2016/05/10 - 2016/05/10
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2016年5月8日から6月10日までの1か月ちょっと、スペインとポルトガルを一人旅しました。もう2年以上経ってしまったけれど、思い出しながら綴っていこうと思います。
スペインは言わずもがなカトリックの国です。イタリアで教会の素晴らしさを知ってしまった私にとって、今回の旅の目的は、1.教会を訪れること、2.美術館で絵を眺めること そして最終目的地をサンチャゴ・デ・コンポステーラにすること でした。特定の宗教を信仰しているわけではありませんが、神を畏れ、神を敬うことによって、人間達が生み出した様々な創作物・文化を心より愛してやみません。
古来より何百万もの人々が時に命さえかけて目指したコンポステーラの町、そしてその道中(El Camino)は宗教観が異なる者にとっても大変魅力的でした。可能であれば長い巡礼の道を歩いて行きたかったのですが、体力的にバックパッカーは難しい。でも、徐々にコンポステーラに近づくことによって、巡礼者の気分を少しだけでも味わいたいという、無理難題、大変我儘な希望を叶えるために、作成したのが、な~んちゃって、コンポステーラ! 巡礼者の方には合わせる顔がないのですが、以下のようなプランが出来上がりました。
今回の旅はスペインの後、ポルトガルへと続いたのですが、私の頭の中では旅は一旦サンチャゴ・デ・コンポステーラでお終い。そこからまた新たな旅が始まったと思っています。こじつけ、そして自己満足の塊のような旅となりましたが、よろしければお付き合いください。
日程表 スペインの部
5月8日(日) 東京→マドリッド
5月9日(月) マドリッド
5月10日(火)★ マドリッド(セゴビア)
5月11日(水) マドリッド(アヴィラ)
5月12日(木) マドリッド(エル・エスコリアル)
5月13日(金) マドリッド(アルカラ・デ・エナーレス)
5月14日(土) マドリッド→ブルゴス→ビルバオ
5月15日(日) ビルバオ
5月16日(月) ビルバオ(サン・セバスチャン)
5月17日(火) ビルバオ(ヴィトリア)
5月18日(水) ビルバオ→オヴィエド
5月19日(木) オヴィエド
5月20日(金) オヴィエド→レオン
5月21日(土) レオン
5月22日(日) レオン→アストルガ→レオン→サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月23日(月) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月24日(火) サンチャゴ・デ・コンポステーラ
5月25日(水) サンチャゴ・デ・コンポステーラ(→ポルトガル ポルト)
5月10日はマドリッドのモンクロア・バス・ターミナルから10Aのバスでセゴヴィアへ。びっくりしたのはセゴヴィアの寒いこと寒いこと。多分この日は5月だと言うのに10℃以下だったのではないかしら? 5月から6月にかけてのスペインの旅には寒さ対策が必要だったんだということを思い知りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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イチオシ
モンクロアはマドリッドの西に位置しています。昨日行ったアルムデナ大聖堂と王宮から真っ直ぐに北に2.5km上がった辺り。地下鉄の駅と中距離バスターミナルは接続しています。バスの発着は地下からですが、少し時間があったので、地上に出てぶらぶら。
まず目についたのはこちらの立派な凱旋門。ヴィクトリア門 つまりそのものずばり勝利の門=凱旋門ですね。マドリッドにはいくつか凱旋門があるので、モンクロアの門と言った方が通りが良いかもしれません。 -
高さ49m。スペイン内戦の際、フランシスコ・フランコを中心としたナショナリスト派に対し、人民戦線が1936年の大学都市地区の戦いで勝利を収めたのを記念して1950年から56年にかけて建造されました。
こちらからはこれ以上近づけませんね。 -
全体的にはすっきりとしたデザインですが、門の最上部をラテン語の碑文とレリーフが取り巻き、上には知恵の女神ミネルヴァの乗った4頭立て戦車を見ることが出来ます。碑文には戦いの勝利についてだけではなく、破壊された大学都市地区の再建についても書かれているそうです。
門の後ろに見えるタワーはファロ・デ・モンクロア(モンクロアの灯台)と呼ばれている展望台です。ちょうど展望室のある辺りが地上92m。マドリッド市内はもちろん遠くグアダラマ山脈まで見渡せるんですって! -
逆光になりましたが、こちらがモンクロアの駅の入っているビル。
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そしてその向かい側にあるのは、どなたかの宮殿と思いきや、カサ・デル・アヴィアドール パイロットの館とでも訳すのでしょうか? 空軍関係の施設のようです。
四隅の尖がった屋根が素敵。スペイン人はフランドル風の尖がり屋根がお好きなのかな? -
さて、10:00発のバスに無事乗車。色がついた窓ガラスなので、写真の色がおかしくなりました。車窓からの景色です。唐突に野中に純白の門が見えましたよ。
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バスは北西に進路を取って進みます。5月だというのに、こんな寒々しい風景が続くんですよね。これがマドリッドやセゴヴィアの水源となっているグアダラマ山脈かしら?
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おっ セゴヴィアに着いたみたいですよ。歴史のありそうな教会の壁が一瞬見えました。市場のキリストと言う名の教会でしたよ。
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サンティリャーナSantillana という昔の街道の道標見っけ!
