2016/05/11 - 2016/05/11
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junemayさん
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2016年5月8日から6月10日までの1か月ちょっと、スペインとポルトガルを一人旅しました。もう2年以上経ってしまったけれど、思い出しながら綴っていこうと思います。
スペインは言わずもがなカトリックの国です。イタリアで教会の素晴らしさを知ってしまった私にとって、今回の旅の目的は、1.教会を訪れること、2.美術館で絵を眺めること そして最終目的地をサンチャゴ・デ・コンポステーラにすること でした。特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、神を畏れ、神を敬うことによって、人間達が生み出した様々な創作物・文化を心より愛してやみません。
古来より何百万もの人々が時に命さえかけて目指したコンポステーラの町、そしてその道中(El Camino)は宗教観が異なる者にとっても大変魅力的でした。可能であれば長い巡礼の道を歩いて行きたかったのですが、体力的にバックパッカーは難しい。でも、徐々にコンポステーラに近づくことによって、巡礼者の気分を少しだけでも味わいたいという、無理難題、大変我儘な希望を叶えるために、作成したのが、な~んちゃって、コンポステーラ! 巡礼者の方には合わせる顔がないのですが、以下のようなプランが出来上がりました。
今回の旅はスペインの後、ポルトガルへと続いたのですが、私の頭の中では旅は一旦サンチャゴ・デ・コンポステーラでお終い。そこからまた新たな旅が始まったと思っています。こじつけ、そして自己満足の塊のような旅となりましたが、よろしければお付き合いください。
日程表 スペインの部
5月8日(日) 東京→マドリッド
5月9日(月) マドリッド
5月10日(火) マドリッド(セゴビア)
5月11日(水)★ マドリッド(アヴィラ)
5月12日(木) マドリッド(エル・エスコリアル)
5月13日(金) マドリッド(アルカラ・デ・エナーレス)
5月14日(土) マドリッド→ブルゴス→ビルバオ
5月15日(日) ビルバオ
5月16日(月) ビルバオ(サン・セバスチャン)
5月17日(火) ビルバオ(ヴィトリア)
5月18日(水) ビルバオ→オヴィエド
5月19日(木) オヴィエド
5月20日(金) オヴィエド→レオン
5月21日(土) レオン
5月22日(日) レオン→アストルガ→レオン→サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月23日(月) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月24日(火) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月25日(水) サンチャゴ・デ・コンポステーラ(→ポルトガル ポルト)
当初の計画ではこの日、アヴィラとエル・エスコリアルに行くつもりでしたが、当日その計画を断念しました。「欲張ってもあんたには無理。1日1か所が良いとこだよ!」 ともう一人の私が囁いたのです。おっしゃる通りです。逆らいませんよ と私は結構素直にその忠告を聞き入れ、少し遅い朝の列車に乗るため、チャマルティン駅に向かいました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
チャマルティン駅には30分近く前について、ずっと列車発着時刻表を眺めていたのですが、これが結構ストレスでした。何故って、アヴィラ行きの列車は確かにその時刻表にあるのですが、出発するプラットホームがいつまでたっても表示されないんです。
時刻と行き先は書いてあるのに、何番線に行ったらよいか分からないじゃない。これじゃあフランスのSNCFとどっこいどっこいです。2010年のこと、SNCFは名物のストライキ中でした。ストライキ中は間引きされるけれど、列車が全く動かないことはないんです。モンサンミッシェルに行くために、パリからレンヌに向かうTGVの出発駅モンパルナス駅は黒山の人だかり。プラットホームの表示が出発3分前に出て、一斉にホームに向かった群衆の中で、私はもみくちゃにされて亭主とはぐれ、果たしてその列車に乗って良いものか散々悩んだことを思い出しました。ストライキ中でなくとも、乗車直前までホームが分からない場合が多く、スーツケースを持って車両に飛び乗った後、列車の中を延々と移動したこともありました。
本日 プラットホームの表示が出たのはなんと1分前ですよ! 荷物がないから良かったけれど、なんとかしろよ!Renfe! -
チャマルティン駅そばに立つ4本の高層ビルと別れを告げます。その名もずばりトーレ・クワトロ(4つの塔)ビジネス・エリアに建つ、左からトーレ・カハ・マドリード(スペインで最も高いビル)、トーレ・サシール・バジェエルモーソ、トーレ・デ・クリスタル(スペインで2番目に高いビル)、トーレ・エスパシオの面々です。
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列車はエル・エスコリアルを通っていきます。世界遺産の修道院をカメラに収めようとしましたが、相変わらずど下手で、なんとか修道院を捉えた写真はこれだけ。全景が分かる程度には写っていますが、わかるかな?
