2018/08/09 - 2018/08/12
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East of Edenさん
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夏休みの研究課題、ルネッサンスとは何か、を考える旅。
ウフィツィ美術館の後、フィレンツェのサンマルコ寺院、捨て子養育院美術館、サンタマリアノヴェッラ教会、そして、アカデミア美術館へ。
ルネッサンスの背景にあったメディチ家の人々の心の葛藤を考えてみた。
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ウフィツィ美術館の後はサンマルコ寺院へ。予約したんだけど、特に必要なかったね。
キリスト教ドミニカ派の修道院。
午後早い時間にしまってしまうので、予定に組み入れるのがちょっと大変だった。 -
フラ・アンジェリコの受胎告知。階段を上がった良い場所にある。
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そして、目的のコジモ・メディチ(Cosimo Il Vecchio)の礼拝堂へ。このサンマルコ寺院はコジモの資金により再建されている。コジモはここに自分の礼拝堂を作った。
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入り口には、ローマ法王ユージニウス4世により、コジモのサンマルコ寺院への貢献により、コジモは罪から永遠に救われた、と書いてあるらしい。一番下は、Foreverなんだろう。
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一つ目は、修道士と同じような部屋。
メディチ銀行を立ち上げたコジモは生涯、金貸しであることの罪の意識と地獄の恐怖に悩まされていた。
旧約聖書(従って、キリスト教だけでなく、ユダヤ教、イスラム教も)利息で儲けることは罪であった。お金は汗水たらして働いて稼ぐものであり、利息は、何も働いていないでもらうものであるから、神の意志に反すると。
この時代は、期限の利益、資産が利益を生み出す、という考え方は無く、労働のみが利益を生み出す、と考えていたのだ。今だったら、金融業、賃貸業、不動産投資、みんな罪だね。
今でも、イスラム教の支配する国では確かローンが無かったと思う。
コジモはこの礼拝堂で、金貸しの落ちる地獄、ダンテのインフェルノの7番目の地獄、に落ちることの無いように、祈っていたらしい。 -
コジモの礼拝堂にはもう一つ部屋がある。。
階段を上がると、The Adoration of the Magiのフレスコ。フラアンジェリコの弟子よるもの。 -
三人の賢者の一人がコジモだということなのだが、どれかわからん。あの特徴のある△の大きい鼻が見つからない。
自らの信仰の深さを示し、神を称える画を書いてもらうことで、天国に行けると信じていたそうだ(BBC The Medici Makers of the Modern Art)。
これは免罪符、すなわち、お金を払って免罪符を買うことで、天国に行ける、という考え方につながっているのだろう。
メディチ家から出た最初のローマ法王レオ10世は、ウルビーノの戦いでかかった負債を、免罪符を売ることによって支払った。そして、これは、マーティン・ルターを筆頭とするドイツを拠点とする改革派の反発を買い、ローマの人々の虐殺(Sack of Roma)につながる。 -
コジモだけではない。孫の、ルネッサンス芸術の守護神ともいえる、ロレンゾ・ディ・メディチ(il Magnifico)だって、最後は、死ぬ間際に、神に許しを請うことになる。地獄の恐怖から逃れることはできなかったのだろうか。
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コジモの礼拝堂を出て、今度は、サヴォナローラの礼拝堂へ。このサンマルコ寺院はドミニカ派の教会で、サヴォナローラはその中でも過激であったらしい。
PBSドキュメンタリーThe Medici, The Godfathers of Renaissanceでは、サヴォナローラは、自らを傷つけ修行をする僧侶として登場する。ダヴィンチコードで、ニューヨークの修行僧が自分で自分の体に傷をつけて修行する場面があったと思うけど、あんな感じ。 -
コジモの孫のロレンゾ・ディ・メディチ(Lorenzo, Il Magnifico)は、ルネッサンス・アートの最大の理解者の一人かもしれない。彼は、キリスト教の偏狭な価値観ではなく、多神教的な価値観から、すなわち、ギリシャ・ローマの自由な価値観から、芸術をサポートした。この結果、さらに自由な発想や表現が見られるようになった。有名どころでは、ボティッチェリ、ミケランジェロ、レオナルド・ダヴィンチが出てきたわけだ。彼は、気さくな性格で、オープンドア・ポリシーで人々を招き入れ、パーティーを開いて交流していたようだ(PBSドキュメンタリーThe Medici The Godfather of Renaissanceより)。
これをよく思わないのが、サヴォナローラを始めとするドミニカ派の原理主義者。
サヴォナローラは、ロレンゾの推し進める多神教的な価値観、ギリシャ・ローマの自由な価値観が、退廃・腐敗したものであり、神の意志に反するものであり、キリスト教の原点に戻るべきである、と人々を宣教する。そう、サヴォナローラはルネッサンスの最大の敵であったのだ。
しかしながら、ロレンゾはサヴォナローラを敵として排除するのではなく、何かとサヴォナローラに相談する。ロレンゾが死ぬ間際、サヴォナローラを呼び、罪が許されるかを尋ねる。それに対してサヴォナローラは、あなたの罪が許されることはない、あなたは永遠の地獄に行くと返答する。