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11時過ぎに定刻通りセゴヴィアのバス・ターミナルに到着です。
おお、なんて寒いんでしょう! 皆さんの服装を見てもお分かりでしょう。まるで冬に戻ったみたいでした。セゴヴィアはマドリッドよりもかなり標高が高いようです。 -
まずやってきたのはバス・ターミナルからほど近い サン・ミリャン教会です。
ぞくぞくするようなロマネスク様式! アラゴンのアルフォンソ1世 (1103年-1134年)統治の時代に建てられ、セゴヴィアでも最も古い教会の一つです。1097年までアラゴン王国の首都であったハカの大聖堂を一回り小さくしたスタイルで、アラゴン建築の影響が色濃く出ています。 -
後陣は内陣奥に3つ。後から聖具室に加えられたのが1つ。イスラム風のドーム、そして屋根のついたポルティコが、建物の両側にありました。
早速中へと思いましたが、固く施錠されていました。くすーん! -
一つ一つ異なる柱頭のついたアーチがずらりと並んでいます。アーチの上、エンタブラチャーを支える石の彫刻もヴァラエティに富んでいて面白いです。人あり、動物あり、怪獣あり・・・
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解説によると、塔は建物の他の部分よりさらに古く、プレロマネスクの時代のモサラベ様式の特徴を持ち合わせているそうです。モサラベとはキリスト教徒でありながら文化的にイスラム化したスペイン人のことですって。
プレロマネスクというよりイスラム風の窓の形、外壁の紋様が目を惹きます。 -
後陣の円筒がひい、ふう、みー、よぉーと並んでいます。なんと後陣の円筒は4つもありました。この円筒を眺めるのが至福の時間。
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イチオシ
反対側には、ポルティコの上にブラインドアーチがありました。
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ぐるりと回って西側のファサード扉前にやってきました。こちらは中央扉の半円形部分の装飾を除き大変シンプル。
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最後にプレロマネスクとされている塔の全景です。最初にこの塔ありき ってうなづける気がします。他とは違う異質なものを感じますね。のっけからひれ伏してしまいました。
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そろそろセゴヴィア巡りの出発点となる水道橋のあるアソグエホ広場に向かうとしましょう。スペイン独特の外壁スグラッフィートを多く見ることのできる町です。この外装を見ると、スペインに戻ってきたと感じます。
今はかなりのあばら家(失礼!)ですが、元は豪勢なお屋敷だったに違いありません。 -
かなり新しい建物にもスグラッフィートは採用されています。レンガとの相性も抜群。
ついでに知ったことを書くと、スペインのスグラッフィートの流れは2つあって、1つはイタリア、カタルーニア・スタイルで、バロック様式が盛んだったころにブームとなりました。もう一つがこのムデハル様式に起源を置くセゴヴィアン・スタイルで、レコンキスタ以降の都市建築に盛んに用いられたもの。なので、この町の建物には新旧問わず、スグラッフィートがあるのが定番なのだそうです。 -
一旦目につきだすと、次から次へとスグラッフィートばかり! 私の悪い癖です。それにしても、アソグエホ広場はどこでしょう? 先ほどからかなり歩いているのに見つかりません。
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イチオシ
ここだ!
ようやく水道橋と再会です。数十年ぶり! 今回のたびでは行ったことのある場所はなるたけ避けたつもりですが、セゴヴィアだけはどうしても来たかったんです。
寒々しい鉛色の空をバックにしての姿ですが、スレンダーでありながら威風堂々、貫禄があります。 -
中央の橋脚柱には聖母像がはめ込まれている祠がありました。この部分は2000年前のローマ人が作った部分ではありえませんね。
「フエンシスラの聖母」はセゴヴィアの守護聖人。橋の像は町の北にあるフエンシスラの聖母サンクチュアリーに祀られている同名の像のコピーです。毎年9月にはフエンシスラのお祭りのパレードが開催され、この像が町の大聖堂にやって来るのだそうです。 -
広場にある観光案内所で地図とアドバイスをもらってから、再度橋をじっくりと眺めます。
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水は奥から手前に向かって流れてきます。今見ている方向の突き当りにあるディアス・サンス広場からアソグエホ広場にかけて、道はかなりの下り坂。そして一重のアーチだった水道橋はは二重のアーチへと変身し、1階部分のアーチの長さを次第に増してアソグエホ広場に到達するのです。
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アソグエホ広場 商いと会合の場所と言う意味のアラビア語が語源だそうですよ。
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おお~ ドラえもんがおるわ!
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水道橋の石には採掘場で、あるいは運ぶときにつけられたと思われる丸い穴が開いていました。
水道橋は紀元前80年頃にセゴヴィアを制圧したローマ帝国製。16世紀のイサベラ&フェルナンド カトリック両王の時代に修理、一部再建されています。「フエンシスラの聖母」が祀られている窪みはその時に作られました。
手前に見えるのは世界遺産を示すプレート。 -
このまま、水道橋を追いかけていきたい気分になりました。どちらの方向にも魅力があって、行くべき方向が定まりません。観光案内所の向かい側に建つのはコチニーリョ・アサード(子豚の丸焼き)で有名なレストラン メゾン・デ・カンディド。1階が石造り。2階が煉瓦と木組みの建物も魅力的です。
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屋根には風見鶏がいました!