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道中のお天気は今日もイマイチ。マドリッドは朝の気温が16℃だったけれど、アヴィラはマドリッドより冷えると聞きました。でも昨日の失敗を繰り返しませんよ。防寒対策バッチリです。
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昨日のセゴヴィアと比べると、幾分なだらかな丘と岩場と緑が交差する風景を味わいながらおよそ2時間弱の列車旅。正午ごろアヴィラに到着です。出だしが遅すぎるので、この時間から2か所を巡るのは無理と言うものですよね。チャマルティンまで約1時間かかるバラハスからなので、仕方ないと諦めモード。
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案の定、アヴィラは真昼間にもかかわらず寒かった。海抜1000m以上の高地にあるアヴィラは正午で10℃ですよ! この年は異常気象だったのかなあ・・・
駅からは展望台のあるクワトロ・ポステスへのバスを待ちます。このバス停を見つけるのに苦労しました。土地の人に聞いても、自分の乗らないバスの事は誰も知らないんですよね。結局、他のバス停に行って、そこに止まったバスの運転手さんに尋ねて、確認しました。 -
7番のバス クアトロ・ポステス行きは12時34分にやって来るはず。
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座るところもないので、バス停まえにあったインテリアショップのウインドウをずっと眺めていました。
7番バス 来たぁ!!! ちっちゃなミニバスでした。 -
バスを下りるのは終点なので、安心して窓の外の景色を楽しみます。錬鉄製の窓枠とその装飾がとてもスペインらしい建物発見!
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途中からメイン通りを離れて石畳のウミジャデロ通りに入り、サン・ヴィセンテ聖堂の前に差し掛かります。ここは城門の少し手前、4世紀に皇帝ディオクレティアヌスが行ったキリスト教徒への迫害により、サン・ヴィセンテと彼の二人の妹サビーナとクリステータが殉教した地なのです。
今まで見たことのない、特異な建築に目を見張ります。 -
最初の礼拝堂は3人の墓の上に建てられましたが、本格的なバシリカは1175年になってから建築を開始します。工事は途中で何度も中断しましたが、アルフォンソ10世やサンチョ4世の資金援助のおかげで14世紀に完成を見ることが出来ました。
奥の蜂蜜色の砂岩で作られた部分と南側の花崗岩のポルティコ部分とは明らかに建築時期が異なっているように思えます。左端の三角形の破風がとても目を惹きます。面白いなあ。帰りに寄れるかしら? -
バスはここから丸みを帯びた城門サン・ヴィセンテ門をくぐると思ったのですが・・・
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入らずにそのまま城壁沿いの道を進みます。初めて見るアヴィラの城壁は、色とりどりの石が大きめのモザイクのように散りばめられていて、半円形の塔が近距離で一列に並んでいる、城壁を描けと言われたら皆が描きそうな、らしい形状をしていました。
一番前の座席に陣取って、高みの見物です。 -
バスはそのまま城壁伝いに疾走し、サン・ヴィセンテ門とは反対側に近いカルメン門から旧市街に入りました。
反射してよく写っていませんが、右の方に見えるレンガ造りのファサードのようなある所がカルメン門です。 -
旧市街の一方通行の狭い通りを上ったり下りたりしながら、尚もバスは進みます。
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サン・エステバン教会。12世紀の建造で、現在城壁内にある唯一のロマネスクの教会だそうです。カレーニャと呼ばれる石を使っていて、16世紀に一部再建された時にもこの石が再利用されたそうです。
鐘楼の部分は建物の他の部分もマッチしていませんね。中央扉上部アーチのロマネスクっぽい装飾をじっくり見たかった・・・ -
バスはあっという間に今度は、西側にあるアダハ門から城外へ。どこも狭くて高さもないので、ミニバス以外は通行できません。車両は重さ3.5t、高さ2.4m以下に制限されています。
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終点クワトロ・ポステスに到着。駅から15分程の「初めてのアヴィラ バスの旅」でした。
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わお~ ここがクワトロポステス! アヴィラの町の北西にある、ちょっと小高いかな? という程度の丘にある展望台です。アヴィラを歩く前に、まずは町の全体像をつかみたいなと思ってやってきたのです。
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ここには詳細な町の写真入り説明板がありました。但しスペイン語オンリー。スペインはスペイン語の説明しか書いていないことがしばしば。ガイドツアーもスペイン語のみと言うのが多くて、ちんぷんかんぷん。まっ 英語ツアーでもあまり理解は変わらないんじゃないと言われればその通りなんですけれどね。
世界で2番目に多く話されている言語と言うこともあるのでしょうが、英語を併記してもらいたかったなあ。 -
イチオシ
完璧な城壁じゃあございませんか!