ロレンゾの死後、サヴォナローラはフィレンツェ共和国に大きな影響を与える。ルネッサンスの自由な価値観から、厳格なキリスト教価値観への回帰。売春婦や同性愛者は罰せられる。贅沢品やキリスト教の価値観に反する芸術作品をピアッザ・シニョリアに集めさせ、燃やしてしまう。これが有名なBonfire of the Vanity。ボティッチェリも参加し、多くの芸術作品が燃やされてしまった。(ボティッチェリは宗教に回帰してしまう)
何がロレンゾそしてボティッチェリを変えてしまったのだろうか?やはり永遠の地獄(Eternal Damnation)の恐怖なのだろうか?それとも、フリだけだったのか? -
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サヴォナローラは、同じく、退廃・腐敗したローマ法王の支配についても批判し、ついにはローマ法王から破門されてしまう。サヴォナローラを排除すべきだという人も増え、ついに彼は宗教裁判にかけられる。ピアッザ・シニョリアで火あぶりにして、生き延びたら神性があるので無罪、死んだら有罪というバカバカしく残虐なもの。この裁判は中断されたが、その直後、教会と市の決定で、サヴォナローラとその兄弟はともに、張り付け、火あぶりにされてしまう。
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サヴォナローラの張り付け、火あぶりの処刑の画 神はサヴォナローラを見放した。サヴォナローラは信じていたのかね?神に救い出せれると。。
サヴォナローラの遺品もある。 -
今でもサヴォナローラ支持する人たちがいるらしい。そして、ルネッサンス芸術を破壊したBonfire of the Vanityを支持する人たちも。あれから500年以上たっているのに。
イスラム教からタリバン、アルカイダ、ISIS、ボコハラムが出てきたように、キリスト教からも原理主義過激派が出てくるのかもしれない。アメリカの共和党支持者、ヤバそうなやつがいっぱいいるし。神を信じれば平気で人を殺せ、世界を破壊できる人々。我々の世界が中世世界に戻る可能性もあるんだろう。 -
次は、Ospedale degli Innocenti(捨て子養育院)。予定にはいってなかったんだけど、ちょっと覗いたら、入口に入ったら、訪問客が誰もいなくて、受付の人にやさしく挨拶されて、やっぱりやめたって出ていきにくくなってしまった。でも、来てよかった。
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建物はDuomoのコッポーラを作ったブルネレスキの設計。。
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赤ちゃんの多くは、ご主人が家政婦さんに手を出してしまってできちゃった子らしい。
それまでは、要らない赤ちゃんは、道端に捨てられたり、とか、ゴミに出されたりとか、ひどい扱いを受けたらしいが。。。
無力赤ちゃんには、どうすることもできない。苦しんで死んで行くだけ。。
孤児院ができたおかげで。。。
最初にここに捨てられた赤ちゃんは、1445年の2月。フィレンツェの寒い冬に、道端に捨てられずよかった。 -
でも、めでたしめでたしとは行かなかったらしい。
捨てられる子供が多すぎで、施設は定員オーバー。この結果、多くの子供がここで死んで行ったそうだ。 -
対策として、スタッフが自宅で育児して、里親を探す。
スタッフは、捨て子に自らの母乳を与えた。これがWet Nursing。20世紀に赤ちゃん用の粉ミルクができるまでは、誰かに母乳をもらわない限り、赤ちゃんは生きられなかった。 -
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ここには引き取った子供の名前その他情報が記されている。
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この棚には子供を捨てていった親が子供と一緒に置いて行ったもの。
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子供が好きだった物なんだろう。
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捨てられた子供がちょっと大きくなって、お母さんの残してくれたものを見て、見たことのないお母さんを思ったんだろうね。
悲しい。。。 -
母親は、強い罪の意識はあったのかもね。生涯ダンテの言う地獄に落ちるという恐怖と一生戦ったのだろうか。
父親は、産んだという意識が少ないので、自分の問題ではないと思っていたのか? -
ここには美術館もあり。。
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これはボティッチェリのマドンナと子、そして2人の天使。これはボティッチェリが若いころの作品。フィリッポ・リッピの弟子として、フィリッポ・リッピに学び、この画は、有名なウフィツィ美術館の同じタイトルのフィリッポ・リッピの画をまねたものらしい。
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このマドンナの顔、リッピのマドンナ(愛人ルクレンザ)には遠く及ばない。エロくない。ボティッチェリは、リッピがルクレンザに抱いたエロい思いが無いんだからしょうがないけどね。
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赤ちゃんジーザスはかわいい。そして天使もかわいい。これはこの後、ボティッチェリが描き続ける天使の顔。ここから、彼のスタイルが出来ていったんだ、と考えると、ボティッチェリのファンとしては感慨深い。
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Andrea della Robbiaの作品でここのシンボルでもある。
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孤児院は増築されたが、ブルネレスキの設計した建物の天井が見える。