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背後の階段を上っていくと、建物の影に消えた水道橋を追っかけることが出来そう。ずらりと並んだスグラッフィートの外装が素敵。
メインディッシュがいくつもあるセゴヴィアならではの悩みですね。でもまずは観光案内所が勧めた一般的なコースをまずは辿ることにしましょう。 -
というわけで、アソグエホ広場から一番右端の道セルバンテス通りを上っていきます。今にも雨が降りそうな雲が広がっています。そして底冷えする寒さ! マドリッドは晴れていたのに・・・なんとか降らないで欲しいなあ。
道は次第に勾配を増して、眼下に先ほど訪れたサン・ミリャン教会の塔が見え始めました。バスターミナルの場所がここにきてようやく分かりましたよ。 -
最初にお目見えしたのはこちらのカサ・デ・ロス・ピコス です。ロス・ピコスとは尖ったもの(複数形)なので、見た通りの名前ですね。触ると痛そう。確かイタリアのフェッラーラにも、同様の館がありましたよ。パラッツォ・デイ・ダイアマンティ ダイヤモンドの館と言う名前でした。
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防衛上の理由で建てられたという説がありますが、単なる装飾と考えた方が良さそうです。建造は15世紀後半。花崗岩で作られた617個の突起物をずっと見ていると、目がちかちかしてきます。
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扉が開いていたので、ちらっと中には行ってみました。内部はいたって平凡。木工教室?のような催しが開かれていました。
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扉を入ってすぐの場所がここ。元は中庭かしら? 屋根は後から付けたのでしょうね。
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続いて年季の入ったスグラッフィートが外壁を覆う建物が左手に見えてきました。15世紀に有力な騎士だったアロンソ・カスケレスによって建てられたアルプエント伯爵宮殿 パラシオ・デル・コンデ・アルプエントです。元々あったムーア人の住居の上に建てられたので、今もその一部が残っているそうですが、どこの部分かなあ・・・
スグラッフィートの外壁が、このムデハル様式の宮殿にも採用されていました。かつてこの町を支配していたイスラム伝統の紋様は後の人々からも大きな支持を受けたようです。
それにしても、なんて素敵な外壁、そして窓なんでしょう!!! -
このアルプエント宮殿は、現在公共機関として使われていて、入場自由でしたのでちょっとお邪魔してみました。中にも異なったデザインのスグラッフィートの壁が続いていますよ。
実に味のある古井戸のあるところは、昔のパティオでしょうか? -
現在は、こんな素敵なステンドグラスの天井がはめ込まれていました。
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スグラッフィートの紋様が、ステンドグラスを通して入ってきた優しい光の中に浮かび上がります。
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思わず上っていきたくなった階段。どこもかしこもシンプルですが、窓枠の上部だけ、豪華な装飾が施されていました。
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これはどこから撮ったんだか・・・の1枚ですが、ちょっと変わった屋根瓦とスグラッフィートの組み合わせ実に良いですねえ。アルオンディガと呼ばれるかつての町の共同倉庫で、主に穀物が収められていました。今は歴史博物館になっています。
中央扉の左右にセゴヴィアの町の紋章がついていますよ。 -
イチオシ
寄り道ばかりしているのでちっとも進みません。ようやくファン・ブラヴォ広場に到着です。
ここにもまた、先ほどのサン・ミリャン教会同様、両袖にポルティコのある教会が鎮座ましましていました(とこの時はそう思ったのですが、実はこの教会三方をポルティコに囲まれていました。後で気が付きました)。12世紀建造のロマネスク様式の教会 サン・マルティン教会です。中央にムデハル様式とロマネスク様式の折衷の14世紀の塔が聳えていました。尖がった部分は15世紀ですって! うっとり・・・ -
この写真は後刻撮った写真ですが、こちらが教会の西側部分。主祭壇と反対側で、ファサードがある側となります。ご覧の通り、ファサードも教会と言うより、アラブの宮殿に似た雰囲気です。
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面白いのはこの教会の正式名 「聖マルティンのスーヴェニール(お土産)」と呼ぶんですね。ツールの聖マルティンは自分のマントを半分にちぎって、寒さに震えていた物乞いに与えたという話で有名な聖人。この物乞いがキリストだったという説もあります。マントがお土産だったっていうこと?
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教会の横の広場に立つのは、15世紀のカスティーリアの貴族ファン・ブラヴォの彫像です。彼は カルロス1世の臣下でしたが、1519年10月、セゴビアの民兵部隊の指導者となり、ドイツに侵攻した王に対し、公然と反旗を翻します。この戦いを「コムネロスの反乱」と言います。ブラヴォはセゴヴィアを含むこの地域の反乱軍のリーダーとなりましたが、1521年に王室軍に敗北。斬首されます。
セゴヴィアでは「反乱軍の親玉」というよりは「地域の英雄」という扱われ方をされていて、いまだに根強い人気があるみたいでした。広場の名前にもなっていたし、大きな旗を持つその姿は実に印象的。セゴヴィアでは彼の名前の付いた劇場、ホテル、レストラン等までありました。 -
ファサードには旧約聖書から採られた4人の預言者達のカリアティードのような柱が並び、ポルティコのアーチを支える柱の頭にはロマネスクらしい装飾が施されていてなんとも不思議な気がしました。
この教会は開いていたので、いそいそと中へ。嬉しくって、いつもならじっくりと見るロマネスクっぽいファサードにもちらっと眼をくれただけ。
なんてことでしょう! -
教会の入口には大抵いらっしゃる現代の物乞いさん。マントを半分投げてくれる人を待っているみたいです。
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中は三廊式でした。ロマネスクの教会だから、内部は暗いと思っていましたが、思いのほか光が届いていました。
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身廊はアラブの建築の影響が色濃く表れています。絨毯もエキゾティックでしょう。こういったインテリアについても、スペインではモサラベ(mozárabe)仕様と呼ばれているそうです。
奥に見えるのが主祭壇。後でお邪魔します。 -
壁にあったのは何でしょう? 棺のようにも見えますが、寸法が少し足りなさそう。金属のプレートを貼った容器のようにも見えますね。
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マヨール礼拝堂の非常に生々しい「横たわるキリスト」は、16世紀バロック期の著名な彫刻家グレゴリオ・フェルナンデス作とされています。人体に関する豊富な知識を持ち、皮膚の滑らかさを備えた非常に詳細な解剖学的表現を彫刻に取り入れた人です。でも、あまりにリアルで近寄りがたかったというのが本音です。
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教会は複雑な傾斜地の上に11世紀から建て始められ、異なる建設段階を経ていくつかの建築様式を積み重ねてきた歴史がそこここに見て取れます。
四角体を横に並べたようなとても不思議な空間・・・ -
と思っていたら、どうもこの連続した四角体の中央に鐘楼が聳えていたようです。訪問した時には気が付きませんでした。
こちらは四角体の一つを下から撮った1枚。幾何学模様がモダンな天井は不思議と古いレンガの壁に映えています。 -
主祭壇中央の祭壇画はやはりマントを物乞いに与える聖マルティンを描いたものでした。主祭壇に関する記述や説明はほとんど見当たりませんでしたが、ここだけは完璧なるバロックの世界となっていました。
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全部で3つある後陣のうち、ほかの2つは昔のままの佇まい。こちらはそのうちの1つです。とても薄暗く、写真もブレブレ・・・と暗いせいにする。
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かすかにこちらの壁に残っていたフレスコ画。だいぶボロボロになっていました。
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私好みの聖水盤発見。ずっしりと重く、石の存在感半端ないです。
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イチオシ
そしてこちらがポルティコへと通じる階段です。一つ一つ異なるアーチの美しい柱頭が見え隠れしていますよ。
内部より外から見える部分 ファサード、ポルティコ、塔、彫刻等に美しさが凝縮されている教会でした。慌てて中に入るより外側をじっくり眺めた方が良かったように思いました。 -
寄り道ばかりの町歩きも、サン・マルティンを越えてからはせっせと坂道を上り、本日のメインの一つ 町の大聖堂のあるプラサ・マヨールに到着です。バスでセゴヴィアに着いてからちょうど1時間。私としては良い線行ってま~す。
広場には前述のセゴヴィアの英雄?ファン・ブラヴォの名前を冠した劇場、サン・ミゲル教会、ホテル、カフェなどがずらりと立ち並んでいました。
このマヨール広場で、1474年、カスティーリャ王となったイサベル1世は即位を宣言したんですって。 -
マヨール広場で忘れてならないのが大聖堂。セゴヴィアに着いてから私が見て来たロマネスクの教会とは大きく異なり、ゴシック花盛り。インパクトの強い建物です。
16世紀前半の着工から最終的な完成まで実に240年もかかったと言われている、スペインで最後のゴシック建築です。 -
イチオシ
わおぅ 後陣の半円形の膨らみ部分だけでも一体何本の尖がり塔が立っているのでしょう?
