2018/07/03 - 2018/07/03
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かっちんさん
「江別のれんが」生産は、明治24年(1891)に始まったと言われています。
大正に入ると原料となる粘土層が多い土壌の野幌(のっぽろ)地区に、全道各地に散在していた工場が相次いで進出し、昭和33年(1958)には15~16社の「れんが工場」が立ち並ぶほどでした。
燃料には石炭が使われ、炭鉱鉄道「夕張鉄道」で野幌駅まで運ばれました。
れんがの生産の歴史は、産業として市民生活を支えたほか、文化的にも大きな影響を与えました。
江別産れんがは全国に流通しており、また市内には、学校、サイロ、民家、倉庫など、数多くの「れんが建造物」が現存しています。
このれんがを街づくりに活かそうとする活動や建造物の保存などの取り組み等から、「江別のれんが」は平成16年(2004)に「北海道遺産」に認定されました。
江別市セラミックアートセンターは、陶芸作品と「れんが資料展示室」、陶芸教室の工房などがあります。
「れんが資料展示室」には、耐火れんがや赤れんがの展示、道内の生産地とれんが工場、れんがを製造する窯の変遷、れんが建築等、れんがに関わる歴史を知ることができます。
そして、江別市生まれの彫刻家「原田ミドー」の代表作「風の門」は、取り壊されようとしていたレンガ建物から塊を取り出しつくりあげました。
この作品は、平成13年(2001)に江別市セラミックアートセンターの中庭に設置されました。
今日は江別市セラミックアートセンターを訪れ、「江別のれんが」を勉強します。
なお、旅行記は下記資料を参考にしました。
・社団法人日本鉄道技術協会JREA「デンマーク鉄道との姉妹鉄道提携によるデザイン交流」2006.11
・江別市「セラミックアートセンター」「北海道遺産、江別のれんが」
・札幌観光協会「江別市セラミックアートセンター」
・厚別区役所「彫刻家 原田ミドー~人とのつながりを生むイベントを」
・北海道開発局札幌開発建設部「日本一のれんが生産地・野幌」
・日本盲人会連合「点字ブロックについて」
・アルディ「蓄熱式電気暖房器 取扱・設置説明書」
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
夏の街路樹
札幌駅前のシナノキに実がなっています。 -
赤い駅名標
札幌から岩見沢行き普通電車に乗り、野幌(のっぽろ)で降ります。 -
イチオシ
赤いタイル壁の改札口(野幌駅)
ベンチも赤く、何かコンセプトがありそうです。
調べてみると、平成2年(1990)からJR北海道と提携関係にあったデンマーク鉄道(DSB)とデザインを共同制作し、改札口やホームの柱などが赤色で統一されました。
デンマークと北海道が気候風土や社会環境がよく似ていること、JR北海道とDSBが鉄道営業キロ数、駅数、社員数等において類似していること等から提携した経緯があります。
DSBのデザインは「自然との調和」、「環境との調和」、「デザインの統合性」をコンセプトにしています。 -
のっちゃり(野幌駅高架下)
「のっちゃり」とは、野幌駅を使って通勤・通学する人を対象にした、サイクルシェアリングのことです。
一般会員が自宅~野幌駅間を、情報大学会員が野幌駅~大学間を共有自転車で往来できます。
平成30年は4/1~11/30。1シーズンの利用料金が3,000円。
50台の共有自転車を、朝と夜に一般会員が利用し、昼間の時間帯に情報大学会員が利用し、効率よく使いまわしています。 -
野幌周辺の地図
「江別市セラミックアートセンター」は、野幌運動公園の手前にあります。
野幌駅から3.6km程離れているので、路線バスで行くことにします。 -
JR北海道バス
野幌駅南口から野幌運動公園行きに乗ります。 -
セラミックアートセンター前
野幌駅から9分で到着、ここでバスを降ります。 -
紅色のハマナス
この辺りは野幌森林公園の端に位置します。 -
江別市セラミックアートセンター
れんが造りの建物に望楼が建っています。 -
れんがのオブジェ(前庭)
