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松井田城(まついだじょう、群馬県安中市松井田町高梨子)は上信国境の碓氷峠から関東平野に通ずる隘路状となった中山道を北涯から見下ろし、南側は険しく北側はなだらかな尾根上に立地した東西1Km、南北1.5Kmの城域を有する連郭式の山城です。<br /><br />築城時期と築城者については15世紀末期に越後国新発田豪族の安中忠親・忠清兄弟が越境し、兄忠親は松井田に弟忠清は原市にそれぞれ城郭を築き安中氏の支配が続きます。<br /><br />16世紀後半では小田原北条氏の武蔵国の領有が確立、その余勢で上野国への新たな展開が始まり上野国西部にも北条氏の勢力が入り込み、当時の城主安中忠政(あんなか・ただまさ)も同氏に従属し信州方面からの侵攻に備えるべく城郭の改築に努めます。<br /><br />永禄9年(1566)息子勝頼を伴った武田信玄は碓氷峠を越えて松井田城を攻略、勝ち目のない戦いを悟った忠政は自決をして落城、安中氏の支配は終わりを告げます。<br /><br />戦国時代後期では支配を続ける武田氏は城代を配し、更に攻略して手中に収めた長野氏が本拠とする箕輪城への繋ぎの城として活用された程度で、城郭の大改修や拡大には至らなかったようです。<br /><br />そして天正10年(1582)武田勝頼が天目山を目前に田野で生害し武田氏は滅亡、その後は織田氏の所領となり知行配分によって上野国は知略の部将滝川一益(たきがわ・かずます、1525~1586)が支配することとなり、厩橋(うまやばし)城に入った一益は松井田城には津田政秀を城代とします。<br /><br />同年6月、織田信長が本能寺の変で討死し家中に動揺と混乱が起こり、これを上野国領有の機会と捉えた小田原北条氏は軍を北上させ、上武国境に近い神流川(かんながわ)で敵対関係となった一益軍と戦い勝利、破れた一益は上野国から撤退せざるを得ず本国の伊勢に向けて帰還します。<br /><br />伊勢向けて引き上げる滝川軍を追討するなか北条氏の譜代の部将大道寺政繁(だいどうじ・まさしげ、1533~1590)は松井田城を奪取、以降小田原北条氏は政繁に信濃境目の守りを命じ、そのため政繁は大規模な築城に着手しいわゆる「安中廓」の西側に新たに現在の主郭・二郭を築き更に尾根沿いに堀切を数段にわたり施すなど要害堅固な城塞とし西方(碓氷峠)からの攻撃に備えます。<br /><br />天正18年(1590)における豊臣秀吉の小田原征伐では、秀吉本隊と別部隊の前田利家・上杉景勝・真田昌幸ら北国軍3万5千の猛攻にさらされ政繁は1カ月以上持ちこたえるも多勢に無勢で耐えられずやがて降伏開城となりその後は廃城に至ります。<br /><br /><br />登城口入口の案内板と共に建てられた説明板には下記の通り記載されています。<br /><br />「 松井田城跡<br /><br />この城は、松井田町大字新堀、高梨子および新井に位置し、碓氷川と九十九川にはさまれ、標高210~450mの尾根上に築城された戦国期の大きな山城です。<br /><br />城跡の主要部は、およそ東西に1Km、南北に1.5mにおよび、ところどころを堀切で断ち、その間に10か所程の廓が並んでいます。<br /><br />この城は数度の改修がなされ、北条氏支配の天正年間には大道寺駿河守政繁が城主となり大改修拡張し、現遺構のように完成し北条氏(小田原)の築城技法を示す典型的な山城となりました。<br /><br />天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、前田利家、上杉影勝、真田昌幸らに攻められ落城しました。<br /><br />落城後も、城としての遺構をほぼ完全に残している県内はもちろん全国的にみても極めて重要な城跡です。 」