城壁は、イスラム教徒から町を奪還したカスティーリャ&レオン王アルフォンソの命により1090年から作られ始めましたが、その殆どは12世紀に再建されています。周囲2.5km、88の半円形の塔があり、高さは平均12m。城壁のおよそ半分については散策が可能な通路が備わっています。 -
少しズームしてみました。
前述のカルメン門傍にあった旧カルメル会修道院教会のファサードが良く見えています。その隣に見える二段になった鐘楼がCapilla de Mosén Rubí。そしてひときわ高く、要塞のように堅牢な建物がアヴィラの大聖堂です。 -
先ほど城壁内から出て来たアダハ門が中央左寄りに見えています。そしてそれに続く壁が南側に折れると、壁が徐々に高度を上げていくのがわかりますね。
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クワトロ・ポステス 名前の由来の「四本柱」はこちら。あの上に上りたいのですが、お隣の大国の方々がただ今占領中なので、少し時間待ち。
急ぐたびではないし、バスはもう行っちゃったので、帰りは歩くしかないので、団体さんが行ってしまうのを待ちましょう。 -
5分もしないうちに、ほらっ! 人っ子一人いなくなりましたよ。
と言うわけで、クワトロ・ポステス独占です。高さ5mのドリス式柱が支える四角体の中に、十字架が立っています。エンタブラチュアの真ん中には、アヴィラの町の紋章がついていました。何ならいわくありげですねえ。 -
元はローマ時代の遺跡だそうですが、今見えているのは1566年に建てられたサン・セバスチャンの像が祀られた屋根付き祠の跡で、すっかり傷んだ像を撤去した代わりに1995年に花崗岩の十字架が置かれたのだそうです。
長いので省略しますが、この場所にまつわる中世の伝説が2つ残っていました。なるほど、伝説の舞台としてはうってつけ! -
改めて、クワトロ・ポステスからの眺めです。ほんの少し高くなっただけで、景色は先ほどの1枚と変わりませんねえ。
今日も寒いけれど、良いお天気です。乾燥したからっ風が吹いていて、関東地方の冬のような感じ。 -
同じような写真が続きますが、これが最後。ヨーロッパ一と言われるだけあって、塔と壁の連続が絵になる、本当に美しい城壁でした。
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町に戻る途中にあった印刷屋さん。レンガと切石の組み合わせによる建物はスペインのどこでも見ることが出来ました。
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町へのゲートの手前で、アダハ川にかかるローマ時代の橋を渡ります。1世紀の建造だというのにいまだ現役。ご覧の通り、車両も走ります。
前方の立ち並ぶ壁と塔がシュールな景色を生み出していますね。 -
石橋の写真を撮りたかったのだけれど、この時は方法を思いつかず通り過ぎただけ。今見たらあるじゃないですか、対岸に遊歩道が!
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アダハ川。結構な水量でした。
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こうして、城壁の外から写真を撮るのも至福の時です。
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振り返るとこの看板。アダハ川はドゥエロ川(ポルトガル語はドウロ川)の支流の1つで、ポルトガルのポルトで大西洋に注ぎます。トレドを流れるタホ川がポルトガルのもう一つの大河テージョ川となって、リスボンで海に注ぐんでしたね。
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ちょっとわかりづらいかなあ?
中央付近に、巡礼の杖を持った聖ヤコブ(サンチャゴ)さんみっけ!! -
どんどん壁が迫って来る!
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凄い圧迫感です。傍で見ると花崗岩の切り口の美しさが良く分かりますね。ヨーロッパで一番保存状態の良い中世の城壁と呼ばれるのもうなづけます。
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振り返って、クアトロ・ポステスを望遠で捉えました。新しい観光客によってまた占領されていました。
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それでは、アダハ門を潜りますよ。
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こちらは門を内側から撮った1枚です。フェンスがあるので、この門の上には上れそうですね。
塔は外側から見ると円塔に、内側からだと四角い塔に見えることに気が付きました。正しくは、楕円形の一方を3/4位のところでスパッと切ったような形をしています。門の外と内で随分イメージ違いますね。 -
アダハ門を入ると、道はなだらかな上り坂。さて、どちらの道を参りましょうか?
知らない町に一歩足を踏み入れただけで、胸はときめき、未知への期待が高まります。アヴィラでこの辺りに住んでいたのは主に農夫や牧夫だったそうで、町外れの雰囲気が今もうかがえます。 -
程なく、行きのバスで見つけたサン・エステバン教会の前に差し掛かりました。
Ermita de san esteban エルミータと言うのは聖人や聖母に捧げられた小さな礼拝堂や教会を表わす言葉だそうです。 -
建物の南側から見ると独立した建物に見えますが、北側は別の建物と壁が繋がっていました。前にも書きましたが、こちらの壁面にはオリジナルの12世紀の石が16世紀の再建時に再利用されています。中央扉の周りの石は装飾を含め、全て古いもののように見えました。不自然に大きくて不格好な後陣部分とは、石の色が違っていますね。