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中庭から眺める望楼
4階に上ると、野幌原始林、夕張山地、美原大橋、恵庭岳、樽前山などを360度眺望できます。 -
れんがの城壁(中庭)
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イチオシ
緑の芝生に立つ「風の門」
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イチオシ
原田ミドー氏製作「風の門」
2001年の野外彫刻作品です。
人間の足のような力強い門柱。
この門を爽やかな風が通り抜けています。 -
れんが資料展示室
では、セラミックアートセンターに入り、れんが資料展示室を見学します。 -
北海道のれんが工場
道内で最初に造られたのは「耐火れんが」。でも生産量からみて主流は「赤れんが」。
「赤れんが」の主な生産地は、最初は函館付近、やがて札幌付近に移り、さらに明治31年頃から江別地域中心に変わっていきます。
これとは別に、旭川地域や道内鉄道の新線計画に伴い、いくつかのれんが工場が設置されましたが、長続きしませんでした。 -
野幌地区に集中するれんが工場
どれも江別のれんがです。(数字は地図上に示したれんが工場の番号)
廃絶した工場の創立時期は、明治年代の32・33、大正年代の34・35、昭和年代の36。
現存している工場は、大正年代創立の37丸ニ北海煉瓦、昭和年代創立の38昭和窯業・39米澤煉瓦など。 -
監獄で製造された「普通れんが」
十勝分監、空知集治監、網走刑務所、樺戸集治監等に、れんが製造工場がありました。 -
赤れんがの刻印
刻印は明治年代のいくつかの工場製のものに見られ、特に監獄の付属れんが工場に多いです。
刻印は木製の印を、生乾きの時に打ち込んだもので、ほとんどが平面にみられます。
刻印には、工場名、製造年、月または象徴的文様などを表現したほか、平仮名や数字の一部、その他意味不明のものもあり。
象徴的文様の「桜の花びら」は十勝監獄、数字は空知分監、平仮名は樺戸集治監にみられます。 -
イチオシ
絵心のある囚人のれんが(複製)
樺戸集治監煉瓦工場で、シッペ作業の囚人の絵と文が釘書きされています。
「オアツイ-土し○国家ノタメダ 儒○○○」・・・ -
イチオシ
両登り窯の風景(ジオラマ)
両登り窯を中心とした抜屋(ぬきや)などの建物(右奥)、れんが素地(しらじ)の干場(左手前)、製品の集積状態(手前中央)、製品を運搬する蒸気機関車や貨車などが再現されています。
登り窯には「両登り窯」と「片登り窯」があり、前者は効率よく使えるのですが規模が大きくなるため、設備や運営費が多くかかりました。
一般的な登り窯は山の斜面につくる「片登り窯」ですが、広い平地につくる「両登り窯」は北海道特有のもののようです。
燃料は当初薪(まき)でしたが、大正に入ると石炭に変わっていきます。 -
石炭窯(角窯)の構造
登り窯の時代が終わり、石炭窯に変わります。
野幌にある米澤煉瓦(株)では、石炭焚きの角窯が昭和22年(1947)に設置され、昭和40年代まで焼成していました。
石炭窯は、平面が方形の窯で、窯の両側に設けられた焚口から炎が昇炎壁と焼成室との隙間から噴き上がって天井にぶつかり、製品の間を下降して吸炎孔へ吸い込まれ床下の煙道から煙突へ抜ける構造です。 -
米澤煉瓦(株)の角窯煙道
平成17年(2005)に倉庫改築工事の際に、地下から角窯の焼成室と煙道が発見されました。
これらを復元したものです。 -
「れんが抜き枠」と「シッペ板」(道具)
生れんがを「れんが抜き枠」を使って手抜きし、「シッペ板」で整形します。 -
煙突用土管
明日萌駅の石炭ストーブの煙突に土管が使われていました。 -
土管型枠
-
輪環窯時代
輪環窯(りんかんがま)は、れんが専用の窯で、ドイツ人のホフマンが発明し、正式にはホフマン式輪環窯と呼ばれました。
大正4年(1915)野幌の館脇(たてわき)工場で使われたのが最初で、昭和年代に入ると、ほとんどが輪環窯になりました。