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ちょっとこわい。。何の目的でつくられたのか。。。
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その次は、サンタマリア・ノヴェッラ寺院。フィレンツェの駅のそば。
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この寺院の中の礼拝堂のフレスコが素晴らしい。
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最初は正面の一番大きい礼拝堂、Strozzi礼拝堂。Strozzi家は、メディチ家のライバル
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フレスコは、フィリッポ・リッピの息子フィリピ―ノ・リッピによるもの。
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色が鮮やかでバランスがよく、詳細が描かれている。フィリッポ・リッピの才能を受け継いでいるね。
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お父さんに比べて、アウトラインが太いんだろう。コントラストが強い気がする。フ
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レスコにすると映えるね。
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Gondi礼拝堂の、ジーザス。ブルネレスキ作。ブルネレスキとしてはめずらしい作品。ブルネレスキは、サンタクローチェにあるドナッテロのジーザスがあまりにもひどいので、自分で作った、と言われている。
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左奥にもう一つ、Strozzi家の礼拝堂、Cappella Strozzi di Mantova。
ダンテの神曲のインフェルノを最初に描いたと言われるフレスコがある。 -
真ん中が最後の審判。ここで左に行くか、右に行くかが決まる。
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右は地獄。暗いからちょっと怖いね。
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ダンテのインフェルノ一つ一つの場面を描いている。
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これは錬金術師の落ちる地獄
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偽善者の地獄 偽善者も地獄におちるのか。。。
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Geriorとあるのは、インフェルノ7番目の金貸しの落ちる地獄
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左がダンテの言う天国、
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パラダイス。
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これは、Tomoasso Strozziとその奥さんが天使に手を取られて天国に迎えられる場面。
Strozziご夫妻の、地獄への恐怖と、何とか天国に行きたいという強い願望が感じられる。
コジモ・ディ・メディチ(il Vecchio)のように、大金を払って、有名な画家に、自らの神への強い信仰を描いてもらうことで、罪から救済(Salvation)され、天国に行ける、と信じていたのだ(BBC The Medici Makers of the Modern Art) -
そとはCloisterになっていて
お墓がある。 -
ここにもきれいな壁画
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そしてこの日の最後、アカデミア美術館。18:00に予約。待ち時間は5分。
ここはダヴィデばかりが注目されるが、他にも素晴らしい芸術品がいくつもある。 -
サビーナスのレイプ、ピアッザ・デラ・シニョリアにあるものの本物。サビーナスをレイプしようとしている老人から若者が取り上げる場面。
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3人が組み重なりあっている。この立体感がすごい。そしてどの角度から見ても美しい。大理石を削ってこんなもの作ってしまうんだから。すごい技術。
この部屋の回りにルネッサンスを代表する絵がある。 -
ボティッチェリの初期の作品、マドンナと子。
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ちょっとエロい若いシングルマザー、できちゃった、でも、お父さんわかりませ~ん、みたいな感じ。
赤ちゃんはフィリッポ・リッピの描く赤ちゃんと同じ顔。ここから少しずつボティッチェリのスタイルが出来ていったんだろう。 -
フィリピ―ノ・リッピのデポジション。やっぱり色のバランスがいいね。そしてコントラストが強い。
この作品は、くるんくるん丸いものがおおい。曲線が目が行ってしまう。 -
Lo Scheggia のCassone Adimari。1420年当時のフィレンツェの結婚式の様子。
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暗くて写真が良く取れなかったので、Wikipediaから引用。豪華な結婚式。今のお金に換算したら、何億円もしたんだろう。