上野安中 上信境目での信州から西上野への攻略と防御の為甲斐武田氏・小田原北条氏・尾張織田氏が支配領有を争った『松井田城』訪問

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2018/08/15 - 2018/08/15

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滝山氏照

滝山氏照さん

松井田城(まついだじょう、群馬県安中市松井田町高梨子)は上信国境の碓氷峠から関東平野に通ずる隘路状となった中山道を北涯から見下ろし、南側は険しく北側はなだらかな尾根上に立地した東西1Km、南北1.5Kmの城域を有する連郭式の山城です。

築城時期と築城者については15世紀末期に越後国新発田豪族の安中忠親・忠清兄弟が越境し、兄忠親は松井田に弟忠清は原市にそれぞれ城郭を築き安中氏の支配が続きます。

16世紀後半では小田原北条氏の武蔵国の領有が確立、その余勢で上野国への新たな展開が始まり上野国西部にも北条氏の勢力が入り込み、当時の城主安中忠政(あんなか・ただまさ)も同氏に従属し信州方面からの侵攻に備えるべく城郭の改築に努めます。

永禄9年(1566)息子勝頼を伴った武田信玄は碓氷峠を越えて松井田城を攻略、勝ち目のない戦いを悟った忠政は自決をして落城、安中氏の支配は終わりを告げます。

戦国時代後期では支配を続ける武田氏は城代を配し、更に攻略して手中に収めた長野氏が本拠とする箕輪城への繋ぎの城として活用された程度で、城郭の大改修や拡大には至らなかったようです。

そして天正10年(1582)武田勝頼が天目山を目前に田野で生害し武田氏は滅亡、その後は織田氏の所領となり知行配分によって上野国は知略の部将滝川一益(たきがわ・かずます、1525~1586)が支配することとなり、厩橋(うまやばし)城に入った一益は松井田城には津田政秀を城代とします。

同年6月、織田信長が本能寺の変で討死し家中に動揺と混乱が起こり、これを上野国領有の機会と捉えた小田原北条氏は軍を北上させ、上武国境に近い神流川(かんながわ)で敵対関係となった一益軍と戦い勝利、破れた一益は上野国から撤退せざるを得ず本国の伊勢に向けて帰還します。

伊勢向けて引き上げる滝川軍を追討するなか北条氏の譜代の部将大道寺政繁(だいどうじ・まさしげ、1533~1590)は松井田城を奪取、以降小田原北条氏は政繁に信濃境目の守りを命じ、そのため政繁は大規模な築城に着手しいわゆる「安中廓」の西側に新たに現在の主郭・二郭を築き更に尾根沿いに堀切を数段にわたり施すなど要害堅固な城塞とし西方(碓氷峠)からの攻撃に備えます。

天正18年(1590)における豊臣秀吉の小田原征伐では、秀吉本隊と別部隊の前田利家・上杉景勝・真田昌幸ら北国軍3万5千の猛攻にさらされ政繁は1カ月以上持ちこたえるも多勢に無勢で耐えられずやがて降伏開城となりその後は廃城に至ります。


登城口入口の案内板と共に建てられた説明板には下記の通り記載されています。

「 松井田城跡

この城は、松井田町大字新堀、高梨子および新井に位置し、碓氷川と九十九川にはさまれ、標高210~450mの尾根上に築城された戦国期の大きな山城です。

城跡の主要部は、およそ東西に1Km、南北に1.5mにおよび、ところどころを堀切で断ち、その間に10か所程の廓が並んでいます。

この城は数度の改修がなされ、北条氏支配の天正年間には大道寺駿河守政繁が城主となり大改修拡張し、現遺構のように完成し北条氏(小田原)の築城技法を示す典型的な山城となりました。

