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18年4月3日、JICAのオリエンテーションの一環として、キングストン市内を車で回った続き。<br /><br />パレード地区の後はキングストンの危険地域であるダウンタウンエリアを東西に抜ける幹線スパニッシュタウンロード(Spanish Town Road)を走るが、この道沿いにはもっと危険な地域がある。バスターミナルに近いチボリ・ガーデンズ(Tivoli Gardens)地区は、アメリカ司法省が世界で最も危険な麻薬組織のリーダーにリストアップしているクリストファー・コーク(Christopher Coke:通称ドドス(Dudus))の率いるギャング団シャワーパシ(Shower Posse)の本拠地。警察も入れないと云われる地域。<br /><br />ドドスは現在アメリカ国内での麻薬取引容疑と武器取引容疑でアメリカに拘束されているが、今から8年前の10年5月から6月に掛けての逮捕の際に、76人の死者と500人以上の逮捕者が出た大騒動がここで繰り広げられた。ジャマイカは未だに政治家とギャング団の結び付きが強く、二大政党であるJLPとPNPにもそれぞれギャング団が付き、選挙の度に殺し合いがある(80年選挙では889人が殺された)。シャワーパシは当時政権を握っていたJLP派(その後いったんPNP政権になったが、16年から今はJLP政権となっている)。その政権がアメリカの圧力に負けてドドスの引き渡しを認め、逮捕状を発行したことに激怒。この地区に武装して立てこもる一方で、警察署を襲い、警官2名を射殺。軍・警察は1000人以上の人員を投入し、さらにはヘリコプターによる焼夷弾攻撃も実施する大銃撃戦が繰り広げられた。ドドスの先代(父親)も90年にここに1週間立てこもり、80人の警官と撃ち合い、10人以上の死者を出して逮捕されたそうだが、息子は桁が違うわ。<br /><br />この地区は80年代にJLP党首として第5代首相を務めたエドワード・シアガ(Edward Seaga)の肝いりで63年から65年に掛けて再開発されたエリア。50年代からカリブ海地域で最悪のスラム街と云われたバック・オー・ウォール(Back-O-Wall)地区を取り壊して開発された。町の名前は後にクイーンズ・シアター(Queen&#39;s Theatre)と改名されたチボリ(Tivoli=イタリアの有名なリゾート地)と云う劇場から来ている(後にボブ・マーリー(Bob Marley)のいたウェイラーズ(The Wailers)も公演している)。JLPのバックボーンであるシャワーパシはこの地区で家賃援助、食料配給や教育、医療の普及事業を行っており、住民からロビン・フッドやキリストにも例えられるほど英雄視され、支持されており、こういう事態になるようだ。結局ほぼ1か月経って、ドドスは逮捕され、アメリカへ送られた。97年、01年、05年、08年にも銃撃戦は起きており、車とは云え近くを通るだけで恐ろしい。<br /><br />チボリ・ガーデンズの少し西寄り、スパニッシュタウンロードの北側にはトレンチタウン(Trench Town)地区がある。ここは40年代に植民地政府によって開発された地域。元々トレンチ・ペン(Trench Pen)の一部を買い上げて作ったことから町の名は付けられた。さらに云えば、トレンチ・ペンとは19世紀初頭のアイルランド系移民のダニエル・トレンチ(Daniel Power Trench)一家の土地の名前。当時裕福な一族が持っている土地はペンと呼ばれた。ジャマイカ各地には今も○○・ペンと呼ばれる場所がたくさん残っている。増え続ける地方からの移住者のために開発されたが、今はゲットー(Ghetto)と呼ばれるスラム街に化している。昼間でも歩いて周るのは危険なエリア。居住者の大部分は貧しく、幼児死亡率は非常に高い。<br /><br />ただ、多くのレゲエ音楽家を輩出しており、その活動拠点となった地区でもある。ボブ・マーレーも10歳からここで育った。トレンチタウン・カルチャー・ヤード(Trench Town Culture Yard)と呼ばれる博物館があるが、ボブの古くからの友人であり、共同制作者であったヴィンセント&#39;タタ&#39;フォード(Vincent &#39;Tata&#39; Ford)の自宅であった。5歳年上の彼は、ボブにギターを教えたと云われており、いくつかの作品の作詞・作曲にクレジットされており、ボブもこの家に入り浸っていた。現在、この博物館はジャマイカの国家遺産(国宝)に指定されているが、歩いて行けるようなとこではない。タクシーで直行し、またタクシーで去るようにしないとどうなるか分からないそうだ。ジャマイカには日本と違って流しのタクシーなどないし、ルートの決まったところしか走らないルートタクシーと呼ばれる乗合タクシーしかないのでかなり大変。まあ、私は単独で行くことは絶対ないと云える。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2013837335352947.1073743717.100001801017376&amp;type=1&amp;l=dc10cadcff<br /><br />続く