大聖堂の建設はアルカサールの隣にあった古い大聖堂が「コムネロスの反乱」で焼失したため、セゴヴィアの人々からの寄付を主な資金として1528年から始まったそうです。床からゴシック天井までの高さは30m。建物の幅50m、長さはなんと109mもあります。大聖堂の中央には17世紀にペドロ・デ・ブリズエラによって完成したドームが見えています。その後ろにわずかに顔を覗かせている塔の高さは90mあるとか。 -
さあてと、入口はどこだろうと、大聖堂の北側に廻ります。あったあった。西側のファサードまで行かなければならないのかなと心配しました。マヨール広場に面しているこちらの北扉が、地域住民にとっても観光客にとっても、利用しやすいですね。
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大聖堂の内部は一方通行になっていて、右側から入って、左側から出るようになっているみたい。入場料3ユーロ。塔に上る場合は5ユーロです。
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早速中へ。早速天井のヴォールトまでの高さ30mを実感。高~い! 9階建ての建物の高さに匹敵。圧倒されますね。これは、北側の入口から入って、正面ファサード(西側)を写した1枚です。ここから西側扉まで十分に100m走が出来そうな長さがありますね!!! ってなんのこっちゃ?
スペインの大聖堂には中央に仕切られた聖歌隊席があるため、中央部分は全体を見通すのが不可能なことが多いのですが、側廊部分は一直線に見渡せます。 -
刺繍のステッチのような美しいヴォールトを見ているだけでも楽しい。
教会に入ったら必ずせずにいられないことは礼拝堂巡り。スペインに来て、格式ある教会はここが最初なのでなおさらです。だがしかし。この大聖堂何せ礼拝堂の数も半端でない数あります。北側、南側、そして後陣部分に主だったものだけでも20以上! というわけで、またまた延々と続きますよ。よろしくお付き合いくださいね。北側扉(フルートスの扉)から時計回りにあっちへふらふら、こっちへふらふら・・・ -
サン・アントン(大アントニオス)に捧げる礼拝堂は金ぴかのバロック様式。セゴビアの司教だったアントニオ・イデアケス・マンリケとその家族の礼拝堂です。
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ホセ・ヴァレホ・ヴィヴァンコが1696年~7年にかけて作った木製のバロック祭壇は黄金色に目がくらみますが、よく観察すると非常に緻密。中央の大アントニウス像はペドロ・ヴァッレの作品です。ヴァッレは生前から司教マンリケ自身の墓も依頼されていたですが、亡くなった時にまだ未完成だったという逸話が残っています。
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祭壇に向かって左側の壁にあるこちらが、葬儀には間に合わなかったマンリケ司教の墓でしょうか?
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同じ名前なのに国が変わると読み方が変わるのがとても厄介。こちらはサン・ホセの礼拝堂。ホセは英語ではジョセフだから、日本式に言えばヨゼフ。キリストの養父ですね。イタリア語ではサン・ジュゼッペ。ふう~ イタリア式に慣れているので、時々間違えるかもしれません。
幼いキリストの手を引くヨゼフ。あまり見かけない組み合わせの彫像なので、しっかりと見入ってしまいました。 -
ここのヴォールトの装飾も綺麗でした。完成した当時より、多少色が剥げた今の方が美しい色合いに見えるっていうのは日本的な感覚かしら?
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ロザリオの聖母に捧げる礼拝堂です。中央の祭壇画は1789年のラモン・バイエウ作。
ロザリオと言えばドメニコ会を思い出しますね。ドメニコ会創設者の聖ドメニコは、アルビの聖堂で祈りを捧げている最中に聖母からロザリオを授けられたのでした。 -
左右の壁のフレスコはラモン・バイエウとは画風が異なりますが、いずれの円の中にもロザリオを護る天使達、プットが描かれていました。
こちらは祭壇に向かって左側。 -
そしてこちらが右側です。
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ポルトガルのリスボン生まれで、パドヴァ近郊で亡くなったサン・アントニオに捧げる礼拝堂です。イタリアでは非常に人気のある聖人でしたが、スペインではどうなのかしら?