天正18年(1590)豊臣秀吉の小田原攻めで、前田利家、上杉影勝、真田昌幸らに攻められ落城しました。

落城後も、城としての遺構をほぼ完全に残している県内はもちろん全国的にみても極めて重要な城跡です。 」

交通手段
JRローカル 徒歩
  • 安中ガイドマップ<br /><br />高崎駅からJR信越線にて西松井田駅下車、道中には「あんなかガイドマップ」と題する案内地図が建てられています。目指す松井田城跡は北進して国道18号松井田バイパス側から入ります。

    安中ガイドマップ

    高崎駅からJR信越線にて西松井田駅下車、道中には「あんなかガイドマップ」と題する案内地図が建てられています。目指す松井田城跡は北進して国道18号松井田バイパス側から入ります。

  • 安中ガイドマップ(拡大)<br /><br />地図の中に「松井田城跡」の位置が描かれています。

    安中ガイドマップ(拡大)

    地図の中に「松井田城跡」の位置が描かれています。

  • 松井田城跡入口標識<br /><br />国道18号バイパスを高崎方面に進むと側道があり傍らには「松井田城跡」の標識が認められます。バイパス工事に伴いかつての城域の南部分が相当消滅したようで削り取られた壁面はブロックで覆われています。

    松井田城跡入口標識

    国道18号バイパスを高崎方面に進むと側道があり傍らには「松井田城跡」の標識が認められます。バイパス工事に伴いかつての城域の南部分が相当消滅したようで削り取られた壁面はブロックで覆われています。

  • 城跡案内板<br /><br />しばらく進むと弓道場があり入口には手製の案内板が置かれて城跡入口が500m先であることを示しています。ここから安中城郭へ行けると思い進んでみますが、行き止まりの状況でした。

    城跡案内板

    しばらく進むと弓道場があり入口には手製の案内板が置かれて城跡入口が500m先であることを示しています。ここから安中城郭へ行けると思い進んでみますが、行き止まりの状況でした。

  • 松井田城跡登城口<br /><br />路の途中には左折する道など見当たらず、やや下り坂の道路を更に進むとどうやら入口を見つけました。

    松井田城跡登城口

    路の途中には左折する道など見当たらず、やや下り坂の道路を更に進むとどうやら入口を見つけました。

  • 松井田城跡入口案内板

    松井田城跡入口案内板

  • 松井田城跡案内図

    松井田城跡案内図

  • 登城路

    登城路

  • クマ出没看板

    クマ出没看板

  • 堀切跡

    堀切跡

  • 堀切説明板

    堀切説明板

  • 堀切跡

    堀切跡

  • 堀切跡看板

    堀切跡看板

  • 堀切跡看板(拡大)

    堀切跡看板(拡大)

  • 堀切

    堀切

  • 城跡入口看板

    城跡入口看板

  • 横堀

    横堀

  • 横堀説明板

    横堀説明板

  • 門跡看板

    門跡看板

  • 門跡(大手門跡)

    門跡(大手門跡)

  • 門跡(大手門跡)説明板<br /><br /><br />「 門跡(大手門跡)<br /><br />大手門は城の正面に設けられた門で一城の正門である。本来は追手門という。<br /><br />追手とは篭城のとき正面を攻めて来る敵を搦手から出撃し正面に追い詰めて戦うように造られているのでそう呼ばれる。一般的には巨石や石垣で固めた大きな枡形に虎口が付いている。」

    門跡(大手門跡)説明板


    「 門跡(大手門跡)

    大手門は城の正面に設けられた門で一城の正門である。本来は追手門という。

    追手とは篭城のとき正面を攻めて来る敵を搦手から出撃し正面に追い詰めて戦うように造られているのでそう呼ばれる。一般的には巨石や石垣で固めた大きな枡形に虎口が付いている。」

  • 大手門跡(近景)<br /><br />盛り上がった形状は設置された門の土台のようです。

    大手門跡(近景)