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メディチ家やStrozzi家の結婚式なんてこんな豪華なものだったんだろう。
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全くキリスト教を感じさせない作品。
ルネッサンスを代表していると思う。 -
これ不思議な絵。
Uccello
ウフィツィ美術館のボティッチェリの横にあるBattle of San Romanoと同じ画家 -
くらいんだけど、すごく良く描けている。
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Uccello。。すごい。。。
Uccelloは、次回のフィレンツェ旅行の予習リストに。。。 -
ダヴィデ像、本物初めて見た。遠くから見るといいね。
大きな大理石の塊から掘っていくんだからすごいね。 -
ダヴィデのプロジェクトは1400年代から始まっていた。旧約聖書のヒーローの背の高い像をフィレンツェのDuomoの教会に置くことを予定していた。
1460年代にドナッテロに依頼するはずだったが、ドナッテロは高齢のために、ドナッテロの弟子がプロジェクトを始めた。ドナッテロの死去と同時にこのプロジェクトは立ち消えとなり、未完成のまま40年間放置された(An Art Lover’s Guide to Florence)。 -
そして1501年、ミケランジェロに依頼が行き、ミケランジェロの仕事が始まる。
1501年は、メディチ家がフィレンツェ共和国から亡命した後、サヴォナローラがフィレンツェ共和国を支配していたが、ローマ法王やフィレンツェ市民に処刑され、フランスがイタリアを侵略しようとしていた時期。
フィレンツェ共和国の威信は下がり、ダヴィデのプロジェクトは、フィレンツェ共和国の愛国心高揚という目的もあったそうだ(An Art Lover’s Guide to Florence)。
旧約聖書のダヴィデがGoliathを退治した場面を、亡命していたメディチ家と憎きローマをGoliathとみたてて、その方向にダヴィデが睨みを聞かせるよう作られた。
当時の芸術は、芸術以外に政治的な目的があることもよくあったらしい。子供のころからメディチ家の家族の一員として暖かく迎えられたミケランジェロは、当時の共和国側につき、多神教的な自由な世界を復活させようとするメディチ家の考え方をよく思っていなかったのだ (An Art Lover’s Guide to Florence)。 -
今回の自由研究のテーマ、最初は、ダヴィデのち〇こは、なぜホーケーなのか、にしようかと思っていた。このテーマは、奥が深く、難解で、あきらめたのだ。
ユダヤ教では、生まれた直後包茎手術をする。それがユダヤ人の誇りであり、かつ、女性器切除と同じように、快楽を減らす(従って性行動を減らす)という目的もあったそうだ(女性性器切除と同じ理由で、男児への包茎手術は、幼児虐待であるという運動が世界中で行われている)。
逆にギリシャ・ローマは、包茎が自然の姿と考えられていたようだ。ダヴィデは(もし本当に存在したら)ユダヤ人であるから、ユダヤ教の人たちは、包茎を認めなかったはずだ。
なぜだ????答えはでなかった。そして答えはフィレンツェには無いのだろう、ということでこのテーマはあきらめた。 -
ピアッザ・デラ・シニョリアで、騒乱で落ちてきたベンチがあたって壊れたダヴィデの腕は、ヴァザーリが子供時代に拾って大きくなってから修復したそうだが、
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傷がわからないくらい、きれいになっている。
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アカデミア美術館には、他にも素晴らしい作品がある。知識不足で堪能できないのだが、
ロレンゾ・モナコの受胎告知 -
色が鮮やかで流れがある。。。
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特に気に入ったのが、ジョヴァンニ・ダル・ポンテのマリアの戴冠と音楽の天使と聖人(The Coronation of the Virgin with musician angels and saints)
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細かい。。息をのむ美しさ。。。15世紀の純粋な宗教画という意味では、トップレベルだと思う。ジョヴァンニ・ダル・ポンテ、もっと注目されてもいいのに。。。
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アカデミア美術館を出て、Fortezza da Basso(バッソ城)へ。
ここは、亡命したアレッサンドロ・ディ・メディチがフィレンツェに戻ってきて、共和制を廃止、みずから君主となり、君主制が始まった。市民の攻撃から身を守ることが重要となり、難攻不落の城を作った。
アレッサンドロは後に暗殺されたが、その跡を継いだコジモ一世は、Grand Dukeに任命され、長期間フィレンツェを統治する。共和制の時代は、群衆の感情に左右され、メディチ家も命からがら亡命したり、多くの資産を失ったり、と不安定だったが、君主制になって安定したと言える。民主主義よりも君主制が優れている理由の一つであろう。 -
門が閉まっていて、中には入れなかった。遅かったみたい
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長い一日が終わって、夕食。サンドイッチばっかりなので、レストランへ。
Il Vezzo 見た目も、味も、最高。 -
翌日は、車を借りて、マキャベリの里、そして、ヴェローナへオペラを見に。
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