教会は普段は公開しておらず、日曜日や祝日のミサの時にのみ入場可能なようでした。 -
小さな窓が一つ。そして柱頭がついた細い2本の半柱のある後陣の膨らみ部分です。窓より下の部分には、角が丸みを帯びた古い石と、長い間の修復で置き換えられた鋭角の石とが混在しているのを飽くことなく眺めました。なんて味わい深い石たちなんでしょう・・・
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行きのバスで見た場所を更に辿ります。確かこれは、カルメン門の隣にあったアヴィラの州立歴史資料館だったような記憶。
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そう、こちらが資料館の入口でした。観光客用の施設ではなく、市民のためのアーカイブスであるようです。そしてその隣に・・・
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クアトロポステスから見えた、ファサードの壁だけが青空にすっくと建っていました。
カルメン門とはかつて城壁に接して建てられていたカルメル会の修道院から名づけられたのだそうです。修道院はその後州立刑務所として使われ、現在は今通ってきたばかりの歴史資料館となっています。刑務所の華麗なる変身ですねえ。 -
こちらがカルメン門。外から入ってくるときには、かなりの急カーブを曲がらないと進入できません。敵の正面攻撃を阻む防御の工夫が施されていました。
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イチオシ
見上げるとファサードの壁だけが残っていて、妙に物悲しい情景でした。実はこのファサードにはコウノトリの巣があって、有名な撮影スポットだったと書かれていましたが、私の見たところでは、巣は見当たりませんでした。
この上にもフェンスが見えるので、城壁の上を歩く際にはファサードまで行けるようでした。でもどこが入口なのかわからずじまい。 -
地図を見ると、このカルメン門を挟んだ両側には、アヴィラの城壁でここだけにしか見られない四角い塔が作られていて、このエリアだけ城壁がイレギュラーなカーブを描いているのが分かりました。どうやら、中世の城壁の前にあったローマ時代の城壁の時代からここは最重要防御地点だったようです。
門を一旦出て、写真を撮っておくんだったと今更ながらの後悔。 -
次に向かったのは、サン・ファン・バウティスタ教会。日本風に呼べば洗礼者聖ヨハネ教会です。
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当初は12世紀にロマネスク様式で建てられましたが、ルネサンスの影響を受け、16世紀初期にゴシック様式で再建されました。
おお、やっと開いている教会発見! ファサードは凹凸のないシンプルな造り。あるのはバラ窓と中央扉だけという、全面石造りの建物です。 -
教会の中はとても穏やかな時間が流れていました。内部もファサードと同じ灰色っぽい石で作られていて、華美な装飾がなく清楚な雰囲気です。
アヴィラで一番の有名人と言えば、16世紀の修道女・思想家である「アビラのサンタ・テレサ」。思えば彼女を知ったのは、2015年ローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会で見た天才彫刻家ベルニーニ作の「聖テレサの法悦」という彫像でした。
https://4travel.jp/travelogue/11044288
彼女については、上記の旅行記で詳しく書いているので興味のある方はご覧くださいね。今訪れているこの洗礼者聖ヨハネの教会の碑文によれば、テレサは1515年にここで洗礼を受けているのです。 -
少々ボケてしまいましたが、身廊中央のヴォールトは、星型のリブがくっきりと浮かび上がっていて美しかったです。
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祭壇に向かって左側に、サンタ・テレサが洗礼に使用した洗礼盤があると聞いていたのですが、それらしきものは見当たりませんでしたね。
右側に洗礼盤があるけれど、それではなさそう・・・ -
結局みつかったのは、建物の外側にあったこちらのプレートだけ。
「サンタ・テレサはここで洗礼を受けました 1515年4月」とだけ書かれていました。正確には4月4日だそうです。彼女は1515年3月28日なので、生後1週間ですね。 -
これはサンタ・テレサ修道院に向かう途中のコラル・デ・ラス・カンパナス広場にあった、十字架のヨハネ(サン・ファン・デ・ラ・クルス)の像です。
サン・ファン・デ・ラ・クルスはサンタ・テレサと共にカルメル会の改革に取り組んだ、スペインの司祭・思想家で、昨日のセゴヴィアでも彼(の像)に出会いましたね。
別々の日に異なる乗り物で来たため、実感がわきませんが、セゴヴィアとアヴィラは直線で65kmしか離れておらず、高速を使えば1時間かからない距離にあるのです。
十字架のヨハネは1542年生まれ と言うことは、サンタ・テレサより27歳も年下です。25歳の時にテレサと出会い意気投合、男子修道院の改革に打ち込み、跣足カルメル会の基盤を作りました。「跣足」とは裸足、靴を履かない と言う意味だけでなく、改革と言う意味も込められていると聞きました。 -
イチオシ
路地から路地へ、かなり迷いながら、ようやくサンタ・テレサ修道院に到着です。昨年のローマのサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア以来、イタリア各地でもサンタ・テレサへの信仰が根強いことを実感してきたので、アヴィラに行くのであれば是非とも訪れたいと思っていた場所なのです。
