが、下方に見える三つの水車は1771年に導入された弾み車方式の機械のために使用していたようです。 -
こちらのどでかい筒状の機械については説明板がありませんでした。比較的新しいものに見えますが、なんでしょうね?
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水を巧みに使った装置と、伝統的な煉瓦製のアーチの組み合わせ。ここのアーチは薄い煉瓦を貼り合わせて作られていました。
アーチ大好き。いつ、どこで見ても良いねえ。 -
シーンと静まり返った旧王立造幣局。鉄格子がはまっていなければ、もっと明るいイメージになるんですけれどね。
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壁越しにアルカサルを見上げることが出来ます。正にお城のお膝元と言ったロケーション。
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最後にネオクラシカル様式で建てられた王立造幣局の正門とその続きの建物です。屋根に乗っかっている煙突がとてもユニークですね。この煙突から煙が出ている光景を見たかったなあ・・・
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さあ、城壁沿いの坂道を上って、壁の中に旧市街に戻りましょう。
右側に見える階段を上っていくと・・・ -
この塔に上ることが出来そうなのですが、工事中の印である赤と白のテープがはためいていました。見上げると城壁の色が随分違いますよ。新しく修復された箇所が一目瞭然。
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見えてきたのはサンチャゴ門。町の北側に現存している2つの門のうちの1つです。車止めがあるので、こちらは歩行者専用。
1122年にはこの城門があったことが古文書に残っています。門の近くに1836年まで存在した教会の名前をとって、サンチャゴ門と呼ばれてきました。
門の上部は見張り塔になっています。 -
門をくぐるときには常にハイテンション。知らない世界の入口に立っているんだと思うと、高揚感が高まっていきます。先ほどまで居たところなんですけれどね。
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城壁内からみたサンチャゴ門です。門は16世紀末に著名な建築家フランシスコ・デ・モラによって修復され、それまで持っていた中世の防御性を失いました。
半ば壊れた漆喰製の紋章と、何か絵が描かれていたみたいですが、はっきりしませんね。
1820年頃、城門は荒れ果て、市当局は解体を決定。今残っているのはたまたま解体の予算がつかなかったからというだけの理由だそうですよ。20世紀になると、2階部分がホームレスや旅行者の避難所として使われたそうです。2階部分には窓がありませんから、快適性とは縁遠い存在だったはずです。そりゃそうですよね。元は防御のための見張り塔なのですから。 -
セゴヴィア旧市街の方向表示板にはスペイン語、英語と並んで日本語が採用されていましたよ。一寸嬉しい!
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九十九折の道はさらに上へ上へと誘います。向かいの丘に先ほど訪ねたサンタ・マリア・デル・パラル修道院の特徴的な塔が見えてきました。
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だらだらの上り坂を避けてショートカットの階段を迷わず選択。
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行く手には、古めかしい碑文が描かれた鉄の十字架が待ち構えていました。何が書いてあるのか分かりませんが、1748年と言う文字だけ判別できました。
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この十字架のある場所から見た実に印象的な風景がこちら。一つ谷を越えた丘の上に建つロマネスクの古い教会はヴェラクルス教会。ここからだとよく確認できませんが、十二角形のドームに3つの後陣、そして聖具室と塔がそれにくっついたような独特な形をしています。
この教会を建てたのは中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会であるテンプル騎士団。彼らはエルサレムにある「岩のドーム」と「聖墳墓協会」をモデルとして、この建物と同様の十二角形の教会をフランスのパリとポルトガルのトマールに建てています。トマールにある彼らの美しい教会には後日お邪魔しますよ! -
イチオシ
もっと近くで拝みたかった美しい教会なのですが、時すでに遅し。これからまた城門をくぐって下りて、あそこまで上っていくのは至難の業なので、ここからの眺めで我慢。いつもの事ですが、事前チェックが不完全ですなあ・・・
日本では見ることのない、森林地帯の先から広がっていく荒涼たる大地の様が興味深く、寒さを忘れて見入ってしまいました。 -
ふと、眼下に恐ろしく細い枝の木の姿が!
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これはどう見ても八重桜ではありませんか?