この立派な祭壇は1782年に一人の信者が寄贈したもので、ちょうどその当時に流行ったスタイルだそうですよ。サン・アントニオに向かって左側はイエスズ会の聖人(名前不明)、右側はサンタ・テレサです。 -
馴染みがありませんが、こちらの礼拝堂が捧げるサン・フルートスはセゴヴィア生まれの聖人で、7世紀から8世紀にかけてデュラトン川沿いの洞窟にこもり、祈りを捧げた隠者でした。彼は73歳で亡くなり、その亡骸はセゴヴィアの古い大聖堂に11世紀になってから運ばれました。
サン・フルートスは今ではセゴヴィアの町の守護聖人で、彼の起こした4つの奇跡と共によく知られています。 -
ここもリブ・ヴォールトの装飾が目を惹きました。
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お次はサン・フルートスより更に時代をさかのぼり、殆ど伝説に近い存在であるサン・ヘロテオ。 1世紀の人で、最初のセゴヴィアの司教、殉教者と言われていますが、なんとアテネ出身のギリシャ人だったようです。
ここに来るまで、全く知らなかった聖人です。1世紀の人だから、こんな司教帽被っていたはずはないんですけれど・・・彫像は彫刻家フアン・モーラートの1770年の作品です。 -
サン・ヘロテオの礼拝堂には、ご覧のような聖職者の衣装が展示されていました。こちらも1世紀の物には見えませんね。
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丁度主祭壇の後ろの半円部分を、その外側の回廊から写しています。回廊の更に外側に礼拝堂がずらっと並んでいました。そう言えば、過去に訪れたセビリアやグラナダの大聖堂の造りもこんな風だったような記憶。
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サン・イルデフォンソの礼拝堂。イルデフォンソは7世紀のトレドの有名な司教で、『聖母マリアの純潔処女性』の著者として知られています。彼は聖母から司教の衣装を授かったとされていて、祭壇画にはその場面が再現されています。スペインでは大変ポピュラーな場面なのだそう。
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礼拝堂内には、12世紀ロマネスク時代の聖母子像や・・・
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縄に繋がれたキリスト像などが唐突に置かれていました。説明が欲しいなあ・・・
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「エッコ・ホモ」(この人を見よ)
16世紀 作者不詳とありました。大聖堂は博物館を兼ねているようです。 -
後陣回廊部分最後の礼拝堂はサン・ペドロに捧げられた礼拝堂でした。サン・ペドロ=サン・ピエトロ=聖ペトロ キリストの一番弟子です。
ここはエンリケ4世(在位1454年~1474年)に仕えていた「セゴヴィアのペドロ」とその家族の礼拝堂で、その価値と重要性を鑑み、旧大聖堂から墓ごと移されたんですって。キリストの右側にいるのがサン・ペドロ。この場面構成は今までに見たことがなく、珍しかったです。 -
ようやく回廊部分の礼拝堂巡りが終了。次は先ほど入ってきた北側とは反対側にある大きな礼拝堂へと足を進めます。
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ここには二つの礼拝堂があり、色々な名前で呼ばれていますが、二つ合わせて幕屋の礼拝堂、手前を「苦しみのキリスト」礼拝堂、奥をアユラの礼拝堂と呼ぶのが一般的のようです。今まで見て来た者に比べると大変広く、小さな教会程の広さがあります。
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イチオシ
手前の礼拝堂にあった「苦しみのキリスト」の祭壇です。見ての通り陶器と鋳鉄製です。これにはびっくりです!
キリスト像は17世紀7世紀の彫刻家マニュエル・デ・ペレイラの作品。色鮮やかな祭壇のフレーム部分はデ・ラ・ロッビアに触発されたというダニエル・ソロアガの1897年の作品。こちらは意外と新しいんだ。左右のランプ、手前のフェンスが実にスペインらしいムードを醸し出していますが、こちらは地元の鍛冶屋アンジェル・プーリドの作。脆い陶器とごっつい鋳鉄の組み合わせがこれほど完璧にフィットする「作品」は初めてかもしれません。ブラボー! -
「苦しみのキリスト」祭壇とは反対側の壁にあったこちらも、17世紀製ですが、詳細についてはあまりわかっていません。全部で10枚の聖人の肖像画が収められていて、サン・ニコラス教会から移されたものと言う説明でした。
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奥にある礼拝堂は鉄格子の隙間からしか覗くことができませんでしたが、豪華絢爛なアユラ礼拝堂です。
アユラと言うのは礼拝堂のパトロン貴族の名前で、1684年の建造。祈祷所、聖遺物収納所、そして墓所を兼ねた造りになっています。
祭壇は17世紀後半までスペインで独自に発展した「チュリゲオルグ」と呼ばれるバロック様式の精巧な彫刻建築装飾に目を奪われます。カスティーリャバロックの典型例らしいですよ。あまりに精密と言うか、ごてごてと言うか、細部まで観察する余裕ありませんでした。 -
チュリゲオルグはチュリゲラ一族(その中心はホセ・ベニート・チュリゲラ)とその弟子のペドロ・デ・リベロによって確立された建築様式で、特徴はなんといってもその「過剰な」装飾。好き嫌いで言うと、好みではありません。誰も訊いていないって? はい。その通り。
左右の壁に設置された墓所に施された細密な装飾もご覧ください。これは祭壇に向かって右側の墓所です。 -
ドーム部分は、モノトーンで良い雰囲気です。
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はあ~・・・
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アユラ礼拝堂前に鉄格子の脇にあった鋳鉄製の説教壇にも心奪われました。その下の黄金色のオイルヒーターにも細かな装飾が見られました。特注かしら?