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今見えているのは、サンタ・テレサが生まれた実家のあるところに、1629年から36年にかけて建てられた教会です。設計したのはカルメル会の建築家Fray Alonso de San Joséで、純粋なカルメル会風バロック様式が取り入れられています。煌びやかな所は少しもなく、控えめな装飾がこの修道会の性格を物語っていました。
ファサードの中央に純白の大理石のテレサ像があり、それを囲むように5つの紋章が並んでいました。テレサの父方と母方の家族、跣足カルメル会、オリバーレス公伯爵、知事、そして教会博士の紋章だそうです。 -
内部もとてもシンプル。身廊は一廊式で、左右に4つの礼拝堂がありました。ドームとヴォールトには〇と歪んだ□で構成された特徴的なラインが随所に見られ、全体的に幾何学模様で統一されています。
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17世紀のバリャドリードを中心に活躍した彫刻家グレゴリオ・フェルナンデス(
1576年~1636年)の傑作と言われる彫像が礼拝堂を飾っていました。
こちらは痛々しくて正視できない「杭に繋がれたキリスト」。
フェルナンデスが制作した有名な聖テレサの像はバリャドリード国立彫刻美術館にあるそうです。 -
そしてバロックの主祭壇がこちら。こちらもフェルナンデスの作品で、多色塗の木像です。右に聖母、左にサン・ホセ(聖ヨセフ)を伴ったサンタ・テレサの姿があります。聖母と聖ヨセフが共に携えているのは、慈悲の首飾りと呼ばれています。
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どうもカメラの調子がいまいち、おまけに腕も悪い(前々から!)という二重苦に苛まれています。
続いてやってきたのは、この教会にやってきた誰しもが訪れる、カルメンの聖母、そしてサンタ・テレサの2つの礼拝堂です。内陣の傍にあります。 -
こちらが光が当たり過ぎて、白焼けしてしまった聖母子像がある「カルメル山の聖母」の礼拝堂。元々は、現イスラエルにあるカルメル山が名前の由来。古代から宗教的な献身の場所で、カルメル会ではおなじみの聖母です。グレゴリオ・フェルナンデスの作品。
スペインではカルメルの聖母への信仰が深く、特に漁師や海軍など、海の関係者がこのカルメルの聖母を崇拝し、守護聖人としてきたので、「海の星」とも呼ばれているんですって。
カルメル会は、サンタ・テレサと十字架のヨハネが行った改革により、元の修道会とは異なる秩序の跣足カルメル会を生み出してしまいましたが、この分裂にもかかわらず、カルメルの聖母への信仰は何世紀にもわたり、衰えることを知りません。
スペインの海岸沿いの町ではほぼ例外なくカルメルの聖母を町の守護聖人としているので、毎年7月16日は盛大な催しや海上パレードが行われて賑やかなのだそうですよ。
聖母はハッとするほど美人でした。 -
そして、こちらがサンタ・テレサ礼拝堂です。この教会の心臓部分。同じグレゴリオ・フェルナンデス作のテレサ像が祭壇中央にありました。高い位置にサン・ホセ(聖ヨセフ)の姿もあります。
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天井はとても豪華です。このシンプルな教会で一番ゴージャスかもしれません。
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左右の壁にはサンタ・テレサの生涯に纏わる場面の絵が、上下に分かれて5枚ずつ描かれていました。こちらは右側。
上段手前から「キリストとテレサとの霊的結婚」、「三位一体の出現」、「聖母と聖ヨセフからのヴィジョン」
そして下段の半円形の絵画は、「カルメル会の秩序」、「キリストとその弟子達」と言う名前のタイトルでした。 -
そして左側です。
上段奥から、「サンタ・テレサの法悦」、「復活したキリストとの対面」、「サンタ・テレサの習慣」。
法悦に関しては、ベルニーニの迫力には全くかないませんねえ。手前の「サンタ・テレサの習慣」については、話が良く分かりませんでした。
下段は「ドメニコ会の秩序(オーダー)」と「フランシスコ会の秩序(オーダー)」となっていました。 -
祭壇と反対側にあったステンドグラスが素晴らしい出来ばえでした。左側で手をつないでいる子供たちは7歳のテレサとその弟のロドリゴ。彼らは荒野で殉教地を探すため、家出をしたのです。この時はたまたま町に戻る途中だった彼らの叔父が町の城塞の外で二人を見つけ、連れ戻したのだそうです。
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サンタ・テレサ礼拝堂の奥には、彼女が生まれた部屋がしつらえてありました。
入ることはできず、ガラス越しに中を覗き込むようになっていました。 -
続いて、こちらの扉をくぐると、
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イチオシ
その奥には小さな緑の庭があり、幼いテレサとロドリゴの姿がありました。本を胸にどこか遠くの世界を見つめるような表情のテレサ。ロドリゴの前には、石の積み木で作った教会が完成半ばでした。
熱心なキリスト教徒であった彼らの母親の影響でしょうか? こんな小さな頃から聖人の生涯とりわけ死に偉大なる関心を持っていたのです。やはり並の人間ではありません。 -
ここが500年前、彼らの育った家の一部なのでしょうね。
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この後、礼拝堂を回って、小さなサイズのテレサのステンドグラスを撮って歩いたのですが、写真はものの見事に全滅で、まあまあましなのがこちら。先ほど絵画で見たものと同じような場面かと思われますが、定かではありません。悪しからず。
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何ということ!