以前2月にアンダルシアを訪れた際には桜とよく似たアーモンドが花盛りだったのですが、今は5月ですからね。
とは思ったものの、八重桜の枝ってこんなに細かったかしら? アーモンドの木の幹は細いことで有名…ってことはこれはアーモンド? -
で、崖の縁を彩るのはこちらの黄色い花。これも3月頃満開になるところが多いのですが、セゴヴィアは春の訪れが遅いのでしょう。
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これは間違いなく菜の花ですね。
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そうこうしているうちに、やって参りましたよ。アルカサル。
こちらのトレードマークである「フアン2世の塔」がご覧の通りの有様です。かつては見張り塔、現在は通常であれば展望台として開放されている塔ですが、この状態では展望は望めそうもありません。
「ファン2世の塔」は15世紀に追加された部分。ないとそれはそれで寂しいけれど、他の尖がり屋根群とイマイチ合っていないように思うのは私だけでしょうか?
城の壁一面にスグラッフィートが施されているのはここまで来ないと分からなかったので、来た甲斐はありましたね。でも写真1枚だけ?・・・ -
順番が逆になりました。この門を通ってセゴヴィアの一番端っこにあるアルカサルをちらっと見に来たんですよ。
門には「フェルナンド7世治世下の1817年」建造と書いてありました。このフェルナンド7世というのがとても情けない王様で、ナポレオンに国を取られて、その時代は幽閉の身、解放されてからも判断力の欠如甚だしく、無為無策が続いたと聞いています。
後ろ姿ですが、門番の兵隊さんがその役になりきっていますね。門の先に見える緑豊かな広場が、かつて大聖堂が建っていた場所です。 -
緑の広場に続く帰り道は、まだ通っていない道を慎重に選びました。左側のベラルデ通り。
向かって左側の建物は傷みが激しいようです。流石に人は住んでいない様子。 -
道は再び上り坂。観光客の集まるアルカサルからそう離れていないのに、人っ子一人歩いていません。ちと寂しい。
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脆い石灰岩に彫られた紋章を掲げた家。古びた格子窓ですが、趣がありますね。
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イチオシ
ベラルデ通りを歩いて行くと、こんなアーチを潜ります。見上げるとあらあら、屋根付き祠がありますよ。
クラウストラのアーチ(Arco de La Claustra)と呼ばれているもので、かつて3つあった旧大聖堂に通じる道の小城門の一つ。現在はこれしか残っていません。
アーチのお隣にある扉がとても良い味を出していますよ。扉のアーチを支える柱の柱頭、そしてエンタープラジャーのデザインに注目! -
祠の中には、ピエタ像。大聖堂に保管されている像のコピーだそうですよ。小さな屋根には人々の優しい心遣いが感じられますねえ。
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アーチから少し行ったところにある新しい家の壁には、自ら創作した風の「クラウストラのアーチ」を象ったレリーフ?が埋め込まれていました。凄いね、ここまでやる!
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ヘラルデ通りの古い町並みが途切れたところから見えた公園。芽吹いたばかりのポプラの若葉が冷たい風に震えていました
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セゴヴィアの守護聖人「フエンシスラの聖母」とその縁起が掲げられた家です。スペイン語が読めたらどんな楽しいかなと想像してしまいました。
私に分かったのは、このモニュメントは家の修復工事が終わった2012年に作られたということだけ。 -
右側に延々と続く壁は1574年創建、跣足カルメル会サン・ホセ修道院の塀です。500年以上経っていそうな、年代物の壁が塀沿いにあり、少々興味をそそられましたが、入口がこちらの通りになかったので素通りしてしまいました。
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こちらは打って変わってモダンなスグラッフィート。
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これも新しそうな家だけれど、重厚感ある木製扉を見てため息。こういう扉の家に住みたいな。
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壁の一部にスグラッフィート、そして葉っぱのフレスコ画がかすかに残っていました。