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次にお邪魔したのは、大聖堂の中で一番重要な祭壇、主祭壇です。意外にも地味でした。後方の半円形の壁が通常外に面していて、ステンドグラス等で装飾されているのを見慣れていたせいか、今まで廻った礼拝堂が豪華すぎたのか、私には温もりが感じられる家庭的な雰囲気が満ちているように思いました。
現在の祭壇は1768年にカルロス3世がフランチェスコ・サバティーニに設計を依頼したもので、マドリッドの工房で1775年に完成を迎えています。ネオクラシカル様式で、様々な色の大理石と青銅が使われていますが、ベースが茶色なので落ち着くのかしら。 -
大聖堂に入った途端に天井に目が行きましたが、ここでも蜘蛛の巣のような幾何学模様の連続がヴォールトやドームを飾っていて、窓から入る太陽光によってその配色を変えていきます。
さっきのごてごては何だったんだと思うほど、静寂と平安が得られる空間でした。 -
主祭壇の両脇にはセゴヴィアの守護聖人であるサン・フルートスとサン・ヘロテオ。そして中央の幕屋の中にはエンリケ4世から贈られた「平和の聖母」像が置かれていました。銀メッキ製で、アントニオ・ヴェンデッティ(イタリア人らしいなあ)の1775年の作品です。他に彼の作品があるか調べましたが、見つかりませんでした。
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主祭壇の傍にあった説教壇は、古い修道院サン・フランシスコ・デ・クエラーから運ばれたもので、セゴヴィアの名門貴族の紋章が装飾されています。重厚な石造りで、先ほど見た鋳鉄製の説教壇とは雰囲気がまるで異なります。
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身廊から南扉(ヘロテオの扉)方向を撮った1枚。
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今度は主祭壇と対面する位置にあるクワイア 聖歌隊席を覗いてみましょう。手前のゲートは1729年にアントニオ・エロルサによって建造されました。2台のオルガンが左右の壁に向かい合っていました。なんだか入るのがためらわれるような緊張感が漂っています。
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クワイアのゲート越しに主祭壇を眺めます。
左右の3つ並んだ窓はステンドグラスになっています。 -
大聖堂のステンドグラスは、スペインのステンドグラス史上でも最も重要なコレクションの一つだそうで、全部で65個あります。そのうちのほんの僅かをご紹介。あまり出来が良くないなあ・・・
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ステンドグラスの制作は、第1期:16世紀のフランドル人を中心としたワークショップ、第2期:17世紀に33個を制作したフランシスコ・エルランス、第3期:20世紀にマヨール礼拝堂の7つの窓を制作したカサ・マウメヘアン の三段階で進められたそうです。
ちょっとボケちゃいましたねえ。 -
クワイア内部です。円錐形のアーチがついた背もたれ付きの木の椅子にシンプルな木の床。ここには鉱物的な冷たさはありませんでした。ほっと一息。
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譜面台はその台部分、そして譜面台の上部の凝った装飾に見とれてしまって、暫し動けません。ここでも鋳鉄かな? 卓越したアイアンワークが見られました。
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イチオシ
どうしてこんなに美しいんだろう・・・四隅には獅子のようなライオンがいました。
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折角なのでオルガンも載せちゃおう。
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形は殆ど同じですが、前に出っ張ったパイプの長さが異なります。やはり実際に音を聞いてみたいなあ。
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身廊を離れてやってきたのは瞑想の場所、キオストロです。あっ ここはイタリアじゃなかったのでスペイン語で書きましょう。回廊はクラウストロ。どちらの言葉もわからないのですが、想像をたくましくすれば当てられる位に似ているので時々ごっちゃになります。間違っていたら訂正よろしく!
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クラウストロは華やかなりし頃のゴシック様式。全て古い大聖堂から運ばれた石で作られています。
アルカサールの前にあった旧大聖堂は、ファン・ブラボーが参戦した「コムネロスの反乱」で王室軍により徹底的に破壊されてしまったのでしたね。
今ではクラウストロの石だけがかつての大聖堂の面影が伝える唯一の場所となっています。 -
クラウストロの四隅にあった礼拝堂はどれも美しい装飾で飾られていました。その中でも特に目を惹いたのが・・・
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こちらの礼拝堂の見事な装飾。スペインルネサンス期の彫刻家ヴァスコ・デ・ラ・サルサVasco de la Zarzaの1529年の制作です。
素晴らしいとしか表現できないこの装飾はプラテレスコ様式と呼ばれています。16世紀のスペインの建築様式で、銀器類(スペイン語で銀はプラタ)の紋様を思い起こさせる精巧な浮彫が特徴です。
彼の代表作はアヴィラの大聖堂なので、明日も会えますよ。 -
上の写真の左側の壁にあったフレスコです。そんなに古いものではなさそう。馬に乗った人達が見えますが、解説がないので分からない・・・
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イチオシ
やや大きめの格子が入った連続するアーチと中庭。中央にはやはり井戸がありますね。きちんと三角形に刈られた背の低い植木が周りを囲んでいました。
はぁ~ ため息! よくぞ破壊を免れましたね。
このクラウストロはスペインの中世建築を代表作の一つとして大変貴重です。 -
それにしても人が見当たらず静かで落ち着く場所でした。突き当りにも、聖母子の石像のある礼拝堂が見えています。素朴な趣のあるあの石像も旧大聖堂から運ばれたのかしら?
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大聖堂内部からクラウストロへと通じる扉の装飾もスペイン風。アラブの影響を強く感じますね。それにしても細工が細かい!
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さあ、礼拝堂巡り後半戦突入です。
まずはサンチャゴの礼拝堂から。サンチャゴとは、ご存知聖ヤコブのこと。礼拝堂は16世紀末にファン・デ・サラマンカによって作られた優雅な飾り鉄格子で閉ざされています。
こちらは礼拝堂正面を飾る聖母子の祭壇画です。この黄金で着飾った聖母子像はイタリアでも見たような気がします。着せ替え人形のようでイマイチ。 -