英語の説明部分だけ、半分壊れて、いや壊されていました。肝心の部分がこれじゃあ、解読不能。 -
ということで、サンタ・テレサ修道院教会はこれにて終了。もう少し何らかの説明があったらと思いましたが、絶対的に基礎知識が不足しているので、説明があっても理解は困難だったかもしれません。「聖人」を育んだ環境を垣間見ただけで満足することにしましょう。
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サンタ・テレサ修道院教会のファサードをもう一度真正面から。
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その右側には修道院の建物の一部分を使った「サンタ・テレサの生家」と言う名のホステルがありました。修道院の巡礼者だけでなく、一般の旅行者も泊まれるようになっています。個室とドーミトリーがあって、食堂、礼拝堂完備だそうですよ。
手前のひし形の広場は、ラ・サンタ広場。名前がなくとも、ラ・サンタだけで通じちゃいます。 -
その広場と反対側に、小さな城門がありました。こちらの門の名前も正式にはサンタ・テレサ門。でも一般的にはラ・サンタ門と呼ばれているんですって。
16世紀に建造された門で、シングルアーチの小さな門。壁の右隣りに見えている建物は、ルネッサンス様式のヌニェス・ベラ宮殿。 -
こちらがその全景です。門の警護を兼ね、初代ペルー提督ヌニェス・ベラにより、1541年に建造されました。灰色の花崗岩の切石積みで、中央扉の両側に一族の紋章が装飾されています。
1941年以来、この建物は地方裁判所として使用されているそうです。中央扉のアーチ部分にそう書いてありました。パラシオ・デ・フスティシア -
イチオシ
城門を出てから振り返ると、おお~ こちらの方が風格ありますね。外に出て確かめなかったけれど、カルメン門もこんな感じだったようです。四角形の2つの塔と門は何度も修復されていて、御多聞に漏れずローマ時代の城壁の石も再利用されているとか。
お隣のヌニェス・ヴェラ宮殿の、奇妙な形をした塔? 煙突? が目立っていますね。それと、特別にしつらえたかのような、バルコニーが続いていますよ。 -
ほらっ!
ドリス式の柱廊のあるバルコニーと城壁が続くこの1枚は、今見ると絶品ですねえ・・・ -
反対側も写しておきましょう。
今車が1台出てきました。殆どの城門はこの門のように一方通行。城壁の中を知り尽くしたドライヴァーじゃないと、入ったら最後出てこれないかも。 -
Break!
ちょっと休憩タイムを取りました。ここのトルティーリャ美味しかったぁ・・・ -
再び城壁の中に入って、マードレ・ソレダッ通りを戻ります。右側のピンクの石の建物は現在税務署として使われていますが、円筒形の塔が中々おしゃれ。
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紋章が装飾された入口が多いなあ・・・それに、この太めのアーチが至る所にあります。
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税務署の建物にも、紋章見っけ!
無味乾燥なお役所の建物を見慣れた目には、とても鮮やかに、そして新鮮に映ります。 -
程なく到着のコラル・デ・ラス・カンパナス広場には印象的な建物が隣り合わせになっていました。
左側はスペルンダ侯爵の住まいだったスペルンダ宮殿。1580年頃の建造でルネサンス様式。20世紀に入ってイタリアの画家グイド・カプロッティがこの屋敷を手に入れ、今では彼のコレクションを展示する美術館になっています。 -
右側はずんぐりした「グスマン」と呼ばれている塔を含む15世紀建造の屋敷で、やはりルネサンス様式。ムヒカ宮殿とも呼ばれることがあります。塔には胸壁や銃眼があり、実際に見張り塔として機能していたようです。
ファサードは太いアーチと紋章の装飾のみ。防御機能を重視した造りになっています。現在ここは「ウェトネス族」と呼ばれるイベリア半島に住み着いた古代ケルト人の文化センターになっています。このウェトネス族がまた興味深いのですよ。はまりそうな予感・・・ -
三角形のコラル・デ・ラス・カンパナス広場を更に進むと、またもや三角形の広場発見! ラストロ広場です。ラストロとはトレイルと言う意味だそうです。
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広場の反対側には、六角形の塔と思いきや、広場に面した面だけがこんな形になっている屋敷が建っていました。インパクトありますねえ。
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ラストロ広場の先には、またもや小さな門がありました。ラストロ門。アヴィラの城壁に最後に付け加えられた門で、アヴィラでは大変「モダン」な門なのだそう。
ここでも門を潜って城外に出てみることにしました。 -
こちらが城外から見たラストロ門です。確かにモダンと言えばその通りかしら? 他の門とは一味も二味も異なります。
アーチの上に更に傾斜が緩いアーチ(バスケットハンドルアーチと呼ぶんですって 確かにバスケットの持ち手に似ています)が重ねられ、その上に16世紀にバルコニーが加えられました。向かって左側だけ少し出っ張っていて、シンメトリーでないのが不思議です。それにしても、あのバルコニー、どこから入るのでしょう? -
ラストロ門に向かって右側の風景です。城外には門の上のバルコニーへの入口が見当たらないので、もう一度城内に入って探してみることにしました。
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ラストロ門と交差していたこちらの建物がどうも怪しいですよ。城壁と同様の石で作られているために、まるで城壁が市中に伸びているかのように見えます。
実は、城壁に続いて二次的な防御の要として13世紀に建てられた長い建物で、全体が緩やかなカーブを描いていて、「第二の防御」と言う別名を持つダヴィラ宮殿ですって。 -
扉の上のまぐさ部分に刻まれた聖母子と紋章がとても見事で、みとれてしまいました。建物にはいくつか扉がありましたが、これはラストロ門から数えて2つ目の扉です。
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やがて建物は直角に曲がり、ご覧のように、扉が更に二つ。建物の前は、広いペドロ・ダビラ広場に面していました。
ペドロ・ダヴィラと言うのはこの家を建てた主人の名前。正確にはペドロ・ダ・アヴィラ。アヴィラ出身のペドロと言う意味です。苗字がないから、出身地を苗字代わりに後ろに付ける。イタリアと同じですね。 -
ラストロ門から数えて3番目の扉は、一番立派でしたよ。まるで城壁の門のよう。
扉の上の装飾も興味深いですよ。彫られているのは、2人の鎖で繋がれた奴隷と、その後ろでラッパを吹く2人の騎士。どういう意味なんでしょう?