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道の名前がヘラルデ通りからサン・フアン・デ・ラ・クルス遊歩道に変わった途端にこの方にお会いしましたよ。サン・ファン・デ・ラ・クルスはアヴィラ出身の16世紀のカルメル会の聖人で、教会博士、詩人でもあった人。
アヴィラと言えばサンタ・テレサが有名ですが、彼はテレサと共にカルメル会の改革を推進した人として知られています。彼は晩年セゴヴィアからウベダの修道院に送られ、そこで亡くなったため、彼の遺体を巡ってセゴヴィアとウベダが激しく争ったという話が伝わっています。彼の墓はこの近くにあるのかしら? -
そして次なる目的地のサン・エステバン教会が視野に入ってきました。今まで見た教会同様、ここにもポルティコがありました。
独特の形をしているけれど、これもロマネスク様式。12世紀の建造で、ロマネスクの教会の塔としてはイベリア半島で最も高い56mの高さを誇っています。 -
教会は苦難の歴史を歩んできました。火事、土砂崩れ、落雷、そして身ぐるみはがされ、オリジナリティを全て消し去られた、火事の後のひどい修復作業。それでも今なお残るこの半端ない存在感はどこから来るのでしょう? ユーロが導入される前のスペインの通貨ペセタには、この教会がモデルのコインがあったそうですよ。
しかしこの教会、どちらが正面なのか見当がつきません。鐘楼のある側は南側ですので、通常は教会の正面としては使われません。と言うわけで、ぐるっと一周してみることにしました。 -
ポルティコの柱は2本ずつ並ぶタイプ。
見て見て。私の大好物の柱頭のデザインは一つずつ異なっていますよ! 残念ながら風化が激しく、状態はあまり良くありません。 -
一周しましたが、結局入口らしきものは、南側以外には西側に一か所あったのみだったので、南側の広場に戻ってまいりました。この広場、なんと三角形をしていました。
ふと広場の先に目をやると、なんと大聖堂が目と鼻の先でした。大聖堂のドームの高さが33m。鐘楼は高さ90mなので、やはり大聖堂にはかないません。 -
改めて、サン・エステバン教会です。ファサードらしきものが見当たらないけれど、こちらが正面で良いのかな?
でもがっかりですよ。どこもかしこも施錠されていて、この教会もまた入ることを許されませんでした。クスン。 -
仕方がないので、鐘楼を見上げます。各階のアーチが皆異なる形状なのがまことに興味深いですねえ。この鐘楼には17世紀にバロック風の尖塔が付きましたが、1886年の落雷で崩壊。改修には25年の年月を費やしたそうです。そして1907年のサイクロンによる修復工事の際に、現在見られる大きな球体に乗る雄鶏とスレート屋根が設置されたとのことですよ。
雄鶏と言ったらフランスのイメージでしたが、そう言えばセゴヴィアでは朝から風見鶏を沢山見ましたね。 -
運に見放された旅人は、サン・エステバン教会前の広場から、今度はバルデラグイラ通りを行きます。これまたご覧のように狭くて暗くて、圧迫感のある建物に挟まれた通りでした。
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突如として出くわしたのは古い塔のある建物。何の説明もないけれど、一体なんでしょう?
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手掛かりは壁にあるプレートに書かれた Monjas Dominicas のみ…と言うわけで、調べてみたら、ドメニコ会系の修道院でした。今にも崩れそうな佇まいですが、中庭から写した写真はなかなか素敵。修道女さん達が手作りした工芸品を売っているサイトも見つかりましたよ。それで、プレートに手工芸品(artesania) とも書かれていたのね。
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続いての目的地は、サンティシマ・トリニダ教会。日本語で言うなら三位一体教会です。最初は驚いたけれどもう見慣れてきましたね。この町ではポルティコ(アトリウム)がある教会が常識です。サン・エステバン教会と同様、ポルティコは南側にありました。
教会は11世紀に建てられた古い教会の跡に12世紀に建造されました。後陣そばにオリジナルの教会の土台を見ることが出来るそうです。
クロッシングと呼ばれる、身廊と翼廊が交差する場所にある鐘楼が変わった形をしていますね。塔の四隅に置かれている円盤状のものは何でしょうか? -
ポルティコ(アトリウム)の中に入ってみました。意外と広いのでビックリ!
ここでもやはり、美しい柱頭のついた2本ずつの柱がアーチを支えていました。 -
大変シンプルな西側のファサードです。少し傾いたように見える階段が均衡を崩しています。
でも私はこのシンプルなたたずまいの中に宝物を見つけましたよ! -
イチオシ
ご覧ください。中央扉を支えるアーチの4本の柱にはこれまでに見たことがない、美しい柱頭が! 空想上の動物と植物らしいですが、向かって左から2番目が特にお気に入り。鳥の番が何かをくわえているようなデザインの素晴らしい事!