    盛り上がった形状は設置された門の土台のようです。

  • 主郭・二郭案内板<br /><br />右方向には馬出・二郭方向、左方向は主郭をそれぞれ示しています。まずは主郭に向かいます。

    主郭・二郭案内板

    右方向には馬出・二郭方向、左方向は主郭をそれぞれ示しています。まずは主郭に向かいます。

  • 堀切説明板

    堀切説明板

  • 本丸方向<br /><br />段差を登っていくと本丸跡が控えています。

    本丸方向

    段差を登っていくと本丸跡が控えています。

  • 主郭(本丸)跡<br /><br />

    主郭(本丸)跡

  • 主郭(本丸)説明板<br /><br /><br />「 本丸(本城)<br /><br />城で一番大事な曲輪だとして江戸時代には本丸と呼ばれたが、戦国期には本丸の語は無く、本城とか一の曲輪と呼ばれていた。城主の居所であり、戦いの際には作戦本部となり、すべての指揮や命令はここから出る。城中で最も重要な役割を持つ曲輪である。松井田城には、よく絵にあるような壮大な天守閣はなかった。 」

    主郭(本丸)説明板


    「 本丸(本城)

    城で一番大事な曲輪だとして江戸時代には本丸と呼ばれたが、戦国期には本丸の語は無く、本城とか一の曲輪と呼ばれていた。城主の居所であり、戦いの際には作戦本部となり、すべての指揮や命令はここから出る。城中で最も重要な役割を持つ曲輪である。松井田城には、よく絵にあるような壮大な天守閣はなかった。 」

  • 虚空蔵堂<br /><br />主郭の隅には一部高壇があって虚空蔵堂が建ち、かつては物見の役割をするため櫓があったと思われます。<br /><br />

    虚空蔵堂

    主郭の隅には一部高壇があって虚空蔵堂が建ち、かつては物見の役割をするため櫓があったと思われます。

  • 主郭風景<br /><br />虚空蔵堂の高壇から主郭方向を臨みます。

    主郭風景

    虚空蔵堂の高壇から主郭方向を臨みます。

  • 主郭跡

    主郭跡

  • 馬出(うまだし)跡<br /><br />主郭(本丸)を離れ馬出・二郭方向に移動するとまず馬出が在ります。

    馬出(うまだし)跡

    主郭(本丸)を離れ馬出・二郭方向に移動するとまず馬出が在ります。

  • 「馬出」説明板<br /><br /><br />「 馬出<br /><br />本丸(本城)や二の丸(ニの城)等の出入り口の手前に設けられた小区域で一旦ここに出た人馬が揃して城外へ出撃するので馬出という。入る時も馬出に入って員数を確認して中に入った。 」

    「馬出」説明板


    「 馬出

    本丸(本城)や二の丸(ニの城)等の出入り口の手前に設けられた小区域で一旦ここに出た人馬が揃して城外へ出撃するので馬出という。入る時も馬出に入って員数を確認して中に入った。 」

  • 堀切<br /><br />馬出(手前)と二郭(向こう)の間には大規模な堀切が施され、侵攻を遮断しています。

    堀切

    馬出(手前)と二郭(向こう)の間には大規模な堀切が施され、侵攻を遮断しています。

  • 二郭跡案内板

    二郭跡案内板

  • 二郭跡

    二郭跡

  • 土塁<br /><br />二郭の突き当りには土塁が左右に走っています。

    土塁

    二郭の突き当りには土塁が左右に走っています。

  • 土塁説明板

    土塁説明板

  • 土塁上

    土塁上

  • 二郭(二の丸)説明板

    二郭(二の丸)説明板

  • 二郭

    二郭

  • 櫓台<br /><br />二郭の奥には勾配の高い箇所があり櫓台跡と思われます。

    櫓台

    二郭の奥には勾配の高い箇所があり櫓台跡と思われます。

  • 二郭<br /><br />櫓台跡から二郭を振り返ります。

    二郭

    櫓台跡から二郭を振り返ります。

  • 堀切<br /><br />二郭から馬出への間を捉えた堀切です。

    堀切

    二郭から馬出への間を捉えた堀切です。

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