装飾の上にある出っ張った部分は、上から熱い湯や油を敵に注ぐための石のバルコニーですって。 -
広場の真ん中には、由緒ありそうな十字架。
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そしてこちらが最後の4番目の扉です。この扉にはシンプルに一家の紋章が刻まれていました。
いつのまにか、建物からは窓が消え、これはどう見てもただの壁じゃない? と思って歩いていたんですが・・・ -
ほらっ やっぱり!!!
3枚上の写真をじっくりご覧ください。3番目の立派な扉以降の右側には、確かに屋根がついていますが、それから左は建物はなく、横から見ると薄っぺらな壁のみが延々と続いていたのでした。
この屋敷、入れるものなら何とかして入りたいと思ったのですが、この日は完全にアウトでした。個人所有の宮殿だそうで、木曜日の夕方16時から18時の間だけ無料で公開していると聞きました。
全体がどういう構造になっているのか、グーグルマップの空中写真で調べてみましたが、ラストロ門と繋がった、中庭のある建物と塀と大きな庭が確認できましたよ。建物と城壁とはどのように繋がっているのか、ラストロ門のバルコニーにはどう出るのか、内部を見学しないと分からないこと多々あって、興味津々と言ったところです。 -
屋敷に入るのを諦め、今度は地面に注目します。
マンホールフェチの私、久々の外国での1枚です。イベルドローラはスペインに本拠を置く多国籍電力公益企業だそうです。 -
ペドロ・ダヴィラ広場に面して建っていた1軒の住宅。扉が開いていたので覗き込みます。玄関ホールはご覧の通りタイルが貼られていて、イスラム風。
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ペドロ・ダヴィラ広場の続きの細い道を更に進むと、名前の分からない教会前(アヴィラの主教区)で、道は左に折れ曲がっていました。
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初めて見るような装飾が満載のファサードが楽しい。ここにもまた、紋章がにぎにぎしくお出迎え。そう言えば、イタリアの教会の入口にある紋章は、絵で描かれていることが多かったなあ・・・
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ここで、アヴィラって、こんなに人がいたんだ! と思うほど沢山の地元の人々が集まっていました。どう見ても行列じゃあなさそうだし、「何の集まりでしょう?」って聞いても答えが分からないので通り過ぎます。
今地図を見ると、この門の先には小学校があるので、多分、お子さんのお迎えだったんでしょうね。 -
アヴィラの旧市街の中心に入ってきたようで、カトリック本部の先は両側が商店街になっていました。
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スペイン特産のマルメロ(西洋かりん)のジャムをたっぷり使ったクッキー「サンタ・テレサ」がウインドウを飾っていました。
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ドン・ヘロニモ通りを行くと、あらっ いつの間に! 目の前に城壁が聳えていました。と言うことは、この先は城外。アヴィラの旧市街は東西約900m、南北約450mしかないので、あっという間に歩けてしまうんだということを再認識。
見えている門は、アルカサル門。アルカサルは今はもうないけれど、イスラム時代の名残なのでしょう。 -
セゴヴィアのサンタ・マリア・デル・パラル修道院のところで、エンリケ4世の子ファナとエンリケ4世の異母妹カトリック両王のイサベル1世が王位を争った話をちょこっと書きました。
そのエンリケ4世は別名を不能王と言い、二度結婚して妻の体には一度も手を触れなかったという曰くつきの人物。ファン・デ・パチェコを始めとして、多くの家来が反乱を起こし、1465年、反乱軍はここアヴィラのアルカサル門で、儀式を執り行いました。すなわちエンリケに似せた木像を置いて、聴衆の見守る前で次々と王の象徴、王冠、杖、剣を剥ぎ取り、最後に像を破壊したのです。これを「アヴィラの孤独」と呼んでいます。
イサベル1世は、ファナがエンリケ4世の子であるわけがないという理由で、即位を宣言したのでした。 -
城外には出ずに、そのまま城壁伝いを歩くことにしました。そうそう、写真の右端から城壁の上に上ることが出来ましたよ。青い服の男性が立っている前の小屋がチケット売り場です。
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ここからアヴィラの大聖堂目指して、細い路地沿いに歩いていきます。
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大聖堂の壁に出ましたよ。石の1つ1つに数百年の歴史が刻まれているよう。
正面の格子窓の下には、Las Cancelas (ゲート)1609年と言う文字が見えました。たった今、同じ名前のレストランの前を通り過ぎたばかり(1枚上の写真参照)。
壁の一部となっている2つの像は右側が教会博士のヒエロニムスかしら? 左側はどなたでしょう? 聖人達は物憂げな表情で宙を見つめ、下を行きかう凡人には目もくれません。
実はここ、大聖堂の回廊(クラウストロ)なのです。回廊の屋根の賑やかなこと! 沢山の紋章もその装飾の一部と化していました。 -
右側に大聖堂の壁が続く道をなおも進みます。
狭くて圧迫感が半端でないクルス・ヴィエハ通りは途中二度曲がります。 -
ようやく高い建物が見えてきましたよ。あれがファサードかしら?