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この教会もぐるっと一周しようとしましたが、側廊部分で行き止まり。
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後陣の3つ並んだ円筒形部分にも近づくことが出来ませんでした。ここから見る限りは、キレイに修復されているみたいです。
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さて、三位一体教会ファサードの前にあったのがこちらの王立サント・ドミンゴ修道院。先ほど見た塔のある建物Monjas Dominicasの正面玄関はこちらだったんですね。
サント・ドミンゴ修道院は、13世紀の後半に当初城壁の外側に設立されました。1513年に現在の場所に移りましたが、前の旅行記でちらっと触れた「コムネロスの反乱」が1519年に起きる等、当時のセゴヴィアは不安定な政治情勢にあったため、この建物は要塞のような窓の少ない造りになっています。上部が少しだけ見えている塔は「ヘラクレスの塔」と言い、見張り塔を兼ねていました。 -
ドメニコ会(イタリア式発音です)の創設者聖ドメニコの像のみがファサードを飾ります。
聖ドメニコはスペイン人。彼の本名はドミンゴ・デ・グスマン・ガルセス。スペイン語では聖ドミニコだそうです。国によって名前が変わるのは本当に煩わしいですね。。 -
再び町歩きに戻ります。もうすっかり、スグラッフィートの虜になっています。特に古そうなのがお気に入り。
これは三位一体教会の向かいにあった建物ですが、あまりに古すぎるかしら? -
三位一体教会のお隣は、旧マンシーリャ伯爵邸。12世紀から17世紀にかけてのロマネスクとゴシックの遺跡を見ることが出来ます。現在、バリャドリード大学のセゴヴィアキャンパスとして使用されているんですって。でもやっぱり開いていない・・・
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この通り、素敵な家が多くて目移りしちゃいます。トリニダ広場に続くゲバラ広場に面したこちらの邸宅には、うっすらと描かれたフレスコ画が2階部分に残っています。2階部分の窓と窓の間、祭壇のように見える部分には何が描かれていたのかしら?
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お隣の広場には、子羊を抱えた少年のブロンズ像があって、Toribio Carcia 1901年と書かれていました。この蜂蜜色の家、像の背景として抜群だと思うんですが・・・
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噴水は、イタリアとは少々雰囲気が異なりますねえ。少々固さがあるかなあ・・・重厚感半端ない。
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今日見た彫像の中で極めつけはこちらの像でした。
サン・アグスティン通りとサン・ニコラス通りが合流する地点にある小さな広場に立っていたのは、覆面姿の大きな十字架を持つ男性。 -
イチオシ
ブロンズ像はセゴヴィアのアーティスト グレゴリオ・ヘレロの作品で、十字架を背負っている悔恨的なナザレ人(=キリスト教徒)を表しているそうです。
この像はイースター(セマナ・サンタ=聖週間)の際に行われるパレード100周年を祝って作られたものだそうですが、私はKKKクー・クラックス・クランを連想してしまい、落ち着かない気分になりました。お祭りのときに、町中でこの姿を見たくないなあ・・・ -
今日の午後は外れまくり。最後に行った郷士の家( ロデラーロブレス博物館 )まで閉館中。シエスタの時間のあるセゴヴィアでは、営業時間が10:30-14:00、 17:00-19:00なんですって!