主祭壇はこちら。礼拝堂のパトロンDon Francisco Gutiérrez de Cuéllar(長い!)はナイトの称号を持つサンチャゴ修道会の司令官で、フェリペ2世の上級会計士でもありました。
祭壇は1591年、ペドロ・デ・ボルデケが制作したもので、聖ヤコブの遺体がサンチャゴ・デ・コンポステーラで発見されるまでの物語が絵とレリーフで綴られています。
中央の聖ヤコブは旅姿。帽子を被りマントを着こんで、右手に巡礼の杖、左手に本。背中は見えませんが、スペインではホタテガイのついた背嚢のようなものをしょった姿を多く見かけました。
貴方にお目にかかるために、これからサンチャゴ・デ・コンポステーラを目指しますよ。道中お見守り下さいね。 -
ヴォールトは白地に繊細な花の模様が描かれ、まるで陶器のような風合いでした。
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こちらはサンタ・バルバラの礼拝堂です。
サンタ・バルバラは塔の中のラプンツェルのモデルではないかと思われる聖人です。父によって塔の最上階に幽閉され、その生活の中で神への信仰に目覚め、信仰を阻止しようとした父が手をかけると、岩が爆発して裂けたという伝説が残っています。このことから彼女は危険な作業をする建築家、石工、砲手、消防士、鉱夫、そしてなんと囚人! の守護聖人となっています。
ネオクラシカル様式のバルバラの石像はペドロ・デ・ブリスエラの作品(17世紀)。旧大聖堂から運ばれた古い聖水盤があったそうですが、見逃したようです。 -
横たわるキリストの礼拝堂です。バロック様式の主祭壇は、キリストの受難のシークエンスで満たされています。上段には磔図。下段には十字架降下。左右の天使達はそれぞれ茨の冠、ヴェロニカの聖顔布を携えています。絵画は17世紀半ばころに描かれたものです。
豪華な金の柱と絵画がマッチしないと思うのは私だけかしら? -
この礼拝堂のハイライトはこちら。彫刻家グレゴリオ・フェルナンデスが1628年から31年にかけて、この死にかけているイエスの姿を作り出しました。
あんまり痛ましくて、見ていられないというのが実情。普段は磔図すら撮らないことが多いのに、今回はどうしたんでしょう? -
先ほど、私が勝手に「陶器」と表現した天井はこの礼拝堂にも施されていました。好き嫌いはあると思いますが、天井の装飾はこの大聖堂の見どころの一つだと思いました。
壁と天井、全てこの装飾で覆われたら、しかもそこに置かれているのが出来上がったばかりの2枚上の金ぴかの祭壇だとしたら、くど過ぎですね。少々傷んでいますが、今の方がずっと良いわ。 -
南側最後のサン・ブラスに捧げる礼拝堂です。日本語ではブラシウスと呼ぶ聖人です。3世紀から4世紀にかけてのアルメニアの司教だった人で、クロアチア ドブロブニクの守護聖人となっています。
解説に「大聖堂で最も控えめな祭壇」と書いてあったのでびっくり! これで一番地味ですか??? 中央のサン・ブラスの彫像以外は、彼の生涯の物語からの場面を描いた絵画です。奇跡の場面、殉教の場面などが見えますね。 -
こちらの礼拝堂を覆う鉄格子のデザインに惹かれましたよ。ここにも先ほど見たプラテレスコ(銀器類の紋様を彷彿させる)様式が取り入れられています。こちらは16世紀の作品だそう。
サン・ブラス礼拝堂の脇に大聖堂の塔への通路がありました。塔に上るには別に入場料がかかります。 -
ここはクワイアの裏側、通常レトロクワイア と呼ばれている祭壇です。祭壇背後部と訳されるようですが、クワイアの裏側の方が分かりやすいですね。
今カウンターファサードに立っています。今まで訪れた教会の殆どは、この場所から主祭壇を眺めることができましたが、スペインの大聖堂は中央部分にクワイアがあることが多く、カウンターファサードから主祭壇までを見通すことはできません。
この祭壇はかつてリオフリオ宮殿(註:セゴヴィアの南西部にある王宮)の礼拝堂のために建造されたもので、カルロス3世が大聖堂のクワイアに重厚さを加えるために寄贈したのだそうです(1782年)。建築家のフアン・デ・ヴィリャヌエヴァ(マドリッドのマヨール広場の設計者。昨日行きました。)がその後手を加えて、古典的なバロックにネオクラシカルをミックスしたスタイルで完成させました(1792年)。 -
で、反対側がこの扉。とっても小さいのですが、これがファサードの中央扉でした。大聖堂の中央ポータルの割には小さいなあ・・・
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こちらが表から見た中央扉です。大変シンプルなところが気に入りました。
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正面ファサードの前に出れるようになっていたのに、なあにこの写真? しかもこれ1枚だけって信じられません。何を考えているのでしょう??? 折角のファサードを写すんなら、もう少し下がって撮らないとね。かろうじて塔が全部入っていますが、扉は欠けています。(´・ω・`)
向かって一番左側の扉が開けっ放しになっていました。大聖堂に最初に入った時に撮った写真にも写っていた扉です。 -
さて気を取り直してと。最後の北側側廊には著名な礼拝堂がありますよ。
まずはこちらの「受胎」の礼拝堂です。素晴らしい!
1枚上の写真のファサードにある開け放たれている扉「許しの扉」のすぐ脇に1531年に建造されました。解説には、スペインの教会が、無原罪の教義を防御するために具現化した礼拝堂と書かれていましたが、難しいカトリックの教義はわかりませんので省略。
祭壇上のフレスコにはマリアの生涯からの物語が綴られていました。 -
中央のマリア像(フェリペ4世に仕えた彫刻家Antonio de Herrera Barnuevoの作品 1621年)以外に壁に6枚の絵画が飾られていますが、フランドル出身でスルバランの後継者とされていたグナシオ・リエスによる絵画です(1635年)。左側が「聖母戴冠」右側が「羊飼いの礼拝」。
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祭壇に向かって左側の壁です。
こちらには「キリストの洗礼」と「生命の木」。
この「生命の木」はとてもユニーク。初めて見る構図です。地上の喜びも死もあっけなくやって来るということを暗示しているのだそうですよ。 -
祭壇に向かって右側の壁です。
左側が「聖パウロの改宗」ローマで見たカラバッジョの同名の絵が頭をよぎりました。ご存知でしょうが、パウロ(スペイン語ではパブロ)は初めキリスト教徒を弾圧する立場の指揮官だったんです。
右側はややお年を召したダヴィデ王。美しく若いダヴィデ以外はあまり見たことがありませんでしたよ(笑)。 -
ここでもリブヴォールトの天井を載せておきましょう。この中では特にお日様とお月様のペアがお気に入りです。
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サン・グレゴリオ(グレゴリウス1世)礼拝堂です。奥にかかっている布は、かつてここにあったステンドグラスを意味しているのかしら?
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それなら、こちらを置いた方がよろしいのではないでしょうかねえ?