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というわけで、ようやくアヴィラ大聖堂の正面ファサード到着です。外側を先に見ますか? それとも中が先? と言いたいところですが、また長くなりそうなので、この辺りで一旦休憩。
この続きはな~んちゃって、コンポステーラへの道 その6アヴィラ(2)でね!
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この旅行記へのコメント (2)
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- マリアンヌさん 2020/06/30 11:28:18
- アヴィラ
- junemayさん こんにちは。
クワトロ・ポステス いかにも伝説の似合いそうな絵になる遺跡ですね。
そしてそこから見える城壁に囲まれたアヴィラの街は壮観ですね。
4世紀に皇帝ディオクレティアヌスが行ったキリスト教徒への迫害により、サン・ヴィセンテと彼の二人の妹サビーナとクリステータが殉教した地にのこるサン・ヴィセンテ聖堂
→歴史好きには垂涎の的って感じの教会ですね。興味深々。
サン・エステバン教会も良いたたずまいですね~♪入ってみたい。
サンタ・テレサ修道院 内陣はかなり豪華ですね。
「カルメル山の聖母」の礼拝堂。元々は、現イスラエルにあるカルメル山が名前の由来。古代から宗教的な献身の場所で、カルメル会ではおなじみの聖母です。
→知らなかったですぅ。いつも勉強になります。
おまけに恥ずかしながらサンタ・テレサの教会をイタリアで見た記憶が…
ロマネスクを追いかけていて街のバロック教会をあまり見ていないからかな。
実はアヴィラもツアーで立ち寄ったことがあるのですが、意識低い頃だったのでよく城壁が残っているなぁくらいでした(笑)
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2020/07/07 17:06:26
- RE: アヴィラ
- マリアンヌさん こんにちは
4トラすっかりご無沙汰で、欧州の悲惨なコロナ騒ぎで「楽しかった!」なんて書くのも全く気が乗らず、何もしないままどんどん時が過ぎ去っていったというのが現状です。もうそろそろ社会復帰しないとね。
たくさんのメッセージをいただき、ありがとうございました。時間だけはたっぷりあるので、じっくり読ませていただきます。昨年11月に、2週間弱シチリアを回り、今年1月にはほんの数日、ニュージーランドのオークランドを訪れました。それ以来旅とは無縁の生活を送っています。記憶がどんどんなくなるのに、書く材料は増える一方。ついこの間、マリアンヌさんの「イタリア思い出シリーズ」を拝見して、こういう形式も素敵だなあとうっとりしながら拝見いたしました。1枚の写真に思いを凝縮させるのも大変だと思いますが、よくぞやってくださいました。大いに参考にさせていただきますね。
いつかはスペインも完成させなきゃと思っておりますが、記憶との闘いのなりつつあります。取り急ぎお礼を申し上げます。ありがとうございました。
junemay
> junemayさん こんにちは。
>
> クワトロ・ポステス いかにも伝説の似合いそうな絵になる遺跡ですね。
> そしてそこから見える城壁に囲まれたアヴィラの街は壮観ですね。
>
> 4世紀に皇帝ディオクレティアヌスが行ったキリスト教徒への迫害により、サン・ヴィセンテと彼の二人の妹サビーナとクリステータが殉教した地にのこるサン・ヴィセンテ聖堂
> →歴史好きには垂涎の的って感じの教会ですね。興味深々。
> サン・エステバン教会も良いたたずまいですね~♪入ってみたい。
>
> サンタ・テレサ修道院 内陣はかなり豪華ですね。
> 「カルメル山の聖母」の礼拝堂。元々は、現イスラエルにあるカルメル山が名前の由来。古代から宗教的な献身の場所で、カルメル会ではおなじみの聖母です。
> →知らなかったですぅ。いつも勉強になります。
>
> おまけに恥ずかしながらサンタ・テレサの教会をイタリアで見た記憶が…
> ロマネスクを追いかけていて街のバロック教会をあまり見ていないからかな。
>
> 実はアヴィラもツアーで立ち寄ったことがあるのですが、意識低い頃だったのでよく城壁が残っているなぁくらいでした(笑)
>
> マリアンヌ
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