15~16世紀にかけて建造された貴族の家で、ルネサンス様式の都市民間建築の手本となったとガイドブックに書いてありました。この家も窓や装飾が少なくて、要塞のようなたたずまいです。
15世紀のセゴヴィアは印刷産業が盛んで、この屋敷の持ち主も印刷業を営み、スペインで一番早く凸版の印刷物を出したことで名を馳せたそうです。 -
所々、ぽっかりと空いた場所は公園になっていました。ここからも見晴らしが良さそう。
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旧チェステ伯爵邸 Palacio del Conde de Chesteは15世紀の建物で、市議会議員だったファン・デ・コントレラスにより建造されました。ファサードの17世紀に置かれたというコントレラス家の紋章がひときわ目立っています。19世紀にチェステ伯爵がこの家を購入したので、今でもその名前で呼ばれています。
現在は大学の施設の一部となっていますが、許可を得れば内部の見学もできそうでした。
右側に見えるのは旧ロソヤ侯爵邸。こちらの方が古くて13~5世紀の建造。ちょうど見えているロマネスクの中央扉とその上のバルコニーがとても良い雰囲気です。 -
旧チェステ伯爵邸のお向かいには、いくつかの建物が複雑に合わさった寄せ集め建築?があって目を惹きます。
カデナスの家Casa de Las Cadenas と呼ばれ、かつては城壁にくっついた要塞を兼ねた建物でした。ここにあったサン・ファン門は町の東側の入口でしたが、1888年に取り壊されています。歴史を紐解いてから建物を再度見ると、実に興味深い構造体だなと思います。 -
カデナスの家の西隣は、15世紀建造のキンタナル邸。ファサードと最上階に残された装飾はセゴヴィアでは異色の雰囲気でした。
ご覧のように、セゴヴィアの貴族の館は15世紀から16世紀、セゴヴィアが最も栄えた時代に建造が集中しています。カトリック女王イザベル一世の戴冠の地として、カスティーリャ王国の中心地となったのが1474年12月。前述した印刷、金貨の鋳造の他、羊毛や毛織物の取引地としても大いに発展していたんですね。 -
この辺りは、旧市街の東のはずれ。今は何もありませんが、この先にかつて城壁がそそり立っていました。
この先の道を下りたくないので、そろそろ散策の出発点アソグエホ広場に戻ることにしましょう。 -
道路を横切って、カデナスの家から横丁に入ると、見えてきたのはサン・セバスチャン教会の鐘楼。セゴヴィアでは3つある後陣の円筒形の中央が鐘楼になっているのは珍しくないそうですが、ここが正にその形でした。19世紀になって崩れ、塔の高さはオリジナルよりかなり低くなっています。
ロマネスク・ビザンティン様式。扉や窓の一部には、13世紀以前のセゴヴィアの建築にしか見られない特徴が見受けられるので、建造は12~13世紀にかけてと推測されています。 -
円筒形の後陣の一つと鐘楼です。ここでも、朽ちかけた柱頭のデザインに見入ってしまいます。
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サン・セバスチャン広場です。
何故ファサードから写さなかったの? と言われそうですが、この壁のスグラッフィートがあまりにも美しかったので、それがメインのご馳走だったというのが言い訳。ファサードも写しておくべきでしたね。 -
この広場では、もっととびっきりのご馳走が待ち構えていたんです。そう、ローマの水道橋の終点アヴェンダーニョ広場。
水はここから向きを変え、地下を通ってアルカサルまで運ばれました。 -
この突き当りが、城壁と一体化した水道の終点。最近になってセゴヴィア市は、スペイン文化省からの資金援助を受け、この広場を美しく整備しました。
右側に見えるアーチのある壁は上に水道が通っています。終点から壁に沿って歩き始めました。このまま進めば必ずアソグエホ広場、通りますよね! -
左右に壁が続いていますが、左側が高架部分に水道の通る花崗岩でできた壁。高い壁に囲まれているので、やや圧迫感があります。
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やがて見えてきたのは、幼子を抱く聖母像のある祠がある門ポスティゴ・デル・コンスエロです。数メートル離れたところにあった聖人の庵からその名がつけられました。
ここにはかつて、人々が通行するために壁に開けた穴があっただけだったのですが、1947年に門が作られたとのこと。 -
そのポスティゴ・デル・コンスエロ門をくぐると・・・目の前に水道橋が現れるという仕掛け!
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イチオシ
わお~!
感動の一瞬です。誰もがここに来れば歓声をあげたくなります。
アソグエホ広場からここに通じる階段は、建築家オドリオソーラにより、19世紀末にはサン・セバスチャン教会への道として整備されていたそうです。 -
水道橋の東側アルティジェリア広場を見下ろします。セゴヴィアが起伏に富んだ地形をしていることが分かりますね。
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ここでは水道橋のアーチ部分を間近に見ることが出来ます。何の漆喰も使わず、石だけを積み上げていった工程が良く分かります。
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よく見ると、水道橋の最上部は、先ほど見た城壁と同じ花崗岩の切石積みで出来ていたんですねえ。
今頃気づくなんて、観察力の欠如が露呈されました! -
水道橋が壁と一体化する地点 なんちゃって!
階段を下りるともうそこはアソグエホ広場でした。 -
午前中は幌を被っていたカルーセルも営業準備OKのようです。チェロを抱えた恐竜には恐れ入りました。
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もう一度フエンシスラの聖母にご挨拶して、セゴヴィアからお暇することにしましょう。水道橋の先を追って歩くつもりだったけれど、ぽつぽつ雨が降り出してきたし、たまらないわ、この寒さ!