れんが生産には最も効率の良い構造で、一度火入れが始まると、繰り返しれんがを生産することができました。 -
輪環窯(ジオラマ)
上から見ると楕円形(まれに円形)で、大きさは長軸が約40m、短軸が約10m、高さが約3m、また、煙突の高さは約30mもあり、真ん中もしくは側方に建っていました。
この窯の全盛期は昭和30年代前半までで、次第にトンネル窯に変わっていきます。
原因は、燃料の石炭からでる煙が公害問題になったからです。
そして、昭和47年には輪環窯は全くその姿を見ることができなくなりました。 -
焼成されたれんがの積み出し風景(ジオラマ)
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燃料の投炭風景(ジオラマ)
窯上部投炭孔から粉炭を投入して燃やし、れんがを焼成します。 -
栃木県のホフマン式煉瓦窯
2016年7月26日に煉瓦窯を見学した旅行記があるので、ぜひ参考にしてください。
旧下野煉化製造会社煉瓦窯(通称、野木煉瓦窯)はホフマン式の煉瓦窯で、明治23年(1890)から昭和46年(1971)までの間に多くの赤煉瓦を生産し、日本の近代化に貢献しました。
旅行記
「野木町のひまわりフェスティバルと煉瓦窯(栃木)」
https://4travel.jp/travelogue/11167026 -
れんがタイル
ここからは最近の れんが製品を紹介。
壁に「れんがタイル」を貼り付ければ、れんが造りの建物そっくりになります。 -
敷きれんが
庭に敷くとお洒落。 -
点字敷きれんが
点字ブロックですね。
線が並んだものは進行方向を示す誘導ブロック、点が並んだものは危険個所を示す「警告ブロック」です。 -
セラミックブロック
れんがや土管など天然原料を粉砕処理し、若干の加工を施し、窯で処理してつくられるものを「オールドセラミックス」と呼びます。 -
蓄熱れんが
蓄熱式電気暖房器というものがあり、低価格の夜間電力を使ってヒーターで蓄熱れんがに熱を加え、昼間にこの熱を少しずつ取り出して暖房にします。 -
ミニチュアストーブ
-
れんがの積み方
イギリス式、フランス式がありますね。 -
れんが建築
北海道で最初の本格的な れんが建築は、明治8年(1875)に建設された「旧開拓使函館常備倉」で、老朽化のため昭和45年(1970)に解体されました。
その後、函館、札幌、小樽、旭川などに次々と れんが建築物が造られました。
雪の北海道では、れんがの利点が評価されたためと考えられます。 -
現存する主要れんが建築物-その1
実際に訪れたところもあるので紹介します。 -
北海道道庁旧本庁舎(札幌市)
1888年建造、国指定重要文化財。 -
旧サッポロビール麦芽工場(札幌市)
1889年建造。
昨晩、生ビールとジンギスカン食べ放題でお世話になったところです。 -
旧手宮機関車庫(小樽市)
1885年建造、鉄道記念物指定。
SLも残され別世界に来た感じがします。 -
現存する主要れんが建築物-その2
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三井金物店(帯広市)
1912年建造。
帯広には数多くの歴史的建造物があります。 -
現存する主要れんが建築物-その3
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北海道炭礦鉄道(株)旧幌内鉄道岩見沢工場(岩見沢市)
1896年建造。
現在はJR北海道の岩見沢レールセンターになっています。 -
調湿機能タイル
ここから新技術で開発されたれんが。
「呼吸するセラミックス」は結露、カビ対策などの建材として利用されています。 -
OREXセラミックタイル
宇宙から軌道再突入実験機の機体保護に使われたタイル。
耐熱温度は1,200℃~1,400℃。 -
れんがのアート壁
セラミックアートセンターで「江別のれんが」に関わる歴史を学びました。
道内には れんが建築が数多く残されているので、別の機会に訪れたいと思います。
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