2018/09/17 - 2018/09/17
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ドクターキムルさん
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横浜市南区清水ヶ丘にある常清寺は日蓮宗のお寺で栄玉山常清寺という。延宝4年(1676年)に、身延山久遠寺第31世一円院日脱上人を開山として、吉田勘兵衛良信翁(法名日凉)が開基となり、新田守護のため吉田新田(長者町八丁目(元八丁縄手))に創建したという。本尊は釈迦・多寶・十界曼荼羅及び日蓮上人である。
なお、横浜市中区長者町の飲食店街「清正公通り」の名前の由来は、近くに熊本の領主であった加藤清正公を祀った社があったことに因む。そして、昭和51年(1976年)に「清正公通り」と名付けられている。
開基の吉田勘兵衛良信(慶長16年(1611年)~貞享3年(1686年))は摂津国能勢(現大阪府豊能郡能勢町)に生まれ、寛永11年(1634年)に江戸に出、間もなく日本橋本材木町に店を構えて木材と石材の商売を始めた。それが成功して大富豪となった。
明暦2年(1656年)、横浜の入海(関内周辺)の干拓工事に着手し、寛文7年(1667年)吉田新田の干拓は完成した。総面積116町4反、その内訳は水田94町1反、畑地20町3反寺地宅地2町歩で金額は8,038両を費やしたという。
また、寛文13年(1673年)に新田七つ目(山王町)に山王権現(現在のお三の宮日枝神社 )も創設している。
横浜の下町では横浜大空襲があり、戦後は米軍占領地となった。そんな中、横浜大空襲で伽藍が焼失した常清寺は昭和27年(1952年)に寺の墓地があった久保山墓地周辺に移って来た。しかし、久保山墓地周辺に移って来た寺では最後だったので、場所は寺の墓地から離れた場所しかなかったのだという。
日蓮聖人700遠忌記念として昭和44年(1969年)に現在の本堂を再建した。
平成6年(1994年)に、立教開宗750年を記念して本堂を増築、庫裡を改修している。
(表紙写真は常清寺本堂)
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