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バス・ターミナルへの道沿いにあったサン・クレメンテ教会。バスを1本早いのに変えたため、時間がなく、1枚しか撮れませんでした。
12から3世紀に建てられたロマネスク様式で、ファサードの南側にポルティコ(アトリウム)が見えています。中央扉が完全にふさがれているので、中に入ることはできない様子。外観からもかなり風化が進んで傷んでいるのが見て取れました。 -
バスの中でうたた寝し、ふと目を覚ますと・・・ほらっ やっぱり 降ってきたよ!
凱旋門が見えてきたので、モンクロアに無事帰ってこれましたね。お疲れ様です。唐突に終わってしまったセゴヴィアですが堪忍、堪忍。何もかも、季節外れの寒さのせいですよ。この続きは、な~んちゃって、コンポステーラへの道 その5アヴィラ(1)でね。
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この旅行記へのコメント (4)
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- こあひるさん 2018/11/15 11:14:49
- 見直しました
- junemayさん、こんにちは。
セゴヴィアといったら、水道橋の印象くらいしかない街でしたが、なかなかステキな町なんだな~と改めて知りました。
地味目の渋い色合いの家並みも、なんだか好ましく感じました。
見どころが多く、でも点在していそうなので、1泊してゆっくり味わってみたい街ですね~。
こあひる
- junemayさん からの返信 2018/11/15 14:51:54
- RE: 見直しました
- こあひるさん こんにちは
ご訪問ありがとうございます。
貴方のような私の旅の師匠からメールをいただいて、とても感激しております。いつも参考にさせていただいておりますよ。
セゴヴィアはガイドブックには記載のない、現地で発見する見どころが多い町だと思います。トレドに過去に2度行き、観光客のいない裏町の路地に、本当の町の良さが隠れていると感じましたが、セゴヴィアも同じで、歴史がいまだにあちこちに見え隠れしている古都でした。掘り起こすのにそう手間はかからないので、町歩きにはもってこいだと思います。
こんな調子であっちへふらふら、こっちへふらふら、いつもの彷徨をしてまいりました。またのご訪問お待ちしております。コメントも大歓迎です。ありがとうございました。
junemay
> junemayさん、こんにちは。
>
> セゴヴィアといったら、水道橋の印象くらいしかない街でしたが、なかなかステキな町なんだな?と改めて知りました。
>
> 地味目の渋い色合いの家並みも、なんだか好ましく感じました。
>
> 見どころが多く、でも点在していそうなので、1泊してゆっくり味わってみたい街ですね?。
>
> こあひる
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- senda3さん 2018/11/13 14:44:19
- 奥が深いですねえ
- セコビア、単なる水道橋遺跡の街と思っていましたが、奥が深いですねえ。
トレドよりはるかに。
サンチャゴ巡礼800キロを歩き、その後スペイン国内を30日ほど。
が、セコビアには足を入れていません。
またの機会にと思っていますが、これはなかなか単に水道橋だけではなく、1泊して歩き回る価値がありそうです。
いい勉強になりました。(*.*)
ありがとうございまいました。
- junemayさん からの返信 2018/11/13 17:29:17
- RE: 奥が深いですねえ
- senda3さん 初めまして
ご訪問頂き、まことにありがとうございます。
800kmをお歩きになったんですね。素晴らしい。私は最後の5kmだけです。東洋系の巡礼者はそのほとんどが韓国の方で、そのうちの一人にポルトガルへと向かうバスの中で、スタンプ帳?を見せていただき、話を伺いました。
最後の5kmは、車いすの青年とともに歩き、その後のボタフメイロは、大感激でした。
何度も反芻しながらの旅日記なので、いつになったらサンティアゴにたどり着くのかわかりませんが、時々また見ていただけましたら嬉しいです。
ありがとうございました。
junemay
> セコビア、単なる水道橋遺跡の街と思っていましたが、奥が深いですねえ。
> トレドよりはるかに。
>
> サンチャゴ巡礼800キロを歩き、その後スペイン国内を30日ほど。
> が、セコビアには足を入れていません。
>
> またの機会にと思っていますが、これはなかなか単に水道橋だけではなく、1泊して歩き回る価値がありそうです。
>
> いい勉強になりました。(*.*)
> ありがとうございまいました。
>
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