キングストン ダウンタウン チボリ・ガーデンズ/トレンチタウン地区 (Tivoli Gardens/Trench Town, Down Town, Kingston)

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2018/04/03 - 2018/04/03

51位(同エリア75件中)

ちふゆ

ちふゆさん

18年4月3日、JICAのオリエンテーションの一環として、キングストン市内を車で回った続き。

パレード地区の後はキングストンの危険地域であるダウンタウンエリアを東西に抜ける幹線スパニッシュタウンロード(Spanish Town Road)を走るが、この道沿いにはもっと危険な地域がある。バスターミナルに近いチボリ・ガーデンズ(Tivoli Gardens)地区は、アメリカ司法省が世界で最も危険な麻薬組織のリーダーにリストアップしているクリストファー・コーク(Christopher Coke:通称ドドス(Dudus))の率いるギャング団シャワーパシ(Shower Posse)の本拠地。警察も入れないと云われる地域。

ドドスは現在アメリカ国内での麻薬取引容疑と武器取引容疑でアメリカに拘束されているが、今から8年前の10年5月から6月に掛けての逮捕の際に、76人の死者と500人以上の逮捕者が出た大騒動がここで繰り広げられた。ジャマイカは未だに政治家とギャング団の結び付きが強く、二大政党であるJLPとPNPにもそれぞれギャング団が付き、選挙の度に殺し合いがある(80年選挙では889人が殺された)。シャワーパシは当時政権を握っていたJLP派(その後いったんPNP政権になったが、16年から今はJLP政権となっている)。その政権がアメリカの圧力に負けてドドスの引き渡しを認め、逮捕状を発行したことに激怒。この地区に武装して立てこもる一方で、警察署を襲い、警官2名を射殺。軍・警察は1000人以上の人員を投入し、さらにはヘリコプターによる焼夷弾攻撃も実施する大銃撃戦が繰り広げられた。ドドスの先代(父親)も90年にここに1週間立てこもり、80人の警官と撃ち合い、10人以上の死者を出して逮捕されたそうだが、息子は桁が違うわ。

この地区は80年代にJLP党首として第5代首相を務めたエドワード・シアガ(Edward Seaga)の肝いりで63年から65年に掛けて再開発されたエリア。50年代からカリブ海地域で最悪のスラム街と云われたバック・オー・ウォール(Back-O-Wall)地区を取り壊して開発された。町の名前は後にクイーンズ・シアター(Queen's Theatre)と改名されたチボリ(Tivoli=イタリアの有名なリゾート地)と云う劇場から来ている(後にボブ・マーリー(Bob Marley)のいたウェイラーズ(The Wailers)も公演している)。JLPのバックボーンであるシャワーパシはこの地区で家賃援助、食料配給や教育、医療の普及事業を行っており、住民からロビン・フッドやキリストにも例えられるほど英雄視され、支持されており、こういう事態になるようだ。結局ほぼ1か月経って、ドドスは逮捕され、アメリカへ送られた。97年、01年、05年、08年にも銃撃戦は起きており、車とは云え近くを通るだけで恐ろしい。

チボリ・ガーデンズの少し西寄り、スパニッシュタウンロードの北側にはトレンチタウン(Trench Town)地区がある。ここは40年代に植民地政府によって開発された地域。元々トレンチ・ペン(Trench Pen)の一部を買い上げて作ったことから町の名は付けられた。さらに云えば、トレンチ・ペンとは19世紀初頭のアイルランド系移民のダニエル・トレンチ(Daniel Power Trench)一家の土地の名前。当時裕福な一族が持っている土地はペンと呼ばれた。ジャマイカ各地には今も○○・ペンと呼ばれる場所がたくさん残っている。増え続ける地方からの移住者のために開発されたが、今はゲットー(Ghetto)と呼ばれるスラム街に化している。昼間でも歩いて周るのは危険なエリア。居住者の大部分は貧しく、幼児死亡率は非常に高い。

ただ、多くのレゲエ音楽家を輩出しており、その活動拠点となった地区でもある。ボブ・マーレーも10歳からここで育った。トレンチタウン・カルチャー・ヤード(Trench Town Culture Yard)と呼ばれる博物館があるが、ボブの古くからの友人であり、共同制作者であったヴィンセント'タタ'フォード(Vincent 'Tata' Ford)の自宅であった。5歳年上の彼は、ボブにギターを教えたと云われており、いくつかの作品の作詞・作曲にクレジットされており、ボブもこの家に入り浸っていた。現在、この博物館はジャマイカの国家遺産(国宝)に指定されているが、歩いて行けるようなとこではない。タクシーで直行し、またタクシーで去るようにしないとどうなるか分からないそうだ。ジャマイカには日本と違って流しのタクシーなどないし、ルートの決まったところしか走らないルートタクシーと呼ばれる乗合タクシーしかないのでかなり大変。まあ、私は単独で行くことは絶対ないと云える。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.2013837335352947.1073743717.100001801017376&type=1&l=dc10cadcff

続く

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