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祭壇もご覧の通り、大聖堂のフロアーマップに邪魔されて、見るなと言われているようです。そうそう、このフロアーマップがとても役に立ちました。今は左下から二番目の礼拝堂にいますよ。
もうこれ以上装飾できないという限界に挑んだかのような祭壇ですねえ。ヴァリェホ・ヴィヴァンコの作で、ねじれのある「ソロモンの柱」が祭壇を三等分しています。絵は暗すぎて良く見えませんでしたが、教皇グレゴリーウス1世によるミサ、サン・ミゲル(大天使ミカエル)などがテーマだそうです。 -
三番手はサン・コズマとダミアン礼拝堂。医者と薬剤師の双子の聖人で、私は馬鹿の一つ覚えのようにメディチ家の守護聖人であったことを思い出します。メディチ=メディコ=医者という苗字絡みで守護聖人になったという話が印象的だったからだと思います。深いわけがあるわけではなく、結構単純な理由で守護聖人とするケースが多いですね。
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祭壇は1631年に建築家ドミンゴ・フェルナンデスが完成させたもので、三層からなり、双子の聖人の上には「無原罪の御宿り」のマリア、最上層には「十字架降下」のキリストの姿があります。左右のキャンバスには聖人像が描かれていました。
今見たら、最下段のプレデッラにはコズマとダミアンにちなむ物語が浮き彫りになっているのを発見。医学には付き物のヘビの姿もありました。 -
サン・アンデレス(使徒アンデレ)の礼拝堂です。
礼拝堂内に「十字架降下」のトリプテックがあったのですが、ボケボケです。何度も撮り直しているのですが失敗でした。へたっぴ。
フランドルの画家アンブロジウス・ベンソンの1530年の作品で、彼のマスターピースと言われています。セゴヴィアのサン・ミゲル教会からこちらに運ばれて来たものです。中央には十字架から下されるキリスト、左右には大天使ミカエル、パドヴァのサン・アントニオが描かれています。 -
イチオシ
祭壇はこちら。やはり三層構造で、彫像は全て木彫り。石とは違った温もりが感じられますね。
中央には最上段にキリストの磔。その下がアンデレの磔。最下段にもX十字を持ったアンデレの姿があります。周りを囲む聖人はサン・ペドロ(ペトロ)、サン・パブロ(パウロ)、サン・ルーカス(福音記者ルカ)、サン・ファン(福音記者ヨハネ)です。
あ~あ、名前が面倒くさいですねえ。 -
最後の礼拝堂は慈悲の礼拝堂です。ピエタ、あるいは聖葬の礼拝堂としても知られています。
ここで圧倒的な勢いで迫ってくるのは、こちらの祭壇。16世紀の彫刻家ファン・デ・フニの傑作「聖葬」です。1571年。中央にいる人物たちの描写はもちろんですが、左右の兵士たちの表情と仕草が心憎いです。
スペインでは死した寝棺のイエスを「サント・エンテイエロ」として、特に崇める傾向があるようです。セマナ・サンタ(聖週間)のお祭りの際にはパレードにも登場します。今日だけでもいくつも見ましたが、正直なところ、私はあまりお祭りではお会いしたくない姿です。
ファン・デ・フニは他にもキリストの「サント・エンテイエロ」場面を制作しており、彼の「キリストの埋葬」という傑作はヴァリャドリッドの国立博物館で見ることが出来ます。 -
この他、礼拝堂内には「キリストの受難」を描いた8枚の絵がずらりと壁を埋めていました。ファンとフランシスコのソリス父子による、17世紀から半ばにかけての作品です。8枚の中で私の最も好きな「我に触れるなノリ・メ・タンゲレ」だけ紹介しますね。
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たっぷり1時間かかりました。スペインの教会のイントロダクションとしては見どころ満載でした。以前アンダルシアに行っていくつも廻った大聖堂で一体何を見て来たんでしょうね? いった記憶はありますが、見た記憶がありません。やれやれ。
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朝より少し天気が良くなっていましたが、相変わらず寒い。お昼の1時過ぎだというのに、レストランのテラス席に誰も座っていないなんて、考えられないでしょう。本当にこの日は寒かったんですよ。
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物凄く長くなってしまいましたので、この辺でインターミッション。この続きはな~んちゃって、コンポステーラへの道 その4セゴヴィア(2)で。
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この旅行記へのコメント (3)
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- マリアンヌさん 2020/06/25 15:58:54
- サン・マルティン教会
- junemayさん 再び。
だいぶ前に急ぎ足で拝見し、再訪させていただいています。
セゴヴィアは行ったことがないのですが、ロマネスク教会が残っているんですね。
サン・ミリャン教会は残念でしたが、サン・マルティン教会に入れて良かったですね。
ポルティコのあるアトリウムがあるなんて雰囲気ありますね~。
でも内陣はすっかりバロックになっちゃってたのには、ロマネスクファンとしては、少し残念でした。
スグラッフィートの館も結構残っているのですね。
イタリアにはあんまり残ってなくて、チェコで素晴らしいものを見て驚きましたが…
大聖堂は、さすがカトリックの国、壮大ですね。トレドやブルゴスもただただ大きさに圧倒された記憶があります。
いつもながらjunemayさんの詳細な解説に感心するばかりです。
ではまたまた。
マリアンヌ
-
- kummingさん 2019/07/04 19:49:06
- はじめまして♪
- junemayさん、初めて投稿させて頂きます^ ^
ブログのあまりの濃密さ、情報量に圧倒されています(°_°)
とりいそぎ一回目は1時間半程で駆け足での訪問(笑)
2巡目でもう一度じっくり拝見させてもらいますね!
更にゼゴビア2も控えているという…
殆ど初めて聞き知る知識ばかりで、理解するのは殆ど不可能かと…
でも、とっても興味深く拝見させて頂いてます♪
さて、junemayさんのその豊富な知識の源は何処に?
- junemayさん からの返信 2019/07/05 01:03:57
- RE: はじめまして♪
- kummingさん
初めまして。junemayです。
つたない旅行記に訪問、そして「いいね」をいただき、ありがとうございます。遅筆であることに加え、5月から6月にかけての恒例となった欧州行きで、ドイツ、フランス、ベルギー、オランダと回ってきたので、すっかり旅行記の更新が遅れてしまいました。今回のスペインの旅は書き出しは2年遅れだったのですが、今や3年遅れに突入し、先が見えない状態です。
私自身に知識があるわけではなく、書くにあたってインターネットで調べたことが旅行記のベースになっています。旅行中に感じた疑問を解消し、好奇心を満たして、自分自身を納得させるために書いているように思います。ですから実際のところは大変薄っぺらな内容なんです。お恥ずかしい次第です。
旅を計画して楽し、行って楽し、書いて楽しを実践しております。優先させるのはやはり行って楽し ですよね。でも書いて楽しも諦めずに頑張って続けていきますので、お時間があるときに又お寄りくださいね。Kummingさんのバルセロナ他も楽しく拝見しています。
junemay
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